Diary?
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2006年05月28日(日) 遥かなり盛岡(2日目)

朝食はなぜかびっくりドンキー。24時間営業でもモーニングメニューはないのだな。朝からハンバーグは辛いので、野菜サラダとはとむぎ茶などという減量中のボクサーのような食事を摂る。そして工場見学へ。

ベアレン醸造所
思ったよりもこじんまりとした醸造所に、100年前のドイツの設備を移設してある。実際に使っている道具の見学なのに、気分は民俗資料館である。ここでのじゃんけん大会ではH氏が敗北。すごく悔しそう。この旅の企画者なのに気の毒なことだ(棒読み)。そんなH氏を横目に、ピルスを試飲。ベアレンの季節モノや単発の変りモノ(今ならスパイスたっぷりのベルギーっぽいWIT-Xとか)は、どういう風に企画されるのだろうと不思議に思っていたのだけれど、お話を伺っていると、どうもマイスター自らが色々作りたいタイプらしい。ちょっと意外だった。マイボックの瓶と、シュヴァルツと麦芽入りの南部煎餅を購入。



昼頃に再び東北道で宇都宮を目指す。菅生パーキングエリアで牛タン定食を食す。仙台名物だし。とは言いながらも東北の地理に疎いので、ここが仙台に近いのかそうでもないのかさっぱりわかっていない。H氏とO氏は「オムかつ丼(プロデュースド・バイ・山本益博)」。「わりとふつー」との感想であった。牛タンにつけて食べる青唐辛子味噌が美味だったので、帰りに売店で買う。
 


宇都宮 ろまんちっく村



土砂降りの雨を通り抜け、5時頃に宇都宮ろまんちっく村に到着。まだ小雨がぱらついていて、レストラン以外の施設はもう閉まっていて、人がほとんどいなくて、ある意味とてもろまんちっくであった。地ビールレストランに直行。3種のビールセット(麦太郎、麦次郎、餃子浪漫)。餃子浪漫は、決して餃子が入っているわけではない。餃子に合うっていうコンセプトらしい。こうなったら、ってことで鉄板焼餃子、しそ餃子、スープ餃子、餃子ピザを頼む。蔵ビールやベアレンの後だからなのか、ここのビールはあまり印象に残らなかった。普通にビールだったというか。

ここでO氏と別れ、東京方面への帰路につく。集合したのと同じ新宿までK氏に車で送ってもらい、解散。あまりにも2日間の密度が濃くて、新宿を出発したのが一ヶ月くらい前のことのようだ。H氏と新宿駅西口に向かって歩きながらぼんやりと「こんな時間にここを歩いていると、まるで旅行帰りみたいだなあ」などと思う。旅行帰りなんだってば。

私は関西出身で、関西人はあんまり東北地方に縁がないのである。今までに行った北限は仙台だった。東北について全く無知で、なんとなく漠とした畏れすら抱いていたのだけれど、いやはや盛岡はいい街だった。また行きたいなあ。わさびエール買いそびれたし。


2006年05月27日(土) 遥かなり盛岡(1日目)

7時にO氏宅を出発。東北自動車道。K氏の車にはファンキーなカーナビとETCが装備されているので快適だ。ちなみに運転はH氏、K氏、O氏がローテーションで行なう。私はそもそも運転免許が原付のみなので、ただ乗っていればいいのだった。極楽極楽。孫たちに旅行に連れて行ってもらうお婆ちゃんの気分である。上河内サービスエリアで朝食。もう東北かと思っていたらまだ栃木だったらしく、餃子メニューがいっぱいだ。H氏とO氏は餃子うどん、K氏は餃子丼を食べている。いずれも揚げ餃子が具として使われている。私はおとなしくきつねうどん。その後一度国見パーキングエリアで休憩を取り、一路岩手へ。雨かと思っていたら抜けるような青空の日だった。11時前には第一目的地、一関に到着。




世嬉の一酒造
  


「酒の民俗文化博物館」をひととおり見学し、巨大な仕込み桶に入ったりしているうちに11時。蔵元レストランへ。ここで私以外の3人による第一回じゃんけん大会が催される。O氏の負け。つまり運転手。だから蔵元レストランなのにお酒飲めない。豆乳やゆず茶などを悲しげに飲んでおられた。H氏、K氏、私はといえば、“英国紳士が愛したカキの黒ビール”オイスタースタウト、“青いビールの贈り物”サムシングブルー、“愛のバラのシャンパンビア”レディローズ、“モンドセレクション銅賞受賞”パッションエールなど、アヤシゲなものはとりあえず飲んでみるスタンスで。そうこうしているうちに店内では餅つきが始まっている。月で兎がついている、あの杵だ。はじめて見た。はっと汁という郷土料理の作成も見られた。九州の団子汁のようなものか。せっかくなので最後につきたての餅を食べて、お腹いっぱいでいざ盛岡へ。午後3時頃、盛岡着。

焙茶工房しゃおしゃん
H氏の案内にて「焙茶工房しゃおしゃん」さんへ。貴重なお茶をどんどん試飲させていただき、居心地の良さについ長居をしてしまう。北限のお茶、気仙茶を購入。ねかせると味の変化が楽しめるとのことで、これから半年ほど少しずついただきましょう。ここでたまたまお会いした地元の方にいろいろなお話を聞かせてもらい、おすすめのお店なども教えていただく。「わさびエール」なるものの存在もこの時に知る。メロンソーダのような色で、ツーーーンとくるらしい。うーむ気になる。

しゃおしゃんさんを後にすると、毎週土曜日に催されているという「材木町よ市」のまっただなかであった。ここに、明日訪問する予定のベアレン醸造所が生ビールを出店しているとの情報をさきほど入手したのだ。マイボックの生をちびちび飲みながら、よ市を見て歩く。K氏は「小麦でんがく」という五平餅のようなものを食べている。この「よ市」、私がもし盛岡に住んでいたら毎週来ちゃうね。しゃおしゃんさんでお茶買って、よ市で野菜とか買って、美味しそうなお惣菜でベアレンのビール飲んで。いいなあ。

さてそろそろ夕暮れ時なのでホテルにチェックイン。少し休んで、さらなる地ビールを求めて街へ繰り出す。

ヌッフ・デュパプ
かなり大きなパブだけれど、土曜の夜ともなれば満員であった。21時になれば席を用意できるとのことで、予約して一旦退散する。地ビールと中国茶のみの今回の旅で、唯一盛岡の街を歩く機会ができた。この隙に盛岡名物じゃじゃ麺を食す。

HOT jaja


麺好きにはたまらない。ウイグル料理のラグメンに似ているような気がした。食後に自分で玉子を溶いて、そこに熱いスープを注いでもらって玉子スープにするのが面白い。基本的に味付けは自分で調節するので、不味ければ自分のせいだ。ここでK氏により「酢を入れると完成形になる」という名言が発せられる。

21時になったのでパブに戻る。ベアレンの4種を全て頼み、回し飲みをする。コローニア、クラシック、ピルス、シュヴァルツ。私はさっきよ市で飲んだマイボックが気に入ったのでここでも注文。しかしなぜかさっきより薄いような気がする。やはり生はコンディションによって味がちがうのかね。O氏はギネスフロートなどという恐ろしげなモノに挑戦している。ギネスとアイスクリームの味がする。なんともまあ。


そんなこんなで、長い長い一日が終了。ホテルに帰って倒れ伏す。


2006年05月26日(金) 遥かなり盛岡(ゼロ日目)

夜の10時に新宿集合。H氏、K氏と合流。K氏の車で宇都宮方面へ出発。1時間ちょっとで宇都宮近辺のO氏宅に到着。参加者に20代がひとりもいない旅なので、まずここで睡眠を取り英気を養う。私は一人で一部屋あてがってもらってくつろぐ。ここだけは開けないで下さいとO氏が懇願していたドアがものすごく気になったけれど、一宿の恩義と思って我慢する。

そうやって、地ビールの旅は始まった。


2006年05月21日(日) ヒトカラ




 二胡を弾くために一人でカラオケボックスにこもる時には、せいぜいソフトドリンクを1〜2杯だったのだが。ついうっかりナポリタンを食べてしまってからというもの、こんなことになっておるのです。今日はちりめんじゃこのピザ。素面ではうまくいったりいかなかったりのヴィブラートが、ほろ酔いだと何故か上手くかけられる。

 しかし、たとえばタイムスリップして20歳くらいの頃の私に会ったとしてだ。「あんたは20年後、すごくお天気のいい日曜日に一人でカラオケボックスにこもってビール飲みながら二胡弾いてるような人になってるよ」と告げたらどうなんだろうね。うーん。…今、20歳の私になったつもりで考えてみたけど、たぶんあんまりびっくりしないような気がした。「あ、そう」くらいのリアクションかな。「やっぱりな」とか。


2006年05月16日(火) 効率の良い食物

 日曜日は六本木でパブランチであった。巨大なヨークシャープディングの載ったサンデーローストとエールでだらだらと休日の午後を消費。サンデーローストはチキンポークビーフから選べと言われた。ランチだし、軽めにと思ってチキンを選んだ。たいへんなまちがいを犯してしまった。小振りのチキンの半身がそのままローストされて出てきた。手羽先とかついたまま。大量だし食べにくいし、頑張って格闘したけれど残してしまった。同行の人はビーフを選んでいて、ふつうにローストビーフでさくさく食べてた。「牛は効率の良い食物だ」と威張っていた。ちょっと悔しい。牛は巨大だから、肉の部分はほんとに肉だけだよね。骨付きカルビってのもあるけど、あばらでアレだったら足の骨なんてどんなだろう。

 効率の良い食物というと、いつも海老のことを思う。海老は、なぜあんなにも人間に食べやすいようにできているんだろう。固いけれど剥きやすい殻、中身は骨も内臓もなくて全部「身」。固い殻の中にぎっしり身が入ってるっていうのは、動物じゃなくて果物や木の実なのではないのか。あの殻は、殻というよりは調理用のパッケージみたいだ。半調理食品っていうか。あとは火を通すだけで美味しくいただけます。伊勢エビなんて、殻は器にもなるし。


2006年05月11日(木) あいのて

 普段、朝は7時半にTVのタイマーでNHKがつくようになっている。8時過ぎにニュースが終わると、民放のワイドショーなどは見る気がしないので教育テレビにチャンネルを合わせる。「にほんごであそぼ」「ピタゴラスイッチ」などを横目で見ながら支度をしている。

 昨日は所用により午前半休を取った。用事は10時ごろからだったので9時半に出かければよくって、いつもよりは少しだけのんびりとしていた。だからいつもより長く教育テレビを見ていられた。9時台の番組は普段見られないので物珍しい。9時15分からは「あいのて」という番組が始まった。音をテーマにしていて、いろんなもので音を出したり、楽器で遊んだりしている。マリンバにピンポン玉をたくさん投げつけて演奏したり。いいなあ。楽しそう。私もやってみたい。出て来る人たちの衣裳はちょいと妙だけれど、腕の確かな演奏家のようだ。いい番組じゃないの。知らなかったなあ。

 しかし、そのようなほのぼのとした気分は、突然始まった「ワニバレエ」なるコーナーによって無惨にも砕け散ったのであった。これはなんというか、説明に困る。バレエ、なのか? ……強いていうなら前衛舞踏? うーん。人間、わけのわからないものに遭遇すると本当に口があんぐりと開くのだなあ。初めて「ストレッチマン」を見た時よりも、腰の抜け具合は激しかった。たぶん子供はこういうの大好きだと思うので、そのうち街中に激しく踊り狂う幼児たちが出現するかもしれない。とにかく見て下さい。土曜日の朝9時からも放送しているようなので。私もたぶんまた見てしまうと思う。


2006年05月07日(日) 死ぬかと思った

 東京に戻ってきましたです。実家の片付けやらおさんどんはいつものことなので慣れてはいるものの、今回は珍しく兄も帰ってきていて、その兄は「痩せの大食い」を絵に描いたような人で、中年のくせにまるで食べ盛りの高校生かと思うほどの食欲魔人なので、とにかく食事を作るのがいつにも増して大変であった。

 それはいいとして、死ぬかと思ったのは「たまには外食を」と出かけた時のことだった。田舎の幹線道路というのは、直線であまり信号が無かったりするので皆スピードを出しがちではある。しかしまあそれは、全体としてみんなのスピードが速いってことで安定しているのである。しかしゴールデンウイークや年末年始などには、普段その辺を走っていない「帰省ドライバー」が急増する。フェリーがある関係で、突拍子もないナンバーの車が走っている。旭川とか。運転も、ものすごくゆっくり走っている人、見るからに道に迷っている人、あるいはものすごく乱暴な運転をする人など、普段は見かけないタイプの運転が急増する。

 父の運転で走っていた道は、両側一車線ずつの国道で、追い越し禁止のエリアであった。我々の車線はとても空いていて前には車も無く、安心して走っていたのだ。対向車線はまあまあの混み具合、とはいっても渋滞はしておらずほどほどの車間距離で普通に流れていた。そこに一台のランクルが猛スピードで追い越しをかけた。そしてうちの車と正面衝突ギリギリのところで猛スピードのまま元の車線に突っ込んでいった。助手席に乗っていた兄が「あっ」と言い、父が急ブレーキを踏むまでには年齢のせいもあって実際に少しタイムラグがあったし、そういう際の常として当事者にはスローモーションで感じられるものなので、実際よりもかなりの時間経過を感じた。

 どう考えても正面衝突はするだろう、死ぬんだなと思った。ああ、もうちょっと二胡が上手になりたかったなあ、恋愛もあと一花くらい咲かせたかったなあ、残念なことだ。しかし東京で一人でいる時じゃなくて、こうやって家族みんなでいる時でよかったかもしれないなあ。ニュースになるかなあ、でも関西だから東京の友人たちにはわからないだろうなあ。あ、臓器提供の意思表示カードは家に置いてきたバッグの中だなあ、どうしよう。……というようなことを考えていた。実際には一秒にも満たない時間だったろうけれど。

 死ぬかと思ったのは人生で二度目で、一度目は会社の宴会の鍋料理で、カセットコンロのボンベがガス漏れして何台ものコンロに引火、1メートルほどの火柱が上がった時だった。その時にもいわゆる「走馬灯」を経験した。もういやだ。次に走馬灯を見る時はほんとに死ぬような気がする。
 


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