思考過多の記録
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2002年09月19日(木) 浅い眠り

 そういえば、最近よく夢を見ると思っていた。自分が持っていた「夢」は、その多くが実現しないままに捨てられたり、忘れ去られたりしているのにもかかわらず、どうして寝ている間の夢だけはよく見るのだろうと思っていた。
 それはどうやら、眠りが浅いということの証明であるらしかった。



 先週末からなかなか微熱が下がらず、しかしこれはいつもの風邪だろうと思っていた。折しも職場で僕の目の前の席にいる人が、ここ数週間ずっと風邪をひいていて、微熱を押して出社し、咳き込みながら仕事をしていた。だから、てっきりそれをうつされたのかと思ったのだ。
 しかし、ある程度安静にしながら市販の風邪薬を飲んでも埒があかない。そこで、近所のかかりつけの医者に行った。医者の診断は、「自律神経失調症」というものであった。



 その病名は僕にも聞き覚えがあった。自律神経、その名の通り僕の意思や意識とは無関係に体の各系統の動きを司っている神経の活動が異常を来す病気だ。最近脳に関する本を読んでいて思うのは、人間の体は24時間知らず知らずのうちに、実に様々な外側からの刺激を受け、それへの対処を迫られている。そのいちいちを意識して行っていると、とてもじゃないが全てに適切に、かつ迅速に対処することはできないだろう。というわけで、人間の体の中には、勝手に判断して勝手に動いてくれる仕組みができあがっているというわけだ。僕達の意識は、その上に乗っかっているに過ぎないとも言えるだろう。
 普通は個体の生存のための最適な方法を見出しながら動いてくれているこの自律神経に、どうかすると狂いが生じる。そして、外界の環境や刺激に対して必ずしも適切でない命令を出し始める。この状態が「自律神経失調症」というものである。
 僕は医者ではないので正確な説明ではないのだが、概要は多分こんなところであろう。



 自律神経を狂わせる原因としては、睡眠不足・不規則な生活・ストレス等々が上げられるそうである。不規則な生活というのはさほど当てはまらないとは思うが、睡眠不足とストレスは確かにあると思う。仕事はきつくなっているし、残業や組合の会議で帰宅遅くなれば、それだけ食事の時間も遅くなるし、就寝も遅くなる。また、就寝までの時間が短くなってしまうので、どうしても直前まで神経が高ぶるようなこと(新聞を読んだり、こうして文章を書いたり)をしてしまいがちになる。そうなると、寝付きは悪くなり、眠りが浅くなる。起床時間を変えるわけにはいかないので、結果的に睡眠不足になるというわけだ。
 理屈では分かっていても、このパターンを変えるのは容易ではない。暫く仕事から遠ざかることができればよいのだが、ご多分に漏れずうちの会社でも人員は減る一方なのに、仕事の量はさほど変わらない。一人がこなさなければならない仕事の量は増えているのに、締め切りは変わらない。しかも、組合の会議で話される会社の経営状態に関する情報は悪いものばかりだ。
 ストレスも溜まろうというものである。
 「生活習慣病」という位置付けだからなのか、医者からこれといった薬は処方されていない。



 それにしても、自分の意思ではコントロールできない神経が、勝手に自分の正常な状態を維持してくれていて、なおかつそれが勝手に狂って暴走を始めるということになると、一体この体は誰のものなのかと思ってしまう。しかし、考えてみると、人間以外の生物はおしなべてそんなものなのだろう(他の生物には自律神経失調症は発症しないと思うが)。人間は、その上に「意識」という(やっかいな)おまけが乗っかっているというだけのことなのかも知れない。
 何しろ自分の意思で正常に戻すことができないものである。僕には正常化の手助けをするように努力することはできるだろうが、どこまですれば元に戻るのか、皆目見当もつかない。僕の自律神経の暴走はいつまで続くのか。過去と現在、空想と虚構がない交ぜになった、コントロール不能な夢の世界を連れて、浅い眠りが今日も僕に訪れる。


2002年09月17日(火) 「正しい」怒り

 世間の耳目は、今日1日「歴史的な」日朝首脳会談に集まっていたようである。微熱と薬で浮かされた頭で、僕もついついテレビの画面に見入っていた。平壌の空港に政府専用機が到着し、厳しい表情の小泉‘ライオンハート’首相が降りたって、大きなリムジンで会談場所に消えていくところから、いつもの作業服のような出で立ちで金正日主席が握手を求めるところ、会談を始める前のがらんとしたテーブルで、金主席が小泉首相に向かってやや硬い表情で歓迎の言葉を述べることろ、会談を終わった両首脳が「平壌宣言」に署名するところ、そして、夜の総理の記者会見。そしてまた、その間に挟まれる、拉致被害者の家族達の会見。
 会談の結果は、何から何まで僕の予想を遙かに超えていた。



 この会談の中身や歴史的・現実的意義については多くのマスコミが今の瞬間にも数々の論評を流しているし、明日以降も多くの文章やコメントが発表され続けるだろう。僕が今日見ていて、というよりも、首脳会談が決まってからこの方ずっと気になっていたのは、拉致被害者の家族の人達の言動である。ことに今日、ほぼ全員の安否が明らかになり、生存者よりも死亡した人の方が多くいたという事実が伝わってからの彼等の反応については、是非一言言っておかねばならないと考えている。反発を覚悟で書かせてもらうが、はっきり言ってこれは彼等と同じ国に暮らす者としての、彼等に対しての批判、ないしは違和感の表明である。



 北朝鮮のとった行動は、確かに許し難い。一国の機関が組織的に他国の国民を拉致し、あまつさえその命を奪うなどということは、正当化の使用もない蛮行である。どれだけ批判されても仕方がないだろう。また、これまで二十数年間にわたって安否を気遣い、生きて再会できる日だけを楽しみに過ごしてきた家族にとっては、肉親が他国でどうすることもできないまま殺されていたなどという事実を前にしては、言葉に表せない思いに打ちひしがれるに違いない。これほど理不尽なことはない、と怒りを抑えられないのは、人間として当然ではある。
 しかし、この誰にも異論の挟みようのない、絶対的に正しい「怒り」を垂れ流すテレビ画面を見ながら、僕はどうしようもない違和感をおぼえてしまったのだ。それはまさに、彼等の「怒り」が反論を許さない程の絶対的な「正しさ」を無条件に与えられていることに対しての違和感だった。



 彼等の絶対的に「正しい」怒りをもって主張されていることの中身を冷静に分析してみると、そこにはこれまで何も行動をとってこなかった我が国の政治家や政府に対する怒り(それは、彼等にとっては「国家不在」という言葉に置き換えられるような感覚である)にくわえて、こんな犯罪を犯した北朝鮮という国家に対しては、過去の償い(=補償)も、国交正常化さえも必要ないとするような、あからさまな「嫌朝」とでもいうべき考え方である。
 そうなる気持ちは十分に分かる。だがしかし、僕が危惧するのは、彼等の多くが所謂戦前の「朝鮮蔑視」の教育・価値観の中で育ってきた世代であり、そのことが今回の一件で形を変えて表に出てきているきらいがあるということだ。彼等の中では、いつの間にか「日本(国)」が「朝鮮」に被害を受けた話になっているようなのだ。彼等の会見の中に「国家」「日本の国」という言葉が頻繁に出てくることが、このことを裏付けているように思われる。



 北朝鮮の弁護をするつもりは毛頭ないが、彼等は過去の過ちを一応認め、一定の情報を開示した。それが彼等の外交上の必要性に迫られたものであっても、拉致の事実を認めたことは大きな変化であり、前進だといっていいと思う。全員が生きていなかったからという理由で、「それは前進ではない。したがって、国交正常化交渉をするべきではない」とする彼等の主張は、感情的には理解できるが、長い目と広い視点から見た時にはむしろこの国と極東アジア地域の安定にはつながらない。
 感情論で北朝鮮を悪者扱いし、彼等を排除しようとするだけでは、何も解決しないどころか、むしろあの国を政治的に追いつめることになる。そうなれば、それこそ何をしでかすか分からない。評価すべきは評価し、事実関係の解明や責任の追及、家族に対する謝罪と補償などは今後の交渉に委ねるのが「外交」というものであろう。



 拉致被害者の家族達の震える声や涙を見ていると、僕はあの世界貿易センタービルの被害者達と、その背後の「アメリカ国民」を思い出してしまう。彼等の怒りはあまりにも「正しい」ので、誰も反論ができない。9.11の場合、その「正しい」怒りの延長線上に「報復」という名の対テロ戦争があったのである。
 感情が「激情」の類である時は特に、多くの場合それが絶対的に「正しい」ということはない。今度の事件の場合、あの家族達が「正しい」怒りとともにまき散らし、テレビのコメンテーター達が煽った「嫌朝」、すなわち(北)朝鮮敵視の感情が、メディアを通じてこの国の人々に浸透し、何事かが起きる土壌を形成するのではないかと、僕は強い危惧を持っている。それでなくてもまだまだ朝鮮人に対する蔑視が抜けない僕達日本人のそのいわれのない偏見に、彼等の「正しい」怒りが「正当」な理由を与えることになりはしないだろうか。その結果、またしても朝鮮人と日本人が互いに憎み合うようなことになってしまうのではないか。



 たとえそうなっても、それはあの国の蛮行が招いた当然の結果だと、あの家族達は言うのだろう。成る程、肉親を奪われた彼等の「正しさ」の前に、僕の反論は全く無力になる。
 では、あの国から第2次大戦の前後にこの国に強制的に連行され、過酷な労働に従事させられたり、従軍慰安婦として働かされ、命を落とした肉親を持つあの国の人達の「正しい」怒りに対して、彼等は、そして僕達はどう反論するというのだろうか。



 僕はあの家族達を批判してきた。しかし、彼等の背後に「拉致議連」と呼ばれる、この問題を北朝鮮(共産主義)排除とナショナリズムの高揚に利用しようとする国会議員達がいることを見落としてはならないだろう。


2002年09月12日(木) 9.11〜世界は変わってはいない

 9.11から1年が経過し、どこのマスメディアでも特集を組んでいる。あの日、僕もこの日記で「海の向こうで戦争が始まる」と題した文章を書いて、「世界は変わってしまった」というようなことを書いたと思う。マスコミの論調も、事件の直後も今も変わらずそれと同じニュアンスのフレーズを繰り返す。けれど、1年たって思うことは、果たして本当にそうなのか?ということだ。



 あの時、僕もテロリスト達の派手な手口に目を奪われてそう感じてしまったのだが、考えてみればあの種のテロ攻撃は、これまでも地球上のあちこちで何度も何度も繰り返されれてきた。時にはアメリカ自身がテロを仕掛ける側に回ってもいたのだ。ただ、その規模と方法、そして他ならぬアメリカの中心部を直接ねらったということにおいて突出していたというだけのことだ。そう考えると、あの時のアメリカのヒステリックな反応は些か度を超していて、それにつられてアメリカ以外の国々に住む人々も、何かこれまで経験もしたことのない黙示録をリアルタイムで体験したかのような錯覚に陥っていただけなのだともいえる。
 事実、あの後、「テロとの戦い第1幕」と勝手にアメリカ自身が名付けた「戦争」によって、アルカイダとはおそらく直接関係ないだろうと思われる無垢の市民がアフガニスタンで殺された。勿論その時も、かの地の人々は嘆き、悲しみ、運命を呪った訳なのだが、それとアメリカの同時多発テロとは本質において同じといってよく、それが9.11程世界中に衝撃を与えず、広く「同情」をひかなかったのは、ただただそこがアメリカではなかったからなのである。もし誤爆によって多くの犠牲を払ったあの国が、アメリカに対して報復を宣言したとしたら、それは即座に国際社会からの非難を浴び、政治的にも軍事的にも葬り去られたであろう。
 アメリカが「テロ組織を支援している」という理由で、国連の支持なしにアフガンに対して行った軍事作戦が「報復」として国際社会から認められたのは、ただそれがアメリカによって行われたからに過ぎない。そして、このような一人勝手が許されてしまうのは、その国がアメリカだからなのである。もし中国が、テロ以降のアメリカと同じような行動をとったらどうなるかを考えてみれば、僕の主張はあながち的はずれではないことは分かってもらえると思う。



 9.11の前と後で、世界は変わりはしなかった。暴力と、嘆きと、憎悪はあの日の前にも後にも存在し続けている。もし何か変わったことがあったとしたら、逆上した超大国が力によって「敵」を叩き潰すという、まるで19世紀のような図式が再現され、これに気をよくした超大国が、そのほかの場面でも、「力」を背景に国際秩序を無視して手前勝手に振る舞う姿が頻繁に見られるようになったということだろうか。
 あの国は「悪の枢軸」といくつかの国を名指しで批判する。けれど、僕に言わせれば、今やあの国こそが世界の「癌」である。少なくとも彼等は、世界の少なからぬ国々の少なからぬ人々から、あの事件の後も自分達が嫌われ続けているということに対して、もう少し敏感になった方がよいのではないか。



 世界貿易センターの跡地で涙に暮れる事件の犠牲者の遺族達の映像を見ても、どうにも同情の気持ちが湧いてこないのは、あの事件の後、彼等の国がとった行動に対して全く賛同できないからである。同胞の犠牲に対する悲しみと報復の成功の高揚感に酔いしれる暇に、自分たちの国の軍隊によって殺された世界中の多くの人々に対して思いをいたしてはどうだろうか。
 それこそが本当の意味でテロの犠牲者達の死を無駄にしない方向に世界を導くと思うのだ。



 大統領は、多くの人々の懸念をよそに、新たな戦争の開始を宣言した。彼と彼の政府は、まだ自分達利益のためにあの事件を利用しようとしている。それが許されるのは、彼等の政府がアメリカ政府だからである。
 そう、世界はあの事件の後も、呆れる程変わってはいない。


2002年09月08日(日) 絶大なる信頼

 宇多田ヒカルが結婚するという発表があった。相手はこれまでCDのジャケットやプロモーションビデオを手がけてきた写真家・映像ディレクターだという。映画監督や劇団の演出家と主演女優がくっつくのと構図としては同じだ。すなわち、素材と表現者の関係である。
 結婚に際してヒッキーが出したコメントには、
「互いに絶大なる信頼を置いて今回の決定に至りました」
という趣旨の言葉が入っていると報じられている。
 一方、件の写真家のコメントの中には、
「自分が本当に守りたい人だと思った。」「これからはより力を得て仕事ができる」
という内容の言葉があるという。



 確かに、表現者と素材になる人とが互いに信頼し合っていないと、いい表現はできない。そして、お互いがより深く知り合えば合う程、表現としても深くなっていくだろう。やがて、表現の「素材」としてのその人と、その人本人との境目がなくなっていく。「素材」としての良さを引き出すことが、その人本人の良さを発掘する作業に変わっていくのだ。その過程で、両者の間にある種の「共犯関係」から派生した「絆」めいたものが形作られていくのだろう。
 ヒッキーと写真家との間でそうした関係が醸成されていき、それが「恋愛」に形を変えていったことは想像に難くない。むしろそれは、ありふれた構図である。



 どんな形にせよ、お互いの間に「絶大なる信頼」が生まれるというのは羨ましい限りである。自慢ではないが、未だかつて他人から「絶大なる信頼」を寄せられたことはない(本当に自慢ではない)。僕が演出・主宰として芝居を仕切った時も、周囲は決して僕を全面的に信頼してはいなかったと思う。そうするには、僕はとても危なっかしく、また頼りなく見えていただろうし、事実そうであった。そして、本当の演出家や主宰はそう思っていることを暴露してはいけないのだが、ここにこんなことを書いてしまうこと自体、信頼を寄せられるに足る存在だとはとても言えないことの証左となってしまう。
 勿論、ことは芝居の現場だけに限らない。日常においても然りである。いや、むしろ日常の方がずっとこの傾向が強いかも知れない。



 一方、僕にも本気で守りたい人はいた。けれど、その人はまさに今述べたような存在である僕に「絶大なる信頼」を置きはしなかった。この人に自分が守れる筈はないと、おそらく彼女は直感で分かっていた。そして、彼女は別の男を選んだのだった。
 実際のところ、僕に彼女が守れたのかどうかは大いに疑問である。しかし、問題は彼女に信頼を寄せてもらえなかった自分である。この人なら大丈夫、と相手に思わせるものは何か?僕に欠けているものはそれだ。
 それを手にするまで、僕はありふれた構図にすら持ち込めない。


2002年09月01日(日) 履歴書の空白

 先日、ある事情があって、と隠す程のことでもないので有り体に書くけれど、「見合いの前段階」の話があって、久し振りに履歴書なるものを書いた。僕がこの前にこれを書いたのは今の会社に入社するときだから、かれこれ11年前になる。



 書いてみると、想像していたことではあったが、これがやけにすっきりとしているのだ。項目としては、学歴・職歴・資格・趣味といったあたりになるのだが、これが11年前と驚く程変わっていない。変わった所といえば、当然だが職歴ができたこと。それだって入社してからこのかた部署の異動すらしていないのだから1行で終わってしまう。普免以外はこれといった資格らしきものを全く持っていないのも、この11年間変わっていないところだ。



 我ながら何とつまらない履歴だろうと思う。この11年間というもの、僕は一体何をしてきたのだろうか。自分をグレードアップするために切磋琢磨し、その結果としての資格や履歴を得たわけでもなく、ただ漫然と過ごしてきてしまったかのようだ。
 さて、僕が書くより前に届いていた相手の女性の履歴書を見てみると、短大卒業後に職をいくつか経験し、退職から再就職の間にCGの専門学校に通い、現在も仕事をしながら資格のための学校に通っている。司書や秘書の資格も持っている。それらが全て身になったのかどうかは別にしても、いくつかのことに挑戦しながら精力的に自分を磨こうとしていたことは伝わってくる。そんな彼女なので、趣味も芸術系でいくつか持ち、聴く音楽はジャズであった。



 では、彼女が職を変えながらいろいろなことに挑戦していた頃、僕は一体何をやっていたのだろうか。仕事に追われながら、何とか芝居ができないものかと模索しつつ、それまでの仲間と別れ、知り合いの伝手を頼って小さな芝居を打ったりしていた。大学時代の友人から誘われて、役者としてCSのドラマ?に出演すること2回。後輩の紹介で、やはりCSの報道番組でナレーションの仕事をすること数回。また、いくつもの失恋を重ねた。
 けれど、そうしたことは当然ながら履歴書には現れてこない。例えば僕の脚本が何かの賞を得たり、また、テレビの仕事で定期的に収入を得られるようになったりしていれば、それは履歴書に書くことができるだろう。つまり、僕のしてきたことは、ことごとく世間的に認められていない、表立たない活動だ。この「思考過多の記録」も、ささやかな僕の能力を発揮する場所なのだが、ごくごく限られた人だけが相手だ。仕事の方でも、スキルアップを図ってアフターファイブに学校に通うなどという職業人らしいことはしていない。ただただ、日々することに追われてきただけである。



 履歴書に現れた僕は、平々凡々たる、何の面白みもない存在だった。趣味の欄に「演劇」と一言書けることくらいが、かろうじて他人との差別化を図れる部分だろう。とはいえ、その一言だけでは、とても僕という人間を表現することはできない。
 いや、そもそも取り立ててアピールするべきところなど、僕にはないのではないかとも思えてくる。履歴書の空白は、そのまま僕自身の空虚さの現れなのかもしれない。履歴書に現れない自分らしさ、自分の良さがあるなどというのは、きっと思い上がりの類なのだ。他人に説明できない良さなど、あってないようなものである。少なくとも、そんなものは就職や見合いには無力だ。



 履歴書の空白を評価できるのは、その人との関係性の中においてしかあり得ない。そこで初めて、履歴書の記載されていることの背景と併せて、僕達は相手の人間性を知ることができる。「人物本位」の採用が叫ばれるものそのためだ。
 そして、そこにおいてこそ、僕達は相手との「相性」を語ることができる。



 多くの履歴を書き連ねたその女性側からの連絡はまだない。おそらく履歴書の空白を僕という人間の空虚と読み替え、それを補って余りある外見とは程遠い写真を見せられて、興味を失ったのではないかと推測される。
 そして僕は、賑やかな経歴の持ち主であるその女性と何らかの関係性を持つ可能性を失った。


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