Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2017年03月31日(金) |
#1397『Rema Hasumi 蓮見令麻 / Billows of Blue』 松乃家扇鶴 |
Jazz Tokyo CDレビューが掲載された、6枚列挙したのだが、まあ、見づらい、けど、稲岡親分からは壮観ですなあとのメール、
#1397『Rema Hasumi 蓮見令麻 / Billows of Blue』 ■
タクタイルな演奏、と、おれははじめて名指したピアノだ、タクタイルという語は益子博之のジャズ批評用語として認識しているが、そこで知らなければ使用できなかった形容だ、
「だけど意思は言葉を変え、言葉は都市を変えてゆく、躍動する流動体、」(小沢健二)
細田成継さんがDJ大塚広子盤をレビューしている、手堅いライター仕事だわ、彼の耳でレビューしてもらいたいものはそこじゃないんだが、でね、わたしもこの盤を貴重な時間を費やして聴いたんだよ、わたしが翻訳すると、それぞれわたしの音楽を演っているという気持ちよい表情が伝わってくるトラックたちだが、どれも難易度Cランクの聴き分けることも困難だと言いたいくらいな、同じ音楽を演っているに過ぎない、
クーベリックでローエングリンを聴いている、ケンペのを聴きたいがしゃあない、いやはや、おれ、こんなにクラシックが好きだったっけ?という気分、タダマス現代ジャズ盤以外のジャズはハッキリ言って聴いてらんない、このオペラの快楽はスフィアンスティーヴンス『エイジオブオッズ』だったりもするんだ、
わたしがジャズライターごっこをしている理由はない、ドキンちゃんから「小沢健二、最高!」とメール、そう、ピュアな思念、を、ドキンちゃんと黛敏郎解説の修二会実況録音を聴きながら、大手町のビル群を抜けた、
昨年のベストは松乃家扇鶴
幹事長!お江戸広小路亭で4月6日〜10日に出演するよ!うわあああああああああ
■
年に1、2度、自力で空に浮かぶことができる明晰夢を、見る。 ビルの20階相当のような上空をキープするのはなかなかたいへん、 両手を下方に広げて呼吸を大きく吸い込むと上昇するが、その際の両足の踏みしめ具合と、背中の横隔膜の力みかたにコツがあるらしく、ドキドキしながら手探りのように浮かんでゆくのだ、 ひとはおおよそそういう夢を見るものだと考えていたが、だあれも、わかるう!あるある!と応じてくれないのを発見するのだ、
ふ、ふ、ふ、、オレの前世は天使だったろう?
このネタでモテないかな、うー、あくまだと言うな!
『天皇の音楽史 古代・中世の帝王学』 吉川弘分館 2017
(古来、楽器には神威が宿り、王権を象徴する道具と認識されてきた。前近代の天皇は幼少より管絃の習得を積み、どの楽器を演奏するかは、時には皇統の在り方をも左右した。宮廷内での権力闘争や武家との覇権争いを有利に導くための楽器選択など、音楽と天皇の権威との関わりや帝器の変遷を、古代・中世の天皇の音楽事績を紹介しつつ明らかにする。)
『網野善彦を継ぐ 中沢新一/赤坂憲雄』 80ページ
ヨーロッパの王権は、身体そのものと法人でかたがつく 天皇制では、芸能的な構造として表現される第三の身体性、
2017年03月29日(水) |
みみまんこいちんきよりん連れてシンガポール料理をコース |
丸の内みみまんが仕事終わるの待ってはとバス向かいに停めて、「流動体について」4トラックをかけて、 次男こいちんとたばこ吸ってた、
こいちんが身動きしない、
さすが小沢健二だな、この技アリの密度、おれもスタジオで歌をレコーディングしたり遊んでんだが、ワカルよ、この技巧の極み、それにこの歌詞、ほかのJポップとは圧倒的力量差があるよ、はんぱねえ!
と言う、お、おまえ、わかるのか、さすが今年予備校で一番多くの芸大合格者を指導して表彰されただけ、あるな、
よし、コース、くわしたる、、、
おとーちゃんがコースを食べてみたくて、子どもたち3にんを無理やり集めたんだろ?
そうだ、それ以外に何がある、ちなみに割り勘、な!
あ、おれ財布忘れてきた、ぼくも、わたしも、
ゆうべはドキンちゃんとふたりでたらふく2700円だったから、とはいえ、 みみまんこいちんきよりん連れてシンガポール料理をコースでね!、17175円、お財布カラだよ、 エビのがめっちゃ美味かった、カニのも、 この半年ずっと痛い左肩のしびれ五十肩が軽くなったのは、エビ丸ごと食べたからかな、
2017年03月28日(火) |
浅草りゅうたそとずるけて上野公園 |
5月のホリガー公演チケット見つかったー、ランチ手提げチチヤスヨーグルトの底に潜んでた、
お昼ごはんお寿司セット浅草りゅうたそとずるけて上野公園、東京文化会館前横断歩道信号無視すんなキンパツー怒鳴りつける窓全開、芸大生こいちん居るかそこに!晴れた空気が精神の布団干ししてるみたいな、多い人出噴水前をパカパカ歩く鳩追って、上野公園入り口のしだれ桜、じゃ明日シンガポール夕飯を食べるかい?
日曜日にもジイちゃんと公園行ったりお花見しような、
2017年03月26日(日) |
真実は、稀勢の里も照ノ富士も双方怪我をしていた、ということだ、 |
大相撲春場所、十五日間すべてリアルタイムでテレビ桟敷で観たぜ、そんな老後のお仕事に感謝します、
初日から全敗してそのまま引退する稀勢の里までを予想して、まじでハラハラドキドキ、
順番に休場して4横綱4大関を独占する野望を持つモンゴルシンジケートの暗躍と陰謀をみているんだが、白鵬がカド番だった照ノ富士に勝ち越ししやすいように負けていたりね、でもそれこそが舞の海が著作で主張するところの大相撲の伝統に近しいことでもあって、過度のガチンコ信仰が負傷者の多い昨今の大相撲を招いている、
照ノ富士の足は琴奨菊対戦以前に悪化していたんだな、大関復帰10勝を砕く琴奨菊戦変化しての勝利、そんな勝ち方をして優勝しても来場所の綱取りを横綱審議委員会が許さないことくらい熟知しているはずだし、何よりありがたいCM収入は観客の人気あってのことだから、つまり、まともに琴奨菊を受けていたら優勝どころか力士生命さえ危ういと、そういう本能だ、
戦犯は日馬富士だ、稀勢の里との対戦での土俵際、あの体勢で土俵下に稀勢の里をブン投げる、こたーねーだろ!慢性の怪我に苦しむ日馬富士のねじれた根性が出たのだな、
真実は、稀勢の里も照ノ富士も双方怪我をしていた、ということだ、
本割、決定戦での照ノ富士の足のへなへなな弱さ、が、稀勢の里のドラマチック優勝を生んだ要因だ、
当然、半月板損傷で武蔵丸に決定戦で勝った仁王立ち貴乃花(2001年)が引き合いに出されるだろう、だけども、貴乃花はその後復活できずに引退となった経緯を忘れてはならない、
稀勢の里の怪我は貴乃花に比べてたいしたことない、じきに復帰するだろう、で、そもそも稀勢の里は大関相当の相撲取りなんだが、そもそもの型、腰高、あまり長くないと思う、
立ち合いの変わり身について、照ノ富士がブーイングで、稀勢の里が称賛だとは差別ではないかという記事を見つける、
そういえばそうだなー、
横綱昇進を賭ける作法、と、横綱の責任を果たす、と、ちがう? いや、「変わり身」も立派な相撲なのだ、な!うん、
2017年03月25日(土) |
6枚のピアノ盤をレビュー、 |
29年目のかなみん、「おたおめー」「ありがとー!」Cメールの交換、のみ、わははー、
音楽サイト Jazz Tokyo へジャズピアノ盤6枚を一挙掲載を思いつき、入稿、
「6枚のピアノ盤をレビュー、同時掲載されてこそ意味が出るところもある、ばっさりと野球中継をしてしまうと、ハマシアン華麗なる三振、テイボーンあわやホームランの2点三塁打、マエストロはレフト上段特大ファール、蓮見消える打球満塁ホームラン、タラス適時ヒット打点1、ミッチェル球速162kmノーヒットノーラン仁王立ち、といったところか、次回は大相撲春場所モンゴルシンジケートの暗躍、」
と、締めてみた、暴言王の弟分南将軍との第二次世界大戦を収束させて、そのエナジーによるものか、
このところエースや稲岡親分から聴かせてもらっていたジャズピアノの新譜6枚を一気呵成にレビュー仕上げた、
あ、蓮見令麻は自分たちの演奏を「即興ジャズ」と言っていた、
ばかだなオレ、即興とジャズのJazz/Improv の分岐点(スラッシュ)はズバリ大西洋だぜ、アメリカとヨーロッパ、R&Bとクラシックの差なんだぜー、中学生のときにブリティッシュロックとアメリカンロックを聴き分けたのとおんなじなんだぜー、なんて言い続けてきたよー、
「即興ジャズ」で、いいんでね?
瞬時瞬時にインプロヴァイズするジャズの演奏身体による、
ううむ、即興にもフェーズがあり、もはや素朴なバトルロイヤル観は当初から間違いであり、どのような位相に奏者たちは瞬間を賭けるのかといった問題、一方で聴取のフォーカスの問題、ここは同一か?
A クラシックの鍛錬を受けてきた、ジャズの鍛錬を受けてきた、演奏身体、 B 奏者が環境としてきた文化的ローカリティ、風土、言語、宗教を仲介とした、 C 現在のテーマ、変容、継承、発見、主にグループやサーキット、学派、法王による、
現代ジャズがやはりニューヨークのダウンタウンシーンに優位に存在していること、ううむ、
(と、こう書いたまでで、放置する)
そういえば徳永伸一教授がタダマスを評して「類似によって語るのはいかがなものか」と、音楽のオリジナリティを照らしていない多田を牽制していたのだ、まったく教授には頭が下がる、若い時分に池袋の現代ギター社に通っていろいろ教えてもらった耳の恩人だ、
それはさておき、本業の musicircus 主宰「今年きいた10枚」のセレクトが大詰めだ、今回は新譜10枚とこれまで掲げ損なっていた名盤愛聴盤を何枚かを足して入稿するのだ、
伝説のN響ライヴ 尾高賞受賞作品 1 岩城宏之: NHK交響楽団, ピアノ・ディスタンス〜武満徹作品集 / 舘野泉 タピオラ幻景 / 舘野泉
2017年03月22日(水) |
引っ込み思案の巨匠、シャイ・マエストロ、CDレビュー |
言いたいことの10分の3しか書けていない!
おれにはおれの耳があり、動かし難いのだ、まったく無礼千万なテキストだ、
いつになったらおれはちゃんと書けるようになるのか、
The Stone Skipper Shai Maestro Trio
Sound Surveyor Music
Shai Maestro : piano Jorge Roeder: bass Ziv Ravitz: drums Gretchen Parlato - Voice Theo Bleckmann - Voice Neli Andreeva - Voice Kalina Andreeva - Voice
1 A Man, Morning, Street, Rain 2 Without Words 3 From One Soul to Another 4 Pearl 5 Stop Motion 6 Kunda kuchka 7 The Stone Skipper 8 Mirrors 9 The Message 10 Spirit (For Anat) 11 It's Your Blessing and Your Curse 12 Water Colors 13 Rain, Morning, a Man, Street 14 The One You Seek Is You 15 Epilogue
これまた耳の心を揺さぶるピアノ・アルバムが登場していた!
ゾフィー兄さんを誘ってマン宅に集まろうとエースに声をかけていると、「セブン兄さん、地球ではこんなアルバムが出ているのですが」と、おれの耳を試すのか?
「イスラエル・ジャズ・ブームの立役者、グレッチェン・パーラトやテオ・ブレックマンもゲスト参加、美しき詩情と実験性の融合、10代でマーク・ジュリアナと共にベース奏者アヴィシャイ・コーエンのバンドに参加、巨匠キース・ジャレットも絶賛するその独創的なピアノプレイ、」
「ECMのテオ・ブレックマン新譜エレジーには、ベン・モンダー、ジョン・ホーレンベックとともに参画しているだと?」
引っ込み思案の巨匠、シャイ・マエストロ、大胆すぎるぜ、
ううう、擦過音テクノの美味しいサウンドから始まる、Jazz The New Chapter が明らかにした新世代ドラムの導入も自然だ、ECMフォークが俎上にあげたヴォイスも聴こえる、ブラッド・メルドーがオードとハイウェイ・ライダーで踏み出した地平もデフォルトにする、
美味しい聴きどころばかりだ、が、それらはすべて借りパク、その場限りのファションショーにしかなっていないというなんとも言えないドリームランド状態、シャイ・マエストロ、あなたは誰だ?、ペットサウンズやサージェントペパーズをクリエイトしたいというポップスの欲望をミュージシャンとして持つことは認められなければならない、でもなあ、ウィントン・マルサリスが幼少期に刷り込まれたジャズというのはカートゥーン・ミュージックでのそのフレイバだったことが生涯を規定するがごとくで、
2度3度聴き込むに、怒り新党な感慨ばかりが厚みを増してくる、「トラック7が好きー!編集CDRに入れようかな」「なに籠絡されてんですか!」と笑い話にしている場合ではない、こういう音楽、こういうジャズには、何か新しい世代ならではの症状が現れていると思われる、
ポピュラー音楽とジャズとの結合については、2012年のマヌ・カチェ『マヌ・カチェ』ECM盤を佐藤英輔が年間ベストに掲げる座談会で示唆されていたことを想起もする、そこで言わんとする感覚的な発見を2年も経ってしているこのおれは55さい、充分に周回遅れな耳であることは自覚している、
借りパクも、剽窃も、孫引きも、ポップスの凶悪で生命線な力学である、これをジャズとして聴けるのかというと申し訳ないがまったくノーだ、これをジャズだと力説する若者たちとの断層は明確に深い、そこまで言われて「よっしゃ聴いてみてやろう」と読者が思われることが本望である、
------------------------------------------------------------------------------ 益子博之×多田雅範=四谷音盤茶会 vol. 25 2017年4月23日 19:00 - 22:00 喫茶茶会記 〒160-0015 東京都 新宿区大京町2-4 サウンドビル1F
ホスト:益子博之・多田雅範 ゲスト:大村 亘(ドラム・タブラ奏者/作曲家) 参加費:\1,300 (1ドリンク付き) 今回は、2017年第1 四半期(1〜3月)に入手したニューヨーク ダウンタウン〜ブルックリンのジャズを中心とした新譜CDをご紹介します。
ゲストには、ドラム・タブラ奏者/作曲家の大村 亘さんをお迎えします。ジャズの世界で幅広く活躍し、インド古典音楽にも深い造詣をお持ちの大村さんは、現在のニューヨークを中心としたシーンの動向をどのように聴くのでしょうか。お楽しみに。(益子博之) ------------------------------------------------------------------------------
(多田雅範)
夜霧のブルースディックミネ
愛は傷つきやすくヒデとロザンナ
気分爽快 森高千里
キズナキズ flumpool
かぼちゃの花 中村美律子 H28
329
あさイチで大田原温泉に入って、お昼寝して、がってん寿司食べて、しょうゆラーメン大盛りの出前とって、カレー味の揚げ菓子ツマミ、焼酎コップ1センチでまたまた横になるのだ、
マージャンゲームにて、人生初の「緑一色」りゅういいそう 發ポン、ぱーそポン、ろーそポン、りゃんそ3枚すうそ1枚、すうそ出上がり、
ついに、ついに多田家に緑一色が、到来したのである、
亡き父のひざの中に入り、マージャン牌と戯れてから52年、仏壇にお線香をたててお祈りする、あるある、そうか、パパはおれの肩に乗っているのだったな、よく白石に出かけているが、ああそうか、
緑一色を記念して、夜20時、再度、アニキと大田原温泉、
86.5kg
人生最高体重記録更新、、、ウソだろ、
イルカ、45周年コンサート、NHK、 伊勢正三はいい曲だよね、しみじみ、中学生ん時以来に聞く曲ばかりだ、
2017年03月18日(土) |
高橋悠治、NHK、これは必見だー! |
ぐうー、ホリガーのチケットが出てこないー、弁当がらゴミと一緒に棄ててしまったのか、
高橋悠治、NHK、これは必見だー!
「クラシック倶楽部 高橋悠治 in NHK 〜時代を超えて 音楽の輪を回す〜」 ■
Who Is This Bitch, Anyway? / Marlena Shaw 1975 Tomorrow's Modern Boxes / Thom Yorke 2014 Johann Sebastian Bach: Ich hatte viel Bekümmernis / Heinz Holliger, Camerata Bern & Erich Höbarth 2011 Super Bad / The O'Jays 1971 Manu Katché / Manu Katché 2012 Out To Lunch / Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra 2005 歳時記 / ふきのとう 1976 OVER / オフコース 1981 Ronald's Rhythm / RJ Miller 2013 詩曲〜松村禎三 作品選集2 1996
ふきのとうの「初夏」をかけながら皇居前から八重洲、日本橋をぐるぐる、
まるで東京の街が札幌の街並みに見えてくる、
噴水、鳩、とうきび、時計台、かに族、狸小路、地下鉄、と、歌詞、
喫煙所で、うちのお墓は東京タワーのしたにあるの、毎日ビルから拝んでるんだけどー、今日はお昼休みに親族で会食だったんだ、懐石っておなかすくのよねー、どんだけお嬢様なのよ白金のマンションに住んでさ、たださん北海道なのー、札幌なのー!どういう納得なのかな、またごはんしようね、
2017年03月17日(金) |
グッチ裕三のイチオシ音楽、は、チック・コリア! |
あさイチ、グッチ裕三のイチオシ音楽、は、チック・コリア! ううう、素晴らしい、まじ、スペイン、楽しい懐かしい わはは、ぼくの音楽はインプロヴィゼーションだからね、ポップスじゃない!笑笑、チックがそれ言うか!笑笑 ラーメン差し入れたグッチ裕三、即決の共演! マイワンアンドオンリーラブ
チック・コリア、いいタッチをしているー、
うおおお、キース、チック、パットで歩みはじめたECMミー派を復活させるのだー、
東京ミュージックジョイ1985年、あの時会場にいた20代だったぼくたちあなたたち、どうして、
高橋悠治たちのアラバマソングはどんなメンバーだったっけ??? クルトワイルもデビッドボウイカバーも知らなかったガキなおれ、いまはほんと幸せだよー
大学生時代はフュージョン全盛期でさ、スティブガッド神なの、ロンカーター、リーリトナー、
ヘイデン、モチアン、へたくそと断定されていたのだ、(し、信じられない!)
カモメ『Return To Forever』ECMも、毛嫌いしていたものだが、 改めて聴くと、すごいんだよね、 1997年にECMレーベルLPの1番から300番くらいまで独りでマラソン聴取大会をしていた無職の深夜に、 初期ECMの凄さ、トンガリ具合、越境の精神に触れていた、
サークルパリコンのホランドの凄さに圧倒されもしていた、 ほぼ同時期に斎藤徹さんと歩きながら話していて、「あの盤のホランドがいいんだよねー」と、 世界トップレベルのベーシストにだしぬけに言われて、 「そ!そ!そーですよねえ、ええ、え!」と震えた声で応答していたものでした、
ああ、懐かしい、
黒塗り高級車の列に遭った? 一日中待機してたからね、霞ヶ関界隈はサウジアラビアの国旗と日の丸セットでしたよ、
天皇の音楽史 古代・中世の帝王学 吉川弘文庫442 豊永聡美著 アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界 講談社現代新書2413 新藤榮一著
2017年03月15日(水) |
毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した |
あさイチ ライオンタイプ、オオカミタイプ、タヌキタイプ、ウサギタイプ、
松任谷正隆 マリーナショウ、who is this bitch, anyway? stylistics paul simon still crazy after all these years stevie wonder music of my mind michael jackson off the wall bob james BJ4
「東京電力は2日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査で撮影した映像を解析したところ、一部で毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した。」 ほんとう?読売朝日毎日、ホントだよ、マジかよ、6年経っても何の展望すら、というレベルのハナシではない、いくつかの大使館が東京から関西に移転している(!)よ、那須塩原あたりでも、東京に住んでいるツケが回るんだぜ、ふるさと納税に浮かれて死のロードを踊っているんだ、
2017年03月12日(日) |
musicircus復刻:ECM入門講座(連載 第2回) |
ECM入門講座(連載 第2回) フリー派──新派閥長 立川教授の巻 ■
まったくおそろしいテキストが復刻された、みんな21さいくらいだろ、青山さん27さい、
LPジャケが配置されると、それなりに風景となって見えてくるもの、
やりとりはユルいが、本質はつかんでいるというのか、
こないだマーシーさんと喫茶茶会記に行ったらギタリストの高原朝彦さんと再会した、 「J&BLサンセットの大野さん、ずいぶん前に亡くなったよー」、
客の入らないECMレコードコンサート、おれは別にみんなで集まれればそれでいいと断交したが、じつにイヤラシイ足の組み方をして「きみたちの感性が足らないんだ」と、何かにつけて感性をクチにしており、その真実はJ&BLサンセットオーナーのおばちゃんの若いツバメでしかなく、バイクを買い与えられて遊んでいただけだ、厚化粧で和服姿のオーナーがぼくたちに煙草の煙を吹きかけ「あら、このコたちがウチの店の宣伝チーム?」、
J&BLサンセットを飛び出したぼくたちは四谷いーぐるにたむろ場所を移した、後藤さんは若いぼくたちによくしてくれて、デザイナーの卵だったフクシは後藤さんの名刺を制作させてもらっていたし、ぼくはぼくで門外不出のアナログレコードをよく貸してもらってたし、
そいえば6日の夜18時に札幌の妹と30分オフ、赤坂TBSそばのホテルからイルミネーションエリアをイッツアスモールワールドな夜景ドライブ、おいらの砂川天使幼稚園時代の写真アルバムを持ってきた、
まりえちゃん小学6年生英検3級合格おめでとー!
リュウたそ、結婚式出席のため、白ワイシャツにネクタイのおめかしして、相模大野へ送迎任務、
図書館、中央公園でポケGO、「ゆめみ処おふろの王様相模原」で待機、
電車だと100分だけどクルマだと50分、
スーパーの監査業務していた1年間に12回通ったのは2001年だったか、
黛敏郎構成の東大寺お水取り2CDをじっくり聴く、
チョコパフェの湯、
2017年03月11日(土) |
「蛯子健太郎 presents 図書館系ジャズユニット・ライブラリ」 |
蛯子健太郎(作曲とeb) 橋爪亮督(sax) 飯尾登志(pf) 井谷享志(ds)三角みづ紀(詩と歌) 「物語自身のスピードで」
「蛯子健太郎 presents 図書館系ジャズユニット・ライブラリ」
このユニットも、もう10年は演っているのだ、最初は他にベーシストがいて蛯子はラップトップでノイズを放っていたりしたのだ、
ミニマルパンクだぜ、え?ミニマルパンク知らないー 井谷の叩きの卓越は世界に打って出る代物ださすが藤井田村カルテットに抜擢されてるだけある、オレはソロCD聴いて度肝を抜いていたが、 それは承前さね、
井谷と三角がひな人形のように中央、取り巻く三人の舞人、 チャーリーヘイデンがLMOで旗を掲げるように蛯子がそこに立っているのがわかる、 長身イケメン大王の橋爪が決して自分のグループでは導入していないインプロヴァイザー橋爪の牙をむく美しく捻れた複雑骨折フレーズ世界標準現代ジャズレベルを剃刀の切れ味で舞ってみせてたりする、 この狭い空間にあるのに、井谷と橋爪は異なる銀河系の宇宙を旋回してくるかのようではないか、 蛯子はじっと地球防衛軍の制服を着て楽しそうに大地を響き鳴らしている、
言葉とピアノの二人の女子は巫女か、
なんかテレビに出て喝采を浴びる彼らを想像したりする、武道館を埋める想像も、
作曲とあるのだから作曲はされているのだろう、が、つねに作曲の意図を良いほうにはぐらかして生成してしまう音楽を奏でるように彼らは出来ている、この五人でなければならないような、
奏者たちも謎解きに舞っているのだ、
作品について説明を受けているような演奏はつまらないものだ、ましてやひけらかしやナルちゃんぶりや聴衆をコントロールしてやろう演奏などはクソである、
2017年03月10日(金) |
ラスト前の曲「Synesthesia」江古田のライブハウスそるとぴーなつ、橋爪亮督グループ |
江古田のライブハウスそるとぴーなつ、橋爪亮督グループのライブ、20:30開演、
橋爪の予想外の変化について、MVPはベースの織原、ラスト前の曲「Synesthesia」は札幌市民のテーマ曲にするべきだ、それにしても「Structure」は神曲だぜー、
批評ユニットタダマスの新譜品評会も兼ねてる、不思議に思う、なぜこうも的確に現代ジャズに対する見解は一致できるのか、
ライブの前に御徒町まで飛ばして raffles curry(ラッフルズカリー)!
シェイマエストロのトラック7が好き!なに籠絡されてんですか!オザケン地獄にしてやる!ひええ!ごはん少な目とカレーダブルごはん大盛りの差だ!カートもヴァンヘイレンもアイドルはホールズワースなんだ!そかー!ジムブラックはシンバルをタイムキープからパレットの一部として変化させている!わからんー!プレイヤーじゃないと気付きづらいかも!和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」のベースを聴きやがれ!うおー小沢健二の100倍いい!なにおー!
進化したたんぱく質が声帯を震わせて交信している生命体、不可思議、神秘、
午前中はオイルとタイヤ交換、お昼は13日のマーラー@すみだトリフォニーが仕事で行けないので南将軍に招待券を渡しにピーコック青山店駐車場、人生を決定づけたクラシック10枚をくれる、レッスンがあるのだという、2階の勉強室でフォルテピアノとクールジャズ高柳大友平井橋爪の話、
そういえば、同じくクラシックの大家なもうひとりの南さんから教わった、朝比奈隆の奇蹟のブルックナー7番『聖フローリアンのブルックナー』を聴いて寝るずら!
パククネが罷免されて騒ぐ国民のウェットさ、関西にも濃く漂う、同じくアジアに住んでいる中国韓国北朝鮮日本、アメリカの軍産にいい食い物にされて戦争が作られるな、いいのかそれで、
ゆうべは八重洲から月島へ、トロほたて鯛3点大盛り千円皿、冷凍してないし、タッパに詰めてきたごはん片手に醤油わさびダボダボにして、
首都高外回り、代官町から神田橋の渋滞で、止まって見下ろした皇居と丸の内のビル群、夕暮れの藍色の空、
家訓 かわいくする ときには正反対の意見を取り入れてみる 実るほどこうべを垂れる稲穂かな
あさイチゲスト神木隆之助、音フェチ、視聴者FAXからはフィーレコ耳の遍在の徴候、
世界はヒトの自我の奏でる音楽など求めてはいない、もうそんなものは要らない、
世界の終わりの歌詞、小沢健二が見ている場所、ヒトと世界、
鉄砲洲 てっぽうず
東京都中央区東部,江戸時代の地名。現在の湊,明石町に相当する。地名は徳川家康の入府当時,鉄砲の形をした洲の島であったことに由来。また寛永の頃,この洲で鉄砲の試射をしたことによるともいう。
鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)は東京都中央区湊にある稲荷神社。平安時代創建の古社で、京橋地域の産土神である。 平安時代の承和8年4月15日(ユリウス暦841年5月9日)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことに始まる。 入江埋立に伴い京橋に遷座し、更に室町時代末期の大永年間に後の新京橋(現・銀座一丁目付近)へ遷座し、八丁堀稲荷神社と称した。
福島食べる通信 高校生が発行する雑誌、農産物付録付き!
2017年03月07日(火) |
「けーまがさ、高校生ん時、 |
ぶんぶんぶん、オザケンの復活に、声が劣化した、おじさんの歌じゃん、はなにつくな、と、わざわざわたしに告げないでください、う、こんにゃくの味噌炒め、おいしすぎる、
マイナス1度の空気を腕にあてて、その刺激に脳がだまされて、再生細胞は活発化させるらしい、遊び呆けているだけのジジイだよ、
オザケンの新曲「流動体について」「神秘的」をインストもセットにして4トラック、すでに100回はリピートしている、
早朝の羽田空港から帰ってきたら、知ったオザケンのニューシングル、
ドンキの和光店に麦茶が安いので久しぶりに、鮮やかに、元気づける、騒がしい店内、15年前のいくつもの夜の記憶が、それは楽しく、懐かしく、バンプの音楽とかも、
新しく生まれた気分、12時間も爆睡して身体が軽くなったから?、なだらかな夕暮れのマンションが建つ丘を照らす道のかたち、とか、
JKきよりんが、Bouno! 「こころのたまご」を、「けーまがさ、高校生ん時、友人2人乗せてきて、これかけたら、イントロ1秒でカーステのスイッチ変えたんだがー」と、全歌詞うたうおれに、「おとん、やばい!」とウケてた、
「ホップステップジャンプ、ドゥルドルウドロウン、チップシロップホイップ、いっぱいあるもん、」
「流動体について」「神秘的」、ほんと、すごい歌詞だ、一語一句解説したいぜ、緩んだ歌詞は一箇所もない!「カルピス」「イスラム教」というワードだってさ!オザケンの体験を共有できてしまうようだし、この音楽的高みは小澤征爾伯父と戯れるべきだし、でもさ、これはいちおう宗教みたいな現象だと押さえておくんだ、が、
なんだか生活全般に波及してきていて、港区のビルの夜中の谷間をフィーレコ耳で耳をすましてみたり、ひっそりと営業している定食屋の灯りをじっと見ていたり、友だちからのメールを読み返したり、
「もしも、間違いに気が付くことが無かったのなら!」
(読書用コピペ)
「魂が宿ったかの様に生き生きと」 津田 貴司·2017年3月7日 去年来、『君の名は。』に関してあちこちから賛否の評判をさんざん聞かされてきたが、どうもわざわざ見に行く気になれないので、ただ黙って無視してきた。話を聞くぶんには「生理的にムリ!」という類だと判断したからだ。その新海某の他の作品のTV放映をたまたま家人が録画しておいたので、新海どんだけのもんじゃい!と思って見てみた。結論から言うと、やっぱり「生理的にムリ!」もっと今様に言うなれば「むりむりむりむり〜」というやつである。こればかりはしょうがないし、そのことを土台に据えて文句つけるのは筋が違う。ただ、少し気になったことがあったので考察してみることにした。
私はアニメーションについては詳しくないし、知っているのはせいぜい宮崎駿か、子供の頃に見た「釣りキチ三平」とか、さらに幼い頃の朧な記憶の白土三平の「サスケ」アニメ版とか、大人になって観たアートアニメとかチェコアニメの類(アップリンク系?)なので、比較の前提が間違っているかもしれない。だが、だーっと暴力的に端折って言えば、アニメーションという言葉の原義は、生きているはずのない絵が、魂が宿ったかの様に生き生きと動く、ということなのだろうと思う。つまり絵にアニマがどの様にして宿るのか、という表現なのだろう。この「魂が宿ったかの様に生き生きと」ということに対する新海某の態度に、どうにも引っかかりともやもやした違和感を感じたのだ。
新海監督の『言の葉の庭』。冒頭から、まるでビデオカメラで撮影した様な質感の風景描写が続く。風にそよぐ葉や、雨に打たれた庭園の木々、風を伴いながら池の表面を打ち付ける雨の描写は、もちろんそれなりに工夫が凝らされた繊細な描写であると言える。しかし、その画面を見ていくにつれ、そこは新宿御苑であることがわかってくる。またその背景に新宿の高層ビルが描かれ、さらに「アルコール持ち込み禁止」とか「Z会」の看板、「十六茶」とか「金麦」とかの固有名詞まるわかりのペットボトルや缶などが出てきて、一気に興ざめするのだ。そこに上乗せされていく、ありえないくらいベタな登場人物設定(ありえないから!雨の日の公園の東屋で美女と二人きりになって会話が生まれるなんて、自己愛性の妄想の中にしかありえないから苦笑!)。反吐が出そうになった。だが、新海作品のラノベ的な甘っちょろさや、自分酔いの安い物語性についてのディスリスペクト言辞は、ここまでに留める。問題にしたいのは、そういう次元の話ではないからだ。
問題は、この「魂が宿ったかの様に生き生きと」というところについて、どうも新海某は勘違いしているのではないか、ということなのだ。誰もが知っている、現実にいかにもあるような固有の風景を細かに描写することによって、ストーリーにリアリティを呼び込むことができると考えたのだとしたら、それは先に述べたアニメーションという表現の原義に反するふるまいだろう。例えば、宮崎駿がものすごくいいとも思わないけれども、少なくとも、彼の一連のジブリ作品には、どこでもないどこかの草原を風が吹き抜けていく描写、あるいは目もくらむ様な谷底を電車が通っていく様、またあるいは空を飛びながら見下ろす浅い海の底に雲の影が写っている様、そのどこにも奇妙に焦点が合っていてくっきり手に触れられるように見える様、または穏やかな日常の続きに魔的な状況が突然たちあらわれてハラハラしたり、夢のような辻褄の合わない展開になぜだかどうしてだか安堵したりという心の動き、さらには大空高く上昇し飛翔する重力や浮力の動きそのもの、そこから落下する身体感覚、、といった、ありえないような事物や風景が、まさに「魂が宿ったかの様に生き生きと」動きまわるのだ。あるいはほかには、実験的なパペットアニメの、ローファイといっていいような仕組みの面白さも、同様に、動くはずのないものがまるで「魂が宿ったかの様に生き生きと」そのキャラクターを演じ、そこにアニマが宿るところにこそ、面白さがあるのだと思う。このような、「魂が宿ったかの様に生き生きと」ということ、それそのものが物語を紡いでいく様は、想像力の産物たるアニメーションだからこそなしうる表現なのだと思う。つまり、新海某のように、モデルになった場所を明らかにして設定に親近感を持たせようとすること(そこから、かの「聖地巡礼」というものが生じてくる)と、どこでもない、どこにもない、ありえない事物や風景にリアリティが宿るのとは、まったく別のことなのだ。
このことが、なぜ自分の中で重要であったのか。 それは例えば、フィールドレコーディングをどう扱うかということをめぐって虹釜太郎氏が述べる「セピア問題」ということに通じる。平板なピアノ曲の背景に、校庭で子供が遊んでいる音風景を重ねるとか、妙にキラキラしたエフェクトをまぶして多幸感と高揚感を演出するとか、演奏の背後に近所の夕暮れの気配が忍ばせてあり、そこはかとなく漂う郷愁とともに、何月何日どこそこで演奏したという遠い記憶の影を感じさせるとか。それは、音を、音の響きを、あるいはフィールドレコーディングを、音楽の額縁として使用し、都合の良い背景として音楽にセピア色の風合いを付け加えるだけの、まさに「ラノベ」的な安っぽさではないのか。そこに描かれるのは個人的な感傷の域を出るものではなく、ただの気障な演出にすぎない。音そのものに語らしめること、音そのものが「魂が宿ったかの様に生き生きと」語り出すこととは、まるで方向性の違うことなのだ。それ対して、たとえばAmephoneの、いつの時代なのかどこの街角なのかもわからぬ猥雑な音の織りかさねの様、あるいはmama!milkの『Quietude』の、いついずこかもしれぬ廃墟の響きそのものから演奏が引き出されていく様、さらにはMichel Donedaの、空間と相互に侵食し合いながら無限の奥行きに身を沈めていく様、そこには、「魂が宿ったかの様に生き生きと」音そのものが、音みずから語り出す様が立ち現れてくる。
アニメーションの原義がそうであるように、音そのものが「魂が宿ったかの様に生き生きと」語りだすためには、「音そのものをして語らしめる」という厳しさが必要なのだろうし、それは物語を運ぶ「メディア」やプロット組み立ての「素材」として音を扱わない、という厳しい態度の問題でもある。ありえない事物や風景にリアリティが宿るということ、それは、なにもアニメーションだけの話ではなく、音に関する話でもそうなのだと思う。
2017/3/11(sat)library 「物語自身のスピードで」 - kentaro ebiko presents 楽しみだなー
2017年03月04日(土) |
年間ベストに渋谷毅市野元彦外山明 childhood を挙げる、と |
夢遊病者になっているようなのか、お抱え車夫に転職して3年目、
皇居前の丸の内、東京節の歌詞にある馬場先門から東京タワー、品川駅を南限に、中央区銀座、茅場町、八丁堀、月島、が、手のひらの台所洗い場のように、わたしの住居になっている、
上野浅草を上限に、というのは、昼休みごとにリュウちゃんに会いに行けるのだし、芸大は次男次女が住むようなものだし、
ぐるぐる、ぐるぐる、みなと図書館、品川図書館、日本橋図書館、小石川図書館、四谷図書館、千代田区図書館、目黒区八雲中央図書館、
月島でみつけた飲み屋さんの料理のパック売り、お刺身も塩辛も旨くて安価、
木曜日は、マグロの目玉の煮つけ、片目が丼一杯に200円、こげなマニアにうまいのか、 金曜日は、あんこうの肝が丼一杯に400円、これだけで満腹になってしまう、
年間ベストに渋谷毅市野元彦外山明 childhood を挙げる、と、ボーナスCDRというものがあるという!、すわ、ドキンちゃんにすかさずアポとって、お水取りばなしをする、
「ひだりへカーブを曲がると、ひかる海が見えてくる、ぼくは思う、この瞬間は続くと、いつまでも」
今日はJKきよりんと、リュウタソとリュウタソママとリュウタソババと、月島で爆買いしたお刺身パーティー、東京タワーの夜景がきれいだね、スカイツリー足元のパスタ屋で焼きたてピッツア、マルゲリータ、
2017年03月02日(木) |
「グザヴィエ・ドランの新作は、家族の言語的歪みが<クソ社会>を生成する事実を発見した」 |
ざっとジャズくくりで見ても、フレッド・ハーシュやクレイグ・テイボーンや渋谷毅が最前線で弾いている2017年にピアノ・ソロ作品を制作しなければならないピアニストたちに深い同情を示しておかなければ気がすまない。ハマシアン、お前さんのことだ、ECMからノンサッチに逃れて、これか?
年間ベストを書く意味は、思い出すため、思い出してもらうため、 この盤とこの盤を挙げるこの耳の保証をもって残りの盤も同等の注目を与えてほしいというセコく、かつ、切ない、思い、 宇宙のなかでオレの耳はこの一瞬存在したのだという記念碑、
小鹿の湯に21:45に着くと、おばさんが「もうお終い、あと10分でしめるの」、あちゃー、
セイコーマートで栃木のイチゴサイダーとコーヒーで一服、なにしに来たのだ、われ、
マイナス1度がうれしい、右手を外に広げて時速90キロで片手運転、冷たくて痛い、
テリエリピダルのオケものライブ盤ECM2006を、スペイシーに響かせて、都会では見ることのできない、まぶしいくらいの満天の星を見上げる、
宮台真司ブログ 「グザヴィエ・ドランの新作は、家族の言語的歪みが<クソ社会>を生成する事実を発見した」 ■
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