思考過多の記録
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2001年12月30日(日) 普通の国・ニッポン

 平和な日本のクリスマスに突如出没した不審船の騒動は、まだ記憶に新しい。銃声や爆発音が響き渡った今年のニュースを締めくくるのにまさにうってつけともいえる出来事だった。



 世界中で争い事が絶えず、多くの人々の血が流れ、多くの人々が悲しみ、憎しみ合った中にあって、この国を襲った構造改革の嵐とそれに伴う不況、狂牛病騒ぎ、いくつかの凶悪犯罪等々は、人の血は流れてもそれは基本的にはこの国の内側での問題であり、争い事は海に浮かぶこの島の中に限られていた。
 同時多発テロの影響は経済面が主で、自衛隊が彼の地へ派遣されたことも、この国の多くの人々はどこか対岸の火事の話のように受け取っているように見えた。
 東シナ海に現れた不審船は、そんなこの国のどこか内向きで弛緩した雰囲気を変えるのに十分なインパクトを持っていた。



 不審船の正体や目的について云々するつもりはない。今メディアで語られていることは、おそらく大きく外れてはいないだろう。例によって、真相はずっと先まで、あるいは永久に謎のままかもしれない。
 僕が公開された一連の映像を見て感じたことは、正当防衛か否かは別として、これは紛れもなく「交戦」しているな、ということであった。不審船からは機関銃の音がしていて、弾が巡視船の船体に当たる音も生々しく聞こえていた。そして、巡視船から撃ち返す砲撃のリズミカルな音と、不審船に向かって飛んでいくいくつもの火花や光の帯は、僕達がこれまで映画やニュース映像で見てきた戦争のワンシーンと何ら変わることはなかった。
 港に帰ってきた巡視船の窓ガラスに開いたいくつもの穴は、確かにその船に向かってこの国の「外側」(=「敵」)から攻撃が加えられたのだということを雄弁に物語っていた。



 第2次大戦(太平洋戦争)終了後、今日に至るまでの五十数年間というもの、日本はどこの国からも銃を向けられたことはなかった。確かに、主に第3世界の国々で誘拐や強盗などの標的になったことはたくさんある。ペルーの大使公邸人質事件は記憶に新しいところだろう。けれど、その場合の相手はゲリラや強盗であり、狙われた日本人は大抵丸腰であった。そしてその理由は経済的なものであった。
 また、国連の任務で紛争地帯に入った日本人が命を落としたりするケースもあったが、これも日本人だから狙われたわけではなく、治安の悪化に伴う偶発的な事故である場合が殆どだった。



 理由ははっきりしている。この五十数年間、世界中で日本の軍隊によって殺害された人間は、ただの一人もいなかったからである。これは殆ど驚異的であると言っていい。そして、これこそ日本が世界に誇れる事実である。
 これを一国平和主義の結果だと詰る人々もいる。しかし、僕はそうは思わない。これは、政策がないといいつつも、曲がりなりにも憲法の制約と精神を守って、紛争や政治的な緊張に対しては軍事的介入を行わず、対話を促し、経済援助、人的・技術的支援等で解決を図ってきた日本外交の成果なのである。
 金と力にものを言わせて、「正義」の空爆で他国の土地をメチャメチャに破壊するどこぞの大国と比べて、一体どちらが国際平和に貢献していると言えるだろうか。
 日本のこうした姿勢は、国際的には概ね評価が得られている。そのことが、アメリカ軍のプレゼンスと並んで、どの国もあからさまに軍事力でこの国を脅かそうとしなかった理由だと思う。



 今回の不審船の事件で様相は少し、いや決定的に変わった。不審船は日本の海上保安庁の船からの銃撃を受け、沈没した。そして、相手国の人間と見られる二人の遺体が収容された。
 沈没については自爆説があり、また相手から撃ってきたのだし、こちらも傷付けられたのだから、撃ち返すのは正当防衛だという主張に一定の妥当性はあるだろう。また、北朝鮮の工作員と見られる二人の死因と、海保の攻撃の因果関係ははっきりしていない。
 けれども、日本の船の発射した弾によって、相手の船が被害を受け、人が死んだのは事実である。海保は軍隊ではなく警察に当たるものだが、それは本質的なことではない。
 この五十数年間で初めて、日本(の警察力)が他国(の工作活動=広い意味での軍事力)と正面からぶつかり、それによって相手に死者が出たのだ。



 以前、日本も自前の独立した軍隊を持ち、自国の国土を自力で守り、国際的な平和維持活動に制約なしで参加できるようにするべきだと主張していた政治家がいた。その政治家はそれこそが「普通の国」なのだとも言った。
 誰にも銃を向けたことがなかった日本が、外側から向けられた銃に応戦した。そして、相手を殺した。
 僕にはそれが、この国が「普通の国」になった瞬間だったと思えてならない。
 そして政治家達は、この国の安全を脅かす者(=「敵」)に対してもっと「普通」に銃が使えるようにするための法律を整備しようと言い始めている。
 銃声や砲声が轟き、僕発音が響き渡る。それにさらに軍事力で応える。血が流れるのが当然の世界。それがこの国の政治家達、いや僕達の国が目指すべき「普通の国」なのだとしたら、僕達は随分と物騒な「普通」の世界に住んでいるのだなあと思う。
 なるほど、確かにそれが現実なのかもしれない。そして、「普通」の世界に仲間入りができるのは喜ばしく、晴れがましいことなのであろう。いや、僕達がこの「普通」の世界で生きている以上、否応なくそうしなければならないのかも知れない。
 けれど、僕達の国は、それで何かを失う。
 「普通」であり、それ以上でもそれ以下でもない国に、もはや誇れるものは何もない。



 21世紀最初の年の終わりに起きたこの事件は、この先の日本の進路を暗示しているのかも知れない。それが杞憂であることを願うばかりである。


2001年12月24日(月) Merry Xmas

 殆どの人がキリスト教徒ではないのだけれど、街はクリスマスに浮かれている。景気の低迷で一時期よりはテンションが下がったけれど、それでもいつもの休日とはどこか違う空気のにおいがする。
 スーパーやデパートはクリスマスの買い物をする人々でごった返し、通りや電車の中はカップルや家族連れが主役になる。レストランやシティホテルは愛を語らう恋人達の予約で一杯だ。子供は玩具をもらって有頂天になり、恋人達はプレゼントを交換して気持ちを確かめ合う。そして、珍しく人々が待ちこがれる夜の帳が降りれば、色とりどりのイルミネーションが街のそこかしこで輝き、一夜限りの別世界を作り出す。



 街の空気に絆されて、飾り立てられた街の雑踏の中で、好きな人へのプレゼントを選んでいたのは、つい1,2年前のことだ。選んだけれど、結局は渡せなかったプレゼントもあった。
 そして、いつでも僕のプレゼントは相手の困惑を招き、終ぞその効果を発揮することはなかった。



 この冬、僕は最終的に自分の恋心の息の根を止めた。

 誰かを愛すれば、どうしても見返りを求めてしまう。だが、僕の気持ちを知ったとき、どんな相手も身を翻した。望んでも望んでも、僕が好きになった相手が僕を好きになることはなかった。
 僕にそういう対象として見られていたことが分かると、女性の誰もが困惑した。そういうつもりじゃなければよかったのにと、誰もが心でそう思っていた。
 彼女達は困惑の表情を浮かべ、言葉を濁した。そう思われたことは嬉しかったが、それが僕でなければもっとよかったと、僕でなければその気持ちに応えられたのにと、どんな女性も思っているようだった。
 そして僕は傷付いていった。人を好きになる度に、僕は傷付いた。傷付くことを恐れるなというのは高みの見物を決め込んでいる人達だった。僕がひとたびそういう人達の中の誰かを好きになれば、その人もまた身を翻した。
 誰の目にも、それは全く無駄なエネルギーの浪費だった。精神衛生上好ましくないからもういい加減やめなさいと忠告してくれたのは、僕がかつて好きになった女性だった。



 不条理とも必然とも思える循環を経つために、僕は全てを諦めることにした。
 恋したり愛したりする心を、奥深くに永遠に封じ込めようと決めたのである。
 でも、どんなに頑丈な扉を閉じて鍵をかけたつもりになっても、あるきっかけでそれがまた呼び覚まされ、僕を突き動かすことがないとも限らない。そして、たとえ僕がまた誰かを好きになっても、結果は同じなのは目に見えている。ましてやもう若くはない、かといって経済力があるわけでもなく、他に取り立ててそれ補うような魅力があるわけでもない僕にとって、恋愛の成功率は限りなくゼロに近付いていることは明らかだ。
 だとすれば、同じ過ちを繰り返す前に、何もかも諦めてしまうしかない。
 それには、他人や状況によってではなく、他ならぬ僕自身が僕の恋愛を殺す必要があったのである。



 そいつの断末魔の呻きを聞きながら、僕は両手に力を込めた。そいつがぐったりして動かなくなるまで、僕は力を入れ続けた。
 哀しかったし、無念だったが、不思議と涙は出てこなかった。むしろ、長きにわたる恋愛という「戦い」から解放された安堵感の方が強かった。自分で思っていたよりもずっと、僕は疲れ切っていた。



 勿論、人を愛する喜びを失うことは辛いし、悲しい。僕にとっては苦渋の決断だった。少しでも可能性が残っていればとの思いもある。
 けれど、愛なんて、もともとどこにもなかったのだ。そう思えば気が楽だ。
 だから僕はもう自分から人を愛するのはやめにしよう。ここまででもう十分僕は戦った。
 この聖なる夜に、目の前に横たわるその亡骸を葬るのに相応しい場所が見つかるまで、僕はもう暫くこいつの側にいてやろうと思う。そして、こいつの存在が忘れ去られ、始めからなかったことになってしまうのはあまりに不憫なので、自分の手で土をかけたら、せめて墓標だけでも建ててやるつもりである。



 Merry Xmas, Merry Xmas 恋人たちだけのために
 Merry Xmas, Merry Xmas 全ての傷は癒される
 Merry Xmas, Merry Xmas 今夜の願いごとは叶う
 Merry Xmas, Merry Xmas 愛のために全てが変わる

 Merry Xmas, Merry Xmas 恋人たちだけのために
 Merry Xmas, Merry Xmas 全てのドアが出迎える

 Merry Xmas, Merry Xmas

(中島みゆき「LOVERS ONLY」)


2001年12月22日(土) ぼやけた映像に鮮明に映っていたもの

 海の向こうのあの国では暫定政権が発足し、国際社会が仲介者となって新しい秩序を構築する取り組みが緒に就いた。この少し前、ビンラディンの行方をしつこく追いかけるアメリカは、彼があの事件の首謀者であることを示す「証拠」とされるビデオテープを公開した。



 家庭用ビデオで撮影されたと思われる画質の悪さが、かえってその記録に生々しさと信憑性を与えているように見える。確かに、彼と思われる人物が誰かに向かってあの事件のことを嬉しそうに語っている姿が映っていた。アメリカ人のみならず、あの映像を見た世界中の人々のおそらく10人のうち10人が、彼の事件への関与を疑わないだろう。そして、もしアメリカ軍が彼を殺しても、それを(少なくとも表立って)非難する者はいなくなったかも知れない。



 だが、よく考えてみると、分からないことも多い。まず、このビデオがあの国のある街の、タリバン(若しくはアルカイダ)が使用していたとされる民家から発見されたこと。こんな大事なシーンを収録したビデオを、いくら慌てて逃げたとはいえ、わざわざ置き去りしていくというのはどうにも不自然な感じがする。
 そして、そもそもこのビデオが何のために撮影されたのかがよく分からないのだ。これだけ大きなテロ攻撃を仕掛け、のみならずこれまで起きた数々の事件への関与が取り沙汰されている人物にしては、相手の手に渡ればどう使われるか分かりすぎるくらい分かるような「証拠」を自分から進んで残すだろうか。



 報道によれば、あのビデオの中でビンラディンと話している男は、アラブ首長国連邦という西側世界に対して非常に協力的な国の聖職者だという。その男がビンラディンのゲストハウスに彼を訪ね、あの事件について彼と話した記録が、あのビデオだ。その男はラディンの前でターバンをとり、彼とリラックスして笑顔で話している。映像で見る限り、ラディンも警戒心を解いている様子だ。2人が非常に親密な関係であることを示しているのだが、どうやらその男の後ろには、CIAの影があるというのだ。
 もしこの報道が正しければ、同じイスラム社会の人間で、しかも神に仕える聖職者。宗教や文化、そして共通の敵にたいする思いで結びついていた筈の相手は、その敵への情報提供者だったことになる。その聖職者は、アラーの神に仕える身でありながら、既にキリスト教徒の支配する国に魂を売っていたのである。ビデオが見つかった民家のある街では、空爆開始の前からアメリカの諜報機関の工作員が入って活動をしていたともいわれている。それならば、ビデオがそこで「偶然」発見された理由も、何となく察しがつく。言うまでもないことだが、その街はラディンの味方・タリバンの支配下にあった。



 あのビデオに関する謎はまだまだ多い。そのうちのいくつかは時を経て、そのことが政治的な影響力を持たなくなったとき、徐々に明らかにされるだろう。また、いくつかのことは永久に謎のままで終わるだろう。
 しかし、明らかなことが一つある。日々を戦場にすること選んだ人間にとって、信じられる者は誰一人いないということだ。笑顔で会話をしていても、その相手は自分を裏切るための準備を着々と進めているのかも知れないのだ。



 友達だと思っていた奴が陰で自分の悪口を言っていたり、信用できると思って秘密を話してしまった相手がそのことを逐一他の人間に報告していたり、戦場に限らず、人はいとも簡単に、または苦悩の果てに人を裏切る。
 約束は破られ、条約は反古にされる。婚約は破棄され、契約は不履行になる。恋人とは違う異性に抱かれ、昨日まで共に戦った相手に銃を向ける。やがて人は、そんな騙し合いに慣れ、世間を渡って生き延びる。
 人間とは悲しい生き物だ。テロという「騙し討ち」戦法で超大国・アメリカをはじめ世界中をきりきり舞いさせ、敵の包囲網からまんまと逃げおおせた男・ビンラディンも、そんな人間の悲しい性から逃れることは出来なかった。あの家庭用のビデオのぼやけた画面は、そんな冷徹な事実を鮮明に映し出しているように、僕には思えて仕方がなかった。


2001年12月09日(日) 汚れた手で飯を食う

 野村サッチーが脱税容疑で逮捕された。世間には彼女に対して反感や恨みを抱いていた人間も多かったらしく、早速各メディアでバッシングが始まっている。
 彼女は紛れもなく犯罪者であり、その言動やこれまでの経緯を見ると、批判されても当然であると思う。ただ、僕が気になっているのは、彼女を批判することで「商売」をしようとする人間達のことだ。


 芸能界で注目を集める人間にありがちなことだが、サッチーに関しても多くの「暴露本」が発売されているらしい。テレビで紹介された中には、実の息子や兄弟が書いたものもあった。どちらの本も、サッチーの「素顔」とやらを伺わせる会話やエピソードで埋め尽くされている。どのくらい売れているのか定かではないが、割と名前の知れた出版社から出ているので、そこそこの部数は出ているのだろう。また、テレビで取り上げられれば、そこで需要が喚起されるという効果もあるだろう。



 彼女を知る人達が彼女をネタに金を稼ぐことを妨げることはできない。しかし、それにしても、彼女の肉親までもが堂々とテレビに登場してインタビューに答え、煙草をくわえながら「守銭奴ですね、彼女は」とか言ってみたり、自分と彼女との電話の会話をそのまま録音したテープをメディアで流してしまったりするのはどんなものだろうと思う。
 あのテープを公開した実の息子は、おそらく母親の仕打ちに起こり、また彼女のやり方を見るに見かねてそうしたのだろうと思う。いわば、彼の純粋な「正義心」から出た行動である。しかし、それを「素材」として利用する側には、「正義」などというものは微塵もない。いくらワイドショーでレポーターが安っぽい「正義」で粉飾したコメントを付加しても、彼等にとってそれは「飯のタネ」以外の何ものでもないのだ。
 彼女についての本を出し、テレビでとくとくとコメントしていたあの肉親の中年男も、おそらく彼の頭の中に「あいつは金になる」という計算があったのだろう。彼女のおかげで辛酸を舐めさせられてきたので、これで敵を討とうという意図もあったのかも知れない。これらは推測の域を出ないが、もしそうだとすれば、彼の意図を出版社やテレビ局は「素材」に使って金に換える、その決して綺麗とは言えないビジネスの片棒を、彼は担いだことになる。



 確かにサッチーは悪辣な手段で金を稼ぎ、それを隠蔽しようとして悪事を重ねた。だが、それを暴き立てることで飯を食う輩に、彼女を批判する資格があるとは思えない。サッチーは法を犯したが、それをネタに金を稼ぐ人々は法に触れていない。それだけの違いでしかないように思う。そして、彼等の流す情報に群がる人々、つまり受け手である多くの人々もまた、彼等に利益を与えることでビジネスを成り立たせてしまっているという意味では、罪は免れないだろう。



 数年前、酒鬼薔薇事件があったとき、彼の両親の手記が大手出版社から出版された。僕は、おそらく世間の多くの人々とは違った意図でその本を買って読んだ。
 しかし、考えてみると、あれだけ大きな犯罪を行った子供の両親に、その顛末を書かせるというのは、非常に酷なことである。確かに彼等の子供は犯罪者だが、その親だからという理由でそこまでのことをしなければならない義務があるとは僕には思えない。社会的制裁という意味で言えば、本など出版しなくても彼等は相当のものを既に受けていたのだから。
 あの本の出版の企画を出した編集者にも、それを決定した責任者にも、おそらく社会的な責任を果たすとか、そういった崇高な理念はなかったと思う(後からそういう理由をくっつけたかも知れないが)。彼等が出版を決めた理由は、需要と供給という経済の理論である。相当数の部数が見込めて、それが会社に利益を与えるという計算があったから、その企画は通ったのだ。そうでなければ、あのような非人間的とも言える仕打ちができる筈はない。
 誰が傷付こうとも、どんなに汚い手を使おうとも、それで飯が食えるならやる。ビジネスとはそういうものだ。言うまでもないことだが、そういうものに手を染めた輩に、酒鬼薔薇の両親を責める資格はない。間違いなく彼等は酒鬼薔薇の両親より汚れているし、人間としてはより低いレベルに属すると言える。
 勿論、理由はどうであれ、僕はあの本を買ってしまった。僕も彼等の片棒を担いでしまったことになるのである。



 きれい事を言っても、人は金を得なければ生きていけない。その日の食を得る過程で、誰もが多かれ少なかれ手を汚している。しかし、そのことを常に意識しているかどうかは人によって違うだろう。
 鈍感にならなければ心が荒み、場合によっては狂ってしまうかも知れない。そういう仕事に就いている人間は、この国に、そして世界中にどのくらいいるのだろうか。


2001年12月02日(日) 日本一不幸な家族

 皇太子妃が初めての子供を出産した昨日、そして今日と、マスコミは大騒ぎだった。国民全員が挙ってあの人の出産を待ちわび、その願いがようやく叶って、国中が祝賀ムードに溢れているかのようだった。
 メディアには、彼女とその夫である皇太子の様々な関係者が登場し、お決まりのお祝いの言葉の後に、二人の結婚から出産に至る様々な他愛のないエピソードを語った。
 今日にはお祝いの記帳が始まり、多くの人々が長蛇の列を作った。そして、何人もがカメラの前で喜びのコメントを述べていた。どう考えても皇族とは縁もゆかりもなさそうな人々が、異口同音に「他人事とは思えない」「自分の孫が生まれたように嬉しい」などと語っていた。


 勿論、新しい命の誕生はおめでたいことである。また、あの夫婦のことを考えても、これまで様々なプレッシャーに耐えての出産である。素直に「よかったな」と思う気持ちもないわけではない。
 しかし、よく考えてみると、あの昭和天皇の死去の前後にこの国を覆った「自粛」ムードと今回の「祝賀」ムードとは、表面的には全く違っても根本においては同じ性質のものだ。つまり、国民全員があの夫婦に第一子が誕生したことを祝っているという雰囲気が全体を支配し、まるで祝っていないと日本人ではないかのような感じになるのだ。
 この国を支配している「祝賀」ムードに参加しない人間は日本国民に非ずといわんばかりの暗黙のプレッシャーは何とかならないものだろうか。



 よく考えてみると、あの夫婦に子供が生まれたからといって、銀行の不良債権の問題が解決するわけでもないし、大企業のリストラ策が白紙撤回されるわけでもない。年金制度は崩壊しようとしているし、健康保険の自己負担割合が元に戻ることもないし、失業率が下がるわけでもない。早い話が、あの家族やその一族の消長と、この国の将来とは何の関係もないのだ。極端な話、あの家族が存在しなくてもこの国は成り立つ。それなのに、皇室とこの国の発展を同時に祈念するとコメントを述べる人が後を絶たないのはどうしたことだろう。そんな風に思われて一番困惑しているのは、実は他ならぬ皇室なのではないかと、僕は常々思っている。



 あの夫婦が結婚してからここまでの記者会見の模様をテレビでやっていた。確かにあの二人はいつも笑顔で受け答えをしていた。だが、その笑顔はいつも、まるで顔面に張り付いたような不自然さを持っていた。いってみれば、「笑顔」という能面を被らされているようだった。
 そして、たとえ夫婦のことなどの一見プライベートな領域の質問に対する答えであっても、彼等の言葉は生身の人間のそれではなかった。決して機械的ではないのに感情というものが巧みに隠蔽された、何とも薄気味の悪い言葉なのだった。


 これはなにも彼等のせいではない。彼等にそう振る舞うようにし向けているのは、他ならぬ国民なのだ。この国では、あの一族が個人的な意思を表明することはできない。それは、あの一族と戦争を巡る歴史の結果である。
 だから彼等は、人間でありながら、人間ではない存在なのだ。職業選択の自由も、移動の自由も、選挙権もない。個人的な意見を持つことはできても、それを表明することは許されない。恋愛の自由も著しく制限されている。
 その上、彼等は「家族」「夫婦」という関係においてまで、国民に模範を示さなければならないのだ。本来プライベートの領域に属する部分でさえ、常に「国民」に監視されているのである。しかも、「国民」に悪意はない。いや、むしろあの一族に対して親しみを持ったり、敬愛の念すら抱いている。そうした「善意」の人々を前に、「いい夫婦」「いい親子」でいなければならない。勿論、生まれる子供はみんな「いい子」「丈夫な子」で「すくすくと育」たなければならないのだ。イギリス王室のようなゴシップなど、この国では決して許されないだろう。
 殆ど窒息しそうなこの状況から生涯逃れることはできないとすれば、彼等に求められることはただ一つ、朝起きてから夜寝るまで、「自分」というものを捨て去ることである。

 雅子さんも皇太子も、生身の人間としてそこに存在している。しかし、彼等を人間とは呼べない。彼等は生命体にして、一つの「機関」である。そして、今後死ぬまでそうであることを強いられる。
 そういう世界のただ中に、あの子は生まれた。彼女もまた、両親と同じ運命をたどる。それは人間としての彼女にとって悲劇以外の何ものでもない。



 善意の日本国民によって、あの一族は人間性を奪われた世界に幽閉されている。それでも彼等は、常に国民の前では一切の感情を殺し、笑顔でいなくてはならない。
 彼等こそこの国で一番不幸な家族なのだと、僕には思えてならない。


2001年12月01日(土) 生の痕跡

 皇太子妃が出産のために入院した同じ日、元ビートルズのジョージ・ハリスンの死亡が報じられた。僕はビ−トルズファンではないのだが、それでも何かしらの感慨は持った。世界中のビートルズとジョージ本人のファンはどんな思いだっただろうか。


 ビートルズといえば、かなり前にジョン・レノンが他界している。ジョンもジョージも、ビートルズ時代やその後のソロ活動の中でたくさんの曲を遺している。彼等の死後も、彼等の作品はCD等になってこの世に残る。これから生まれてくる人間も含めて、今後何年、年中年、ひょっとしたら年百年にもわたって、彼等の曲は世界中の多くの人々によって聴き続けられるだろう。そして、多くのアーティストが彼等の曲を歌い継いでゆくに違いない。
 月並みな言い方であるが、彼等が死んでも彼等の音楽は生き続けるのだ。


 彼等の音楽はまた、それを聴いた多くの人々に影響を与えるだろう。
 ある人間は、彼等の音楽から勇気を得るかもしれない。また、彼等の音楽に刺激されてアーティストの道を歩み始める人間もいるだろう。また、音楽に限らず、様々な芸術作品にパワーやヒントを与えるかもしれない。彼等の音楽に出会ったことで、人生の方向が変わる人間もいるだろう。
 彼等が何らかのメッセージを込めて作った作品が、彼等の死後も多くの人々の中で生き続ける。とりもなおさず、それは彼等が会ったこともない多くの人々に影響を与え続けるということなのだ。



 数日前、僕は自分の大学時代のゼミの教官が、交通事故で亡くなったという知らせを聞いた。大学1年の時、偶然割り振られたゼミだったが、当時まだ若手の助教授だったその先生の教えていた文化人類学という学問は僕には未知のものだった。
 毎時間レポートを書かせるということで「厳しいゼミ」といわれたが、当時隆盛を極めていたニューアカ・ブームとの関連が多少あったこともあり、僕にとってはその先生とゼミの内容は刺激的だった。
 こうして2年、3年、4年と僕はその先生のゼミで過ごすことになるのだが、そのおかげで僕はそれまでの硬直した思考方法をだいぶ解されたし、そこで学んだことを入り口として、いわゆる現代思想の潮流に少しだけ触れることができた。そしてそのことが、これまたその後ずっと見続けることになる第三舞台との出会いへと繋がっていくことになる。
 そして、その影響で書いた僕の脚本にも、特に初期の作品にはその先生のゼミでの「学習」の成果が現れていたものだ。


 4年生の途中で、僕はその先生と喧嘩別れしてしまったような格好になったが、考えてみると、僕の中にはその先生の「遺産」が結構ある。人生のある部分の方向性を決定付けたといってもいいだろう。それが正しい方向だったのかどうかはまだ分からないが、いずれにしても、あの先生の影響は消し去り難いものとしてしっかり僕の中にある。
 先生の死は突然だった。先生は、例えば学会全体に名を轟かすような目覚ましい研究成果を上げてはいなかったかもしれない。けれど、あの先生の影響は、学問的なものもそうでないものも含めて、僕をはじめたくさんの人間の中に残った。先生は亡くなったが、その影響は先生の教え子の中に生き続けるのである。



 芸術や教育等、何かを生み出す、創造する仕事は、自分以外の人間の中に何かを遺すことができる。肉体的な死の後も、自分の痕跡がこの世に残るのである。
 だからこそやり甲斐があるし、また誰にでもできることではない。
 人の心を揺り動かし、何かを遺したいと思いながら、遂にその目的を果たせないまま肉体的な終焉を迎えてこの世から消えていった人間は数知れない。
 僕のこんな文章も、おそらくはそうしたものの一つになるだろう。


 しかし、考えてみれば、芸術作品など作らなくても、また教壇に立ったり本を出版したりしなくても、自分と関わる人間に、ほんの小さなものではあるが、自分が生きていた痕跡を残しているのではないか。
 日々の暮らしの中で、すぐに薄れて見えなくなってしまうものも多いけれど、でも確実に僕達は、お互いの中にお互いの影響を残し合いながら生きているといえないだろうか。



 例えば、ニューヨークのワールドトレードセンターでビルの下敷きになった人々や、アメリカの空爆と北部同盟の攻撃で死んでゆくタリバン兵達は、一体何を残したのだろうか。
 ジョージのように美しい曲を残したアーティストと違い、憎悪と政治的対立に押し潰されて虫けらのように死んでいった人々は、この世に何を残せたのだろうか。そして、何を置き忘れていったのだろうか。


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