Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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年間に3万2千人の自殺者がいて、その数は増え続けている、という。
注意一秒、怪我一生、という標語がある。不注意により交通事故を起こし、被害者に重い障害を負わせてしまい、一生をかけて償うにも償いきれない、という人生を歩むひともいる。たくさん、いる。
たまたまブルジョアの家系に生まれてそれなりに誠実に生きたものの、ある時に広場に連れ出されてギロチンで首を刎ねられてしまったひと。
うちの近くのノラ猫が駐車場にあった車両のエンジンに入り込んだらしく、半身が焼け爛れて数日間鳴いていたことがあった。片目が腐敗しハエがたかっており、ある晴れた日にぼくの部屋のベランダのコンクリートの上で日なたぼっこをするように衰弱してたたずんでいた。痛みも感じなくなったものか、焼けていないほうの目を細めて途切れがちな呼吸をしていた。 ぼくは死期が近いことを憐れみ、ホッケを焼いて食べさせた。牛乳も口にふくませた。グルグルと唸るようにその猫は食べた。そして数分経つと、前足を痙攣させて動こうとし始めた。そして、驚くほどの悲痛な鳴き声をあげて、全身でもがきはじめたのである。 わたしが理解したのは。その猫は死に向かう身体的プログラムの途上にあって、神経が感応しないようになっており、意識も徐々に死に向かいつつあった、ということである。わたしが施した行為は、その猫にとっては残酷な仕打ちだった。
昭和天皇の最期の日々を想起しないわけにはいかない。ニュースが下血状況を伝えていた日々、昭和天皇の身体は、新鮮な血液の恒常的な輸血を受け、死への身体的プログラミングを作動させることができずに、終わりのないような苛烈な苦しみを強いられていたのではないか。
2004年05月30日(日) |
音楽サイト「musicircus」のECM新譜レビューが11枚新登場 |
いまふと、ベン・ワットの「ノースマリンドライブ」とか戸川純の「蛹虫(むし)の女」とか思い出す・・・。聴きたかー。
それはともかく、今日の関東平野は蒸し暑かった。 府中競馬場で行われた第71回日本ダービーはキングカメハメハの驚異的なレコード決着のドラマ。 北海道の希望の星コスモバルク、残念だったけど、その気持ちわかるよ。また応援するから、がんばれ。
わしが買ったのはコスモバルクからハーツクライとあと大外18番のピサノクウカイ(空海)。空海の名の競走馬ははじめてきいたし。 うー。北海道出身+空海好き+音楽心情派(ハーツクライ)、の、わしは、ハズれても満足じゃ。また赤井英和に似てると言われた。だまれ。
さて、日記のアクセス数も落ちてきたし、友だちに電話しても日記で書いたことをまた喋っているし、ううむ、読まれてない。 そのくせSJ誌にはECMのエイプリルフールねたがそのままニュースになっていて(!)、おれのせいじゃないよ。
わたしの本籍地である音楽サイト「musicircus」のECM新譜レビューが11枚も新登場している(■)。 このレビューはECM全作品について網羅することを意図している。 6月いっぱいをかけて、この6年に押入れからあふれて布団のまわりにとどまらず台所からトイレにまで繁殖したCD雑居状態を改善して、部屋にECM盤を1ばんからならべてわたしも取り組みたい。さ、ECMモードにスイッチしていこう。
2004年05月29日(土) |
アジカン(Asian Kung-Fu Generation)、まさに旬。 |
この2枚のCDシングルしか聴いてませんが・・・こいつらスゴイです。もー、ハマってしまいました。ほとんど恋愛状態なりー。 『サイレン』 一、サイレン 二、サイレン ★ロヴァ耳2004年5月度MVP楽曲に認定 『ループ&ループ』 一、ループ&ループ 二、エントランス(LIVE) 三、羅針盤(LIVE)
リズム隊の演奏力もプレグレみたいな水準だし。 本来であれば草野マサムネ(スピッツ)が到達すべきところに、アジカンはすでに立っている。(<この指摘はオリジナルだぞ)
3月30日の日記で、わたしは次男(小6)にアジカンを教わっていたのだった。ううむ、息子に負けたー! ポルノグラフティとじょしじゅうにがくぼーとケミストリーが好きな、破門したはずの第3子に一本取られた。ま、まいりましたー。
うー。どちらもレーベルゲートCD2でした。 マックユーザーはなんなくトーストできるそうじゃが、アジカンのCDは買え!おれが保証する、ぜったい買え!ジャケもいいぞ!
■アジカンのサイト サイトの音質は良くないからねっ
2004年05月28日(金) |
CDR『雪ヶ谷日記 2004.5.23』・渋谷毅のプロフ |
現実逃避をするためにはモーツァルトの488ばん、ギーゼキングのピアノで聴く。このピアノ、あんずの皮がはじけるようなトキメキを起こす。 なぜにかミッション系だった天使幼稚園時代を想い出して、うっとりしてしまう。でも当時これを耳にしていたとは思えない。
ニセコアンヌプリに美しいものを見た日。羊蹄山のふもとのまっかり村の、早朝、細川たかしの銅像の前でコンビニ弁当をほおばった。羊蹄山をバックに銅像からヒット曲が次々と街に響きわたる。たまたま居合わせた観光客や散歩の年寄り、徹夜えっち明けのカップル、近所の鼻たれガキ3名、いつのまにみんなで鼻うたのようにくちずさんでいる。「きたあのー、さかばどおり、にわー」。
単に車の中を快適に過ごすためのCDR。23日に作っていたので、その忘備録として。 なにげなく編集してたけど、すげーハマって聴いている。友だちにも聴かせられるようにタイトルをつけてライブラリーに入れときます。
CDR『雪ヶ谷日記 2004.5.23』
1. 東京の屋根の下 / 灰田勝彦 ※CKBライブの日とか、このところ口ずさんでいた曲。終戦直後に「若いふたりは幸せだよ」とフヌけた声で歌うことに、よく考えるとだんだん腹が立ってきた。いい気なもんだ。戦死者のことを想いつつ、複雑な心境で聴くべき愛憎入り乱れる、これもまた名曲。 2. 夜明けのスキャット / 由紀さおり 1969年 ※あー、ガールフレンドをつくって昭和44年の布団の中に行きたい。この曲のヒットに続いてリリースしたのは「天使のスキャット」で、いずれも作詞・山上路夫、作曲・いずみたく、編曲・渋谷毅。1969年7月にリリースされた「天使のスキャット」のほうは、6月にギリシャのアテネで行われた“シャンソン・ド・オリンピアード(歌のオリンピック)”で約10万人の観衆の前で歌われ、世界各国40名以上の歌手たちを押しのけて最優秀歌唱賞を獲得。その場に同行していた服部良一(作曲家)、安部寧(評論家)は感激の余り涙したという。「天使のスキャット」は「夜明けのスキャット」の二匹目のどじょうだったわけだし、「夜明けのスキャット」が当時の世界に知られていたら音楽史の軌道はズレていたと確信するぞ、哲学の軌道までズレていたぞ。 3. Blue / Jacob Young from『Evening Falls』(ECM1876)2004 ■ ※瞬時にトロけるさすがECM盤1曲目。このノルウェーのギタリストが放つ詩情はパット・メセニーだ。“ノルウェー種だったメセニー”という成田正さんの記事とまったくつながるのは単にレーベルの嗜好ではないでしょう。この曲の感動を支えているのはバスクラの哀しみです。 4. Cherish / The Association 5. Windy / The Association 6. Walrus Walrus / あがた森魚 (1:39) 7. 雪ヶ谷日記 / あがた森魚 (12:41) 8. 冬のサナトリウム / あがた森魚 (4:09) 9. The Song Is You / Keith Jarrett Trio (17:38) from『Still Live』(ECM1360)1988 ※“70年代ピアノソロキース”のもっとも美しい必勝パターンを凝縮したようなイントロを持つスタンダーズ初期の名演。冒頭の2分弱でこの曲のエッセンスはおしまい。しかし、デジョネットとピーコックがアホのように飛ばしまくり、ジャレットが再三ブレーキをかけるものの止まらない止まらない、あっけにとられて笑える、が、この17分もの疲れる旅の終わりに冒頭のパターンを予期せぬ浮かび上がらせに持ってくるジャレットに唸る。 10. HOW TO GO / くるり ※シメには2004年のこの曲。加速ばかりする約束履行能力の欠如の悩み、を、慰撫してくれる。自己の一貫性からの解放、という事態が現代のメインテーマに感じる。自分さがしはむろんオールドスタイル。あなたは“誰”なのか。場所と対人関係と時間と気分で、“一貫していないこと”が起動エンジンになったのだろう。村上春樹の小説を斉藤環が解離現象をキーに説いていたが、それは進化への適応なのだ。分子生物学の入門書を読むと、新種の90%以上は未来につながらない生物の進化ルールを知る。わたしは逸脱と不意打ちと意外性だけをひたすに愛する。(と、書いてみたかっただけかも・・・アーメン)
渋谷毅のプロフ (参考:いずみたくの作品集に掲載されていたものです)
ここで編曲を手がけた渋谷毅についても触れておきましょう。1939年11月3日東京都生まれで、いずみたくと出会ったのは中学2年生の頃、うたごえ運動に参加していた兄を通じてでした。芸大付属高校2年生の時にモダンジャズに目覚め、その頃からピアノ演奏や編曲を手伝うようになります。東京芸術大学作曲科へ進学するとさらにジャズ熱は高まり、ビック・フォー、沢田駿吾ファイヴ、大矢隆敏グループなど様々なバンドで腕を上げていきました。この頃はいずみ宅へ居候することもあったようですが、ある種の狂的な雰囲気を漂わせ、いずみたくでさえも一歩引いて見ていたようです。一頃いずみの仕事を断りプレイヤーに専念しますが、ジャズ誌での評判とは裏腹に心身共に衰弱が目立ち始め、やがてある時期を通過して久しぶりにいずみの元に戻ってきます。そしてまた以前のように編曲を任されるようになりますが、彼の再起を誰よりも喜んだのは言うまでもなくいずみたくでした。名アレンジャーの名を欲しいままに作曲も手掛けた渋谷ですが、70年代半ばからはピアニストとしても活動するようになり、浅川マキのバンドなどでプレイ。現在も渋谷毅オーケストラ、渋さ知らズなどで精力的に活動しており、そのスタンスは若いプレイヤーたちに尊敬されています。
ぐっちのどっくたぐ(きむたくもご愛用とか)をプレゼント箱に入れて。 雪ヶ谷に住んでいるピノコ(仮名)ちゃんを新宿のディスクユニオンの近くでひろって雪ヶ谷へ向かう。 m-floとケツメイシとミスチルの「sign」を聴いて、 環七を大田区に入ったところで『雪ヶ谷日記』(5・23参照)をかけると、稲垣足穂が見た星空になった。
ピノコちゃんの部屋は古い和室で。トイレの、木の窓枠や足元の妖怪が出はいりするちいさな木戸。 そして日めくりカレンダーに、大田区雪ヶ谷、と、筆文字で木下呉服店の住所が書いてある。
「この曲はさ、足穂が郵便局の横でひろった女の子のノートにえんぴつで書かれてあったフレーズがね、・・・」
“スペイン瓦の赤屋根を前景にして、馬込村の丘々の横顔があり、その手前を横切って時々おもちゃのような汽車が通過する。” そうあがた森魚が歌ったとき、東海道新幹線が、ひゅん・・・たーっ、と、光の帯のように通り過ぎた。
“菊の花をちぎって蒔き散らしたような星。サーチライトは着物の井桁のようだ。”
「その郵便局、って、きっと、ここだよ」、と、彼女が助手席から指差した。
1900年生まれの稲垣足穂の1945年の日記が、あがた森魚によって2000年に楽曲となり、雪ヶ谷に住む彼女と聴いている2004年5月26日。 すべては意図せずにつながっているのかもしれない。 彼女はそのうち引っ越す予定だと言い、「月島なんかいいんじゃない?」と、ぼくは言ったけど、雪ヶ谷から引っ越した彼女はきっとぼくの知らない彼女になるんだろうと思う。
2004年05月26日(水) |
アジカンとくるり・映画『スィングガールス』・こんなギタリスト |
車の中のCDがすべて盗難にあったものか、CDシングル2まい。 アジカンの「サイレン」、と、くるりの「HOW TO GO」ばかり聴いて、あほー、に、なってます。
朝焼けの環七の排気ガスにまみれたトラックの5000メートル走が輝いて見える。
映画『スィングガールス』のこの予告も見て見て!>■ このコ、ええややこうむわあ・・・。かあいいねえ・・・。「いくねえ?いくねえ?」の発音も、とてもよろしいでおます。
Kくんからこんなギタリストの紹介が・・・>■ 最後まで見るんだよ!トリックじゃないー!ひえええ。で、誰なの、このひと?
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(重要伝達事項) パソコンのアウトルックがノートンを更新したらメールを送信だけできない!という状態になってしまいました。 いちお、ぼくから返信がなくても、気にしないでね。 それでも「くちでは言えないけどメールでつたえたいことあるし・・・」というかおるちゃん(31)、えんぴつ日記のメールが使えます。
2004年05月25日(火) |
あじの開き・先見日記(斎藤かぐみ) |
夕暮れに。練馬区役所の最上階・展望ホールから、呼びかけている。 薄緑色の屋根。むこうのほうにある府中競馬場。小金井公園。坂を下ったあたりにあった焼き鳥屋。月は白く背中に出ているのか。
部屋にもどって、きのう買ったあじの開きを2枚焼いた。
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斎藤かぐみさんの先見日記、おもしろいよ>■
2004年05月24日(月) |
「朝青龍がグレているほんとうの理由」 |
深夜の練馬区役所の高層ビルが曇り空の暗闇と区別がつかないでそびえている。
子どもたちのひとりひとりの寝息がぼくには聴こえている。豊島園の横の通りを濡れたアスファルトに音をたてて運転する暖かい孤独。
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「朝青龍がグレているほんとうの理由」 横綱・朝青龍が今場所も優勝した。逆転優勝だった。昨日まで北勝力が1敗、朝青龍が2敗だった。 千秋楽で、優勝がかかった北勝力は白鵬の注文相撲をあっさりと喰らってしまい(0.8秒)、2敗と朝青龍と並んでしまう。 それを見て「よっしゃー!」とガッツポーズをした朝青龍は結びの一番で大関・千代大海をあっさり3秒で寄り切った。 朝青龍の連勝記録を6日目に35で止めたのが北勝力だったが、あっさりと優勝決定戦に持ち込まれこれまたあっさりと優勝を逃した。 (ふがー。白鵬もよりによってここでしょーもない立ち合い相撲すんなよなー!千代大海もちっとは見せろや、ぼけー!) けっこうヒールな横綱として人気が沸騰している朝青龍だけど、わたしは朝青龍がグレているのがよくわかる気がする。 ・・・朝青龍は横綱になるときに、横綱のバトンを渡されていないのだ。・・・ 貴乃花・曙の時代には、朝青龍はこのふたりにまったく歯が立たなかった。そしてそのままにふたりは引退してしまったのだ。前の時代を築いた横綱を破ることで、新しい時代の横綱が誕生する、という、バトン渡しがされないままに横綱になってしまった朝青龍は、「ほんとうに強いんだ」と誰にも思われていないことを誰よりも自覚している。「晩年の貴乃花にさえ勝ってないもんね、あいつ」と、日本中で言われていると思うのである。おれならグレるね。朝青龍は、そういうナイーブないいやつなのだ。その意味で、北の湖に似ているのだが。であれば、輪島のような好敵手が必要かな。
話は変わるけど、97年神戸市須磨区での連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗(仮名・現21さい)がこの3月に社会復帰している、って。
2004年05月23日(日) |
「COBALT TARPHONIC」第一集『雪ヶ谷日記 他二篇 / あがた森魚』 |
ひでしまふみか、で、検索してここに来られたみなさんこんにちは。おさがしのひでしまふみかはおそらくどこにもおりません。
2000年12月の「プラネッツ・アーベント」にて稲垣足穂の生誕100年を記念してリリースされたCD文庫「COBALT TARPHONIC」第一集。 『雪ヶ谷日記 他二篇 / あがた森魚』 1. Walrus Walrus (1:39) 2. 雪ヶ谷日記 (12:41) 3.冬のサナトリウム (4:09)
「菊の花をちぎって蒔き散らしたような星。サーチライトは着物の井桁のようだ。」
らいおんめりぃによる音響ロマンチシズムが“懐かしい未来”を映してこのCDの導入部を飾っている。 雪ヶ谷日記は、稲垣足穂が第二次世界大戦中に大田区のいすず自動車の雪ヶ谷寮に住んでいた頃に書かれた。そのテキストにあがた森魚が曲をつけて、また、朗読したもの。
終戦の9月9日の日記では 「黄橙色と紺色のぼかしの真中にひっ懸かった白銀の弓。ヘブル人が眺め、ヨブの眼に映じたのと同じ新月。――昨日、新宿で、白い星を描いたワゴンを連ねて乗り込んでくるアメリカ騎兵隊を見た。ヘルメットをかむった蝋人形の大部隊。これを茫然と見やる群集。浦上天主堂における一万人の犠牲も合せて、すべては新しい『旧約』の頁を繰っている気持ちである。」とタルホは記している。
「菊の花をちぎって蒔き散らしたような星。サーチライトは着物の井桁のようだ。」 これは、8月24日にタルホが郵便局の横でひろった女の子のノートらしき一片に鉛筆で書かれていたテキスト。
その女の子の眼を通して星空をまなざしている、という、いまの静けさ。
あがた森魚 1948年 北海道留萌市に生まれ 以降 小樽、青森、函館で育つ ただまさのり 1961年 北海道砂川市に生まれ 以降 函館、札幌で育つ
2004年05月22日(土) |
スウィングガールズ!美少女と拉致とジジェクとジムブラック |
この秋に公開されるこんな映画。 ジャズやるべ!スウィングガールズ!Girls meet Jazz!!!(■) ・・・ふはは。なにが電子音響じゃ。そなもん、ジムオルークとパナソニックと池田亮司あたりが出揃っていたあたりがピークだったっしゃね。生サックス、生ベース音の深みは、そげな電子回路で増幅されただけちうイカサマな仕掛けに流行られても負けることはなか。林栄一は聴いたことあるとね、斉藤徹を聴いたことあるとね、小山彰太ば聴いたことあるとね。 いかに達人であろとも、仙人であろとも、若き乙女の直感にはかなわない。ここで言うところの“若き乙女”の抽象度は高いぞなもし。 (美少女と言い換えてもおおむねよく、三島由紀夫や天皇、稲垣足穂にまで拡張させられる概念ではあるらしい。『新現実』で読んだよな気も。)
今日、北朝鮮の拉致被害者の子ども5にんが帰国。ボブ・サップが藤田に負ける。
声高に北朝鮮の人民は洗脳されていると叫んでみてもなお。わたしたちは日本で拉致されていないと言えるのか。こんな豊かさを享受している内実は、100種類にも満たないカップ麺や1000種類にも満たない新譜CDや108つほどの煩悩の選択です。
スラヴォイ・ジジェク(■)の著書『信じるということ』を、 かなりな幻想に哀しくも拉致されて傷ついてしまったことがあったひとと、そうではないひとと、(この区別は明確ではなく連続しているけど) どのように読まれるかは、明らかに異なると思う。テキストは永遠に読まれない、のです。
わお。ジム・ブラックの演奏が見れるサイトが!>■ 愛読させていただいている沖縄日記さん(■)、ありがとー。 (そいえばジムブラックの国内盤は2枚ともあたしがライナーを執筆していました>かなり遠い目・・・)
2004年05月21日(金) |
たいふういっか・アマゾン・あがた森魚7月7日「サマーダイヤ2004」 |
月曜日にみぎしたおくばを抜歯した。
奥歯というものが、こんなにアゴの骨にしっかりと固定されているものとは。
麻酔をガンガンにきかせても、みしみしと音をたてて奥歯がきしむと、こめかみから首の骨から背骨から電気が反射してくる。 ばきばき。
たいふういっか。
神経系がダメージを受けたものか、音楽がそのように聴こえない。 木々の緑が遠く。おそらく全身の神経が萎縮して固まってしまっている。悲しみや喜びまで、なかなかからだから出てゆけないでいる。
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「輸入音楽CDに関するAmazon.co.jpからの重要なお知らせ」(■)
7月7日は、あがた森魚のコンサートがあります。 『サマーダイヤ2004<=>MORIBexp.〜森武エクスプレス 七夕77号の旅〜』(■)
2004年05月20日(木) |
“雑誌部数、水増し「公称」やめます 「印刷部数」公表へ” ほか。 |
シフクノオト。
「おとーちゃん、ミスチルのシングル、sign、でたらおくれよ。」 「お。おめー、声がわりしたな。ミスチル聴いてんのか。」 「おう。シフクノオト、いいな。」 「なにが“おう”だ。きのうまで“おとーちゃんカードパックけーまとこいちゃんに3パックづつ買ってきてぇ”て、かあいい声出してたくせによ。」 「だまれ。」 「あ、いいなー、それ。息子に黙れって言われてみたかったぜー、苦節42ねん、わたしもここまできましたー。うれしー。」
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スイング・ジャーナルは何部なのだ?バブルんときは公称10万部だったはず。その後変化してないはず。 配本3万、実売1万ない、というのが実感ですかね。
Copy & Copyright Diary (■)を読んでいたら。 “雑誌部数、水増し「公称」やめます 「印刷部数」公表へ”(■)、を、めっけ。
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新月の夜に、大倉山記念館の地下に設けられている精神文化研究所では、1984年6月よりmusicircusianたちが密かに集い、思い思いのCDを持ち寄り厳かに儀式が執り行われていた。大倉山のこの研究所に召集されるのは、たとえば、マイルスが存命中に“So What”のピッチが狂っていることに気付いていたリスナーである。
2004年05月19日(水) |
エルヴィン・ジョーンズ逝去・きょうの秀島史香 |
スティーブ・カーンさん(■)からの緊急情報メールで、 今日、5月19日。エルヴィン・ジョーンズが逝去されたとのこと。
エルヴィンもまた、子宮から産まれ出るときに母親の膣によって肺臓をしぼられるようにしながら頭を出し、口から侵入する大気によって肺臓のすみずみにわたって空気が充満させられ、その刺激でもって最初の呼吸をし始めたものです。
こないだのこどもニュースで母親と胎児の血液型が違っても大丈夫なわけを知りました。生命はすごいです。 音楽は生命です。ぼくは音楽に生命を聴きます。もちろんそうでないひとも音楽もあると思いますが。
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きょうの秀島史香。 曲と曲をあわせて楽しむ「合体あそび」コーナーの予告ナレーションで、「合体あそび」のコトバに照れてしまい、そのあとのフレーズが早口になってしまったところ、が、満点です。史香ちゃんはその恥じらいの表出を自覚すらしているでしょう、プロですもん。 このあたり、神業(かみわざ)です。
2004年05月18日(火) |
クレイジー・ケン・バンド@チッタ川崎のPAさいあくー!(怒) |
クレイジーケンバンドを観に、黒いスーツとサングラスで決めて、愛車のグランディス(笑)に乗り込み川崎クラブチッタへ。 車のBGMは、・・・な、なんで大塚愛の『LOVE PUNCH』なんだ。「もーいっかい」と「いえぃいえぃ」にエクスタシーを感じつつ飛ばす。 第一京浜が多摩川を渡る。いきなり空がパノラマになる。夕暮れていくぞ、夕暮れていくぞ、ライブが始まるぞ。
“The Sound Of YOKOHAMA-YOKOSUKA CRAZY KEN BAND SHOW 2004 @川崎・CLUB CITTA' ”
思えば、4年まえの夏に長者町フライディのライブと、葉山ビーチ(海の家!)でのライブでのけぞって以来だった。
ライブはもちろん楽しかった。ハードなスケジュールでライブをこなしているランニングシャツ姿には、涙と笑いの感動が。帽子の下がハゲていたのはタネ明かしが充分でなかったんでは。川崎ということでキャロル「ファンキーモンキーベイビー」を歌い、そして和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」も熱唱。きちんと聴くべきいいライブだった。
きちんと聴くべき、にもかかわらず、PAは最悪だった。声がハウリング起こしっぱなし、音量デカ過ぎ。 2日目でありながら、このPAの惨状の放置はいただけない。ホットスタッフの悪意さえ感じるようなヒドい音響設定だった。 ライブ後2時間たっても耳がつーんとしていて具合が悪い、って、やはり変だと思う。これはCKBのライブではない。
ライブであること、生音であること、剣さんの歌の妙が聴きとれること。でないと、さまざまな音楽のダシの味わいを堪能できないと思う。
も、ぜったいチッタ川崎なんか行かない。
2004年05月17日(月) |
CCCDで作品をリリースするアーティストたちに告ぐ、わたしは聴かない。買わない。 |
CCCDをかけたらラジカセのピックアップが不具合になったものか、他の普通のCDもかからなくなってしまい、そのCCCDを叩き割ってソニーミュージックエンターテインメント社に送りつけた少年があった。あっぱれな話だ。
はっきり言って、わたしもCDプレーヤー2台を原因不明のおしゃかにしています。 具体的に証拠を示せないのだから、ぼくのこの被害は報われないということです。
80年代半ばから普及してきたCDフォーマットですが、デジタル・レコーディングは20〜20000ヘルツでしか音が入っていないのです。 これからSACDやDVDオーディオが普及してきて、もっといい音で作品を聴くことができるようになっても、80年代半ば以降のデジタル・レコーディングで録られた作品は最初から音が欠落しているので、いい音になりようがない、のです。 将来のリスナーたちは「あー、この年代の作品だけは、音が悪いんだよねー」と、つぶやきあうことでしょう。
あたし、23年ほど続けてきたCD1にち1まい主義を今日でやめることになりました。 CDを極力買わない。CCCDはぜったいに買わない、・・・ように、がんばる、・・・なるべく買わないように・・・ CCCDで作品をリリースするアーティストたちに告ぐ、わたしは聴かない。買わない。
よし、これからは、ちょっと音楽から足を洗って、本をゆっくり読む趣味にスイッチします。
・・・アジカンの「ループ&ループ」はぜったい買います。 ・・・レーベルゲートCD2、って、編集CDRを作成するのにトーストできないのがおもろーないけど。しゃーない。 ・・・やっぱ購入を見合わせるべきかなあ・・・ ・・・こーゆーことにみみっちく苛立ったりしていると、ほーんとにCDなんてどーでもいーや、て、気持ちになるんですけど。 (※発売日19日午前0時にしっかり購入してしまいました)
2004年05月16日(日) |
ジョーマネリ(5・14訂正)・マヤ暦(白いスペクトルの「魔法使い」) |
5・14に“ジョー・マネリのサックスが、彼が初めてホロコーストのあった土地に立ったときにとめどない涙とともに嗚咽しながら呻いた叫びに、その発端があった”と書きましたが、“セントピーター教会でホロコーストを見たこと”と訂正します。
Maneri recorded for the first time in 1962 for Atlantic, producing an album unfortunately never released. The project found him in a quintet setting playing music which combined his expertise in Greek music, 12-tone music, and jazz. A watershed event for Maneri came in 1963, when he performed in a concert at St. Peter's church. "At one point," he later recalled, "I saw the Holocaust; I started feeling so bad I started crying while I was playing. What I played changed my life, it's the style I've incorporated up until today." -----The Clarinet In Jazz Since 1945 ■Joe Maneri より抜粋
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マヤ暦で誕生日から自分をしらべるサイト(■マヤ暦占術「銀河の音と太陽の紋章」 )によると。 わたしは白いスペクトルの「魔法使い」だという。わたしを導く力は「魔法使い」だという。 この意味がよくわからないでいる。 「悪意なきさまざまな妄想をして人心を惑わせる存在」というふうに解釈すると、まさにわたしである。
占いを信じるかどうか。占いを成立させている心理的もしくは社会的な機能を認めるという意味で、信じます。
ちなみにぼくはどうぶつ占い(小学館)では「きんのたぬき」です。
2004年05月15日(土) |
「ひでしまふみかです」(J-WAVE筆頭女子アナ) |
「ひでしまふみか、です。」 ついクチに出してしまって、「えっ?」と警官に振り返られてしまう。いけない、悪質万引き犯を警察まで連行する途中に気が抜けてしまっていた。 けっこうまずいシチュエーションでそう発語してしまったわたしは、はっきりとうろたえてしまって“警官にケーカイ”されてしまった。 ・・・あのリアクションではこの警察官はJ-WAVEを知らないな・・・。
夕方5時から8時までに帰宅途中にある音楽ファンは、CDウォークマンをFMラジオに替えるべきである。
ニュースステーション渡辺真理なきあと、とは、映像と音声との違いがあるのではなはだ言いづらいが、ずばり、わたしの耳のこころを癒してくれているのは彼女の声である。パーソナリティのピストン西沢とのかけあいもスリル満点で彼女の存在には欠かせない。ピストン西沢とはまさにぺにすとわぎなの会話に相応しい言い得たネーミングだ。そうか、そういう図式で聴いているんだー!(一同うなずく)
いまこの世界に、こげに知性的でセクシーでかわいくて魅力的な語り口を持つ女声は、ほかに居るかー? 満天の夜空に叫びたい気持ちだ。 秀島史香の日記だぞー>■
不良中年である友だちと「わたしはいまひでしまふみかを語ろうと思っていたんですよ!」と互いの受話器に語ってしまった驚くべき午後10時。
三菱財閥といえば岩崎家であるが。大田原岩崎家のひかるくんのいもうとが本日生誕なされた。ついわたしはひでしまふみかの「史香」(単語登録したぞ!)を進言しようと思ったが、やはりここはくさっても署名できない音楽関係者じゃなくなっても音楽ファン、今年といえば「Feel Myself」(だからこれは97年の作品だって!)なのであるからして、真綾ちゃんという名がよかろう。ここに、わたしら不良中年ふたりが推挙するものである。そしてその確定がなされた驚くべき午後11時。
「Hero」が耳に鳴る。 ひでしまふみかはミスチルファンだったらいいよなあ・・・J-WAVEでミスチルを語ってくれたらその音源、CD化していいぞ。 ひでしまふみかが好きな曲について語ってくれるコンピレーションをレコード会社は全力をあげて制作すべき時期だとわたしはつよく断言します。
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ひでしまふみかちゃんのおかお、はっきり言って、ぼくのストライクです。ほんとーにストライクです。彼女は日本の無形文化財です。
「世界の中心でふみかちゃんへの愛を叫ぶ、と、打ってもちっとも恥ずかしくありませんっ!」(会場からどろめきがあがる)
▼ 本日より、この日記のテーマはこの5つです。 1) 「Feel Myself / 坂本真綾」 2) 「吉例にならい、ひとつにらんでご覧にいれまする」(市川海老蔵) 3) 世界の中心で秀島史香ちゃんへの愛を叫ぶ 4) ジョーマネリとブノワデルベックの世界標準化 5) 音楽サイト「musicircus」党首タダマサノリ氏の遊説
2004年05月14日(金) |
テオ・マセロとジョー・マネリ『the black knight / teo macero』・輸入CD規制に反対しますがCDはもうおわりです |
まいった。とことん、まいった。
テオ・マセロの新作『the black knight / teo macero』(■)で、ジョー・マネリが参加している。サンプル音源必聴。 あのテオ・マセロが、ジョー・マネリを捕獲した、フォーカスをあてた、魅せられた、即座に理解した、のけぞった、書きかたはなんでもいいや。
ジョー・マネリのサックスが、彼が初めてホロコーストのあった土地に立ったときにとめどない涙とともに嗚咽しながら呻いた叫びに、その発端があったことを指摘するひとはすくない。(これは事実で、つい日ごろ妄想ばかり綴っているおのれを恥じるものだが。おい、読んでるか?)
わたしがロヴァ耳というテキストを書く発端は「ジョーマネリとブノワデルベックの世界標準化」であったことは繰り返し記しておきたい。それ以外は瑣末な日常なものごとに過ぎぬ。 ■ジョー・マネリのサイト ■ジョー・マネリのインタビュー
▼ 「私たち音楽関係者は、著作権法改定による輸入CD規制に反対します。」■
坂本龍一も賛同している(■)というこの「先見日記」の文末、 「と、ここまで真面目に書いてきたが、実はぼくは2004年という年は「CD永眠の年」として記憶されると思っているのだ。もうCD自体がなくなろうとしている時に、CCCDでも輸入盤規制でもないだろう。もう手遅れだよ。」
今年はCD永眠の年?なの?
「CDやDVDの寿命は意外に短い?」■
ふうむ。CDが世に出たとき20年説というのがあったよね。ほんと20年たったんだ。 SACDやDVDオーディオも、か。 おれ、取り扱い悪いしなあ。でも、まだおしゃかになったCDは今のところないです。
坂本龍一がCD永眠の年と言うのは、物理的な寿命じゃなくて、 ネット配信とか“音楽家〜音楽〜リスナー”の流通に関する部分のほうが大きいでしょう。
三菱ふそうのトラックリコール隠蔽事件で、国民的なバッシング・不買運動に発展しそうである。 警察庁は三菱ふそうと三菱自動車の11ヶ月間、買わないというニュースになっている。 三菱というブランド名はすっかり悪のイメージをグループ全体にまとってしまっている。
「えんぴつだけ作ってりゃ、良かったんだ!」って、タダさんそれはちがいます。 「グランディス乗ってるんだぞ、エクスワイフに“あんたの選ぶ車なんてそんなもんよね”と言われるし、マジで!」 そのコトバにはタダさんが反映されているだけです。 「あれだもんね、東京三菱銀行にあるカネ、ぜんぶ引き揚げたもんね」って、毎月この日ですよね。
雪印牛乳がいつのまにかメグミルクになってた。あのオリジナルな牛乳の味が保持されていて、うれしい。 わたしはメグミルクファンです。
三菱は名前を変えるでしょうか。
[ニュース速報です] 今朝未明、東京地検は音楽サイト「musicircus」党首タダマサノリ氏の所有する三菱グランディスの家宅捜索に踏み切りました。 関係者の証言からタダ氏が同車内をこのところ唯一のリスニング空間としていることを突き止め、車内ではハダカでCDを前面に積み上げているという凶悪な犯行を繰り返していたもの。ハダカのまま拉致監禁されていたCDおよそ30枚を押収し、数日のうちに公表されるもよう。なお、押収されたCDたちは全員無事保護された。 この解明ににより、タダ党首がいかに「musicircusist(ミュージサーカシスト)」に不適な活動をしていたかが明らかになると思われます。 いま続報が入りました。 いちばん上にあったCDははまさきあゆみの『I am ..』、2枚目はシングルで岡本真夜『思い出にできなくて』、3枚目は、これは驚きです、コアなファンでも入手困難とされる限定シングル長渕剛「新極真会の歌」です。 いったい何を聴いているのでしょう。なおかつ、これは極真カラテとの衝突が避けられない事態です。
…いまいち。
2004年05月12日(水) |
バート・バカラックの誕生日 |
バート・バカラック(1928〜)の76さいの誕生日。え、コステロと共作(『PAINTED FROM MEMORY』)したのは70さいだったのかー。
バカラックの名を知ったのは中学2年とき。カーペンターズのアルバムに入っていた。 「バカラック・メドレー〜去りし時を知って、涙でさようなら、愛の想い出、恋よさようなら、ウォーク・オン・バイ、サン・ホセヘの道」 ビートルズのLPを買うまえだったから、転調のポールに気付く以前でした。
バカラック全集なんて発売されるとしたら何枚組みになるんですか?
歯医者に通いはじめた。 スタジオボイス6月号(「ザ・ニュー・ノー・ウェイヴ」特集)とen-taxi誌05(■)を買った。
歯医者の待合室にあった週刊文春に、生後4ヶ月の赤ん坊のおちんちんを24さいの母親がカミソリで切ってしまった事件の記事があった。 犬が噛み切ったとの母親の通報を受けた救急隊員が駆けつけたときに赤ん坊は青ざめてていた。 陰部に置かれたタオルを取ると外気に触れた痛みが走ったものか赤ん坊は激しく泣きはじめた。陰部を捜索したが、ペニスは見つかったものの睾丸が1つも見つからない。事件性を勘付いた救急隊員は「今なら、モノが揃えばつなげられます」と訴えたが、母親は無いと言い張った。 手術でペニスはつながったが、睾丸が無いため、その赤ん坊は生涯にわたり男性ホルモンの注射を受けなければならない。
2004年05月10日(月) |
『スキー・ジャンプ・ペア』 |
音楽サイト「musicircus」では党首タダマサノリ氏(21)の更迭辞任問題が浮上している。マニフェスト「ロヴァの耳」未完問題、このところのECM新譜連続未聴問題、および前行での年齢詐称の疑惑について、タダ派幹事長ホリウチ氏の防衛が限界にきている様子。 もとより、昨年のECM最大の話題作『ユニバーサル・シンコペーション』について、タダ氏は遊説先で「あれはジャズじゃないじゃない」「コリアにもマクラフリンにも必然を感じない」「ガルバレクの鳴らしは都はるみのあんこ椿に匹敵する」と暴言を続けており、党内外からの批判が相次いだことを受けて、幹事長ホリウチ氏は党内を取りまとめmusicircusとして音楽評論界に通用する400字レビュー(■)を公表し事態の収拾をみた矢先である。 さらにここで、タダ氏が新マニフェストで新しい即興シーンについてのモンダイ記述をしていることが発覚したのである。これについてタダ氏は「まだこの続きがあるんですよおー」と答弁したものの、「即興をボートクしている」「不愉快きわまりない」「アタマがわるい」「ステテコが似合いすぎる」など苦情が相次ぎ、さすがに理知をもって鳴るホリウチ氏も党内調整に難航しており、コアな即興ファンとの衝突は避けられないものと思われる。以下がモンダイとなった書き出しである。
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このところ注目されている音響系とか弱音系と呼ばれる即興演奏を聴くと、『スキー・ジャンプ・ペア』(■)を思う。 『スキー・ジャンプ・ペア』というのは、二人でジャンプして空中で手をつないだり、踊ったり回転したりする、架空の競技のアニメである。このありえない競技を、長野県白馬村からの映像をはさんで本格的に実況放送するものである。フィンランドのカウリスマキ兄弟!とかドイツの皇帝とか。真面目なナレーションが笑える。
たぶんそのようなものだと思う。 「おおっと、東京から来た小柄のギタリストの登場です。ギターを…、…、今、手にしました。…まだ、弾きません。まだです。今、指が動きました。音はしていません。おっと、アンプを通じて1音持続させているようです。かすかに聴こえています。あ、共演者がいました。箱のスイッチをいじっているだけです。…どうでしょう。なんと、相手の音を聴いてません。聴かないのがルールのようです。即興の常識を覆すコペルニクス的転回です。さあ…、聴かないでいられるのでしょうか。時おり音がします。スイッチはオン・オフしかなされていません。さあ、ギターはどうするのでしょう…。…なるほど、テクニックを要する表現も、旋律に聴こえる2音も、反応することも禁じられているようです。これは、芭蕉の世界なのでしょうか。…どうでしょう。音を出していませんが、目は真剣そのものです。これが日本の武士道でしょうか。演奏者は明らかに耳を凝らしているようです。…どうでしょう。この珍妙な安心感、究極のヒーリングが出現しているのでしょうか。演奏者はまったく反応していません。なるほど、やはり、相手の演奏を聴いてません。…どうでしょう。…おおっと、聴衆も誰ひとり聴いていません。」
アニメ『スキー・ジャンプ・ペア』は、現実の競技“スキー・ジャンプ”がなければ機能しない。 そして、まったく新しいカテゴリーの観衆を得ており、従来の即興を“オールド・スタイル”(スタイル!だったかー)と呼称する勢いである。
2004年05月09日(日) |
アニメDVD『岸辺のふたり(Father and Daughter)』 |
アニメDVD『岸辺のふたり(Father and Daughter)』■ 8分ほどのアニメーションです。2000年制作。各国のアニメの賞を受賞しまくっているのですね。 泣きました。ここ数日、観るたびに泣きます。想いつづけたいひとを想いつづけていいと思います。>いみふめー
特別擁護老人ホームにはそれこそボケた老人たちが収容されています。それでも91さいのばばあのおしめをとりかえると恥ずかしがって抵抗してそれなりにかわいかったり。あるばばあはわたしをみて「げんじろうさん」としきりに涙を流すんです。流動食をスプーンに盛ってあいた口に押し込む作業が食事補助という名目なのですが、流動食を吐き出して「げんじろうさん」とわめくのです。生涯独身だったその老婆は想ったひとを戦争で亡くしたのだそうです。そのひとがげんじろうという名であったかは不明。36さいのわたしは彼女を抱きしめてあげました。ぼけた彼女が感じたことを、ぼくは感じたかもしれず、その弱々しい腕のちからと背骨の揺らぎを。数日後彼女は亡くなりました。ぼくはその仕事をやめました。
98さいのばばあに「おばあちゃん、戦争のとき、いくつだった?」ときくと、「4さい」とかこたえるので、「うそつけ!」というと、「日露戦争で日本は勝ったんじゃ」と遠くを見つめて話していた。っけ。
ミスチルの「ゆりかごのある丘から」と、Coccoの「強く儚い者たち」は、同じテーマでした。視点が違うだけです。 恋人に辿りついたときにはそこには恋人はいない、のです。レンアイが成就してたとえばけっこんしたとしても、そこに彼女はいないのです。
坂本真綾の「Feel Myself」が歌う“突然の別れ”の行く末えも、このアニメーションのテーマとつなげてみたい気がします。
あ、ミスチルの「Hero」のPVのテーマ、あのPVが指していた物語?も、このアニメへのリスペクトだったような気がしますねー。
2004年05月08日(土) |
・・・ちゃげあすにカンドーする |
「Last Kiss / BONNIE PINK」「秘密 / スガシカオ」のPV観て、気に入る。
「ピンクスパイダー / hide」のPV観て、あとおいじさつするひとの気持ち、わかる。
小柳ゆきのライブDVD『KOYANAGI THE BUDOKAN〜KOYANAGI THE LIVE IN JAPAN 2000』をみる。 みーしゃのライブDVD『THE TOUR OF MISIA 2004』を3回みる。
ちゃげあす、に、カンドーする。 ちゅーふーになったみたいに揺れながら歌声に自己エコーをかけてウォンウォン言いながら首を振るのがコツ。
このゴールデンウィークにわたしの耳に起こった出来事。
とうとうちゃげあすまでクリアしてしまった。あとはながぶちとはましょうとじょしじゅーにがくぼー、くらいか。 どうするんだ。わたしにカンドーできない音楽はない。そんな最強の耳を誇示してどうするんだ。
2004年05月06日(木) |
つれづれなる独り言(ちょっと時事ネタ) |
連続徹夜明け、みたいな仕事。やーさん相手の14時間麻雀。楽音は聴こえぬが、究極の即興演奏みたい。 帰りに食べたタケノコの煮物を美味しさ。いやー、これだけのタケノコの煮物を作れる北関東の主婦というのは結婚するに値するものです。
三菱トラックの隠蔽事件。ひどいものだ。 この容疑者たち。広瀬隆の『私物国家』に載っている家系じゃないのか?歌舞伎を観に行く家系じゃないのか?
朝方の民放で“ネオコン”のひとりがイラクの事態を収束させるのに充分な軍隊と資金がないこと悔やむコメントが。 「へええ。“ネオコン”て、こーゆー顔してんだ。」 広瀬隆の『赤い楯(上下刊)』に載っている家系じゃないのか?タイタニックに乗っていた家系じゃないのか?
イオン・ジャスコには買い物に行かねー、マックには入らねー、と、わたしはそういう行動をしていますが、はっきり言ってムダな抵抗です。 コーラは飲むんだよなー。英語の第二公用語化には反対ですが、どんどん日本はアメリカの属州化の道を辿っているような気がします。
CD輸入盤還流阻止法案(だっけ)、日本政府は通すでしょう。それは、無知による国益の損失ではないでしょう。 大幅な貿易黒字を抱えている日本国は、その解消に向けての交渉として、自動車なり大豆なりエビなり鉄鉱石なり、産業の分野ごとに勘案してコトを進めている、わけで。そのバーターとなる条項のひとつがCDなのでしょう。 (で、もっとも愛国者的な政策を掲げているのは、驚くことに日本共産党である、という分析もあるようです。ややこしや。)
それはさておき、音楽業界のかたは、とりあえずこの法案へは反対をきちんと表明しつつ、次なるステップは、その耳のアンテナでもってどんどん独自に国内盤をリリースする会社を設立して、五大メジャーの及ばぬいいCDたちをぼくたちに届けてくれることを願ってやみません。 ビジネスチャンス到来です。再販制度はそのままなので2200〜3000円くらいの価格設定はオッケーです。
そのリリースする時点になって、また闘いと希望が始まる、と、考えるのが今のところだ、と、わたしは愚考しますが。ごめんね。
週刊新潮に、黒焦げになった米国兵士が吊り下げられている写真があったよ。 イラク人にとっての最大の侮辱語は「おまえの親は焼かれた」なのだそうで、日本で火葬されたイラク人が問題になった例もあったとのこと。 アメリカ兵を焼いたのだ。
▼けっこうトリビアだった記事 ■歌舞伎の見得とはなんぞや?
2004年05月05日(水) |
子どもがテーマのきょくー、と考えて思いついた順にー。 |
いち。 「children, children, why cryin, why tell me why?」と歌われるミスター・ビック(■・■)のセカンド『フォトグラフィック・スマイル』の名曲「What Colous Is The Wind」。いやー、このアルバム、全曲捨て曲なしのポップ名盤でした。シングルヒット「Romeo」、思い出しただけでうーんあのなんともいえないはじめてのなんとやらな気持ちになれる名曲だー。
にー。 「all god’s children shall be free」と歌われるジョン・アンダーソン(サイトができてるー■) のサード・ソロ『アニメーション』■の「All God's Children」。わー、思い出すなあ。そーだ、そーだ。「animation」という7分以上あった曲のテーマはまさにオザケン「天使たちのシーン」だった!
さん。 「children of the sea」と歌われるアグネス・チャンの「ぼくの海children of the sea」。80年に「カンボジア難民救済チャリティコンサート」のためにアグネス自身が作詞作曲したナンバー(いまネット検索で知った・・・)。アグネスー、ぼくは生まれて初めて買ったシングルも、生まれて初めて夢の中で女の子と遊んだのも、初めて買った携帯ラジオの原因も、アグネスなんだよー、ほんとだよー。ECMファンクラブで活躍したしあくくんなんかアグネスにあこがれて上智に入って(もーアグネスいないのに)ECM聴いてたんだよー。
しー。 これを思い出した。思えばすげーめんつ。このLP、持ってんだよなー、すぐに聴けないけど。 『Children / David Murray』(Black Saint 120089) David Murray, tenor saxophone, bass clarinet • Lonnie Plaxico, bass • Don Pullen, piano • Marvin "Smitty" Smith, drums • James Blood Ulmer, electric guitar
ごー。 おーっと、キング・クリムゾンの「Moon Child」がここで思い出されました! 『クリムゾン・キングの宮殿』、こないだプログレ指数の高い5人で車に乗ったとき、LPやらCDやらリマスターやら全員で23枚所有していた(!)ことに改めて衝撃を受けましたが。
5つでおしまい。
2004年05月04日(火) |
「吉例にならい、ひとつにらんでご覧にいれまする」・「キッス初来日公演」(1977年) |
ゆうべ、市川海老蔵の襲名公演がNHKで特集になって放映された。 「吉例にならい、ひとつにらんでご覧にいれまする」■十一代目市川海老蔵誕生 声にもシビれた。顔にも、目にも、すべてにシビれた。とくに右手の表情にシビれた。
ほとんどその瞬間の連続は、音楽だった。たぶん今年、これ以上のカンドーはない。 ねー、どうして? どうしてなの?
▼ その前日に、「NHKアーカイブス」“ヤング・ミュージック・ショー”で「キッス初来日公演」(1977年)が放映されていたのは偶然か。 ナビゲーターの加賀美幸子(かがみさちこ)さまがお語りになられるジーン・シモンズというのもなかなか味わい深い逸品ぶりでした。
キッスについて語ったのは大槻ケンヂ(ex筋肉少女帯)とローリー寺西(exすかんち)。 なんでデーモン小暮(ex聖飢魔II)は登場しないのか?NHKさんは人選に意図しましたね。
「キッスはデトロイト出身で、イギリスのバンドとは違って、明るいんです。キャロルの“ファンキーモンキーベイベー!”みたいに。」 すごくよくわかる。ちょっと目ウロコなコメントでした。 「キッスも伝統芸能として二代目ジーンシモンズとか襲名して続けていってほしいものですね。」 なんとも・・・翌日の海老蔵さまの映像にダイレクトにつながるコメント。なかなかの業師ですのー、NHKさん。
▼ この連休中、休みは1日しかなかった。いろいろ事件も起こって日記を更新でけへんかった。5・1〜3分はおいおいアップします。 なにげにカサンドラ・ウイルソンとビリー・ホリディに感動しておりました。
「吉例にならい、ひとつにらんでご覧にいれまする」 うむ。そのようにわたしも音楽を聴いてゆこう。・・・て、いみふめー。
2004年05月02日(日) |
5月2日付「ロヴァ耳日記ヒット・チャート」 |
Single 1. ( -) 夜明けのスキャット / 由紀さおり 2. (10) あなた / 小坂明子 3. ( -) Maurice Ravel : Sonate Posthume (ECM New Series 1824) 4. ( 1) TSUNAMI / 菅原洋一 5. ( -) Science Fiction / Ornette Coleman 6. ( 6) I’ve never been in love before / Armad Jamal Trio 7. ( -) 新日本紀行のテーマ ※放映ヴァージョン 8. ( 3) Paddle / Mr.Children 9. ( -) ピンクスパイダー / hide 10. (11) Feel Myself / 坂本真綾
2004年05月01日(土) |
「ボク」と歌うだけでフヌけた歌を駆逐するhitomi・音楽は買わないと聴かない2 |
「そしてボクは、ここから旅立つよ」と、hitomiが歌う5月に突入した。2年半ぶりのアルバム『TRAVELER』が世界をくつがえす。 hitomiの声が「ボク」と歌うだけで、その響きの成分だけでおおかたの野郎どものフヌけた歌が駆逐されているのがよくわかるなり。 (しかし、この「心の旅人」はCCCDである。悔い改めよ。)
油断していると、森山直太朗の「生きとし生ける物へ」、スマップの「世界で一つだけの花」、が、有線で“続けて”かかっている! なんかホント、SFにあったジョージ・オーウェルの『1984』の世界にいる、気がする。
「いるん、だよ。」
(そしてミスチルの「PADDLE」がかかる。平原綾香の「永遠」がかかる。)
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キャバレー・ボルテールの『The Original Sound Of Sheffield ‘78/’82. Best of,』(ミュート・レーベルのコンピレーション)、 Bump of Chickenのセカンド『LIVING DEAD』復刻を購入。ひさびさに聴く「グングニル」、やっぱ彼ら、いいわー。
▼音楽は買わないと聴かない2 いや、つまんないことなんだけど。 買ったCDが良くなかったら、良くなるまで聴いてしまうんです、わたしたちの階級は。 貧乏性と言っていいです。貧乏なくせに「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」と殿様ぶるのも品性の劣っておる証しでして。 「10回聴いたらわかるかもしれない」「5年経ったらわかるかもしれない」「深夜に独りで聴いたらわかるかもしれない」、あくなきチャレンジ精神。 慣れというのはおそろしいものでして、美人は3日で飽きるがブスは3日で慣れる、これ、人類の叡智でもあり。 あれ?何をどういう道すじで書こうとしたのかわすれた。 道すじなんてないくせに。 わかります?
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