思考過多の記録
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2013年02月10日(日) 「絆」との付き合い方

 「絆」というと、たいていの人はいいイメージしか持たないと思う。特に東日本大震災の後、「絆」の大切さが大いに強調された。しかし、この「絆」が、ある人達にとっては苦しみのタネになる―こんな内容の本を最近読んだ。
 香山リカ著『絆ストレス 「つながりたい」という病』(青春新書)である。



 香山氏は、「絆」によって苦しめられることを「絆ストレス」と名付け、
「大震災に関連している絆と直接は大震災に関連していない絆。そしてそれぞれに「絆が強すぎてストレスになる」という場合と、「あるべき絆がないのがストレスになる」という場合とがある」
と分類する。
 そして、精神科医である香山氏の診察室を訪れた患者の症例を引きながら、「震災後の日本に浸透する「絆」の功罪」「SNS疲れ」「家族の絆」「絆の影響・形態の男女差」「母娘を縛る「強すぎる絆」」「孤独死」と、絆の様々な病理を分析していく。



 どれも興味深い内容だったが、僕が一番身近に感じたのは、「SNS疲れ」の話であった。気楽なはずのSNSで、相手のちょっとした書き込みに傷付いたり、気を遣ったりしなければならず、ぐったりしてしまう人が結構多いようである。それは、義務でもないのにそれに縛られてしまい、
「「気軽でゆるい発信」だからこそ、そのウラにある本音、真意を読み取ろうとして、疲れてしまう」
という状態になるからだ。また、一度始めるとなかなかやめられないのもSNSの特徴である。その結果、どんどん縛られて泥沼にはまっていくことになる。
 さらに、SNSには「社会的手がかり(「コミュニケーションにおいて用いられる“言葉以外”の要素」。声の調子や仕草、相手の年齢、性別等)」がないため、誤解や錯覚を引き起こしやすいという弱点もある。これもまた、「SNS疲れ」の要因の一つだ。
 僕がなかなかTwitterを始めないのも、これを恐れているからである。うまく距離をとって付き合えれば便利で可能性を秘めたツールであることは分かっているのだが、それができる自信がいまひとつないのだ。
 「SNS疲れ」に対する自己防衛本能が働いているとでもいおうか。



 こうした実例を列挙した後、ではどうやって「絆ストレス」に囲まれた時代を生きるべきかについて、香山氏は以下のように述べる。
「おそらく、目指すべきは「強い絆」の復活ではなく、かといって「孤独、孤立の恐怖」に怯えながら生きる「絆ゼロ」の社会でもなく、「何かあったとき、いざというときだけ機能する“都合のよい絆”」を作ることではないのだろうか」
 香山氏は、そうした「ほどよい絆」を複数持っておくことを提唱している。
 これには目から鱗が落ちる思いがした。
 僕もどちらかというと、「強い絆」を誰とも結べていないと感じることが多く、それを不幸だと思ってきた。その意味で、「絆」に縛られていた(少なくとも精神的に)といってもいいだろう。
 しかし、そう考えなくてもいいのだ。ゆるい絆なら、僕もいくつかは持っているつもりだ。そんな今の僕の状態でも十分、いやむしろ好ましい状態なのだと思わせてくれたことで、だいぶ気が楽になった気がする。



 香山氏も書いていたが、あの震災以降、「絆」といえば無条件に肯定され、賞賛されるようになっているが、それはある種の思考停止だと思う。本書でも取り上げられていたが、例えば地方のきつすぎる絆は、かえって人にしんどい思いをさせたり不幸にさせたりする場合もある。全ての「絆」が無条件でいいとは限らないのである。
 やはり、何事もほどほどがよい。
 この考え方は、香山氏の代表的な著作「縛られない生き方」に通じるものがある。
 勿論、「絆」を全て否定するつもりはない。自分にとってストレスにならない程度の「絆」との付き合い方を身につけていく必要があるだろうと思うのである。



 いろいろと納得させられ、気付かされる本である。読みやすく書かれているので、機会があったらご一読をお薦めする。


hajime |MAILHomePage

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