思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2001年05月28日(月) 僕達を忘れない

 コンピュータの世界でも家電の世界でも、記憶媒体の進化は目覚ましいものがある。パソコンを考えてみても、つい数年前までは小さなデータはフロッピー、それより大きなデータはハードディスクという風に棲み分けがなされていた。そこにCD−ROMが登場し、書き込み用のMOが出てきたかと思えば、CDに書き込めるCD−RやCD−RW、DVDのROMやRAM、RにRWと次々にメディアが作られてきた。デジカメにはスマートメディアやフラッシュメモリーもある。パソコン以外では、音声を記録するレコードやオープンテープが小型化かつデジタル化してカセットテープやCD、MDに進化、今ではMP3でさらに小型になっている。映像も16ミリや8ミリのテープからVHS、DV、LDにDVD、最近はハードディスク等々、手軽によい画質で、しかも低価格で記録できるようになってきた。
 生物学上の‘記録’といえば、当然‘記憶’のことだ。これもまた当たり前のことだが、人間の脳には自ずと限界があり、個人差はあるものの、ある一定量以上の情報を貯め込んでおくことはできない。また、時間が経つにつれて記憶は徐々に薄れ、不確かなものになり、ついには消える。だから人間はしばしば、意識的もしくは無意識的に記憶を捏造したり変形したりする。VTRに映っていたから言ったつもりはなくても言ったみたいだ、などと見え透いた(?)言い逃れをした財務大臣もいるくらいだ。また、強いストレスがかかると、人はその記憶を失うこともある。こういう、いわばあてにならない記憶力の限界をはるかに超える形で、人は記憶媒体や手段を進化させてきたのだ。
 何故これ程までに人類は「記録」にこだわるのだろうか。僕が「記録」で思い付く人類最古のものは洞窟の壁画である。そこには、古代その場所に生きた人々の生活が、時にはカラフルに描かれている。いったい彼らは何故そんなものを描き残す必要があったのか。呪術的なことと関係があるのではないか等諸説あるが、僕は勝手に、古代人達がそこに自分達が生きていたという事実を、自分達の死(生命的限界)の後、それを超えて残しておきたかったということではないかと想像している。家族が集まり部族となり、それが統合されて国となる。生活習慣や生活する場所、言語さえ変化していく。その過程で自分達の生きていた日常の痕跡が消えていっても、壁に描かれた絵の中にそれは残る。彼等はそれを意図したのではないか。
 絵は象形文字となり、やがて「紙」が生み出されて記録の主役は文字によって書かれたもの=手紙や書物になる。これも情報の定着や伝達という側面から見る見方の方が一般的だろうが、僕には、物語や思想を書物に書き付けるという行為はやはり自分の思想や想像力の産物といった形のないものを、それを生み出した人の生物学的限界を超えて残していこうという執念の産物のように思えてならない。それは後生の人間達に向けて、またその時を生きたその人自身に向けての何らかのメッセージである。やがてある時点の風景を定着させる写真が発明され、動くものや音声を記録する手段が開発された動機も、おそらく根本においては同じであろうと想像される。とにかく人間は残したかったのだ、自分達がここにいたということを。
 人間が記録する手段を完璧に近づけることに執着するのは、とりもなおさず人間がおのれの生の一回性を知っていて、何とかそれに抗したいという虚しいけれど切実な、祈りにも似た思いの現れであろう。忘れること、忘れられることは、自分達が存在していたことの証の喪失をも意味するからだ。けれども写真は色あせ、テープはすり切れ、DVDもやがては正確な色や物の形を映し出さなくなる。この世に永遠なるものはない。この星が生まれてこの方、地上に生きた夥しい人間達の「記憶」や「記録」はやがて「歴史」というブラックホールに吸い込まれる。もはや誰がどこでどんな風に生きていたのかを特定するものはない。それでも、決して報われることなどないのに、人はせっせと記録し続ける。消えていく時間=生を追い求める、哀しい、そして健気な生物である。


2001年05月25日(金) 棄てられし人々について

 ハンセン病患者の人達が国に対して賠償を求めていた裁判に対して、国(政府と国会)のこれまでの政策の誤りを認める画期的な判決が、先日熊本地裁で出された。これに対して政府は、控訴して争わないことを決定したという。政府として謝罪をする方向だとも聞く。誠に喜ばしいことである。
 僕はこれまで、ハンセン病というものに対しての認識があまりなかった。学生時代にらい予防法と療養所の問題を取り上げた雑誌の記事を読んだことがあったなというのが、微かに記憶に残っている程度である。小説『砂の器』に取り上げられ映画化もされたというが、今回裁判の判決が出たことでマスコミが特集を組んで取り上げたのを見て、改めてこんなことがこの国で行われてきたのかと暗澹たる思いに囚われた。
 国の責任もさることながら、僕が強く感じるのは、人間は「差別する心」をどうしても棄てることはできないということである。病気による差別ということですぐに思い当たるのは、かつて‘エイズ’と呼ばれたHIVのことである。こちらも裁判になっていて関心も高い。この病気も知られ始めたばかりの頃は、誤った知識や情報に基づく偏見が蔓延っていた。特にこの病気が性交によって感染するという偏った情報が、この状況を決定的なものにしていた。また、空気感染や接触による感染が恐れられ、患者(保菌者も含む)はまさに不可触賤民の如き扱いを受けたものである。世の人達の偏見や誤解を取り除き、患者が人間らしい生活を取り戻すための環境を整えさせるのに、患者やその支援者達はどれだけ辛い思いを強いられたことだろう。勿論、それでも問題は完全には解決していない。
 この世界に「文化」なるものが生まれた太古の昔から、人間はある特定の人達に穢れ(悪いもの・不正なもの・汚れたもの・病んだもの等々)を背負わせて社会(集団=共同体)から排除するということを繰り返してきた。悪しきもののシンボルを取り除くことでその社会を‘浄化’し、その純潔や一体感を維持してきたのだが、注目すべきは、多くの場合それは上(権力)から強いられたのではなく、普通の人々がいわば自発的に、そして無意識かつ無自覚に差別を行っていたことである。ハンセン病の患者は、その病気のために無惨なまでに顔面が変形する。医学的知識を満足に持たない時代の人間が見れば、それはまさに悪魔にでも取り憑かれたような姿であり、思わず目を逸らしたくなる状況だ。そして、もしそれが伝染する病であるなら(実際は、感染力は極めて弱いそうだ)、その病気を持った人々を隔離し、社会から見えない存在にしてしまおうという意思が働いたとしても不自然ではないだろう。そして、そうした人間を生み出した血筋に対しても、「健康な」共同体側の容赦のない排除の論理が働く。それゆえに、ハンセン病患者は家族や親族から棄てられ、場合によっては自ら家族の元を離れざるを得なかったのだ。本名も名乗れず、移動の自由もない、まさにこの世から消された存在だったのである。その苦しみは、とても僕の拙い文章力では表現できないものだったに違いない。
 「人間らしく生きたい」という強い思いがあったとはいえ、差別された側の人間が国(=共同体)を相手に声を上げるというのは、僕たちには想像もできないくらい勇気のいる行為であろう。もしかすると、共同体の論理に保護されて、何とかそれが破綻しないようにするために、様々な問題に蓋をしながら狡賢く生きている僕達共同体側の人間よりも、それはずっと崇高な生き方なのかもしれない。
 繰り返すが、これで全てが終わったわけではない。差別する心は、僕達の中に根強く残っている。こんな文章を書いている僕だが、果たして本物のハンセン病患者の方に出会ったら、まともにその顔を見て普通の人に対するのと変わらずに話しをすることができるのか、正直な話まことに心許ない。人間は差別する生き物であり、それが人間の本性である。共同体から棄てられた人達の痛みは、残念ながら自分がその立場になってみないことには本当には分からないのだろう。けれども、そのことに気付かせてくれたということだけでも、患者さん達の行動には大きな意味があったといえよう。


2001年05月21日(月) 扉の向こう側の光景

 我が国でルールがまだ確立されてもいないのに、代理母出産を行っていた産婦人科の医師のことが新聞で報道されていた。この医師は、これまでも国内では認められていない手術を独断で実施し、それが後追い的に認められるという形で、この国の生殖医療を新しい段階に導いてきた。いわば確信犯である。彼の言い分は、不妊に悩む患者が目の前に存在し、それを解決する医学的な技術があるにもかかわらず、国や仲間内(産科婦人科学会)で認められていないからといって医者としてそれを見過ごすわけにはいかない、というものだ。事実、この医師の元には子供を欲する不妊の患者が多く訪れているという。
 彼の主張(というか信念)は一見もっともだ。困った人を助けたいという医者としての正義感かも知れない。また、そのことによってこの国の生殖医療の進歩を促したいという思いもあろう(ついでに、自分の名前を広く知らしめることで、名誉欲と病院の経営の両方を満足させるという計算も当然ある筈だ)。また、実際に不妊に悩む夫婦や、赤ちゃんが欲しいという人の切実な気持ちや痛みは、未婚の男の僕には本当のところは理解できないのだろう。ということは分かりつつも、僕にはこの医師のやり方にどうしても賛成できない。というよりも、こうした生殖医療のあり方そのものに異議を唱えたいのだ。
 これについて詳しいことを書こうとするとおそらく本が1冊できるだろうし、門外漢の僕にはその力もない。遺伝子操作をはじめとするこうした技術について僕がいつも思うのは、その技術はこの先人間や社会にどんな影響を与えるのか分かって開発されたのか、ということである。一番分かりやすい例は原子力だ。そもそもナチス政権下のドイツである科学者達によって核分裂という現象が発見されたことが、全ての始まりであった。研究が進められると、これがとてつもなく大きなエネルギーを生み出すものだと分かり、軍事技術に転用されたのである。その後のことは、もう書くまでもないだろう。日本との戦争で実際に使用された原子爆弾は、一度に多くの人命を奪ったのみならず、今も後遺症に苦しむ人達を生み出した。また、東西対決の恐怖を演出し、僕達の生活を支える電力を作り出す一方、原子炉からの放射線漏れで犠牲者を生んだり、環境に大きな影響を与えてもいる。おそらく、一番最初に原子力を発見した科学者は、それが人類のその後の歴史にこれほどまでに長期にわたって多大な影響を及ぼすとは考えていなかったであろう。もしそのことに思いを致していたら、彼等はおそらくその研究を中止していたか、もしくはその成果を決して明らかにすることなく、闇に葬っていたに違いない。彼等は(少なくともごく初期に段階では)おそらく、これまでにない技術を手に入れたということで、子供のように喜んだに違いない。
 当時のアメリカが原子力の研究・開発を進めてしまったのは、ナチスドイツが先に原爆を完成させると世界がファシズム勢力の手に落ちることになり、それを何としても避けたかったという、いわば善意と正義感からであった(勿論、そこには大戦終了後の国際社会において優位を保ちたいという計算もあった筈だ)。確かにその意図するところは必ずしも間違ってはいない。しかし、それが使われた結果は悲惨なものだった。原爆開発計画に関わったアインシュタインは後にこれを悔いて、平和運動に関わったりしているが、一度生み出された技術を止めることは当然できなかった。
 生殖医療は多くの問題を孕む。養子縁組や子連れ再婚といった目に見える要因を除けば、これまで自明だった家族の「血」のつながりが破壊されるからだ。そこでは、社会的・法的な親と生物学的な親とが一致しないという事態が起きる。それが親子関係や代理母と本当の(?)母親との人間関係、そしてそうやって生み出された子供自身にどんな影響を与えるのか。そして、それが地域や社会の枠組みを変えてしまうことはないのか。検証しなければならない問題はあまりにも多い。それを、技術があるのだからといって、議論を待たず、十分な事後のケアの体制もない中で実施するというのは、あまりにも乱暴な話ではないか。この医者は、自分が困っている人達に命を与える救世主だとでも思っているのかも知れない。だから他人の議論には耳も貸さないのだ。しかし、代理母から生まれてきた子供や、それを育てていく法的な両親、その事実を抱えて生きる代理母といった人達の長い人生に、彼がしたことは確実に影を落とすだろう。その全てに責任が持てるのだろうか。それは医療の範疇ではないということではすまされない。医療は社会から切り離されて存在するわけではないのだから。
 人類はこれまで、様々な科学的な発見をして、それを元にして技術を開発してきた。科学の成果としてそれは喧伝されているけれど、一度生まれてしまった技術は、開発者達の意図を超えて一人歩きを始め、時には暴走する。我々は無邪気な科学者達による技術の進歩を止めることはできない。それで人類は豊かになってきたという事実もある。ただ、新しい技術が生まれれば、僕達は新しい時代の扉を開くことになる。そして、二度と後戻りはできない。たとえその扉の向こう側に広がる光景がどんなものであっても、僕達はそこへ向かって歩み出すしかないのである。


2001年05月18日(金) 変人総理の罪

 ライオン頭のあの‘変人’総理は、何やら尋常ではない国民的人気を獲得したようである。マスコミ各社の世論調査では、軒並み8〜9割の支持率が出ている。ある新聞社で言えば、これは内閣支持率としては細川内閣を抜いて歴代1位だそうである。前の‘失言’総理が一桁代の支持率だったので、なおさらその差が際だつ。もっとも、前の総理が酷すぎたので、後は誰がなってもそれなりによく見えるのは当然で、内閣発足直後はある程度の高い支持率になるのはある程度予想はついていた。だが、この結果はおおかたの政治評論家やマスコミの、そして僕自身の予想を遙かに超えたものだった。政治家が、とりわけ国のリーダーともいうべき総理大臣が国民から高い支持を受けるということは、もとより望ましいことである。だが、今のこの状態は、はっきり言って異常だ。僕には、この国の人々が正しいジャッジをしているとは到底思えない。
 確かに、総理があの人になって、国会の雰囲気はある程度変わったように見える。これまでのように、質問する側もされる側も原稿やメモを読むだけの、緊張感の欠如した茶番劇のような状況はほんの少しだけ改善され、自分の言葉で語る政治家が増えたようにも見受けられる。それはそれで大切なことだ。だが、問題は政策の中身であり、その具体的な実行の手順である。この内閣は「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンを掲げている。それは国民的には大きくアピールしたし、僕自身も大筋では賛成だ。だが、それがどんな政策となって現れ、それが僕たちの生活にどんな影響を与えるのか、またどんな法案を用意し、どのくらいの期間で、どんな方法でそれを実行に移すのかといったことについては、まだ殆ど明らかにされていない。また、内閣が替わり、大臣の多くが交代したにもかかわらず、官僚が替わっていないために政策の転換がなされていない問題もあるようだ。外務省の機密費問題や、農水省管轄の諫早湾干拓事業を巡る問題等がそれだ。しかし、あの総理が国会で構造改革について熱弁を振るうと、それをテレビで見ている国民は何かしらが変わるのではないかとの期待を抱いてしまう。そしていつか、テレビであの総理が語ったり、新聞や雑誌に総理の写真やコメントが踊っていたりするのを見ただけで、実際に何かが変わりつつあるのだという幻想を抱くようになるのである。総理がいう「構造改革」を確実に実行するためには、既得権益を握っている勢力と戦わなければならない。その最大のものは、言うまでもなく彼が総裁を務める自民党である。あの政党がこれまでやってきたこと、またあの政党が存在し続け得られる仕組みを踏まえれば、総理が自民党との戦いを制するのは容易なことではないだろう。あの政党が根本から変わり、彼の政策を受け入れることはおそらくあり得ない。何故なら、それは自民党自体の否定に他ならないからだ。にもかかわらず、総理が「自民党はね、話せば分かるんですよ」と言うのを見ると、国民は「ああ、そうなのかな」と思ってしまうのだ(勿論、そんな訳はない)。彼は多分、従来の自民党的な発想ややり方ではもうだめだと本気で思っていると思う。だが、彼の人気が上がれば上がるほど、それが自民党の人気にもつながって(短絡的である)選挙で議席が増え、結果的に「自民党的なるもの」を延命させる結果になるのだ。端的に言って、彼は国民向けの目眩ましになっているのである。
 この状態は実に始末が悪い。しかも、圧倒的人気の前に、本来チェック機能を果たすべき野党やメディアはたじろいでいる。国会で総理に批判的な質問をした野党第一党の幹事長の下には、その模様をテレビで見ていた国民からの批判や苦情の電話・メールが殺到したそうだ。これは前代未聞の事態である。どうも国民の意識が極端になり、「大嫌い」か「大好き」のどちらかで、「大好き」なものには批判も許さないという、コギャルのように感覚的になってしまっているようだ。‘変人’はこういう国民の意識にうまくマッチし、のみならずそれを煽る存在なのだ。とにかく僕達は、もっと冷静になった方がよい。彼はまだ何もしていないし、本当に国民のためになる政策を実行する保証もないのだ。X JAPANが好きだという総理は、確かにこれまでの政治家とは違うタイプだ。だが、そんな彼が言うからといって、どんな政策でも「それいいかも」と感覚的に判断するのはやめよう。その積み重ねの先には、思わぬ結末が待ち受けているかもしれない。


2001年05月08日(火) 仕事嫌い

 GWが終わって数日が経った。また物理的・精神的に仕事に支配される日常が始まっている。長い休みが続くと、中には1日も早く仕事という日常に戻りたいと思う人もいる。というより、実はそういう人の方が結構多数派だったりもするのだ。仕事をしていると、自分が必要とされているという実感が持てる。自分の持てる力を発揮して、何かをやり遂げた時(新製品の開発に成功したり、プロジェク聖子したり、新規の顧客を獲得し、利益が増大したり等々)、充実感や達成感を味わうことができる。そういう自分や、仕事が成し遂げられていく過程が好きだということだろうか。だが、正直言って、僕は全くそうは感じない。仕事がなくて、でも生きていくだけの経済的な裏付けがあるなら、僕は間違いなく仕事なしの生活を続けることだろう。今の仕事が嫌いというわけではないのだが、どんなに休みが続いても、「早く仕事に戻りたい」とは思わない。
 僕にとっては、「仕事が好き」というのは非常に恥ずかしいことなのだ。勿論、世の中にはそういう人がたくさんいて(これまた、おそらくその方が多数派であろう)、僕はその人達を否定するつもりはない。ただ、そういう考え方を心身共に拒絶してしまうのだ。理由は2つある。1つは、「仕事好き」というのが、僕の頭の中ではどうしてもかつての「モーレツサラリーマン」のイメージと結び付いてしまうからである。彼等は別名「社畜」と呼ばれている。会社と仕事に全身全霊を捧げ、安い給料でもわき目もふらず、極端な場合は倒れるまで働き続ける。そんな姿こそサラリーマンの鏡とされていた時期が長かった。そういう人達が現在のこの国の反映を築きあげたことは否定しないが、一方でそういう労働のあり方がこの社会をだめにしてきたという面もある。会社に魂までも売ってしまい、話題の殆どは仕事のこと、人間関係も仕事中心、生活も仕事中心…というのでは、あまりにも貧しい人生ではないかと思えてしまうのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」ということである。2つ目は、仕事は決してボランティアでもサークル活動でもないということである。確かに、自分の興味・関心に近いことを職業としている場合は、やっていること自体が楽しくなり、ついついのめり込んでしまうこともあるだろう。だが、忘れてはいけないのは、やったことに対して「報酬」が支払われるからこそ「仕事」なのだ。好きでやることと、だから賃金やその他の労働条件は低くても構わない(場合によってはなくてもいい)ということはイコールにはならない。「報酬」を得るために僕達は会社と雇用契約を結び、労働を提供する。そういうある種ドライな部分を自分の中で保っておかないと、「社畜」の世界にいってしまいがちになる。あくまでも僕達は「商品」として労働力を提供し(商品価値を高めるために、人はセカンドスクールに通い、様々な資格を取得するのだろう。それはそれで僕にとっては気恥ずかしいことだ)、その結果として「報酬」がある。そして、それで明日のパンを買う。仕事は生きていくための手段だ。少なくとも僕はそう思っている。だから、そんなものに「全身全霊」を傾けはしない(これは「手を抜く」ということとは少し違う、つもりである)。当然、会社に対しての忠誠心もなければ、過剰な愛着(所謂「愛社精神」)もない。魂まで仕事や会社に売る意思は毛頭ないのだ。
 だが、世の中も次第に「仕事中心は恥ずかしい」という方向に少しずつではあるが向かいつつあるようだ、家族や趣味等、その人が職場を離れた時に大切にしていたり、生き生きできたりするものを持っていないのは、人間として寂しいことなのではないか、ということに漸く気づき始めたということだろうか。
 そんなわけで、僕は仕事が嫌いである。今、この文章を書いているのは仕事では勿論ない(何故なら、どこからも「報酬」が払われないのだから)のだが、この営みの方が僕にとっては余程全身全霊を傾けるに値するものに思われる。充実感や達成感も、現在の仕事の比ではない。だが、これで生活することはできないのも厳然たる事実だ。それは、僕の文章力が、これを売り物にするほど高くはないということの証明であろう。かくして、明日も僕は「仕事」をするために、行きたくもない職場に向かう。
 これは、僕が会社や仕事に魂を売り渡していないことのアリバイ証明的な文章である。我ながら情けないものである。


2001年05月04日(金) 皆様のNHK

 今大きな関心を集めている教育問題について、文部科学大臣や教育学者、経済人等数人を集めての討論番組がNKHで放映されていた。見ていると、どうにも議論がかみ合っていない。その原因は、どうやらこのやりとりが「討論」になっていないことのようであった 番組は大きなトピックを3つ設定して、それぞれについて出演者が討論するという構成だったのだが、司会者が発言者を指名し、個別に質問していくという進行の仕方だったので、議論は盛り上がらず、しかもかみ合わなかった。見るに耐えなかったので(というよりも、時間の無駄としか思えなかったので)、僕は途中でテレビを消した。
 この番組は、何故こういう進行の仕方だったのか。それはおそらく、これがNKHの番組だからである。公共放送たるNHKは「不偏不党」でなければならないという呪縛がある。別に誰かがそう言った訳ではない筈だが、どういうわけか当のNHKは昔から酷くそのことに気を遣っているようだ。この場合、出演者に成り行きに任せて討論させると、どうしても発言時間や回数が出演者によって違ってきてしまう。「朝まで生テレビ」を見れば分かるが、よく喋る人や声の大きい人、あるいは人の話の途中に割り込む人等、他の人よりも相対的に見て多くの時間を使っている出演者は必ずいる。当然、その割を食って自分の主張をあまり取り上げてもらえない出演者も出てくる。そういった事態を回避しようと思えば、いきおい司会者が発言の機会と時間をコントロールせざるを得ない。全ての出演者がほぼ平等に発言の機会を与えられ、しかも番組全体がある出演者の主張ばかりを取り上げ、肩入れしたという印象を与えないようにする。これがNHK的討論番組の至上命題である。そんなわけで、出演者は誰かの発言を受けて発言するというよりは、司会者の質問に答えて自分の主張をただ述べるだけになってしまう。つまり、各自が自分の主張を述べ合うだけ、いわば「言いっ放し」の状態なのだ。これでは論議が深まるはずもない。しかし、おそらくNHKはそれこそが客観的な報道姿勢だと思い込んでいる節がある。ここに、「国営放送」とも揶揄されるあの報道機関の本質が表れている。
 本来の討論とはそういうものではないだろう。あるトピック、例えば「学力とは何か?」という命題を巡って、参加者が様々な角度から意見を述べ合い、そのテーマを深めていくといったものだ。相手の発言の中から重要と思われる部分を取り出し、それについて自分の意見を述べたり、新たな見方を提供したりしていくことによって議論は発展していく。最終的に討論参加者の意見が一致することはなくても、論点がはっきりしたり、問題点が浮き彫りになったりすれば、視聴者は(そして参加者も)それを手掛かりにその問題についての理解を深めたり、いっそうの探究の手助けにしたりするのだ。1人の人間がそれについての考えを述べているのとは違った作用や効果がなければ、討論の意味はないのである。もっと根本的なことをいえば、「会話」(対話=ダイアローグ)とはそういうものなのだ。
 NHKの討論番組がこうなるのは、「皆様のNHK」でなければならないからである。誰もが納得する形に納めなければ、「皆様のNHK」ではない。だが、「皆様」とは一体誰なのだろうか。本当にどの立場の「皆様」の意見をも代表する放送(=不偏不党)は可能なのだろうか。そして、それが本当にジャーナリズムのあるべき姿なのだろうか。
 NHKは視聴者からの受信料で成り立ち、その予算の執行は国会での承認が必要である。そういう事情から、NHKが視聴者からのクレームや政府与党からの圧力に対して摩擦を避けるべく「客観報道」に徹したくなる気持ちも分からないではない(その結果、しばしばその姿勢は政府与党寄りに傾く)。だが、それは組織防衛というべきもので、報道機関の使命とは何の関係もない。「皆様の…」という美辞麗句とは裏腹に、自らの報道姿勢や主張を明確にしないその実態は、「誰のものでもない」といった方が正しいように僕には思われる。


2001年05月02日(水) 風向きは変わる

 “変人”内閣が成立して、ほぼ1週間がたつ。僕はこの内閣や首相自身を手放しで賞賛するものではないし、ましてや首相が所属するかの利権集団(=自民党)を支持するわけもない。この内閣の誕生が自民党の再生や変革をストレートに意味しているわけではない。この点について目眩ましをされている有権者は結構多いようで、その楽天性には驚かされる。しかし、それについては項を改めよう。ここまで述べてきたようなことを前提にしても、なお僕はこの内閣の誕生に、ある種の感慨を感じざるを得ない。それは、自民党が変わったというより、時代(または状況)が変わったということに対してである。
 マスコミで何度も紹介されているが、現首相は過去2回総裁選挙に出馬している。その1回目は、今回も対立候補となったあのポマードのおじさんが相手だった。そして、2回目は“お陀仏さん”と元首相の娘から揶揄された例の“凡人”を相手にした。彼は毎回「変革」を掲げていたが、いずれも派閥力学の前に大差で敗れ去っていた。ポマードおじさんが率いる最大派閥は、もうかなり前から数の力を頼んで首相や政権党を意のままに操り、自分達の選挙区を中心に既得権に群がるゼネコン等の集団に税金をばらまくことで肥太り、国勢を私していた。そうこうしているうちに、国の借金は膨らみ、銀行は不良債権を抱え、にっちもさっちもいかなくなってしまったのだ。このままではこの国自体が破産するというのに、彼等は相変わらずばらまき型で自分達の権力を維持することに汲々としていた。だが、それももはや限界だと、国民の多くが気付いてしまった。その結果、これまでの派閥の締め付けという組織型選挙の手法が自民党員の間でさえ通用しなくなり、機を見るに敏なあの政党の議員達のおかげもあって、今度は「変革」を掲げた“変人”がポマードに圧勝することになったのである。つまり、この何年かで、彼と最大派閥とは立場が全く逆転してしまったのである。
 このような例は、特にこの数年よく見かける。隣国の韓国の金大中大統領も、その昔は反体制運動のシンボル的存在で、何度も時の権力によって身柄を拘束され、抹殺されそうにさえなったのである。彼が今や国を治める立場になっているのは、勿論彼が変節した結果ではない。年を経て少しは柔軟になったとはいえ、彼の政治的信条は変わるところはなかった。時代が動き、彼を国の指導者として必要とする状況が訪れたからに他ならない。また南アのマンデラ前大統領も、黒人解放運動の指導者として活躍し、当然のように白人政権から睨まれて、かなりの長期間にわたって獄中生活を余儀なくされた。国際社会の目がなければ、彼もまた権力によって葬り去られてもおかしくはなかった。それが一転して、あの国の多数派である黒人の指導者ということで、国のリーダーである大統領に選出されたのである。また、その功績はノーベル平和賞受賞という形で、国際社会によって讃えられることにもなった。黒人というだけで虐げられ、白人政権による黒人の虐殺事件さえ起きていたかの国の状況は、内外からの批判にもはや耐えられなくなっていたのだ。もう少しさかのぼれば、あれ程頑強に東西を分かっていたベルリンの壁の崩壊に象徴される冷戦構造の終焉がある。その他、この手の話は人類史上枚挙に暇がない。
 これらに共通することは、それまで盤石で絶対に変化する事などあり得ないと思われていた構造が、あるきっかけで崩れ去り、それまで舞台の隅に追いやられていた人々を主役の座に押し上げるという状況である。変化は劇的で、ある日突然起こったようにも見えるが、実はそうではない。まるで地殻変動のように、表面から見えにくいところで変化はじわじわと進行している場合が殆どだ。そして、何かが引き金になってそれが大きなうねりとなり、構造を一気に変えてしまう。それまでの支配者は、あっという間にその座を追われ、捕らえられて裁かれ、場合によっては国を追われさえする。暴力的な革命や軍事クーデターの類ではないこうした変化は、それまで支配的であり、絶対に揺るがないかに見えた旧体制(アンシャンレジーム)が、内外の様々な要因からそのままの状態では維持され得ない状態になり、まさに外見だけ立派で中は腐り果てて空洞化していることから生じるのだ。そして、おそらくそれはどんなものにも起こりうる事態なのである。
 この世に常なるものはない。そして、明けない夜はない。盛者必衰の理である。今自分が少数派だったり世の主流とは違っていたりしても、いつかは風向きが変わり、流れが変わって、自分のいる場所が中心になるかも知れないのだ。自分の信条を捨て、現在の主流派・多数派にすり寄ることは、案外世渡り上手な生き方ではないのかも知れない。だから、常に自分のいる場所を確かめ、自分の思想・信条・世界観を確固として持つことが大切である。おそらくそれが自分にとっての唯一の羅針盤となろう。間違っても、(前)首相を批判することで自分達の点数が半永久的に稼げるという皮算用が外れて、風向きの変化に慌てふためいている野党のような醜態を演じないようにしなければなるまい。そして、世の中は移ろう。「変革」を唱え、旧体制の打破を旗印に首相の座に就いた‘変人’氏も、いつかは自分自身が作り出した流れに飲み込まれるだろう。その大きなうねりの引き金を引いた人物として彼の名が歴史に残ることが、彼に与えられる最後にして最高の名誉である。
 では、最終的に、この変化の流れはどこに向かっていくのか?その答えは、風の中である。


hajime |MAILHomePage

My追加