思考過多の記録
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2012年06月16日(土) |
「虚構」に絡め取られた人間 |
オウム真理教の元信者(今でも信者かも知れないが)の高橋克也容疑者が逮捕された。菊池直子容疑者逮捕から12日が過ぎていた。 この2人は、指名手配されてから20年近くの間逃亡生活を送ってきたわけだが、菊池容疑者の方はその全貌が明らかになりつつある。高橋容疑者の方もおいおい明らかにあるだろう。
地下鉄サリン事件で亡くなったり被害に遭われたりした方のことを考えるとあまり同情するものどうかと思うのだが、高橋容疑者にしろ菊池容疑者にしろ、「信仰」の犠牲者であることには変わりはない。 菊池容疑者などは、過去を伏せた潜伏生活の中で愛する人とめぐり会い、事実婚状態だったというではないか。指輪をもらい、ウエディングドレス姿で写真も撮っていたと聞くと、何だか哀れで悲しくなってくる。麻原ではなく、この男性と先に出会っていれば、菊池容疑者は「容疑者」になることもなく、普通に幸せな人生を送ることになっていたのではないかと思われるからだ。 高橋容疑者もそうである。 彼等がオウム真理教と出会ってしまったことが、全ての間違いの始まりだった。
2人の逮捕をきっかけに、我々はもう一度、「オウム事件」とは何であったのか、見つめ直す必要があるのではないだろうか。多くの人間の人生を狂わせ、あまつさえ、人の命を奪いさえしたこの事件の意味合いを掘り下げることが、二度とこのような事件を発生させないためには重要であろう。ただ麻原1人に原因を見いだして終わりにするには、ことはあまりにも重大である。 社会学者の大澤真幸氏によれば、オウム事件に象徴される90年代は「虚構の時代」だったのだという。オウムという、一見ちゃちで子供騙しに見える「虚構」に何故これ程まで多くの人達(その中には所謂「エリート」といわれる人達もいた)が巻き込まれてしまったのか。多くの書物が発表され、様々な人がメディアでコメントを述べた今となっても、大きな謎であるように思われる。 彼等は何故いともやたすくこの「虚構」に絡め取られてしまったのか。そこを徹底的に明らかにしらければならないだろう。
90年代は遠く、オウム事件も風化しかかっていた。だが、大震災を経て「絆」の大切さが叫ばれる今、また新たな形で「信仰」が人の人生を狂わせるかも知れない。それを避けるためにも、また一連の事件の罪滅ぼしのためにも、高橋、菊池両容疑者は、逃亡中のことも含めて洗いざらい自分の知っていること、感じたことを話して欲しい。 また新たな「虚構」に絡め取られる人間を生み出さないためにも。
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