馴れ合ひ
 馴れ合ふのは慣れてる。馴れ合ふ振りだけなら何とか出來る程度には慣れてる。
 しかし、僕は自身の家族に關する罵言を書き連ねるWeb日記管理人同士の馴れ合ひには慣れてゐない。

 自分の父親そして母親に關する罵倒を書き連ねられる人達、其の人達を如何見ても彼等が親を惡く言ふ事によつて親に甘えてゐる樣にしか僕には見え無い。
 少なくとも彼等は自分の親を惡く言へるし、言へるだけの環境があるのだから。
 そして、彼等の親は命を損なう事無く存在して居る。

 無視も否定も出來無い状態で、如何やつて馴れ合つて逃げ樣かと考へて居る。
 親や親族に對する罵りを僕も言ひたくて堪らぬ瞬間があるから彼等を否定は出來無いし、無視も出來無い。
 しかし、僕はそんなものをWeb上で曝したく無い。

 何も考へて無い振りで挨拶程度の言葉だけで馴れ合ふ方が何かを考へて居る心算でくどゝゝ述べて馴れ合ふよりもずつと裏がある事に彼女が氣付いてくれる事を願う。
 僕は同じ土俵に立ちたく無いから。
2002年11月29日(金)


 深くは語りたく無い
 讀唇をほぼ完全に會得した聽覺障害を持つ人物に對して判り易い樣にと常に無く口を大きく開けて話し掛けるのは相手に不快感を齎すと思つてゐた。
 其れは僕が以前一時的に聽覺を失つた際にさうだつたから。僕の爲ではあるのだが馬鹿の樣に口を大きく開けて幼兒に話し掛けるかの如くゆつくり言葉を發する知人に酷く僕は苛付いてゐた。親しく無い知人であればある程其の口の大きさは大きくなる樣だつた。幾ら僕が讀唇が苦手とはいへ其處迄大口開けてゆつくり話さなくても讀み取れたのに彼らは其の話し方を僕の聽力が回復したと判る迄止めなかつた。
 だから、僕は他の人も同じやうに不快を感ずると思つてゐたのだ。
 だが其れは違ふらしい。
 他人は僕では無いし、僕は他の人物と同一では無い。そうは判つてゐたが何故か僕は同じやうに感ずるものだと思ひ込んでゐた。

 僕の話し方は非常に聽覺障害者にも視覺障害者にも不親切な話し方だと障害を持たぬ人に謂はれた。
 何を謂つてゐるのか判つてもらえないと謂はれた。

 僕がした言ひ譯は少し。
 「吃音の癖がある人間は自分の言葉が通じ無いとより焦つて話す傾向があるんですよ。」
 此れだけをはつきり謂ふので精一杯。
2002年11月08日(金)
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