思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2002年01月26日(土) 「中立」という「偏向」

 ノーベル賞作家の大江健三郎氏が、新潟県のとある高校で記念講演を依頼されて一旦は承諾したものの、その後その学校の校長から手紙で政治的な発言を慎むよう要請されたため、講演を辞退したと新聞が報じていた。この件は様々な問題を含んでいるが、講演を依頼した外部の人の発言をコントロールしようという非常識な発想を非常識とも思わないで実行に移してしまったあたり、いかにも閉鎖的な「学校ムラ」のお話だと揶揄して終わるくらいが面倒がなくていいのかも知れない。
 しかし、僕はこの話を読んで、しばしば問題になる「政治的中立」のことを思い出した。そして、この点に関して、ずっと以前から学校は驚く程変わっていないのだと改めて感じたのだ。



 教育の現場ではこれまでも「日の丸・君が代」問題をはじめとして、様々な場面で「政治的中立」が問題になってきた。その殆どの事例において、この言葉を持ち出すのは大抵は官、すなわち文部科学省や教育委員会、また校長や教頭等の管理職の側である。成る程、ことが子供達の発達や人格・思想の形成に大きな影響を及ぼす教育に関わることであってみれば、彼等が神経質になるのもある程度納得がいく。教育の内容に何らかの配慮はあってしかるべきだろう。しかしこの時、一体どの立場が「中立」と言えるのかについて、明確な基準を示した例はついぞ聞いたことがない。それもその筈、もともとそんな基準など存在していないからだ。いや、それ以前の問題として、そもそも「中立」という立場それ自体が存在するのか疑わしいのである。



 「中立」を言う人々の多くが、自分は「中立」の立場にいると信じて疑っていない。だから、その立場から見て少しでも異なる思想を持っている人間は、「偏向」しているように見えるのだ。かの校長から大江氏に宛てた手紙には「我が校は『日の丸』を掲揚し、『君が代』を歌う高校だ」という趣旨のことが書かれていたという。つまり、その校長の考え方によれば、「日の丸」を掲揚し、「君が代」を斉唱するのが政治的に「中立」なのであり、それに異議を唱える立場は政治的に「偏向」した立場だということになるのである。
 「日の丸・君が代」問題のみならず、大江氏は核や環境、政治的諸課題に対してこれまで活発な言論活動を展開してきたことはつとに有名であり、またどちらかというと体制側に批判的なスタンスを取ってきたことは事実である。この校長にしてみれば、大江氏の主義・主張は到底「中立」とは言えず、それが教育の場に持ち込まれることに対して彼が強い危惧の念を抱いたであろうことは想像に難くない。大江氏の講演を聴いた彼の学校の生徒達や教師達が、大江氏の「偏向」した立場に影響を受けでもしたら大変なことになるという懸念を彼は抱いたのだ。あるいはそういう趣旨の助言(入れ知恵)をした者が学校の内外にいたのかも知れない。いずれにしても、彼が自分の思想は「中立」であるという前提で大江氏に手紙を書いていることは間違いない。



 けれども、例えば「日の丸」「君が代」に賛成する立場が「中立」だと言える根拠は何なのか。それは‘国家’や‘共同体’(‘社会’ではない)が“正しい考え方”というお墨付きを与えているからである。それ以外に理由はない。反対に、核兵器や原発に反対したり、ダムや高速道路の建設に反対する住民運動に参加したりする行為が“偏っている”と見なされるのは、それが‘国家’や‘共同体’によってお墨付きを与えられた考え方に逆らうものだからである。
 ごく大雑把に言ってしまえば、政治的な問題に関して発言すること、なかんずく‘国家’=‘お上’とは異なる立場から意見を表明したり行動したりすることが、この国では「偏向」と見なされるのである。これは教育の世界に限ったことではないが、特に学校をはじめとする教育界ではこの傾向が強いように思われる。それは、先にも書いたように、教育が人間の人格や思想の形成に大きな影響を持っているからだ。‘お上’の意図は明白である。自分達に異を唱えることをしない、従順な人間を育成したいのだ。そのことによって自分達の考え方や方針、やっていることが“正しい”とされる世の中が未来永劫続いていくからである。
 そのために、教育は常に「中立」であることが求められるというわけである。
 だが、それは「中立」な立場などではあり得ない。それは‘国家’や‘共同体’の価値観の側に「偏向」した立場である。そして、どんな問題に対しても、誰もが「中立」の立場に立つことはあり得ないのだ。何故なら、「中立」であるか否かを判定する者が「中立」である保証はどこにもないからである。



 言うまでもないことだが、‘国家’や‘共同体’によってお墨付きを与えられた価値観以外のものを排除し、それらを児童・生徒達から遠ざけるのは教育本来の姿ではない。例えば 「日の丸」「君が代」に関して、この国の社会には様々な考え方があり、立場がある。そのことをまず確認した上で、それぞれの思想の背景やそれが登場した歴史的経緯等を学習し、問題に関する理解を深めていく。そのことによって、この社会で生きていく上で大切な、自分とは異なる考え方の存在を認め、それを理解し尊重する態度を養う。それが教育というものではなかろうか。
 あらゆる政治的な問題には思想・信条の対立が付き物だ。面倒な事態を回避するためにそれらを扱わなかったりするのは、社会を担う人間を育成するという教育の重要な役割を放棄することになる。ましてや、‘国家’が掲げる価値観のみを「正しい」とする立場に児童・生徒を誘導し、それで事たれりとするようなことは決してあってはならないことである。
 大江氏に手紙を送った校長は、こうした教育の基本的な在り方を理解していなかったのではないかと思われる。異なる立場の言論を当然のように封じようとするような人間が、学校運営の最高責任者を勤めているという事実に、僕は愕然とする。そしてまた、そういう人間を当然のように校長に任命した教育行政に対しても、驚きと憤りを禁じ得ない。



 大江氏は、講演を断ったのは政治的な立場の違いからではなく、政治的な宣伝を行うつもりは全くなかったと言っている。彼は「寛容について」というテーマで講演することにしていたのだそうだ。
 その講演を一番聞く必要があったのは、おそらくその学校の校長だったのである。


2002年01月19日(土) Dreams come true.

 今週は成人の日があった。‘荒れる成人式’が問題になった去年の教訓を踏まえ、今年は時間を短縮したり、警備を厳重にしたり、イベントを取り入れた自治体が多くなったという。中には保護者も参加させたところもあるとか。そうまでして成人式はやらなければならないものなのかという疑問は消えない。
 その成人式では、きっとどこの開場でも挨拶に立った偉い人(大抵はその自治体の首長であろう)が「これから成人になる皆さんは、大きな夢を持って…」などという紋切り型の話をしていたことだろう。若者だと何故夢を持たなければならないのかも大きな疑問なのだが、とにかく夢の話は続く。



 僕が「夢」という言葉に引っかかるものを感じるのは、それが「半ば(若しくはそれ以上)実現不可能な願望」を指して使われる場合が多いからだ。ビトンのバックを買うことは夢でも何でもないが、都内に一戸建ての家を建てるとなると「夢のマイホーム」となる。ドリームジャンボ宝くじも「夢を買う」行為の一つだ。
 「夢」という言葉には、どこか「それが実現しなかったとしても仕方がない」という諦めのニュアンスがついて回っている。しかし、もっと厄介なのは、この言葉が「達成したい(もしくはするべき)目標」という意味で使用される場合がままあることだ。意図的なのか無意識なのか、人はよく「夢」と「目標」を混同する。もう少し考えてみると、目標の中でも実現の可能性が低く(もしくは難易度が高く)、最終的・究極的な目標になりうるようなものを指して「夢」という場合が多いように思われる。けれど、その割には「夢」にはどこか甘い、叙情的な響きがある。その語感が、「夢」という名の最終目標の現実味を失わせ、僕達からそのこと自体を遠ざけるように作用しているように思われるのだ。



 「目標」という言葉には「夢」にある甘美さはなく、かなりクールでドライな感じがする。自分が設定したものであろうと、他人から押しつけられたものであろうと、「目標」というものにはある種の現実感がある。そして、その実現のための道筋としていくつかの段階が想定され、各段階でするべきことは何かを明確化するという具合に、自然と思考に一定の方向性が出てくる。そういう具体的なことが見えてくるのが「夢」との大きな違いではないか。



 この前の日記で触れた第三舞台という劇団は、早稲田大学の学生サークル劇団としてスタートした。しかし、学内のテントで行われた旗揚げ公演の段階から、主宰者の鴻上氏(当然だが当時はまだ学生である)は「この劇団で紀伊國屋ホールに出る」と言っていたという。普通に考えるとこれは「夢」なのだが、鴻上氏はあくまでも「本気」だったと後に自分の戯曲集のあとがきに書いている。
 そして、旗揚げから5年あまりで、彼と第三舞台はこの「夢」を実現した。劇団としては驚異的な早さだった。このことについて、鴻上氏は最近作『ファントム・ペイン』の会場で配布された「ごあいさつ」という文章で以下のように書いている。


「正直に言えば、創作欲や演劇への情熱だけでは、旗揚げからのテンションは維持できなかったろうと思っています。演劇で食うこと。俳優、スタッフあわせて演劇で食うこと。劇団として経済的に自立すること。その目標があったからこそ、お盆と正月以外、ずっとケイコできたのです。」


 もし鴻上氏が「演劇で食うこと」を「夢」と捉えていたなら、もしかすると第三舞台は続いていなかったかも知れないと思う。何故なら、「演劇で食うこと」はそうそう簡単に実現できることではなく、ましてやぽっと出の学生劇団にとっては殆ど不可能に近いと思えることだからだ。不可能に挑戦すると言葉で言うのは容易いが、多くの場合それは「挫折」という結末を迎える。だから人は意識的に、あるいは無意識のうちにそれを避けるのだ。しかし、それを「目標」として認識した時、そこに僅かでも実現可能性が意識される。ここがまさにポイントだと思う。可能性があるのなら、人はそれに向けて戦略を立て、行動することが出来るからだ。途中の過程で戦略の練り直しや目標そのものの見直しなどの試行錯誤は当然あり得るが、少なくとも漠然と「夢」を語っているのと比べれば、人は着実に先に進めるのである。



 例えば、戦争のない世界を作る。「You may say I`m a dreamer」とかのジョン・レノンは歌った。だが、それを「夢」のような話と思わずに「目標」だと多くの人々が認識すれば、その実現のためには一体何が欠けているのかが自ずと見えてくるということである。
 そしてもう一つ、目標の実現を諦めない精神的な持久力が必要とされるだろう。それらがあれば、「戦争のない世界」は、確実に存在することの出来る世界として、僕達の未来に登場してくる筈だ。



 かつて鴻上氏は芝居の台詞やエッセイで、好んで次のようなフレーズを使っていた。
「才能とは、夢を見続ける力のことである。」
 しかし、これは些か希望的観測を含み、ロマンティシズムに偏った表現である。本当はこう言い換えなければならないだろう。
「才能とは、目標を実現できる力のことである。」
 その鴻上氏の『ファントム・ペイン』の「ごあいさつ」は、次のように続く。


「…僕達は劇団を作り、演劇で食うという目標を達成しました。しかし、その後も人生は続きます。物語は終わっても、人生も世界も終わらないのです。次の目標は何か?(中略)とりあえずの目標を達成した後、人はどうしたらいいのか。次のとりあえずの目標を作るのか、本当の目標を探すのか。」


 これは応用問題である。同時に、生きていく上で誰もがぶつかる可能性のある問題である。その答えを手にすることが、まさに究極の目標=「夢」であるとさえ言えるかも知れない。
 そして、この「夢」を追い求めることが出来るのは、いうまでもなく「目標」を実現できる力を持った者、すなわち、‘才能’を持っている者の特権であるのは、冷徹な事実である。


2002年01月13日(日) 明日はあるか?

 不況で経済がうまくいかず、将来に対する不安も日に日に増大していて、何となく暗い雰囲気がこの国の社会を覆っている。その反動であろうが、こういうときこそ元気を出して、この厳しい状況を乗り切っていこう、という‘空元気’を奨励する主張が結構出てきている。昨年ヒットした『明日があるさ』という歌やそれに便乗した同名のドラマなどはその象徴的な事例であろうか。
 また、少々古い話だが、昨年末の紅白歌合戦でも「夢」がテーマになっていて、出場した歌手全員に、歌う前に「自分の夢」について何かしら語らせるという、いかにもNHK的な演出がされていたものだ。



 こういう時代だからこそ、夢を持って前向きに生きていこう、という主張は悪くはないだろう。けれど、どうにも鼻についてしまうのは僕だけだろうか。確かに夢を持つのは素晴らしいことだ。しかし、その主張の裏には、夢を持たない、あるいは持てない人々は、持っている人々に比べてどこか劣っているという無意識の前提があるように思われる。
 もっと言えば、夢を持って前向きに人生を切り開いていくのがベストというのは、「グローバリゼーション」でお馴染みのアメリカ流の考え方=「アメリカン・ドリームの思想」である。成る程、あの国はそうやって発展し、富と力を独占する世界一の超大国になった。けれど、その過程で国内においては貧富の格差の増大を招き、またその構造はアメリカ式のやり方を取り入れた世界の国々の内部に、そっくりそのまま再生産された。また、「世界」という大きな枠組みで見たときにも、国や地域間の格差の著しい増大をもたらし、これが昨秋のテロ事件の遠因になっていることは疑う余地がない。



 では、貧しい人々は夢を持たなかったから、または夢を実現できなかったから敗者になったのだろうか。別の言い方をすれば、彼等は夢を持たなかったが故に生きることに前向きではなく、その結果としてもたらされた現在の彼等の地位はそれに相応しいものであるといえるのだろうか。僕は必ずしもそうだとは思わない。もしそうだと僕達が思えるなら、それは僕達がより深く「アメリカン・ドリームの思想」に毒されていることの証拠である。
 夢を持たなくても、またことさらに前向きにならなくても、生きていくこと、生き延びていくことはそれだけで大変なことである。それに、一件前向きに見える人も、そうでない人も、必死で生きている人もいれば、惰性で毎日を過ごしている人もいる。また、惰性に流れている人の中にも、そこから抜け出そうとして抜け出せない人もいれば、自ら進んで流れに身を任せている人もいる。つまり、一見して「前向き」で「夢」を持っているように見えない人々の中にも、いろいろな在り方があるということだ。



 10年くらい前に学校教育の評価項目の中で「関心・意欲・態度」というのが話題になったことがある。ごく簡単に言ってしまうと、これはその教科の内容それ自体を理解しているかではなく、教科の内容に「関心」を持ち、「意欲」的に取り組む「態度」を持っているかを見るための観点なのだ。しかし、こういうことは数値化して測ることは非常に難しい。そこで教師達は例えば普段の授業で頻繁に手を挙げて発表をするかとか、自分から進んで〜をやろうとしているかとか、そういう独自の観点から普段の生徒の行動を観察して評価している。しかし、この評価の仕方は、例えば引っ込み思案や恥ずかしがり屋の子供、自分をアピールできない子供には著しく不利だ。
 知育偏重の反省から鳴り物入りで導入されたこの評価の観点は、いろいろな批判に晒され、また現場では半ば無視され、今も細々と生き残ってはいるが、結局成果よりも弊害の方が大きかったと言っていいだろう。



 現在の世の中あげての「前向きごっこ」でも、これと同じ現象が起きていると言えないだろうか。「引き籠もり」が「甘ったれ」の烙印を押され、優しさが生き残りの足枷になり、謙虚さが傲慢な誰かを助けてしまう世の中である。そんな世の中で前向きに生きるとはどういうことなのか。また、そんな世の中で語られる「夢」とはどういうものなのだろうか。
 前向きの思想、「アメリカンドリーム」の本場の国では、自分を前向きで明るい人間にするために、生来そうでない人は薬を使って性格を変えているという。そういう薬はわざわざ医者に処方されずとも、誰でも気軽に買えるようになっているそうだ。そうまでして前向きにならなければ、かの国では生き残れないのである。それをいいとか悪いとか言えないが、僕にとっては何とも居心地の悪い社会である。そういう社会では、前向きでない人の方が、ある意味で健全だったりする。



 繰り返すが、夢を持つことや前向きに生きることは悪いことではない。
 だが、今世の中に満ちているのは「夢を持とう!」「前向きに生きよう!」というかけ声ばかりである。そうできない人がいたときに、「元気を出そう」というだけでは問題は解決しないのではないか。
 夢を持ちたくても持てない人が持てるようにするにはどうすればいいのか、下を見ている人が前向きになれるようにするにはどんな社会の仕組みの変革が必要なのか、そういったことをみんなで考え、論議していく。その方が声高に「ポジティブシンキング」を叫んで‘空元気’を強要するよりもずっと大切なことであると僕は思う。



 明日は確かにあるけれど、それは必ずしもよりよい状態をもたらしはしない。だから、夢を語れなければ、語らなければいい。前向きになれなければ、蹲ればいい。そういう状況なのだというクールな判断が出来るうちは、明日も明後日も、まだまだ生き延びられる筈である。


2002年01月05日(土) 時代の鏡

 2002年に入ってもう5日が経つという日になって2001年の回顧でもないだろうという感じもするが、是非とも書いておきたいことがある。
 2001年、21世紀最初の年にこの国で売れた本や流行った音楽等の分析をした新聞記事が昨年末に出ていた。それによれば、去年は「単純なメッセージ」が支持された年だったのだそうである。そういえば、新語・流行語大賞に選ばれた小泉首相の言葉の代表的なものは「感動した!」だった。ベストセラーの年間ナンバーワンは「チーズはどこへ消えた」だったし、他に売れた本の上位には「話が聞けない男、地図が読めない女」「金持ち父さん 貧乏父さん」等、実に分かりやすいメッセージのものばかりだ。今映画にもなって大ヒットの「ハリーポッター」もひねりがないお伽噺らしい。音楽のヒットチャートを見ても、確かにシンプルなメッセージの曲が殆どだ。フォークデュオ擬きが多数出現したのもこの流れを受けているのであろう。



 世の中の情勢が混迷を深め、誰もこの先のことを正確に予知できないばかりか、現状の分析すらおぼつかない。識者といわれる人々が様々な見取り図を描いて見せるけれど、どれがより正しいのかの判断も出来ない。そんな状況の中で、芸術等の世界でまで複雑で一筋縄ではいかないものを享受したくはない。そんな気分がこれまで以上に世の中に蔓延していたのだと思う。あまりに不可解で閉塞感に満ち、先行き不安の中で生きることを強いられ続けているため、少しでも道標になりそうなものには飛びつき、心癒され、安心できるシンプルなメッセージを求めるという行動を多くの人がとるようになった、いや、それまでの同様の傾向に拍車がかかった、それが去年だったのだろう。
 一言で行って、多くの人々が心身共に疲れ切っていたのだ。



 僕の大好きな劇団・第三舞台はこういう時代の状況の中で、10年間の活動停止を宣言したのだった。
 活動停止の理由は勿論それではなく、演劇活動上の理由が主であったが、僕には大変象徴的であるように思えたのだ。それというのもこの劇団は、1981年に所謂‘小劇場’劇団として誕生したときから、常に時代の最先端の感覚を掬い取って表現することで客の人気を獲得していったからだ。今でもチケットが取りにくい劇団の一つだし、この劇団で活躍していた役者は、現在やテレビや他劇団の舞台でも活躍している。作家にして演出家でもあるこの劇団の主宰者は、数々の著書やラジオ・テレビのパーソナリティで人気者となり、時代を読む人としてその筋では有名だ。しかし、ここ数年は劇団としての活動はあまりなく、役者・演出家個々人の活動が目立っていた。



 僕は80年代の後半からこの劇団を見始めた。僕が気に入っていたのは、この劇団の芝居が非常に深く、根元的なこと、そして思想的にも入り組んでいて決して分かりやすくはない問題を扱いながら、表面上はそれを感じさせないように作られていたということだ。
 主催の方によれば、小劇場の芝居は「世界が変えられないのであれば、遊んでしまえ!」というポリシーの下に製作されていたのだという。その言葉に違わず、第三舞台の芝居は毎回遊び心に溢れていた。ふんだんに使われるギャグやパロディ、そして見ているだけでウキウキしてくるダンスシーン等々、無条件で楽しめるシーンが満載だったのである。けれど、それと同じ劇中で、登場人物は毎回自分達がこの時代を生きているがために抱えている問題に悩み、もがいていたのだ。同時代を生きる僕達はそれを見ると、決まって切ない思いになったり、激しく心を揺り動かされたりしたものである。
 第三舞台の芝居が時に分かりにくいと言われたのは、取りも直さず世界が入り組んでいて複雑なことの反映であった。それでいて彼等の芝居は決して結論を押しつけなかったし、「答え」を出したこともなかった。しかも、問題の扱い方は、決まってクールかつソフィスティケイトされていて、決して情緒に流れ過ぎることはなかった。
 「涙を拭くハンカチのような芝居を作りたい。何故なら、涙の原因に対して芝居は無力だから」この劇団の主宰者が好んで使っていた言葉である。特に80年代に多くの人がこの劇団を支持したのは、この劇団がどんなに表面上「遊び」に徹しているように見えても、自分達の置かれている状況=「深層」を踏まえていることを、客自身が分かっていたからなのだ。その上で、このシビアな状況を転換するのにこんな方法もあるのか、ということを芝居から読み取り、パワーを貰っていたというわけである。



 90年代に入って、この状況に変化が出てきた。人々は遊び疲れると同時に、時代の分析にも疲れてきた。そして、自分達にまとわりつく「深層」の問題を忘れようとするかのように、分かりやすい物語、頭を使わなくてもすむ物語を求めるようになっていった(三谷幸喜氏の活躍はこの辺から始まる)。この頃から第三舞台の芝居にも微妙な変化が現れる。80年代のギャグの連発は影を潜め、ストレートでありながらクールでシビアな世界が展開するようになったのだ。ただ、時代や関係性の切り取り方はやはり独特かつ的確なのものがあった。「深層に向かう時期だ」と主宰者は語っていたけれど、舞台自体は決してヘビーにはならず、ちゃんとエンターテインメントとしても成立していた。ギャグが減った分印象的なシーンや台詞が際立ち、僕はいつもその舞台から刺激を受けてきた。
 その手法に新鮮さこそなくなっていたけれど、少なくとも僕が見続けていたこの15年というもの、第三舞台は今の僕達の位置を映し出す鏡のような芝居を作り続けて生きた。これはクリエイターとしては驚異的なことであると思う。そして、混迷を深める今だからこそ、あの劇団はどんな舞台を見せてくれるのか楽しみでもあったのだ。
 その矢先、21世紀に入って最初の年、劇団の20周年を期して、第三舞台は活動を休止した。時代の風を確実につかんで突っ走っていた80年代に比べ、劇団のポリシーが一貫していただけに、90年代以降は時代や演劇自体の大きな流れが変わってしまったことがかえって浮き彫りになったのだと思う。それが不本意だったから今回の決定に至ったという側面もあるのではないかというのが、僕の個人的な見解である。
 でも僕は、第三舞台が表現者の集団として寿命を迎えたとは思っていない。むしろこんな時代だからこそ、この劇団には存在意義があるのだと思えてならない。
 昨年秋の活動停止前最終公演「ファントム・ペイン」では、引きこもりやネットの問題を織り交ぜながら、戦いのない弛緩した平成という時代から抜け出そうとする人々と残ることを選ぶ人々を描くという、相変わらず今を生きる僕達の問題にこだわった舞台を見せてくれた。



 第三舞台は10年後に活動を再開すると宣言している。
 当日劇場で配られた主宰者の「ごあいさつ」という文章は、こんな言葉で締めくくられていた。

「10年間、お互い、生きのびるように。」

 こんな時代だからこそ、僕は必ず生きのびてやろうと思う。そして、10年後に必ず彼等と再会を果たそうと固く決意している。
 その1年目が、いよいよ始まろうとしている。
 彼等の足元にも及ばないけれど、今年は僕もまた、ちっぽけな鏡に何とかこの時代を映してやりたい。


2002年01月02日(水) 奇蹟の結婚

 正月ということで、元日から家で立て続けに映画を2本も見た。
 といっても、テレビでたまたま放映していたものだったし、どちらも以前に見たことのあるものだった。けれど、ストーリーを知っていればいたで別の楽しみ方ができるものだし、親戚が大勢押し掛けてきた後でいい加減頭が痺れたような状態だったので、何の気なしに結局最後まで見ることになってしまった。



 「男はつらいよ 寅次郎夢枕」と「ローマの休日」。時代も国も違うこの2つのラブ・ストーリーを見ているうちに、両作品の奇妙な共通点に気が付いた。どちらも主人公の叶わぬ恋を描いているのだが、片思いが破れていく話ではなく、心が通い合い、恋愛としては成立しているにもかかわらず、様々な外的要因によって二人が一緒になることができないという筋立てになっているのだ。二人は惹かれ合っているのに、結ばれない。それが許されない状況。その切なさに人々は惹かれるのであろう。



 確かに美しい「恋」の物語だ。だが、僕はそれを見ながら、じゃあこの恋愛が精神面だけではなく具体的に成立したら、この二人はどうなっていくのだろうかと考えた。
 「男はつらいよ」で、女手一つで美容院を切り盛りする幼馴染みと結婚した寅さんは、どんな結婚生活を営むのか。「ローマの休日」でアメリカの新聞記者と某国の王女は、結婚後どんな宮廷生活を送ることになるのか。具体的に考え始めると、二組の恋人達の前途は決して明るくはないだろうと僕には思えてくるのだ。
 放浪を愛し、旅を住処とする寅さんは、定住生活の中で果たして精神的な安寧を得られるのか。長い王族の生活に慣れた王女と、マスコミで働くことで手も精神も汚し、気ままな一人暮らしが染みついているアメリカ人の男の、半ば幽閉された様な宮廷内での共同生活は、二人に何をもたらすのか。
 そう考えたとき、これらの物語は恋愛がそれ自体としては完成していながら、現実世界のように次の段階に至らないからこそ、すなわち物語として未完であるからこそ美しいのだということが分かってくる。「ロミオとジュリエット」の古より、人は恋愛を完成された形のまま封じることを好み、その切なさ、哀しさ、儚さに惹かれ、その世界に陶酔する。物語は、それ故にいつでも未完だ。お伽噺の王子様とお姫様の恋も、それが叶った段階で終わる。その後のことは、大抵の場合「幸せに暮らしましたとさ」という具合にはぐらかされてしまうのだ。



 勿論、現実にはその先があり、恋愛を完成させた二人は「交際」によってある程度お互いの実像と向き合う段階に進み、それをクリアすると「結婚」=「共同生活」という、さらに深く、かつ日常的、具体的で些末な接触の段階へと進む。そこは「恋愛」とは全く違った世界である。この状況を一見リアルに描き、しかし最後は再びある種のお伽噺の世界でまとめてしまうのがテレビドラマである。言わずもがなであるが、現実はドラマよりもシビアだ。
 「恋愛」という幻想を成立させることのできた相手が、実生活においても有用なパートナーたりうる確率は、そう高くはないようだ。ラブラブだったカップルは些細な喧嘩が元で分かれるし、自分にはこの人しかいないと思っていても、後から現れた別の誰かに心を奪われるといったことは日常茶飯事だ。
 それでもなお、その二つはしばしば無条件に同一視され、恋愛で盲目となったまま結婚に突っ走るカップルは後を絶たない。
 「恋愛」を飛ばして条件面でのマッチングに重点を置く見合いというシステムでお互いを知り、注意深く相手の人間性と自分との相性を確認した上で結婚に踏み切ったとしても、多くの男女にとって、結婚後に相手が豹変する、もしくは二人の関係性が変質していく事態は避けがたい。



 かくして、多くの夫婦が破綻する。離婚というはっきりした形で現れるものもあるが、表面上は体裁を保っていても実質的には崩壊している夫婦は数知れない。しかしそういう夫婦にも、殆どの場合「恋愛」や「交際」の時期があった筈なのである。そして、その各段階において、ある形が完成していたからこそ、二人が一緒になる=「結婚」という結論に至ったのではなかったか。そして、それが結果として成功していなかったとすれば、問題がどこにあったのかは自ずと明らかである。すなわち、「恋愛」を完成させることのできた二人が、そのまま「結婚」という新たな物語の主人公たりえなかったということだ。俗に言う「恋愛の対象と、実際に結婚する相手は違う」ということである。
 だからといって、人は恋愛のあの素晴らしい時間を犠牲にして、「結婚」の成功のためだけに、一見すると無味乾燥な、何の高揚感も陶酔感もない平板な時期を過ごすことに耐えるのをよしとするだろうか。また、「結婚」という状態に相応しい相手のみが、真に自分にとって最良のパートナーなのだろうか。



 「結婚は人生の墓場」という名言は、まさにこの状況をさして語られる。けれど、「恋愛」の高揚の後に始まるこの長い人生の段階にも、きっと豊穣な時間があるに違いないと僕は思っている。



 こう考えてくると、結婚とは「恋愛」という物語の未完故の美しさに浸りつつ、その次に続く「生活」という新たな物語を破綻することなく継続できる二人によってのみ真に可能な営みだと言うことができるだろう。言うまでもなくこの二つの状況は矛盾しており、スムーズに移行するのは容易なことではないだろう。その意味で、恋人達が「結婚」に至るのは奇蹟であるといっても過言ではないように僕には思える。
 統計によれば、日本では1分に満たない間隔に1組の割合で夫婦が誕生しているそうだ。奇蹟はそんなに頻繁に起きているのだ。勿論、彼等のすべてが奇蹟を完璧に成し遂げているのではなく、その証拠に2分に満たない間隔に1組の夫婦が離婚している。
 それでもなお、結婚にたどり着く人々は、少なくとも奇蹟を起こす可能性とその力を与えられた存在だ。それだけでも祝福される価値がある人々だとも言えるだろう。



 蛇足ではあるが、「恋愛」を完成させられない僕が、その奇蹟を起こす力を持たないことは言うまでもない。


hajime |MAILHomePage

My追加