思考過多の記録
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2011年09月13日(火) 2つの11〜9.11から10年〜

 2011年3月11日の東日本大震災から今月でちょうど6ヶ月が経った。
 と同時に、2000年9月11日のアメリカ同時多発テロ(9.11)からちょうど10年が経った。
 11という数字の共通性は、勿論偶然だと思うが、ただの偶然とは思えないものを感じさせることも事実だ。
 それは、その日を境に、「世界が全く変わってしまった日」として、多くの人に記憶されていることである。



 僕は確か、10年前のテロの映像を、自宅で生で見ていた。何気なくテレビをつけたところ、今はない世界貿易センタービルが望遠で遠くから映し出されていたが、その時にはもう1機目の飛行機が突っ込んだ後で、ビルから煙が上がっていた。
 一瞬何がおきているのか分からなかったが、次の瞬間に、黒い影が画面左側から入ってきて、そのままビルに突っ込んだ。
 ビルは黒煙に包まれていたが、暫くすると、そのままガラガラと崩れていった。あっけなかった。
 勿論、その時ビルの周辺では阿鼻叫喚の状態になっていたのだが、まだその映像は届いていなかった。



 そしてブッシュ大統領(当時)は「テロとの戦争」を宣言した。
 これは、ある人の分析によれば、「エリート・パニック」といわれる現象だそうである。大衆がパニックを起こすのではなく、その大衆のパニックを怖れるエリートがパニックを起こしてしまう現象のことだ。
 いずれにしても、パニックの中で下された判断が的確なものである筈がない。
 が、冷戦終結後、唯一の超大国であるアメリカが「戦争」を宣言したということは、世界が「戦争」に巻き込まれたことを意味する。
 僕もおっちょこちょいにも、ブッシュとは別の意味で、「これは戦争だ」と思ってしまい、ここにもその旨書いたのだが、それはまんまとブッシュ達の術中にはまってしまうようなことだった。
 その後読んだ本で、「あれは『戦争』とは言わない。アメリカがそういう構図に持っていきたいがために発信した言葉だ」という趣旨のことが書いてあって、僕にはその方が合点がいった。
 が、この文脈でいけば、それはアメリカの意図いうよりも、慌てて叫んだ言葉が本当になってしまったという方が正しいのかも知れない。



 いずれにしても、あの9.11の前と後とで、世界が一変してしまったことは議論を待たないだろう。
 アメリカという「ならず者国家」は、世界を勝手に2つに分け、
「我々に味方するか、さもなくばテロリストに味方するか」
と迫ったのである。「正義か、悪か」の単純な二分法である。別名、「西部劇的世界観」ともいう。
 その世界観をまさに全世界に押し付けた状態で、アメリカは2つの大義なき「戦争」を戦い、2つの国の体制を崩壊させた。勿論、国連の正式な承認のない軍事行動によってである。
 そしてなおかつ、2つの国も含めて、その周辺でも、今なおテロの危険性は減っていない。いやむしろ、戦線は世界中に拡大した。本来は「戦争」ではないものを「戦争」と言ってしまったがために、本当に世界中がいつでも戦場になり得る状態になってしまったのである。



 そして今年、アメリカが「宿敵」ビン・ラディンを他国(パキスタン)内で、単独の軍事行動により殺害し、かつ、それを知った少なくないアメリカ国民が路上に出て、歓喜の中で「USA、USA」と叫ぶのを見るにつけ、この国は一体この10年間で何を学んできたのだろうと思ってしまう。
 勿論、あの事件当初の集団ヒステリー状態がある程度収まってから、冷静に自らを省みるアメリカ人も少なからずいた。そういう人達は、ラディン殺害に関しても批判的だった。
 しかし、あの世界貿易センタービルで事件に巻き込まれて亡くなった3000余人の「敵討ち」のために、これまでに犠牲になった米兵の数は万単位である。
 米兵はまだいい。死ねばちゃんと身元が確認され、遺族に引き渡される。が、アフガンやイラクで犠牲になった民間人は、一説には20万人をくだらないという。正式な統計はない。とはいえ、この間、アフガンやイラクに派兵された米兵の多くは、米国でも貧困層に属する人達だった。そういう意味では、これはまさに石油の利権と兵器で儲けようとした輩のために、貧しい者同士が戦った「悲しい戦争」という側面もある。



 あの「戦争」を引き起こしたブッシュ元大統領は、今や悠々自適の生活だ。
 あの時、すぐに諸手を挙げてアメリカを支持し、(多国籍軍という名の)米軍への支援も惜しまなかった日本政府のトップにいた小泉純一郎元首相も同様だ。
 他方、アフガンやイラクでは、今もテロは絶えない。アフガンには、まだ多くの米兵が留まっている。が、アフガンもイラクも、安定への道のりは遠い。
 それを思うとき、9.11から我々は何を学ぶべきなのか、考えさせられてしまう。
 本当に裁かれるべきは誰なのか。
 あの時、ツインタワーと共に崩れ去ったものは何なのか。



 あの事件を受けて、アメリカでは兵士になった人間も結構いるようである。
 そんなことで本当にいいのだろうか。
 あの日のことは、そんな単純な答えを僕達に求めているのだろうか。



 「グランウド・ゼロ」には、犠牲者の慰霊碑が作られたという。が、あの場所から始まった「戦争」の犠牲者で、何処にも名前が刻まれない人間の数はあまりにも多い。
 生きて戦場から戻っても、精神を病んでしまった人も多いと聞く。彼の地でも、自爆テロや内戦の恐怖の中での生活は相当のストレスになっているものと思われる。
 繰り返すが、2000年9月11日を境に、世界は変わった。もう、後戻りできない状態に。
 あの戦争で犠牲になった全ての「命」の冥福を祈りつつ、変わってしまった世界の中で、今を生きる僕達に何ができるのか、1人1人が胸に手を当てて考えてみるべきだと思う。



 9.11は、今もまだ、歴史になってはいないのである。


hajime |MAILHomePage

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