思考過多の記録
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早いもので、今年も終わりである。 今年は本当に大変な年だった。 とてもここには書けないような経験をいくつもした。 そして、今までは、来るべき年は少しは前向きでありたいと思って行く年を送り、新年を迎えていたのだが、今年はその気力すらない。
「負け犬の遠吠え」という。 今年の自分は、間違いなく「負け犬」だった。 しかし、吠える気力も残っていない。 負けを認めたくなかった過去。しかし、今は負けを認めるしかない。 かといって、潔くこの場を去るには、まだ未練が少しだけ残る。 きわめて中途半端な年の瀬である。
年が変わる度に、人生の残り時間は減っていく。 大切にしなければならないという思いや、だからこそ悔いを残したくないという思いが、年々強くなることも事実だ。 しかし、だからといって、いつでも結果が出せるわけではないのもまた、事実である。 どんなにしても、悔いは残ってしまう。 「負け犬」は、きっと生まれついての「負け犬」なのだろう。
来年はいい年になるという根拠は何処にもない。 毎年、期待しては裏切られてきた。 だから、もはや何も期待しないのが一番正しい姿勢だと、認めざるを得ない。 こうして年月は過ぎていく。 新しい年を迎えても、「負け犬」は所詮「負け犬」でしかない。
2009年12月16日(水) |
彼女の幸せを祝えない |
演劇関係の知人の劇団員が結婚することになった。僕も2、3回一緒に飲んだことのある女性だ。 小柄で童顔な彼女は、舞台ではいつもパワフルな演技を見せるが、素顔は大人しくて恥ずかしがり屋で、とても優しい人柄だ。 彼女の結婚相手を僕は知らない。
知人から、「2次会」への出席のお誘いがあった。 その知人も顔の広い人で、mixiを通じて知り合った人達や、演劇仲間等が集まり、場所を借りて、当日の料理からイベントから、いろいろ企画しているようである。手作りで、さぞや賑やかで楽しい場となるだろう。
しかし、僕はどうしても出席する気持ちになれない。 別に彼女が嫌いなわけでもなければ、実は彼女を愛していたというわけでもない。 彼女が幸せになるのは嬉しいことだ。 それでも、僕は出られない。 おそらく、その場にいたたまれなくなってしまうと思うからだ。 いい歳になって、結婚どころか、未だに恋人すらできない僕にとって、彼女の幸せを祝福するはずのその場は、ただ彼女の幸せを「見せつけられる」だけの場になってしまう。 そうしてはならないと思っても、どうしても今の自分と比べてしまうのだ。 幸せな彼女と、幸せの影さえ見えない自分。 その場にいたら、自分が惨めになるばかりだ。
度量が小さい奴と思われるかも知れない。 しかし、人が他人の幸せを願えるのは、少なくともその相手と同じくらい自分が幸せであるときだと思う。 不幸な人間は、他人の幸せを妬むしかない。 そんなことをしても幸せになれないことを知ってはいても。 不幸せな人間は、幸せを遠くから指をくわえて見ているしかないのだ。 いつ自分の番が回ってくるのかと、そればかり気にかけながら。 そんな姿を他人に見せるのは悲しい。 だから、僕は彼女の幸せな姿を見られないのである。
2009年12月13日(日) |
頼まれもしなければ、求められてもいない |
勝間和代のベストセラーに「断る力」というのがあった。 がしかし、香山リカがやはりベストセラー「しがみつかない生き方」で書いているように、「断る」前に、依頼がない人間の方が多い。 頼まれもしなければ、求められてもいない。 そういう人間は結構いると思う。その人達が全部ダメ人間、努力がなり内人間、能力のない人間かというと、そうとは言い切れないと思う。
そう書くのは、僕がそのうちの1人だからだ。 以前は、僕も自分の得意分野である脚本の執筆能力を買ってくれる人がいるのではないかと夢想したものだ。誰かが、僕の脚本を求めてくれのではないか、と。 それも、「報酬」を伴って。 しかし、それは所詮は夢想だった。 結局、僕の脚本は、世に出ることはなく、自分で場を設けて金を出し、発表する以外になかった。しかも、それを見て、僕の能力を「買って」くれる人間はついに現れなかった。
頼まれもしなければ、求められてもいない。 そう気付くのに二十数年を要した。 世の中は、「努力すれば報われる」「夢は必ず叶う」という幻想にすがっている。そして、それを振りまいている。 だから、夢を実現できないのは、その人の努力が足りないからだ、となる。 しかし、それは違うと思う。 人間、持って生まれた才能が、悲しいことに1人1人違う。 確かに僕は脚本がかけるかも知れないけれど、それが世の中の多くの人に受け入れられるだけの優れた作品を生み出すだけのレベルではなかったのだ。 だから、頼まれもしなければ、求められてもいないのである。
どんなに地団駄を踏んでも、その事実を動かすことはできない。 現実にそれは、目の前に突きつけられている。 だから、僕のような凡庸な人間には「断る力」は必要ない。 だって、頼まれもしなければ、求められてもいないのだから。 どんなに悲しんでも、それを否定することはできない。 事実、誰からも頼まれもしなければ、求められてもいないのだから。 どんなに悔やんでも、それに抗うことはできない。 どうしたって、頼まれもしなければ、求められてもいないのだから。
2009年12月03日(木) |
演劇は僕の「居場所」か? |
今僕は、演劇に対して非常にアンビバレントな感情を抱いている。 暫く離れたいという気持ちと、そうしているうちに他の人達がどんどん先に行ってしまい、置いて行かれてしまうことへの不安と焦りだ。
先日、僕は敬愛するアーティスト・中島みゆきのファン、それも僕と同じ60年代生まれのファンだけのカラオケに参加してきた。これはmixiのコミュニティから派生したもので、殆どの人が初対面だった。 にもかかわらず、僕は大変リラックスできて、楽しい時間を過ごすことができた。 それは、簡単に言ってしまえば、同じ中島みゆきファン同士、同じ60年代生まれ同士という「仲間意識」からだった。 僕は一つの「居場所」を見つけた気がした。
これまでの僕の「居場所」はやはり芝居の世界だった。 が、今思うと、そこは決して「安住の地」ではなかった。 僕の立場上もあるのだが、芝居に関わる場合、僕は大抵主宰であり、脚本・演出を担当していた。この場合、共同作業を行う役者やスタッフは確かに「仲間」ではあるのだが、同じ目線に立ちながらも、そこには明確な一線が引かれていた。 稽古の後、飲みに行ったとしても、どんなに心を開いているように見えたとしても、そこでは決して弱音を吐いたり、迷いを見せたりすることは許されなかった。 つまり、そこでは常に自分を強く、ぶれない存在に見せている必要があるのだ。当然、リラックスすることはできない。 常にテンションは高く、決して自分の深層は晒さないように気を付ける。 でなければ、公演が成り立たないからだ。
心的エネルギーが高いうちはそれでもいい。それが心地よかったりもする。が、今はそれが弱っている時期だ。 特に演劇に対しては、確信と自信を失っている。 本当に関わり続けるべきか、僕は真剣に迷っている。 そんな状態では、常に強くあり続けなければならないことがお互いの暗黙の了解となっている場所にいることは、苦痛にしかならないし、相手にとっては鬱陶しい存在でしかない。 だから僕は、暫くここを離れよう、そしてよりリラックスできて、ストレートに心をほぐせる場所にいようと思ってしまう。 演劇の世界では、それは「負け犬」のすることだ。
しかし、その一方で、芝居を通して知り合った人達が、僕とは別の場所で、僕とは違う演出家・脚本家の様々な舞台に出演したり、また公演を打ったりしているのを見ていると、正直焦りも生まれてくる。 僕は立ち止まっていていいのだろうか、と。 もし動き続けていたら、その人達と同じくらい、もっと遠くに行けるのではないのか、と。 勿論、それが今の僕にとって体力的にも精神的にもしんどいことは重々分かっている。 それでも、ここで諦めてしまっていいのか、という焦燥感は湧いてくる。 けれども、やはりそこが本当に僕にとっての「居場所」なのか、という疑問もまたあることは事実だ。
こんなことを考えているのは、僕が疲れているからなのだろうか。 抗鬱剤が抜けた後の虚脱感とでもいうべきか。 それとも、才能の限界と枯渇を自覚したくないだけなのか。 自問自答は続く。 そして、時だけが過ぎていく。
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