日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2008年08月26日(火)

最近、誰かが他人の良くない面を言っている場面に会った時、「どうしてこの人はその部分に気になっているのかな」と見つめます。
他人に優しくない言葉は自分に優しくない言葉でもあるんだよなあ、と思いながら見つめます。
(同じ価値観で自分を扱うことになるから)

必要ないのに感情移入していたから疲れてたんだなあと気づきました。
取り込まないで丁寧に聞いていると、相づちの言葉もこれまでとは違うものを使うのだなあと気づきました。
「わたしはそれをYESともNOとも判断しないけれど、あなたはそう感じたのだねえ」
というようなニュアンスに。

昔は、「あなたのYESの気持ちを味わうと、なるほどYESなのかも!」と同調したり、「えー?これはNOでしょ」とジャッジしていた感じ。
わたしの体験ではないのにねえ。

自分の価値観の逆の表現を、話の流れなどでつい面倒になってしてしまったり、自分の感覚に素直になれなかったり、そういう時、最近のわたしは居心地が悪くなってギシギシするようです。
以前までもそれは居心地がよくなかったのだろうけどギシギシしなかったのは、今より鎧を着ていたからなんだろうなーと思います。ちょっと脱いだんだなあと気づきました。

自分の持っている価値観を、相手に対して失礼にならないような言葉で、素直に簡単に伝えていきたいなと思います。
まあ、自分ができる表現から少しずつ。


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つらつら - 2008年08月22日(金)

京都から帰ってきて後の細胞が変わっていく感覚が、落ち着いてきた現在です。
(というか慣れてきた)
すごいなー。なんでそうなってるのかわからないけど、明らかに変わっているのを実感しています。

自分のパターンも、よく見えます。今日も2つ発見しました。ちょっとプログラミングを外しておこうと思います。



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つらつら - 2008年08月17日(日)

京都のヒーリングスクール受講1回目を受けてきました。

すごい・・・。

明日にでも1度整理しておきたいです。内容がぎっしりでした。
先生が口頭でどんどん仰る言葉がとてもおもしろく、その全てが重要に感じるもので、忘れてしまうのがもったいないのでメモりたいなと。
(すでに大分忘れている気もしますが)

大部分は同じものを習っている気持ちで向かったのですが、どこが同じなのだという話です。

もしも初めから今回の受講を受けているなら(ありえないんですが)、わたしは多分受講費用と交通費の分の元を取ることはできないと思います。理解できないことが多いだろうし、先生の話すスピードに理解がついていけないだろうなと。
だから、1度地元で少し習ってから京都へ行くことになったのは、とてもお得で最短距離コースだったのだな、と思います。
(もしも地元で全てを習えていたら、京都には行かなかっただろうし)

いろんなことが起きました。おもろい!

受講生が醸していたムードや関係性みたいな雰囲気も、1日目と2日目では違いました。

感情が高ぶったわけでもないのに、わたしは目から涙をたーたー流していました。それを2回。
(本人、どちらもなぜ泣いてたのかわかりません)

1日目の講義を終え、2日目の朝に起きたら、自分の左側から何かぼっかりなくなっている感じがしました。
どうやらそのなくなったものは、「いらないもの」っぽい感覚。
で、あまりその正体を「何だったんだ?」と追いかけると、せっかく離れたのにまた自分のものにしてしまいそうに思ったので、そのままなくなったままで、としたのだけれど、その反面、そのなくなったものは今までの自分がストレスに負けないために使っていたものであったものっぽくて、今までのその方法が使えないなら、これからわたしはどうやってやっていけばいいんだ・・・とちょっと不安になったりしました。
新しい方法を聞いてみようと思います。


京都、ええなあ〜。
他の受講生はもちろんこちらの方たちばかりだったので、体験をシェアしたりおしゃべりしたりの時に聞ける京都弁がここちよかったです。
まねしたくなる。かわいいなあ〜。

湿度・温度が東北人には強烈でした。ふー。
でもまた再来週に行けるのが楽しみ!


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つらつら - 2008年08月14日(木)

他人に責任を負わせる態度の人に対して、わたしはとても冷たいところがありました。もちろん自分ができないことに対して引き受けることは、逆に責任感がないことであるのでその内容にもよるけれど、「そのくらい自分で判断すればいいのでは?」という内容の場合に冷たいわたしが出てきていました。

わたしの怒りということは案の定、母との関係性に関連していることだったりするのですが、冷静になって起きていることを理解すると怒りが手から離れていきます。

昨日、上記の理由で職場にてムッとしたことがあって、「あ、今わたしはムッとしてる」と気づきました。自分で判断しようとしない態度を見てわたしは怒っているんだなーと、自分を見つめました。
そうしたら本日、母を見つめることになりました。人生、この辺りがおもしろいと思います。やっぱりわたしの課題だったんだな、と思いました。

母は多分完璧主義なところがあるのだと思うのだけれど昔から、やるかやらないか、という行動パターンです。だから、「自分ができない」と思うことが多く、自信を喪失しがちです。
過去、何度わたしが伝えようが、聞く耳は持っているのだけど行動としては変わらず、いつも同じことをわたしは言っていました。というか、今も同じことを言っているような気がします。

「自分でできない」と思って自分に対して苛立つことの自己対処法として、母は初めから人にやってもらおうと依存する思考や、なるべくひとりで静かに身体を動かさないようにしていようということをしているのだと思います。

できないことにばかり目を向けやすいので、自分でできることは何かを考えて行動するような思考回路になれれば苦しくないんだけどな、と思うけれどどうすれば伝わるかが今のところわたしにはわかっていません。
実際に行動することで自信がつくから、できることをやるしかないんだよってことを実感してもらいたいんだけど。

わたしがとりあえず実践して見せていく、という方法しかないのかなー。


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つらつら - 2008年08月13日(水)

わたしにとって母は「自分が正直になって怒れる」という人です。
最近気づいたのは他の人に対してはわたしの怒りの表現はそうではないということ。父親に対しても、兄弟に対してもそうではなかったということ。
(お腹にためたり、その感情に知らん顔したり、傷つけないように気を使って言えることだけ言ったり、そういうことが多いということ)
だから母と話していると、自分に正直に怒れるから楽なんだけど、わたしは自分の怒りをまともに見ることになるので疲れるということがわかりました。

なぜに母に対してだけ…? 謎です。

そういうことに気づいてきたし、母に対しても「手伝える部分は手伝うけど、自分でやらないと結局身につきにくい」とわかってきたからあまり取り込んだり怒ったりすることが少なくなってきて(以前比)、人に対して怒りの感情が出なくなってきたなー、なんて思ってたのですが、まだあるようです。
自分のことを温厚だと思っていたのだけどなあ。
(多分、周りの人もそう見ていると思います)

あ、今、わたし怒ってる!
と気づいてそれを見つめると、大抵というか全て、わたしが子供の頃から母親に対して怒った覚えのある理由と共通していたりして。母以外の人にムッと来たときも、何に怒っているのだ?と見つめると、共通項が見つかります。
なんというか、母がわたしの母でよかったなあと思います。勉強になるというか、自分の課題を取り組むのにそのターゲットとするものがとてもわかりやすく出てきてくれる…。


最近、歩いていて人とすれ違ったりする際に、「なんだろうな、この感じ」と思うことがあります。原因はこの人だな、とわかるのだけど、何に反応しているか全然わからない。
あとは何か「わかった」時に流れが良くなる感じがあるとかね。
とりあえず観察。


15日、京都(1/3回目)に行ってまいります。やっほう。楽しんできます。
京都行きのせいなのか、第6チャクラがむずむずする今日この頃。


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つらつら - 2008年08月05日(火)

体感を重視している現在、13の月の暦を使い始めてみました。28日周期13ヶ月のカレンダーです。
初心者のわたしは、とりあえず「今日は何の月の何週目かなー」「今月の課題は何かなー」くらいを意識している感じ。28日それぞれの性質(おこりがちなこととか)の書かれているサイトも参考にして、今日はチャレンジの日かーとか、ありのままで過ごせる日かーとかもそれと合わせて意識してみているところ。
まだよくわからないけど、振り返ってみれば先日のチャレンジの日はまさにチャレンジの日でした。今までやらなかったことをやってました。そしてそれができたといううれしい日でした!

28日それぞれの性質は、生まれた日によって人の質にも重なるようで、性格判断や相性診断みたいなものもあります。

他者ヒーリングをしていて、なんだか他の方にヒーリングする時と明らかに違う感覚がする、言葉でうまく表現ができないのだけど、そういうものが感じられる方がいて、なぜだろう?と思っていました。

28日をひと月とした月のカレンダーのサイトでの相性診断を見て、それがわかった?ような?
方法は違うものを使うのだけれど理想とするものが似ているという相性。
(だからお互いがアドバイザーになる相性)

ヒーリングで相手の方が必要とするものが流れる際にわたしにも共に流れるのだけど、多分ですがそれがわたしにも共通して必要があるものだったりしてわたしにも影響して、こういう感覚がするのかなと。他者ヒーリングをしているのに、自分もヒーリングを受けている時のような感覚になります。
他の人の場合はわたし自身の身体に何か感覚(しびれたり熱くなったり)があっても、「他人の反応」という感覚があるんですが・・・。自己ヒーリングではならない感覚でもあるなあ。
(自己ヒーリングはわたしにとっては平和)
それとも、もう少し相手の方とのセパレートを意識する必要があるのかなあ。

とりあえず観察していようと思います。


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つらつら - 2008年08月01日(金)

わたしから見て素敵だなと思う人から、自分に不満があるような発言を聞くと「?」と思います。

ええー、そのままで素敵なのにー。
Aがいいところだから、Bの部分は少ないだけというか、Bが少ないからAの良さが生きてると思うんだけどなー。

と思いながら、否定せずにただ聞いていることがあります。

そういう人になりたいんだなー。
そういう人に惹かれるんだなー。

と思いながら、ただ聞いていることがあります。

惹かれるということは、もうそれを持っているということ。
共鳴しているということ。
なりたい自分のその要素を、すでに自分は持っているということ。

それを知っていると不満を聞いても、ふふふ、と思います。


追記
初め、「怪しく思って、わたしは近寄らないかもしれないな」と思って見始めて、なのに見ているうちに感動してきたという映像があります。こちら。
おすすめです。


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