「難しい」っていう言葉を、私はよく使ってしまうのだけれど、これを自分に対して禁句にしようと思う。 「難しい」というのは、たいてい、ただのボヤキだ。 どこにも行き着かない。 意味も曖昧で何も伝わらない。 例えば「それはできたら面白いけど、でも難しいよね」などという科白の中の「難しいよね」はいらないと思う。 「私にとって難しいのか」「他の誰にとっても難しいのか」など、基準が曖昧で、言ったところでどうということもないから。 もっとはっきり言った方が生産的。 「うまい人がやった場合はかっこよく決まるだろうけれども、私がやった場合は甘くなってしまうだろうから、それはしないでB案の方がいいと思う」 何か意見みたいなのを言ったあとに「でも、難しいかな」などと言うのも、止めようと思う。 「難しい」というのは、謙遜の意味も出るし、それほどのきっぱりした否定にもならないから、使い易くて、使い勝ちだけども、これからは使わないようにしよう。
BBSを借りようと思いつつ「飲み物ランキング」をまず作ってみました。 トップページから行けます。 どなたも気軽に何か書いてください。 何回書いても構わないです。ふざけてくださってもいいです。 「コーラ」は私が書きました。
マンドリンを弾きに、東横線の学芸大学駅に行く。 社会教育館というところの、なぜか「調理室」で弾いた。 小学校の「調理室」の造りだ。 今度コンサートで弾く曲決めもした。 ジェーン・バーキンのジュテームモアノンプリュを弾こう、と言いたいところだったけれども、ばかにされると思ったので、シルヴィー・バルタンのあなたのとりこを持って行った。 いろいろ喋って面白かった。 人というのは、押しの強い人も、押しの弱い人も、一様に「喋らない部分」を持っている。 しかしちゃんと訊ねると話してくれたりもする。 引き出しには、泡だて器や穴あきおたまが入っていた。
大宮で友人ときしめんを食べる。 途中でトイレに行きたくなるが、なかなか言えない。
ひとり暮らしはがっくり落ち込んだときの夜なんかがきついんじゃないか、と思っていたけれども、私は強いからきっと大丈夫だろう。 孤独のひとつやふたつ知って、女を上げてやる。 いいことがあっても、誰にも教えてやんない。
離れれば恋心は死ぬ。 自分が死ぬよりずっとましだ。 自分が魅力的になれる道をえらべ。 この嗅覚で。 誰かと関係を作るときは真剣にやれ。 変な関係でも人に言えない関係でもいい。 自分の気持ちは真剣にしろ。 だらだらすんな。 人でさみしさをうめるな。 自信は一人でつけろ。
コンビニでコーラをひとつ買うとき、 「このままでいいです」 って言う自分の声が、猫なで声だ。 ここで可愛いぶってどうする、と思いつつも、女の子の声。 「このままでいい」「このままでいい」「袋はいらないです」
栄養、栄養っていうけど、栄養って幻想だからね。 食べ物の中に、栄養は入ってないよ。 愛とか、サンタクロースとかと同じで、ある人にだけある。 愛とか、サンタクロースとか、栄養って、実はお父さんなんだよ。
BBSが、繋がらなくなっちゃってますね。ごめんなさい。 OTDBBSによると、「サーバのハードディスクに障害が発生」していて、復旧作業は「難航している」そうです。 直るかなあ。 ああ、折角みんながいろいろ書いてくれたのにな。書いてくれ方がちょっと多くなって嬉しかったのにな。 もうちょっと待ってみます。 迷惑おかけします。
マレーシア行った頃くらいから好きだったひとと、もう会わないことに決めた。 明るくて、礼儀正しくて、私にはなんだかまぶしいひとでした。 土曜日に最後に会ってきた。 不忍池でボートに乗って歌を歌って、 上野動物園でくまを見て、 品川水族館でくらげを指差した。 お昼はアジア料理、夕ごはんはつばめなんとかのハンバーグをおごってくれた(おごらせた?)。 誕生日プレゼントをはやめにくれた。銀のピアス。 こんな男の子っているでしょうか? もう会わない女の子にこんなにしてくれるなんて。 私も、もしそういうひとができたら、できるだけのことをしようと思った(私はもてないから、そんなことはまずないだろうけれども)。 何より嬉しかったのは、 最後の最後、京浜東北線の中で相手のひとが泣いちゃったこと。 どうして泣いてしまったのか、 何を話していたのか、 何がポイントだったのか、 私にはわからなかったのだけど、 なんだか、きちんと私と向かい合ってくれているような気がして、 本当は嬉しく思うことじゃないのかもしれないけど、 嬉しかった。 もしかしたら、全然違うことで泣いていたのかも知れないけれど。 もう会わないということはもちろん悲しい。 でも、もう大人である私は悲しさは時間が薄らげてくれるのを知ってるので、ごはんをちゃんと食べて、本を読もうと思う。 会わないと言っても、どこかで元気なはずだ。 よくお腹の痛くなるひとだったけど、 母親が言ってたのだけど、 「精神的にもちょっと弱さがある方がハングリー精神があって逆にパワーがあるのと同じで、体も、どこか一つ弱いところがある人の方が丈夫なんだってよ。その方が体に気を遣ったりもするでしょ?」だってよ。 きっと長生きするね。 「積極的になろう、受身はやめよう」と最後までまっすぐぶつかれたことが私には悔いのないことだけれども、でも多少やり過ぎた感もあり、失礼なこともして多大に迷惑をかけてしまいました。 でも本当に楽しかった。 私は全然懲りてない。 まだまだ恋愛する気満々だ。 次はどんな人に出会うかな?
音楽が終わりに近づいたとき、転調しないもの、ワンオクターブ上がったりしないもの、って、力を感じる。 転調すると「ああ、来た来た」という感じになってしまうので、そうじゃなくて終わりの雰囲気を作ってるもの。 終わりの雰囲気って必ず作らなくちゃならないけれど、でも盛り上がっちゃうと、あんまりよくない感じがしちゃう。
京本正樹みたいな人と友達になりたいものだけれども、なかなかいないものですね。
大学のときの同級生たちと旅行に行ったとき、ビデオを持ってきてくれた子がいた。演奏会のビデオだ。「プレリュード1」とかいう、やらしい曲をみんなで弾いているのだ。 私はそれを聴きながら思う。「ここ、11番せつないよね。13番うっとりする」「このキューンっていうクレス、まじめにやった」「この高くて目立ちたがりの音は私」そういうのが私にはわかる。 でも他の人にはわからない。 つまり消えちゃうってことだ。 「消えちゃう、消えちゃう」 と人に言うと、怪訝な顔をされてしまう。 過去は消えちゃうんだよ。でも上手く説明できない。 そして、また「思い出嫌い」のように思われてしまう。 違う。違う。思い出すのが好きなんだよ。だから悲しくなるんだよ。 今が楽しいから「消えちゃう」って思っちゃうんだよ。 海にいるとき、みんなが笑うと私は思う。 「消えちゃうのに、笑ってる」 別にシニカルな意味じゃなく。 今が楽しい、それが言いたい。 例えば、みんなでラーメンを食べたあとに、私以外のみんなが「カレー食べたよね」って言うと、ラーメンは消える。 「思い出のラーメン」はどこにもない。 消えちゃうんだよ。本当だよ。 例えば、恋愛をしたあとに、他の女の子との兼ね合いがあって男の子は「そんなことは言ってないよ、してないよ」と言う、そう言う気持ちはわかるけれどそうすると、その何ヶ月間あるいは何年間は消えちゃうんだよ。 「他の人が覚えてなくても、自分が覚えていればいいじゃない」と思うかも知れない。でもそんなことない。 「言ってないよ」って言われたら、全部消えるんだよ。全員の心から消える。本当に消えちゃう。 消えちゃうものを、誰も止めることは出来ない。 でも消えちゃうということを悲しいと思わない方法はある。 それから、今から先を楽しくする方法はある。
てきとうに「好きだよ」というところが好き。 男の人の、てきとうにどうでもいいところで嘘をついてしまう変な心理が好きだ。 私の身近にいる方はご存知と思うが、自分で言うのも変だが、私はめちゃくちゃに恥ずかしがり屋で照れ屋である。 おそらくその反動で、面白いことやエロいことを言うのが好きなのだろう。 思った以上の開放感がある。 この前、品川の高輪プリンスホテルで、絵本のイベントがあったので見に行った。 私は絵本ってせつなさのあるものや、ひねくれたキャラクターが出てくるものが好きだ。ガブリエル・バンサンという人の本がすごくいい。あと、フランシスシリーズも。 昨日は、友達の家にお好み焼きを食べに行った。 友達と友達の彼氏と私で、大学のときよく遊んだが、昨日もその3人で、やはり微妙で苦しかった。でも面白かった。
共感を得る感情は、「せつなさ」が一番じゃないだろうか? 楽しい、嬉しい、悲しい、おいしい、苦しい、暑い、笑える、腹立つ、いろいろあるが、 「せつないよねー」「ね」が一番つながる感じ。
中目黒にお部屋探しに行く。 不動産屋さんで大学の先輩が働いていた。 久しぶりに会ったので緊張して部屋どころじゃなかった。 相変わらずの左利きや、おだやかぶりや、おもしろぶりが、なつかしい。 お仕事頑張ってくださいね。 そしていつまでも変わらないで下さい。
騎乗位という言葉を知らず、 「最近のAVは騎乗位が多いんだよ」 と言われてもわからず、 「ああ」 と知ったかぶりをしたら、 「女の子が上に乗ること」 と言う。 セックス用語に限らず、私はそのものの名前を使わず過ごして、 実際の名称を知らないということ、多い。 「オレンジの電車のあとに青いのに乗る」 などと考えている。 (高崎線と京浜東北)(これは知っているが)
「びっくりし過ぎだよ」 と、よく言われる。 声をかけられたとき、 思った以上に熱かったとき、 何かが落ちてきたとき、びくっとするからだ。 まるで「びっくりし過ぎだよ」と言われたいがために大げさにびくっとしているかのような気分だ。 私だけでなく、周囲の人が大げさにものごとに反応しているのもよく見かける。 人は誰でも必要以上に意味不明なほどにわけもわからずリアクション王になりたがる。
昔、魚のことを全部「鯛」という男の子と付き合っていた。 どんな魚料理のことも鯛と言うので、そんなところに惹かれたものだ。 「鯛の開きおいしいねー」 などと私も合わせて言って、あじの開きを食べたり、楽しかったものだ。 しらすぼしのことさえ鯛と言うのだ。 まあ、今書いたこと全部、嘘だけど。
私は毎月毎月、気分のよくない時期があるので、月の、満ち欠けに関係あるのでは? ということで、月齢の載っているカレンダーが欲しい。 でも月齢のせいでなくて、生理のせいかもしれない。
部屋でじっとして息をしている。 順番に酸素を二酸化炭素に変えてやる
東京大丸でトーベ・ヤンソンの原画展を見た。 ムーミンの作者である。ちっこい黒い線、ひねくれたキャラクター、おとなしいキャラクターが創作意欲を刺激する。 男の子と待ち合わせてお酒を飲んだ。 彼女のいる人だから、なんの進展もないけれど、でもとても楽しい、人の気分を良くする人だ。 私も見習って、いつでも気分良く、人と対峙するようにしたい。
少し遅くなっちゃったけども、7月の読書は、いろいろあってちょっと少なめでこんなものでした。 『嘔吐』J・P・サルトル 『丹生都比売』梨木香歩 『ぶらんこ乗り』いしいしんじ 『オアシス』生田紗代 『安南』クリストフ・バタイユ 『シンジケート』穂村弘 『蹴りたい背中』綿矢りさ 『東京ゲストハウス』角田光代 『ポプラの秋』湯本香樹実 『這えば立て』金子光春
今まで、この日記からホームページに行くのや、メールの登録が変だったので直しました。 これからは普通にできます。 また、更新が遅れてしまっていますが、得意の連続書きをして、そのうち現在の日時(8/15)に追いつきます。 今から海に行くので、帰ってきたらやります。 ホームページにきてくれてありがとうございます。 また書き込みしてくださいね。 みなさまも、よい夏休みなどを過ごしてください。 私は体格もよいし、体も丈夫なのですが、タチクラミみたのをよく味わいます。 この前は、日焼け止めがうっすら肌の上に白く残っちゃうとき、あるじゃないですか?、あれみたいなのが、電車に乗ってるみんなの肌に浮き上がっているのでびっくりしました。でもしばらくすると消えました。 そして、戦争がまったくなくなる世界になることを祈ってます。
中華を食べる。 冷たいラーメンを頼む。冷たいスープに冷たい鯛のお刺身が載っている。 あったかい方がおいしいのでは?とも思う。 最近、注文した後に相手が食べているものの方がおいしそうに見えることがよくある。 それにしても、すぐに体脂肪率のことを忘れることができる自分に驚いている。 明日から食事を気にしよう、と昨日はいつも思っている
母が体脂肪計を買ってきて、家族でひとしきり騒いだ。 体脂肪率は率とは言いながらも、率が大事なのではなく、周りの人と比べてどうだ、とか、平均と比べてどうだ、ということを楽しむものである。 そして、体脂肪率とは、脂肪とは何の関係もない。 率と関係がある。 体重というわかり易い観念から率という斬新な観念にシフトすることで、「やせているけど体脂肪率は高いのよ」などというよくわからない会話を続けていくことができるのである。 ここ5年くらいで体脂肪率はダイエット会話に新風を巻き起こしたと言われている。 また、体脂肪率以外の率は何なのか?体の他の部分は?という問題がある。 実は人間の7割から8割は愛でできていると言われている。 つまり、体脂肪以外は愛が大多数なのである。 しかしそう考えると、また体脂肪率は重みを持ってくる。 愛が少ない人ほど体脂肪率が高いことになるからである。 「では愛のパーセンテージを上げれば体脂肪率は下がるのか?」というとそれよりももっと良い方法があり、要はそんな考え方を止めて、「食事の仕方を変えれば体脂肪率は下がるのではないか?」と考えると、「愛が少ないのでは?」という不安を取り除くことができるのである。
最近仲良くなった(と私が一方的に思っている、でも向こうもそう思ってくれていたら嬉しい)人とラーメンを食べる。私は野菜の入ったラーメンで、その人は辛そうなのだった。 それから、部屋さがしをした。 私は不動産屋に行って、知らない人と世間話(暑いですね、など)をするだけでいっぱいいっぱいだ。部屋どころではない。
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