思考過多の記録
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先週、久々に、本当に久々に僕は女性と会った。彼女は僕の出身高校の演劇部の後輩で、現役時代に僕の処女戯曲の初演出をしてくれた人である。そして、それが縁で彼女の高校卒業後に、僕が初めて自前で打った芝居の主役を彼女に任せ、照明プランも立ててもらった。僕にとって初めての経験だっただけに、このときの公演はいろいろと大変で、彼女にも苦労をかけたものだった。その芝居の打ち上げの夜以来、僕は彼女と会っていなかったのだ。
その後、彼女は高校時代からの意志を貫いて、舞台照明家への道を歩んだ。風の便りでは、一度結婚したものの数年で破局して、実家に舞い戻っていると聞いていた。 それ以上の情報が何もない中で、僕は久々に彼女に会うことになった。懐かしい地元の駅のロータリーにある、僕がその界隈に出没していた当時はボーリング場やゲーセンだったビルの一角の居酒屋で、僕と彼女は再会した。その日は、彼女と、彼女と同じ代唯一の男子演劇部員(この人も、現役時代も含めて僕の芝居に何度か出演してくれている)、そしてその2人と同じクラスだった女性2人との飲み会だった。顔を合わせた瞬間から、彼女は「生(ナマ)先輩だ!」ともの凄く高いテンションだった。それもその筈、それまでに彼女は既に酒を3杯飲んでいたのだ。
高校時代の彼女は、アイドルばりのルックスと可愛い笑顔、そしてそれに似つかわしくない気の強さを持った女の子だった。1年生の頃は何かというと泣いてばかりいた彼女だったが、2年、3年と進むうちに成長し、気丈さが目立つようになった。よくよく思い出してみれば、最初の頃に彼女が流していた涙の殆どは、「悔し涙」だった。 高校卒業直後に僕の芝居に関わってくれていた頃の彼女は、いろいろと不手際の目立つ僕の集団運営に対して、彼女はいろいろとはっぱをかけてくれていた。 そして今、目の前の彼女は、ルックスの面ではその当時の可愛さを残しながら、そこにいる全員を圧倒して喋り続けた。それは、所謂‘管を巻く’という状態に近かった。酒を注文しては、二つか三つくらいの話題を繰り返し、吠えるように語り続けていた。
「私は頑張ってますよ。」と彼女は繰り返し言った。それは、その言葉通りなのだと僕は思った。現場に行けば、男も女もない。誰もが同じように重い灯体を持ち上げて高い脚立に上り、舞台上のバトンに吊り込まなければならない。どちらかというと背が低く、華奢な彼女にとってはそれは重労働であろう。体調が悪い日も休むことなく働き、現場の雰囲気をよくしようとして、他のスタッフにまで差し入れをし、旅公演では他の男性スタッフの下着の洗濯までした。1年の3分の2はそういう調子で働いている。 それは勿論、「いい舞台を作りたい」「役者を魅力的に見せるような明かりを当てたい」という一心である。 それでも彼女は、いまだにメインの照明プランを任せてもらえず、部下である年下のスタッフからはやっかみを言われている。プランを立てているベテランスタッフからは、「俺の仕事をとられる」と言われてプランの仕事を回してもらえず、部下のスタッフからは、彼女がその可愛さで周囲に媚びを売っていると思われて「あなたは狡い」という言葉を浴びせられた。彼女が、一スタッフにもかかわらず、僕達がテレビでよく知っているある俳優のお気に入りだったりすることなども、そういう見方を助長してしまっているのだろう。 他の現場スタッフからは評判がいいものの、同じ照明会社の中では、彼女はまさに孤立無援の状況に置かれているようだった。彼女が離婚した相手が同業者で、そのことで周囲から「さげまん」と囁かれたこともあったようだった。
そんな彼女が管を巻いても、それは当然許される行為であると、そこにいる誰もが思っていた。狭い業界では、とたえ酒の席であっても不用意に本音を漏らすことはできないのである。 現場でも、彼女は決して心に鎧を着ている訳ではないと思う。男も女もない中で、彼女なりに精一杯頑張って、彼女は今の地位を築いてきた。しかしそこには、彼女なりの周囲への気配りもあったと思う。ただ、それが同業者から見れば実に目障りに感じられた。ただそれだけのことである。 2人の女性が帰った後、彼女は「切ないですね」と漏らした。その女性は2人とも数年前に結婚し、子供も持っていたのだ。彼女はもうそういう世代だった。しかし、彼女は、「普通の幸せな人生」という選択肢を捨てていた。そうまでして、彼女は頑張っていたのだ。あらゆる局面で心に傷を負いながらも続けてきたのは、本当に舞台が、そして照明を愛しているからなんだと僕は思った。彼女が管を巻いていても、何故か後ろ向きの「愚痴」を語っているように感じられなかったのは、彼女が根本のところで仕事への、そして舞台への「愛」を持ち続けているのが分かるからなのだろう。
そんな彼女だが、今年下の舞台俳優に恋していた(このことも、部下の若い女性のやっかみの原因だった)。「彼を輝かせるような明かりを当てたい」と彼女は言った。2人の関係はそれなりに良好のようだったが、だからこそ彼女は照明の仕事に邁進していた。心も体もすり減らしながら、それでも彼女は楽しそうだった。 別れ際、彼女は満面の笑みで僕を見送ってくれた。それは19年前、初めて高校の教室で彼女と出会った頃と少しも変わらない、素敵な笑顔だった。けれど、その笑顔の裏側で、彼女は様々な地獄を見てきたのである。それを思うと、あの笑顔が作れる彼女の強さに、僕は敬服してしまう。
近いうちに、僕は再び彼女に自分の芝居の照明プランを立ててもらおうと思っている(勿論、「仕事」として頼むのだから、ギャラを払わなければならない)。その時、彼女が作る明かりには、彼女の「生き様」が反映されるだろう。勿論、僕の脚本にも僕の「生き様」の痕跡は残されている。 その時初めて、僕は彼女という人と真の「再会」を果たす。そんな人生もまた、素敵である。
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