思考過多の記録
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2007年12月31日(月) 静かな決意

 2007年も残すところあと僅かとなった。ほぼ毎年見ていたNHKの「紅白歌合戦」を今年は見ていない。今年は、見るべき歌もない。あの番組は、もはやチューブで延命されている植物人間と同じだ。誰かが「尊厳死」を宣告しなければなるまい。



 今年は公私ともにいろいろあった。
 自分として一番大きかったことは、勿論「休職」したことである。
 このことで僕は自分と向き合い、自分に制御できない自分があることを知り、また会社の外側に広がる世界の存在にも気付かされた。年明けから復帰することが決まっているが、そこに至るまでには、組合の人達を始め、多くの人達の支えがあり、助けがあった。
 本当に有り難いことだと思っている。
 芝居をやっていたことも、僕の回復には間違いなくプラスに働いたと思う。



 こうなってしまった理由の第一は、自分が我慢していればいいと思い、我慢しすぎてしまったこと。そのことが直接的な原因である。しかし、もう一つの根本的な理由に僕は気が付いた。
 ここでも書いたかも知れないが、僕自身が自由業に向いている人間でありながら、サラリーマンとして生活してきたことで、自分の中に歪みが生じ、それがストレスとなって長年蓄積してきたということである。これは、今年会社に行かない生活を長く送ってみて、改めて身をもって実感したことだ。
 つまり、最初からボタンの掛け違いが起きていたのである。



 僕が復帰する職場は書籍を編集するところだ。つまり僕は(これまでもそうだったが)編集者として仕事をすることになる。
 でも、本当に望んでいたことは、僕に編集者がついてくれるような職業だった。例えば、僕が列車で旅をする。それを文章にまとめる。それが編集者の手を経て、雑誌や書籍の形で読者に提供される。そのことで、ぼくは原稿料をもらって生計を立てる。そんな生活を僕は夢見ていた。つまり、今と全く逆である。
 きらびやかな日常や贅沢な生活でなくてもいいから、自分の書いたもので生活する。何という充実感だろうか。
 勿論、人生はこれで終わりではないので、その生活に移行するにはどうすればよいのか、これから本気で考え、実行できることはしていきたいと思っている。



 静かに大晦日は暮れ、やがてやってくる新年。
 今年の経験を糧として、これまでとは違う人生設計を立て、これまでと違う気構えで歩んでいきたいと思う。


2007年12月30日(日) 二つの時間のすれ違い

 芝居が終わってしまった。
 平日の芝居の稽古は夕方からだったため、僕は暗くなり始める頃に家を出て、稽古場に向かう。会社に行っているときは会社から向かっていたのだが、今年は2回の公演ともに家から直接向かうことになった。
 そうすると、大抵夕方の帰宅時間と微妙に重なる。買い物帰りの主婦や、帰宅途中のサラリーマンとすれ違い、また同じ電車に乗る。
 僕の時間はこれから始まろうとしているのだが、周囲の時間は一日の終わりである。その二つの時間が交錯するのだ。
 僕はその感覚が好きである。何故と問われても難しいが、とにかく好きであった。
 会社に行っている頃は、仕事を終えて稽古場に向かうとき、僕の中ではスイッチを切り替えているのだが、時間自体はずっと継続しているように感じられていた。こうして別の次元の時間が重なるようにしてすれ違っていくという感覚はなかったのだ。



 芝居が終わってしまった今、そして年明けからの職場復帰が決まった今、もうこの感覚は二度と味わえないと思うと、少し寂しい。
 やっぱり僕は「日常」の時間を生きるようには作られていないのかも知れない。すれ違っていく「非日常」の時間の中にこそ、僕の居場所がある。そんな気がしてならない。
 しかし、食べるためには日常の時間への復帰は不可欠だ。
 非日常の活動で食べられるようになれば、それがベストなのだが。



 またいつか、あのすれ違いを体感したい。


2007年12月04日(火) 闘病生活

 僕の病気はストレスから遠ざかっていたお陰でだいぶ改善の方向に向かい、来年1月7日から出社できることになった。ただ、どんな部署でどんな仕事をするのかは、今月下旬の話し合いで提示されることになっている。



 色々な経験をし、色々考えることが出来たこの休職期間だったが、その終わりにちょっとしたハプニングが起きた。内容を詳しく書いてもあまり意味はないので省略するが、僕がはっとしたのは、相手が僕に対して送ってきたメールの言葉だった。
「自己防衛のために他人を攻撃する人は恐いので、以後関わりたくありません。」
 この女性は何回も僕に批難のメールをくれたが、「自己保身・自己正当化のための攻撃」といった言葉を何回も使った。考えようによっては彼女のその行為自体が、自己保身のための攻撃なのだが、確かにそういわれても仕方がない面が僕にあることも股事実だ。



 これは、病気の後遺症だと僕は思っている。
 「神経症」という病気は、周囲に対して神経質になり、攻撃的な態度に出ることが多くなるようだ。これは、実感として分かるのだが、確実に事故の崩壊を食い止めるための防衛本能が過敏に働くために起きるものと思われる。自分では制御が効かない。「攻撃された」と思うと、心がハリネズミ状態になってしまうのだ。
「攻撃は最大の防御」という言葉通りの反応である。
 そういえば、この病気に罹って以来、全て芝居絡みだが、僕は2人の人間と喧嘩別れした。それ以前の僕ではあまり考えられないことだ。どちらの場合も、僕の攻撃によって亀裂が一気に深まり、修復不能になったものである。



 この病気になる以前の僕はどう対処していたのだろうか。
 極力争いごとにならないように、できるだけ建設的に、相手を立てる形で譲歩していたことが多かったように思う。しかしそのことが、自分の中にマグマのようにストレスを蓄積し、結局爆発するに至ったのだ。
 しかし、だからといっていちいち攻撃していたのではどんどん人間関係を切っていくばかりだし、自分の身も持たない。「キレやすい人間」というレッテルも貼られてしまう。
 しかし、繰り返すがこれは自分のコントロール外のことである。一度暴走し始めると、本当に止められないのだ。精神安定剤はこれを防ぐために投与されているのだろうが、それも万能ではない。



 一体どうすればよいのだろうか。
 僕自身関係が切れることを望んではいなかったはずの人間との関係が切れていく。
 復帰の時期は決まったが、僕の密かな闘病生活はまだまだ続くのかも知れない。



 そして、今の世の中を見れば、全体が「神経症」に陥っているのではないかとすら思われる事件が、今日もマスコミを賑わしている。


hajime |MAILHomePage

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