思考過多の記録
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2009年11月24日(火) そしてここに戻ってきた

 久し振りにここに戻ってきた。ブログ全盛の中、このサイトを読んでいる人はどれだけいるのだろうか。



 この2年、僕はずっと抗鬱剤等の精神疾患用の薬の世話になってきた。
 最初は不眠から始まり、倦怠感、無気力となって、心療内科で「神経症の適応障害」と診断された。「抑鬱状態」とも言われた。
 所謂「心の病」だった。
 世の中に「心の病」に罹る人が増えていることは知っていたが、まさか自分がそんなことになろうとは思ってもいなかった。それからが僕と薬との、共存と戦いの始まりだった。



 初めにかかった医者は、徹底した薬物療法を行った。とにかく出される薬が多かった。
 抗鬱剤だけで4種類、他に安定剤、今話題(?)の睡眠導入剤、胃薬等が合計14種類も投与された。僕の体は完全に薬漬けとなった。
 こうなると、もはや自分の「意思」というものが分からない。
 開放感があり、元気になったような気がする反面、いつでも体が重く、眠気や倦怠感がある。
 薬には効用と副作用があるが、それらが複雑に作用し合い、訳が分からなくなっていた。
 すぐに眠りに落ちるものの、早朝に目が覚めてしまい、それ以降眠れない。仕方がないので1時間ほど近所を散歩する。しかし、朝食後には眠気に襲われ、午前中は全く動けない。
 そんな日々が続いていた。



 気持ちは明るくなった気がしていたが、それは仕事から解放されたことによるものと、薬の作用との両方だった。そして、次第に薬は僕を乗っ取っていたのだった。
 今年の春、医者を変わって薬の量が大きく減ったが、それでも抗鬱剤2種類、鎮静剤1種類、安定剤1種類、睡眠導入剤2種類が出ていた。
 この抗鬱剤が、僕を必要以上にハイな状態にした。
 自分が何でもできるような気分になった。万能感というやつである。
 今の自分では考えられないような行動が、昨年の夏以降に見られるようになった。また、温厚と言われた僕が、他人に対して攻撃的になり、そのせいでいくつかのトラブルが起こり、いくつかの人間関係が失われた。しかも、どんな場合でも、自分は正しいと思い込んでいた。



 この秋、再び医者を変え、同時に診断名も変わった。
「双極性障害鵺型」。普通に知られる言葉で言い換えると、「躁鬱病」である。
 この病気では、鬱の傾向が強く出る(それが鵺型だそうだ)ものの、感情の振れ幅が大きくなる。
 僕の場合は、それが抗鬱剤によって助長され、気分の高ぶる状態が続いてしまっていたのだ。下手をすれば、他人に危害を加えるところまでいく可能性もあったのだ。
 新しい医者の適切な診断と処置により、抗鬱剤は抜かれ、今は安定剤1種類と睡眠導入剤2種類、そして若干の落ち込みを改善するための弱い抗鬱剤1種類まで薬は減り、僕も漸く正気を取り戻しつつある。
 ただ、今になってみると、取り返しのつかないことになってしまったこともいくつかあった。今の状態なら、決してそんな行動はしなかった、そんな判断はしなかった、ということが多々あったのだ。



 確かに、薬はある一定の効果があると思う。
 だが、怪我や体の病気の場合と違い、「心の病」の薬は直接脳に働きかける。
 しかも、客観的な状態が本人にも分からない。医者は、患者の申告に基づいて治療や薬の処方をするので、「正しい」判断ができるとは限らないのである。
 自分がどんな状態なのか、自分でも全く分からないのだ。何しろ、それを判断する部分が、薬に冒されているのだから。
 こうなってみると、人間とは結局脳内物質のバランスや種類、量に還元されてしまうものだな、と実感する。薬である物質を加えたり減らしたりすることで、人格さえも変わってしまう。この点では、精神科系の薬と所謂ドラッグは紙一重の違いしかないと言えよう。
 「心」とか「魂」とかいっても、それは科学物質の有り様の別名に過ぎない。



 薬に振り回され続けた2年間だったが、漸く落ち着きつつある。
 病気を治すはずの薬が、逆に自分を襲ってきた。それと戦い続けた2年間だった。
 薬があったからこそできたこともあったが、それは本当の自分ではない。
 そして、失ったものはあまりに多い。
 ここにきて、僕はやっと我を取り戻してきている。
 まるで同じ世界にいたとは思えない。どこか別の世界を旅して、再び現実に戻ってきたような感覚に僕はとらわれている。
 しかし、紛れもなく、今も密かに薬は効いている。もはや補助的な役割しか果たしていないとしても。



 もうこの薬がまた別の世界の僕を誘うことはないだろう。
 だが、僕が別の世界にいたと錯覚していたその時にも、僕は実際にはこの世界に存在していて、他人にはそれは他の誰でもないそれまでと同じ「僕」に見えていたのだ。
 この恐ろしさは、体験した者でないと決して分からないだろう。
 その意味で、僕は大変貴重な体験をした。これを今後の人生にどう生かしていけるのか。
 それは、現実を生きていくこれからの僕次第である。


hajime |MAILHomePage

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