思考過多の記録
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2002年04月28日(日) 正直者が見るもの

 学校5日制が始まって初めての土曜日だった先週、その日の子供達の過ごし方や地域や学校等の取り組みについて様々なメディアが報じていた。僕は子供を持っていないので実際のところはよく分からないのだが、報道を見る限りでは、案の定という事態が起こっているようだった。
 本来は、家族との触れ合いや地域での様々な活動に参加したり、また体験学習等のために時間を使うべく設定された土曜休みの日に、多くの子供達が学校の補習授業や塾での「勉強」に時間を使ったというのだ。勿論、学習指導要領に縛られない私立の学校は通常の授業を行ったところが結構あったようである。



 文科省の意図とは裏腹に、多くの子供達が通常の「勉強」を選んだ理由は、「学力低下」への懸念という至極単純な理由である。受験による選別が、事実上その先の就職や人生そのもののあり方さえも決定してしまう(と信じられていて、ある程度それが事実である)現在の社会システムのただ中にあって、ただでさえ私立との学力格差に対する不安があったところを、今回の新指導要領による3割削減である。与えられたカリキュラムだけで「学力」がつくとは到底思えない。と言うよりも、「受験」をはじめとするこの社会のシステムの中で生き残っていくための「学力」がつく筈はない。多くの親や子供がそう考えたとしても、何ら不思議ではないだろう。
 かくして、塾や私立への需要は高まる。公立学校といえども、こうした全体の状況や親からの要請を無視するわけにはいかなくなる。そこで、文科省の意図とは違ったメニュー(補修や発展的な学習の授業等)を用意することになる。学習指導要領の枠組みを愚直に守り抜こうとする学校は、少なくとも都市部では白眼視されるだろう。また、塾や家庭教師を付けるなどの手立てを何ら講じない親は変わり者扱いされるかも知れない。



 「囚人のジレンマ」という、ある筋では有名な話がある。2人組の犯罪者が逮捕され、別々に取り調べられている。2人が連絡を取り合うことは不可能だ。犯罪の証拠は何もない。自白さえしなければ犯人達は無罪放免である。取調官は犯人達に(勿論別々に)告げる。もしどちらかの自白によって犯罪が立証された場合、自白しなかった方には懲役10年が科せられる。一方、先に自白した者の懲役は5年に減免される、と。
 この場合、犯罪者には2つの選択肢がある。絶対に口を割らないか、自白してしまうかだ。ただし、前者の場合、自分ではない犯人も否認を貫いてくれれば2人とも晴れて自由の身だが、もし相手が自白してしまった場合、自分は10年の懲役に服さなければならない(相手は5年だ)。一方後者の場合は、相手より先に自分が自白してしまえば、自分は5年の刑で済む(相手は10年だ)。同時ならば2人とも10年の刑になる。
 この場合、ポイントは犯人2人の間の信頼関係の強さである。それがかなり強固なものであれば、2人とも助かる可能性は高い。しかし、お互いに自分が助かることだけを考えれば、相手よりも先に自白したいという衝動に駆られるだろう。そして、おそらく多くの場合、人は後者の道を選ぶだろう。



 かつて就職協定というものが存在していた時代、それを守っていた企業はおそらく皆無であっただろう。活動が解禁になってから動いたのでは、いい人材を確保することはできない。そして就職氷河期が続く今、学生の側の就職活動の時期はどんどん前倒しになっていく。4年生になった時点では、既に終わっているという状況かも知れない。とにかく他人に後れをとることが致命的となる。



 ルールを破って他人を出し抜いた者が得をする仕組みが、この社会のあちこちにできあがっている。正直者が馬鹿を見る時代は、何も昨日や今日始まったわけではない。昨今のアメリカ型弱肉強食の競争社会を賛美する風潮がこれに拍車をかけている。
 自分のことだけを考え、自分だけが生き残ることを第一目標に、僅かなチャンスを他人にさらわれないようにと鵜の目鷹の目で周囲を伺い、それがどんなに非難されるような方法であっても、自分の目的を達するためには躊躇なくそれを実行する。それが、生きていくためにはむしろ当たり前のやり方なのだと、全てのことが教えている。



 社会的に弱い立場、低い地位にある人々(=「普通」の人々)が、強い者が支配するこの世の中を生き抜くためには、この種の狡辛さはなくてはならないものだ。そう信じられている。
 本当はそうではないのかも知れない。「囚人のジレンマ」の犯罪者達は、連帯すれば囚人にならなくて済んだのだ。弱い者が力を合わせれば、強い者の支配を揺るがすことは不可能ではない。文科省は、学力の中身を変えることで、これまでの教育の方向性や方法論が必ずしも正しくはなく、僕達を幸福にしなかったのではなかったかと問おうとしたのだろう。けれど、この国の多くの人々は、自分(自分の子供)だけが現在のシステムの中で「幸福」を掴むことを第一に考えようとしている。そのことが結果的に本当の意味での「幸福」から自分(自分の子供)を遠ざけることになるのかも知れない。
 それでも、社会的に弱い立場、低い地位にある僕達は、そんなことを考える余裕がない。自分だけが幸せになろうとして、そう考えるみんなが潰し合う。誰も本当に幸せにはなれない悲しいシステムである。そして、そうと分かってはいても、そこから抜け出すことはできず、みんなが押し退け合っている。



 正直者は馬鹿を見る。しかし、案外それは他の多くの人々が最終的には見てしまうものを、一足先に見ているだけなのかも知れないのだ。
 犯罪者はどのみち囚人になる。力を持ち、金を積める者達だけが、それを免れることができる。


2002年04月20日(土) 神々の見た「世界」

 イスラエルとパレスチナの対立を仲介しようとしたアメリカの調停工作は失敗に終わって、この後彼の地ではまた激しい暴力の応酬が始まるのではないかと世界中が懸念している。
 こうしたパレスチナ情勢は連日メディアで取り上げられているものの、結婚式やクリスマスにはキリスト教徒に、年明けやお願い事、立て前では神道教徒(?)に、死ぬ時は仏教徒に、そして日常では無神論者になって平然としている日本人にしてみれば、海を隔てた遠方の彼の地の争いはどうも理解し難く、実感に乏しいものなのかも知れない。その証拠のような出来事が先日報じられていた。



 イスラエル軍の攻撃を避けるためにパレスチナ人多数が立て籠もり、周りをイスラエル軍が包囲しているキリスト生誕の地に建てられた教会に、こともあろうに日本人旅行者2人が近付いて、中に入ろうとしたというのだ。この2人は数ヶ月にわたって旅行中で、その間ニュース番組や新聞を全く見ていなかったので、事態を把握していなかったらしい。それにしても、イスラエルとパレスチナの対立はなにも昨日や今日に始まったわけではなく、その地域が危険な場所だというのは、おそらく世界の「常識」の範囲内である。
 これを「平和ボケ」というのだろう。ある意味で素晴らしいことであり、ある意味非常に危険である。という警告を発する気にもならない、情けない話ではある。



 そもそも僕達には、信仰を巡って何故こんなに激しい争いが起きるのかが感覚的に理解できない。パレスチナ問題の発端は宗教と領土の問題が複雑に絡んでいて、信仰の違いだけで語れるものではないのだが、もしユダヤ教とイスラム教で聖地と神から約束された土地が見事に重なっていなかったら、ここまで酷いことにはなっていなかっただろう。それどころか、同じ宗教同志でも、宗派が違うだけで殺し合ったりした事例も歴史上枚挙に暇がない。僕は10年程前に上演した芝居の脚本に、宗教は「飯の種にはならないくせに、争い事の種にはなる」という台詞を書いたが、この国で信心とは無縁の生活をしていると、ついついそういう見方になってしまうのだ。
 けれど、醒めてばかりもいられない。彼の地の人々にとっては、信仰は自分達の存在の根本と結び付いた大問題である。そしてそれは、僕達の生きている同じ「世界」に起きていることなのだ。



 「神の意思」の実現のためと称して喜んで殉教者になる人々が、「異教徒」達を巻き添えにしていく。本来神から自分達に対して与えられた筈の土地に居座るのはそっちの方だとばかりに、戦車を繰り出し、民家にミサイルを撃ち込み、ブルドーザーで破壊する。文字通り「血で血を洗う」この争いは際限なくエスカレートしていく気配が濃厚だ。その過程で双方の憎しみが募り、もはや出口の見えない状況になっていく。いや、もうなっているのだ。この対立を止めさせることができるのは、おそらく各々の神だけだろう。しかし、まさにその神が原因で対立は起きているのだ。そして、神の本当の意思は人間には計り知れない。また、紛争の調停をはかるべき国際機関に神の座る席はない。



 彼等が信仰する神々は、これからも黙りを決め込むつもりだろうか。それとも、これは全て人間が勝手にやっていることで自分達の与り知らぬことだと、まるで秘書が逮捕された代議士のような言い逃れをするつもりなのだろうか。はたまた、力を手に入れて奢る人間達に課した無言の懲罰だと居直る算段なのだろうか。
 いずれにしても、既に多くの人々の血が流された。今回のイスラエル軍の侵攻で一体どれくらいの犠牲者が出たのか、確認すら取れない状況だという。家を失った人達も多数出ている。神の名において始まった争いが、人々の間に深い溝と癒えることのない傷を作り、悲しみと憎悪を再生産し続けている。
 もはや神々にはこの紛争を解決する意思も力もないことは明白だ。かといって、人間の理性や叡智とやらが脆弱なものであることは、歴史と現実が証明している。



 せめて、「世界」を見続けよう。何も知らずにキリスト生誕教会に近付いたあの日本人達は、何ヶ月間も自分達の足で世界を旅して、自分達の目で世界を見ていたにもかかわらず、結局はその背景にある「世界」が見えていなかったのであろう。
 神々のに目に見える「世界」もまた、畢竟そんな程度のものでしかないのかも知れない。
 そして人間は、そんな神々を信じることで、自らのささやかな人生に喜びや希望を見い出し、それによって生き延びているのである。


2002年04月17日(水) 選良の悪知恵

 社民党の辻元清美氏の問題に端を発した国会議員の秘書給与「不正」流用疑惑は、辻元氏本人の辞職に始まり、自民党の加藤元幹事長、民主党の鹿野議員、そして辻元氏問題の絡みで土井社民党党首にまで広がってきている。これまで与党追求の急先鋒だった土井氏が何だか急に歯切れが悪くなり、社民党の幹部もみんなして土井氏を庇っているという事態になっている。また、「この問題はもうこれで決着した」と、まるでこれまで自分たちが攻撃してきた自民党の疑惑幕引き宣言の常套文句まで使われてしまうと、何だかしらけてしまう。



 そうこうしているうちに、今度はかの田中真紀子元外務大臣までが、辻元氏を告発したのと同種の週刊誌の記事によって秘書給与疑惑を暴かれた。それと前後して、やはり秘書給与問題で与野党の政治家の名前が何人か浮かんでは消えている。政治家にとって、秘書というのは金を生み出すのには相当都合のいい存在のようである。



 辻元疑惑が発覚したとき、僕はこの日記で「真相究明ではなく、とにかく自分たちを攻めている者に対して悪い印象を与えることが第一の目的のようだ」という趣旨のことを書いた。その後、辻元氏が釈明会見を開いてからの、加藤疑惑や土井委員長の関与問題等々に至る一連の経過を見ていると、この見方はやはり正しかったとの思いを強くしている。
 この問題の本質は、秘書、とりわけ政策秘書というもののあり方の筈である。巧妙なやり方で秘書給与や政治資金までも私的に流用していた加藤元幹事長のような例は同情の余地はなく、さっさと職を辞してほしかったのだが、辻元氏の例はそれとは少しだけ事情が違っている。



 国会議員が議員としての活動をする場合の手足となるのが秘書だ。とくに政策秘書は、議員が政策を立案する上でのいわばブレーンで、本来はなくてはならない存在である。それが、「名義貸し」という形で、まさに「名前だけ」役に立っていたことは一体何を意味するのだろう。
 一つには、国会議員としての活動にはそれ相応の金と労力がかかるということがある。間違えてはいけないのは、国会議員の仕事は地元の業者に公共事業を斡旋したり、地元の陳情を受けて役所に圧力をかけたりすることで、地元に利益をもたらすことではないということだ。「国会議員」は「国政」を行う。地方の利害を超えてまさに「国」の政策を決めなければならない。そのためには、様々な資料を収集して分析しなければならないだろうし、いろいろな人にあって話を聞かなければならないだろう。場合によっては海外にまで足をのばさなければならないかもしれない。それに、何しろ「国政」であるから、扱うべき問題も多岐にわたるだろう。
 こうした活動は、当然議員一人の手には負えない。国政を預かるのにふさわしい活動をするためには、ある程度の人数の優れたスタッフが必要である。また、当然そのスタッフの人件費を含めて、資料費や調査費といった形で具体的に金がかかってくる。



 こうした、いわば議員としての真っ当な政治活動を行う上で欠かせない「軍資金」を調達できる仕組みが、野党生活が長く、国民から見捨てられかかっている社民党にはなかったのである。辻元氏が辞職直前に居直り気味に話したように、政権に長くついている自民党には、党にも議員個人にも金が集まるシステムが(半ば崩れかかってはいるものの)できている。それは自民党の政治家が有能だからというよりも、金を出す側が見返りを期待できるという事情の方が大きい。いずれにせよ、資金がなくては与党議員の悪事を暴くことすらままならない。
 誰が最初に考えついたのか知らないが、秘書制度を使った集金方法は、こうした苦しい台所事情を補うために長年にわたって培われてきたひとつの「知恵」だったのである。
 勿論やっている人たちにはある種の罪悪感はあっただろう。ただ、長年の慣習と、実は誰もがやっている(あるいはやっていた)という実態にあることから、攻める側も攻められる側も「そのことは、もういいでしょ?」という感じで曖昧に幕引きをしたがっているのだ。



 きちんとした仕事をするためには、人も金も必要だ。しかし、これまで国民の多くは、実は政治家にあまりそれを期待していなかった。むしろ、自分たちの地元にどれだけの利益をもたらしてくれるのかを問題にしてきた。公共事業を誘致し、巨大プロジェクトを起こし、新幹線や高速道路や大きなホールといったいわゆる「箱もの」を作ってくれる。それが力のある政治家であるとされてきた。今回明らかになった一連の秘書疑惑のもう一つの問題はそこである。
 政策秘書の主な仕事は、断じて「口利き」などではない。しかし、有権者も政治家も政策秘書のその程度の役割しか期待していないようにみえる。となれば、そこに「名義貸し」というオプションがついたとしても何の不思議もないだろう。
 ここにきて新たに参議院議長の秘書の口利き疑惑が取りざたされていることが、その一つの証左である。



 今回のことで国民世論は政治家達に厳しい。しかし、いつも思うことだが、彼等が平気で国民の税金を自分たちの都合でピンハネするようなことをし続けてこれたのは、他でもない国民が政治家への監視を怠り、好き放題やらせてきたからこそである。だから彼等は国民のための政策を考えることよりも、自分たちの利益を確保ための巧妙な手段を考える、いわば悪知恵を養ってきたのだ。
 そういう輩に限って、国民に向かっては「国のため」「公のため」の大切さを説く。彼等に対して、僕達は自責の念を込めてもっと怒るべきなのだ。
 本当に僕達普通の国民のために知恵を絞って仕事をしてくれる政治家に出会える日はいつのことなのだろうか。


2002年04月14日(日) 今日まで、そして明日から

 その昔、誕生日といえば何かしら特別な感じがしたものである。その日がきて、ある年はケーキに蝋燭というお決まりのセレモニーがあり、思いもかけずプレゼントをもらった年もあったような気がする。それは、年齢が加算されることが何かしら誇らしく、きっと輝かしいに違いない未来に向かって一歩ずつ近付いていることを証明する日でもあったのだ。



 けれどいつの頃からか、誕生日はその輝きを失っていった。そういえばそうだったな、という程度の認識の、ごくありふれた1日に変わってしまった。考えてみると、誕生日を祝うことにあまり根拠を見いだせない。自分が生まれたことは、そんなに特別な出来事だったのだろうか。そういえば、「かけがえのない」「取り替えがきかない」存在だとか、「この宇宙で、あなたという人間は1人しかいない」という殺し文句にぐらっとこなくなった。むしろ、本当にそうなのか確信が持てずにいる。
 自分という存在が何かしら特別なものかも知れないという思いは、まるで自分の子供が(他の子供よりも)優れた能力を持っているかも知れないという多くの親の無邪気な思い込みに似ている。それは子供の成長とともに裏切られ、我が子も自分と同様どこにでもいるような凡庸な存在なのだということを、徐々に納得させられていくのだが、自分についての思いも同様の結末をたどるのが常だ。
 そんなわけで、誕生日は日常の中の何でもない日に格下げされていき、いつしか、自分の老いを強制的に認識させられる、忌むべき、そしてできれば忘れ去りたい日にすらなってしまう。



 それでもなお、誕生日は確実にやってくる。輝きと興奮を失った代わりに、何ということもないこの1日に僕が感じるのは、それでも今日まで何とか生き延びてきたということである。
 不慮の事故や事件に巻き込まれたり、自分の意志とは無関係にこの国がある日突然どこかの国と戦争状態になったりすることで、唐突に命を失う危険をくぐり抜け、また行く末に絶望したり、人間関係に傷ついたり、恋を失ったりして、生きる気力を失いかけた状況を何度も通り過ぎながら、僕は生き長らえてきた。
 そのことを再確認することは必ずしもこれからの生きる気力を呼び覚ますことにはならないし、ここまで生き延びたからといって、それがこの先も同じように生き延びることを保証すると考えるのは楽観的にすぎるけれど、何はともあれ僕は生き延びたのだ。それは、祝うべきことなのだろうか。



 誕生日がただの通過点になって久しい。その毎日の単調な繰り返しで月日は過ぎていく。
 37年前にこの世に生まれ落ちた僕は、心臓が停止するまで単調だけれどそれなりに波乱に富んだ日々をひたすら生き延びなければならない宿命を背負ったことを知らなかった。
 それでも、少なくとも僕の両親は、おそらく僕の誕生を祝ったであろう。命が生まれ出ることは実は幾多の危険と困難を孕んでおり、それをくぐり抜けたことは無条件でめでたいことだったに違いない。
 さて、来年の誕生日まで、僕は生き延びるだろうか。


2002年04月07日(日) 光の挑発

 もはや初夏の兆しさえ感じる休日、モネの睡蓮を集めた展覧会があるというので、郊外の僕の実家から車で1時間程の緑と池のある庭園に囲まれた美術館に出かけた。都心の美術館ほどではないものの、駐車場は一杯、最寄り駅(といっても20分程かかるのだが)までの無料送迎バスは満員御礼で増便されるという盛況ぶりだった。
 日本人はもともと印象派が好きで、中でもモネの睡蓮は日本人の大のお気に入りだというのが、こんな片田舎のちょっとした展覧会にもこれだけの人々が足を運ぶことでもよく分かる。



 知っている人にとっては常識の範囲なのであろうが、モネはなんと30年にわたって200点以上の睡蓮を描いている。何故これ程睡蓮というモチーフにこだわったのかについても、きっといろいろな研究があって、専門家や美術愛好家にとっては常識なのかも知れない。が、門外漢の僕にとっては殆ど偏執狂的としか思えない程だ。
 しかし、同じモチーフを描き続けるということは、一つの対象の切り取り方、見え方、表現の仕方の変化が如実に分かるということだ。モネ自身がそれを意識していたかどうかは別として、そこには表現というものの在り方のひとつのヒントがある。



 この展覧会では、主に晩年の作品が30点程展示されていた。モネは晩年白内障を患って視力が著しく低下した。手術を受けたものの、完全に回復することはなく、常に失明の不安と戦いながらの作品製作だったという。それだけに、特に晩年の睡蓮と柳の反映を描いたいくつかの作品は、やや暗めの色調といい、初期の作品に見られるような一種の穏やかさとは全く違った独特の力強さと荒々しさが感じられるタッチといい、まさに鬼気迫るものがあった。また、睡蓮の池に架かった橋を描いた「日本の橋」の一連の作品も、特に後期のものは物体の輪郭が崩れ、散乱する光そのものを描いたという趣であった。



 初期の、輪郭をぼかした暖かみのある一連の作品もなかなかいいが、こうした不思議な色調と力強さをもった後期の作品もなかなかに印象深く、僕個人としてはそういう作風の方に強く惹かれる。徐々に衰えていく視力の中で、画家は自分の目に映る光を必死に捉え、それをカンバスに表現しようとしていたのだ。池や睡蓮の実物の姿だけではなく、それを表現しようとして自分自身がかきつけた色や形すら、正確なものを自分では見ることができない。画家にとって致命的とも言えるそうした状況の中、モネはどんな思いで絵の具を絞り出していたことだろう。
 そう考えると、一見柔らかで、しかもけばけばしくない色調でありながら、モネの絵は「表現」への飽くなき情熱と、そこから発散するパワーで見る者を否応なく惹き付けているのだと思う。一般的に印象派の作品に対して抱きがちな感想である「美しい」という言葉では言い表せない魅力がそこにはある。モネにとっては、まさに絵の具の一滴が血の一滴に匹敵するものだったのであろう。



 彼は世界の輪郭を描こうとしていたのではなく、輪郭を形作る光そのものを描こうとしていたのである。具体物の形を捉える力が衰えたからこそ、光の反射と、その中から浮かび上がってくるものを彼は見ることができたのだ。
 僕達は睡蓮を見る。しかしその時、僕達が見ているのは「睡蓮」という名前で輪郭をつけられた物体の「概念」であることが多いのではないか。そこに「睡蓮」がある。しかし僕達は睡蓮を見ていない。
 モネの絵と並んで、モネが描いた庭園のモノクロ写真が何点かあった。それは僕達に見えている世界に近い姿である。けれど、モネの絵に比べて、それはなんと貧弱に見えることだろう。光の反射と影。その陰影に満ち、様々な色調の光の反射が乱舞するモネの絵は、世界の姿を知り尽くしたつもりの僕達を限りなく挑発する。




「モネ展〜睡蓮の世界〜」 川村記念美術館
http://www.dic.co.jp/museum/


2002年04月06日(土) 更年期障害としての人間

 ある健康番組で更年期障害を取り上げていた。僕は、更年期障害については、名前くらいは知っていても詳しいメカニズムについては全くの無知だった。その番組の解説によれば、更年期障害の原因は女性ホルモンの急激な減少により、自律神経が失調して起こるものだそうである。
 そればかりか女性ホルモンの減少は、生理を止めるのは勿論のこと、骨密度の低下や肌の皮膚の老化を招くのだという。男性ホルモンの低下にも、ほぼ同様の効果があるのだろうか。



 このことは、僕達に冷徹な事実を教えている。女性ホルモンの分泌が盛んになるのは、当然生殖と出産という生物としての「女」としての働きを助長するものだ。思春期から壮年期に至る時期は、男性にとっても女性にとっても出産・子育てという生物として一番の大仕事をするための大切な時期だ。
 体力的にもピークを迎えるし、体も変わっていく。それは、まずもって生殖のパートナーである異性を惹きつけるという目的のためである。「女」がより「女」らしく、男がより「男」らしい特徴を備える。そして、より高い能力を持つ子孫を残すためのパートナーが自分に寄ってくるように、おそらくその個体の一生の中で最も魅力的な体になるのだ。



 時は過ぎ、実際に妊娠・出産を経て何年もが過ぎると、生物としての大仕事を終えたその個体は、殆どその種にとっての役割を終えた存在となる。子孫をそれ以上生むことができない個体に対して、それをベストな状態で維持するためのエネルギーを費やす必要はもはやないのだ。ましてや、そんな個体に異性を惹きつける魅力など(生物学的には)不必要である。
 かくして、女性ホルモンを作り出していた臓器は、その活動を弱めていく。その結果、その個体は急速に「女」としての機能を低下させ、「女」から遠ざかっていく。体は変調を来し、それがそのまま「老化」へとつながっていくのだ。
 この事情はおそらく男性でも大同小異である。



 つまり、新たな子孫を残せなくなったところで、人間は「生物」としての役割を終えるようにできているのだ。そういう機能が僕達のDNAに予めプログラムされているのである。
 子供を作り、生んだ後の人間は、ただひたすら朽ち果てていくだけの存在になるのだ。肌は二度と若い頃の瑞々しさと弾力を取り戻すことはない。
 何人といえど、この宿命から逃れることはできない。



 本当に非情な事実である。
 しかし、生物としての人が、新たな子孫を残すことを第一の目的に設計されているのだとすれば、その時期の前後の人生とはいったい何なのだろうか。また、子供を産むこと以外の人生のオプションの意義とは、いったい何なのか。
 「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉がある。しかし、パンがなければ生きられない。子供を作り、産み、育てることに最適化された体を持って、「生物」的要素以外の部分を進化させてきた人間とは、それ自体がバランスの崩れた更年期障害のような存在なのだと、僕には思われる。


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