思考過多の記録
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先日、ある知り合いに8年程前に僕が書き、仲間と上演した芝居の本番を収録したビデオを見てもらった。それは当時の演劇の主流だった「小劇場」の作劇法の文法に則って書かれ、同じくそれに則った演出と演技方法で作られたもので、現在ではやや手垢が付いて古びた感が否めないものだった。 僕自身は今でも小劇場的手法への愛着は持っているのだが、流行遅れの服を着続けることがみっともないのと同じように、かつて主流であればある程陳腐化も激しいものだ。客商売である以上、アピールしないことをやり続けても仕方がない。そんなこともあって、前の集団を解散して以来、僕はその手法を封じ込めてきた。 また、その後その当時の仲間といろいろあったこともあって、僕はその芝居のビデオを見なくなっていたのだ。
けれど、映画は好きでも演劇事情にはさほど明るくない、現代の若者である彼女は、役者・スタッフワークのトータルの面でその芝居がいたく気に入ってしまったという。それは、彼女の中にある「芝居」のイメージ(それは所謂「新劇」のそれであったり、三谷幸喜的な何処か「ドラマ」っぽい芝居のそれであったりする)を覆すものだった。同時に、作者である僕が当時造形した主人公の女性(20代OLという設定)に、非常にリアリティを感じたといい、その当時のやり方であるメーキャップを覗いて、主人公とその物語は全く古びていないと言い切った。 「もし今、平々凡々と暮らしている同じくらいの女性が見たら、凄く伝わるし、訴えるものがあると思う。そういう人の感覚が生々しく描かれていると思う。」 そう彼女は言った。 この主人公の存在が、ともすればお伽噺の焼き直しになってしまいそうなその芝居の物語を、ぐっと見る人達の世界(現実)に引き寄せている。これが彼女の分析であった。
この芝居は、女性の側から見た恋愛の問題を全面に出していることもあって、上演当時から若い女性の評判がよかった。しかし、それから8年を経て、今この時代に当時と同じ世代の女性から評価されるとは予想もしていなかった。作者としてこれ程の喜びはない。 創作活動を行う人間の多くが、時を超え、国境を越えてその作品が生き続けてくれることを願っている。大芸術家の多くが、存命中は不遇でありながら、その死後かなりたってからその作品が評価され、国を超えて多くの人々に愛されている。芸術家は死んでも、作品は生き続けることができたのだ。けれど、それは世界にあまた存在する芸術家のうちの、ほんの一握りの才能ある人の話だ。大多数の芸術家は、存命中は勿論のこと、その死後においても決して評価されることはない。それどころか、未来永劫、その人自身およびその人の作品の存在が、その人の半径数百メートルの範囲内でさえも知られることはないだろう。 枯れてしまった花は、咲いていなかったも同然なのだ。 と、これは僕が10年程前に作った戯曲中の言葉なのだが、おそらく当時この芝居の舞台に立った者でさえこの言葉の存在を忘れ去っているだろう。つまり、そういうことである。
後世に残そうなどと下心をもって作品に挑んではならない。そんなことは自分が望んで叶う性質のものではないのだ。 そして、だからこそ、こうして思いもかけず自分の紡ぎ出した物語やその作中人物が、高々数年とはいえ、時を超えて見知らぬ誰かの心にある種のインパクトを与えたことは、僕にとってはまるで天からの贈り物のように、何物にも代え難いことのように思われるのである。
そんなこともあって、僕は近々、殆ど忘れ去っていたこの物語の続き、主人公の「その後」を、何らかの形で描きたいと思っている。それは、昔を懐かしむ気持ちからではない。知り合いの女性のおかげで、その主人公と自分との、当時とは違う接点に気付かされたからである。 僕の中でも、時を超えてあの主人公が甦りつつある。
この物語「私の国のアリス」は、僕と僕の仲間のこれまでの演劇活動をまとめたサイト
http://chiba.cool.ne.jp/fbi_kk/
に物語の概要や上演記録が載っている。ご用とお急ぎでない方は、一度覗いてみていただきたい。
今年の夏休みは、時間が止まったように過ごした。例年ならば蒸し暑い日本を抜け出すところだが、今年はそうはしなかったということもある。そして、その代わりになるような大きな予定を何も入れなかった。 実は、夏休みに入る前には、普段はまとまった時間がとれないためにできなかったことをいくつもやろうと思っていた。しかし、こうして休みが終わってしまう夜になってみると、そのうちの半分も実行に移せなかったことに気付いた。
僕がやろうと思っていたことを全て実行するには、どうやらまだ休みが1ヶ月は続かなければならないようだ。かといって、もし本当にそんなことになれば、僕は最初の10日間を無為に過ごし、結局はやろうとしたことの半分は実行できずに終わるかも知れないと思う。そうやって手つかずのことが溜まっていくことが、僕にとっては逆に生きていくことの励みになっているのだろう。
けれど、それはそれで狡い生き方なのだということも、僕にはよく分かっている。こなせなかった宿題の多さを可能性の大きさと同義だと思い込むことができれば、自分の実際の姿に目を瞑りながら、僕はいつか幻の潜在能力が開花する日を夢見続けることができる。そうすることで初めて、僕は退屈で過酷な「日常」を生き続けるための気力を保ち続けることができるのである。
明日になれば、僕はまた否応なくあの「日常」の喧噪に巻き込まれていくことになる。そして、解きたくもない多くの宿題を日々背負わされることになるだろう。その中で、僕は自分が本当にしたかったことを徐々に忘れていく。 そうして、僕の中のある部分が確実に朽ち果てていくのだ。それでもなお、僕は本当はできるであろう筈のことを数え上げながら、自分の可能性の大きさを夢想し続けるのであろう。 繰り返すが、そうすることによってのみ、僕は「日常」を生き続けるのだ。
かくして、僕の何でもない夏が終わっていく。
昨日NHKで放映されていた、太平洋戦争中の軍部の内部事情に関してのドキュメンタリー番組を見た。 台湾沖航空戦と名付けられたその戦いは、アメリカ軍の空母部隊を殲滅することが目的だった。しかし、それ以前の戦いで空母や戦艦の多くを失っていた日本軍は、海軍力によって作戦を遂行することは初めから不可能だった。やむなく海軍の作戦参謀は、航空力、すなわち戦闘機のみによって空母を含むアメリカの大艦隊を攻撃したのだった。その結果は、僕達の誰もが予想する通りである。日本側は多くの戦闘機と人命を失ったが、アメリカ側の被害は皆無と言ってよかった。 そして、それにもかかわらず、現場の「推測」によって「戦果」が作られ、(「火柱を確認」→「撃沈」)それが大本営発表という確定的な「情報」となった。そして、間違った「戦果」(「アメリカの空母部隊は壊滅!」)という情報に基づいてそれ以降の作戦が決定され、その結果日本軍は泥沼にはまっていく。それは、レイテ島等南方での玉砕を経て、東京大空襲・沖縄戦・広島・長崎につながっていくのだ。
正確な情報が伝えられ、それが分析されていれば失わなくてもすんだ筈の命が、こうして無駄に失われていった。勿論当時の技術的な問題もあっただろう。しかし、正確な情報よりも、自分達が望む幻の「戦果」をひねり出せる報告を求め、それを検証もせずに得々と発表していた当時の軍部の体質こそが、この事態を招いた元凶である。それはまた、陸軍対海軍という殆ど不毛の対立にも起因していた。海軍側にしてみれば、情報を検証した結果、戦果を小さく訂正しなければならないことになれば、「面子」に関わるというわけである。同様のことは陸軍側にもあったであろう。 本来は国民の生命と国土を守るために存在していた(実際は必ずしもそうではなく、「国体」という名の天皇中心の国家体制を守るのが第一目的だったのだが)筈の軍隊が、あろうことか自分達の組織の「面子」を守るために、真実をねじ曲げ、幻の「戦果」を競っていたのだ。これでアメリカとの戦争に勝とうというのは、どだい無理な話である。そのおかげで犠牲になった兵士達や一般国民こそいい面の皮である。 もっとも、当時の指導層に冷静に情報を分析する態度と能力があったら、そもそもアメリカとの開戦を決定したりはしなかっただろう。
現実から目を背け、嘘と虚勢を貫き通し、綻びが出ればその場その場で取り繕っていく。そんなことが長続きしないのはだれでも分かっている筈である。にもかかわらず、人は現実が自分の手に負えないとき、または現実と向き合うのがしんどいとき、この手法に逃げ込む。 しかし、その末路はたいていの場合悲惨なものだ。誤魔化し続ける期間が長くなればなる程、また現実との乖離が大きければ大きい程、傷口はどんどん広がっていくのだ。 自分にとってどんなに都合が悪いことでも、現実を認め、それに如何に対処すべきかを早い段階で考えることの方が、結局はよい結果をもたらすのである。
この話は日本軍のケースだったが、どうも大きな組織になればなる程、特にその運営に当たるトップクラスの人達はこの種の過ちを犯す傾向にあるように思える。組織を壊してはいけない、誤りを認めてはいけない、そういう防衛本能がそうさせるのだが、それがかえって組織を危うくする。そして、そのとばっちりを食うのは、いつも組織の平の構成員達やその周辺の弱い者達なのだ。
番組が終わって、他局のニュース番組にチャンネルを合わせると、牛肉の偽装買い取りおよび証拠隠滅事件で、日本ハムの経営陣が「お詫び」の記者会見を開いていた。子会社の不正から本体を守ろうとする彼等の言葉は、時代を超えても日本軍的体質は生きているのだということを雄弁に物語っていた。 これは、この国に特徴的な性質なのであろうか。
王様が裸である時、誰がその事実を告げられるだろう。 結局みんなが表向きは「王様」を守ろうとしながら、その実は自分自身を守ろうとしているにすぎないのである。そう、殆どの場合、責任者達は無責任である。そして、その結果に対する責任が問われないのもまた、この国の人々の長年の体質のようである。
昨日、母方の祖父母の墓参りのために、強い日差しの中、両親と一緒に久し振りに車で40分ほどの霊園へと向かった。行きと帰りは別々の道を通ったのだが、そのどちらもかつて何度も走った道であった。また、その途中には、僕の高校・大学生時代のテリトリーだった懐かしい街があった。 道路の両側の風景は、全く変わってしまったところもあれば、以前と変わらず懐かしいたたずまいを残している場所もある。また、あった筈の建物がなくなっていたり、新しくマンションが建っていたり、店が変わっていたりと、部分的に変化している場所も結構あった。
自分の身の回りや生活圏は、当然のことながら常に目が届いている、だから、変化していく過程を見ることができる。しかし、自分の生活圏自体が変化し、その場所から自分の存在が消えてしまうと、自分の中でその場所の時間は止まる。自分が見ていた最後の風景のままで、その場所は変化を止める。 けれど、現実の時間はどの場所でも同じように流れているのだ。僕がそこからいなくなった後も、あの街は変化を続けていた。そんな当然のことを僕達は大抵忘れている。
僕の卒業した高校のすぐ近くに、僕が高校2年・3年と同じクラスだった女性が住んでいる。誕生日まで同じということで意気投合した彼女と僕は、その後の10年以上の多感な時期を「友達」として送った。男女の間に友情は成り立つかという古くて新しい命題があるけれど、僕と彼女はそれがあることを証明した例だといっていいだろう。 けれど、そこには微妙に「愛情」の影も見え隠れしていた。そして、2人がその関係の形に名を付ける前に、彼女は「恋愛」を獲得し、結婚したのだった。
その彼女は今や2児の母となり、僕達が青春を謳歌した高校からさほど離れていない場所で生活を営んでいる。懐かしいあの街は少しずつ姿を変えていく。その変化する街の風景の中に、彼女の家庭が存在している。その彼女の生活も、子供の成長とともに日々変化している。彼女自身が、僕の中で変化を止めた時から変化を続け、もしかするとあの頃とは全く別人のようになっているかも知れない。 勿論、僕自身がそうであることも間違いない。
街も人も、変わっていくことは誰にも止められない。 初恋の人と何十年かぶりに再会してがっかり、というのはよくある話だ。 懐かしい風景や人を自分の中に封じ込めたら、その後の現実を見て悲しい思いをするよりも、止まってしまった時間を思い出として大切に自分の中にしまっておくのが正しい処世術というやつなのだろうか。 そんな感慨に浸っている間にも、風景も人も変わっていく。その現実から僕達は決して逃れることはできない。 友達と語り合った店は取り壊され、更地になった後には高層の建物が建築される。たまに出入りしていたその隣の本屋は取り壊された。そして、そのまた隣の別の店では、今日も誰かが友達と語り合っている。
そして僕は、いつの間にか変わっていくことに寂しさをおぼえる境涯に入りつつある。
2002年08月10日(土) |
「合理的」でないこと |
世間は間もなくお盆休みにはいる。そういう僕は一足先に会社が休みになった。ちょうど1年前には、会社の組合から派遣されて僕は長崎の地で原爆について思いを巡らせていた。爆風で半分が吹き飛んでねじ曲がったまま立ち続けるコンクリートの神社の鳥居や、途中から折れて横倒しになったままの学校の校門等を目の当たりにしながら、それまでは教科書やテレビの中に存在していた「長崎」という街と「あの日」の出来事が、突然実在感をもって僕の前に立ち現れるのを感じた。 そして今日、長崎市長が平和宣言で初めてアメリカを名指しで批判したというニュースを、蒸し暑い東京にいて遠い出来事のように聞いている。そしてそれすらも、田中真紀子氏の議員辞職のニュースの喧噪にかき消された。
6日の広島で式典に出席した小泉‘らいおんハート’首相は、その後の被爆者と直接話す会合に、歴代首相として初めて欠席し、さっさと東京に帰ってきた。その理由を問われた首相は、 「厚生大臣時代も来ているし、去年も来ている。去年も話は聞いているので、実情はよく理解している」 という趣旨の発言をしていた。
確かにそれはそうかも知れない。けれど、被爆国の総理大臣として、被爆者の声を1回聞いたからもういいだろうといわんばかりの対応は、果たして適切なのだろうか。 言うまでもないが、被爆した人達に直接の罪はない(結果的に侵略戦争に荷担していたという罪からは逃れられないけれど)。彼等の被爆は、日本が戦争をしなければ当然起こらなかった。ということは、彼等は国策の誤りによって生み出された犠牲者ということになる。日本政府には少なくとも半分の責任はあるだろう。それでなくても、被爆者への保証は現在でも決して十分とは言えない。 政府は道義的な責任を負っていると言うべきだろう。であるならば、政府の最高責任者=首相が毎年被爆者達の声に耳を傾け、現状と要望を聞くのは、当然の義務である。
被爆者達の話は、年寄りの繰り言のように聞こえるかも知れない。けれど、彼等の存在を国として忘れず、その声を尊重していくという姿勢を見せることが、国策の誤りによって人類史上希に見る惨劇の犠牲者にされ、辛酸を舐めさせられてきた彼等の気持ちを和らげ、心安らかに生きていくことにつながっていくのだ。 逆に言うと、今回の小泉の振る舞いは、被爆者を冷たくあしらったととられても仕方がない、相手の気持ちに無頓着な行動だったと言うべきだろう。
被爆者と政府の関係であっても、それは人間と人間との関係である。一度話を聞いたから二回聞く必要はないといった合理主義で片付けられる話ではないのだ。 就任して間もなく、国のハンセン病患者に対する控訴を取り下げる決定を下したのは、同じ小泉だった。あの時だって、「合理的」に考えれば、国としては控訴するというのが妥当な選択だった。彼はあの時、決定を下す前にハンセン病患者の代表者達と会って話を聞いている。彼は、患者達の「気持ち」をくんであの決定をしたのだと当時は思われていた。そして、それが彼の人気を支える一つの要因でもあったのだ。 あれは、実は単なるパフォーマンスだったのだろうか。
世の中には、理屈では割り切れないことが多々存在しているが、その多くには「気持ち」や「感情」が絡んでいる。人が人である以上、それはどうしても避けることはできない。これがあるからこそ、人間関係は多種多様・複雑怪奇の様相を呈し、物事は予期せぬ方向へと向かう。ひいてはそれが人間の社会や歴史の多様性につながっていくのだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのはどう考えても不合理な論理だが、実際にはこうした論理こそが物事を動かしているというわけだ。 と、評論家のように語っていられるうちはいいのだが、世の中がこれで動いている以上、僕達は否応なくそれに巻き込まれる。そして、同じように「気持ち」や「感情」によって物事の進む方向を微妙に変えていく。
被爆者達の証言、そして何よりその存在は、どんな理屈も超越して僕達の前にある。「戦争を早期に終わらせ、犠牲者の数をそれ以上増やさないためには、原爆の投下は必要だった」というアメリカ人の多くが持っている「合理的」な考え方に僕達が違和感を抱いてしまうのは、おそらくそのためである。
安室奈美恵の離婚騒動が報道されたのは先週のこと。今週もいくつかの女性週刊誌が‘真相’を取り上げていた。しかし、「日本中に衝撃が走りました」というお決まりのマスコミ用語とは裏腹に、僕の周辺では驚く程話題になっていない。数年前の「できちゃった結婚」の時の衝撃とは全く比べものにならないインパクトの弱さだ。この国における安室奈美恵という存在の質的な変化を象徴する出来事ではある。
これまで通り子供の面倒を見ると言いながらも、我が子の親権さえも手放すという彼女の今回の決断に対しては、その理由を巡って実に様々な説が流され、また様々なことが語られている。概して巷の反応は冷たい。けれど、‘真相’とやらは本人とその周辺しか知り得ないものだろう。 僕としては、彼女が中休み中に他のアーティスト(宇多田ヒカルや浜崎あゆみetc.)が台頭してきて、それに対して彼女が危機感とライバル意識を持っていたという説は、当たっているかどうかは別として、結構興味深いものがある。その説に従って考えれば、これは職業婦人の困難さという普遍的な問題とは全く別の次元の問題をはらんでいるということになる。 すなわち、表現者でいることと家庭人でいることとは両立するのか否か、ということである。
女性にとっては嫌な現実であるが、これは多くの場合、女性にとってのみ深刻かつ退っ引きならない問題として立ち現れてくる。「表現」というのは、言ってみれば日常生活とはかけ離れた部分で精神的・肉体的労力を消耗する。ましてや安室のように素材が自分自身だった場合、その労力は計り知れない。さて一方、家庭人として、すなわち母であり妻であることで家庭を維持していくためには、それはそれで大変な精神的・肉体的労力を消耗する。子供が小さくて、父親・母親とも働いていればなおのことだ。おまけに、家事労働の多くはどうしても女性が担うように仕向けられている。そして、この2つは全く違う次元の労力なのである。 「日常」を維持するためのルーティーンワークは、毎日際限なく確実に行わなければならないものである。これが「表現」を行う上で足枷になる場合が往々にしてあるのだ。勿論、日常生活の中に「表現」の素材を見いだす人達もいるだろうが、そういう人達でさえ、作品の制作過程にあっては日常を離れるであろう。興が乗ってきているときに晩ご飯の買い物の時間が来たからといっていちいち作業を中断していたのでは、いい作品を生み出すことはできないだろう。そもそも、作品の制作に没頭しながら晩ご飯のおかずを考えることなど不可能である。
僕は日常生活や家事労働が、「表現」活動に比べて価値が低いといっているわけではない。ただ、基本的に両者を完璧に両立させることは不可能だといいたいのだ。夫婦で「表現」活動をしているアーティストはどこのジャンルにも存在するし、子供がいる人だって勿論いる。けれど、大抵の場合、夫婦のどちらかが相手の仕事をバックアップしたり(ユーミンのケース等)、完全に主婦(または主夫)に徹していたりする場合が殆どだ。そうではなく、夫婦のどちらもが「表現」活動に打ち込んでいて、それぞれの活動がある程度軌道に乗っている場合は、所謂「仮面夫婦」の状態にならざるを得ない。俳優やミュージシャンの夫婦に離婚が多いのは周知の事実である。 もしその人が、「表現」活動よりも日常生活や子育て等に価値を見出しているなら、「引退」を選択することになるだろう。また、もしそれまでにある程度以上の支持を獲得し、配偶者の協力が得られるのであれば、家庭生活を営みながらマイペースで長く活動を続けていく竹内まりあのような選択肢もあり得るが、それは希なケースである。
安室の場合、一時的に「表現」活動をストップしている間に、ライバル達が次々と「表現」で成功していくのを目の当たりにして、やはり自己実現、すなわち「表現」活動の場にこそ自分の存在意義があるのだと再認識したのであろう。子育てや家事といった日常は、そんな彼女にとっては重荷にしか感じられなかったのかも知れない。 ならば、例えば夫が家事を分担して彼女を支えればうまくいったのかというと、それも違う気がする。たとえ物理的に「表現」を行うことが可能な状況におかれても、精神的なコンディションという面において、家庭という「日常」はやはり彼女の足枷になっていたのではないか。特に彼女のようなタイプの表現者は、「生活感」が出てしまうことが大変なマイナスになる。 うまくいえないのだが、「生活」には表現者が「表現」に向かう生気のようなものを奪い取ってしまう力があるようなのだ。それは、別次元へと飛翔しようとする者を地上に縛り付けようとする、非常に強い重力の地場のようである。
安室はその力を嫌った。ならば、何故子供を宿してしまったのだろうか。それは、彼女の認識不足としか言いようがない。彼女は、自分が作品という「子供」を産み落とすのと同じように、現実の子供を産み落とせばそれで済むと思っていたのかも知れない。しかし、言うまでもなく、現実の子供はその後に続く長い「生活」とともに生まれてくるのだ。そしてそれは、自分がその後も作品という「子供」を産み落とす作業を少なからず妨害することになる。おそらく彼女はそれに気付いていなかった。 子育てはかなりの程度自分を殺さなければできないものだが、「自分」が素材である表現者の彼女にはそれができなかったのである。
そして、彼女にとってのもうひとつの悲劇は、そうまでして戻ってきた世界で、表現者としての彼女のプレゼンスは以前とは比べものにならない程小さいものになっていたということだ。だからといって、ここまでの経緯が世に知れ渡ってしまった以上、家庭という「日常」に逆戻りすることはできない。 僕は彼女のファンでも何でもないが、そんな彼女を見ていると痛々しさと、何とも表現できない不条理を感じる。 彼女にとっては、これからが本当の正念場だ。 表現者としても、そして、1人の人間としても。
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