French Wolf の日記
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2001年06月30日(土) デジカメ


土曜日。

今日は仕事。いやぁ、それにしても天気が悪いわりには蒸し暑い。どうしようもないくらいである。

テープの書き起こし作業は、まぁ順調といったところだろうか。自分の通訳しているテープを聴くのは、あまり気分のよいものではない。なんだか、普段俺がどれだけ早口でしゃべっているかいやというほどに認識させられるし、しかも声そのものが嫌い。明日残りの半分の作業をすれば、月曜までには問題なく終えることができるだろう。

それにしても、月曜日の予定がまだわからない。また来週の月曜から水曜まで出張なのだが、月曜はオフィス (新浦安) に行くことになっている。何時集合だか分からないのである。時間帯によっては、ただならぬ努力を要するほど早起きをしなくてはならないのに…。かといって、休みの日に会社の人に連絡を入れるのはなんだか気が進まない。まぁ、明日まで待って、それから連絡を入れてみよう。

今日の一大イベントといえば、デジカメを買ったことだろう。前からうすうすと (久しぶりに出ました。語法の誤り) 欲しいとは思っていたものの、今日はほとんど衝動買いである。雨降りの中、仕事に一日中どっぷりと浸かっていたため、腹いせに電気屋めぐりをした。そこで、まぁそこそこの代物を見つけたので買ってしまったという次第である。

昨日は携帯を買うし、今日はデジカメ (しかもクレジット カードで)。財政が逼迫することは目に見えているが、ま、時には自分にご褒美をあげてもよかろう。




2001年06月29日(金) 世の中とつながっている


金曜日。

やっぱり携帯の様子がおかしい。昨日の夜、タッチパネルが作動しなくなってから、まぁ一晩ほとぼりを冷ましてやろうと考え、スイッチを切った状態で今朝試したのだが、やはりだめだった。

ということで、朝一番で近くの家電量販店に向かった。30 分ほどで機種変更ができる、ということだったので、店内を物色して時間をつぶした。が、30 分後店内放送で呼び出されてカウンターに行ってみると、俺が持っていた携帯に合うアダプタがないため、メモリの転送ができないという。だったら、そんなに待たせる前に、言ってくれよな、という気分で、若干憤りを覚えつつも、近くの DoCoMo ショップに赴いた。最初からこうしておけばよかったんだ、と今度は怒りの矛先が自分に向かう。

DoCoMo ショップでは当然、適切なアダプタもありプロセスはスムーズに進んだ。今回選んだのは、P503is という i モード対応のものである。今までの携帯は、デカくて有名だったのだが、今回はごく小さいサイズ、しかも折りたたみ式のものである。軽すぎて、なんだかどこかに忘れてきてしまいそうだったが、デザインが気に入ったので購入した。予備のバッテリーも買ったため、総額は 35,000 円を上回ってしまったが、今まで 4 〜 5 年も古い携帯を使ってきたことを考えると、十分減価償却しているだろう。i モードは実際には明日の 9 時からにならないと使えない。最近迷惑メイルなどが取りざたされているので、ちょっと心配にもなったが、まぁアドレスを変更しておけば大丈夫だろう。

結局家にたどり着いたのは、お昼近かった。会社から届くはずのカセット テープがまだ届いていない。というか、朝届いたらしいのだが、あいにく母は 2 階で掃除をしていたらしく、玄関チャイムの音が聞こえなかったらしいのである。不在連絡票をもってすぐ配送センターに連絡を入れたが、午後一番にならないと届かないということであった。

それまでの間、会社の F 田さんから連絡があり電話で仕事の進め方について話をし、昼ご飯を食べ、翻訳の作業に勤しんだ。

1 時を回ったころだろうか、宅配便が届き、ようやくテープの書き起こし作業に取り掛かることができた。

いやぁ。これは本当に大変な作業である。自分が実際に出張に出かけて通訳してきた内容だから、多少脳みそにバックグラウンドもあることだし、多少聞き取りにくいところがあっても何とか記憶の糸を手繰り寄せれば、思い出すことができるだろう、とたかをくくっていたのだが、大間違い。テープの録音状況がよろしくない上、同時に複数の人が話しているのである。

ん。これは思ったより時間と手間のかかる作業になりそうだな、と気づいたときにはもうすでに、4 時を回っていた。進んだ作業といえば、30 分程度。全部で 1 時間 40 分テープを書き起こさなければならないことを考えると、こんなに悠長な調子で進めていてよいはずもない。が、出かけた母を迎えに行かなくてはならず、あえなく中断。

母を迎え、買い物に付き合い、家に戻ってくるともう 6 時。いつもだったら、すぐ風呂に入って、ご飯を食べて…というパターンだが、今日はそうもいっていられない。再び仕事に取り掛かった。

7 時。友人から電話が入る。これで、1時間くらいだろうか、おしゃべりを楽しんで、結局今日は仕事をお開きにすることにした。

風呂に入り、ビールを飲んで、くつろいでいると…。話したくなってきた。電話をかけて、2 時間弱程度だろうか。電話で会話を楽しんだ。



いまさらながら気づいたことなのだが、人間はやはり社会的な動物なのかもしれない。自分が鬱である、というのは、ひょっとすると今まで必要以上に外部との接触を避けてきた報いかもしれないと思えるようになった。

というのも、最近電話で話す機会が増えて、「あぁ、自分も外の世界とつながっているんだな」と実感できるようになったからである。出張も大きな変化をもたらした。いっしょに仕事をするというときの連帯感や、仕事を無事に終えたときの達成感。そういった共同作業で同じように味わうことのできる感覚。共感。そういったものが、自分にエネルギーを与えてくれている気がする。

この調子で、外との接触を適度に保ちながら生活していけば、今後の人生にもハリが出てくるものかもしれない。





2001年06月28日(木) 携帯の故障?


木曜日。

久しぶりに自宅で迎えた朝である。昨日の夜は、友だちと電話していたら寝るタイミングを逃してしまい、結局 2 時〜 3 時ごろまで、寝付けずにいた。

朝はもう半分眠った状態。しかし、遊んではいられない。仕事に取り掛かる。が、なぜか思うように進まない。やはり疲れているのだろう。

午後になってちょっとだけ横になるつもりが、結構長い間眠ってしまった。ようやく仕事にまじめに取り組み始めた。

夕方、母の買い物に付き合い、車でお出かけ。といっても近所のスーパーである。

すぐお風呂に入り、ちょっとくつろいだひととき。友人から電話があり、しばらく話していると、もう 10 時前だった。本当はもう少し仕事を進めておきたかったのだが、今日は無理そうである。明日からはまた別の仕事で忙しくなりそうである。しかも、週末に作業をしなくてはならなくなりそうである。

夜中また別の友人から電話があったのだが、なんだか携帯の調子が悪い。汗だくになって話していたせいか、タッチパネルがきちんと反応しなくなっているのである。壊れたかな。明日、朝一番で携帯の機種変更をしてこよう。



2001年06月27日(水) 新大阪〜枚方〜新大阪〜東京〜上野〜石岡


水曜日。

今朝は比較的ゆったりとしたスケジュール。朝はビュッフェ スタイルの朝食をホテルで食べた。といっても、朝はあんまり食欲があるほうではないので、パンとソーセージ、スクランブル エッグとオレンジ ジュース (十分だって?)。

メンバーのうちの一人である A (アメリカ人だが、日本の会社で俺の上司にあたる人。) が、お客さんとミーティングがあるということで、残りのプロジェクト メンバーと新大阪で時間をつぶした。今まで新大阪でフラフラしたことがなかったため知らなかったのだが、デパートの類がなかったのである! せっかく外人さんたちがお土産を見る時間としてのチャンスだったのに…。仕方なく駅のショッピング モールでいろいろなものを物色した。

いやぁ、それにしても暑い。

そして、A が客先から戻ってくると、新大阪で待ち合わせをして、淀屋橋経由で香里園に向かった。ここで 2 回目のミーティングである。昨日とは違うお客さんであるから、また一から通訳を始めなければいけなかった。(要するに、初めて会う相手で緊張した、ということである。) 今回は 2 時間。というのも、プロジェクト チームは今日の夜のフライトで、香港に向かわなければならなかったため時間的制約があったのである。

全員で新大阪に戻り、まずはプロジェクトが無事に終了したことにビールで乾杯。そうそう、今日もあまりにも忙しすぎて、昼ご飯を食べる時間がなかったのである。空きっ腹にビールはかなりいい感じである。彼らは「はるか」という特急に乗って関空に向かった。後を追うようにして、俺たち (A と俺の 2 人) はのぞみに乗り込んで東京に向かった。

東京に着いたのは、7 時半前。ここで A と別れて、自分は常磐線に乗るために上野へ。

結局家にたどり着いたのは、10 時前だっただろうか。すぐにシャワーを浴びて、ビールを飲む。久しぶりの我が家である。

それにしても、今回の出張はかなりハードだった。来週の月曜から水曜もまた通訳で出かけなければならないのだが、次回は東京がメイン。ただ 4 回も通訳しなければならないらしい…。今から恐怖感を覚える。


2001年06月26日(火) 東京〜名古屋〜新大阪


火曜日。

朝 9 時に会社集合ということになっていた。さすがに朝食はついていないので、近くのコンビにでサンドイッチとおにぎりを買って、部屋で食べた。

会社に着くと、今回の出張のスケジュールを確認。今日は忙しくなりそうである。まず、10 時過ぎの新幹線で名古屋へ向かう。初体験である。昼ご飯を食べるには時間が足りない。仕方なく、ホテルのラウンジでコーヒーを飲んで一服。それから、名古屋駅のすぐ近くにあるホテルでお客さんとミーティング。およそ 2 時間半の間、ずっとしゃべりっぱなしだった。もちろん、通訳として同行しているのだからそれが当然なのだが、それにしても疲労困憊である。

そしてその足ですぐ新大阪に向かう。新大阪につくと、御堂筋線で一駅。今日泊まるホテルにチェックイン。一回目のミーティングの成功に祝杯をあげるべく、また居酒屋に出かけた。最初は、おいしそうなディスプレイがある、若干高級そうなお店に入ろうとしていたのだが、あいにく満席で 30 分待ちだとか。しかたなく、待ちをウロウロしていると (外人 4 人に俺が大阪の町を闊歩しているさまはなかなかの壮観!)、つ●八のビールのタダ券をゲット。大阪まで来て◎ぼ八はないだろう、と思ったものの、実際今日はあまりの忙しさに昼ご飯すら食べる時間がなかった。「もうどこでもいいから、早くビールを飲ましてくれ〜」という気分で、つぼ八に会場を決定。もちろん、今回の外人たちはつぼ八がどんな場所かは知る由もない。

宴会はシモねたで盛り上がっていた。

夜は 9 時ごろお開きになって、部屋に戻る。すぐに爆睡体制の突入。


2001年06月25日(月) 今日から出張


月曜日。

今日からいよいよ出張。最終的に確認したところによると、今日の午後 5 時から新浦安の会社でプロジェクトのメンバーとの打ち合わせ。そして、翌日名古屋でミーティング。ミーティング終了後すぐ新大阪に移動して、そのまた次の日は枚方でミーティング。

結構ハードな予感である。

午前中は、家で仕事をした。午後 2 時くらいに家を出れば、十分ミーティングには間に合う段取りである。昼ご飯はいつもどおりラーメン。(といっても、ここではまだこの件については吐露していなかったっけ?) その後、パッキングの作業にとりかかる。最初は、スーツを着ていくか、持っていくかのいずれかにしようと思ったが、あまりにも暑いのでプチ フォーマルの洋服を数着選んでかばんに詰め込んだ。

午後家を出発すると、外は地獄の暑さ。もう参ってしまった。

会社に到着すると、5 時少し前。アメリカ、オーストラリアからのプロジェクト メンバーがそろうと、事前の打ち合わせが始まり、6 時過ぎには、みんなで飲みに出かけることにした。新浦安で会社の人御用達の居酒屋である。アメリカ人、オーストラリア人たちは、どうやら刺身や握りずしがお気に召したらしい。

宴会は 9 時ごろにお開き。本来ホテルに宿泊する予定だったのだが、あいにく手配が忘れられていた! 飛び込みでホテルの部屋を確保することができたのはラッキーだっただろう。しかも、本来ならばシングルのはずなのに、ツインの部屋で快適な夜を迎えることができた。(勝手に冷蔵庫の中のビールを飲んでしまった。領収書に「冷蔵庫使用料」と明記されているのだが、これも経費として会社に請求してしまおう!)



2001年06月24日(日) ぶらぶら日曜日


日曜日。

今日は特に何もしない日だった。先週東京に遠征して以来の疲れがようやく抜けきったようである。昼寝をしようとしても、一向に眠気は訪れない。

メイルを書いたり、いろんなホームページをのぞいてみたり…。そんなことをやっているうちに、一日が終わってしまった。

明日からはいよいよ出張であるが、まだ何も準備していない。明日出発前にちょっと時間をかければ大丈夫だろう。2 泊 3 日なのだから。


2001年06月23日(土) サクランボ狩り、病院、テレビ、昼寝、床屋


土曜日。

我ながらよい息子である。朝 5 時に母親にたたき起こされ、彼女がサクランボ狩りに出かけるのを途中まで車で見送ったのである。

家に帰ってきたのは 6 時ごろ。不思議なことに、いつもならこれで家に戻っても爆睡に返り咲く (?) ことができるのだが、休みの日にかぎって眠れなくなってしまった。ふ〜。でも、心配ご無用。朝 7:30 から BS2 で放映されている NHK の連続テレビ小説は、きちんと見逃してしまった。

その代わり、8:15 からのNHK 総合で見ようと思ったが、これも失敗。あきらめて、9 時ごろまで寝てしまった。

さて、昨日の予定通り病院に向かった。が、思わぬ混雑ぶりに踵を返そうかと思ったほどである。仕方ない。せめて薬だけでももらっていくか、と決心をし、受付にその旨伝える。「今度は診察を受けてくださいね」と念を押され、薬をもらって帰ってきた。

すると、そう。今日は土曜日。NHK BS2 で、一週間分のテレビ小説の総集編。朝 9 時半から 11 時までぶっ通しで、1 時間半、6 日分のドラマが見られるのである! しめた、と思い、これを見ながらごろごろすごした。今日見逃した分は、10 時 45 分から 11 時まで。ややもすると、眠りの世界に引きずり込まれそうになるのを、必死に堪えて、今日の分も見たぞ!

そして安らかに昼寝の世界へ…。

起きたら 3 時。ヤバい、ヤバい。これでは床屋にいけなくなってしまうと思い立ち、急いで車を飛ばして床屋さんに向かった。

うん。まずまずの出来栄え。今日一日でこれだけの用件をこなしてしまうなんて、俺にしては珍しい。もっとも、先週、先々週と祖母が来ていたから、そんな悠長に外出していられたわけでもないのだが。

明日は何をしようかな。


2001年06月22日(金) ふ〜


金曜日。

やっと一週間の終わりである。今週は難しい仕事に我ながらよく頑張ったと思う。特に体調に異常をきたすこともなく、偉かった。

んん。来週と再来週の出張。しかも通訳。緊張が高まる。相手をするのはアメリカ本社の人と日本のお客さん。間に立って通訳をするわけだが、同行するマーケティングの部長がアメリカ人で、日本語ペラペラなのである。なんだか、彼が行くなら俺が行く必要はないのではないか、と思ってしまうほどである。それとも、俺のパフォーマンスを評価するために来るのだろうか? 否! そんなに彼も暇ではあるまい。



明日は忙しくなりそうである。母が洋裁を習っているのだが、その面子で山形までサクランボ狩りにでかけるそうである。出かけてくれるのは一向に構わないのだが、朝集合時間がうちから若干遠い場所で、しかも 5 時。途中まで車で見送ってくれ、というのである。まぁ、一年に一度くらいの話だから、仕方ないか。もっとも、実際明日の朝になってみたら、やっぱり起きられなかった…なんてことにならなければよいのだが。

それから、病院に行ってこなくてはならない。先日の腹部 CT の結果も聞かなくてはならないし、薬もそろそろ切れるころである。

さらに、明日の天気はそんなに悪くはなさそうなので、本格的に暑くなる前、しかも出張前に髪の毛を切っておきたい。

ふ〜。今から考えることがたくさんあるなあ。(大学時代一部の人間の間で、“Don't think, just do!”って言葉が流行ったことをなぜか突然思い出した。)


2001年06月21日(木) 通訳、本決まり


木曜日。

昨日の夜、仕事がらみのメイルが入ってきていた。どうやら、来週は月曜日から水曜日まで通訳で拘束されそうである。初日は、東京 (とはいえ会社があるのは新浦安だが)、次に新大阪。最終日も新大阪。

ん。準備をするのがいささか面倒ではあるが、いったん始めてしまえばそれほど大変なことはないだろう。それよりも、その間日記を書けないことの方が大関心事である。

午後には、直接会社の F 田さんから電話があり、通訳の件のおおまかな段取りを聞いた。月曜日は夕方出社すればよいらしい。

今週もあと残すところ一日だけである。



2001年06月20日(水) ちょっと寝坊


水曜日。

昨日の夜眠りについたのが遅かったためか、今日はいつもより朝寝坊。といっても、8 時 15 分からの NHK は欠かさない。

仕事も佳境を迎えている。気合を入れねば。




2001年06月19日(火) 100 年後には死亡


火曜日。

今朝は朝食抜きで、病院に向かった。腹部 CT の検査があったためである。結果を聞いて帰ってもよかったのだが、大分混んでいたし、待たされると、今家で待機している仕事に支障をきたすと判断し、今回は検査を受けるだけにした。CT とは不思議なものである。「息吸って、吐いて、はい止めて」の繰り返しで、およそ 20 分くらいだろうか。それで、例の輪切り状態の自分が見られるのである。まぁ、医師から言われることはだいたい想像できるが。「脂肪がたいへんなことになっています」とか「このままでは、100 年後には死んでいます」とか、そのあたりのことだろう。



仕事が一向に進まない。内容が難しいのである。今俺が翻訳しているのは、会社で研究、開発、販売を行っているソフトウェアの白書であるが、なかなか一筋縄では行かない。

以前、会社の同僚から、ペースはゆっくりでもいいから、質の高いものを提供して欲しいという要望があったため、それに応えるよう言葉を慎重に選びながら仕事をしているせいもあるかもしれない。もっとも、翻訳家という職業柄、今までだってそんなにでたらめな言葉遣いをしたつもりはないのだが…。

夜になると、母が友人の奥様たちとつるんでカラオケに出かけた。雨が降りそうということで、車で俺にお見送りを頼んできた次第である。まぁ、お見送りつきのカラオケ遠征…。ご苦労さまである。





2001年06月18日(月) お出かけの反省・反芻


月曜日。

やはり昨日帰ったのが遅くなり、体は疲れきっているものの頭が冴え渡ってしまってなかなか夜寝付けなかったのが祟ったのだろうか。今日はかなり疲れている。それに、なぜか理由はわからないが、全身筋肉痛男になってしまったのである。ホルンがそんなに重かったとは思えないし…。ちょっと外出しただけでも、日ごろの極度の運動不足が祟るといったところだろうか。

でも昨日のお出かけが精神的にも肉体的にもよい意味でリフレッシュになったことは間違いなし。交通費も交際費も、そして何より時間もそれなりに費やしたのだから当然といえば当然なのかもしれないが、そこら辺はそうは考えずに神様が与えてくださった安らぎのひとときと思いたい。そう思えば、先週全般的に、しかも後半はかなりひどい鬱状態だったことも、昨日を楽しむための前奏曲だった、と思える (ように自分自身を説得させる努力ができる)。

仕事はいい意味で緊張してこなしている。お昼近くになって、同僚から連絡があり緊急の翻訳の手伝いをしてもらいたいと言ってきた。これも本来ならば、かなりのプレッシャーを感じ、今までの自分 (特に先週後半の) だったら、パニックを起こしていたかもしれない。が、今日は比較的スムーズに作業に集中することができた。



仕事とはガラリと話題が変わるが、今日は母の友人 2 名さまがいらっしゃった。祖母のお見舞いということで、一人は天ぷらを揚げてきてくれ、もう一人は焼きおにぎりをもってきてくれた。自分のため、というわけではないが、祖母もまったく人気者である。(糖尿病も患っているのだから、俺が食べずに誰が食うといわんばかりの勢いで、昼ご飯のときにありがたく頂戴したことは言うまでもない。)

そうそう、明日は腹部 CT の検査がある。先日の血液検査の結果で肝機能が著しく低下している、ということで念のため調べてみましょう、ということらしい。明日は朝食抜きで 9 時前には病院で待機しなければならない。今日中に翻訳をなんとか終わらせておかなければならないだろう。




2001年06月17日(日) 久しぶりの東京の空気


日曜日。

今日はホルン アンサンブルの練習に参加することにした。朝 10 時半に自宅を出発し、1 時過ぎに吉祥寺の練習会場に到着。

まずは、最寄の駅からお馴染みの鹿島鉄道に乗り込み一駅、石岡まで。ここで、特急が来るまで 20 分弱待つ。その間、駅の KIOSK に阿刀田高 (昔、阿刀田にはかなりはまった時期があった。かれこれ 10 年以上も前の話になるが) の新刊が出ているのを目ざとく見つけ、購入。長旅に備えて、お茶も買う。11 時 11 分発の特急がやってくると、乗り込んで座席を確保した。いざ読書をしようと思い、本を広げてみるが、集中できない。車窓の景色に取り付かれていたのだろう。結局、何も読まないまま上野に到着してしまった。後はお決まりのコースで、山手線、中央線を乗り継いで吉祥寺まで。休日は、中央快速もかなり便利である。(もっとも止まらない駅に用があるときは、話は別だが…。)

吉祥寺から、今回デビューの会場まで徒歩で行くのも容易ではなかった。地図を事前に FAX してもらっていたから、道に迷う心配は皆無に近かったが、本当にこれで目的にたどり着けるのだろうか、という一抹の不安が 10 メートル歩くごとに襲い掛かってきた。(若干大げさかぁ。)

いざ練習開始。久しぶりのメンバーに出会えたのがなによりである。ホルンはあいにく壊れてしまったが…。しばらく吹いていなかったため、3 番のロータリーが動かなくなってしまったのである。そこで、ホルンを 2 台持ってきていた、K 田さんの楽器を借りて練習に勤しんだ。確かに K 田さんの愛情をたくさんの唾液が注ぎ込まれた楽器は音程がよい。ただ人の楽器ということもあって、慣れるのに一苦労した。

壊れた楽器は、茨城に持ち帰ってもどこで修理してもらえるか見当すらつかないということで、K 田さんにお願いして修理してもらうことにした。

練習後は、まず Jonath●n でお茶。その後、吉祥寺で飲み会。9 時ごろお開きにしたのだが、途中総武線で人身事故があったらしく、中野駅で足止めをくらい、家にたどり着いたのは 11 時半過ぎ。

疲労困憊である。ただ、よい気分転換になったことは間違いないだろう。明日の朝はいつもよりゆっくり寝て、心地よい疲れとともに一週間の火蓋を切って落とそう。


2001年06月16日(土) 最悪の鬱状態


土曜日。

昨日の夜は、ひどかった。鬱症状が最悪になった。両親の離婚裁判で父の弁護士から送られてきた答弁書の内容がひどかった、というのもひとつの要因である。その他、今週はずっと体調が思わしくなく、仕事がはかどっていなかった、という理由もある。

さて、今日から 3 泊 4 日の予定で祖母が外泊する。うちに泊まることになっている。

明日は、久々にホルンの集いがある。練習場所が吉祥寺ということでちょっと (というか、かなり) 遠いのだが、天気もよいようだし、久しぶりに気の置けない面子に出会うのも気分転換になってよいのかもしれない。

朝起きてから、参加するかどうか最終的に決めることにしよう。


2001年06月15日(金) 嘘つき親父


金曜日。

絶不調。母の元に、離婚裁判の結果というか、父の弁護士から提出された答弁書なるものが郵送されてきた。

起訴事実のほとんどを父は否認している。信じられない。怒りを通り越して、悲哀すら覚える。


2001年06月14日(木) 失敗


木曜日。

まだおかしい。体調の話である。

今日は会社の同僚から連絡があり、ちょっと失敗してしまったかなぁ、という気分である。というのも、今まで提出していた翻訳の質が向こうが期待していたレヴェルに達していなかったらしい…。プロとしては失格である。

体調が悪いときにかぎって、怒られてしまうなんて…。




2001年06月13日(水) 通訳の出張の嵐


水曜日。

体調…どうしたのだろうか。梅雨のせいもあるとは十分想到しうるものだが、それにしてもおかしい。

今日もまた会社から連絡があった。今度は、昨日あった通訳の打診に変更があり、6 月下旬の大阪・名古屋出張が大阪・東京出張に変更。さらに 7 月の頭にも、神戸・東京の出張になりそうとのことである。通訳はいいのだが、こんな立てこんだスケジュールを安易に引き受けてしまって本当に大丈夫なのだろうか。まさか、会社の仕事だからいかなる理由があったにせよ、ドタキャンは許されないだろうし…。今の体調がそのまま続くことを考えると、多少げんなりするのも事実である。まぁ、一種の気分転換だと思えばよいのだろうか。

夜は、特許事務所に勤める友人から連絡があった。どうやら彼女もいろいろと大変らしい。自分としては、毎日会社に出かけているだけでも尊敬に値するのに、そうした活動を何年も続けていくという忍耐力にほとほと感心してしまう。

みんな無理をしない程度にがんばって生きている、ということだろうか。




2001年06月12日(火) あいかわらずの低空飛行


火曜日。

相変わらず体調が優れない。そこへ来て、会社から電話。心臓がバクバクした。昨日の失態もあるし、ひょっとしたらもうクビか…なんて思いが錯綜する。

実際は、通訳派遣の依頼だった。今月の末に、大阪と名古屋へ通訳に出かけてほしいという内容だったのである。引き受けることにした。出張というのは、この会社に来てから初めてのことである。もちろん、通訳だから相手は非日本人。ちょっと緊張するが、まぁ通訳の経験は今までにあるし、業界に特化したないようだから用意にアウトソーシングできるものでもない、ということで引き受けることにしたのである。

その他、在宅での仕事は、普通にこなしている。



2001年06月11日(月) 低空飛行。ブルー。ミス。


月曜日。

今日はきわめて体調が悪い。なんというか、全身がだるく、低空飛行といった感じである。

仕事でも珍しくミスをしてしまった。ごめんね、F 田さん。今後気をつけます。


2001年06月10日(日) またね。おばあちゃん。


日曜日。

祖母が病院に帰っていった。正式な退院は今月末になるだろう。

毎度のことながら、明日から仕事だと思うと本当に気が重くなる。重くなるどころか鬱の症状が悪化するのである。社会人の皆さんは、いや学生でも同じだが、どうやって日曜の夜を過ごしているのだろうか。仕事や勉強が楽しくて仕方がないという人は別にしても、みんな多かれ少なかれ会社や学校が始まること、より正確には休みが終わることに悲哀を感じないのだろうか。

んん。


2001年06月09日(土) ようこそ、おばあちゃん。


土曜日。

今日は地元の病院に行ってきた。前回行ったときした血液検査の結果が出て、ひどいものだった。肝機能と中性脂肪、コレステロールに異常ありということである。何もそこまで、と思ったのだが、念のため肝臓の CT スキャンをとるということである。しかも予約制。まぁ、面倒なことといったらこの上ない。

それから一大イベントといえば、祖母が仮退院というか外泊の許可が下りて、今日から 1 泊 2 日でうちに来るということである。

自分が病院に出かけたのが 10 時ごろ。家に帰ってきたのが 12 時ごろ。まぁ病院が繁盛するのはいいことなのか悪いことなのかはわからないが、とにかくやたらと待たせられる病院なのである。そのくせ腕のほうは、まだ信頼できない。とにかく、その間に祖母がやってきていた。といっても、ひとりで歩ける状態ではないため、叔父の車で運ばれてきたのである。

今日の夕食はカレー。大好物である。



2001年06月08日(金) 介護


金曜日。

仕事は順調。週末が楽しみである。

週末は祖母が仮退院するということで、介護センターからベッドとポータブルのトイレが届いた。


2001年06月07日(木) 一日のペース配分


木曜日。

ようやく木曜日である。今週は、仕事のペースを取り戻すだけで終わってしまった気がする。もちろん、きちんと仕事はこなしている。ただペース配分の勘を取り戻すのに若干の苦労をしただけである。

何度も書くが (ということは、これすなわち、自分の心に強く訴えかけていると考えることもできよう)、人間 1 日 8 時間仕事をする、といっても、つねに 100% の集中度が持続できるはずがないのである。読者諸賢も賛成してくれること請け合いである。(もっとも仕事中にこの日記をこっそり会社から読んでいる人にとっては、まさにドキリとする発言かもしれない。)

このことは特にデスク ワークをしている人に例外はないだろう。営業で外を走り回っていたり、ミーティングを数々こなすような場合、移動時間でふとした息抜きをしたり、ミーティングの最中に脳のスイッチをちょっとの間だけオフにしてみたり、寝ているとまではいわないまでも、ちょっと目を瞑っている時間の長い瞬きをしてみたり…。枚挙を挙げれば暇がない。

要は、自己防衛である。俺の場合、朝 8 時から仕事に取り掛かる。だいたい 1 時間に 1 本のペースでタバコ休憩をはさむ。それに加えて、午前中 10 時に一回お茶を飲み (こんなこと会社にいたときはまったくしなかったのだが)、ちょっとした伸びをしてみる。そしてお昼ご飯は、決まって正午ぴったりである。1 時間きちんと昼休みを満喫し、午後の仕事に取り掛かる。午後は、3 時におやつ休憩。といっても、おやつを食べるわけではない。お茶を飲むだけである。

んん。書いているうちに最近自分がお茶に染まっていることに気づいた。健康によいのはもちろん以前から知ってはいたものの、会社でお茶はさすがにない。コーヒーはあったものの、あまりコーヒーは自分の場合体によくなさそうなのである。飲むと濃いコーヒーの場合、心臓がバクバクいってしまう。これまた神経質な俺の性質が関連しているものと思われるのだが…。

今日は夕方からひどい雷雨に見舞われた。雨の中、母の用事に付き合って、祖母の家に行き、また母は洋裁を習っているため必要になる生地を買い出した。

6 時ごろだろうか、前職で大変お世話になった T さんから翻訳のお仕事の打診をいただいた。2 つ返事で引き受けます、といったものの、実際に翻訳の元になる原稿を見てみたところ、とてもではないが自分で対応できる代物ではなかったのである…。この場を借りて、T さん、ごめんなさい。見捨てないで、今後ともよろしくお願いします。



2001年06月06日(水) 仕事のペース


水曜日。

関東地方も入梅した今日は比較的スムーズに 8 時間勤務を終えることができた。

徐々に、本来のペースを取り戻しつつあるといったところだろうか。

何も8時間、ずっと同じテンションを維持していなければならない、ということはないのである。前にも書いたかもしれないが、会社にいれば、人との会話や時にはインターネットでそれなりにリラックスというか、気分転換を織り交ぜながら、拘束時間をやり過ごす。これは、みんな同じはずである。ところが、俺のような人間の場合、決められたことはきっちりと 100% の集中度でこなさなければならない、という思いが非常に強い。(こういうことが、鬱につながっていくのだ。ある意味で完璧主義なのである。)

夕方になって、祖母の家の近くのおうちに母がお邪魔するということで、車で届けた。なにやら、命日がどうのこうので、祖母の指示に従って、メロンを 2 個届けに伺った次第である。

それから、買い物。スーパーに寄るとどうしても、買わずにはいられない気持ちになってしまう。これもみんな同じなのだろうか。




2001年06月05日(火) 体調が悪い


火曜日。

昨日はなぜかなかなか眠りに就くことができなかった。昔懐かしい赤川次郎の本を数冊読んでみたのだが、それでも眠くならず、口の中には夜ご飯で食べた、玉葱の味がいつまでも残っていた。結局眠ることができたのは、3 時過ぎだろうか。

当然今朝の目覚めもよろしくない。8 時からは仕事。ペースも上がらない。そんなときにかぎって、面倒な作業が多かったりするのである。

昼食のラーメンもいつもと違って、味気ない、というか胃にもたれる感じである。

目標の枚数を仕上げた後、野暮用で土浦にある保健所に出向いた。車でおよそ 30 分強。初めての場所だったため、見つけるのに一苦労したが、なんとか目的地について、用事を済ませた。帰りは、祖母の家に寄り、これまた数種類の品々を失敬。買い物をして家に戻った。

今日何よりも嬉しかったのは、やっと手当てが振り込まれていることを確認できたことである。母には 1 ヶ月分の生活費を手渡し、自分も 1 ヶ月の小遣いを手にした。

関東地方は、明日から梅雨に入るらしい。ジメジメとした天気が続くかと思うと、今からげんなりしてしまう。



2001年06月04日(月) 8 時間!


月曜日。

在宅 8 時間勤務の初日である。朝 8 時から夕方 5 時まで。ひとりの 8 時間がこれほど長いと思ったことはない。まだ、100% の集中力が発揮されていないためだろう。さらに、今手元にある仕事がそれほど切迫した状態にあるわけではない、というのも一因である。面白いことだが、1 時間の昼休みでさえ、非常に長く感じられた。とにかく、やたら時間が経つのが遅いのである。

そうそう、今日になってもまだ傷病手当が振り込まれていなかったため、痺れを切らして、会社の総務に問い合わせてみた。今週の水曜か木曜には振り込まれるということだった。それにしても、4 月分の支払いが 6 月になってから、というのんびりさ加減なのだから、5 月分なんかいつもらえるか、わかったものではない。



2001年06月03日(日) のんびりした日曜日


日曜日。

今日は朝 7 時から町内会のお掃除大会がある、ということだったが、その手のことに長けている母に座を譲り、自分は家で寝ていることにした。

帰ってきた母に尋ねてみたところ、ただ近くの道をウロウロして、ごみを拾い集めた程度だったらしい。

午前中はテレビ三昧。“遅起き”に始まって、“いいとも増刊号”にいたるまで、一週間分のおさらいをした。

ランチはうどん。ちょっと量が控えめだったため、つゆだくで食べた。

午後は昼寝。のんびりした日である。

夕方になって、買い物とお見舞いに出かけた。

明日は家で 8 時間。集中力が発揮できるように、しっかり眠っておかなければならない。


2001年06月02日(土) 豪雨


土曜日。

昨日相当疲れていたらしい。朝、NHK のドラマを半分眠りながら見たのはおぼろげに覚えている。

そして、目を覚ましたら 9 時半。“早起き French Wolf”の異名をとる俺としては、大の朝寝坊である。

午前中は、特にすることもなく、ボーっとすごした。お昼には自分特製の激辛ラーメンを作り、食べる。

午後のひととき、気持ちよい梅雨の季節前の風に揺られながら、昼寝。ん〜。なんともいえぬ幸福感。至福のひとときである。

4 時を回ったころだろうか、祖母の家にある荷物をとってきて、買い物をしたいと言い出した母に付き合い、祖母の家からまたもや食料品などを失敬してきた。突然雲行きが怪しくなり、急いで買い物をして、病院へお見舞いに行こうとしていたのだが、あまりにも激しい雨の降り方に今日のお見舞いは割愛することになった。

家に戻ると 5 時を少し回ったところ。すると不思議なことに、さっきまでの大雨がうそのように空は明るくなり、晴れ上がっているではないか。まぁ、今から病院の祖母を見舞っても、食事時だしということで、やはり今日は割愛。

最近天気の変動が激しく、体がついていかない。歳を感じるなぁ。


2001年06月01日(金) 久しぶりの会社


金曜日。

今日は会社に出かける日である。朝 9 時 24 分の鹿島鉄道に乗り、石岡に向かう。石岡からは、普通電車で柏まで向かい、柏から常磐線各駅停車に乗り換え、新松戸へ。ただし、松戸から新松戸の間で信号の故障があったらしく、柏駅で 30 分、いや 40 分くらいだろうか、足止めを食らった。北小金まで電車が動くということで、北小金でまた待つこと 10 分くらい。新松戸についたら、もう 12 時近かった。運良く、タバコを一本吸っていると武蔵野線がやってきて、新浦安に到着。12 時半くらいだった。ということは、片道に 3 時間もかかったことになる。

さて、会社では弊社製品の最新版をインストールし、研究開発のメンバーとミーティングをすることになっていた。ミーティングはすんなり終わったのだが、インストールが思うように運ばない。というか、単に時間のかかる作業なのである。結局いろいろとセットアップして終わってみると、18 時を回っていた。疲労困憊である。

新浦安駅で時刻表を見ると、18 時 24 分まで次の武蔵野線がない! こんなことなら、会社で時間をつぶしているんだった…。武蔵野線が来て、新松戸まで。そして、連絡がよく、すぐ常磐線の各駅停車に乗ることができ、柏まで。待つこと数分で常磐線で石岡まで。ただ、鹿島鉄道の連絡がなく、仕方なくタクシーで家まで戻ってきた次第である。

今日はそういえば、プライベートの仕事の話がたくさん入ってきたなぁ。自分の体調と今後 1 日 8 時間ペースの作業を考えて対応しなければならない。

あまりに疲れてしまったため、22 時くらいには寝てしまった…。


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