卒業試験は無事終了。7割ぐらいの出来でした。
点数としては充分に満足のいく結果となりましたが、知識的にはまだ不十分な感じがしています。まだまだ、勉強しないといけないなあと素直に感じました。しかし、単に点数に重きを置くのではなく、やっぱり臨床に出てから使える知識として勉強をしていきたいです。
明日からは、少し勉強に対する視点を変えていきたいと思っています。私の場合、単なる受験勉強的な勉強方法では、7割以上の点数は取れないと感じています。より勉強内容への興味を高めて、臨床と知識を少しずつ結び付けていかないと、本当の意味で言語聴覚士としての知識を身につけたことにはならないと感じるし、そうでないと、勉強へのモチベーションが上がらないからです。
国家試験はあくまでも通過点。私が目指しているのは、素敵な言語聴覚士になることなのですから。
今日は、午前中に学校で模試を受けて、午後からは病院の見学に行っていました。これまでで一番手ごたえのある見学でした。手ごたえがあるというのは、就職が決まりそうかなあって手ごたえです。
もともと、慢性期リハビリを考えていたのですが、今回見学したのは急性期リハビリでした。実習でも急性期は見ていないので、不安は不安ですが、まあ、どこに就職しても最初は不安なわけですから、あまり関係ないかと思っています。後は、自分がこの選択をして後で後悔しないだけの決心が付くかどうかのところです。
明日は卒業試験。あまり卒業試験だからといって特別なことはしないつもりですが、やはり不安は不安。言語聴覚士の国家試験対策って、ここまでやれば大丈夫とかここまでできれば大丈夫っていう基準がないんですよね。大学受験であれば模試では、全国での偏差値とか出るじゃないですか。でも、言語聴覚士の国家試験ではそうしたデータがないんですよね。
どこかの学校が、そうしたデータ集めと分析をビジネスではじめたらいいビジネスになるのにななんて思うのは浅はかなアイディアでしょうか。そうした展開力って医療系の学校には無いですね。情報ってのはとても強力な武器だと思うんですがね。
勉強ばっかりでつまらないです。
もう、退屈になるぐらい知識が頭に入っていれば良いのですが、まだまだ知識は入っていません。ただ、勉強という行為に飽きてきました。はは。
問題はですね、国家試験のために勉強してるというところなんですね。当たり前のことを言ってるように感じるかもしれませんが、試験のための勉強というのは基本的につまらないんですよ。点数を取るのが目的ですから。だから、できるだけ国家試験に合格することはイコール言語聴覚士としてやりたいことができることなんだからと自分にはっぱをかけるんです。
しかし、目の前にある勉強は結局は試験のための知識の羅列なんですねえ。いや〜、受験勉強らしい勉強をしたことがない私にはただただしんどい。よくみんな受験勉強なんてしますね。感心します。
どんな勉強も臨床で必ず役立つと思うようにして、自分を何とか机に向かわせる毎日です。
2004年01月24日(土) |
オークションデビュー |
実家が売られることとなり、置いてあった荷物がどんどん自分の部屋に送られてきています。その中にいろいろと忘れられないものがあるものです。
今日出てきたのは、今から七年前に購入したSchottのライダースジャケットです。知らない人にはぴんとこないでしょうかね。いわゆる革ジャンです。バイクに乗る人が着るような。これ、購入してから私は少しずつ体がでかくなりまして、すぐに着れなくなってしまった代物です。
何しろ高い買い物だったので、いつかやせたら着ようと思ってしまっておいたのですが、そのうち存在さえも忘れ、久しぶりに目の当たりにしました。しかし、これを誰かにあげると言っても私の周りでSchottのライダースを着るような方がいません。そこで、Yahooオークションを試してみることにしました。→これ
今まで興味はあったのですが、なかなか売るものがなくて「面白そうだな。」程度で終わっていました。しかし、今回は出してみましたよ。まだ誰も入札してくれませんが、見てる人は確実にいます。もう七年前の品物なんで送料分が取れれば儲けもんかなと思ってます。
前の会社で、このオークションで中古車を販売している先輩がいました。で、それを仕事にするということで会社を辞めていったのですが、今、どうしてるのかなあ。私も目覚めたりして...
今日は勉強してません。明日は頑張ります。
ちなみにライダースジャケットに興味ある方、ぜひ入札にご参加くださ〜い。
最近、どうも疲れたなあと感じていたのですが、生活を楽しんでないことに気が付きました。勉強も含めてもっと楽しまないとなあ。焦りから悲壮感漂っていたかもしれません。
それゆえに日記を書いても変な日記ばかりで、書いては消し、消しては書きで結局更新せずじまいでしたからねえ。今日も、大したこと書いていませんが、こんな調子でしばらくいきますね。
このごろ無意識にグチが出てしまい、結構周りの人に迷惑をかけてると思います。
学校に対する不満、家族に対する不満、国家試験に対する不安、就職に対する迷い、いろいろなネガティブな要素ばかりが自分の心の中で膨らみます。これではいかん!という気持ちがまたネガティブさを助長して悪循環に陥るのです。
かと言って、無理やりポジティブになる必要はないし、ネガティブさを否定する必要もないのですよ。必要なのは今ある状況を、自分の精神状態も含めてそのまま受け入れることなんですよね。分かっちゃいるんです。
そして、具体的な一歩を踏み出すことが必要なんですね。何もしないで放っておくと、頭の中でネガティブな要素がぐるぐると回りながら雪だるま式に大きくなってしまうんです。
学校に対する不満は今からどうにもこうにもできないので、無視して自分で考えてやっていくしかないので、無視です。無視。家族に対する不満はかなり積もり積もっているので、引っ越します。さっさと引っ越してしまいます。どうせ3月で引っ越すのですから。国家試験に対する不安は、勉強で解決するしかありません。時間があれば勉強します。するしかないです。就職に対する迷いは、耐えます。納得いく就職をするには迷う時期が必要です。今、迷っているからといって中途半端に答えを出す問題ではないので、迷い続けるしかないでしょう。3月までに決めなければいけないなんて自分で焦る要素を作らないことが大事ですね。
具体的に取り組んで行動に移すこと。これでネガティブから脱出だ!
さてさて、学校への愚痴をひとしきり吐いた翌日はすっきり爽快です。
最近、すこし国家試験に向けて焦りすぎている感があります。つめすぎて、どうも気持ちの面で不安定さが感じられるようになってきました。ちょっと自分で自分を追い込みすぎたかな。
今日は、早めに帰宅しゆっくりしています。
やはり追い込むにしても少し余裕を持つ必要がありますね。それにしても国家試験はとても不安なのです。今年から出題基準が少し変わるのです。出題される内容に変化は無いのでしょうけれど、どのような形で出されるかはまったく分からない。普通にやってれば大丈夫とはいいますが、普通って何さ?って感じなんですよね。どんな言葉も根拠がないもんだから。
周りの人が不安に思っている場合に、わたし自身も「大丈夫だよ。普通にやってれば大丈夫だと思うよ。」なんて無責任な声かけしてますからね。自己嫌悪もいいところです。
無理のない範囲でやるしかないですね。
今日はイライラしたことがひとつ。
学校で国家試験対策ということで模擬試験をしています。毎回、答えあわせをするのですが、模擬試験の答えで明らかにおかしいものがいくつも出てきてきました。生徒から「これおかしいですよ。」という指摘に「これは間違い。直しておいて。調べておきます。」とおろおろする先生。あきれてしまってもう笑うしかありませんでした。
こういうのって、事前に設問を先生方で一通り見て答えが妥当か否かを検討するのが普通じゃないでしょうか?生徒に指摘されて気付くということは、模擬試験はどこで作ったものなんでしょう?いつのものなんでしょう?本当に今年の国家試験に対して予想された問題が出ているのでしょうか?もう、ホントに仕事のできない学校で呆れます。
どこかから持ってきた試験を、問題と答えも確認せずに、ただ刷ってやらすだけ。それが学校の仕事なんでしょうか?私たちは年間約150万円払う立場。先生や職員の方は、年間何百万円ともらう立場。私が学校に払ったお金は、毎晩夜中まで働いて、何度も日帰りで北海道に出張に行って、無い知恵振り絞って頑張って働いた結果なんです。それがどれほどの価値かを考えもらいたいものです。リハビリとは何かを教える前に、人からお金を取って教えるとはどういうことかを考えてもらいたい。
忙しい?それが仕事だろ!って言いたいですよ。この時期に、こんなことを考えさせるということだけで学校の質が分かります。私は大金払って学校に行っているのです!そのお金の中から給料払われているのです。私が納得するようなサービスをしなさい!
就職に関しては結構いろいろ言ってくるのは、学校の威信がかかっているからでしょうか?こんなことを日記に書きたくなるようなことをしないで欲しいよ。ホントに。
国家試験の勉強で頭がいっぱいで、なかなか気の利いたこと書けなくすいません。
今日、発達心理学の勉強をしていて、面白いことが書いてあることがありました。中国では「勉強」と書くと「物事をやらされてやること。」という意味だそうです。確かに、「強いて勉める。」ということですからね。本来、勉強というは学習であるべきだったそうです。ところが、それがいつの時代からか勉強になってしまいました。
遊びと学習というのは、子供の発達を考える上で非常に大切な概念です。親や友達との遊びの中から多くのことを学びます。遊び=学習というのが、子供の発達の基礎なわけです。今、私たち大人は「何これ?」「なんで?」という質問をあまりしません。子供、特に2歳頃の子供には第一次質問期というのがあります。とにかく質問しまくる時期です。
この時期に彼らは外界のものへの興味を深めて、そして言葉と知識を増やしていきます。そうして外界を認識し始めると、今度は外界と自分との差を感じ始め、自我を育てていくのです。
国家試験の勉強をしていて常に心掛けていることがあります。それは、自分が言語聴覚士としてやりたいことを常にイメージしながら勉強することです。今やっているこの勉強は、もし自分が臨床に出たらどんな状況で役に立つ知識なんだろう?これで患者さんにさまざまな角度からアプローチできるなあとか考えることもです。
そうするとですね、楽しいのですよ。勉強が学習に変わっていくのです。これは自分にとっての遊びであるということに気付き始めてます。楽しまなくちゃ、たった一度の人生ですよ。
よく来てくださる方に質問。
今のこのサイトのレイアウトどうでしょうか?
フレームを多用するのは本来ウェッブデザイン上あまりよくないとされているのですが、二つの理由で今のような形にしました。ひとつはトップページにどうしても日記を表示させたいのですが、日記は無料のレンタルCGIを利用しているため、自分のページとして組み込めない。二つめは、タイトルバナーが意外と気に入っている。
やっぱりテキスト主体のホームページなのに、読みにくいのもどうかなあって思っています。国家試験終わったら、blogに乗り換えようかなとも考えていますので、何かご意見などありましたらぜひお願いします。メールでも、掲示板でも結構です。
「【宝地図】夢を叶えた88話」http://www.takaramap.com/ というサイトで発行しているメルマガから。
『理想の兄』 ダン・クラーク (「こころのチキンスープ」より)
これは僕の友だち、ポールの話である。
ある年のクリスマスイブのこと、ポールは、兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていた。よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。
「この車、おじさんのかい?」
「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」と、うなずきながらポールは答えた。
少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。
「えっ? おじさんの兄さんがくれたって?おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな? ぼく・・・」
と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。 少年は、
「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」
と言いたかったのだろう、とポールは思った。
ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。
「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
ポールは、まじまじと少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。
「この車に乗ってみるかい?」 「本当? ウン」
車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
ポールは思わずニヤッとした。きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。しかし、その憶測はまたもやはずれた。
「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待っててくれる?」
少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。 しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。 少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。 弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。
「ほらバディー、見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりタダでくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね」
それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせた。 目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。
本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。
このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。
「受けるよりは与えるほうが幸いである」
ダン・クラーク
「何だよ。説法かよ。」と思われる方もいるでしょうが、私は素直に心打たれる話でした。人の役に立ちたい、人に喜んでもらいたいという気持ちは与える喜びだと思います。与えるというと、どうも上から人を見下ろしたような印象になりますが、決してそうではない。与えるのは物やお金や労力でも、その裏には気持ちがある。誰にでも見境なしというのは問題ですけど。
与えることで、自分は喜びを受けるわけです。与えられた人も喜びを感じ、与えた側も喜びを受けられる。信頼はそこから生まれるのではないでしょうか?
一日中学校の図書館にこもっていると、一日がとても速く感じます。国家試験まであまり日にちが無いわりに、内容がとても多岐にわたるため、多少、焦っているのだと思います。焦らず、ゆっくり、確実にと行きたいところですが、国家試験は日にちが決まっていますので、物理的な時間が限られています。やるしかないのです。
しかし、自分でもこれだけドンッとギアチェンジできたことに驚いています。ようやく「言語聴覚士になってバリバリやりたい!」という気持ちが心の中に育ってきたのかもしれません。
この一ヶ月は死に物狂いという言い方は変かもしれませんが、生きている=勉強しているという生活でいいと思っています。そして、それを楽しんでしまいたいとも思っています。
朝から夜まで図書館で勉強して、帰宅して少し勉強して、外を歩いて、パソコンに向かって日記を書いて寝る。単調に思える生活も、向かう先が楽しみであれば楽しいのです。
何といっても、自分の意思で「やりたい。」と思ってやっていることですから、楽しくないわけがないのです。やっぱりやりたい心って大事ですね。この時期にこんな気持ちになれたのは、やはりそういう運命だったのでしょう。感謝です。
実習から帰ってきて、久しぶりに夜遅くに梅田から阪急電車にのりました。車内はサラリーマンが多くて、なんだか不思議な気分になりました。二年前は自分もこの人たちと同じように、夜遅くに電車で疲れた顔をしながら家に帰っていたっけと思い出したり...
サラリーマンのように、会社のために自分の身を削り、会社の利益を得るために働いている人をどこかで軽蔑しながら自分もサラリーマンをやっていましたが、今日は、なぜだか、この疲れた顔をした人たちがいとおしく感じたのです。不思議と、「大変だったねえ。」「ご苦労さま。」という声が心の中で生まれてきて、自分でも変な感じでした。
実習中に、私が接した患者さんの中に商店街でバリバリと役員の仕事をされていて、その途中に脳梗塞で倒れて失語症になった人がいました。昔のようにうまくしゃべれない自分にいつも嘆いておられました。私に、商店街の役員の仕事は想像もつきませんが、年度末になれば予算を考えるだろうし、運営していく際には費用対効果などを考えコストの削減を検討したりと、大枠で一般的な仕事の話はできました。そのとき思ったのは、「まがいなりにもサラリーマンしててよかったな。」ということです。
実習でさまざまな患者さんを見て帰ってきて、ふと乗り合わせたサラリーマンを見たとき、わたしの心に浮かぶのは私がこの人たちだったらという思いです。サラリーマンと言う職業がどうのこうのではなく、この人たちはこの人たちの人生において、今出せる力を出しながら頑張っているんだなあという思いです。
実習と何がどう関係あるのかはよくは分かりませんし、だからなんだ?と問われれば返す言葉もありません。ただ、疲れたサラリーマンに対して素直に「ご苦労さま。」と、彼らの立場に立って思えるようになった自分に、なんだか気分が良いのです。
朝から夕方まで学校にこもっていました。国家試験対策を本格的にスタートさせました。と書けばなかなか格好いいのですが、実際は読めども読めども頭にはなかなか入らない状態で、ため息の連続でした。
今週は、とにかく一日のリズムを確定させることを目標にしています。
■今週の目標■(自分なりにこれだけはしたいなあ。) 1)朝は10時には学校に行ってスタート。 2)まずは全範囲に目を通す。 3)記憶ではなく理解する方策を練る。
3)に関しては、かなりのこだわりがあります。とにかく記憶することが中心となる勉強に関しては大嫌いでして、ことばは悪いですが、丸暗記というのは能がないとさえ思っています。(丸暗記が不得意だからで、得意な方は悪く思わないでください。)どんなものにも、背景があると私は思っています。疾患名ひとつとっても必ずその裏には意味が隠れています。それを理解することが私にはとても大事なことなんです。
まあ、勉強の仕方は人それぞれですから、私が丸暗記は能がないと言っても、それで国家試験に合格できる人は、それがベストの勉強法なのですから、私がどうのこうの言う資格はありませんね。
さて、明日も淡々とやるのみです。あまり気合入れすぎてもしんどいですから、ゆっくり長く確実にやっていきます。
「脳+心+遺伝子VSサムシンググレート」(養老孟司他3名/徳間書店)でおもしろい話があったのでご紹介。
みなさんが考える「時間」ってどんなものですか?この本の中で、「時間」について二つの定義がされています。
ひとつは物理的時間。時計で表示される時間と思ってくださっていいかもしれません。私たちが生きていようと死んでいようと、何らかの時間の流れがありますよね。地球が誕生してから今までの流れというものがあります。それを物理的時間と定義するそうです。
もうひとつは、固定時間。これは私たち人が感じる時間です。たとえば、カップラーメンにお湯を入れて約3分待つときに、大体三分ぐらい経ったかな。という感覚的時間を固定時間と定義します。
ここで質問。なぜ、時間をこの二つに分けるのでしょう?
面白いのは、この物理的時間=固定時間ではないということなのです。つまりこの世界に流れている時間の流れと、私たちが感じている時間の流れには差があるというのです。
なぜ差が生まれるのか?それは、私たち人間は外界の情報を脳で処理しないといけないからです。処理するということは、それだけ時間がかかるわけです。私たちは普段意識しませんが、ここにあるパソコンの画面を知覚して、それをパソコンと認識するまで一定の物理的時間が経過しているのです。しかし、私たちはパソコンを「今」見ていると感じています。情報を処理している物理的時間の流れを感じないわけです。この「今」という感覚が固定時間と言えます。こうして物理的時間と固定時間との間に差が生まれます。
さらに考えると、私たちの脳が、情報をどのくらいの速さで処理するかが、物理的時間と固定時間との関係を変化させるわけです。脳が情報を速く処理すれば、固定時間は物理的時間に近づきます。脳が情報を遅く処理すれば、固定時間と物理的時間との差が大きくなります。
夢中になっていると時間が経つのが早い。退屈な授業は時間が経つのが遅い。と感じる原因はここにあるのではないか?というのが1つの見解として出されていました。
物理的時間に近づくように、脳にとっても意味のある情報を処理させてあげたいものです。そうすれば、無駄な時間も減るのかもしれません。
縄跳びを始めたと以前の日記に書きましたが、縄跳びはやめて歩くことにしました。縄跳びは風景も変わらないし、一人ぴょんぴょん跳ねているのを人に見られるのが恥ずかしい...
昨日から30分歩くようにしています。20分以上で脂肪の燃焼が始まるそうです。ダイエットという目的と、ストレス解消という目的ではじめました。ストレス解消と言っても特にストレスが溜まっているわけではありません。何かの本で、やる気を促進する脳内物質はリズミカルな運動を行うと分泌量が増えると書いてありました。歩くことで、リズムも生まれますし、精神衛生面でも何か改善できるかなということです。
単に歩くのも楽しくないので、ネットでいろいろと調べてみました。すると面白いサイトが世の中にはあるもので、歩いた時間や歩数を入力するとさまざまなウォーキングコースのシュミレーションができるというサイトを見つけました。「健康ウォーキング」(http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/)早速、登録して山手線1周コースにチャレンジしています。
ちなみに、ウォーキングに関する情報は、「Walking-Style.com」(http://www.walking-style.com/)に詳しいですよ。
さて、国家試験の勉強でもしますか...
2004年01月03日(土) |
もうひとつのリニューアル |
調子にのって、もうひとつサイトを立ち上げてしまいました。とは言っても、今まで管理していた既存のサイトを自分のサイトとしてリニューアルしたものです。「issy online」というサイトです。ベタ?まあ、いいじゃないですか。issy onlineは、私が目指している言語聴覚士に関するサイトで、このサイトでも書いている「言語聴覚士メモ」と連動させて、言語聴覚士に関していろいろと考えたことを表現していくサイトです。さらに、読者と情報交換を行っていくことができたら楽しいなと理想だけは膨らんでいます。
ネットという媒体をどのように使うか?昨日、触れたBlogもそうですが、使い方次第でさまざまな相乗効果があると考えています。個人発信のサイトのよさは、情報の良し悪しや正誤ではなく、発信されるアイディアをベースに新たな発想を創り出していけるということころにあります。まあ、そうなるには作る側と読む側にそうした暗黙の了解がなければならないのですが、なかなかそうはいかない。ネットで自分の意見や思いを表現するということ自体が、日本の文化に合っていないのではないか?という意見もあるようです。
それにしても、日本の教育は斬新な発想を行う教育ができていないという議論があるかと思えば、自分を表現すること自体が日本の文化に合っていないという相容れない議論があること自体が変な感じですね。私はバンバン表現していくべきだと思います。決して正しい必要はない。読む側が書かれたものを正誤で判断するなんてことをしなければ、どんなものも考えるきっかけになるのですから。
今日で、正月も終わりということで、一気に二つのサイトのリニューアルを行ってしまいました。国家試験が終わるまではこのままで行きます。
2004年01月02日(金) |
2004 リニューアル |
リニューアルしてしまいました。Blogに移行しようかなあ、いや、面倒くさいなあ…なんて考えながら、Blog風にしてみました。Blogは技術的にも、情報発信ツールとしても、小難しい理屈並べて説明されてるみたいですが、そんなたいそうなものなのかな?って素人目には映ります。ただ、非常に楽にサイト構築ができて、ネットの醍醐味であるリンクが情報をつなぐという意味では、画期的といえば画期的です。
今回のリニューアル、内容はまったく変わりませんが、見た目が変わりました。作ったばかりの犬のバナーは、どうもみなさんにおケツを向けているのが気になっていたのでまったく違うものを作り直しました。このデザインがいいのかどうかは自分でももう1つぴんと来ませんが、とりあえず新年早々リニューアル作業を楽しませていただきました。
ちなみに今のタイトルバナーの写真は、オーストラリアのウーロンゴンにあるFairy Meadow(フェアリー・メドウ)という駅です。私が住んでいた大学の寮の最寄の駅です。この駅からシドニーまで電車で一時間半です。
今日、ぷらぷらと歩いていて、フラリと立ち寄った本屋で面白そうな本を発見、先日手に入れた図書券で購入しました。ぱらぱらとめくった感じ、とてもおもしろそうです。「脳+心+遺伝子VSサムシンググレート」(養老孟司他3名/徳間書店)
すっかり正月ボケをしてしまいましたが、明日あたりからノーマルライフに戻らなければと思っています。
運動のために縄跳びを始めました。
あけましておめでとうございます! 新年だからといって何かが特別なわけではありませんが、心機一転のきっかけにしたいですね。今年もよろしくお願いいたします。
2004年はこんな風に生活したいな。というのがあるのですが、こういうイメージってなかなか言葉にできないんですよね。
・快適な生活を送りたい。 生活上イライラすることは避けたいと思うんです。やりたいこと、やるべきことを全ての面でテンポ良く行動に移したいと思います。お金のことから友達との遊びまで、いろいろな面で自分に適した生活のスタイルを築きたいですね。
・スタイルを確立する。 スタイルというと聞こえはいいのですが、自分の生活の大枠を決めたいと思っています。あまりぎちぎちに細かい枠を決めてしまうと、融通が利かない堅物になりますから、大枠の中で柔軟に対応できるようにしたいです。
・生活の整理整頓をする。 部屋の片付けもそうですが、生活内容が散らかっていると発想のへったくれもありません。白い画用紙には創造力が沸きますが、汚い用紙では取り組む気にもなりません。生活を整理整頓する気持ちが必要だなと感じてます。
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