Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年06月29日(金) 2点目を入れたバロテリ

6月10日のグループC初戦スペインイタリア戦に、こげなサッカーに日本は勝てないだろ!と水準の高さに驚いてたけど、このカードが決勝となったユーロ2012なのね。

昨夜のドイツイタリア戦はシビれたなー。2点目を入れたバロテリ、シャツ脱いで仁王立ち!イタリア選手としてだけでなく、肌の黒い民族を歴史を越えて代表して肉体を誇示する一瞬に思えた。シャツを脱いでイエローカードをもらっていたけど、誰も何も言えなかったと思う。

今週は10年選手の同僚二名が現場から去って行った。単純に言えば敗北していったのだ。わずかな夏の一時金も出ない、まだ今年度の車輌重量税を払えてないし、秋には車検が控えているし、まったく。来週長男と運転教習かねた静岡ドライブしたあとは動かず騒がず図書館の本だけ読んで過ごそう。

アシュラテンプルのセカンドと武満徹映画音楽ボックスがこのところのヘビロテCD。平日午後の床屋でかかっているTBSラジオが、20年前とか40年前とかの平和な商店街のひとときとつながっているような気がして、今夜はジンギスカンだねーとわくわくしていた気持ちを連れてくる。

わあ!地井武男さん逝去…びっくり。
人生ちい散歩だ。
人生ダンスホールラテン菊地成孔もいいフレーズだ。


2012年06月25日(月) かなしみについて

栗山文昭の芸術3
かなしみについて
三善晃作品集

06年に購入したCDをかけて夜を過ごします

合宿のCDを聴くときはいつも、もっとよく鳴る再生環境にしなきゃ
でもコンサートホールで聴きたいなあ
と思う。


2012年06月24日(日) 菊地雅章TPTトリオ@ブルーノート東京ファーストステージ

若き新皇帝トーマス・モーガンはやはりそのとおりであった。どんなシチュエイションにあっても、音を読み、共演者に解放されたスペースを提供する、いやそういう言い方は適切ではないかもしれない、リアルタイムにワンタッチで見事なシュートチャンスを作るミッドフィルダーでありながら同時に裏をかいてくぐり抜ける彼のラインを描いてもいる。彼の聴力と身体能力は21世紀のジャズをリレーしてゆくことだろう。トッド・ニューフェルドのギターは、集中と痙攣と連鎖の特質で、ラインを形成するよりは一瞬に賭けている。コードワークに遊んだり早弾き見せもしない。主にプーのピアノに触発を与えている。

ブルーノート東京に菊地雅章TPTトリオを聴いた。プーさんに会うのは12年ぶりだ。おお、書き手の多田か!太ったな、生きて会えて良かった、日本の何処にいても祈ってましたよ。握手の手を忘れない。開演、一音目の不思議な響きを憶えておく。おれには All The Things You Are が聴こえるよ。

12曲目はビアノ、3曲目はベース、4曲目はギターから始まる即興ジャズ。居合い抜きの連続、持続、能の集中した状態の微動する光速。破綻や緩みなど無く。言葉はもどかしいものだ。宇宙の一瞬に漂う、消失しそうな自我。忘我。

90分のステージはおれには25分程度に思えたが、ややアップな仕上げに走り出したラストチューンが始まるときにはマラソンランナーのように汗だくになっている自分がいた。まさに精神力勝負なこのステージ、プーさんたちはタフだよなあ。とてもセカンドステージを聴くたぐいの音楽ではないだろ。60分集中聴取でさえ、ついて来れてるやつはいるんかよ。

しかしなあ、こんなのセカンドステージまであるブルーノート東京というのは無理だろ。酒飲んで料理食って聴くもんではないだろ。日本で最高のステージに、という気持ちも痛いほどわかる。

他の週のプログラム予告が流れる休憩時間。シュールに身体が冷えて硬くなってゆくのがわかる。だめだ、セカンドステージまで持たない。


2012年06月21日(木) 橋本学ソロ・パフォーマンス

昨夜は外苑前のジマジンというライブハウスに、
橋本学ソロ・パフォーマンスを観てきた。
橋爪亮督グループをあれだけ沸点上げしていたのはベース織原良次とタイコ橋本学だよな!

オープニングでiPhoneから音源つなげて?用意したトラックをかけながら、エレキベースに度肝を抜いたり、17さいのダンスパフォーマーわたるさんの日本1位世界2位の動きに圧倒されたり。

橋本学のグルーブ感覚に瞬時にこちらの血圧計がグンと上がる感じは、薬物反応とか、プライマルスクリームのエクスターミネイターあたりに感じた加速とかを、を思い出させた、そういう表記は不適切にしても、やっぱりレベルが違う。ちょっとこれは追いかけなければならない。

あ。ここ数日PCモニターがいよいよお釈迦のよう。タガララジオを書けないではないか。プーさんTPT来日ブルーノート完全レビューも控えているのに。まあ、これからはiPhoneだけでゆくかの。

平凡社刊白川静読本を読み始めたら、手書きでノートに書いて作文するのもいいかなと思いはじめる。北島耳鼻咽喉科の帰りに薬局で禁煙治療を練馬区助成でやっているのを目にし、始める。ロングピースは美味いのでやめたかないが、ニコ中のいらいらは要らん。

この日記に画像アップてけへんのはつらいなー。

日々生まれ変わっているのだから、まあ、よしとしよう。


2012年06月20日(水) ジャズの「発火点であるというアイデンティティ」の不在に退屈だと告発しているんだぜ、あれは




きよちゃんが朝5時に京都奈良への修学旅行へ出発のメイル。台風一過。日本晴れ。さあ、今日は橋本学ソロライブを観にゆくぞ!あれ?どこにリンクはればいいのだろ。昨夜は岡村靖幸「ミーイミ」出してファンクな性急をBGMに台風の中暴走ドライブしてしまいました。

倍音浴開祖磯田のおじさんが63年6月にまだ新人のザヴィヌルとラティーフが在籍するキャノボールアダレイ六重奏団の公演に行ったという投稿にうらやましいと思いつつ、キャノンボールのCD持ってないや、ラティーフの『イースタンサウンズ』ヴァンゲルダー録音、これを聴きはじめました。イントロがジャレットの70年代カルテットの世界だったり(おれだけが騒いでいるんだが)。

63年6月というと、おれまだ1さい11ヶ月だ。

久しぶりに札幌の親父に連絡する。「おふくろの骨を墓に入れるのは8月のあたまかなー」「原発再稼働と消費税増税やってから総選挙なんて順番が逆だべや」「おれ来月51だぜ」「かかか、こないだまでそのへんにころがっていたのにな」「そうだな宮下の借家の二階でパパとママの間にころがっていたのは」

ラティーフの『イースタンサウンズ』を聴きながら、宇宙の時間について考える。ピアニストが誰かとか知らんよ。気にしない。

ジャズに対してのこだわり?ふざけたこと言ってんなあ、こだわっているわけじゃないだろ、ジャズの「発火点であるというアイデンティティ」の不在に退屈だと告発しているんだぜ、あれは。




2012年06月19日(火) DVD『秒速5センチメートル』




ツタヤでDVD借りてきて『秒速5センチメートル』を観た。

恵一にいさんのタガララジオ評で触れられていたアニメ作品。

おれ山崎まさよし聴かないんだよなーなんて思っていたが、タイトルをぐぐったら、“アニメ版『時をかける少女』を気に入った人なら、まず間違いなく満足する映画だ”とあり。あ、おれだー。

『秒速5センチメートル』、そのデテイルのカットの音!、何気ない日常の音(列挙しないよん)がこれでもかというくらいに記憶にリアリティを与えてゆく。DVD始まってすぐにすでに泣くおれ、わはは!

現実はこんなに鮮やかではない。いや、心象は鮮やかさを積み増してゆく。日常はこんなに鮮やかではない。何気なく、いつも退屈だぜと言わんばかりに過ごす毎日を、取り返しのつかない鮮やかさに満ち溢れていることを、ほんとは気付いているのに気付かないふりをして、過ごしてゆく。

上記サイトでは「山崎まさよしの主題歌の歌詞を笑えない人に」「かつて愛した女性をいまでも忘れられないすべての男性にオススメ」などと書かれている。女性が書いている。ナメとるんか!こおゆうおなごはキライじゃ、わし。要領のいいのはキライじゃ。どんどんデテイルを取り去って。

たーっ、山崎まさよし「One More Time, One More Chance」、もちろん知ってるけど、いい曲だよなー、女々しくて大キライだ、おれの女々しさは世界ランキング入り確実なんだぜ。

でも、いま聴いてるのはジェレミー・サイマーマンとギレルモ・クラインだもん。

今夜はこれから台風4号なのかー。長男の運転教習はパスだなー。


2012年06月18日(月) みずほさんの2011年間ベスト




多層なレイヤー状態の空模様は音楽のように美しいのね。

中3のきよちゃんから「おとん、ジャズって、いいね(絵文字)」とメール。
すわ。清水俊彦の本でも読んだのだろうか、ありえない話ではない。
おれは7枚目のスピリチュアルユニティを買わなければならない。

「坂道のアポロン」OSTを試聴機で聴いたらまじやばい、菅野よう子って知ってる?

は?

みずほさんの2011年ベストが発表されている。

どれも知らない・・・月光茶房へ行けばかかってたりするだろうか。


2012年06月17日(日) 進学相談




タガララジオ28の表紙。こんなふうにも音楽は聴こえている。

ラストナンバーはナラ・レオンで入稿する。書きたい盤はまだ10枚以上残っている。

20代の頃に予備校に勤めていて10数年間に2000件以上の高校受験と大学受験の進学相談をしていたのだけど、占い師もそうだと思うけれど、相手の気配というか言葉のニュアンスとかだったり場合によっては席に着く前にその表情いでたちムーブメントから「ああ、この母親は夫の家系が東大卒か医者が多いもので、姑からはアンタのバカな血で孫は成績が良くないとイジめられていて、もはや夫の心はおめかけさんのところに行っていて、かなり追い詰められているな」と成績表や生徒を見るまえにわかったりした。

ラクな仕事だろ。


批評はつねに何かの兆候である。昨日のような今日であってはならない。タガララジオの次なるステージを構想しなければならないようだ。・・・なんてカッコつけてみる。

音は、生き物のよう、かなあ。
音は、わたしというホールの壁全体の構造を反響して響いてもいる。
うーん、まだようわからん。


2012年06月16日(土) 童顔街道




幼稚園から変わってないな。


2012年06月12日(火) 「Jazz / Improv」




東京駅八重洲口がわ。

品川区立品川図書館、港区立港南図書館をまわって、マンガ読んで、CD3枚聴いて、うたた寝する。夕方から文京区小石川図書館に行って、浅草でかなみん24とけいまん22とデニーズして、蛇骨湯は定休日でかなみん24は就寝のためリタイア、けいまん22と墨田区の荒井湯に入りかなみん24はほっそりとしてキレイになってきたなと湯舟で語り、深夜1時まで亀戸、上野、本郷、芸大、北千住、新井薬師、町屋と運転教習してきた。

「Jazz / Improv」

フランスではまったく構造のない即興をやるミュージシャンは少なくなかった、と大里俊晴は『現代フランスを知るための36章』で書いている。フランス・シーンの柔軟かつ複雑な構築性と狂気すれすれのユーモアを指しているんだけど。

70年代ブリティッシュハードロックを子守唄に育ったわたしたちは、ブリティッシュとアメリカンの違いをそこそこの精度で聴き当てていたから、インプロもフリージャズも、国別やサーキット別の大きな枠組みは、それぞれにあると感じてきた。

菊地雅章は、おれはフリーをやってるんじゃねー、自分のランゲージを弾いているんだ、と、当然言う。

フリーと言うけれど。演奏のクリシェはすぐにスタイルとなるし、自由なんだか気まぐれなんだかというものも、緩んだ構造のひとつの形態にしか思えない。ノンイディオマティック・インプロヴィゼーションと言うけれど。あなたはノンイディオマティックと演奏しているのはわかるし、わたしはあなた以外の何者でもないことを感知する。あなたは構造であるから、わたしは感知できる。イディオマティックもノンイディオマティックもねえだろ。

あなたの色彩を、わたしは感知できる。

ジャズとインプロはチガウとわたしは言う。演奏を聴いて、ジャズのひと、インプロのひとと言う。レコード販売店が仕分けているわけでも、演奏家が名乗っているわけでもない。くっきりとした境界線はないから、どっちとも言えない演奏家もいる。ロックのひとというのもある。フォークのひとというのもある。このそれぞれのジャンルの構造系は、国別やサーキット別の枠組みでも区分けられていて、時代のスタイルでもインデックス可能、そこそこ意思疎通に通用してきたので便利であるが。

事態の新しさを理解するにはまったく役にたたないんだなこれが。


2012年06月11日(月) 王子ホール(銀座)でクァトロ・ピアチェーリSQ




銀座ひさびさ。

王子製紙本社ビル内部にある王子ホール(銀座)でクァトロ・ピアチェーリSQを聴く。

08年に聴いてスゴイと思っていたら10年に文化庁芸術祭大賞を受賞していた。一貫したプログラムの姿勢も素晴らしいです。

寝る前の食事だけ糖質制限してたら2月84キロが6月78キロになった。
昨日と今日は3食とも炭水化物摂ってジュースとマウントレイニア飲んでたら79キロにリバウンドした。

伶楽舎とジェイムスファームのCDが港区港南図書館に確保されたと通知。

図書館には現代ジャズやフィールドレコーディングやポストインダストリアルのCDは無い。仕方なく聴くツェッペリンやジョンレノンやマイルスデイヴィスやリーコニッツにそれはそれで泣けてくるのでいいといえばいいのであるが。


2012年06月10日(日) あなたに影響を与えた10CD



11日はクァトロ・ピアチェーリ四重奏団を銀座の王子ホールへ。
満員札止めなのでドタキャン禁止のお達し。
このSQは演奏もプログラムもすごくいいので、最近何か賞をとってるのかな、リスナーがたくさんいるのはいい感じです。

フレッド・ハーシュにきいた「あなたに影響を与えた10CD」の返信がきた。
むかし企画したミュージシャンファイルと同じやつだ。
ちょっと、これmusicircusで新企画しようかなー。
ジル・オーブリー、マンフレート・アイヒャー、スティーブ・ティベッツ、サラ・セルパ、橋本学、田村夏樹、・・・
おおお知りたいぞ、いい感じじゃないかー


2012年06月09日(土) Aaron Goldberg, Omer Avital, Ali Jackson Jr.




Face Book 「いいね!」

「Aaron Goldberg, Omer Avital, Ali Jackson Jr. Yes Trio was fantastic!
満員のコットンクラブ、メチャメチャ盛り上がり!最終公演が終わりました。4日間、毎日まったく違う演奏を見せてくれたのも、いかにもジャズで、さすがでした!ファンとしても、仕事としても、追いかけてきてよかったと実感。Thank you so much!」


2012年06月08日(金) RE: 批評のチカラ



「研究室旅行楽しかったー。バラの似合う男になりたい。」

写真右=長男22のFaceBookにコメントした
「おまえ、童顔だな」
「この写真だとな!実物は老け顔だすよ。」
「いやいやいや、運転するおまえはタクシードライバーのロバートデニーロみたいにカッコよかったぞ」
「なんじゃそら笑 ありがとう、今後も童顔街道爆進するぜ!」
「追い越し禁止」
「うわぁ、この親父今絶対うまいこと言ったと思ってるよー……」
「父の偉大さがまだ分からないようだな!
「多田って呼ばれてるwwww」

ばかたれ、多田と批評に挙がっているのがオフィシャルなテキストの作法なんだべ。美学やっててそげなこともわからんか。おまいらおれには幼稚園児にしか見えんぞ。きゃりーぱみゅぱみゅになりきって開放されるう!とほざくおやじ50に言われたくないわな。

「批評のチカラ」、ううう、有難いことです。わたしにとって批評とは雑誌や単行本や新聞で読むものであり、わたしが書くことは友人に押し付ける編集CDRに思い余ってライーナノーツと称して書く作文の延長でしかない。福島恵一が書けば、益子博之、マーク・ラパポート、悠雅彦が、片山杜秀が、佐藤英輔が、松山晋也が、湯浅学が・・・書けば、立ち止まるという信頼度のものではない。改めて「批評のチカラ」だと言われるのは、「おれの書いてることは批評じゃなくて作文だ!」と堂々としている自分にとっては驚きであり、何か宝くじに当たったような気分にさせられる。

それにしてもタガララジオって書いてると楽しいぞー、書いててそんなこと書くんかい?と自分で面白い。

おお、福島さん、プーさんトリオの『サンライズ』レビューを更新されている。そうだよなー、テイボーンパーカークリーヴァー盤と同じ強度がある、言えてるー!プーさんは怒るんだ、テイボーンと一緒にするなとおれにクレーム入れてきてたから先週。「同じ景色を見詰めること」「黙って行き違う者たち」、星座を描くかもしれないという直感。いや、明滅する星座を描いているという言い方は、わたしの聴取にじつに近いイメージだと感得した。


2012年06月06日(水) 重要記事「勢いあまって踏み外す−多田雅範の耳の旅路がとらえた風景」



練馬区立田柄第二小学校午後17時03分。

福島恵一さんがブログ「耳の枠はずし」で、
な、なんと、このタガララジオ27
=多田雅範をレビューするという暴挙に打って出た。

「勢いあまって踏み外す−多田雅範の耳の旅路がとらえた風景−Stepping Out by TOO Much Full Force−Soundscapes from Masanori TADA's Listening Travelogue−」


こないだの橋爪亮督グループCDレビューでの図式を説明しよう。
MF益子博之の渾身のフリーキックがコンポスト8人の防御に対してボールがセンターでこともあろうに観客席のおねえちゃんに見惚れて試合放棄しているFW多田の後頭部に当たり相手方のMF林の前に落ちFW多田はMF林の前でさらに転倒しMF林の蹴ったボールがなんとFW多田の顔面を直撃までしてのこぼれ球、MF福島が取りそこから相手方8人抜きでGOOOOOL!である。

それをもってFW多田が名アシストをしたという。月光茶房店主原田正夫監督はシンクロニシティ!とまで記述した

「タガララジオは耳のパリ・ダカール・ラリーである」夜中のパソコンに向かって大笑いしてしまった。Jazz Tokyoのわたしのコラム「タガララジオ」について、稲岡編集長や丘山副編集長は暖かい目で匙を投げてくださっているのだが、語られるのは初めての経験、「うれしはずかし朝帰り」(Dreams Come True)な高揚感でありまする。

しかし、タガララジオは批評なのであろうか。それはさておき、福島さんは「批評とは跳躍である」と書いている。「ひとは同じ音を聴きながらじつに異なった聴取をしている」ということも以前書いていた。そこからカフェの効用、公共とまで進む。タダマス4のレビュー「これが〈批評〉の出発点でなくて何だというのか」という厳しいフレーズがよぎる。「外部へと開き、他の視点との闘争にさらそうとする」「確固たる信念」があるのだろうか、触発のサッカーはしたい!ということは、あるということなのかな。サッカーとは跳躍の連鎖、触発の連鎖なのだった。

若い時分は、知らないということ、聴いたことがないということ、良さがわからないということ、それはチガウと言われることに対しての恐怖があったなー。しみじみ。今なんかどんだけ大振りな間違いをしてしまえるのか楽しいくらいだし。いや間違いなんてなくてそれは「気付く」歓びの大切な種子くらいになっている。

タガララジオの構想は、日課にしている編集CDR作りと生来の番号付け趣向と好きな曲を何度でもしつこく聴く(アルバム全体をなかなか聴けない性分)ジュークボックス指向を前進させ、シーンの新譜を買い漁れない経済的要因と専門的な記述と深掘りができない怠惰的要因を隠蔽するという、さらに好きな曲だけ書くという、それで、1番をジョーミークにして2番をアームジークに決定するまで構想6ヶ月、この2曲という初期設定がビックバンであり、あとはこれならラジオで聴いた曲、ジャズ喫茶で耳にした曲、図書館でジャケ借りした素性の知らぬ曲まで入れられる、そもそもゆめぴりか5kgと同額のCDなんてそうそう買えない境遇にもなっている、

思い起こせば夢中で音楽聴きはじめた中学生、FMファン、週刊FM、FMレコパルと格安カセットを大量に買い、番組表に聴きたい曲をラインマーカーで塗っていったら、番組表のほとんどをラインマーカーで塗るはめになり、塗る意味なくね?聴く時間をどうする、やたら学校さぼった、このカセットのこの曲いらない、4分22秒でちょうど無駄なく収まりそうなほかの曲を番組表から探さねばならない、タイトルとアーティストの名前の響きだけでアタリをつける、ロックと民謡とクラシックが入り乱れたカセット、メモったり切り取った曲目が風で飛んだり母親に捨てられたりそのうち曲目なんてどうでもよくなって、ガチャガチャとエアチェックしてるんだかテープの入れ替え作業の熟練を目指しているのか、

クロスオーバー・イレブンのテーマ曲、曲と曲の合間を狙いすまして録音ボタン、なかなか始まらなかったり、イントロを録音しそこねたり。ああ、懐かしいなあ。

・・・と、今日はここまで。

そうかー、おいらは疾走し、哀しみが漂うのかー、まるで小林秀雄が言った疾走する悲しみ、モーツアルトではないか!こんど子供たちに会ったら言おう、お父ちゃんはほんとはモーツアルトなんだよ。



地下にある石造りのスタジオのエピソードはタガララジオ12のtrack 075


ノルウェー大使館のバスターキートンはこちら「ECM偏愛ベスト11」記事


この記事についての福島さんのレビュー「ECM−出会いの交点」


2012年06月05日(火) 益子博之さんちに現代ジャズ90分セッション押しかけ




この写真は皇居横の国会議事堂前の交差点で信号待ちしてて議事堂に向かって。19時43分。

小石川図書館に予約しておいた本とCDの取り置き期限が今日まで。平日の19時以降は近くの路上駐車が無料なのかー。図書館は21時まで開館している。

タダマスの相棒、益子博之さんちに現代ジャズ90分セッション押しかけをしてきた。なんでこんなに面白いんだ?すごい演奏なんだ?笑うしかないねー!「おおお、今年の暫定1位トラックだー!」を3曲続けて雄叫ぶわたし、伸ばしたもみ上げを揺らして笑う益子さん、それ、尾崎紀世彦リスペクト?と突っ込むのわすれた。前菜はアナログでオーネット、デザートはアナログでコルトレーン&エイリントン、なのはたまたま。

なんていうのかな、やはりもう00年代以前のジャズのカッコよさを形成していたアンサンブルやビートや語り口じゃないんだな、わたしらの快楽センサーは。揺れるハーモニーのありよう、リズムの開放感、気配と言えばいいのかメイン楽器の背後に置かれたわずかな音、とか、今まで聴いたことのない歓びは溢れていて、それは当のミュージシャンたちの欲望のありようそのものだろうし、それを、どう説明したらいいのか、ええと、ええと、と、二人で言葉を捜して、発しては「とも、ちょっとチガウし」、あせりながら虫取り網を持って駆けまわっているみたいだ。

益子はいつか表参道の交差点あたりで「(これらの音楽をあらわす)新しい言葉が必要かもしれない」と言っていた。その後、例のアルゼンチンの音楽サイトが「New Creative Music」と称していたのだった。

野田宣雄著『二十世紀をどう見るか』(文春新書007)に描かれた、国家ではないつながり。華僑とか多国籍企業とか民族とか宗教とかでつながるちからの存在、それは近代がウイルソン大統領の民族自決主義がこしらえた国家を横断していて国家を無効にするちからの様態を想起する。

演奏を聴いていると、その音楽が何を視ているのかはわかる。何を面白がって、何に触発されて、何に快楽を覚えて、成り立っているのかはわかる。いや、わかるような気がする。「そうそう!それ!いいよねえっ!」と、誰かと一緒にいて共感するときに、わずかに異なる相手の感じ方の違いが伝播する体験も含み、の、ちょっと言葉が介在しない領域での伝播というのかな、まあ、だいたいそんなんばっかなんだが実際、・・・言葉はむつかしいよ。

あ!福島恵一さんが!わたしのタガララジオをレビューされているっ!


2012年06月04日(月) サーティワンアイスを買って




日曜日の晴天の朝、寝入りばなに遠くで花火が聞こえた。ぱん、ぱぱん!
それだけで浮かれた。光が丘図書館に向かう田柄通りは、光が丘公園の運動会かパレードに向かう人々の群れでごったがえしているように感じた。人生はこの一日の降りそそぐ陽光を浴びるためにあるのではないか。
きゃりーぱみゅぱみゅの音楽がひときわ輝いて聴こえた。
意味なく、サーティワンアイスを買って!行き場がなくて部屋に戻って食べて夜勤に備えて眠った。


今日はクレイジーなクレーマーとバトル勤務をしたあと、浅草に行って長男と東浅草デニーズで就職祝いをした。出された水で乾杯をした。わはは。ペーパードライバーになってしまうと不安を言うので、浅草、東京スカイツリー、亀戸アトレ、御茶ノ水、秋葉原、湯島天満宮、東大正門、上野公園を教習した。深夜の京葉道路(靖国通り)はタクシーが暴走するのでおれが運転した。ちょっとした助言でどんどん身体感覚が良くなった。


2012年06月03日(日) 「どこまでも伸びる線と閉じていく世界−ジャクソン・ポロックとオーネット・コールマン」




ごおおお。
福島恵一さんのブログ「耳の枠はずし」に新しい評論が掲載された(二回に分かれている)

「どこまでも伸びる線と閉じていく世界−ジャクソン・ポロックとオーネット・コールマン」


すかさずわたしはFaceBookに紹介しまして、原田正夫さんが「プリントして読まねば」と、わたしも同じです。

わたしの好きなオーネットベスト3トラックは。
『Who’s Crazy』の1曲目「January」とち狂ったヴァイオリンを刻むあの世のビート音、
『Virgin Beauty』の「Bourgeois Boogie」背徳のビートにプリンスmeetsオーネットを夢想する、
『Dancing In Your Head』。
だから何だという・・・あはは。小学生ん時の加藤茶ショックがベース。そんななのかよ!

あ!オーネットの『パリ・コンサート』トリオ・レコードで出ていた2枚組、あれはいい!CD化されてるかなー。ヘイデンとのデュオ『ソープ・サッズ』も実にいい。どこがどういいのか、聴かないと書けない、なんせ20年以上前の愛聴記憶だけなのもので・・・。

いやはや、オーネットを聴く着眼点が更新される評論だ。

この二本の評論に挙げられた作品を、おれは全部聴いているぞ、と、自慢するしか能がない。

デレク・ベイリーに初めて感覚的に快楽に結びついたのは、図形的な美しさを感じたことからだった。福島さんが掲げたベイリーの連想図像はとても近い。マット・マネリの図形と色彩は美しいものだ。ガールフレンドと「宇宙のひかりだー」とはしゃいだこともあった。CDをやたら買い漁る日々に「どうして?」と詰問されて「聴こえてくるものが視えるんだお、明滅するひかりのような図形だよ」と廃人のような応答をして叱られたこともある。

4ビートにも、コール&レスポンスにも、パワフルにも、スイングにも、変奏のありようにも回収されない・・・、「理解」すると感動は壊れるのだ。

音楽はヴィジュアルである、とか、視覚にかかわるテーゼをECMも言い出してきたのだっけ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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