■日々コレ精進ナリ■

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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。

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2002年04月30日(火) 日常ではありえない世界

 寒い!!

 今まで寒くて目覚めることなんてなかったのに!時計についてる温度計をみるとなんと5度。いくら寝袋で寝てても起きてしまうはずだ(俺の寝袋は冬以外の3シーズン用でイマイチ)。深夜2時に目が覚めてしまい、小便をしに外へ出ると深夜だというのにとても明るい。その原因は“月光”。月がこんなに明るいものだなんて思ってもみなかった…。月光のおかげで星はほとんど見えなかった。そして震えながら再び眠る。

 目覚めると朝7:30。目の前には湖があり、そこに朝もやがかかっていて非常に美しい。今朝は野菜ラーメンを作る。すすり音を立てないように気をつけて…と。なんかイマイチだっ!!味気ねえよ!

 日差しを背に浴びて、8:20小屋を発つ。途中までは昨日通った同じ道をたどり1時間後分岐点に着き、ここから650m→1700mの高低差およそ1,000mの山歩きが始まる。ひたすら森の中だ。あまりに森の中なのでときどき道がわからなくなるし、思いのほか高さを稼げない。1時間半進んでわずか300m登っただけだ。さらに1時間後川沿いで小休止する。やっぱり純粋な水とおやつがうまーい♪

 休憩を終え、森林点を越えるとここから本格的な登りに入る。と同時にかなりのガレ場に入り、崩さないように、崩れないように気をつける。1,300mラインを超えると(およそ700m上昇)、水の流れる場所が凍っている。昼の12時だというのに温度計を見ると1.7度!この辺の水はすごくきれいで、薄く張った氷が完全な透明。これをばりぼりかじって吐き捨てる。たぶん大丈夫だろうけど、さすがに食べはしなかった。

 氷の張った川をいくつも越え14時にAngelus Hutに到着。4時間40分の行程か、まずまずかな(ちなみに一般的には5〜6時間)。小屋の周りを散策すると、山のピークがいくつもある。けれどどれも少し遠いので行くのはやめる。辛くはないけど気が進まなかった。事故になるという予感があったのか?よくわからんが。

 今日小屋に集まったのは総勢16人、そのうち10人がグループでいるのが大きい。Christchurchの山登り集団みたいで、俺の逆コースをたどっているらしい。夕食時、スープやコーヒーの音の話を思い出し他の人の飲む様子を観察すると、確かに皆まったく音を立てていない。日本が例外なんだな、お箸文化だし。

 10人グループがトランプをしていたので見ているとまた“大富豪”だ。またローカルルールを発見する。名前はよくわからないけれど、“7”の数字を出すとそれ以下の数字しか出せなくなる。例えば、普通にゲームを進めていって、“7”を出すとその次の人は“3”から“6”までのカードしか出してはいけない。そこでその人が“5”とか出せたらあとはいつも通りに進むんだけどね。まあそういうルールもありってことで。

 明日も晴れてくれることを願う。21時就寝。


2002年04月29日(月) 受け入れてくださいよ、これ俺流

 みどりの日?そんなん知らんよ。今日から3日か4日間のトランピングスタートである。予報の通り朝は曇り空。次第に良くなるようなので宿には山歩き中一切使わない荷物を預けて10時出発。

 今日の予定している小屋はLakehead Hut。スタートから2時間程度、湖沿いを歩くだけで高低差もなく着いてしまった。ここから1時間半ほどで行けるところにswing bridge(吊り橋)があるのでそこまで行く。もし体力がもつようなら明日の目的地であるAngelus Hutまで行ってしまえ!!と思ってしまうが、その分岐点に辿り着いて道しるべを見ると4〜5時間かかると書かれている。大抵この表示時間より早く着いてしまえるけれど“急いては事を仕損じる”ということわざを思い出し、そこへは行かないことにする。

 Lakehead HutからAngelus Hutへの分岐まで行く道は2通りあって、一つは遠回りのトラックを行くコース(途中に吊り橋もある)、もう一つは"Route(ルート)"を通って近道をする。NZでは山道のrouteというのはtrackより難しいとされている。で、俺は遠回りの前者のコースを歩いてきたからその近道のrouteを通ってHutに戻ろうと思ったら…"There is NO bridge(橋は掛かってません)"という標識が…!!ここを通れば20分で元のHutに帰れる。でも、川を渡ってしまう(river crossing)から靴は当然ずぶ濡れになる。それはイヤだ!しかし今から遠回りのコースを引き返すとしたら、さらに2時間の追加で到着は17時くらい、疲労度もかなり上がる。究極の選択を迫られる。ここで地図をみると別の選択肢が現れる、Coldwater Hut(6人宿泊可)の登場だ。ここからは歩いて20分、川渡りも必要ない。が、Lakehead Hutと比べると設備はかなり劣る。

 さあ、この3つの選択肢の中から俺が選んだのは──3番目、Coldwater Hutへの移動だった。動くのイヤ、濡れるのイヤ、寝る場所がイマイチなくらいはガマンする!ということだ。

(かなり位置関係がわかりにくいと思うので秋場研氏が公開している
こちらにある地図を見てもらえばわかりやすいと思います)

 んで、そのColdwater Hutに着く。ここの設備の概要は…まず内部には小さめのテーブルに6人分のマットレス、扉を開けるとそれなりに雨風をしのげる屋根のついたところに6人は座れるテーブル、そして横に暖炉がついている。なんで外に暖炉やねん…。一通り荷物を置いて外に出ると先に到着していた人が2人いて、彼らに「今から(暖炉用の)木を集めに行くけど、一緒に来るかい?」と誘われ、断る理由もないのでついていく。彼らはドイツ人(女性)とオランダ人(男性)らしい。出来るだけ乾燥している太いのも細いのもなんでも落ちてる木を拾う(ちなみに、勝手に枝を折るのはマナー違反)。小屋に戻ってから暖炉にもうまく火がつき、「なんでこれ部屋の中じゃないんだろう」と話したことか!

 その後もう一人ニュージーランドの60歳くらいと思われるおじさんも集まり、今日は4人でこの小屋を使うことになった。3人+3人が向かい合って座るテーブルの片方(暖炉に近い側)に4人が座る。夕暮れ時からずっと話し続けていたけど俺は大半わかってなかったように思う。たまに俺の話になると「大学では何をしたのか」と聞かれて、なんで俺は大卒なのに英語もろくすっぽ出来ないんだろう…と少々落ち込んだ。

 作ったコーヒーをすすっていると何やらおじさんに言われた。ん?なんだ?quickly(すばやく)?もう一度聞きなおすと

"Please drink quietly(静かに飲んでください)"

だったのだ!!これには参った。今まで何の気なくやっていた行動が他人を不快にさせていたとは!!コーヒーに限らず、ラーメンなんかでも思いっきり音立てて食ってた。今まで誰も注意しなかったってことは「日本人はコレだから困る」とか思われてたのかな…ショックだった。苦しまぎれに俺が「これは習慣なんです」と言ったら、「わかるよ。けどここは日本じゃないから気をつけて」という感じで返された。気をつけます。

 18時前から3時間以上も暖炉の炎を見続けて、「火って不思議だなー」とか思いつつ、暖房のない部屋に戻り寝に入る。この時21:30。


2002年04月28日(日) 俺は映画センスがないのさ

 出発から丸1ヶ月が過ぎた。今日はWestportからSt.Arnaudまで移動、休憩も含めて3時間。3週間前に行ったStewart Is.のように着いたその当日にいきなり山小屋まで移動しようかと考える。宿代を1日分浮かせようという考えだ。しかしあいにくの悪天候、やはり昨日会ったオーストラリア人の彼の言う通り明日出発するほうが良さそうだ。

 ともあれD.O.C.に情報を仕入れに行くと、天気は明日の月曜日から回復・火曜日は晴れという予報だ。改めて、今日出発を断念する。

 近くの宿に行って部屋を確保、19$。うーむ、昨日の宿を考えると少し高めだなあ。 ひたすら雨が降り続けているので何もすることがない。昼間から寝てて、起きたら20時になっていた。

 今日は日曜日『映画タイム』だ。俺が見てみたいなと思ったのは『Wild Wild West』。それを見ようとラウンジへ行くと沢山の人が集まっている。話を聞くと、同じ時間に2つ映画があるようだ。

 「俺はこれが見たいんだ」と言ってみると「あの映画はクソ面白くないよ、silly movieだ」と言う。うぉーい!そりゃねえだろ!結局名前も聞いたことのない俺にとってはサッパリわからない別の映画を見せられてしまった。つまらなくていいんだよ!とりあえずわかりやすければ…って思ったけどそれを言えなかった自分が悔しい、あぁ…。

 さて、天気が良くなることを願って明日から歩くぞ!おやすみ。


2002年04月27日(土) 旅人は同じわだちを進む

 6日間いたGreymouthをついに離れる。いやー長かった。昼にバスが出発するので朝のうちはまたvisitor's Bookを読む。これ読むだけで数日間は過ごせそうだ、本当に…。出発前、久々に買ったインスタントくじが当たった。5$だけど。

 昼13:50に発ち、途中PunakaikiプナカイキでPancake Rockパンケーキロックを見に行く。道路沿いから10分程度で行ける距離なので、休憩時間の40分で簡単に行くことが出来た。ここは岩が面白いギザギザ模様をしている(インターネットのどこかで写真公開してる人がいるはずなのでそっち(google経由)で調べてくださいな)。

 そして16:10Westportウェストポート到着。"Trip Inn"という15$の宿を1日分とる。で、この宿でExchange(エクスチェンジ・宿を掃除するかわりに宿代が免除になる)をしているという日本人がいて、その人に会ってみたら以前Mt.Cookマウントクックで会ったことのある人でビックリする。まあ、泊まる宿なんて限られてるし再会する可能性なんて決して低くないとは頭ではわかってても、いざ実際にそういう人に会ってみると、やっぱり人間の行動範囲なんて狭いな、と思い知らされる。

 今はこの宿を1日分しか取ってないので、明日はここでくつろぐか、早速次の目的地であるSt.Arnaudセントアーナウドに行くべきか迷う。迷っていると、これから俺が行くであろうトランピングルートを歩いてきたという同じ部屋に泊まったオーストラリア人が今日戻ってきたそうで、これからの天気を聞く。で、火曜・水曜と天気がいいらしいという話を聞き、明日移動することに即決(ちなみに今日は土曜日)。こっちの天気予報なんか全然アテにならんというのに…まあいい。

 最近また肉と野菜が不足しているな…気をつけないと。やっぱり栄養不足(偏り)が一番まずい。


2002年04月26日(金) 水場に漂う空中生物

 久々に晴れ間が見える。さて、5泊したこのGlobal Villageを10時に去り一日だけでも泊まっておきたかったGreymouth YHAへと移動。13:30まで受付が開かないらしいので一旦荷物だけを大広間に置いて外を散歩。あくまでNew Zealandだから出来ること。そんな、誰でも入れるようなところに荷物置いてたら普通盗まれるって…。

 少し海へ突き出した半島のようなところがあってそこまで歩く、時間にしておよそ30分。完璧な晴れではないから眺望はそれほど良くなかったけど雲間から雪をかぶったSouthern Alpsが見えたので充分だ。宿に戻ったら13:40、受付を済ませる。一昨日も書いたけど今の時期は観光のピークも過ぎて大人気の宿でもない限り、当日行って寝床を確保しても全然問題ない状態なのだ。

 その後再びYHAを出て40分ほど歩き、別の海岸へ向かう。ここではGreenstoneグリーンストーンという綺麗な石が干潮時に限って取ることが出来るらしいので行ってみるが、それらしい石は見当たらない。

 それよりも!半端でない量のsandflyサンドフライが飛んでいるのだ!これには参った。石を探している場合ではないくらい虫に襲われてしまったのであえなく退散。あの小さい虫はホント勘弁してくれ。まあその分、蚊がいないのが救いなんだけどね。

 その後、町の中心にあるちいさな図書室に行ってみる。小さいわりにはちゃんとインターネットの設備もついてて(機種は古いが)、環境はいい。いろいろな本をながめていると、突然

「んな゛〜〜」

という不気味な声がきこえてきてびっくりしてしまった。何の音かと思ったら、そこに太めの猫がいたのだ。どうやらそいつはこの図書室に住みついているらしい。近寄っただけで低い声あげるな!心臓バクバクしたぞクソ。

 YHAに戻ると、アジア系のとてもきれいな人がいる。キッチンにいたので話を聞いてみると、Vietnamベトナムの人だった。こういうタイプって日本にもいるよなーと思っていると、彼女の喋りがまーあ流暢なこと!!ペースの速さについていけず圧倒されてしまった。「日本人ってこんなモンなのかしら…」なんて印象を与えてしまったかもな、やっちまった。それにしてもきれいな人だったなぁ…俺はやっぱりアジア系の顔が好きらしい。

 YHAに来た理由の一つであるVisitor's Bookをひたすら見て、一日終了。


2002年04月25日(木) 指輪物語鑑賞物語

 朝8時起床。体調はかなり回復したけどまだ無理は出来ない感じだな。ただで配られるパンを余分にもらい(本当はダメだけど)、それに加え、ごはんを炊いて腹を満たす。最近は食べる量を朝>昼>夜にするように心がけてる。食事を作る時間の余裕がある分それが可能なのよね。日本だと相当難しそうだけど。

 食料がまた尽きかけてきたのでスーパーへ。あら??閉まってる。でも係員が倉庫にいるので聞いてみると、今日はAnzac Day(アンザック・デー)という祝日だから昼からしか開かない、と言うのだ。

 なぬっ!!また祝日というワナに引っかかってしまった(ちなみに前回はちょうど1ヶ月前のEaster Holiday)。旅する前にもこんなことあったし、これで何度目だ!?

 仕方がないので22日にも寄ったYHAに行き、そこで再び古いVisitor's Bookをじーっくり拝見する。いやあスゴイもんだ。俺が産まれる頃の書き込みはもちろん、1960年代のものまであった。当時から日本人は旅をしてたんだなぁ。

 その後B.P.に戻ってfish'n'chipsを食らい、開いたスーパーで買い物もして、夕方からは2度目の『Lord of the Rings-The Fellowship Of The Ring-』を見に映画館へ。以前書いたかもしれないけど、こちらの映画代はたいてい10$前後。小さい町でも結構映画館はある。安さゆえに2度目を見ることに抵抗は無い。あらすじもわかるから今回は英語聞き取れるかな?とは思ったけど、前回わからんところは今回もやっぱりわからん。しかも3時間くらいあるしな。同じところで突然の音にビビってるし…。

 今日でこのバックパッカーズも5泊目で家のようになっちゃってる。完全にスタッフに顔を覚えられてしまい、なんか複雑な気分だ。さて明日はGreymouthのYHAに移動かな。ってどれだけここGreymouth好きやねん…。



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今日も今日とて日本語の書けない日記を。↓


==I cannot write Japanese recently.==
--しばらく日本語書けないっす--

sore ni sitemo,
(それにしても、)
ore no English ha zettai hen dato omou.
(俺の英語は絶対変だと思う。)

kedo,sirigomi siteitatte sinpo ha nai.
(けど、尻込みしていたって進歩はない…。)

kochira no BACKPACKERS nado no yado niha
(こちらのバックパッカーズなどの宿には)
taitei VISITOR'S BOOK to iu mono ga okareteite,
(たいていビジターズブックというものが置かれていて、)
VISITOR no kansou wo kaku koto ga dekirundesu.
(訪問者の感想を書くことが出来るのです。)

demo dekiru kagiri ENGLISH de kakou to doryoku sitemasu.
(でも、出来る限り英語で書こうと努力してます。)

datte...nihonjin mo NIHONGO machigaeterusi...
(だって…日本人も日本語間違えてるし…)

ENGLISH machigaeru yori JAPANESE machigaeru hou ga
(英語間違えるより日本語間違えるほうが)
yoppodo hazukashii yo!!
(よっぽど恥ずかしいよ!)


2002年04月24日(水) 見聞録には程遠い

 これ以上ないくらい睡眠はとれている。夜中に目覚めることもなく朝8時起床。天気もよくないし今日もゆっくりするか。

 もはやNZの観光シーズンは終わってしまったようで、今日もこの宿は定員の半分ほどしか埋まっていない。あ、そういえば来週は日本でゴールデンウィークかい?観光客が増える時期だな、その頃にChristhurchにいるのは避けたいけどな。

 とにかく今日は全く動いてないので書くことが何もない。終了。


2002年04月23日(火) 何もできないそんな日

 昨日の夜はなかなか寝られなかったけど、一度寝に入ったらあとはすごい勢いで睡眠睡眠。翌朝8:30まで起きなかった。けれど引き続き体調は悪いから外に出ることはやめておこう。ずーっとベッドで横になってる…ヒマだヒマだー!!

 夕食どき。う…買い貯めてあるごはんが少ない。仕方なく食料を買い足すためにスーパーマーケットまで歩いていく。うぅーしんどい!簡単な夕食を終わらせたあと、また横になる。

 元気な時には気付かない健康というもののありがたさ、痛いほどわかります。


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あまりにヒマで書いたWEB日記はこちら↓。



==I'm traveling by myself.(俺は一人で旅してるんだ)==


I'm still in Graymouth,
俺はまだGreymouthにいます。
so I can't write Japanese,sorry.
なので(同じ場所で書いているため)日本語が書けません、ごめんちゃい。

Now......
今・・・
my condition is terrible!!!
俺の体調最悪っす!!どうにかしろ!
Please help me!!!
誰か助けてくれよーーー!
I have only "seirogan" and "kaigen".
俺は日本から“正露丸”と“改源”を持ってきたけど、
It isn't enough(:=
これじゃ足りねえ…

Please send me some medicine!!!
誰か薬をわけてくれーえ!


Japanese(日本語にて)


Shikashi...
(しかし…)
kouyatte kaiteiruto honki ka joudan ka
(こうやって書いていると、本気か冗談か)
wakaranaku nattekuru nee...
(わからなくなってくるねぇ…)

Nihongo ha idai da!!
(日本語は偉大だ!)

Minasan,Nihongo ha tadashiku tsukaimashou.
(皆さん、日本語は正しく使いましょう。)


2002年04月22日(月) 体調悪いと何も出来ない

 Greymouth2日目。このB.P.は中心部から1kmほど離れている為、少々不便だ。そのせいかここでは無料で自転車を貸してくれる。けれど今日は朝から小雨がパラついているのでチャリはやめ。

 体は本調子にはなっていない。けれどやるべきことはやっておかねば…。無理矢理体を外へ連れ出し、中心部まで歩いて行って銀行でお金を引き出し、WAREHOUSE(日用雑貨店)でサンダルを探すものの、夏が終わってしまった今となってはサンダルが買えないようで入手できず。

 その後Greymouth YHAに行く。ここは30年以上前からのVisitor's Bookが置かれていてそれを見に行く。──圧巻。これはじっくり見たくなる!いずれこれは滞在してでも見ることになりそう。

 今日はとりあえず切り上げてスーパーで買い物をして宿に戻る。やばい、やっぱりフラフラする。ゆっくりしたいので延泊のお願いをしようと受付に行く。5月から9月までは4泊目が無料になるらしいので、今は4月下旬だからどうなの?OK?ときくとしぶしぶながらOKをもらった。聞いてみるもんだ!昼からベッドに潜り込んだら、夕暮れ時まで寝込んでしまった。

 晩飯はあくまで質素に…以前日本人旅行者からもらった“さけ茶漬”で終わらせ、再び寝…られるワケがない。昼間に寝すぎたからなあ。ひたすらベッドの中で横になる、そうして1日終了。あーあ。


2002年04月21日(日) 初ヒッチハイクの功績

 朝7時に起きて朝食もさっさと済ませ、8:30にチェックアウト。さあやるぞヒッチハイク!小さな小さなこのFranz Josefの集落の端まで移動して例のポーズ"Thumbs up!"(親指上げ)で車を止める…気になってるだけだった。交通量は少ないわ、たまに通る車は家族連れだわ、両手離して「スマナイネー」みたいな顔されたりするし。

 まあ最初はこんなもんだとタカをくくるものの、同様のことをしてて1時間半経過。すると俺より町寄りの場所に女性二人が現れた。5分後、パジェロが止まってその女性二人を乗せてった!!運転手は男のようだったが、俺の前では当然のように猛スピードで通り抜け…力抜けた。その後も更に1時間半ひたすら親指を出し続けるが、成果無し。

 うーん、NZもヒッチハイクが難しくなってきたか?単に俺のせいか?

 それにしてもしんどい、疲れる。鼻づまりもあるし…どうも体調が悪いみたいだ。仕方なく数時間前にチェックアウトしたYHAに逆戻り。先へ進むためのバスは15:00に来る便があるらしいのでヒッチハイクを断念してバスを待つことにした──この時で12時前。

 ラウンジで仮眠をとっていると、15時少し前、滞在している客の一人に起こされた(その人にはバスの旨を伝えていた)。予約をしてないから大丈夫だろうかと不安になったけど、杞憂に終わった。30$払ってGreymouthグレイマウスまで向かうことにする。Hokitikaはもういいや(泣)Greymouthに18時着。

 旅行中いろんな人に「あそこは良い!」と聞いていたGlobal Village B.P.で受付をすませてdormitory room(共同部屋)に案内されると誰もいない。6人部屋に俺1人だけー!?と思ったけど後に2人になった。

 晩飯を作ろうかと思ったけど体調も優れないし飯作る気力もないし、仕方ないから一番楽な具無しラーメンで済まそうかと思ったら、キッチンにいた人が「キミはお腹すいてるかい?」と聞いてきたので、なぜかと聞いたら「作りすぎたんだ」とのこと。断る理由はどこにもないので遠慮無くいただきます!!カレー風リゾットで、kidneyというインゲン系の豆も入ってた。中年の夫婦でオーストラリア出身(町の名前は忘れた)。日本人に対しても良い印象を持ってくれてるみたいでよかった。改めて俺は日本人代表なんだな、ってことを感じた。

 体を治すために早めに就寝。かけ布団が標準装備になっててありがたい。



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この日綴った日記は日本語が入力出来ず。


==Now,I'm in Graymouth.(現在俺はGreymouthに)==



Today,I've arrived Graymouth.
今日、Greymouthに到着しました。
Here is opposite side of Christchurch.
ここは南島でChristchurchの街の丁度反対側にある町です。
So,next week I'll be back to Christchurch.
で、来週あたりにChristchurchへ戻ろうかと思ってます。
But!Here(Graymouth) is so comfortable region,
でも、ここはずいぶんと居心地のいい場所で
probably I'll stay 3 or 4 days.
3〜4日はここにとどまろうかと思ってます。
This computer is cheap to connect internet,but I can't write Japanese.
このコンピュータは安く使えるけど、日本語が書けない…
Sorry to all Japanese! ;-)
日本人のみんなごめんよー(泣)


Japanese(日本語にて)

To iukotode,raishuu niha Christchurch ni modorimasu.
(ということで、来週にはChristchurchに戻ります。)
Nanode,tegami ya kodutsumi nado wo okuru yotei no hito ha
(なので、手紙や小包などを送る予定の人は)
hayame ni onegai itashimasu.
(早めにお願いいたします。)

dekireba
(できれば…)
Dragon Quest 4(Play station Ver.)
(ドラクエ4なんかを)
nanka wo okutte moraeruto tote-mo arigatai node atta.
(送ってもらえると、とてーもありがたいのであった。)
(douyara NZ demo Japan no GAME wo tsukaeru baai ga aru rashii...)
((どうやら、NZでも日本のゲームが使える場合があるらしい…。))



2002/11/13補足追加
今見返すと、なんて失礼なことを書きこんでんだ俺は(泣)


2002年04月20日(土) 天使のささやき、悪魔のぼやき

 朝は7:30に起きる、近頃こんな時間帯に起きることが習慣になった。良いことだと思う。

 今日はここらへんの長距離コース、氷河沿いにあるRoberts Pointへ向かう。車道を1時間歩いてから2時間のbush(森)歩き。なんだかんだといいながら氷河ウォークには金を出さず。

 氷河の近くまで一旦足を進め、ツアーに参加しないと行けない場所(危険地域と呼ばれる同伴者必須の境目)にいた兄ちゃんに足止めを食らってこのタダコースに来ている、というわけだ。タダでも歩けるなら商売上がったりなんだろう。

 歩道自体はあんまり味の無い雰囲気で、終点に着いて遠くから氷河を見て思ったことといえば、「やっぱりお金払って氷河行ったほうが面白そう…」だった。それなりの価値はありそうだわ。

 コースの終点でくつろいでいると、後からやってきた日本人男性に会う。彼は車で来ているらしいので、帰りの車道で乗せてもらうことに。歩きで1時間かかったところが車だと10分もかからずに到着。Franz Josef YHAに戻ってから、ここに常備されているサウナを利用する。ここの宿泊費は少し高いけど(20$)サウナがあるのでその分の代金を払っていることにしよう。

 明日からはHokitikaホキティカへ。けれどまだバスは予約してない。本格的なヒッチハイクにチャレンジしようと思ってるからね。これからどんどん北へ向かうぞ。でもなんでわざわざ雨の多いこの地域を選んでんだ俺?失敗したかなあ?Hokitikaでの宿も確保してないし、あーーー怖いっ!


2002年04月19日(金) お金の感覚ズレまくり

 移動日。久々の大移動だ。WanakaからFranz Josef Glacier(フランツジョセフ氷河)までバスで6時間。最初の2時間は森の中、次の2時間は海岸沿い、最後の2時間は氷河近くの山を進む。大半は眠ってしまってたけどね。

 毎回移動してて思うんだけど、交通費ってバカにならない額だと思う。今日の距離は250kmほどだけど40$(4,000円の価値)、高いか安いか。それに加えて宿代として毎日20$前後減っているから結構な額になってしまっている。旅をしている間、俺よりも金を使ってない人にいっぱい会ってるからなー…。車中泊が当たり前だったり、勝手にバックパッカーズのシャワーを使ったりとか。もちろん「無断はやめとけ」って言いますよ。そんな人が増殖されたら商売成り立たないだろうし。

 で、その旅行中の費用。3週間で早くも1,000$を超えてしまった。いや、もっといってるかもしれない。クレジットカードでも結構な額を使ってるから。そんなわけでここで有名なアクティビティ“氷河の上を歩くツアー”に金を出すのをためらっている。

 「じゃあバンジージャンプなんかするなよ」とは言わないでおくれ。80$という非常に微妙な数値。貴重な経験であることには間違いないんだけど…。価値観というものは恐ろしい。たぶんタダで歩くやつを選ぶかな。

 ケチ。


2002年04月18日(木) チャリンコは慣れが必要

 引き続きWanakaに滞在。やっぱりジッとしていられない性分らしく今日も動き回ることにする。いや、本当は休みたいんだろうけどボーッとする時間がもったいないと思ってしまうのかな。今日は何をしたかというと、13日に引き続きMTBを借りる。10数km離れているDiamond Lakesというところまで1時間20分ほどで移動する。先日行ったTe Anau⇔Manapouriと比べると坂道は多い。

 そのDiamond Lakesの近くに自転車を止め、そこから3時間往復のコースがあるので進む。これはプライベートトラックらしく、donation(寄付金)箱が設けられていていた。とりあえずは山頂(およそ780m)へ向かう。途中に何人かのKIWIに会う。多少珍しそうな顔をされた。山頂へは1時間ほどで到着できたけど、農場の一部がコースになっているのでハンパでない羊のクソが地面に転がっている。それゆえ山頂でもさほどくつろぐことは出来ずに降りることにする。コースは麓から山頂まで8の字のようなループになっているので登りとは違う道で下ってきた。

 自転車を止めた場所に戻ると、山頂付近で会った人たちがいた。俺の近況を話しつつ仕事を探していると伝えると

「南島で果物を取る仕事は今からは難しいかもしれないよ」

と。この先の予定変更となりかねない状態だな…。南島を一周している間にフルーツピッキングの仕事がなくなってしまうと俺はどうなっちゃうんだろうか!?

 Wanaka市街へ戻る帰り道、鼻歌を口ずさんでいたら、後から別のMTBに乗った女の人に追い抜かれる。なんか失笑されてるっぽかった。その彼女はすっげえ早い。にわかチャリダー(自転車旅人)には到底追いつきそうもなかった。1時間半ほどで町に戻るけどまだケツが痛いよー。昨日買ったビールを飲んで上機嫌。

 20時からは宿で“Gradiator(グラディエーター)”をビデオ上映するらしいので大部屋に行く。見てたけどしばらく経てば寝てしまっていた。隣の人に起こしてもらうと21時過ぎになっていた。もう今日は疲れたのでWEB日記も更新して寝ることにするよ、おやすみ。


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寝る前に更新した日記↓



==少しくらいは休みなさい自分==


現在、Wanakaというところにいます。田中とか真中じゃありません。

ここはQueenstownから100kmほど北のところにありまして。
今日はMTBをレンタルして、数十kmかっ飛ばして来ました。

おかげで今はでん部が痛い。漢字で書くと「臀部」ってすごいな。
自転車で旅する人を俺は尊敬します、本当に。

早くもバックパック旅が3週間を過ぎたわけですが、ヤバイです。
ほとんど休んでません。時間がもったいないってことで
毎日時間を惜しむかのごとく、動きまくっております。

そろそろ体にガタが来そうで怖い。

このあとはさらに仕事も探さにゃならんというのに。


2002年04月17日(水) Wanakaで迷う場所

 今日のバスの出発は8:00。朝起きてから全ての準備(身支度やら食事やら荷物整理やら)を終えて部屋を出るまで、確実に1時間はかかるので6:45に起きる。

 ──寒い。

 パンと牛乳、そしてキゥイフルーツを食べ、面倒なパッキングを15分くらいかけ、7:40にBumbles B.P.を発つ。5分ほど歩いてバス停にたどり着く。そこには大勢の中国人が集まっていた。もう俺はあの言葉を聞くのすらイヤかもしれない…。

 バスが予定通り出て(とはいっても8:05発で5分遅れ)、途中のCromwellクロムウェルという小さな町で果物屋に寄る。そこで安いリンゴとオレンジを買い、そのまま10:00Wanakaワナカ到着。

 Wanaka周辺の宿はどこも評判がいいので、様子を見たいと受付で話をして、いろんな宿の内部を見せてもらう。10時ということで、前日の客が出ていった後というのもあってほとんどのところが掃除中だった。その結果選んだのは"Purple Cow B.P."、すごい名前だ。

 まだ12時にもなっていないので、町の周辺を歩き回ってみる。スーパーマーケット1軒、少し高いfish'n'chipsの店が1軒などそれなりの店は揃っているけれど、先日使い物にならなくなってしまったサンダルを買えるような場所は見当たらない。D.O.C.にも行って周辺のwalking trackを知る。一番の難易度はMt.Roy(5 hour return)。けれどスタート地点が少し遠いし、昨日の5時間山行き&バンジージャンプをした体にはちょっとキツイかもしれない。

 今日はどこも歩かない代わり(?)に2km離れた"Puzzling World"へ行く。ここは目の錯覚を利用したアトラクションや、日本でもバブル期に流行した巨大迷路が楽しめる。ここで2時間ほど時間をつぶして、町に戻りスーパーマーケットである程度食材を買い揃える。日本から持ってきた歯磨きが5ヶ月でなくなったので新しいモノに。

 日本から送ってもらったインスタントの日本食がついに底を突いた。でも、時々free food(バックパッカーズには持ち歩くのが面倒だったり食べなくなったモノを置いていくスペースがある)でコーンフレークをゲットぉ!これで朝飯が2$ほど浮いたな、セコっ!!


2002年04月16日(火) バンジージャンプトリロジー

 今日で出発から20日目。早過ぎる。今日はQueenstownで1日歩きをする。様々な娯楽の宝庫であるこの地で、敢えてトランピングをする人はそれほど多くないらしい。事実、俺も前回はバンジージャンプしか頭になかったわけだし。Te Anauで一緒だった人と昨日の宿で再開して、一緒に山行することにした。

 Ben Lomondというコースを進む。実はQueenstownに来るまで名前も知らなかったところだ。これが意外や意外素晴らしい、かなりの穴場なのではないだろうか?このコースは山頂1750mまで登る。町の標高がおよそ350m、麓からゴンドラが出ていて通常の観光客はそれを利用するので750mまで上がると考えると、高さの違いは明らか。ゴンドラごときでは絶対見られない景観を目にすることができる。山頂までおよそ2時間半、コースを作ってくれた人に感謝感謝。天気も抜群で、近くの空港に到着する飛行機やはるか下に浮かんでいる(ように見える)パラグライダーなんかも見える。

 充分に景色を満喫したあと同じ道を下っていくと、"GONDORA→20min"という分岐を見つけてそちらに向かう。きれいめの服装をした観光客が沢山いる。こういう場所に来てしまうとどうしても俺のトランピング用の服が浮いてしまう。そして前回やり残したバンジージャンプの場所を見つけてしまう。以前は俺がやりたかった3大バンジーのうち2つはやったけど1つ残したのが気になっていた。でももうすることはないと思っていたのに、ジャンプしている人を見て「・・・!!!!」。気付けば受付に行って申し込みを済ませていた…。結局1分少々のジャンプに120$も払っちゃいました。でも後悔なんかしてないやいっ!それにしても、山のピークまで行って、そのあとバンジージャンプするアホはそうそういないと思うぞ。

 その後町に戻って、ワーキングホリデーメーカーに有名らしいという、Queenstownにある小さな屋台で売っているサーモン丼を食べる、Mサイズで6$。うむ…なかなかではある、マヨネーズがイイ感じだけれど「絶対食っとけ」とは言えないな。マヨネーズ中毒予備軍ですから俺は。夜ものんびりして、明日の朝早くにバスに乗らないといけないからラウンジで酒盛りしてる人たちの様子を傍で見ながら寝に入る。


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この日も夜に日記を更新しましたのでこちらもどうぞ。↓


==「ここにいる中国人とは関わりを持つな」論(?)==


はい、ニュージーランドにやってきて
早くも5ヶ月が経過してしまったエイジです。うわー、やっべぇ、早すぎだよ。
まだ仕事もしてねーってのに・・・。

とにかくそれはいいとして、今日のお話。


「中国以外にいる中国人とは関わりを持つな」



ということなんですが、これ、台湾と香港は含まれません。中国本土だけの話なんです。

日本ではもはや常識ですが、中国といえば恐ろしく物価の低い国。
もちろん、NZよりも物価は低い。
それなのに、ここNZではアホほど中国人を目にすることが出来る。




それは富豪だから。




まあ、ほんの一部の人が来ていたとしても、中国は日本の10倍。比較にならん。

この富豪レベルは、ハンパではない。日本のマンガの世界に出てくるような、
子どもにメイドを付けさせるようなことも例外ではないらしい。
特に中国は「一人っ子政策」なるものが存在するため、
一人の子どもに対するしつけや親の感情の押し付けも、これまたハンパではない。

その若者たちがこの生活しやすいとされるNZに集結する。
繁華街の深夜など、中国語の応酬。

当初この事実を知らなかった俺は、
語学学校に9割以上いた中国人と友好を深めざるをえなかった。

しかし、改めて感じることなのだが、中国人というのは、繁華街で見ても




片田舎では全くといっていいほど見ない。




そう、奴らは車で移動できるところにしか集まらないのだ。

俺は割と田舎が好きな傾向があるので、それがこの旅の間にひたすら感じること。
ここQueenstownに来て、それが証明されたような気がする。

もし、山奥の小屋の利用者名簿に「中国人の名」があったら
ぜひぜひ報告してください・・・って十中八九ありませんから。


要するに。

物価の安い中国では、相当稼がないと海外には行けない。 逆に、
物価の高い日本では、バイト程度の稼ぎでもそれなりに海外で生活出来る。

この日本の状況が良いとはオレにはとても言えないけれど、
比較的貧乏でハングリー精神旺盛な日本人と、アホほど金持ちな一人っ子&超越したわがまま中国人。

これが友達になれる構図か!?

でも同じように物価の安い韓国の人たちは比較的理解しあえる。なんでだ。


   =今日の一言=

またバンジーやっちまったよ。これで3つ制覇。


2002年04月15日(月) バンジーの興奮

 移動日。Te Anauテアナウ→Queenstownクイーンズタウンへの移動だけど、今回のQueenstownの見方は前回訪れた時の12月末の旅行とは全く違うと言えよう。前回はバンジージャンプをやるためだけにモロに観光客となり、繁忙期ゆえに行きも帰りもバスを予約せざるをえないという状況だったので待ちを楽しむというほどの余裕はなかった。今回はあくまでも通過点だといえる。しかし到着してすぐ、バンジージャンプやりたい衝動が頂点にきてしまった。本当に空飛ぶのが好きらしい…。今回はここで2泊する予定だけれど、その間に無理矢理時間作って飛んでしまいそうな勢いだ。

 少し遠いところにあるスーパーに買い出しをしに行く。大きめサイズの板チョコ(250g)を3$で購入、その他野菜を揃えて宿へ戻る。普通キッチンには個人の食料を置く場所があるんだけれど今日泊まっているBumbles B.P.ではそういう場所がないのでとても不便だ。そんなキッチンでラーメンを作る。久々に都心部に来たので安くでインターネットを使い、アホなサイトを見て、WEB日記も更新して終わり。


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この日更新した日記は以下の通り。


==やはりというか当然というか==

カウンターの伸びが激減しました。あはは・・・
やはりインターネット上に生きてる人たちはリアルに反応を示してくれます(泣)

さて、現在俺は南島一周の旅のおよそ4割を終え、観光地で有名な
Queenstownに居ます。以前にも日記でつづったけど、
昨年末に俺はここでバンジーを二回もしてしまったのですが
今回はむしろ


Walking Track探しに夢中。


こんな話ししてもイマイチ面白味が感じられんかもしれないけど、
とにかくこちらではやることが多い!多すぎて全然予定が進まない!

このままでは冬に突入してしまって、フルーツ農場の仕事が終わってしまうではないか!

とまあ、現在の持ち金が30万円を割ってしまったので、
1年丸々の生活がヤバヤバになっているのでした。

ごめんなさい、最近時間に追われてインターネットしてるので、
文章を読み返すヒマがありません。

変な文章だったりしたら、指摘してくださいね。訂正はしませんけど。


2002年04月14日(日) どよーんどろーんふにゃー

 今日は完全休養日。それゆえYHAにずーっとこもる。こういう日もたまにはイイだろう!


2002年04月13日(土) 風をきって車輪をすすめよう

 今日は、Te Anauから南に20kmほど離れたManapouriマナポウリに21変速マウンテンバイクを借りて行くことにする。自転車なんて最近全然乗ってないから不安だなー(何に不安?)。NZでは自転車に乗る際にはヘルメット着用が義務付けられているので、少しとがりぎみのヘンテコな形をしたヘルメットを乗せて、いざManapouri。道は100km/h制限なので自動車はビュンビュン飛ばして行く。

 特に坂道もなくスイスイ進み、1時間後にManapouri到着。一応中心部といえるところの小さなカフェでカプチーノとパイを食べる、5.50$。それから"Pearl Harbour"という名前のこれまたすっごい小さな港に行くと、Walking Trackがあることを知る。けれどそこは川を渡る必要があって、橋も掛かってないからボートで行かないといけない。5$もかかるし、少し面倒だとためらってしまって結局行かなかった。

 少し遠回りのコースをたどってTe Anauに戻る。が…逆風がヤバイことになってる!行きはずいぶん楽に来ることが出来たなーと思ってたけど、それは追い風の力があったという事実に気付く。うわっ、平坦な道だってのに全然進まない!行きは20kmだけど帰りは33km、キビシイ。変速可能な自転車だったからよかったけど、普通のママチャリだったらと考えると少し怖かった。途中に集落も店もあるワケがないし、水も少なめにしか持って来てなかったし少し焦る。でも所詮33kmくらいワケないさ!と思いながら帰り道を進む。

 何度か休憩を入れていると臀部がかなり痛いことに気付く。やっぱり慣れないことをすると体はしっかり反応するらしい。終わり際、後輪の調子が悪くなった。最後の下り坂でギアチェンジをしたら変な感じになってしまった。そこから5km弱ほど不安な状態で進みながら、ようやく借りた場所まで返却。「この自転車、特に変なことしてないのにおかしくなった」と伝えたけれど特別安くはしてくれなかった。けれどちゃんと修理するって言ってたな。


2002年04月12日(金) 腹が減ったらなんでもウマイ

 Kepler Track最終日は一般に言われる「くだらない日」だ。標高も、行程も、両方だ。でも行ってからはそうは思わなかった。それなりに味もあったし、最終日ゆえ、食料もなくなっているから荷物も軽かったし、6時間の予定をほとんど休憩せずに3時間20分で行ってしまった。間食もほとんど用意してなかったので、「早く着け、着け!」と思いながら13時前に全ての行程を終えてTe Anau YHAに到着した。

 着いて即シャワーを浴びて3日分の身体の汚れを落とし、洗濯をして、その後買い物でビールとポテトチップを買って、自分に乾杯。今まで味わったことがないくらい美味であった。

 YHAに戻ってからは、俺と同じコースを歩いて今日戻ってきたという女性と話をした。彼女は俺より2日遅れて出発したのだけれど、一足飛びで2日間で帰ってきたというのだ。一日でおよそ42km歩き詰めたとか。す、すげぇ…女性は強いなあ。

 近くの図書室のパソコンでWEB日記を更新し、再びビールを空け日本人同士で会話に花を咲かせた。楽しい一日だった。



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この日に更新したWEB日記↓


==ことごとく、マニアック扱い==

久々にマトモな日記が書けて嬉しくて仕方がないエイジです。いやはや。

今日現在、私がいる場所は"Te Anau"(テアナウ)。マオリ語ですな。
マオリといえば、この島の先住民族とされてますが、
マオリ語というのは非常に発音が日本語と似てて非常に面白い。
英語圏の人たちが読みにくい(発音しにくい)地名は日本人はワケ無く読めるという。
面白い世界です。

以前「探偵!ナイトスクープ」でも紹介されてたんですが
『ピアノ・レッスン』(原題"The PIANO")という映画でもマオリ族が登場するんですけど
その時のせりふが「あんな所は生きて通れねえ」と聞こえるんですよ。
もちろんマオリ語ですからそんなことは言ってない。

この時のビデオ誰か持ってませんかね?本当はどういう意味だったのか・・・。

えー、バックパックの旅はまだしばらく続きそうです。
今月中に終えられるのか?それが疑問だ。
来月には農場の仕事を探そうと思ってはいるものの現実味をまったく帯びてない(汗)


2002年04月11日(木) 世界共通カードゲーム

 ───寝られん。隣のヤツのイビキ(snoreという)がとてもうるさくて眠れたモンじゃない。何度もマットレスを叩いてイビキを止めようとするが、2分後には再び「ふごーーーー〜〜」となる。共同部屋はこれがつらい。俺より後に寝たくせに腹立つぜ。

 Kepler Track3日目。とはいっても3・4日目はほとんど平地を歩くのでしんどさは無いに等しい。問題なのは“距離”。それでも大したことはないが…。今日の“距離”は17.2km。昨日は18.6kmで高低差もかなりものだったので、今日は本当に楽勝ルートだ。

 7時に起きたのだが、近くに滝があるらしいので朝食と身支度を整えて見にいってみる。片道30分弱ほどの距離で、かなり豪快にしぶきをあげていた。たまたまそこに人がいたので写真を撮ってもらった。別に俺が入る写真が欲しかったわけでもないのに、誰か人がいるということだけでなぜかお願いしてしまった。ホントに写真嫌いなのかオレは?

 さて、さっきも言ったように行程は楽々で、5時間のコースを3時間50分で行ってしまった。途中特に見所もないので長い休憩もなかったし。今日の小屋は湖畔に建っていて、New Zealand特有の蚊のようなサンドフライという虫がうじゃうじゃいるけど、雰囲気はいい。虫除けスプレーをぬり、外で本を読むとすこぶる気持ちいい。

 夜になってからも小屋内のテーブルで本を読んでいると、隣のグループがカードゲームをしているのが目につく。どうやら、日本で言うところの“大富豪”だ(英語名は忘れてしまった)。俺も参加させてもらった。

 遊んでいると、少しルールが違うことに気付く。基本はほとんど一緒(3が弱くてA・2が強い)だけど、独自の決まりごとがある。出た札が3つ連続すると"sequence"(シークエンス・日本語に訳すと「連番」あたり)、すなわち連続でないカードが出せなくなるのだ。例えば一人目が3を出して二人目が4を出す。三人目が5を出すと、"sequence"成立。その次の人は“6”さらに次は“7”しか出せなくなるのだ。これは、弱者に優しいルールだね!


2002年04月10日(水) ワタシに光を-Kepler2日目

 コースのメインともいえる2日目に突入。朝起きると、朝焼けの色が素晴らしい。そして、麓を見てみると朝日にさらされた雲がすばらしい色を見せてくれている。日本でもこれほどの“雲海”を見たことはなかったかもしれない…。しっかり写真に収めておく。

 今日はひたすら稜線上を歩く。天気が悪いと稜線ゆえ吹きっさらしのめに遭ってしまうけれど、今日もいい天気。日差しが強いからもう少し雲あってくれよと思いたいけど、それはかなりのワガママ。帽子とサングラスと日焼け止め、そして虫除けを用意して朝9時出発。

 今日の行程はおよそ6時間。1時間ほど登っていくと、Mt.Luxmoreラクスモア山への分岐路が見えてきた。ここで貴重品ともう1つのリンゴを持ち、バックパックは下に置いて山頂へ向かう。NZでは珍しく山頂を究めることが可能なのでありがたい。もう一度麓をみると引き続き雲海が残っている。コースに戻るととんでもない強風に襲われる。着ているポロシャツが汗で濡れてしまったので。その強風で乾かしつつなびかせていると、「今にも空を飛びそうだね」というようなことを同行している人に言われた。ちょっと恥ずかしい。

 その後もひたすら稜線を歩きまくる。コースが丸見えなため、進んでも進んでも全然たどり着かないようで、なんともいえないイヤな気分になる。けど後ろを振り返ると前にいた場所がかなり遠くに見えるので、確実に進んでいるとことが実感でき嬉しくなる。途中2つのshelter(避難小屋)を通るけど、同じコースを歩く人が少なくとも20人はいるし、休憩場所として最適だから多少混雑するので俺は休憩せず。

 カメラのフィルムがとんでもないペースで減っている。New Zealandに着いてから5ヶ月弱、1本ムダになってしまったものも含めて現在で9本目に突入した。それだけ残すべき風景がある、ということなんだなー、いやはや。

 今日の小屋Iris Burn Hutはほぼ満員の60人が入ってる。それゆえキッチンが大混雑。でも、よくみるとアジア系の顔は俺しかいない。話しかけると、多少珍しがられているような気がした。晩飯を食べてから大部屋でくつろいでいた20時頃、トラブル発生!懐中電灯が壊れた!!首から引っかけてたんだけど、椅子から立つ際にテーブルに引っかかってしまってバラバラに…。暗がりの中で何人かの懐中電灯の光を借りて、部品を拾う。幸い、簡単な部品ばっかりで、直すのにそれほど苦労はなかった。けれど完全に元通りにはならず。せっかく高いの買ったのに!しかも1週間しかまともに使えてないし。ったく。


2002年04月09日(火) 突き抜ける青空よ

 Kepler Trackへ移動の巻。改めて行ったDOCの話によると、ここしばらくの天気はかなり良好(!)らしく、いい景色が見られるはずだと係の人に言われた。楽しみを胸に秘め10時に出発。平地の歩きはStewart Is.でも慣れてるけど、今日は雲一つない快晴で、日差しも相当にキツイので坂道でなくとも意外と体力を奪われてしまう。出発から2時間足らずで早くも2つ持ってきたリンゴのうちの1つに手をつけてしまう。

 リンゴうま〜〜〜〜い♪

 このコースは1日目に大きく登り、2日目には山間を長く歩いてから少し下り、3・4日目でふもとを歩くようになっていて、今日で登りの3/4を行く。結構キツイと聞いていたけど、言われるほどキツイとは俺は思わなかった。そりゃ疲れはあったけどサ…。

 15時過ぎにLuxmore Hutに到着してしばらく休憩後、歩いて10分ほどのLuxmore Cave(洞穴)に向かう。けど……これはヤバイ!ヤバすぎます、ここ!!話によると奥行きは1kmほどあるらしいけど俺は入って30mほどで引き返した。明かりも小さいヤツしか持ってなかったし、更に奥へ向かう入り口があまりに小さかったから…たぶん半径30cm程度の丸い穴だったと思う。あれは最初から探検目的で行かないと俺は無理だと思った。トランピングついでに歩く、なんていうのは洞穴に失礼。

 夜を迎えても雲一つない天気が続いてるので、21時ごろHutの外に出て夜空を見上げると……それはもう無数といえる星たちが包んでくれた。写真に収めようとしたけど、ヘナチョコカメラではどうしようもなかったな。22時就寝。


(詳しくは秋場研氏のNZトランピング詳細サイトにコース説明があるので参考にしてください)


2002年04月08日(月) 山に恵まれた町、Te Anau

 日本ではこの日付だと大抵は「入学式」とか「始業式」なんてのが行われているだろうけど、俺は至って自分のペースで動いてる。これでいいのかしらん?もっとも入学の時期が4月なんていうのは日本の特徴であってNZでは全然関係ないし、変に形式ぶるのはヤメにしよう。

 InvercargillからTe Anauへ移動するも、途中通過する町があまりにも少なくそして小さく、あっという間にTe Anauに到着してしまった。今日の宿はYHA、かなり日本人がいる。まずは近くにあるD.O.C.に行って天気を調べると、明日からは好天続きらしい。ならば行くぜ、Kepler Track!!3泊4日のルートで景色はかなり良いという噂を聞いているので楽しみだ。

 YHAのラウンジは非常に居心地がいい。いろんな人の話を聞きつつ、明日の準備を整える。22時に就寝だ!


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この日ネットで書いた日記はInvercargillで書いたもの。


=係員のうそつきー(泣)=

ということで、今もInvercargill(インバーカーギル・インバカーゴ)にいるエイジです。

昨日ここ(図書室)の係員の人に聞いたんだけど、
「日本語OKって書いてあるけど、見るのは出来ても書くことは出来ますか?」
って聞いたらその係員「NO」って答えたから無理だと思ったのに!!
"write"ってのがマズかったかな。
この場合は"input"のほうが良かったのかも。

ということで、今までの簡単な活動報告を。

南島を時計のような形に置き換えると、
今いるところは30分あたりのところ。
スタート地点が15分あたりと考えたら、単純に1/4が過ぎたかな。

Stewart Islandは良いところでした、すごくのどかで。

ここのインターネットはすごく高いので
(15分2$、今まで3時間で5$だったのを考えるとバカ高い)
簡単に終わらせます。はい。

次はTe Anau。ここではKeplar Trackという山歩きコースがあるので
楽しむつもりです。


2002年04月07日(日) 食事を考えないと…

 Invercargillに限らず、New Zealandの天気は変わりやすすぎる。周りがほとんど海だから、風やらで雲があっという間に動いてしまって一気に様変わりする。今日でここら周辺に滞在して1週間になるけど、天気がまったく予想できない。

 この町は結構大きな店がいろいろあって、Stewart Is.で不便だった山歩き用の道具を幾つか補充することにした。保温性の優れたマグカップが半額で10$、小さい懐中電灯が15$、その他諸々を買っているうちに、この旅行中早くも500$以上使っていることがわかった。一日40$以内で生活しようと思ってたけど、宿代・交通費・食費以外にもいろいろ払ってる。郵便送ったりインターネットをしたり、小物類の補充だったり。このままじゃ1ヶ月で10万円以上使う計算になってしまう。

 ヤバイな…。毎日のように宿を変えてるから、キャベツみたいな何日も使えるような食材は控えがちになってるし。今日は久々に肉を調理した。野菜不足に限らず肉も不足してたから今夜は奮発してご飯と肉野菜炒めと相成った。

 NZの日曜の恒例行事となりつつある“テレビで映画”タイム、今週は『There's something about Mary(メリーに首ったけ)』だ。他局では『The MUMMY(ハムナプトラ)』だったけど、同じ宿に泊まっている人の多数決で前者になった。

 今月に入ってからヒゲを剃っていない。改めて鏡を見たけれど驚くほど似合わない。しかもほとんど伸びていないし…いつ剃ろうかいな。明日からはTe Anauテアナウに移動、そして9日からはKepler Trackケプラートラックに挑戦することになりそうだ。

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その日綴ったWEB日記はこちら。


=(題名なし)=

I'd been looking for other internet bars,
(昨日は日本語が使えなかったので)別のインターネットバーを探してました。
but everywhere can't use(write) Japanese Language.
でも、どこのものも日本語を書けるところはない…

Please wait to next time!!
次の(更新の)機会を待ってください!

I've already been Stewart Island.
俺はすでにStewart Is.に行ってきました。
There is NZ's 3rd island.
そこはNew Zealandで3番目の島で
I didn't know that place when I go NZ before.
俺はNZに出発する前は存在を知りませんでした。

Next,I'm going to "Te Anau".
次は、Te Anauに向かうぞ。




Japanese (日本語にて)

Zettai kore hen na English dato omou...
(絶対これ、変な英語だと思う…)
demo,"Japanese-English" te koto de
(でも、ジャパニーズイングリッシュってことで)
chigau imi de wakariyasui kamo ne!!
(違う意味でわかりやすいかもね!)
nante...ro-ma ji de kaitemo zenzen tsutawaranai zo!!kuso-!
(なんて…ローマ字で書いても全然伝わらないぞ!くそー!)


2002年04月06日(土) 整理整理の毎日

 今日も朝からバックパックの整理。けど、毎日つらい。何がイヤってこの“中身の整理”っていう作業のこと。何度も言ってる「片付け嫌い」の俺だけど、何回やってもこの時間がウツだ。出しては片付け、片付けては出しの繰り返し。イヤだイヤだイヤだーー!整理をするたびにどこかへ腰を落ち着けたくなる。

 まあそれはさておき14:30発の飛行機が取れたので、それまでそこらへんで時間をつぶす。周りは当然全て海。近くの雑貨店で1.50$のアイスクリームを買って海岸で食べると、なんともいえない不思議な気持ちになる。「こんな所で俺は一人でアイスクリームを食べている…」なんて。Rakiura Museum(ラキウラ美術館)や図書室なんかにも寄ってみた。そして10人以下のフライトをしてInvercargillに戻る。

 いつのまにか、Christchurchを脱出して10日も経ってしまった。やばいくらいに時間が過ぎてしまっている気がする。今日の宿はまだ取ってないので、YHAに電話をしてみるがInvercargill YHAは昨年閉鎖されてしまったらしく、受け継いだ別のBackpackersに電話したら満室との返事。よく考えたら今日は土曜日だった…。次に前回泊まったSouthern Comfort B.P.にかけたら、幸いベッドは残っててOKだった。

 今日の夕食はごはん、かなり炊き方も上手になってきた。これにふりかけ(rice seasoningと呼ばれている)をかけて、スーパーマーケットで買ってきた出来合いのサラダで終える。夜にインターネットが出来る場所に行くとそこは無人の場所。24hours openって…10分1$と少し高いけど…まあいいや。し、しまった!「Japanese available(日本語使えます)」って壁に書いてあったけど、表示されるだけで書けないっ!!最小限のサイトだけ見てWEB日記を英語(?)で更新して終えると20分ほど経っていたので2$を募金箱のようなものに入れる。履歴がしっかり残るようになってたから、お金のごまかしは効いても日本語サイトに行った人が金ちょろまかしたと思われてもイヤだしね。


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この当日に更新した日記は以下のもの。

=What's going on!?=

Now I'm in Invercargill.
今俺はInvercagillにいます。
Here is most southern(?) city in NZ.
ここは一番南です。↑ちなみにsouthernmostの間違い


I can't write in Japanese!!!
日本語が書けねえーーーーー!!


ohhhhhhhhhhhhhh NONONONO!
ちくしょぉぉぉぉ!



ro-ma ji de kaku noha hijo----ni hen!!nanoda.
(ローマ字で書くのは非常〜に変!なのだ。)
to iu kotode,watashi wa ikite masu(I'm alive).
(と、いうわけで、私は生きてます。)
tsugi wa Japanese kakeru tokoro ni iku zo kora!!
(次は日本語で書ける所に行くぞコラ!)


2002年04月05日(金) 歩き〜疲れ〜た〜

 昨日寝る前、外に出て夜空を見上げた。多少雲はあったけれど、光の影響を受けないため相当の数の星が見えた。月並みながら人間ってチッポケだなあって思えた。

 朝目覚めると、外の木が濡れている。夜の間に雨が降ったか、ただの朝露か…。地面はそれほど濡れている様子はないので朝露だろう。仮に雨だったとしても歩くときに降っていなければ万事OKなので、今日も機嫌良く出発。ほとんど海岸沿いを歩いているけれど、不思議と磯の香りはしてこない。

 それにしてもドロだらけだ。木道が設けられているから靴の汚れは最小限で済む。けれど、この島はもともと完全な晴れという日が少ないらしく、道が乾かない。ゆえに道がドロドロなのだろうか。土の質もあるかもしれないけど、詳しくは知らない。今まで最大の靴の汚れを残し、3日間・約48時間の山行終了。

 歩きを終えてから、この島のBackpackers(宿)を探そうと思いVisitor Informationに行って調べてみたら、大半の場所が家の半分を貸すという雰囲気。その中で15$というInne's B.P.を選ぶ。本当に家でびっくりした。シャワーを使って3日分の体の汚れを一気に落とすけど、ヒゲだけはそのままにしておいた。さあこのままどうなるかな…?絶対似合わんこと請け合い!!

(後で聞いた話だけど、この宿は日本人女性にとってはすこぶる評判が悪いらしい。俺は男だったから平気だったけど…)


2002年04月04日(木) 世界まるごとハウマッチ(古)

 結局昨日は21時過ぎに寝て、今日7時に起床。10時間も寝てしまった。朝はごはんを炊いてふりかけをつけて、そんで終わり。あと、コーヒーも作った。そうそう。作る直前に粉ミルクが欲しくなってしまい、隣のベッドに陣取っていた女性に「粉ミルクを少し分けてくれませんか」とお願いしたら

"How much?"

と尋ねてくる。えっ…?俺はその時

「(この人、少しだけの粉ミルクで金を取る気か!)」

という思いが頭をよぎった。しかしそれは大きな誤解だとすぐ気付く。そう、この"How much?"は

「値段はおいくら?」ではなく
「どれくらい(の量)?」
という意味だったのだ…。一瞬こんがらがってしまって数秒の間が空いて

"Ah...er...30g please."

と、ようやくコトが運べた。"How much?"…おそるべし。そんなこんなで荷物を整理してたら8時半になっていた。Hutを離れる。

 今日の道はひたすら森の中。特徴のないコースだけに、個性はそれほど感じられない。けれどもジャングルのような森の中の世界はそうそう見られる世界じゃないな、と思えた。同じ時間帯を歩いてる人と何度もすれ違う。お互い休憩をはさんでいるからだろう。休憩で思うことなのだが、山や森の中でとる水やチョコレートは、どうしてこんなにも美味しいのだろうか…。ひたすら森を歩き通してlookout(展望台)に着く。その場所からは特に景色は見えないので、10mくらいの高台が用意されていた。「これをここに設置するのにどれだけ時間を費やしたんだろう…」と思いつつ上まで昇る。天気はまずまずだったけど、方向からいってNZ本土は見えなかった。その場でしばらく長い休憩をしてから、今日の宿North Arm Hutへ14:10ごろ到着。時間と体力から考えれば町まで戻れる勢いだけど、既にHut Pass(宿泊券)を買っているのでココで落ち着くことにする。

 干潮の海を眺めつつぼんやりとしていたら、ずいぶん時間が経っていた。Hutに戻って簡単な晩飯を作って夜を迎える。今日は小屋に12人いる(満員は30人)。係の人はいない。そんな中でロウソクの小さな光の下、温かいコーヒーを飲みながらこの日記を書く。この雰囲気イイでしょ?外は寒いよーママー(笑)。

 もはやdaylight saving(夏時間)も終了してしまったので、19時ではもう暗い暗い暗い。今日も21時くらいには寝ようと思うけど、あと2時間どうしよう。

(昨日の日記と終わらせかたほとんど一緒や…)


2002年04月03日(水) 夜の過ごしかた

 信じらんねえぜ、これが2年半前まで現役だった男の姿か?

 そんな前振りはさておいて、航空券が取れました。Invercargill→Stewart Is.の当日分をいわゆるキャンセル待ち(こちらではstandbyという)を使って12時発のを取った。で、朝のうちはまだ時間があるのでInvercargillのD.O.C.(注−Department Of Conservation─山歩きの最低限のルールを教えてくれる)に行って天気を教えてもらうと、今日・明日は晴れ、それからは下り坂だという。予定としては今日島に渡ってひとまず情報を集め、それから翌日出発しようと計画してたけど、天気が悪いのならそれを避けるのが俺流(?)。故に今日の昼から一つめのHut(山小屋)に行くことを決意する。

 飛行場までのShuttle Busシャトルバスを予約するために電話する。しかし「Full」との返事。アカンがなー!!仕方なくTaxiを使って行く。7.60$もかかってしまい、バスの倍以上だった…クヤシー。

 先ほど航空券とは言ったものの、島への飛行機は超小型。乗客7人乗りなんて初めて聞いたゾ。しかも俺は運転手の左隣の席に。景色サイコーだ。わずか20分ほどの飛行で島に到着してそのままStewart Is.のD.O.C.に行って歩きの準備をするも、それでも荷物にムダが多い。空港で荷物の重さを計ったら23kgもあった。何がそんなに…?おそらく荷物だな。それほど着替えなんかしないってのに!使わないものをD.O.C.のロッカーに預けて13時半出発。

 今日のコースは4時間半。4時間弱で行ってやると思っていたけど17時半に到着。4時間以上かかってしまった。一つめのHutはPort William Hut。海沿いの山(?)小屋で波音が常に聞こえてくる。

 さて、メシ作るかと思ってバックパックを開けると…持ってきた懐中電灯が灯いたままになっていた。当然電池切れ。…夜俺どないすんねん?予備の電池用意してないし。こりゃロウソクのみで生活しなきゃアカンなートホホ。

 先月買ったガスバーナーがやっと活躍してくれたよ。っていうかそういうモノが必要な所に俺が行った、とも言えるけどな。19時に日没してからは物凄くヒマ。持ってきた日本語の本を一気に読破してしまう勢いだし、日記もとてつもないボリュームになっている。これを書いてる今(20時に)寝ても翌朝6時過ぎには確実に起きてそうやし…どないしょ。


2002年04月02日(火) それで郵便送れるのか

 体はなんとか元気。今日はInvercargill周辺の店をうろちょろと周る。Easter Holidayも終了し、店ではEaster Eggという名の卵型チョコレートを半額以下で売り出していた。いわゆるクリスマスケーキの売り方さな。俺も一つ購入、15cmくらいある人形の形状をしたチョコレートが2$(120円)でした、安っ!250gほどの重さで日本にある板チョコの3倍程度と思ってくれればいいかな。その他山歩きのための道具や食料なども買いこんで準備はOK。

 そしてVisitor Informationの同じ建物の中には博物館があって、donation(寄付)という形で2$取って見せていた。ここらへんに住んでいた動物や、南極周辺に住む鳥や魚などが紹介されていた。ここはNew Zealandでも最南端に近い。南とはいってもここは南半球なので寒い。

 改めて思ったことは、NZは逆さにして本州と九州がある、そんな雰囲気がする。今まで居たChristchurchは大阪か愛知、Oamaruは千葉あたり、Dunedinは仙台、Catlins Coastが三陸沖、そしてここInvercargillが青森あたりって感じかな。10月に青森に来てるって雰囲気で伝えるとわかりやすいのだろうか?で、明日向かうStewart Is.は何処かといえば、うーん…奥尻島(笑)。

 話を戻すと、ここは南の果てに限りなく近い。昨日の道すがらでもYellow-eyed-penguinを見られたし。ちなみに今日の気温は最高13℃・最低5℃、らしい。いよいよ寒くなってくるかな。昨日は忙しかったから気にならなかったけど、Chiristchurchから南下すると同時に西にも移動してるから暗くなるのが30分遅いように思えた(冬に向かうので同じ所にいると日の入が早くなる)。たいして大きな国でもないのにね。

 今日は、バックパックに詰めたものの全然使っていない衣類や荷物をChristchurchに送り返したんだけど、郵便局の手続きがとても曖昧でビックリした。段ボールに封をして、そこに直接宛先を書き込む。専用の用紙はナシ。俺は旅をしてて住んでる所がないから差出人住所ナシ。オイオイ…宛先だけ書いても受け取る人は困るやろ…。まあこの場合は自分で自分に宛ててるから係の人が判ってたから書かせなかったのかもしれないけどね。住所間違えたらどうしよう…ってハラハラしたよ。


2002年04月01日(月) 南へ行けば行くほど

 前日からの体調は何とか持ち直したゾ!

 今日は一日Bottom Busという小さな観光バスで南島南側の沿岸を周る。そのバスには15人乗っていたけど、アジア系は俺一人。ドライバーのDavid(デイヴ)はものすごい気さくな人で、俺のこの先の旅の助言までしてくれた。自分トコのバスの儲けが減るかもしれんのにー!

 ここCatlins Coastは車でも周れるかなりオイシイ場所。俺がもしレンタカーを借りてたらここを訪れずには終われないと思う。日本でいうところの三陸海岸に似てるかな、例えるなら。この周辺は行くべき場所が少なく見積もっても20はある。そのうち5つをバスで周った。Nugget Point・Surat Bay・Matai Fall・Lake Wilkie・Curio Bay、以上5つ。どれも独特の味が出ていた。Surat Bayでは大きなアザラシも見られた。うまく文字で説明できないのがもどかしい。ここを通らない通常のバスより3倍ほど値が張るけど、それなりの価値はあったと思える、85$。

 俺の到着地はInvercargill(インヴァカーゴ)。宿はSouthern Confort B.P.。ここは特別に見所はナシ。明日はのんびりしつつStewart Island(スチュワート島)へ向かうための準備をするか。いよいよ本格的なトランピングの始まりか!


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