イヴ
 僕の親友には片手が無い子が居る。
 彼女は僕よりしっかりしていて、僕より力持ちで、僕よりもずっとしっかりと自分の夢を掴もうと生きている。
 世間の荒波に曝される事無く温室内で生きてる彼女だけど、温室では温室なりに苦労する事はあるのだ。
 育ちの良い人間は自分の目の前の人物の片手が無くても相手が目の前に居る以上は決して其の事に触れはしないし、片手が無いからといって中傷する事はない。ただ、決して相手を自分の領域に入れようとしないだけ。
 温室の中で自分の領域を作り上げ様と彼女は常に努力している。

 僕の知り合いには目の見えない子が居る。
 彼女は「盲目」という言葉は嫌いだ。自分の状態を表すのに正しい文字ではないからだそうだ。
 母親のお腹から出て来た時から彼女の目は本来の役割を果たしていない。
 僕は彼女の世界を完全には理解出来ない。彼女も僕の伝えたい世界を含んだ言葉を理解出来ない。
 出来ない事は出来ない事と片付けて自分の才能を彼女は活かそうとしている。

 僕の親戚には喋る事の出来ない子が居る。
 親から受け継いだ整った顔と自分の努力で彼は上手く生きている様に見える。
 彼はただ声を出す事が出来ないだけ。

 何処か一部が不自由な人間を聖人化して見る気は僕にはない。
 「○○が不自由なのにあなたは頑張って生きてるわねぇ。」なぞと何所かの莫迦なオバハンみたく言う気は無い。生き物が自分を生かす為に努力するのは当然の事。

 クリスマスイヴ…なのに、旧約聖書を思い出した。
 蛇が唆したのはイヴだけではない。
2000年12月24日(日)


 リリィ
 美しくも繊細な感覚を持ち合わせた佳人が素手で僕の心臓に手を伸ばし、血管の浮き出る心臓を身体から抜き出して空気に曝そうとする…そういう錯覚に陥った。ただ歌を聴いただけなのに。歌詞を耳にしただけなのに。

 リリィの声を聴くと出来るだけ周りへの反応を鈍くしようとする僕の意思を無視して過敏にさせられそうになる。
 だから怖い、だから好き。

 薬を飲んでいても彼女の歌声を聴くと心臓が痛くなる。医者曰くの発作とはまた違った発作。
 痛くなるからわざわざ聴くのではない。極力聴かないようにしている。けど、時折どうしても聴きたくなってしまうのだ。
 僕が自分で購入する数少ないCDの一つがリリィのもの。
 他のCDもMDも何もかも僕は自分で金を出していない。くれるから貰うだけ。

 言葉を捉えようと聴けば聴くほど心臓が苦しくなる。だから、僕は深くリリィの歌を聴いたことがない。
 歌詞だけ見ても確かに心臓は痛くなる。しかし、声を聴いた時程ではない。

 僕のリリィ・シュシュのイメージはリリィホリックによって余計歪んで行く。
 何かを忘れているような気がしてならないのは何故だろう。
2000年12月17日(日)


 自殺文学
 高野悦子さんの『二十歳の原点』を読み返したついでに検索で何か見付かるかと思いYahooから検索してみた。
 何故か、検索結果の230件目くらいで2ちゃんの文学板が…(ーー;)

 以前見た事のある、高野悦子スレが未だに健在で上げられてました。
 既に半年ほど続いている様子。長寿スレですね。
 若くして鉄道自殺した美人さんに心を傾けるのもいいが、現実見れない人が多い様子。人の事は言えないけど。
 自分の感じる虚無感・自己否定を文章に書き表す若人が今の時代にも居ない訳ではない。僕の周りには幾人か居ましたし。

 自己否定や焦燥感を覚える時期は誰にでも来るのだろう。時期が短ければ記憶にさえ残ってないかもしれない。
 その時期の間に感じたものをどれだけ自分自身の心に刻めるかどうかでその後の人生が変わってしまう気がする。
 失望に飲み込まれたまま終わるかもしれないし、諦めを賢さと勘違いして生き長らえるかもしれない。

 僕が死ねなかったのは自分の考えを押し流すほどの量の文献を読み漁ったから。
 僕の求める先人の考えが示されている筈の書物類を読めば読むほど僕の思考は纏まりが付かなくなっていた。
 そのおかげでまだ生きている。
 自殺しようとした意味なんてもう完全に見失ったさ。
2000年12月07日(木)
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