French Wolf の日記
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2001年07月31日(火) 契約満了。反省会の行方。


火曜日。

また暑い。水不足も心配である。生まれてから何回か空梅雨があり、水不足と騒がれたことも数回経験している。ただ、取水制限まで生活に影響を及ぼされたことはない。学校のプールや遊園地のプールが閉鎖されたり、洗車を自粛したり、その程度だった。茨城に引っ越してきてから、水源がどこにあるのかよくわからないが、利根川水系だとすると、問題はかなり深刻かもしれない。俺の家は高台にあるため、供給される水圧が下がると、真っ先に影響を受けそうである。もっとも素人の直感に過ぎないが。

さて仕事。今担当しているのは、非常に骨の折れる作業である。誤字脱字はもちろん、翻訳を最終製品として仕上げる重大な責任を負ったものである。午後も集中していたため、若干疲れ気味である。

本来ならば、今日でいったん会社との契約が切れる。が、会社側からは突然契約を解除したりすることはない、という太鼓判をもらっているため、明日も抱えている仕事に精を出す予定である。



Ocean Wolves の反省会も企画されつつある。8 月あたりに一度東京に出没することになるだろう。




2001年07月30日(月) 暑さ come back!


月曜日。

日常が戻ってきた。

仕事は多少忙しいものの、なんとか頑張っているところである。ただ、今日はやはり暑さがぶり返してきた。このまま秋なんて甘かった…。



2001年07月29日(日) 床屋。おばあちゃんと俺。


日曜日。

今日は珍しく午前中の朝寝はなかった。ただし、その分お昼ご飯を食べた後不覚にも眠りの世界に誘われてしまったが…。

床屋にも出かけた。祖母が自宅で半分寝たきりの状態になっているため、床屋のおばちゃんにお願いして、自宅に出張サービスをしてくれないか聞いてみたところ、意外にも「じゃぁ、今日これから伺いましょうか」と来た。自宅に確認をしたところ、まぁ問題なかろうということで、出張サービスをお願いした次第である。

自分が髪の毛を切ったことなど忘れてしまうくらい午後はあわただしく過ぎ去った。

今日もまだ涼しい。この調子、この調子。


2001年07月28日(土) 寝る寝る大魔王


土曜日。

いつも見ている 7:30 からの BS NHK を見逃してしまった。寝ていたのである。でも 8:15 からの NHK 総合は見逃さず、きちんと布団の中で堪能させてもらった。

いやぁ、今日は本当に一日中寝ていた気がする。朝ご飯を食べながら NHK、その後朝寝、そして昼ご飯、そして昼寝。今起きたところである。これでまたお風呂に入って、ビールでも飲んでしまうと、あっという間に眠気が訪れてくるのだろう。


2001年07月27日(金) おや、涼しい


金曜日。

今日も比較的涼しい。クーラーは必要なし。

仕事でちょっとしたやりとりがあり、今週のノルマは来週に持ち越されることになったが、まぁそれはそれでよいことにしよう。

夜友人から連絡があり、来週の金曜の夜うちに来るかもしれないとのこと。






2001年07月26日(木) おや、涼しいぞ


木曜日。

おかしなくらい、今日は涼しい。クーラー要らずである。夏は終わりかね?

おかげで仕事がはかどる、はかどる。どうしようもないくらいはかどってしまった。定刻の業務終了後もプライベートで依頼された仕事をサクサクとこなしてしまったほどである。これで今週のエネルギーを消耗し尽くしていなければ、なんとか土曜の朝の NHK (しつこいって?) まで頑張れることだろう。






2001年07月25日(水) 皮が剥ける


水曜日。

先週が実働 3 日間だったせいか、今日までの時点でかなりのエネルギーを消費している。後 2 日土曜日の朝、NHK のドラマを見るまで体がもつかどうか若干気になるところである。

さて、暑いのにもいいかげん慣れてきたのだろうか。最近は自分の部屋のエアコンもつけているが、設定温度を 28 度にすれば、十分快適である。特に外から部屋に入ってくると、身震いがするほどヒンヤリしている。老化現象か? 学生時代などは、自分の部屋を 19 度に設定し、布団をかぶりながら、熱くて辛いラーメンすするのが趣味だったりしたものだが、もはやそういう気力も失せてしまったのだろうか?

一つ昨日の日記に書き忘れたこと。両親の離婚が決まりそうである。こんなことを日記の読者に公表しても仕方がないといわれればそれまでだが、とにかく普通なら調停でなんとか決着がつくものの、うちの場合裁判にまで持ち越されてしまったのである。しかも、過去から俺の日記を読んでいる人はご存知と思うが、陳述書なる公的文書まで俺が作成したりしているのである。今俺は母親と住んでいるわけだから、まぁ世間的に言えば母親の味方についているように思われるだろう。実際もまさにそのとおりだとは思うのだが、ただ心残りな点は、自分の実家はあくまでも東京にあるということである。父親が今実家で一人で暮らしているわけだが、その家が万が一なくなると、都会っ子の French Wolf の証拠がどこにもなくなってしまう。(もっとも免許証の本籍は東京になっているが。) ウダウダ言っているが、要するに自分が育った環境は捨てがたいものだということだろうか。
仕事はぼちぼち。

背中が痒くなってきた。顔もパサついている。よぉく探検してみると、皮が剥けはじめているではないか! 早すぎる。結局黒豚、焼豚でいられたのも実質 2 日間。今年の夏 Ocean Wolves の会に参加できなかった人のために、もう一度セッションを用意しようか、考えているところである。



2001年07月24日(火) ホームページの作成


火曜日。

意外にも体調は復活しつつある。今回の海、その前の遠出は心身ともに非常に疲れるものだったのは事実だが、それ以上に楽しむことができたせいかもしれない。

仕事も順調に進んでいる。

今日は昼休みに、近くのパソコンショップで、スマートメディアをフロッピー ドライブから読み込めるアダプターを購入した。6000円前後の代物だから、決して安いとはいえないものの、今までデジカメで撮影した画像は、いったんノートパソコン (Windows 98 と Windows 2000 と Linux のマルチブート) に落としてから、画像のサイズを縮小し、フロッピーに落とせる枚数ごとに普段使っているデスクトップにコピーしていた。これで、今後はスマートメディアから直接デスクトップの取り込むことができる。おまけに、このメディアは画像だけではなく、ちょっとしたもののバックアップにも使用できるときている。32MB のものを 2 枚持っているから、通常の仕事のファイルをバックアップするのにも最適なソリューションになるだろう。(仕事のし過ぎのせいか、ソリューションなどという言葉をどうしても使いたくなってしまう。)

夕方無事に仕事を終えてから、ホームページの作成に取り掛かった。今回の海の写真集をネット上で公開すると宣言してしまったためである。まぁ、それほど真剣にとりくんだわけではなく、画像がなんとなく見えていれば十分というスタンスで始めた作業だったが、いったん始めてしまうと、なんとかクリックしたときに高解像度の画像をハイパーリンクさせたい、コメントもちょっとは書いておきたいなど自分自身の要望が募り、結構手間取ってしまった。今回の参加者が見てくれて、その上楽しんでくれると申し分ないのだが。

今もファイルはアップロード中である。デジカメでとった画像は一枚あたり、200KB 程度の大きさ。もともとの画像を縮小し、サムネイル表示させるとかなりサイズは縮小され、50KB 程度になる。エフェクトを工夫したり、減色したりなどの方法で今後改善していきたい。

参考までに今日作成したホームページはここをクリック!


2001年07月23日(月) 平常心


月曜日。

長く、楽しかった週末も終わり、今日から再び仕事に再燃である。仕事の方は、まずまずといったところで、普通にこなしているが、体の方がかなりひどい。

まずは全身の日焼けによるヒリヒリ感。疲労もかなりのものである。いくら十分に寝てみたとはいえ、到底回復するには及ばない。

徐々に時間をかけて回復していくほかなさそうである。



2001年07月22日(日) Ocean Wolves 最終日


日曜日。

昨晩はみんな疲れていたせいもあり、1 時過ぎには就寝。したがって、朝も早かった。とはいえ、目が覚めたのは 8 時ごろ。気合を入れて、朝ご飯を食べ、海に向かったのが 9 時過ぎ。

快調に車を飛ばし (といっても、車の運転は I ちゃんに任せてしまったが…)、現地に到着したのは 10 時過ぎ。さっそくシートを広げ、ビールで乾杯し、ごろ寝に突入。しかし暑かった。3 分たりとも同じ姿勢をキープしているのは難しいほど。昨日は勾配のある砂地にシートを置いたため、地面の温度は高かったものの、まぁ、背中の肌触りもやわらかいものだった。が、今日は波打ち際に近い、若干湿った平らな場所を確保。最初はこれがよかったのだが、最終的には、大きな命取りになろうとは予想だにしていなかった。

海に入ったり、ご飯 (昨日のカツカレー 1000 円に懲りて、今日はカツ丼 800 円) を食べたり、あっという間に日が傾く。海水浴場の営業時間ぎりぎりである 4 時までねばって帰途に就いた。

帰りの車も I ちゃんに任せてしまった。自分はバックシート ドライヴァーに徹する。家に到着したのが 6 時過ぎ。小一時間程度の反省会を催し、Ocean Wolves の最後まで残った I ちゃんと H を駅まで見送った。

なんとなく寂しい瞬間である。



家に再び戻ると、しばらく買い物に付き合っていなかった母にせがまれ、近所のスーパーまで出かけた。生鮮食料品などかなり割安になっているのに気づいた母はこれみよがしにバンバン買い込んでいたなぁ。

ようやく家に戻って落ち着くと、シャワーを浴び、もちろん予想していたことではあるが、もう日焼けが大変なことになっている。真っ赤である。ロブスター。ヒリヒリするため、ぬるま湯で体の塩っ気を優しく流し去り、頭を洗って、それでもうアップアップである。だって、腕を動かすたびに背中に激痛が走るほどの日焼けである。自業自得だろう。


第二回 Ocean Wolves 年次決起集会も無事終了。楽しかったなぁと過去ばかり振り返ってはいられないが、実際充実した 2 泊 3 日だった。このペースで来年もまた狼連中と一騒ぎしたいものである。




2001年07月21日(土) Ocean Wolves 2 日目


土曜日。

なんと、一晩をともに過ごした C さんが朝一で東京に帰るということが発覚。みんなで仲良く朝食のおにぎりを平らげた後、海に行く用意をしつつ、C さんを駅まで見送った。
結局決定した海は、鉾田・大竹海岸。うちから (インターネットのある情報によると) 車で 50 分程度の場所にある、それほどメジャーではないが、設備はきちんと整っているビーチ。向かう道中、道に迷ったり、まぁ、いろいろなことがあったものの、お昼過ぎには無事現地に到着し、シートも広げて陣地を確保。

昼ご飯の物価の高さにはまったく驚かされた。俺が食べたカツカレーは、参考までに 1000 円である!

ごろ寝するものあり、浜辺で野球を始めるものあり、なんでもありの海。楽しかった。Ocean Wolves を主催してよかったと心から思ったものである。

そんな楽しいひとときも日が傾くにつれて、終わりに向かう。今日中に帰りたいという S さんと H くんを駅まで見送り、最終的に取り残されたのは、I ちゃん、H、それから俺の 3 人。

家に着いても、食欲がなく、なんだかゴロゴロしているうちに、10 時を回ってしまった。とりあえず、麦茶でもどうか、ということで飲んでみると意外にも体力が戻ってきたようで、冷麦を食べた。

今日は日焼けのほどは、まぁまぁといったところだろうか。疲れて、1 時には寝てしまった。もちろん、明日も海に出かける予定なので、早く寝て、早起きしようという魂胆である。



2001年07月20日(金) Ocean Wolves 初日


金曜日。

海の日である。今日から、“Ocean Wolves”の活動が一年ぶりに再開する。なんとかメンバーたちには連絡をとることに成功し、当初の予定では 5 〜 7 人程度参加者がいるだろう、ということだった。残念なことに、去年行われた第一回 Ocean Wolves の集いに参加してくれた、M さんと A さんが今回欠席ということだったが、代わりというのも妙なものの、新人が 3 人メンバーに加わった。

結局第一陣が到着するのが、4 時ごろだった。前回も参加し、俺のよき飲み友達でもある、S さん、H くん。それから、S さんの友だちの C さん、K さん。K さんは今回お初にお目にかかったのだが、さすが S さんの友だち。類は友を呼ぶという言葉がぴったりの豪傑野郎だった。

みなさんに申し訳なかったことなのだが、うちが海辺に近いと誤解されていたようである。実際、K さんは生まれてはじめての海体験ということでかなり興奮していた様子だったのだが、実際に到着した時間を考えてみても、海に行って、明るい時間帯に家に戻ることは不可能。申し訳なかったが、霞ヶ浦を周遊するドライブということで許してもらった。
全員で車で出発し、霞ヶ浦経由、JUS◎CO で買出し。夕飯は韓国料理ということになっていたので、ネイティヴの 3 人に台所作業を任せ、俺と H くんは横からボーっと眺めていた次第である。

出来上がった料理はすばらしかった。プルコギ、トポキ、ビビンバの豪華 3 連発。味はもうえもいわれぬ程合いである。

K さんは今日中に家に戻らなければいけないという理由があったため、夜 10 時くらいに車で駅まで見送った。

その後、今晩から合流することになっていた、I ちゃんと H がまもなく駅に到着するという連絡を受けて、11 時前に駅までお迎えに。

彼らにももちろん美味しい韓国料理を堪能してもらい、宴は午前 2 時ごろまで続いた。徐々に眠りの世界に引きずり込まれる人々が現れ始めたものの、俺と同じ部屋になった I ちゃん、H、それから俺は結局朝方空が明るくなってくる 4 時まで話し込んでしまった。明日の海が心配である。



2001年07月19日(木) 準備に取り掛かる


木曜日。

今日はなんだか突然涼しくなったなぁ。エアコンの力を借りなくても、仕事がはかどる、はかどる。今週の予定というかノルマだった分をなんとか仕上げることができた。

それよりも忙しくなってきたのは、明日からの 3 連休の話。“Ocean Wolves”という名前の団体で海に出かけることになっていたのだが、何一つ具体的な話はしていなかった。ところが今日からメイルの応酬が始まり、個人個人の予定や希望が錯綜し、混沌たる様相を呈してきた。

もっとも落ち着いて考えてみれば、たいしたことはなく、要は数人のグループが二手に分かれて、金土班と土日班になるということである。行き先のビーチの方は、今日雑誌を買ってきた。うちから近いところを探してみたのだが、あんまりメジャーなものはなさそうである。心配なのは、人数によっては俺の“軽”マニュアリ〜タではドライヴァーを含めて 4 人が定員である。駅からうちまでの送り迎え程度なら、5 人乗っても一人は小荷物扱いすれば大丈夫だろうが、さすがに海までとなると…。レンタカー屋さんは、こっちの方では休日は営業していないことが多い。

悩みは尽きない…。



2001年07月18日(水) 週末の予定を立てなければ…


水曜日。

やっぱり暑い。夏である。

エアコンを解禁にしたおかげで、仕事がスムーズに進む。ただし、会社から連絡があり、来週のスケジュールも今の時点ですでにいっぱいいっぱいになっているのは、あまり好ましくないが…。まぁ、サラリーマン。仕方ないだろう。

それにしても今週は早い。明日が終われば 3 連休。海に行くことになっているのだが、残念ながら去年の創設メンバー全員は揃わなさそうである。今都合の確認が取れているのが俺を含めて 4 人。俺の家に泊まってもらうことにすれば、車で近くの…といっても、1 時間以上はかかるかな?…ビーチまで出かけて、夜は俺の部屋で宴会をすればいい。とはいっても、今の時点でどの海にでかけるか、集合をどうするか、何も決めていないのはまずいだろうか。



2001年07月17日(火) ついにエアコン解禁


火曜日。

仕事へ復帰である。誰かなんとかしてくれ。この暑さ。今までは体のために汗をかくのもよいことだ、と信じて昼間自分の部屋で仕事をしているときには、エアコンを入れないようにしていたのだが、そのポリシーも消え失せた。とりあえず、設定温度を 28 度にしたのだが、それでも外から部屋の中に入ると、ヒンヤリを通り越して、一瞬寒さを覚える。それほど、外が暑いということだろう。

夕方雷雨があった。何日ぶりの雨だろうか。いくぶん涼しくなったような気もしたが、やはり蒸し暑いのには変わりなく、騙された感が強い。



2001年07月16日(月)


月曜日。

7 月 1 日の日曜日、休日作業をした分の代休ということで、今日もお休み。今週は金曜日がお休みだから、俺の場合実働 3 日ということになる。

いやぁ、それにしても東京は暑かった。午前中はウダウダとしていたものの、午後から買い物に出かけたり、ご飯を食べたり、休憩をしたり…。とにかく、一歩足を進めるごとに、汗が 1200 ml 滴り落ちるというほどである。

友人と別れ、家に着いたのは 5 時半ごろ。心もち、田舎の方がやはり涼しいのだろう。夕方の風が心地よかった。もうすぐ晩御飯ということで、しばらく我慢しようと思ったのだが、リヴィングに横になったのが失敗だった。結局 7 時ごろまで寝てしまい、それからお風呂、食事。

明日から仕事に復活できるようにきちんと休息しておかなくてはならない。


2001年07月15日(日) プライベート出張


日曜日。

本当に楽しかった。充実した日曜日だった。



2001年07月14日(土) 誕生日おめでとう


土曜日。

関係ないことだが、今日は妹の誕生日。さて彼女はいくつになったのだろうか。自分が 28 だから、25 歳か? それとも 26 歳か? まぁ、その辺だろう。

ゆったりとすごした一日だった。それにしても暑い。もうエアコンなしではとてもではないが、パソコンに向かっているのは難しい。手のひらに汗をかくならまだわかるのだが、手の甲に汗がじわりとにじんでくるのである。しかも、10 分も経たないうちに。窓を開ければ幾分涼しくなるものの、やはり暑い。もうエアコン依存症である。

明日は東京に出かける。友人との約束があるのである。朝寝坊しないように、早く床に就くことにしよう。


2001年07月13日(金) きれいな歯


金曜日。

なんと、今日は恐ろしいことに 13 日の金曜日ではないか。敬虔なクリスチャンの俺としては何かとてつもないことが起こるのではないか、と気が気ではない。

といいながらも、仕事は今週の目標を達成することに成功。来週からは心機一転、新たな作業に取り組みことになる。とはいえ、月曜日はお休みをもらっているし、金曜日は海の日。実際は 3 日間だけの短い一週間になるのだが。

歯医者も無事終了。治療の必要なしということで、歯石の除去だけでお開きとなった。今回は結構歯石もヤニもついているんだろうと長期戦を覚悟していたのだが、日ごろの歯磨き習慣のおかげで、たいしたことはなかったらしく、10 分程度のお掃除で無事終了を迎えた。

あとはこの暑ささえなんとかなってくれればよいのだが…。


2001年07月12日(木) うだるぅ


木曜日。

嗚呼。今週はなんと一日いちにちの経過が遅いことか。週末に控えているイベントが遠い未来のことのように思える。

それに加えてこの暑さ。天気予報によると今日の水戸の最高気温は東京のそれを上回り、35 度を記録したらしい。どうりで暑いはずである。最近、頭がなんだかだるい。つねにボーっとしているような感じがするのである。頭が重いといった方が的確だろうか。

仕事は普通にこなしているものの、先週、先々週の多忙さ、殺人的なスケジュールに比べれば、たいしたことはない。その分よくも悪しくも気分にも余裕が出てきて、考え事をする時間が増えてしまっているのだろうか。


2001年07月11日(水) 歯医者成功!


水曜日。

今日は意を決して、歯医者に向かった。(いやぁ、いつもかなり奮起しているのだが、なぜか歯医者さんと愛称が合わないようである。)

今日は祖母がリハビリで近くの施設に出かける日である。その施設というのが、実はうちから 4 件先にある。それで、俺が行こうとしている歯医者はその隣。つまり、ごく近所で毎日が展開しているというわけである。

祖母のお迎えが来たとき、あの歯医者はいったいいつ診療しているのか、と尋ねたところ、午後は 4 時までだったらしい。どうりで、今まで時間が合わなかったはずである。(それならば、看板に夕方 6 時まで、なんて堂々と書くな!)

普段行っている病院では、2 〜 3 時間待たされることなんてまったくザラなので、歯医者で 10 分の待ち時間など、どうっていうことはない。結局診察の結果、治療の必要はないということだった。ブラッシングで気をつければ大丈夫だろうということである。ただ念のため、今度の金曜日の 3 時半から歯石を除去してもらうことにした。


2001年07月10日(火) 不思議な歯医者


火曜日。

今日は一つ不可思議なことがあった。

夕方いつもどおり、買い物に出かけたのだが、その帰りに歯医者によることにした。自宅から 10 メートルほどの距離にある歯医者なのだが、ドアを開けようとして、アレ? 押しても引いても開かない。看板には、9 時から 6 時まで診察していると書いてある。何回か試してみたのだが、開かないようだったので、あきらめた。

ん〜。不思議な歯医者である。



2001年07月09日(月) ちょっと体が変?


月曜日。

2 週間ぶりに家で仕事をする月曜日である。いやぁ、今日はそれほど暑くはなかったからまだよかった。

家でパソコンに向かってかちゃかちゃと…久しぶりの感触である。本来の自分に戻ったような気分。まるで、先週、先々週とあくせく移動し、ぺちゃくちゃしゃべりまくった自分が嘘のようである。

仕事はまあまあ順調といったところだろうか。ただ、夏バテ気味なのか、本調子とまではいかない。ときどきボーっとしてしまったり、手がお留守状態になってしまったり、何か仕事以外のことを考えていたりする。そんなときは、いけない、いけないと頭を振って、なんとか仕事に集中するようにする。

まぁ、先週の水曜日に自宅に戻ってきて以来、徐々に本来の生活ペースを取り戻しつつあるようである。体調がそれほど悪くならないのも、梅雨のわりには蒸し暑く、晴れた日が続いているせいだろうか。それとも他に何らかの理由があるのだろうか?



2001年07月08日(日) にっちようび


日曜日。

あああ。朝から大失態。起きたらもうすぐ 10 時。俺の大ファンの磯野貴理子を見逃してしまった…。仕方ないから、いいとも増刊号で目を覚ます。

でも 1 週間ぶりの楽しみを不意にしてしまったため、気分が優れず、すぐに昼寝モードに突入。起きたら 12 時。昨日ちょっと出かけたのがそんなに疲れたのだろうか? う〜。年寄りだ。

昼ご飯はラーメン。今日は暑い。昨日の夜、比較的過ごしやすかった分余計にそう感じる。食べ終えて横になると (さすが丑年生まれである) またもやク〜ク〜と寝てしまい、今度は起きたら 3 時。

母親が祖母の入院している間にお見舞いをいただいた人へ、快気祝いというかお返しを送りたいということで近くのデパートに出かけた。デパートといってもスーパーに毛が生えたようなものである。タオルを合計 20 件分注文し、発送を依頼してきた。帰りには、スーパーにも立ち寄り、食料品をゲット。日曜日はなんとこのスーパーでは冷凍食品が 4 割引の大セールを実施しているのである。日曜に出かけると母親が必要以上に買い込む傾向があるため、今まではなるべく日曜は他のスーパーに出かけるようにしてきたのだが、今回はまんまと彼女の術中にはまってしまった。

ちなみにうちには冷蔵庫が 2 台あるのだが、1 台は、俺が東京に住んでいたときに使っていた小さい単身向けのもの。これは 2 階の納戸に置いてある。それから引っ越してきたときに買った一般家庭向けの大きなもの。これはもちろんキッチン。冷凍食品があまりにも幅を利かせているため、2 台を駆使している状況である。これから暑くなると、ビールの在庫も両者にまたがって確保しておかなければならなくなるだろう。


2001年07月07日(土) 七夕


土曜日。

自分の記憶が正しければ、数年ぶりに晴れた七夕である。織姫と彦星は天の川で再会を果たすことができたのだろうか?

さて、今日は友人との約束があり、水戸まで遠征した。久しぶりであり、昼ご飯、カラオケ、晩御飯と短いひとときを楽しんだ。

再来週の 16 日は、有給休暇 (というか、先週の土日頑張ってテープの書き起こし作業をした代休) をとってあり、15 日から泊りがけで一大イベントが待っている。来週一週間がきっと永遠のように長く感じられることだろう。



2001年07月06日(金) ようやく…


金曜日。

長い 1 週間だった。いや正確には、2 週間。

今日会社に立て替えている経費もろもろを精算していたのだが、なんと 10 万円近くを自腹で立て替えていることが発覚した。どうりで貧乏なはずである。書類は領収書とともに会社に送付したため、近い将来…おそらくは 1 週間前後…銀行の口座に振り込まれていることだろう。ただ、あまり嬉しくない情報はといえば、F 銀行に振り込まれるのである。自宅の近所にそういう銀行はない。現金を引き出す際の手数料を考えると、次に東京に出かけるときまで、とっておいた方がよさそうである。いやぁ、それにしても 10 万とは驚きである。

話は変わって今日の仕事。まぁまぁ、ボチボチというところだろうか。大きな仕事がとりあえず一段落ついたところである。来週は 1 週間ばっちりと家で作業できるため、今日は軽めのメニューをこなす程度にしておいた。


2001年07月05日(木) 安息日

木曜日。

今日は会社からお休みをもらった。先週末、土日とテープの書き起こし作業で頑張った甲斐があったというものである。

さて、休みを取って何をしたかったのかというと、まず十分な休息を得ること。それから、かかりつけの病院に行くこと。そして、最近気になる歯の痛み歯医者で診てもらうことだった。

実際、朝寝坊をしようと思っていたのだが、NHK のドラマの関係上、どうしてもゆっくりすることはできなかった。まして、朝ご飯も食べないまま (もっともこれは家にいるときのルーチーンでもあるわけだが)、病院に向かった。9 時前である。しかし、病院にたどり着くと、もうそこには長蛇の列が出来上がっており、どう考えても自分は 10 番目、あるいはそれ以降の患者ということになる。うんざりしながらも、仕方なく自分の番を待っていると、あっという間に 3 時間ほど経過してしまった。お腹も減るし、イライラ感も募ってくる。仕方ないから、おとなしくよい子にして待っていると、ようやく自分の番が到来。

2 週間ほど前に撮影した腹部 CT の結果を医師から告げられる。簡単に言うと、太りすぎらしい。脂肪肝ということらしい。医師がカルテに“Fatty Liver”と書くのを見逃さず、「なるほど、Fatty Liver ということですね」と言ってみると、医師からはすかさず「さすが French Wolf さん。英語で言うとそういうことになりますね」だって。まぁ、俺の英語を誉められても、どうってことはないのだが、日本語で脂肪肝といわれるよりも、英語で“Fatty Liver”といわれる方が、つらい。なぜだろう。その他の臓器には、問題ないらしい。すい臓、脾臓、胆嚢…。

家に戻ると、もう 1 時を回っていた。本来ならば、懐かしいラーメンでも食べたかったところだが、今日は母親がすでに冷麦を用意していたため、それをいただいた。ちょっと物足りなかったが、これくらいがちょうどいいのだろう。

そして、ちょっと休息をと思って横になったら、案の定、起きたら 3 時半を回っていた。歯医者に行ってみたが、ドアが開かない。よく見ると木曜休診の看板が…。仕方なく諦めて、家に戻った。

ちょっと早めの夕食をとり、さてこれからどうするか、というのが今の課題である。明日は、先週と今週の出張で自腹を切って払った経費の精算をして会社に請求しなければならない。もちろん、通常の翻訳業務も待ち構えている。今日だけの休息では不十分だなぁ。
唯一楽しみなのは、週末に予定されている友人との約束である。


2001年07月04日(水) 出張最終日。いよいよ帰宅。


水曜日。

いよいよ出張最終日。今日のスケジュールは、朝 10 時と夕方 5 時の 2 件の通訳。10 時から 2 時間ほどのセッションを無事に終え、途中昼ご飯を買って、会社に戻った。

ミニ親子丼とスパゲッティである。親子丼にはふんだんに一味唐辛子をかけて食した。

次のミーティングまでに比較的時間があるということで、F 田さんのお仕事をお手伝い。先週やった通訳のテープ起こし作業が社内では引き続いて行われていたのである。

2 件目のミーティングも難なく終えることができ、帰路についた。自宅到着は 10 時前。ほとほと疲れている。

明日は会社からお休みをもらった。久しぶりに病院にも行っておきたいし、歯が痛むのも気になる。


2001年07月03日(火) 出張 2 日目


火曜日。

今朝は早めに起きた。NHK の連続テレビ小説は欠かせないし、仕事前にシャワーも浴びておきたかったからである。

朝食は昨日の夜、コンビニで用意してあった。サンドイッチとおにぎり 1 個。

今日は本当にタフなスケジュールだった。朝 10 時半ごろの新幹線で新神戸に向かい、そこであわただしく昼食をとり、2 時間ほどのミーティングを経て、また夕方 5 時過ぎの新幹線で東京へ。

ホテルに戻ったのは 9 時半前だったろうか。また友人と長話に耽ってしまい、床についたのは 1 時ごろだったろうか。

明日も 2 件の通訳が控えている。今回は本当に大変である。


2001年07月02日(月) 第 2 次出張の初日


月曜日。

朝布団の中でまどろんでいると、会社から連絡があった。なにやら、最初のミーティングが午後 1 時半にスタートするから、1 時までに入ってもらいたいということだった。

電話をもらったのが 9 時過ぎ。まだ荷物もまとめていないし、パジャマ姿だったから、大慌てで支度をして、出かけた。

なんとか予定の時刻より早く到着することに成功。今回のチーム メンバーは、オーストラリア、アメリカ、ドイツからの 3 人。通訳する際、英語から日本語は俺が担当するが、日本語から英語はアメリカ人の上司が担当してくれるということで、少しだけ肩の荷が下りた気分である。といっても、先週は、2 泊 3 日のスケジュールで 2 件のインタビューだったが、今回は中日に神戸まで出張して、合計 4 件の通訳をこなさなくてはならない。非常にタフ スケジュールである。

無事 1 件目の通訳を終え、会社で仕事を片付けてから、焼肉屋に向かった。

ホテルに戻ったのは、8 時過ぎごろだろうか。友人と電話で話し、ベッドに入った途端眠りの世界に引きずり込まれた次第である。



2001年07月01日(日) うだるような暑さ


日曜日。

今日もまたうだるような暑さだった。

朝一番で祖母の家に行き、ノートパソコンをとってきた。というのもデジカメでテスト撮影をしてみたのはいいものの、USB ケーブルで画像をパソコンに取り込む際、ソフトが対応している OS が 98、2000 なんだよね。俺が普段使っているデスクトップは、95 だから、対応していない。USB ポートはあるのに、新しいハードウェアを追加できない。んんん。不思議なことになっている。

さて、祖母の家には母と親戚のおばさんも同行。祖母の夏用のパジャマなどを持ってくるということだった。

仕事の方もとりあえずは順調。無事にテープの書き起こし作業も終了した。

午後もめちゃくちゃ暑かった。昼寝をしようと思ったが、あまりの暑さに 1 時間ほどで断念。

明日の出張で何時に集合か、まだ分からない。明日の朝確認してみよう。


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