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■ マスターキートンによろしく(the Last Message from NY)
帰国して、就職活動をして、実際に働き始めてしばらく経つ。 ありきたりな言葉で恥ずかしい限りだが、イサカにいた日々がまだ二ヶ月前だったことに今更ながらに驚く。青々とした草原が視界一杯に広がり、夜空になるなんて想像できない程の透き通った空の下、ラップトップを詰めたバックパックを背負って、ルームメイトに「gota leave now…」なんてつぶやいてキャンパスまでスニーカーを履いて今日の研究計画を立てながら歩いていたなんて・・・・。
いまでもそんな生活が私のいる東京から十数時間も飛行機に乗れば、今日もあの小さな街で三万人ほどの学生によって繰り広げられている。
そしてハードドライブを開けば、私もその一員だったことの証拠はごまんとでてくるが、本当に?と思わずつぶやいてしまう。二度とイサカに行かない確率は高いし、一緒に勉強してた仲間はもう世界中に散ったし、恐らく99%は死ぬまで会わない。
会社にしても、学校にしても人が集まるところは、そこにいる人たちの悲喜こもごもとは裏腹に(そして人の数に比例して、その悲喜こもごもは大きいのに)、建物やその周りの山や空は知らん顔してたたずんでいる。そんなコントラストが、こんな「幻想感」を増幅させていると考えられる。
写真や記憶だけが、私たちがそこにいたのだ、という頼りなのだから、本当に頼りない。勝手きわまりない、といっても良い。その成績は彼女にとって自殺するほどのショックだったというのに、その数十メートル先で生涯の伴侶に出会う出会いを得た彼には、イサカはまさに「運命の土地」としか認識されないし、何万ドルもの損失をだして絶望に暮れる人がいる下のフロアでは、世界中の人を魅了する楽曲のインスピレーションを得たとしたら対岸のニュージャージーの夜景は目を細めてしまうくらい眩しく写っている。
私の記憶には、私のイサカとNYはどんな場所だっただろう?
もっと修辞的な言葉を尽くして語りたいところだが、文字通り筆舌に尽くしたいのか、能力的限界からか、残念だけど、「楽しかった」としか言いようがない。楽しすぎて、もう後の人生は消化試合みたいなものだと思っている。
正直言ってNYやイサカにいるときは必死なことが多かったせいでなかなか気がつかなかったが、今になって思い返してみると物心ついたときから「こんなことできたらいいかもしれない」「あんなことをやってみたい」「そんなふうにがんばってみたい」と望んだことがアメリカで全てできた。だから、残りの人生に期待はなくなってしまった、というわけだ。
その場所がアメリカである必要はなかったが、あそこで出会った人たちは必要だった。だから、再現不可能。たまたまそこにあの人達がいてくれたから楽しかったし、いろいろ実現できた。
さて、現在私がしている仕事は、正直言って全く関係ない。もっといえば、コーネルの学位はオーバースペックじゃないか、と思う人もいるかもしれない。何度もいうが、これまでの人生とても幸せだったので、もう残りが退屈でもまったく不満はない。
最新の社会科学のフロンティアを覗いてしまったこと、世界にはワクワクドキドキするものがあふれていることを知ってしまったことは、横浜の片隅で判子を押す日々をより辛くさせるかもしれない、と危惧してくれるひともいる。結構そうでもない。上司にいわれたことをこなせば正解という快適さをおわかりだろうか?
世界需要を予測する話を聞いていると、「低金利時代が世界的規模でやってくると思われる。しかし、それで投資が増えるかどうかがわからないことは日本の例で実証済みだね」なんてことを知った顔で話しているおっさんがエレベータにいた。「わからないなんてことはなくて、自然利子率(均衡実質利子率)が利子率よりも低いかどうかだけで、予測可能かと思われますが」と思わず答えてしまう。しかし、
「どうしてわかるんだね?こういう今の状況を不確実性というんだよ」 ・・・ 「そもそも、不確実性とリスクの違いをわかっていらっしゃらないのでは?ちなみに、今の話は100年以上前に証明された話ですが、あなたは経済学の教科書を一冊でも読んだことがあるのんですか?」(※自然利子率の話は、100年前にセクヴィルという人の証明された)という言葉を飲み込んで「そうですか。勉強になります」と答える。とやはりしたり顔で新人ぷりを演じている。もうこれで任務完了だ。
いすに座っていれば給料が勝手に振り込まれば月給取りは楽でいい。定時の六時になれば、私の今日の行為はwell doneなのだ。イサカにいた頃は、一秒ごとに、Am I OK? と自問していた。「ふー今日はもういいや」、「スキー?いいよ。行こうか」「一行書くのに10本も論文読んじゃったよ」と思った次の瞬間には、「それでいいのか?」と問われ続ける。いつまでたってもゴールのない世界だった。一方で今は、「はい。この契約書と、出納をチェックしてください」といわれて、それをすればもうパーフェクト。
こうした日々をみて、やはり人はそんなことのためにあんなコストを払ったのか?と眉をひそめるかもしれない。でも、そんな快適さを熟知できたことや、政治・経済・農業についての議論をきいていて正確なソースがどこにあるのかを知っていることは、いくら自分の仕事がくだらなくても耐えられるのですよ。同じ目的地に行くのでもGPSがあるとないとの違いのようなものだろうか。
だから、もし私の友人や将来の子供が、留学したら楽しいかな?と聞いてもきっと「どうだろうね」としか答えられない。ただ、世界をみることや学問のフロンティアに触れることは、GPSを得るようなもので、将来の不確定さを少しは和らげてくれるだろう。(そもそも社会科学とはそういう不確定さへの興味から出発しているのだから)その意味で、いろいろなコンディションが許されるのならば止める理由は、同時に、ない。現在の投資銀行のビジネスモデルの終焉に際しこんな議論がある。
「やっぱりアメリカ人はバカだ」と嘲笑するのは簡単だ。しかし飛行機に乗らなければ、飛行機事故にあわないのは当たり前で、それは乗らない人が賢いからではない。その代わり彼は海外渡航するとき、船で行かなければならない。アメリカの成長率は1%台だが、日本の成長率(4〜6月速報値)は年率マイナス3%である。本当のバカは誰なのか、判明するのはこれからだ。(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ac56e0f810ae31251b667c3335c0458a)
社会科学の検証・議論の方法を学んだことや、五つの大陸出身の人すべてにkiyoと名前を覚えてもらったことや、アメリカ人の友人や生徒の実家で酔い潰された「プロセス」がまだ続いていると思えることがきっとこれからの人生私を幸せにしてくれる。だから、何度もいうが、今後どんなつまらないことが続いてもだってへっちゃらだ。
中学生の時マスターキートンをよんで、私もマスター(修士)になろう、と思った。それからずっと夢見た世界は本当に夢のようだった。同じ夢を見た仲間がともに過ごした時間を糧にして困難を克服し、海の向こうで幸せでいてくれることを切に望む。その思いは、私の彼らへの感謝おなじように尽きることはないことを表明しここに筆を置く。
追伸:決して仕事が忙しいわけではありませんでしたが、最終回まで時間が空いてしまいました。ごめんなさい。NY在住シリーズはこれにて終わりです。楽しんでいただけましたか?エンターテインメントとして書いているので、楽しんでいただければ私の意図は成功です。まだ、どこかで何か企画するかもしれませんが当分ありません。メールアドレスや携帯など変わらず生きています。東京都横浜を往復する日々を過ごしているのでよかったら声をかけてください。それでは今までありがとうございました。
2008年10月13日(月)
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