イヴ
 イヴなのに、いやイヴだからこそ色んな事情が重なつた。

 母の病が一つだけでは無い事を忘れて居た事を思ひ出した。
 半年前には僕は彼女の胸の病では無く轉移したものについて案じてゐた事を思ひ出した。
 忘れて居た、といふのも實は違ふ。考へたく無かつたのだ。是以上誰かを失う事について考へたく無かつた。彼女はずつと僕の傍に居てくれるものだと思ひたかつた。
 自分から傍を離れたくせに今も僕は我儘に彼女の生を渇望してゐる。

 「君、何か僕に言ふべき事が無いか?」と、親友に詰問された。彼に言ふべき事なんて山積みになり過ぎてどの事を指してゐるのか全く見當もつかなかつた。
 怒つて居る彼が何を僕に言はせたいのか、何について僕に怒りを感じてゐるのかさえも全く判らなかつた。
 「愛想盡かしていい?」こんな遣り取りで僕等の友情は途絶えてしまふのか。

 「アタシを助けて!」
 ずつと幼馴染が僕にそう謂ひ續けてゐた。メールも電話の着信も全て彼女で埋まつた。
 助けを求めてゐる筈の彼女は別れる筈の彼氏の部屋でもう何日も彼氏と喧譁中だ。
 僕の言葉が君に屆かぬと僕に思ひ知らせたのは君自身なのに君はそんな時にだけあくまでも君の味方をする存在としての僕を欲するのか。

 止まぬ雨は無い。明けぬ夜は無い。
 だから、僕は大丈夫。今でもちやんと笑へるから、僕は大丈夫。
2002年12月24日(火)


 死にはせん
 何が起きても死にゃぁせん。

 さう、いつもこんな感じ。
 「此の儘では僕が完全に消えてしまふ、誰か止めてくれ!」と思ひ乍らも「大丈夫。大丈夫。」と胸を抑えて自分に言聞かせてゐる内に全ては納まつて、僕は變はらず其處に居られるんだ。
 確かに其の瞬間は死にさうな程苦しいし此の儘僕は死ぬのだと確信するけれど、それで死んだ事は今迄無い。

 まう、命に關わるものでは無いのです。少なくとも今の時點では。
2002年12月21日(土)


 Live and let others live.
 ずつと金に拘つて一人娘にさえ「私が今貯蓄してゐる金は私の老後の資金なんだから貴方は其のお金を貰う事を期待しないでね。」と宣言してゐた人の發言が180度變はつてしまひました。
 「死んだら一億には屆かなくてもせめて數千萬程度は貴方に殘る樣に色々しておいたから。」そんな事を笑ひながら云ふのです。
 「いつ居なくなつても大丈夫な樣に、後の手續きが簡單に濟む樣にしておくからね。」とも云ふのです。

 「お願いだから前の樣にがめつく自分の金にしがみ付いて決して僕には渡さないと云つて下さい。
 僕を置いていく事ばかり考へ無いで下さい。」

 置いてきぼりを喰らわされた擧句に無一文どころかマイナスの金錢状態になつた事のある彼女にそんな事は云へませんでした。
 何も殘さないよりはまだ幾らか金錢がある方が殘された側が哀しみから拔け出さうと足掻いた時に役立つのだと十二分に知つてゐる彼女にそんな事を云へる程僕は愚かになれませんでした。
 僕に出來た事は唯彼女と同樣に空笑ひしながら「逆に僕が先に逝つちやつた場合の準備も忘れ無いでね。僕の方が早いかも知れ無いよ。」と云ふ事だけです。
 眞面目に語り出したら涙聲で會話にならなくなるから。シリアスに病状なんて語れませぬ。誤魔化さなきや現状報告もままなりませぬ。
2002年12月10日(火)
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