にっきちゃん。

2004年01月30日(金) あたしの尊敬する人。福支配人殿。

あたしの会社でのあたしの所属部署は

「接客サービス」。
そう、仲居さんですね。

ほかにはフロント。事務所。管理課。営業。
などなど様々な部署があり、それぞれに直属の上司がいるわけです。



例えばフロントの直属上司はフロント主任。
なにかあったらこの人に報告、相談。
業務を取り締まり、動かす中心人物。



あたしの直属上司は男性、役職は『副支配人』。



彼は、絶対に叱らない。
そして性格なんでしょうが、本当にめちゃくちゃ温厚です。
そして常に冷静です。
声を荒げるなんてことは考えられない。
手がつけられないような問題が起きてみんながあたふたあたふた
パニックしている時も状況をものすごく客観的に見て
結果を出す人です。

そして、とても謙虚です。
支配人というデカイ立場ながら
あたしたちのようなしたっぱに
「いつもありがとう」「勉強になりました」「本当におつかれさまです」

あたしたちにだってなかなか言えないようなピリピリした状況の時でも
あたしたちにだってなかなか言えないような心あたたまる
言葉をいつも発する人です。



本当に優しくて、友達みたいにきさくだから
みんなはやっぱり友達みたいに接しています。
そして、『副支配人って、ほんといーひとだよねー」
なんてフツウに言ってる。

けど、あたし、みんなみたいにそう素直にだけ思えない。




彼は、とてもドライな判断を下し実行することのできる、
恐ろしく頭がいい人。キレル人。

とてもとても温厚で優しいから甘いようにみんなは思っているけど
本当はとてもとても厳しい人だ。
私はとても恐れ多くてみんなと一緒になって
「副支配人っていーひとだよねーー」なんて
お菓子食べながら言えないよ・・・。



けれど、みんなが思っているとおり、謙虚なのは本当だ。
だって心の中ではいろいろ許せないことをたくさん
持っているけれど、頭ごなしにみんなをしかることがなく、
けれど自分はいつも自分に厳しくしている。
・・・ように見える。



・・・うまく言えないけど、ずっと思ってたんだ、
彼は、頭の中でこれからの指導プランや行動計画を自分の中で
確実に持っていて、今はみんなを受け入れている時期なんだと。
現状を自分の中に取り込んでいる時期なんじゃないかと。


この先、厳しく行動し始める時が絶対くる、
でもそれは彼が何を達成した時に始まるんだろうって。


彼は何を達成しようとして
叱らず、受け入れることを今続けているんだろうって。



みんなは思ってる、彼はおこらない、あたしたちに優しい。
ウレシイね、だいすき。



・・・・でも、それはいつまでも続かないよ。そう思ってた。




・・・あたしは頭がよく本当はドライな彼をとても好きであり
そしてとても尊敬している。
だって、あたしはこんなふうになれない。
自分に厳しく、人に優しい。
人の失敗をいつも許し、励ますけれど
自分は失敗をしない、(そりゃぁ人間だもの、失敗もあるだろうけど
失敗のレベル場面があたしたちとは多分違う)
そしてそれをみせつけず
もくもくとずっと厳しく生きている彼を感じる。



そしてあたしは彼と話をする時間がとても好きだ。
感情で発言することなく、いつも建設的なことを言う。
とても話していてきもちがいいんだ。




・・・・いつ、この人はあたしたちに対して厳しく行動し始めるのだろう、
彼はこのままで終わる人じゃない。
いつもそう思ってひとりわくわくしていた。




彼が自分コントロールを少しでも止めるとき。
1年間一緒にいたけれど、そんな時間きっと時間にしたら15分と
なかっただろう。



今日、ふとそんな時がきた。



彼が今日、ぽろりと言った。


「自分もここにきて1年。やっと、現状把握が終わったよ。
 やっと行動できる。これからは、もっとイライラしようと思う。」




ものすごい、と思った。
彼の現状把握の時間、1年間。
あまりにも長い。


つまり、わたしたち仲居を見て、一緒に働いて、
・・・・フツウ1年やってきたら
もう一人前だ。レベルはともかく、一人でリッパに仕事が出来る。


そんな時間を、『現状把握』とは。


そして、これからはもっとイライラしようと思う。
ということは、これからはあたしたち部下にもビシバシいくよ、ということだ。



あたしは、この日がくるのをずっとわくわくしていた。
彼が行動する時。
きっと何かが変わるんだろう。
正直、とても恐い。



でも、本当にわくわくしてどきどきして、鼓動が止まらない。



1年間という長い時間を現状把握にかけていた
彼のデカサに正直びっくりした、と共に
やっぱりこの人スゴイ、と尊敬の念で胸がいっぱいになった。


あたしは一日一日単位でイライラし、落ちこみ、ストレスをため、
いやというほど悩み、悩み、毎日心揺れていた。
そんな自分を恥ずかしく思った。


そんななか 彼は きっといろいろをさらりと受け入れ
いろいろに心揺さぶられもんもんと馬鹿みたいに悩むのではなく
これからの行動のための現状把握として
自分の中に取り込んでいたのだろう。



デカイ。
この人があたしの上司で本当にウレシイ。
彼に出会えてよかった。



これからも、この人と一緒にいたい。
心からそう思いました。




この1年を現状把握だ、これからやっと行動できる状況になった
という彼の現実は、あたしの思考回路の中にまったくないことで、
本当に目からうろこでした。


こんな刺激と尊敬の念を与えてくれる人に出会えた
喜びでいっぱいです。



ああ、これからももっといろいろを学ばせてください。






敬礼。



2004年01月29日(木) キモチワル!

最近ものすごく感じています、
自分の心ってなんて冷静なんだろうと。

いや、冷静と言っても誉め言葉ではなく。
かといって自分をけなすつもりもないのですが、

とにかく冷静だなァと、ドライだなぁと、
感じています。


例えば仲間みんなとわいわい騒いでいる時。
みんなゲタゲタわらってお酒でも飲んで・・・
そんな時一緒に笑いながら
心はものすごくドライなのであり
状況をなんというか・・・心の中で1歩ひいて見てしまうのですね。


昨日行われた会社のお泊まり新年会の宴会でも(ちなみに50人くらいいた)
みんながわいわい盛り上がっている時
自分も一緒に盛りあがっているのですが
やっぱり心の中はかなりドライで
いろんなコトを観察してしまう。


いろんなものがみえて、最近ではこんな自分にうんざりしてます。


あのひと笑ってるけどホントはつまらないんだなぁどうしよう、とか
あ、あのひと今ひとりぼっちで困ってるヤバイ、とか
みんなが酔っ払いすぎてお料理はこぶ人がひいてる、なんとかしなきゃとか・・。



みんなと心から騒いでたのしんでりゃーいいものを
見えなくていいいろんなものをどうしても見ようとしてしまって
楽しい席なのにひとりせつなくなったりしてます。



べろべろによって踊りながらカラオケシテル仲間を見て
本当に素直で人間らしい人なんだな、とか
冷静に思ったりしてないで
一緒に唄って踊ってさわぎたい。



冷静に人のことハタから見ていろいろ思ってることを
悟られないようにウマい具合に笑って、騒いで
雰囲気からはずれないように自分をリモコン操作してる
自分がうっとおしい。



最近素の自分ってなんだかわからなくなってきました。
仕事中も、仕事が終わっても、
頭の中で今はこういう自分になれ、って常にコントロールしていて
なんだかなぁと。



ヤバイな、ヤバイよね、
きっとヤバイよね、




もう、なんか、どうしよう。
カワイクないな。
あたし、カワイクない!!!
こんな人生きもちわる!





・・・・・・とりあえず、寝てみます。






・・・・うわ、きもちわる!このしめかた。


にげろ。



2004年01月24日(土) わからない

何もかもがわからない。
仕事とか、仲間とか、先輩とか、後輩とか、


友達とか・・・恋人とか・・・・


楽しいとか苦しいとか

笑い方とか泣き方とか怒り方とか、


ほんとにほんとにワカンナイ。




人生とか、わからない。






でも、絶対にわかってるのは

私はモノスゴクモノスゴクちっちゃい人間だってことだ。


たぶん、そうだ。



2004年01月18日(日) ねえあたし。あたしを、もっとゆるしてあげて。



そよそよとやわらかく吹いていく風。
きっと美しい波の音。
ロマンチックな夕焼け空。


ぼーっと過ごす幸福。
愛する人と過ごす、時間。
形がなく、あたしの人生にとって具体的な進化がないものたち。



そう思わないと前に進めないと思っていたから。
あたしはあらゆるものとあらゆる感情をシャットアウトして
生きていた。



それを否定し様とは思わないけれど。けれど。
けれど・・・・・。



「ある文章」を載せます。



*************************************

『たとえば、自分の部屋の時計の音が普段は全然聞こえない・・・・って経験が
誰にでもあると思う。時計の音は、ずっとカチコチカチコチってなり続けているのに、人は無意識にその音を遮断している。
だから、音はしているはずなのに聞こえていない。


それと同じように、私は自分が生活していく中でいろんなものを『遮断』して
いたことに気がついた。
長いこと有能な会社員を目指してきた私にとって、身体感覚は邪魔だったらしい。
社会に出て仕事をこなすためには、ロボットみたいに正確にルーチンワークを
こなした方が都合がいいのだろう。

毎日、毎日、忙しく働いて、たくさんのことを処理して、たくさんの人間と
会って・・・。
そうやって追いまくられていると人間の脳は迅速に物事を処理することに
プライオリティを置く。
仕事に関係ない余計なことは、見ざる、言わざる、聞かざるになっていく。
仕事に直接関係のないことは遮断して最大限の能力を事務処理に投入するのだ。

で、そういう生活を長く続けていた私はすっかり有能なロボット人間になっていた。

都会の満員電車の中で、通勤途中のサラリーマンがみんな他人に無関心に見えるけど、あれは無意識的にロボット化しているだけなんだ。
効率を求めたら寄り道はしない方がいいに決まっている。


ところが人間のカラダってのは、生きている瞬間瞬間にものすごくたくさんの
情報を吸収していて、それを切り捨てながら生活している。
私は何故か兄の死をきっかけにそのことに気付いてしまった



・・・・・略・・・・・


*************************************




あたしもきっとおんなじだろう。
たぶん、仕事中はおろか、休日の私生活においても
効率的であり、かつ生産的な感情以外は無意識的に遮断している。



あたし。っていう人間は素のまま生きていたら
多く多く、おおくおおくの形のない感情や風景や、香やたたずまい・・・
そんな生命を(人であったりそれは自然であったりする)吸収して
 心とカラダがいろんなふうにきゅん、となる
人間だ。



すべてをやりおえて、おばあちゃんになってさあ、
もうあとはただ幸福に、それだけを求めてゆっくりと生きていこう。


と。そんな時がくる前に、徐々にでいいから
そういうことを感じながら、いや感じることを自分に許せる
人間になりたい。


自分においたてられず、罪悪感も持たず、
まっすぐと素直な気持ちでそう思える自分になりたい・・・んです。



神様がいるのなら。
あたしの心を解きほぐして、
自分を追いたてるこのカラダの中の人に、
あたたかいコーヒーでもいれながら
涙の出るような幸福について説いてください・・・。



そう、お願いするだろうな。



そう、わかってる。



2004年01月17日(土) 八方塞に吹いた風

最近やけにイライラしていた。
いつもなら笑って仲間とがんばれることも
なぜか必要以上に受け入れられず
毎日鬼みたいな顔をして。


周りから見たらきっと威圧感があるんだろうなぁ。
いつもは毎日人より笑って盛上げ役のあたしが黙って
恐いかおしながらモンモンとしているから。



・・・・心の中ではそうわかっていた。
こんな私ヤダヤダ!と痛いくらい自覚しているのに
どうしても笑顔になれない、本当にイライラしていたんだ。


多すぎる仕事量と少なすぎる時間と足りない睡眠と
走りながら口にかけこむおにぎり。



抜け出せなかった。
四方八方壁に塞がれていてこのままではよくないと
わかっていながらも身動きできない状態。



仕事・・・もっと、ほどよく手を抜いてやってしまいたい。
やろうと思えば自分次第でいくらだってできるんだ。
人任せにして、みんなについていっちゃえば
毎日いつのまにか終わってるに決まってるんだ。
お客様にだって手を抜いて接客するコトだってできるんだ。
一秒一秒幸せ提供を考え続けなくたって
食事を出して、館内説明さえすればある程度の満足感を
得てもらうことも出来るんだ。



だけど、八方塞の思考回路ゼロな中、それだけはやっぱりゆずれなかった。
あたし、ここで一人前になりたくてもう一度決意して戻ってきたんだ。
人並みレベルで毎日いたんじゃあたしが今ここにる意味がないんだ・・・。

ちょっとくらいつらくたって、疲れていたって
人より我慢して人よりつらい仕事を自分からやって、
人より努力しなければならないんだ。


常にそう思っていた。





ああ、毎日私の目の前に有る現実と、
あたしの胸の決意とのうらはら。



煮詰まってしまった。
どうしたらいいんだろう。


あたし、自分に安らぎを与えたり、休ませたり、
時には誰もが必要であろうこと、
あたしにも与えていいのかなぁ・・・・




ああ、誰か助けて!
・・・・助けてくれる人なんているわけないジャン。



なんて自問自答を繰り返しながら毎日
死んだ様にねむりこけてた。





そんなとき、ある人が書いたある文章を読んだ。



具体的に何かが開けたわけでもないけれど、
なんだか「あや」という人間に、もっと感情的に、
いや理性を抜いて、
泳がせてあげてもいいんじゃないのかなぁ・・・って



今まで思えなかったことを素直に思えた。







翌日の日記に、「ある文章」をのせてみます。


また、いつかこの先
八方塞になってしまった時に読み返して
何かを感じることの出来るように。



2004年01月15日(木) I+m lost

瞬間移動してひとつになってしまうほど
苦しく抱きしめて。


もう死んでしまう、と叫ぶほどにきつく噛みついて。

粉々に散ってしまうまであたしを突き抜けて。


********************************


あたしを迷子にしないで。

こんなにくねくねと曲がりくねった国で
ひとりにしないで。

感覚を研ぎ澄ませて、目を閉じて見ても
驚くくらいにあたしは何もわからないただのコドモ。


******************************

もう全てが消えてしまえば全てを信じられる。
あたしはなにをすべきか知っていながら
歩行機を使わなければぐらぐらと揺れて
ひざまずいてしまう。


意志や思考なんて、言葉なんて、
物語をはじめようとする人のタイトルでしかない。



・・・物語ははじまらない。




あたしは意志や思考をつきぬけて、

ひとり迷子だ。




***********************************

もっと噛みついて。

・・・・噛みつかないで、こわいんです。






もっとだきしめて。

・・・・抱きしめないで、迷子がこわいよ。



***********************************



迷子はあたし。


あたしだから。





2004年01月12日(月) 同じ夜。

幸せそうにニコニコ食事していた、
たくさんのお客様がみんな帰り、
掃除をして、明日のバイキングの支度を全て整えて、
レストランをクローズした夜10時。


真っ暗な中、お客様も、仲間も、みんながが帰って
静まり返ったレストランで全ての備品の在庫数チェックをしていた。

一人で数える数える数えまくる、
はしおき、いち、にい、さん、しい・・・・ななじゅうはっこ。
あ、まてよ、あそこにもいっこあったな。


スプーン、いちにい、さん、しい・・・・187ほん。
あ、まてよあそことあそこにも今でてるから・・・192ほん。

グラス、器、鍋、きゅうす、ゆのみ、はし、おしぼり板、
・・・・・静まり返ったレストランに
あたしの着物のすれる音とかちゃかちゃとモノが動く音だけが
こだまする。




数えて数えて夜11時半。


ああ、つかれたなぁ・・・
あしたも5時半おきなのになぁ・・・・


なにやってるんだろ、はやく寝たい・・・

もうやだよ。









疲れたあたしの脳裏に今日、幸せそうにお酒を飲んで顔を真っ赤にして
くちゃくちゃと笑いながら「今日は最高だなぁ・・・またくるからね、綾ちゃん」
と手をぎゅっと握ってくれたおじいちゃんの笑顔がうかんだ。


久しぶりに娘が帰ってきたから三年ぶりの親子旅行なの、と
嬉しそうにごはんを食べながら教えてくれた母くらいの年のおばちゃんの
顔が浮かんだ。



ただゆっくりここでするのが本当に幸せでね・・・と月に一度は
東京から来てくれるおばちゃま4人組が温泉に入りに浴衣で歩いていく
背中が浮かんだ。




あたしはいつも笑顔だ。
いってらっしゃいませ!
きょうはゆっくりしてくださいね!!


着物を着て深深とお辞儀をする。
お礼を言う。
幸せの為に走りまわる。



こんな夜にひとり備品を数えているあたしと同じこの時間、
それぞれの人がそれぞれの形の何かを求めて
ここで過ごしている。
形は違えど、指折り楽しみにしてきた今日という日を、
別々の幸せを感じながら
みんな今ごろ眠りについているんだろう。





・・・はぁ。
やっと備品を数え終わった。







よし、



明日も絶対にがんばるんだ、と
静まり返ったレストランの電気を消しながら
心からそう思った。



2004年01月11日(日) ポットくんとホワイトチョコラテと、うー、なアタシ。

最近ポットを部屋においている。
疲れてやっと部屋に帰ってくる夜10時過ぎ。
緑色のランプがついて
「いつでもあったかいのだしまっせ」って黙ってかまえてるコイツを見ると
なごむ。
うー、幸せだ。



温かい飲み物と言うのがあまり得意でなく、いつも喉が乾くと
冷蔵庫にお世話になっているあたしが
あまりコイツに実質的にお世話になることはないのだが
なんだか落ちつく。
うー、やっぱり幸せだ。


今日は、たまには活躍させようと、帰りにコンビニによって
お湯を使って作る甘い飲み物系を探してみた。
いろいろあるんだなぁ、ココア、ラテ、カフェ・・・・・・



その中からお湯を入れて作る「ホワイトチョコレートラテ」というのを
えらんだ。
パッケージには真っ白いドリンクからほわぁっと湯気がたゆたっている
様子が。



わくわくしながらコップに粉を入れて
ここぞとばかりにポット君を押した。
うわぁー、湯気、ゆげ、ゆげゆげ。これこれ、
幸せ実感。


着物もまだ脱がないまま座ってにやにや。
ハタから見ればそうとう不自然なキモチワルイヲンナだが、
やってる本人は相当キモチガイイ。



一口飲んで、恋におちた。
っはぁー・・・・・


眼の奥がアツクなる感覚。
あまぁーーーーい・・・・。
うー、幸せ。


今日もオツカレサマでした、

ぽっとくん、これからはもっと仲良く出来そうだ。



2004年01月10日(土) 「ありがとう」

あたしは昔。

といってもほんの2,3年前のことだけれど、
カンペキ依存型人間でした。


いつも好きな人がそばにいないと心が不安定になって
ゴロゴロと甘えて、なでてもらって、そばにいないときは
メールをして、メールが来ないと不安で不安で、
このまま世の中は終わってしまうんじゃないかってくらいに
夜が怖かったのです。


『忙しくて電話できないよ』
『その日はちょっと用事があって会えないんだ』


そんな言葉に火傷をしたように心が苦しくなって
ただそれだけで消えてしまいたいとさえ思いました。


***********************************************


そして今。
今はそんな自分はどこかへ行ってしまいました。



人に依存しながら感じる「愛」や「やすらぎ」「安心感」
そんなの嘘だと思ったから、
自分を変え様と決意したんです。



「誰かの存在によって確認される自分の存在」なんて、
そんなのあまりにも自分がかわいそうだと思ったんです。




三年かかって今、その頃と正反対の自分がいます。
昔の自分はしっかり記憶の中にいるから
たまに思い出します。
そのころの苦しさもまだ、鮮やかに。


だけれど細かい細かい感情は思い出せません。
思い出せるのは、どれくらい苦しかったか、ということ。


************************************


あたしがこんなふうに変われたのは
その頃付き合い出した大切な人のおかげです。



依存がたのあたしとは全く全く、磁石のSとNみたいに正反対の人で
何をするにしてもいつもちゃんと一人でたっていて
何か意志を持ったらどんなに苦しくてもかならず結果に残して
目的を次々と達成していく人でした。


あたしは、自分のことではないのに彼をみていると
こっちが苦しくて頭がおかしくなりそうなくらい
毎日毎日必死で走りまわって、想像以上の努力をしていく人でした。


彼ののこす「結果』というのは内面的な「強くなる」だとか、
「今日は寝ないでガンバル」だとか、そういうものではなく


○月○日までに〜をやる、春までに〜を達成する、という
いつも具体的な形で

音楽を真剣にやっていた学生の彼は血を吐くんじゃないかってくらい必至で
次々と新しいライブハウスで結果を形にしたり、CDを発表したり


そんな中、やりたいことを勉強するために入った学校でトップの成績をおさめたり
食事もおろそかにバイトをして 次の結果を残すために必要な
道具、ものを揃えたりしていました。



とにかく、人の何倍ものスピードで毎日駆けぬけ
必ず目標を達成する人でした。



おかげで、いつもいつも睡眠不足で、疲れており、
だけれどもどんどん進んでいく。



なんて精神力のある人なんだろうと。
なんて強い人なんだろうと。


フツウの感覚であんな暮らし1ヶ月したら
心がおかしくなってしまう。


そんな彼を3年間見てきました。



********************************


そんな人が誰かと付き合って、人に幸せをあげるための時間を
意識したってつくれるわけがないのです。



メールなんて、本当に用事がないとき以外くるはずがないのです。
できないのです。
電話なんてできるわけがないのです。
そんな時間があるなら、貫かなければならないやるべきことが
山のようにあるのです。
とても寂しかった。
苦しかった。

最初の頃は責めました。わからなかった。
本当にすきなの?と。
そんなに忙しくて病気にならないのか、とてもとても心配で
毎日連絡が欲しかった。


だけど3年間で彼を見ていくうちに『本当にすきなの?」とか、
『心配だから連絡して」とか、
メールがこない、とか電話もしない、とか
そんなの本当にくだらないことだと思うようになりました。



彼は、自分の目標をさだめて強すぎるくらい強い意志を持って
毎日自分を奮闘させて必死で生きていたのです。
一番苦しかったのは連絡が来なくてさみしいあたしなんかじゃなく、
カラダも心もぼろぼろになりながら精神力で努力するという
意志を貫き続けていた彼なのです。


そんなに殺人的な毎日の中、彼は毎月必ずあたしと会う時間は
何を削ってでも作ってくれていました。


会うたびにぼろぼろだけれども、それだけで充分だった。
すきだとか、メールの数だとか、そんなのを超えて
あたしは彼の生き方を目の当たりにしながら
会う回数は少ないながらも必ずあたしとの時間を作ってくれる
彼をみているだけでものすごく大切に思ってくれているんだと
感じていました。


連絡がなくたってメールがなくたって例えば浮気をしているかも、とか
すきじゃないのかも、なんて本気で思ったことはありませんでした。
(付き合う中で危機におちいったこともありましたが)


********************************




一人でちゃんと立って、ものすごい苦しみながら次々とすごい
結果を残していく彼を見ているだけで
なんの言葉がなくても、いかに誠実で、まっすぐで、真摯な人か、
痛すぎるくらい感じていたんです。


そして、どんどん進んでいく彼の生き方は悔しいくらいかっこよかった。
人に流されたりなんかせず、感情や本能に負けることなんか全くなく、
確実に事実を見て判断し、判断したら必ず行動する人でした。



だから、あたしの依存症はどうしてなくなったかって、
あまりにもモノスゴイ彼の生き方を見ていたら
自然とそうなっていったのです。
もちろん、努力もしましたが。


昔彼に聞いてみたことがあります。
「自分が、人に自慢出きることって何?」
とても軽い気持ちでした。
あたしが同じ事を聞かれたらうーーん、と暫く悩んだでしょう。
彼はすぐ答えました。

「そうだな、『生き方』かな」


********************************


本当に多すぎるくらい多くのことを教えてもらった、
3年間でした。
こんなに意味のあった時間はありません。


ありがとうなんて言葉ではとても足りなくて
なにも、言葉が出てきません。





**********************************

今は彼と、恋人という形ではありませんが
やっぱりものすごくものすごく大切な人です。
方向こそ違えど、大切だとおもう気持ちの大きさは
あの頃からまったく褪せていません。




今も、本当に苦しい時、泣きたい時、疲れてしまった時
必ず思い出します。


毎日必死で走りぬけてボロボロになりながら、カッコヨク生きていた彼を。
あの頃の苦しかった時間を。
今も同じように走りぬけているんだろうな、と思うと
あたしだって負けていられないと思うのです。


*****************************************




人は、一人じゃ生きて行けません。
だけど、人は一人なのです。

いろんな愛の形があって、どれが正しいか正しくないかなんて
あたしにはわからないけれど、あたしは
ぬくぬくとあたたかいだけの愛の形はその一瞬だけの炎のような気がします。


寂しいとか、心配だとか、そういうことを通り越して
もっと一人の人間の生き方規模で相手を見たいと思うし、
また相手にもそれを望んでいます。



お互いを尊敬できて、そしてお互いの生き方を尊重しつつ
寄り添いながら生きていくのが
あたしの愛のありかたです。





**********************************


3年間で彼から得たものはとても大きいです。
たくさんのまっすぐな愛と、
間近でみせてくれたどんなライブよりも素晴らしい
生き方。


本当にどうもありがとう。






















2004年01月08日(木) 尺識蔀借

最近毎日疲れ果てて 音楽を聞く、という頭もなかったので
そんな状況をとてもさみしいなぁと思った。


最近新しい音楽を得ていないので
聞く楽しみがなかなかないということもあって
ちょっと遠ざかっていた。



久しぶりに音楽を聞こうと思った。



そこで本当に久しぶりにレッチリをチョイス。
ちなみにアルバムは、バイザウェイ。(カタカナでゴメン)





とってもウレシカッタ。
めちゃくちゃ染みたから。


刺青とかゴツクいれてファンキーに叫びまくってライブする
あの激しい人達の音楽を聞いて
涙が出るくらいじんとした。


また、バイザウェイがしっとりした深いアルバムだったからかもしれない。


レッチリ、やっぱり最高です。


夏の繁忙時にしろ、レッチリを聞くときは
いつも自分が全速力で走っている時だ。

だから染みてしまうのかもしれない。

全然うまく言えてない自分にビックリデスが(;´Д`)
レッチリはやっぱりなくてはならないあたしのエネルギーだなァと
改めて思ったのです。




彼らがいて本当によかった。



2004年01月07日(水) 12,26




『誰、今は誰。
あたしの知らないひとになってあたしを抱かないで。


誰?今は、誰?
あたしのとなりでぼーっと外をみるあなたは誰?
今度は誰。


どこ。
どこにいるの。

ねぇ、ほんとはどこにいるの。
はやく、こっちに帰ってきて。

ねぇ、早く、ひとりになって、
ひとりのあたしと
ぎゅ、ってしようよお』


12,26    










2004年01月05日(月) 正月戦争

この年末からお正月にかけて。
私たち旅館は暴風のように忙しかった。


毎日やらなければいけないことを1秒単位で走りながら消化していき
走って、走って、走っても時間が足りなかった。
ごはんを食べるという、概念もなかった。


強かろうが弱かろうがどっちでもいい、はっきり言って
苦しかった。
毎日逃げたかった。
誰かに泣きつきたかった。
泣きついてきた仲間を抱きしめたかった。
でも抱きしめてる時間がないから、
走りながら猛スピードで泣くならやめろ!と叫んだ。



チガウ、抱きしめて緩んで欲しくなかった。
緩んだ気持ちでいてもらっては仕事が回らないから。
そして正直、弱音を受けとめる余裕がなかった。
そんな自分を見ながらヤバイ、自分も限界にきてるんだ、と
危機を感じた。




本当は、苦しんでる仲間をいつも抱きしめられる自分でいたい。
毎日人より苦しくていい。
昔、毎日が苦しくてはぁはぁと息が切れて、心が切れて、
そんなときもっと苦しいはずなのにそばでおっきくにこにこ
笑いながら耐えてガンバッテル先輩の姿にどれだけ
励まされたか。「がんばれ!」とか、「つらかったら助けてあげる」なんかの
言葉じゃない。姿だった。
あのときの気持ち、忘れられない。
今思い出してもまったく褪せることなく蘇ってくる。


このお正月、そんな先輩のようなパワーを仲間にあげられる自分でいようという
あたしは、限界を感じて自分に負けた。


もっと強い心を持っていたら。
どんなに苦しくてもまけない大きな心を持っていたら。
一秒単位で毎日走りぬける中、あたしは自分に負けて
部屋で一人よく泣いた。



もっと強くなりたい。
もっと、強い力が欲しい。



みんな、ごめん。
こんなあたしでごめんなさい。


絶対に強くなるから。



いつだって笑ってなんでも包み込める自分になるから。






******************************************



激しかったお正月を越して、また落ちついてみれば
何を語り合ったわけでもないのに
みんなのことが前よりも涙が出るくらい愛しいと感じてる。
あんなに苦しかった毎日を同じように苦しみながら
笑顔で頑張りぬいたここの仲間が、
本当に本当にだいすきだ。










2004年01月04日(日) 再確認

あたしは、三年前腰を痛めて伊豆での仲居さんの仕事をやめました。
そして実家で1年半、別のホテルの予約センターで働きました。
でも、もう一度仲居さんになって
一人前のサービスの出来る人間になりたいと意志を固めて
同じところに戻ってきました。



細かいぐちぐちとした人間関係や
この意志以外の、あたしをとりまくものたちに
惑わされてる時間なんてないのです。



どんなに人生に、毎日に、悩んでも考えても、確実にわかっている
ことはただひとつ、



この意志を貫かなければあたしは死ぬときモノスゴイ後悔をする、
ということ。




それくらい大切なこと。
大切な毎日。



そのほかにも大切なこと、大切なもの、時間、人、
本当はゆずりたくないほどたくさんたくさんあるけれど



何を選ぶか。




あたしは仲居さんという仕事を選びます。




そのほかのこと、ものがおろそかになるかもしれないけれど


本当にゴメンナサイ・・・。



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綾 [MAIL]

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