Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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野田佳彦新代表、なんかおれ、好きだなー。 党代表選挙の演説がたまんねー。 ひとりひとりを大切にする政治。
BSアーカイブスで小田実の番組がありました。キーワード、「難死」「小さな人間」 解説で高橋源一郎が、311のあともし小田実だったら何をした発言しただろうと、われわれには想像する義務がある、と、 さらりと語ったエンディングフレーズ、「義務がある」という言葉にぐっときた。
小田実のべ平連は、ひとりひとり違うことを考えている個人であることが大前提だったという。そうだよな。 イズムで束なった人々のかたまり、ではなかった。
野田と小田を並べるわけにはゆかないのはさすがにおれだってわかっておりまんがな。
たまたま、今日のおれは野田と小田の話しかたをどっちも真似して気持ちよくなりたいのだろう。 映画館から出て高倉健のまねをする、とか、コンサートに行って川端民生のまねをする、とか、
原田芳雄の娘が「よしおは、・・・嬉しかったんだと思います」とか 父を思い出すとき、は、家に帰ったときにふと「いないんだな、と」とか 話す、その震えるくちびる。
24日から28日まで5連続夜勤を休む。
「ギョッとする江戸の絵画」(羽鳥書店)をながめて解説をたのしむ。 村上隆と筆者・辻惟雄のやりとりにもなごむ。 スーパーフラットって視線の流れから展開されるものなのか? 写真集中平卓馬「Document」にあぜんとしてしまうのもスーパーフラットなのか?
あぜんとする、ギョッとする、つかみはオッケー
伯方の塩で塩浴というのをしてみる。 洗い流したつもりでもうでにうっすらと塩が吹いていたりして。 きゅっきゅっとアキレス腱や首のすじが伸び伸びして快調になる。
焼肉のたれの旨みがあとをひいてピクピクと後頭部がよろこんでいる。 まじうめー。 たまねぎ1玉ただフライパンで炒めてたれでまぶして冷蔵庫で冷やしてたべる。 しやわせー。
2011年08月23日(火) |
飢餓状態になった時に、身体を修復する、長生きの為の遺伝子にスイッチが入ることがハッキリと分かったんです |
「飢餓状態になった時に、身体を修復する、長生きの為の遺伝子にスイッチが入ることがハッキリと分かったんです」 http://www.pinpoint.ne.jp/ishokujyuui/2011/07/27/post_2.php このテキストがすごい! 「現実に、何も飲まず何も食べず、痩せもせずに家族と一緒に普通に生活している人が、世界には何人もいます。おそらく、空気中からエネルギーをどんどん吸収しているはずです。」 うそつけっ!!!・・・ほ、ほんとデスかっ!!!
こないだ音楽雑誌で灰野敬二が食べ物を半分にすればすべて解決するなんてフツー誰も言わない波紋の中心にマイルストーンのような発言かなとは思っていたものでしたが
クリスタルボウルの響きに身をまかせる倍音浴を4月と7月に体験して
おれにとって5千円は大きいが脳みそのマッサージを受けた治癒行為くらいに考えればやっぱ得がたいものだ、7月のヨガ+倍音浴は会場が響きを反響させるこの上ない環境であったことも手伝って、かなり精神が高揚する日々が続いた。高揚するといっても揺るぎないポテンシャルを保っている気分であり、じつに精神的にもおそらく肉体的にもいい状態が到来していたのだろうと思う。音楽リスナー活動はちょっとお休みでしたが。
なんか気になるぜ。仕事を調整作業中。 8月27日(土) http://www.pinpoint.ne.jp/event/2011/07/25/post_10.php
ガンに効果があるとして、野菜果物をジューサーでしぼって飲む、活きた酵素・栄養素こそが効果がある、市販ジュース高音殺菌防腐剤はダメ、というのがあるけど、それともつながっているだろう?
イエスの『危機』
15の夜。 ステレオのボリュームを上げて風呂上りに聴いていたぜ。 ベッドの上で大の字になって目を閉じてよ。
アドリブもパイプオルガンもベースラインもフィールドレコーディングもギターのつまびきも ロマンチックも希望もSFも理想主義も
おれの耳の原点はこれだな。
はずかしくもなんともないもん
2011年08月21日(日) |
Coccoが「強く儚い者たち」 |
6にんそろって浅草仲見世通りにある日向丸で回転寿司 奥からぐるっと6席が前回と同じ指定席みたいなもので おれ長男次男次女長女おかあちゃんという席順 てきとーに最初に3皿たのんだあわびおおとろたい3点の皿が1290えん なのを知らなかったぜ!!! 余裕で輸入盤が買えるじゃんか
そういうことを言ってはいけない
若い板前さんからつぎつぎといじられるきよちゃんの人気ぶり
きよちゃんとこの仔猫かわいかった
ミュージックステーションでCoccoが「強く儚い者たち」を歌ったのを観る 突出したこの楽曲の喚起力だ 死者となって海をトビウオをくぐって辿り着いてもかつての恋人は
ケティル・ビョルンスタの「海」とこの曲が鳴り続けているだけなのだろう
有線を強制的に聴取させられているだけの日々 このところハマアユなりミスチルなり震災以前の古めのJ−POPがかかる。
ミスチルの「youthful days」や「HANABI」がかかる。 おれは95年から07年まではヘヴィリスナーだったので おのれの感覚の変化にとまどう。かつてのように聴けない実感にとまどう。
懐かしいヒット曲を聴くと記憶が再生されて ときにその当時の自分の心理状態が再現されてしまって うっとりしたり心が痛んだりチクチクしたり思考までズレたりしそうになるが。
今夜のミスチルは無残なほどに聴けない。
911のあとに音楽がリアルに聴こえるようになったのは 宇多田ヒカルの「トラベリング」だったり 池田小事件のあとは林栄一トリオ+三上寛ライブだったり した 後者の告白はまさに犯人の思う壷であり禁じられるべきかもしれない
まだ音楽は聴こえない
次男がおれの絵よくなってきたぜ寿司くわせろおとうちゃんという おまえにおざけんライフこないだ渡してたっけ? うん聴いてるよおれの友だちは古いって言っていたけど おお今どきの19さいにとっては古いかー おれはがんがん聴いてるけどね あらためて歌詞の深さと言われてみればのモータウン感がいいんだな
ゆうべNHKでやってた「日本怪談物語」
マーク・ターナー http://www.npr.org/2011/06/22/137208196/mark-turner-quartet-live-at-the-village-vanguard
The kids these days: They want to sound like Mark Turner. Well, at least the saxophone students do, and sure, certainly not all of them. But he's still probably the most influential tenor man of his generation. Why is that?
Perhaps you haven't heard of Turner, if you don't follow modern jazz closely. He hasn't put out any records as a clear leader for about 10 years now; he has no website. But he has an innovative sonic signature, a certain floating chromaticism, rhythmic mindfulness and lightness of tone, filled with subtleties. Basically, his music has personality, which keeps the best musicians ringing his phone, and the aspiring ones listening hard.
2011年08月14日(日) |
走行2046.7キロ |
ニセコロッシ、ニセコを走る。
9日ぶりにアパートに戻ったらベランダから台所を横断してアリの行列が貫通していた。
東北自動車道、津軽海峡フェリー、函館の夜景、湯の川温泉、函館朝市、大沼国定公園、小樽、蘭島海水浴場、大通公園、定山渓温泉、羊蹄山、ニセコ、真狩村・細川たかし。北海道観光は中国や台湾の方々でもっているところがあって、今年は原発の影響もあってかどこもガラガラでしたな。でも、お金持ち中国の方々が北海道の土地をがんがん買いまくっているらしい。
走行2046.7キロ。
クーラー故障グランディス、22万キロ走行、買取査定ゼロ円の老兵であるが、まだまだ走るのがえらい。
連日の炎天下の日中に水を浴びながら濡れた手拭いをアタマからたらして独走するおれもえらい。
東北自動車道では被災地の様子をうかがい知ることはなく放射能の影響も感じられない。しかし那須塩原で足を蚊に3箇所刺されたんだが異様に痛く腫れている。おまけにこの倦怠感。いや、ただの疲労だ。きっと疲労だ。
おれは酒まったく呑めない、カラオケまったく興味ない、というのはほんとうに親戚づきあいができない面白味のないオッサンに過ぎないのだ。
ニセコロッシというのは。妹のひとりむすめが一緒にニセコのロッジに泊まりに行ってあそんだ記憶によっておれのことを「ニセコロッジは今度いつくるの?」と母親に問いかけていたことから。妹からのケータイメールにあったニセコロッジという表示を、おれはニセコロッシと読み。小さな子どもにおれは名付けられたことがうれしく、ニセコロッシ?ロッシはブラッド・メルドーが世に出てくるときに叩いていたドラマー、ホルヘ・ロッシー Jorge Rossy だよな、つづりは。
2011年08月07日(日) |
オマージュとして猫の写真 |
Face Bookで伏谷佳代さんがおいらのオマージュとして猫の写真を投稿してくれた。 ふふふ、たしかに、顔まで似てる。腰まわりの太りかたなぞ、これはおれだ。
伏谷さんのジャンニ・ジェッビア新譜レビュー■ をきっかけに吉祥寺ズミでオフしたのは1ヶ月前になるのかなあ。
独鋼鉄鍵アキム・カウフマン■ も聴かせてもらってすごいピアニストであった。
タガララジオ23に書こうと思っていたのだが、夏は暑いし、北海道往復旅行でもってずっとだれけているまんまだ。 5日のしめきりに途中まで書いたまま放置。いま見たら、おもろいやんけ、せっかくだから続きを書こう。
2011年08月01日(月) |
Xiu Xiu(シュシュ)にチェズ・スミス Ches Smith |
お、ドル円が76円57銭になてるじ 米アマゾンでCDかうかに
図書館で「Women As Lovers」というCDを借りていた、ジャケのロゴ文字印象からスムースジャズとかAOR、いずれも死語みち、のコンピみたいなもんかいなと、返却期限なのに聴いてないから1曲目だけ編集CDRに焼いて図書館への道すがら聴いて、楽器の鳴らしかた・音色の選択・音程のズレがじつに気持ちいいので驚いた。CD返却しないで、ゆっくり聴いてみた。音楽はヌルくてナチェラルでコアがない感じ、オルタナフォークとか?6曲目、クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダープレッシャー」カヴァーが秀逸、彼らのセンスの具合が伝わってくる、脱力の挿入、おちゃらけの判っているな!感。
アーティストはXiu Xiu(シュシュ)という。 慧眼P−Vineがリリースしている事実だけでわたしは警戒すべきであった。
ミュージシャンをチェックするでもなく眺めていたら・・・ ダウンタウン現代ジャズの益子さんセレクトのパーソネルでよく見かける注目すべきドラマーのチェズ・スミス Ches Smith がいる!ではないか。
すぐにメールしたら、「ええ、オルタナロックの人脈でもあるんです」とのこと。
現代のミュージシャンが土壌としている音楽はますます広くて、いつのまにはおいらは50のおじさんになっているわけだし、聴こえない音楽がどんどん出てくる可能性はこんなふうにあるものなのかな。
10シーベルトで検索したらこげな凄惨なヒバク写真が(18禁) http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-226.html
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