思考過多の記録
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2006年09月29日(金) 「妖怪」の誕生

 小泉前首相の5年間は、時代の大きな変わり目であり、戦後最悪の宰相が君臨した5年間として後に語られるのではないかと思っていた。しかし、先日発足した安倍政権を見るにつけ、もしこの内閣(そして安倍自身)が大化けするとしたら、この政権の方がこの国の舵を大きく切り、戦後最悪の時代をもたらすかも知れないと思えてきた。



 大して具体的な政策も持たず、「‘美しい国、日本’を作る」というおよそモノを深く考えているとは思えない脳天気な理念を掲げるあの戦後生まれの‘イケメン’総理は、ことの重大性を認識せずにとんでもないことをする危険性を孕んでいる。小泉も酷い総理大臣だったが、彼は石原東京都知事と同じで確信犯的にやっているからまだいい。(本当にいいのか?)しかし安倍の場合は、首相就任の記者会見でも明らかなように、特に深遠な意図があるわけでもないのである。ただ、‘美しい国、日本’という空虚なお題目があるだけだ。またやっかいなのは、本人がその空虚さに全く気付いていないことであり、「日本は、日本であるが故に美しく、(特に中国や韓国よりも)素晴らしく、誇らしい」という自らの信念を微塵も疑ったことがないらしいことだ。
 そして、この空虚さと軽さ、深みのない無邪気さは、そのまま今のネット社会の思考方法と合致する。



 概ねどのメディアの世論調査でも、安倍の人気は高い。歴代3位の支持率をはじき出したメディアもある。しかし、支持の中身を見ると、「清新さ」「首相が安部さん」「何となく」といった、まさに‘雰囲気’‘空気感’だけである。彼の政策については、自民党総裁選の時の世論調査でも「よく知らない」という人が圧倒的だった。案の定と言うべきか、国民が安部政権に期待するものは「景気対策」「社会保障制度改革」「格差」といった問題なのに対し、安部が「最重要課題」と息巻く教育基本法の改正や憲法の改正といった問題は、総じて期待度が低い。
 つまり、国民が求める課題解決のための具体的な施策を持っているとも思えない首相と内閣を、その国民の多くが支持しているのである。まるで中身ではなく、パッケージやキャッチコピーに踊らされて商品を買ってしまった、愚かな消費者のようだ。これからそのパッケージが剥がれていくが、それでも国民は自分たちの買い物の間違いに気付かないだろう。本当は、自分達が何を買ったかなどには最初から何の興味もなかったに違いない。



 小泉もそうだが、安倍が高い支持を得ている背景には、先にも書いたとおりネットの隆盛があるだろう。ネットで求められるのは「スピード」であり、「イメージ」「空気」である。もともと一つの問題を掘り下げ、時間をかけていろいろな人達と論議をしながらさらに深めていくということに、ネットは向いていない。もっと言えば、ネットには「思考」がないのだ。誰かの発言(文章)に対する、殆ど反射神経・条件反射的とも言うべき誹謗・中傷を別の誰かが書き込み、それを読んだ人間が同じように瞬間的・感情的に反論し、最後は誰かが袋だたきにあって終わる。この感情爆発型で不毛な、関係性とも呼べない関係性がネットの本質ではないだろうか。
 そして、この流儀が、特に若い世代を中心にした人々によって現実世界にそのまま持ち込まれた結果、いとも簡単にバッシングが起きたり、幼稚なナショナリズム的言動に多くの人々がごく自然に、雪崩を打って賛同したりする事態が起きた。「小泉劇場」や「ワンフレーズ」といった手法が功を奏したのは、この「一億総思考停止」とも言える状況を抜きには語れない。
 その流れで、安倍は登場した。彼の人気の源の一つに拉致問題での強硬発言や、対中国のタカ派的言動がある。これなどは、今述べてきたネット的な空気が世の中を覆っていることの現れといえよう。少なくとも10数年前までは、安倍のような言動に眉をひそめる人間は今より確実に多かった。
 (この意味で、やはり対中強硬派でタカ派である麻生外務大臣の人気がネットの世界で高いのも、むべなるかな。)



 ネットの恐ろしさは、虚構と現実の区別が付かなくなることだと言われ続けてきた。随分皮相なものの見方だと思っていたのだが、ある意味当たっていたのかも知れない。
 現実の世界の人間関係はネットのようにはいかない。現実では、人間はもっといろいろ気を遣わなければならないし、考えなくてはいけない。言うべきではないこと、するべきではないことがたくさんある。匿名性がつよいネットという特殊な場所では、今述べたような縛りから解放される。だからこそいいこともたくさんあるのだが、それは現実とネットは違うという当たり前の認識をふまえていた場合だ。
 今やネット社会が現実を浸食し始めている。それがついに、この国の宰相のあり方まで変えてしまったのだ。小泉も安倍も、ネットが生み出した妖怪という側面が確実にあるのである。余談だが、安倍の母型の祖父は、「昭和の妖怪」と言われた岸信介である。



 安倍の危険性は、こんなところではとても語り尽くせないほどだ。しかし、本当に危険なのは、そんな安倍を首相にまでしてしまった僕達のこの社会だ。
 ‘美しい国 日本’そんなものはもうどこにもない。このまま国民が安倍を支持し続けるなら、彼の政権はその毒気でこの社会を溶かしてしまうだろう。
 もっとも、ネットの流儀にどっぷりと浸かってしまったこの国の人々は、自分達の体が溶け始めていることにすら気付かないのだろうが。


2006年09月22日(金) 地獄で会った天使

 仕事も、芝居も、何もかもが行き詰まっている。毎日、ストレスの連続だ。
 果たして出口は見えるのか。
 何故こんなトンネルにいるのか、さっぱり分からない。自分が望まなければよかったのか、はたまた好むと好まざるとに関わらず、ここにいなければならなかったのか。



 ここ最近、自分の「生」が自分にまとわりついているような感覚に襲われていた。自分は確かに生きている筈なのだが、その実感よりも、生きていることの鬱陶しさが強かった。
 早く振り払ってしまえば、楽になるかも知れないとぼんやり思った。
 そういえば、僕は職場の行き帰りに、かの有名な中央線快速を使っているなと、そんなことも考えた。



 そんなとき、何も知らない彼女からのメールが届いた。
 こうなる前の僕しか知らない彼女は、そのときと変わらない調子で、僕を褒めてくれた。
 僕の実態を知らないから、彼女はあんなことを感じたり、言えたりするのだろう。
 でも、彼女の中での僕は、まぎれもなくそのような人間なのだ。
 そのことが、僕を勇気づけてくれる。
 彼女の言葉で、僕は救われる。まるで、地獄で出会った天使のようだ。



 絶望的な状況は当面変わらないだろう。

 それでも僕は、彼女のその言葉を裏切るわけにはいかない。


2006年09月16日(土) 「待ち望まれていた」命

 秋篠宮妃の紀子さんの「お子様」悠仁君(さすがにこういう呼び方をするマスコミはないが)誕生の大騒ぎも、昨日の退院を機に漸く一段落しようとしている。今回、例の皇室典範改正問題と絡み、子供の性別が注目された。生まれたのが男の子と分かってからの「世間」の騒ぎ方を見ていると、もし女の子だったら、少なく見積もっても3割減くらいの盛り上がりだったのではないかと思ってしまう。



 世間では、特に我々下下の、無産階級と言われる所謂「庶民」は、最近は女の子を喜ぶ傾向があるようだ。女の子は男の子に比べて手がかからないし、家の手伝いもよくしてくれる。大きくなれば母親の友達にもなる。おまけに、うまくすれば玉の輿に乗るかも知れない。そういうえば、親への暴力沙汰や親殺しも圧倒的に男の子の方が多いので、身の安全という観点から考えても女の子の方が望ましいといえる。
 こうした世間一般に広がってきた考え方からは、皇室はあきらかにずれている。というか、浮いた存在になってきている。



 男=世継ぎという前近代的な考え方がここではさも当たり前のような顔で通っている。法務大臣までもが男児誕生を願うような発言をしていたが、この国ではまだまだジェンダーバイアスが強いようだ。ある新聞記事によれば、男児誕生をきいて感激のあまり涙ぐんだ人までいたそうだが、もし女の子だったら、その人は涙ぐまなかったと断言できる。
 僕はおめでたくないと言っているのではない。ただ、皇室という特殊な場所の事情が絡んでいるとはいえ、性別によってそのめでたさに差をつけるような態度や扱い方が気に入らないのだ。新しい命の誕生は、どんな事情であれ、そのこと自体は無条件にめでたいし、喜ばしいことである。男だと特別に喜ばれ、待ち望んだ命として歓迎され、女だと生まれたことのみの喜びで終わるというのは、僕は男だが、どうにも納得がいかない。同じ命である。男のそれの方が価値があるなどということはないはずである。歴史や伝統の上でそうだというなら、その意味を見直す必要だってあるだろう。



 今回の出産は大変難しい手術だったそうである。妊娠の状態からいってそうだっただろう。つまり、今回は特に「生まれることができた」という、それ自体がめでたいこと、喜ばしいことだったのである。「男の子だったからよかった」のではなく、「生まれてきてよかった」ということである。愛子さんと悠仁君の処遇に今後差がついていくであろうことは想像に難くないが、2人の存在の価値に差があるということはないはずである。
 繰り返すが、誕生とは本来そういうものである。命それ自体の価値に比べたら、「家」や「伝統」の継承が何ほどのものだろうか。秋篠宮家の子供でなくても、男の子でなくても、命の誕生は無条件に素晴らしい。そして生まれ出た命は、どんな人の子供でも、性別に関わりなく健やかな成長が望まれるのである。



 杞憂ではあろうが、今後成長した愛子さんが、自分は待ち望まれてはいなかった命だったと、ある一定の数の人々が心の中で密かに落胆した命だったのだと、そう感じる日がこないとも限らない。僕にはそれが気がかりである。


2006年09月04日(月) 彼女の悲鳴が聞こえてくる

 先週末、友人と2人で久し振りにこの春亡くなった後輩の家へ行った。友人はかつて、僕の芝居で彼女と共演していたので、その縁で線香を上げたいと言っていた。僕は僕で、彼女と最後に共演した、そしてそれが結果的に彼女の最後となった芝居の記録映像を、彼女のご両親に届けるという目的があった。
 友人の車で彼女の家へ着き、仏壇のある部屋に案内されると、春にお邪魔したときにあったお骨を収めた箱はなくなっていた。そして、あの時と変わらない生前の彼女の笑顔の写真が、僕と友人を迎えた。



 友人が最後に彼女と会ったのは、もう4年前になるだろうか。共通の知り合いの芝居を見に行って、その帰りに彼の奥さんと僕と彼女の4人で食事をしたのだった。その時の彼女の印象について、彼は
「それ以前にあったのが、一緒に芝居をやったときでかなり前だったので、途中の変化を見ていなかった。大人の女になったという感じだった。彼女に『綺麗になったね』と言ったら、照れて笑っていた。」
とご両親の前で語った。
 そして、彼女の養成所時代のビデオを見て、
「殻を破っていたんだね。」
と感嘆したように言った後、
「でも、まだまだ試行錯誤の途上だったんだと思うよ。そんな感じがする。」
と、少し苦しそうに言い足した。彼は、この言葉を何度も繰り返していた。



 今回、春にお邪魔したときにはなかった、彼女の遺した文章を見せていただいた。ひとつは、妹さんと2人で喫茶店に入って、どんなものだか分からないけれど語幹が気に入ったということでコーヒーを注文した話をまとめたエッセイ風の文章。ここには、彼女独特の言語漢学と、日常を捉える支店のようなものが感じられ、非常に懐かしさをおぼえた。
 そして、もうひとつが、僕にとっては驚愕するものだった。
 それは、彼女が独自にまとめた塾や予備校の手作りの参考書風のもので、「日本史」「日本美術史」「世界美術史」「フランス語習得」という一連の資料だった。親御さんが綴じたというその文章は、さすがに出版社に勤務していただけあってレイアウトも工夫され、表を使ったり、大事そうな字句には色アミをかけていたりしてまとめられていた。可能ならば、関連する図版や写真なども入れたかっただろう。
 また、所謂参考書的な文言ではなく、彼女自身の感覚で捉えた部分と、事実の記述のバランスが絶妙で、読み物としても楽しめる感じになっていた。
「『私、今歴史の勉強をしているの』って言ってました。時間があったから、こんな物を作ったんですね。」と彼女の母親は言った。



 彼女が元気な頃から歴史などに興味を持っていたことは知っていた。しかし、いくら時間があっても、体調が安定しない中、これだけのものを作るには相当な気力がいった筈である。
 僕がそこに感じたのは、強烈な「生」への意思だった。彼女はたぶん、自分自身のためにこれをまとめていたのである。特に歴史や美術史などは、いずれそのエッセンスを使って自分自身の作品を創作するための下準備だったのだと思えてならない。または、そうしたいという意思の発露であったとも思える。
 一方、こういう見方もできる。フランス語は彼女の専攻した語学で、フランス文学に対する彼女の興味・関心はずっとあり続けた。歴史に関しても然りであろう。すなわち、それらは彼女の人生の重要なエッセンスでもある。だから、彼女はそれを遺すことで、自分自身が生きていたという痕跡をこの世に残しておきたかったのではないのか。そうも思えてくるのだ。
 詩や脚本といった完全な彼女の「創作」ではないものだからこそ、逆に直接的ではない「思い」の奔流が感じられ、いろいろなことを僕達に語りかけてくるようだった。



 彼女の家を辞した後、車の中で友人は、
「ある時期、君と彼女が意気投合して、そのまま結婚しちゃうんじゃないかと思っていた。」
と言い出した。僕と彼女の様子を見ていてそう思ったらしい。
 確かに、僕には彼女のことが好きだった時期がある。だが、彼女は僕の気持ちには答えなかった。その後も、いろいろなことを相談されたり、お互いの舞台を見に行き合ったりはしていたが、特にここ数年は、お互いの追求する表現の方向性が違ってきていることは、お互いに認識していた。しかし、その違いは、僕達を離れた場所から見ていた彼にとっては、ごく小さいものに思えたのだろう。
 僕にとって、彼女がある種特別な存在であり続けていたのも事実である。そうでなければ、彼女の永遠の不在がここまで僕の中に影を落とすこともないだろう。



  おまえとわたしは たとえば二艘の舟
  暗い海を渡ってゆく ひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく 二艘の舟
                  (中島みゆき 『二艘の舟』)

 僕はかつてこの歌に、僕と彼女を重ねた。そして今、彼女の姿は波間に消えた。
 いや、そうではない。彼女はきっと今も、ここではない別の海を、どこかを目指して渡っているのである。



  きこえてくるよ どんな時も

  おまえの悲鳴が 胸にきこえてくるよ
  超えてゆけと叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
                     (中島みゆき 『二艘の舟』)


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