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■ PC
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■ PC
ふと気付く。僕が最初にパーソナルコンピューターなるものに触れたのはいつであったのかと。
記憶に残っているもので一番古い僕とパーソナルコンピューターとの邂逅は僕がまだ幼稚園に入る前の事、僕がまだ三歳になる前の春の事。
父の友人に連れられて何処かの企業の展示会らしきとこで、何やら触ると目の前の画面が変わる不思議な箱を触らせてもらった覚えがある。
面白がった僕が夢中になってマウスでお絵描きをしていたらその行為に気付いた父親が飛んできて直ぐ僕の行動を止めさせてしまったが。
僕が幼稚園を卒園する迄には僕の家にはもう「パーソナルコンピューター」は存在してた様に思う。その当時では最新のものだったPCで小学生用の学習ソフトをやらされた覚えが微かにある。
若しかしたら僕が生まれて直ぐに、もうPCは家にあったかも知れ無い。何分、幼かったのでよく覚えてはいないがPC-8001やPC-9801を父の部屋で見たような気もする。
僕が小学校低学年の頃には家にはPCなるものが何十台も鎮座していた。
「今の時代はパソコンなんだ!」と訳の判らぬ啓蒙を受けた父親がいきなりPCを数十台購入してしまった。其の時はPC購入に幾らかかったのか知らなかったが、後で母から聞いた総支払額から推測するに一台約60万以上だったのではないかと思う。
今でも一台ずつだけだが我が家にその時のPCは残っている。余りに古過ぎてBASICしか出来無いボロパソだが小さい頃からそれでBASICをやっていたので妙に愛着があるのだ。BASICをやるだけなら支障無い。
残りのものは偶々事務所に来ていて「只ならそれ欲しいです。」と仰った物知らずなお客様達に全て押し付けました。今時、粗大ゴミ捨てるにもお金掛かりますから。
今あるPCは、知り合いの電気店で売れ残ったので仕方なく買ったもの、適当に注文して買ったノート、知り合いの先輩が電気店に就職してたので思いきり安く売らせたもの…。まぁ、色々あるけどどれにも特に愛着は無い。
どういう訳か、粗大ゴミにされてもおかしくないようなボロパソに一番愛着を感じてしまう。
新しいものは際限無く新しいものが出てくるから。
僕は自分が取り残されたくなくて古いものしか見ないようにしているのかもしれない。
記憶に残っているもので一番古い僕とパーソナルコンピューターとの邂逅は僕がまだ幼稚園に入る前の事、僕がまだ三歳になる前の春の事。
父の友人に連れられて何処かの企業の展示会らしきとこで、何やら触ると目の前の画面が変わる不思議な箱を触らせてもらった覚えがある。
面白がった僕が夢中になってマウスでお絵描きをしていたらその行為に気付いた父親が飛んできて直ぐ僕の行動を止めさせてしまったが。
僕が幼稚園を卒園する迄には僕の家にはもう「パーソナルコンピューター」は存在してた様に思う。その当時では最新のものだったPCで小学生用の学習ソフトをやらされた覚えが微かにある。
若しかしたら僕が生まれて直ぐに、もうPCは家にあったかも知れ無い。何分、幼かったのでよく覚えてはいないがPC-8001やPC-9801を父の部屋で見たような気もする。
僕が小学校低学年の頃には家にはPCなるものが何十台も鎮座していた。
「今の時代はパソコンなんだ!」と訳の判らぬ啓蒙を受けた父親がいきなりPCを数十台購入してしまった。其の時はPC購入に幾らかかったのか知らなかったが、後で母から聞いた総支払額から推測するに一台約60万以上だったのではないかと思う。
今でも一台ずつだけだが我が家にその時のPCは残っている。余りに古過ぎてBASICしか出来無いボロパソだが小さい頃からそれでBASICをやっていたので妙に愛着があるのだ。BASICをやるだけなら支障無い。
残りのものは偶々事務所に来ていて「只ならそれ欲しいです。」と仰った物知らずなお客様達に全て押し付けました。今時、粗大ゴミ捨てるにもお金掛かりますから。
今あるPCは、知り合いの電気店で売れ残ったので仕方なく買ったもの、適当に注文して買ったノート、知り合いの先輩が電気店に就職してたので思いきり安く売らせたもの…。まぁ、色々あるけどどれにも特に愛着は無い。
どういう訳か、粗大ゴミにされてもおかしくないようなボロパソに一番愛着を感じてしまう。
新しいものは際限無く新しいものが出てくるから。
僕は自分が取り残されたくなくて古いものしか見ないようにしているのかもしれない。
2000年11月27日(月)