思考過多の記録
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2007年03月05日(月) 横浜市の「人権」教育

 昨年、僕が担当して初めて作った道徳指導関係の書籍の内容に対して、横浜市の教育委員会の人権教育担当というところからクレームがついた。
 問題とされた指導は、子供が子犬(捨て犬)を拾って学校に連れてきたとき、教師がその場で短時間に行った指導を、紙面にまとめたものである。対象は小学校高学年。教師はまず、学校では飼えないことを告げ、もし学校で飼い主が見つけられないときは、この犬はどうなるのか、と子供達に問いかけた後、
「実は、保健所に連れて行かれるんだよ」
と言う。そして、その後暗に殺処分にされることを告げ、
「では、どうすることが、この子犬にとって一番いい方法なのか」
とさらに問いかける。これは、「正解」を求めての質問ではなく、子供達に「現実」を知らせた後、「子犬が捨てられていた」という事実の背後にある「飼い主のモラル」の問題まで含めて考えさせるきっかけを与えているのだ。
 捨てられた子犬が直面する現実に向き合わせることで、「命」の問題をより切実な問題として子供達に捕らえさせるという指導だ。



 これに対する横浜市の言い分は、大きく言えば以下の2点である。

・この指導では、「保健所」は動物を殺す場所というイメージだけが強く伝わってしまう。現実に、保健所の職員に対して、市民は「動物を殺す酷いことをする人達」という「偏見」「差別意識」を持っている。職員は法律に基づいて当然の仕事を行っている。また、誰かがやらなければならない仕事だ。にもかかわらず、職員は無理解な市民からの誹謗・中傷に傷付き、苦しんでいる。そのことに対する配慮が足りない。
 本来捨て犬や捨て猫の問題は、飼い主の責任放棄であり、モラルの問題である。そこをクローズアップすべきである。
・「動物を殺すことはかわいそう」だというが、人間は動植物を殺して食べたり、害虫を駆除したりして生きている。つまり、全ての命が等しく大切なのではなく、人間の命が一番大切なのである。だから、牛や豚などの解体をする人達(屠場で働く人達)や動物の収容業務を行う人達などは、人間が生きていく上で「当然」のことをしている「普通」の人達なのだ。特別視するのは間違っている。

 どうやら横浜市としては。この指導に「保健所」が出てくること自体を問題だと考えているらしい。



 しかし、「命の大切さ」を教えるために、ただお題目を唱えたり、「ペットは最後まで飼いましょう」などと建前を伝えたりするだけで、本当に子供達は「命の大切さ」を理解するのだろうか。
 横浜市に限らず、どこの地域でも動物の収容業務はあり、事実として多くの動物たちが殺処分になっている。勿論かわいそうなことだが、かといって野良犬や野良猫を増えるに任せて放置しておくわけにもいかない。それもまた事実である。また、こうした仕事に関わっている人達だって、好きこのんで動物を殺しているわけではないと思う。自分達のやっていることに対してなんらかの苦しみを感じていることも事実であろう。その上、動物愛護団体のようなところからいろいろ言われるのは辛いに違いない。



 だが、だからといって、子供達の目からその「現実」を覆い隠してしまっていいのだろうか。「捨てられた動物はかわいそう」「だから、責任を持って飼おうね」というだけでは、机上の空論であり、綺麗事である。これは、「戦争反対」と叫んでいれば戦争がなくなるわけではないことと似ている。まずは、残酷かも知れない「現実」をしっかり知ること。そこからしか真の「学習」はスタートしないし、解決に向けての「知恵」も「実践」も出てこないと思う。
 保健所の人達の辛い仕事が少しでも減るようにするためにも、それは必要なことだと思うのだ。小学校の高学年ともなれば、そのくらいの理解力はあると思う。「偏見」を畏れて事実を隠蔽することの方が、かえって「無知」からくる「偏見」を助長するように思われるのだが、どうだろうか。



 2点目に関しては、さらに大いなる疑問があるので、これは稿を改めることにする。
 それにしても、横浜市のこの姿勢は、あの「ちびくろサンボ」問題に似ていると思うのは僕だけだろうか。「人権」の名の下での、いわば「身内」を庇うための「言論統制」まがいの行為だと言われても仕方あるまい。こんなことをして、当の保健所の職員達は喜ぶのだろうか。ますます社会から見えない「不可触賤民」のような存在にされていくだけである。それが「人権教育」というものなのか。これでは人権が泣こう。
 また、ここにあるのは根深い「教師」・「市民」に対する不信感である。彼等は、明らかに高見からの視点で「教師」・「市民」を見ている。地域の「教師」・「市民」に支えられ、「教師」・「市民」と向き合い、対話してこその教育委員会ではないか。誰のために存在し、何のために仕事をするのか。その基本的なスタンスが間違っていると強く感じる。



 「改革派」の中田横浜市長は、この実態をどう考えるのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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