思考過多の記録
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2002年10月26日(土) あの帝国へ

 先週の金曜日から8日間、会社のリフレッシュ休暇を利用して中国に行って来た。 中国といっても広いが、今回行ったのは、来年ダムの建設が始まり景観が大きく変わるという長江中流域の三峡、上海、武漢、西安、そして北京と、所謂「入門コース」である。この駆け足の旅行の大雑把な印象だけ書いておきたい。



 まずは、何と言っても中国4千年の歴史である。その広がりもスケールも奥深さもさすが大国といえるものだった。各都市にある博物館に収蔵されている美術品、工芸品等の数も膨大なら、その作成技術の高さも並ではない。千年以上前に何故こんな物を作ることができたのか、という物が続々登場。今なおその作成方法が謎のままという物もある。
 大小様々の青銅器や陶磁器の構造の巧みさや装飾の細かさなどは言うに及ばず、西安で見た秦の始皇帝が作らせたという等身大の兵士や馬の埴輪がずらりと並んで壮観な兵馬俑坑(今も発掘、修復作業中で、いつ全ての作業が終わるのかは不明)や、6千キロ近くにわたって築かれた石の壁・万里の長城等々、当時の国力の強大さが桁違いだったことを思わせる。たまたま行く直前に読んでいた本に書かれていたように、日本などは中国という巨大な文化的・軍事的な帝国の周縁部分に過ぎないのだということを実感した。



 一方、現代の中国を象徴するような光景を僕は各地で見かけた。そのひとつは、狭い道と言わず広い道と言わず、横断歩道でも何でもない場所を続々と渡っていく老若男女と、スピードを殆ど落とすことなくけたたましいクラクションとともにその脇を走り抜けていく自動車やバイクだ。北京の現地ガイドが「雑伎団の訓練は、道路の横断から始まる」というのがあながち冗談とも思えないようは状況だ。
 気が付くと、どんな広い道でも結構長い区間に渡って信号も横断歩道もない。日本ではこの広さの交差点なら当然信号があるべき筈の所にもなかったりする。そういうわけで、横道から出てきた自動車さえも、クラクションを浴びながら大通りを横切っていくことになる。横断者達は、まず車の流れを縫って道路のセンターライン上まで進み、次に反対側の車の流れの僅かな隙を見計らって渡る。確かに、そうでもしない限り交通量が多く信号のない道路を横切ることは1日中待ってもできそうにない。



 日本ならば横断歩道や信号機の増設が検討され、実際に設置されていくだろう。しかし、その気配がないところを見ると、どうやらそれが中国人の常識になっているらしい。つまり、お上の力や規則に頼ることなく、自分の才覚で文字通り道を切り開いていくというのが彼等の処世術なのである。だから、車の側にしても、少し手前からスピードを緩めるなどという配慮はない。他人に情けをかけるより、自分の道を突き進むことの方が重要だからだ。人に立ち止まらせるか、車に急ブレーキを踏ませるか、ここではまさに人々のバトルが繰り広げられているのである。
 そういえば今回の滞在中、おしなべて中国人は、観光地の人混みなどでは無言で人を押しのけて先へ進もうとしていた。「すみません」とか「エクスキューズミー」などに相当する挨拶は一切なし。このへんにも「自分の道を自分の力で切り開く」彼等の生き方が現れている。



 そして、もう一つの印象的なこと、それは「商売」ということである。どこの観光地でも、我々がバスから降りるとすぐに近寄ってくる多くの物売り(いかがわしい押し売りの類)から、デパート、土産物店、果ては博物館の職員に至るまで、老いも若きもとにかく何かを「売ろう」とする強烈な熱意をもって僕達に迫ってくるのだ。食らいついたら放さないという感じである。中国での買い物は、「立ち止まったら負け」、もっといえば「興味を持ったら負け」である。僕達は全員基本的に「客」と見なされる。そして、客に「買わない」という選択肢は最初からない。あるのは「いくらで買うか」だけである。



 日本でこれに近いのは大阪に代表される関西人のメンタリティであろう。しかし、おそらくそれを遙かに凌駕すると思われる「商売気」が中国人達にはあった。中国が社会主義体制でも何でもないことがよく分かる。また、これは客の立場に立つというよりも、半ば押し付けでもいいからとにかく売ってしまえという売る側本意の姿勢が強く見られるように思う。無料でお茶をサービスするといって客を座らせ、お茶を入れに来た店員が商品のセールストークをして客を追い込んでいくなど、考えようによってはぼったくりバーを思わせる手口だ。
 実際、中国で買った土産物は、帰ってきてすぐに壊れてしまうようなものが少なくないという話も聞く。どうせ海を越えてクレームを付けに来ることはあるまいと読んでいるのだろう。後はどうなろうと、彼等にとってはとにかくその時売れればいいのだ。
 今の中国の状況を考えれば、今後彼等はさらにワールドワイドにビジネスを展開していくことになる。そうすれば、もう少し顧客のことを考えなければならなくなってくるだろうが、いずれにしてもあれだけ上から下まで「商売人」気質が染みつき、日常的に「訓練」されている人々が次々と世界市場に乗り出してきたら、一体どういうことになるのだろう。日本のビジネスマンなど簡単に吹き飛ばされるかも知れない。



 もっと長く滞在して、地方などに行けば、また違った印象もあるのだろう。しかし、僕にはこの「自分の才覚で道を切り開く」という弱肉強食的な考え方があまりにも強烈なところが、正直言ってあまり好きになれなかった。とはいえ、かつて貧富の差が今以上に激しく、圧倒的多数が虐げられた民だったアジアの国々では、庶民層がこうしたある種のしたたかさをもって苦しい日常を生き抜いてきたのだ。信じられるのは自分だけ、人を見たら泥棒と思わなければならない世界である。どちらかというと、「先進国」に数えられる日本人の僕達の方が、こうしたアジアの人々から浮き上がってしまっているような気がしてくる。「人に対する思いやり」や「社会のルール」などという考え方は、所詮は金持ちの戯言なのだろうか。



 かつての中国王朝世界帝国の圧倒的なパワー、そして現在の生き馬の目を抜く社会を生きる中国人達の強烈なパワー。知っているようで知らなかった隣人であり大先輩の国の過去と現在のパワーに圧倒された旅行だった。
 無視するわけにはいかない存在である中国と僕達の国との関係は、今後ますます強まるだろう。僕達はどう彼等のパワーに向き合っていけばいいのか、いろいろ考えさせられる。
 そしてとどめに、中華料理の圧倒的なパワーが、僕の腸の機能を破壊したのだった。


2002年10月13日(日) 狙わずに手に入れた栄光

 先週は、立て続けに2人の日本人がノーベル賞を取った。突然そんなことになったのだが、実はノーベル賞ものの研究をしている人は世界中に結構いて、研究や活動の中身もさることながら、どれだけ宣伝や働きかけをしたかによって受賞するかどうかが決まるという側面も強いという。
 そういえば、ノーベル平和賞はアメリカのカーター元大統領が受賞したわけだが、勿論平和のために貢献した個人や団体は彼の他にも数多存在する。それにもかかわらずカーター元大統領が受賞したわけは、イラクに対する単独の武力行使が規定の方針になりつつある現ブッシュ政権に対する批判の意味があると、当のノーベル賞委員会が言っているくらいだ。
 それ程、ノーベル賞自体の選考基準は「政治的」であるということだ。まあ、人間がやっている以上、これはやむを得ないことではある。



 今回俄然注目されているのは、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんという人である。民間会社の研究所にいて、普通に研究していた博士も修士も持たない人が、特に大がかりな売り込みも働きかけもせずに受賞したということで、一躍脚光を浴びることになったのだが、田中氏および夫人の何ともマスコミ慣れしていない初々しい態度が新鮮だった。
 彼はしきりに自分が「裏方」であることを強調していたが、確かに今回の彼のケースは、華々しくスターが活躍するステージを支えるために見えないところで活躍する大道具さんか音響さん、照明さんのようなスタッフに、突然スポットライトが当てられてしまったようなものである。



 そんな事情からも分かる通り、彼は所謂学術研究者とは異なり、最初から研究成果を挙げてそれを世に広め、名を残したいというような野心を持っていたわけではなかった。「学問の発展」や「人類の進歩への貢献」といった大きな目標を全く意識せず、せいぜい将来の自社の製品開発に寄与するためというごく普通の会社人としての目的意識から、ひたすらこつこつ地味な作業を積み重ねてきたのであった。
 つまり、彼は決して「狙って」いたわけではなかったのである。彼が記者会見に作業服で現れたことは象徴的であったし、もう一人の受賞者である小柴東大名誉教授が婦人に「今年は(賞を)もらえそうだ」と漏らしていたのと対照的である。



 その翌日、あるテレビ番組でスピッツの草野氏がインタビューを受けていた。アマチュア時代を語っていた彼は、自分達がバンドで食べていけるという見通しは全くなかったと語っていた。スピッツというバンド名の由来にしても、「キャンキャン吠えるけど、所詮は臑齧り」という自嘲に基づいたものであったというのだ。実際、最初のレコード(なんと、ソノシート!)は全く売れず、名刺代わりに配っていたという。
 彼等もまた、「狙って」はいなかった。しかし、彼等の音楽は認められ、今では押しも押されもせぬメジャーバンドとなっている。また、草野自身はソングライターとしても活躍中だ。



 狙っていないのに栄光を手にする人がいる反面、狙っていても結果が出せずに、一生スポットライトを浴びる場所に出ることなく終わっていく多くの人達がいる。そういう人達にとって、田中氏やスピッツは果たして「希望の星」たり得るのだろうか。
 彼等にあって、その他の人達にないものは何なのだろう。タイミングなのか、やっていることの中身なのか。それとも、「運」というやつなのか。
 僕より年下の人間が次々に演劇や脚本で活躍し、脚光を浴びているのを見るにつけ、僕はそのことを考えてしまう。彼等にできて、自分にできなかったこととは何なのか。
 田中氏が言うように、意識的に成功を狙うのではなく、ただ真面目にこつこつと自分のやることをやっていれば、いつかは報われるのだろうか。しかし、「意識しないように」と思えば思う程、逆に意識してしまう。そして、意識せずにやっていて、本当に何事もなく終わっていく人達が大多数であるのもまた現実だ。



 無欲に、無心になるのは難しい。何かをやる以上、達成感を味わい、他人から認められたいという欲望から、人はなかなか自由になれない。いつの間にか目的と結果が逆転し、認められるために何かをすることになるのもしばしばだ。しかし、それも結果が出れば許される話であるし、結果が出なかったとしても、それを非難できるような聖人君子はそうそういるものでもあるまい。
 「人に認められることが大切なのではない。問題は何をしたのかだ。」などときれいに締めるつもりはない。僕はそこまで大人にはなれない。


2002年10月05日(土) 「病」というレッテル

 僕の体の僕に対する反乱、もしくは僕の体に対する僕の反乱は、ここ1週間で漸く一息ついたようだ。先週半ばから会社にも復帰し、これまで通りの生活を送っている。
 実家の近くの少し大きめの病院で、簡単な検査(胸部X線と血液検査)を実施したが、取り立てて異常は発見されなかった。つまり、他の原因による病気である可能性はないということだ。実際のところは分からないが、やはり神経からきた異常だったのだろう。不眠に関しては、寝る前に誘眠作用があるといわれるカモミールのお茶を飲むことにしている。実際に、寝付き、眠りの深さともに改善された。ハーブ系は侮れない。



 「自律神経失調症」をネットで調べていたら、ある簡単な検査法に行き当たった。それは、この病気が軽い鬱状態といわば「地続き」であることから、あくまでも補助的な手段であると断りながら、精神の状態を自己診断して早めの発見につなげようという目的からつくられたものである。質問項目に「しばしば」「時々」などの頻度を示す選択肢で答えていき、あとでポイント数を計算して、それぞれにあてはまる精神状態を知るというわけだ。よくある「○○占い」のようなやつだが、「ツングの鬱病尺度」という、一応それなりの信憑性のある方法だと紹介さえていた。



 その項目を見てみると、「気分が沈んで憂鬱だ」とか、「夜よく眠れない」などというのはまあ分かる。しかし、「気持ちはいつもさっぱりしている」「将来に希望(楽しみ)がある」「迷わず物事を決めることができる」「役に立つ人間だと思う」「今の生活は充実していると思う」「自分が死んだ方が、他の人は楽に暮らせると思う」といった項目には、首を傾げざるを得ない。
 自慢ではないが、今の僕は気持ちはさっぱりしていないし、優柔不断である。将来に大して希望を持てないし、役に立つ人間だとも思っていない。今の生活は充実しているとは思えないし、確かに自分が死んだ方が周りにとってはいいのかな、とも思える。これらのことをしばしばそう思える程鬱病的な傾向が強いということらしいのだが、では鬱病的ではない、「普通の」人間の精神状態はどういうことになっているのだろうか。



 気分は常に明るく、将来に希望(または楽しみ)があり、今の生活は充実していると思える。そして、自分は有用な人間だと確信している…
 ちょっと前の「脳内革命」をはじめ、巷に溢れる「人生ハウツー本」にありがちな理想の人間像である。しかし、僕はこういう考え方に対して強い違和感を覚える。何事も前向きにとらえ、失敗もバネにして日々を明るく生きていく。これはアングロサクソン的、すなわち、アメリカ型資本主義の弱肉強食的な社会を生き抜いていくための理想の人間像に他ならない。自己責任と自己の才覚が全ての社会では、頼れるものは自分だけである。自分がいかに前向きで有用(有能)な人間かを常に他人に売り込んでいかなければ生き残れない。となると、自分に対しても常に「暗示」をかけていなければならなくなるのだ。かくして、ハウツー本は売れる。
 そして、こうした「前向き」の思考ができない人間に対して、競争重視の社会の「敗者」として「鬱」というレッテルが貼られることになる。それを避けるために、脳内の物質の量を調整することで「前向き」になれる薬物が、ドラッグストアで普通に売られていたりする。



 全てがそうだとは言わないが、「病」とは「普通=正常」な状態からみて「異常」と思われるものに対して貼り付けられるある種のレッテルだ。「狂気の歴史」という本があったように、「病」は最初からあったわけではなく、「正常」な状態を認識したときに「病」という概念が歴史的に見出されたのだ。そして、一度確立した「病」は「治療」の対象になる。
 この意味では、確かに「鬱」は「病」であろう。けれど、「前向き」であることが「正常」であり、誰もが皆「前向き」にならなければならないというものなのだろうか。人はいつも不確実な「希望」にすがって生きることなどできない。多くの人は、「前向き」と「鬱」の状態を日々、いや1日のうちでも時間や状況によって目まぐるしく行き来しながら生きているものではないのだろうか。悲しみに打ちひしがれたり、挫折感に苛まれて立ち直れないと思えることは、決して「病」でも「敗者の思考」でもない。ましてや治療や矯正の対象ではない筈だ。
 それは人間としてごく自然なことである。むしろ、弱肉強食の社会を生き抜いていくために、常に「前向き」、積極的、強気のテンションを維持し続けなければならないことの方がある意味で「不健康」であり、それを強いられる社会は「病んでいる」とも言えるのではないだろうか。
 社会やその構成員がどんな状態を「病」と見るかによって、その社会および構成員が抑圧している「闇」の部分が透けて見えるということである。



 僕のように、常にくよくよ考えて、こうして「後ろ向き」の屁理屈をこねる人間も、その反対に常に明るく前向きで積極的にバリバリ生きる人間も、ともに周囲にとってはうざい存在であることにかわりはあるまい。
 因みに、先の診断法によれば、僕は中程度の抑鬱状態(その診断法の基準では最も高いもの)だそうである。さもありなん、という感じだ。僕は人よりも不確実な「希望」を抱いて生きられない傾向が強いのだろう。きっとこの社会では生き残っていくことはできないと思う。
 こうした話を人にすると、決まって「もっと自分に自信を持ったら?」と励まされる。それはとても有り難いことだが、もしその人が言うとおり、僕の自己評価が現実よりも不当に低いものだとすれば、それは「アダルトチルドレン」の特徴と一致する。勿論、僕はアダルトチルドレンではない。
 「病」のレッテルは至る所に転がっていて、医師やカウンセラー達によって今も次々に発見され、誰かに貼り付けられている。


hajime |MAILHomePage

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