思考過多の記録
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2007年02月04日(日) 可能性としての殺人

 もし鋭利な刃物を持っていたら、きっとその人を刺してしまっていたと思う。最近の自分はストレスが溜まりすぎて、精神的なバランスを保っているのが至難の業だ。
 妄想の中で、僕はその人を何度も刺した。フロアが血に染まっていくのを何度も見た。
 どうしようもないストレスに晒され、これ以上耐えられないとなったとき、以前なら妄想の中で、僕は自分を刺した。あるいは、高いビルやホームからダイブしたし、首に縄をかけもした。
 しかし、今はそれよりも、ストレスの源に向かって攻撃する方に妄想が向く。
 それを消してしまわなければ、自分が潰れて(または壊れて)しまうと思うからだ。



 考えてみれば、殺人に対するハードルは、ここ数年で確実に下がっていると思う。命と引き替えるにはあまりに軽いことでも、躊躇なく命を奪っている。血を分けた肉親同士が殺し合う。そんな報道が氾濫している。
 僕達は目を背けたり顔をしかめたりするけれど、心の何処かで「可能性としての殺人」を確認する。そんな毎日が続いている。



 いつか、これが妄想ですまなくなるときが来るのだろうか。その時には、この日記のこの文章が、動機を解明する重要な手がかりとして扱われるのかも知れない。
 しかし、自分が壊れるのを防ぐために、誰かを壊さなければならないなんて、あまりにも悲しすぎないだろうか。



 僕の耳に、近付いてくる救急車とパトカーのサイレンの音が、微かに聞こえる。


hajime |MAILHomePage

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