思考過多の記録
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2004年05月18日(火) |
海の向こうの戦争2004その2〜醜い日本人〜 |
イラクでは相変わらず衝突が続いており、それはいよいよ自衛隊のいるサマワにも飛び火してきているようだ。昨日は、統治評議会の議長が爆殺される事件が起きている。 世間がGWに入った頃、例の人質だった方のうち2人が記者会見をした。また、その後2人はいくつかのメディアで話をし始めている。「自己責任論」を声高に唱えていた議員の中には、自らが年金を払っていなかったことがばれて、大人しくなった人もいる。3人が滞在費や飛行機代などを負担することを表明したこと、またいつもながらの世間の「熱しやすく、冷めやすい」性質もあって、彼等へのバッシングも一段落している。それでも、高遠さんはいまだに精神的なダメージが大きく、メディアに姿を現せないでいる。
彼女以外の2人の会見やその後のインタビューを見ていると、心配をかけたことについては謝罪したが、例の「国民(多くの人、または国)に迷惑をかけた」ということについては謝罪しなかった。一連のバッシングや当時の様子、現在の心境や意思について、自分の言葉でしっかりと語っていて、ちっともすまなそうではないところは立派だったと個人的には思う。それだけに、弁護士を通じて発表された高遠さんの短いコメントが、まるで犯罪者の家族のコメントみたいで、かえって痛々しさを感じさせる。
今回の一件は、僕達日本人のある特徴的な、はっきり言えば醜い一面をさらけだしたものだと思う。バッシング論には、奇妙なことに「自己責任」というきわめて欧米的なタームと、「国民(多くの人、または国)に迷惑をかけた」というきわめて日本的なタームが、何の躊躇もなく同居していた。「自己責任」の意味は、自立した個人が自分の行動や言動に責任を持つということである。それは彼等も重々承知していた筈だ。そのことと、国が在外邦人の身柄の安全を確保することとは全く別の問題だ。それはまさに国家の義務であり、「国の方針に反対しているのに、国に助けてもらおうというのは虫がよい」などという見方は当たらない。
彼等は自分の意思と責任で、自衛隊さえも行けない場所へ行き、イラクの一般の人達の力になるために活動しようとした。その彼等を「自己責任」というタームでバッシングする人達の本音は、 「あなた達が勝手にやったことなんだから、自分達でどうにかしてよ。その尻ぬぐいのために、俺達の金を使わないでくれよ」 ということなのだ。言い換えれば、彼等は「自分で勝手に」危険な場所に行ったという「自分勝手」の「責任」を取れということなのである。その考え方が出てくる背景には、まさにイラクのことなど(石油を除いて)自分達とは関係がないという「自己中」的な思想がある。口では「早く平和が来てほしい」などと言ってみても、腹の底では「どうでもいい」「火の粉が飛んできてほしくはない」と思っている。そんな日本人の冷たさが、彼等をバッシングする態度につながっているのだ。 例えて言うなら、募金箱を通り過ぎる人間の心理に似ているかも知れない。危険な場所で募金を呼びかけていて、勝手に事故にあった人達のことなど知ったことではない、といったところだろうか。
もしも日本人が本当に「自己責任」で動く自立した個人の集まりだったなら、「国民(多くの人、または国)に迷惑をかけた」などという前近代制丸出しの言葉で、しかも「みんな」で3人をバッシングすることはしなかったであろう。 「国の政策を批判しておいて、国に助けを求めるのはおかしい」という意見の背景にあるメンタリティも同じだ。結局は「国」(=共同体・ムラ)から自立できていない人達が、その「国」(=共同体・ムラ)を隠れ蓑に、3人の国の政策に反した行動(と彼等の目には映る)そのものを攻撃しているに過ぎない。そこに、いかにも現代的な「自己責任」というタームを持ってきて、新しい視点からの批判のように装ったのだ。それを結構多くの人達が受け容れてしまったらしいところに、僕はこの国の病を感じずにはいられない。
自民党の柏村武昭参院議員が、3人を「反日分子」呼ばわりしたことは記憶に新しい。一見すると戦前の発言かと思ってしまうようなこの発言を、あの代議士はいまだに撤回していないが、それでもなお現職にとどまっていられるのは(個人的には、議員辞職に値する発言だと思っている)。あの3人を批判する人達の多くの「本音」を代弁しているからであろう。そう、まさしく彼等は「国」に刃向かう人間として断罪されたのだ。「自作自演説」などはまさにその悪意の表れである。 彼等がかくも声高に、かつ大胆に、3人を潰しにかかれた理由はここにある。繰り返しになるが、彼等は「国」(=共同体・ムラ)と一体化しているのである。それは、「自己責任」を伴った「自立した個人」の言動ではない。何かいわれれば、 「みんながそう言って(思って)いる」 ということになるような性質のものなのだ。
もしあの3人がイラクで人質にならなければ、こんなにもあからさまに日本人の本質が世界に向かって明らかにされることはなかったかも知れない。その意味でも、あの人達の「功績」は大きいと言えるだろう。「国際化」や「普通の国」といいながら、実は戦前と何も変わっていないのが「田舎者」の発想しかできないのが日本という社会の現実なのである。最近のその他の動き(日の丸・君が代をめぐる東京都教育委員会の対応など)を見ていると、日本社会のあまりの醜さに、本当に絶望的な気分に打ちひしがれてしまう。 そんな中、まさに「自己責任」で、自分自身の考えで、イラク人の役に立とうと彼の地に赴いた彼等のような人達が存在していることが、僕には救いに思えるのだ。 彼等は何も悪くはない。僕は彼等を誇りに思う。もしまだあの3人に対する日本社会というムラからのバッシングが今後も続くようであれば、僕は何か具体的なアクションを起こそうと思う。
しかし、それ以前に、僕達はこの騒動を忘れてはならないと思う。あの時このムラ社会が見せた醜い顔をしっかりと記憶しておくことが、この先僕達が道を謝らないためのひとつの重要な道標となるかも知れない。
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