「君の戀愛遍歴を聞きたい。」と友達に謂はれた。
僕は「いいのか?話していいのか?本當にいいのか?思ひつきり語るぞ。本當にいいのか?」と相手に訊いた。相手が聞く氣が無くなるまで訊いた。
本當は語る樣な戀愛なんてした憶へは無いのだ。
僕はいつだつて他人にはあつさりした付き合ひに見える樣に付き合つてきたし、どんなにどろゝゝしても出來るだけ笑ひで誤魔化してさつぱりした思ひ出に變へてしまつたから。
語らうと思へば語れなくは無い。
でも、語れば語るほどきつと僕は自分を更に嫌いになるだらう。僕はいつも語るべきでは無い部分まで語り過ぎてしまふから。
2003年09月30日(火)
どんな理由であれ、どんな事情が其處にあれども、僕は子供を遺して逝く親を許す事が出來ませぬ。
僕の親の死は自死行爲に因るものではありませんでした。しかし、僕は僕と同時期に親を自殺で失つた級友の姿を間近で見て育ちました。
父親が自らの身體にガソリンを撒いて燒死した時、まだ彼は十歳でした。
新聞社の配慮により紙面に彼の父の死は載らず、小學校側も配慮して生徒には彼の父は病死したのだと知らせました。
しかし、噂は廣がるものです。死後一ヵ月後には彼の父がどの樣な方法で何處で亡くなつたのか、殆どの生徒は親や知人から聞き及んで知つてました。
自殺者の子供が親の死によりどの樣なshockを受けるか知つてますか?
親の死後、心無い周圍の行ひによりどれだけ精神的に傷付けられるか御存知ですか?
僕は親の死により精神的衝撃を受け、更に周圍によつて追ひ詰められていく彼に對して何も出來ずにただずつと近くで見てゐました。
ほぼ同時期に父を失つた僕は彼とは違ふ意味において追ひ詰められてゐて、彼を勵まさうと僕が彼にかけた言葉は空回りしてばかりでした。
自分に生命保險をかけて飛び降り自殺をした親。借金に追はれて入水自殺しやうとした親。
生きてゐれば良い事もあるなんて僞善的な事を僕は謂ひませんけど。
貴方達の死は無駄になつてますよ。子供は貴方達が願つたやうには幸福になつておりませぬ。
2003年09月27日(土)
守りに入つた人生を僕は歩んでゐる。
僕以外の他の人物に幾ら僕が無謀かついい加減な意思決定の元に人生選擇を爲してゐる樣に見えても、ある意味僕は僕が小學校の頃に思つた儘の自分の未來を歩んでゐる。
どうせ僕の人生なんてそんなもんなのだらう。
今僕が居る状況はまさに小學三年の時に僕が思つた其の儘の状況だ。
2003年09月07日(日)
「好きなんだから仕方無い」
此の言ひ譯だけは僕は僕に許す事が出來無い。
僕以外の男や女が此の臺詞を言ひ譯に馬鹿げた振る舞ひを己に許すのは其の人自身の問題であるから僕には如何でも良い。
だが、自分に此の言ひ譯を許す譯には行かぬ。
好きなんだ。
でも、仕方無くは無い。
僕は幾らでも己の過ちを正せたのだから。
2003年09月03日(水)