思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2006年03月25日(土) Jokerのつぶやき

 先日、会社の女性の後輩が入籍した。可愛くてしっかりもので、よく気が利くし他人に対する思いやりも、正義感もある。何故彼女がずっと結婚しないのか、周囲では「謎」だと思われていた程である。
 彼女には、隠れた、または半ば公然のファンも多く、結婚相手は実はその中の一人なのであった。そして、何を隠そうこの僕もかつては彼女に思いを寄せていたことがあった。同じ課の同じグループで仕事をし、組合活動でも一緒のことが多かったこともあり、そうなるのはむしろ必然だったのだろう。僕は彼女にそれらしい言葉は言わずにアプローチした。そして、これまた必然的に、彼女はそれには応えてくれなかった。



 ここ最近、芸能人や有名人の結婚が多い気がする。会社でも、あまり新人を採用していないこともあって、見渡すと独身者は徐々に減りつつある。昨年末に、同じ課の独身女性が入籍し、僕の課では課員の独身者は僕だけになった。友人や後輩も、殆どが家庭を持ち、子育ての真最中となっている。
 そして、僕はまた今年、一つ歳を取る。「中高年」の仲間入りをしてしまっているにもかかわらず、残念ながら、この一年もまた誰からも愛されずに終わってしまった。



 かつて、人はよくこう言って僕を慰めていた。
「タイミングが悪かっただけだよ。」
確かに、そういうことはあるだろう。だが、ことここに至ると、原因はそこにはないと考えるのが自然である。結局のところ、僕自身に何の魅力も価値もなかったということ、そのことこそが根本的な理由であることは誰の目にも明らかとなってしまった。
 だから、最近人はもうこのことには敢えて触れようとしない。もはや慰めの言葉は見つからないのだろう。何を言っても単なる気休めに過ぎないことを、誰もが知っている。



 こうなってみると、自分は「Joker」なのだと考えるのが自然だと思えてくる。
 「ババ抜き」のとき、Joker以外の札は全てペアになる。最後に一枚だけ残るのがこの札だ。
 誰もなりたくてJokerになった訳はないと思うのだ。ただ、引かれないという事実が、徐々にその人間をJokerに変えていく。誰からも求められていないという事実が、その人間に、自分はJokerだと教えるのだ。
 僕も、まさか自分がそうだとは思っていなかった。もっと早く気付くべきだったのかも知れない。が、Jokerであることを望む人間はいないだろう。「願い」と「現実」を、僕は取り違えていたということなのだろう。



 誰がJokerを引くのか。
 結局誰からも引かれずに、そこに残るのか。
 いずれにしても、トランプには何もできない。無念だし、悔しい思いはある。が、今更他の札に生まれ変わることなどできないだろう。



 「末永くお幸せに」と僕は彼女への言葉を、職場の人達とともに色紙に書いた。Jokerが祈る幸せってどういうものだろう、と考えながら。


2006年03月19日(日) ‘摩擦’を恐れて

 元来僕は、他人との摩擦を避けようとする傾向が強かった。それで「優しい」などという見られ方をされているわけだが、何のことはない、単に臆病なのが実態である。この文章を読んでいる限りではそんな印象は持ちようもないだろうが、いざ本人に面と向かってしまうと、相手との関係性が壊れることを恐れる気持ちの方が強く働く。それで、オブラートに何重にも包んだ言葉を選びがちだ。



 そんな僕なのだが、こと芝居に関しては、最近そうでもなさそうだということが分かってきた。昨年の芝居でも、僕と行き違った人をメンバーから外している。ある種の‘誤解’というか、ある事象に関しての受け取り方の違いがあったのだが、そのことでお互いにもやもやしたまま一緒に芝居を作ることはできないと判断したのだった。結局、その人との関係はそこで終わった。
 最近も似たようなことがあった。それも、芝居を巡っての考え方の違いだった。最初からそういうことは確認しておくべきだったのだが、お互いに微妙な距離を保っているときはなかなかそういうことは表面化しないものである。その人も場合も、創作上の共同作業をするには相応しくない亀裂が入ったと判断したため、決断した。何もその人のことが人間的に嫌いになったわけではないが、お互い芝居は重要な位置を占めているため、それ以外の関係だけ取り出して続けることはできなかったのだ。



 元来摩擦を好まない僕だが、かつて高校時代に、文化祭の運営の仕方に異議を唱えるために、全校生徒と教師が出席していた文化祭の閉会式を止めたという‘武勇伝’がある。このときは、運営の実務を担っていた文化祭実行委員会の人達から睨まれ、逆に実行委員会に批判的だった生徒会役員の人達から歓迎されるという、実に分かりやすい結果になった。部活の後輩で、それなりに仲の良かった文化祭実行委員の人は、それを境に僕と口をきかなくなった。
 摩擦を起こさないことを重視するなら、自分にごく近い人達と‘愚痴’を言い合って不満を解消しさえすればよかった。そうすれば、件の後輩とも良好な関係が保てた筈だ。しかし、それでは済まされないと思える何かが、きっとあったのだと思う。



 「テロとの戦い」に突き進むブッシュ大統領や、郵政民営化を掲げて選挙で大勝した我等が小泉首相は、世界を「白と黒」、「敵と味方」に色分けする。立場の異なる二つの勢力が争い、摩擦が引き起こされ、「正しい」勢力が最終的に勝利を収める(勿論、それは自分達が取っている立場の側だ)というストーリーだ。そこには「寛容」という概念はない。それを僕は批判する。
 しかし、僕自身、自分が「正しい」と思う立場に立って、相手を排除してきているのである。勿論、相手と分かり合おうとしたり、落としどころを探ろうとしたりしてきた。しかし、最後には、自分の意見や立場を押し通すために、相手との関係を切ってきたのである。相手と分かり合えなかった。それは自分にも責任があるのだが、それでも僕はある立場を選ぶしかなかった。
 そこには摩擦が生まれ、相手も僕も傷付いたのだった。



 とはいえ、摩擦を回避することだけを考えていたのでは、物事は進まないというのも事実である。回避されるべき摩擦もあれば、回避されてはいけない摩擦もあるということだ。曖昧にしておけばそのうちうやむやになることもあるが、逆に矛盾が大きくなって最悪の結果を招くこともある。
 だからといって、何でもかんでも摩擦を引き起こせばいいというものではない。世の中にはそういう人間も存在しているが、それはそのことによってしか自分の居場所やアイデンティティを確立できないという場合が殆どだ。摩擦のための摩擦、対立のための対立は、本質的な問題ではない。



 僕がこれまで起こしてきた摩擦、そしてこれから起こそうとしている摩擦は、自分の「信念」に基づいていると思っている。できるだけ人間関係を悪化させたくない僕が、敢えて引き起こす摩擦は、そういうものでしかありえないし、そうでなくてはいけないと思ってる。
 しかし、「信念」と言えば聞こえがいいが、それは今イラクで起こっている宗派間の対立や、「西欧対イスラム」のような対立と根本的には同じだ。「信念」とは、その人にとっての個人的な「信心」=「宗教」のようなものである。そこから逃れるのは並大抵ではない。そして、十人いれば十通りの「宗教」がある。それらはなかなか相容れない。そこに、摩擦は発生する。
 ことに、創作活動というジャンルを選んでしまった以上、こうした摩擦は不可避である。
 勿論、日常生活の至る所に、摩擦の火種は燻っていることは言うまでもない。



 摩擦は、恐れなくてはいけないし、恐れすぎてもいけない。そのさじ加減が分かるまで、僕はあといくつの関係を壊し、何人を傷付け、何人から傷付けられなければならないのだろうか。
 そんな思いを胸に、また新たに関係性を断ち切ることになるかも知れない刃物を、僕は握りしめている。


2006年03月09日(木) 「競技者」(アスリート)から「表現者」(アーティスト)へ〜ヴィーナスの誕生〜

 トリノオリンピックが終わって2週間近くたったが、「荒川静香」フィーバーの余韻はまだ列島を覆っている。何しろ、日本に唯一もたらされたメダル、しかも色は「金」である。ただでさえ騒ぎになるところを、今回はまさに「集中攻撃」といった感じだろうか。他に話題を持っていくとするとカーリング女子しかないという状況だが、むこうはメダルを持っていない上に、5人いるのでどうしても話題は分散する。いきおい、荒川が目立つというわけだ。



 いつもならこのフィーバーをうざったく思う僕だが、今回は何故か違う。勿論、マスコミのはしゃぎ振りなどはいつも通りうざく、食傷気味の感もあるが、こと荒川の滑りそれ自体に関しては、僕は素直に感動した。
 僕は、たまたま荒川が金メダルを決めたフリーの演技を生放送で見た。見ようと思ってはいなかったし、メダルの行方に特に興味もなかった。しかし、朝の出がけだったにもかかわらず、思わず見入ってしまうような滑りだった。「銀盤の女王」という言い古された称号があるが、そういう言葉とも違う、何か凛とした感じの「美しさ」がそこにはあった。オーラというものがあるとすると、彼女のあのときの滑りには、人々を惹きつけるそれが確実に出ていた。それが画面からもはっきりと分かったのだった。たぶん、あれを見た者は誰一人として、彼女のメダルの色に文句はないだろう。たとえ他の選手がノーミスでも結果は同じだったと思う。



 あの大舞台で、彼女は笑顔で滑っていた。客に媚びを売るための作り笑顔ではなく、心からの笑顔なのだと僕には分かった。そして、受賞後のインタビューなどから、本当にそうだったと分かった。
 彼女は、メダルを狙ったのではなく、最高の滑り(=演技)をすること、そして楽しんで滑ることだけを考えたと、繰り返し語っていた。「無欲なところがよかったんですね」と、殆どのインタビュアーはそれを金メダル獲得の大きな要因として捉えて、判で押したようなコメントをした。しかし、僕が凄いと思い、感動したのは、結果に対してではない。本当に「楽しんで」滑り、それを「最高の滑り」にしてしまった彼女に対してなのだ。それは、それまでのスランプを乗り越えてよくぞ!という日本人が大好きな浪花節的な感情とも違うものだった。



 どの世界でもアマチュアとプロの違いとしてよく言われることだが、アマチュアは基本的に技術や結果よりも、自分がやりたいことを楽しむのを最優先にしている。それに対してプロは、クライアント(客)が求める結果を出すことが最優先、というよりも最低条件だ。その活動によって報酬を得ているかどうかが分かれ目になっているわけだ。
 オリンピックのアスリートは「アマチュア」に分類されるけれど、それは単にその競技によって報酬を得ていないというだけであり、実質的には「結果」を出すこと(スポンサーや国民が望むような)が求められている。だから、その競技への取り組みは、自分が楽しめるかどうかを重要視することは許されないだろう。その意味においては、オリンピックなどの国際試合に出場するアスリートは、スタンスとしては「プロ」に近い。その競技が「好き」なだけでは許されないのである。



 荒川は、当然このようなスタンスでこれまでリンクに立ってきたのだと思う。常に結果を求められる立場なので、当然練習は過酷を極めただろう。しかし、「最終目標」ともいえる大舞台に立って彼女が目指したのは、メダルの色や順位ではなかった。
「少しでも長く見ていたいと思われる滑りをしたい。」
そう彼女は語った。
 そして、事実彼女の滑りはそうなっていた。なおかつ、それを彼女は「楽しんだ」。それはおそらく、他人から求められる結果のためではなく、自分が求める滑りのために滑ったからであっただろう。しかも、ここからが重要なのだが、彼女が自分自身楽しみながらも結果を手にできたのは、やはりそれを裏打ちするだけの高い技術と、ジャンプの回転数をその場で変えられる冷静な判断力を持っていたからに他ならない。つまり、彼女は、所謂アマチュアスケーターが感じるのとは全く別の次元の「楽しさ」に到達していたのだ。そこに達することができた者のみが、自分と観客を同時に楽しませるという奇跡ともいえる状態に達することができる。
 このあたりが、目立ちたがりの勢いだけで、技術的にはまだまだ未熟だったスノーボードHPの成田童夢あたりとは全く違う点だ。



 勿論これは、フィギュアスケートの特殊性、すなわち、競技であり、ショーであるが故に、技術力と芸術性の両方を追求できるという側面に由来している。僕が彼女に、高橋尚子のようなある種の「あざとさ」を感じないのは、もともと「見せる競技」だからなのと、荒川のクールさのせいかも知れない。
 しかし、もうひとつ言わせてもらうと、大変不遜ではあるが、「表現」を追求する者としてのシンパシーを感じてしまうからでもある。自らの「表現」を突き詰めていこうとする彼女の姿勢には、本当に学ぶことが多い。そして、それをあの大舞台で結実させたことに対して、僕は感動してしまったのである。



 彼女の夢はアイスショーで滑ることだそうである。名実ともに「競技者」(アスリート)から「表現者」(アーティスト)への転身を望んでいるのだろう。それはきっと、彼女の滑りを、技術による評価を上げる方向ではなく、純粋に「表現」「エンターテインメント」として充実させる方向に突き詰めていけると、彼女が判断しているからだと思う。
 それは正しい方向だと思うし、あまり遠くない時期に彼女はそうなるに違いない。
 そして、烏滸がましいが、僕自身「アマチュア」の表現者の端くれとして、いろいろな意味で示唆をもらうことができた。その意味では、彼女と彼女の滑りに感謝したいと思う。



 よくメダリストは「国民に夢と勇気を与えた」などと言われ、今回もそんなコメントを腐るほど聞いた。しかし、彼女に関してはそれはやや的はずれな表現だと思う。
 僕達はただ、氷上のヴィーナスが生まれ出る瞬間に立ち会えたのだ。その至福の時を荒川本人と共有できた。それだけでもう十分である。


hajime |MAILHomePage

My追加