白き佳人
 ある文章を讀み思ひ出した。
 嗚呼、此の氣持ちだつたのだなと。
 僕が此の動搖を思ひ出したのは文章が思はせる情景が僕が以前體驗したものと同じだつたから。

 曇り無き青空、透明感のある爽やかな風、そして白く綺麗なあの人の寢顏。
 僕が想つた光景は彼女のものとは違ふけれどそれでも鮮明に腦裏に浮かんできてしまふ。

 この前迄…其處が一番心に殘つてしまふ。
 あれは僕の手の屆く範圍に在つたのだ。
2002年05月31日(金)


 電車内
 歸りの電車内で床に頭髮らしき茶色の塊が落ちてゐるのを目撃した。
 序に謂へば其の頭髮らしき物體が妙に慌てふためいて轉がる樣に電車を降りていつた可也年配の御婦人の頭部からひらりと落ちたのも僕は目撃したのだが、餘り深く考へ無い事にした。

 以前友人と飮んで歸つた際に見た奇跡とほぼ同じ光景を今日亦見た。
 奇跡と謂つても大した事では無い。單に發車間際の電車の座席に隣り合つて座つてゐた二人が同時に反對方向を向いて隣り合ふ別々の閉まる寸前の扉から降りただけ。でも、其の光景を見た僕と友人は顏を見合はせて「すごっ!」と叫び「奇跡だ!」「あんな事現實にあるんや!」と暫く驚き續けてゐた。
 今日僕が先日と同樣の光景を見て判つた事は、あの時の僕達は正常な判斷が出來て居ると思ひ込んで居たがさうでは無かつたといふ事。あんな事の何處を如何見て「奇跡」だなんて口々に謂ひ合つて居たのか今では全く理解出來得無い。

 京都で電車通學を始めてから、二日に一日の割合で元彼によく似た人を見掛ける。毎回あの背の高い後ろ姿を見掛ける度に僕は其の姿が視界から無くなる位置までせかゝゝ移動してしまふのだけど、あれは本當に彼では無いのだらうか。
2002年05月28日(火)


 確認
 中を覗いて見たかつたんだ。

 知つてるよ。
 僕が消え失せれば君は幸せになれる。

 空しくて堪らないから線引きをする。
 君の氣持ちは此處迄で僕の氣持ちは彼處迄だと。
 全てを期待して居無いと嘯いて僕は亦己の感情を押込み蓋をする。
 期待するから失うのだと、期待さえし無ければ裏切り等在り得ないのだと僕は教へられ續けてきたから。

 知つてるよ。
 君が告げ掛けた言葉を封じたのは僕。
 口にせぬ儘が樂だと云ひ掛けた君を制した此の僕が何を傳へたかつたのか君は知ら無い儘で可い。

 中に何が詰まつてゐるのか、薄々解つては居たのに確かめた。
2002年05月23日(木)


 忘れ物
 忘れたのは態とでは無かつた。
 でも、携える事無く歸宅したらいつもより心が輕かつた。
 僕が本當に忘れたかつたものはあの小さい黒い機械では無く、其の機械で繋がつて居る何かだつたのでせうか。

 ほんの少しの開放感と不安感を抱いて亦繋がりを補強し樣としてゐる。
 全てを斷ち切る事なんて出來無いから。
2002年05月22日(水)


 前照灯を点けよ
 言葉ってのは不思議なもので同じ事について述べた文でも表現を変えただけで随分違う受取り方の出来得る文章になったりします。

 例えば、夜帰宅する際に前照灯を点けずに僕にぶつかり乍横を通り過ぎ去った自転車に対して
「ちょっと待て!自転車の前にライトは付いてんだから、ちゃんと点けて行かんかい!
 自転車のライトは自転車に乗ってる人が暗い場所で走る時に前方を照らす為だけにあるんじゃ無いんだよ。暗い中では自転車から歩行者は見えても歩行者からは自転車は見え無い事が多いから歩行者に自転車の存在を知らせるにもライトは必要なんだよ。そんな事にも気付かずに自分だけが見えてるからって真っ暗な中僕にぶつかってくるんじゃねぇよ。見えて無い僕が態々避けてやれる訳無いだろうが!
 自分の莫迦さ加減に早よ気付いてライト点けとけ!」
 と僕が悪態をついたとします。

 前述の僕の悪態をある程度詩的に旧字体等も交え乍表現すると以下の様になります。
「お前が創り出した其の光は
 お前の足元や行先を照らす爲で無く
 お前が正に其處に居る事實を
 お前が近付きつつある現實を
 お前が向う先に居る僕達に
 教へる爲にこそ在つたのに

 今お前は光放たうとせず
 暗闇の中を疾走せんとす

 其の愚かさをこそ知れ
 光放たぬ過ちに氣付け」

 文章って面白いですね。
 因みに…夜自転車で走る際は前照灯を点ける事をお勧めします。
 今夜の僕みたく左横からいきなり出てきた自転車にぶつけられ転倒する憐れな歩行者を増やさぬ為にも、ね。
2002年05月20日(月)


 空回
 空回りしてゐるお孃さんを傍觀して居た。
 貴女のしてゐる事は無駄なのだと、僕は教へるべきだつたのかも知れぬ。

 空ろな眼で僕の背後に居座る生き物を眺めて居た。
 僕は付けるべきけじめを付け損ねたらしい。
2002年05月19日(日)


 距離
 何処から距離が開いたのか考え続けている。
 最初はほんの僅かな間しか空いて無かったから。
 其処から今程大きな差が出来る迄の時間の経過を考えて居た。

 最初は手の届く処に彼女は居たのだ。
 僕は時々は彼女に追い着き彼女の顔を覗き込めた。
 何時からあんなに遠くに離れてしまったのだろうか。

 本当はこうなる事を僕は随分前から知っていた筈だ。
 己の怠惰が招くものを判って居たのに改善せずに距離が開くのを傍観してのだから。
2002年05月16日(木)


 三四郎
 「われは我が愆を知る。我が罪は常に我が前にあり。」
 漱石が此の科白を美禰子に言はせてしまふから『三四郎』は嫌いだよ。

 僕が欲しかつたものは形で、僕が求めたものは言葉で、僕が手に入れたものは…何だつたのだらうか
2002年05月14日(火)


 お嬢
 もう何年も前なのですけどね、僕の母親の事を「苦労知らずのいいとこのお嬢さんが何も知らないで勝手な事をいう」と陰で憎々しげに謂っていた女性が居たのですよ。
 母の同級生でもあり母に雇われている立場であった其の主婦がどれほど僕の母の実情を知らずに陰口を叩いていたのか僕はよく知ってましたので彼女が何を謂おうと嘲笑して取り合わずにいられました。
 彼女の眼には僕の母は裕福な家に生まれ、何不自由無く育ち、親の金で高校も大学も行き、学歴のある人と結婚し、趣味で始めた仕事がうまく成功した…非常に恵まれた状態に見えたらしいのです。
 母が実家で如何育ったのか、如何やって自費で大学等の費用を賄ったか、結婚相手に如何苦労したのか、今の仕事を多少なりとも軌道に乗せる迄にどんな経過があったのか、そんな事は其の主婦には見え無かった様なのです。
 彼女にとっては僕の母は何処迄いっても「苦労知らずのお嬢さん」でした。其れが現実と如何違おうと彼女は間違いを認めませんでした。

 若しかしたら是も同じなのだろうか、とあるお嬢さんの事について考えようとしていました。
 僕の眼には彼女は親の金と愛情の元ぬくぬくと己の我侭さ加減に気付かずに育ってしまったようにしか見えないのだけれど、若しかしたら実情は違うのでは無いかと。

 上記の件はあくまでも過去形で今現在は考える気にもなれない。
 五十を過ぎた年齢の親の脛を齧れる神経、持てなかった僕にはお嬢さんの気持ちは判りませんよ。
2002年05月10日(金)


 既知
 知つてます。
 如何して僕が此程彼について語るのか。
 如何して僕が彼のする事なす事に好感を持てる樣になつたのか。

 判つてます。
 僕がどれ程卑怯で嘘吐きなのか。
 本意を僞つて己と某を騙してきた事實がどの位厭らしく卑しいか。

 僕は氣付かぬ内に彼の存在を確定のものとみなして頼つてゐたのです。
 己の疑心に感けて彼の疑心に構はずにゐたのです。
2002年05月07日(火)


 Dove lo metto?
 何處に持つて行けば良いのだらう、此の猜疑心や憎惡や嫉妬の塊を。
 持つて行ける場所が何處かに在る筈なのだ。
 唯、今の僕には見えて居無いだけで。

 若し、持つて行ける處が無いとしたら僕は此の塊を僕の心の何處に置いたら良いのだらうか。
 奧に追ひ遣るには大くなり過ぎ、表に出すには重過ぎる此の塊を僕は如何配置したら良いのだらうか。

 隱す氣が無かつたから大きくなつたのでは無く中途半端に隱さうとしたから餘計に大きくなつてしまつた塊を兩手に抱えた儘、僕は自分の居場所さえ掴めずに右往左往して居る。
2002年05月03日(金)
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