日記...マママ

 

 

- 2013年01月31日(木)

前から言われていたことなのだけど、教室を移転しなければいけない。
県営住宅の中の集会所を使わせていただいているのだけど、本来学習塾とかで使う場所じゃないから、ということらしい。
今がめちゃくちゃ家賃安いのでどこに移るにしても家賃が高くなるのは間違いないし仕方ないことなのだけど、それにしてもわたしも生活があるので出せる金額には上限がある。
今近隣にはその上限をはるかに越える物件しかなく、出るのならそこに入るしかない。
ということは、わたしはもう指導者をやめなければいけない。
経営が成り立たないのならば、教室を他の人に任せて手放すしかない。
バイトでもしたほうがよほど安定した収入が得られる。

結婚していれば、こういうとき、パートナーに助けを借りることもできるのかもしれない。
独身でいることを残念だと思う。

もう採算度外視で移ろうかと思ったりもする。

それか、建てるか。

自分がどうしたいのかわからないので書き出してみよう。

・教室は続けたい。
・生活できる程度の収入は保ちたい。
・結婚したい。
・遠くに行きたい。熊本から離れたい。
・どこか遠くの教室を引き継ぎたい。
・そこで生活できれば一番いい。

遠くに行きたい。
熊本にいたくない。

よその土地の事務局に問い合わせるにしても、たぶん「そこに住んでいる人のところに嫁ぐから」という理由じゃないと受け付けてもらえないと思う。

何はともあれ結婚のことが片付かないとどうしようもない。

誰かお嫁にもらってくれ。切実に。
そしてわたしをよその土地に連れ出してくれー!!!





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- 2013年01月25日(金)

高望みはしない、と決めた矢先に最近知り合った男性と昨日急遽飲むことになったのだけど、なんかえらいハイスペックな人でもう全然だめだった。なんというか、しっかり生きている人だった。偉い人だった。もう、わかってるのに、なんだろうこれ、やめてほしい。一度持ち上げて落とさないでほしい。そんなら最初から普通の状態でいたい。だから高望みはいやなんだ。いや、よく考えたら別にわたしは今回の飲み会は望んでたわけじゃない。なんとなくそういう話になったんだ。でもまあ行った時点で何かを望んでいたことは明白で、だからこうしてもやもやしているわけだ。

薬を二日に一錠にした。
正直ぎりぎりな感じがする。
張りつめた糸が切れそうな感覚が、ずっと続いている。
しんどい。
でも、もう薬漬けの状態には絶対に戻りたくない。
しんどいんだけど、今の方が生きている。
きちんと自分の意志で動いている。

でもしんどい。
揺れ動く。

正月休みに心身ともにかなりいい調子になったのに、この2週間ですっかり無精者に戻っている。
お風呂に入って、部屋を掃除して、おいしいごはんを食べよう。
それだけでだいぶ救われる部分があるはずだ。

内にこもるな。動け。動いて癒されるんだ。
動くのをやめるな。

わたしは何を求めているんだろう、と思う。

不遜な言い方だけれども、20代のころは、わたしが好きになった人はだいたいわたしのことを好きになってくれていた。
たまに叶わないこともあったけど、まあだいたいは。
これが今ない。絶望的にない。
わたしが好きになる人はますます手の届かない人ばかりになり、わたしを好きになってくれる人はますます(以下略)。
理屈では重々理解できている。これを「高望み」と言わずしてなんと言おう。

それでも、わたしを好きになってくれる人を、わたしは好きになれないのだ。

自分の恋愛相場における価値の急落に、まだ気持ちが追いついていないということだ。わかっている。それもよくわかっている。

つまり、これを心底から実感するためにはもっとたくさん傷つかなくてはならないということだ。

高望みをしまくって、振られまくって、自分に本当にふさわしい人に目が向くようになればいいのかもしれない。


ただ心配なのが、その過程で壊れてしまわないかということだ。
正直、一歩手前な気がする。
もう仕事も何もかも放り出して、南の国に逃げてしまいたい。
明日にでも飛行機に飛び乗りたい。
薬のおかげで見えていなかった現実が徐々にクリアになり、じわじわと足元からわたしを蝕む。夢が覚める。
別に結婚しなくちゃ幸せになれないわけでもなんでもないんだし、今だってそこそこ幸せなんだし、何をそんなに恐れているのか、と思う一方で、老いへの恐怖、思い通りにならないことが増えていく恐怖を感じる。そうだ、これだ。思い通りにならないことが増えていくのが恐ろしいのだ。外見も中身も、日々どんどん硬直して衰えるペースが速くなる。努力を重ねても追いつかなくなる。同じことをやり続けていてもだんだん衰えるペースのほうが早くなる。もっと努力しなくてはならない。年を取るほど努力しなければならないのだ。なんという絶望。努力が嫌いな人間にとってこれほどの絶望はない。公務員試験と同じだ、と思った。努力しても報われるとは限らない。そしてその努力がほかに応用が利くかと言ったらそうでもない。方向転換しようにも、もう年を取りすぎていて誰も相手にしてくれない。

人生観の見直しをしたほうがいいのだと思う。
ただこれも頭で考えて自分をコントロールしようとしてもどうにもならないので、とにかく思うように行動して、気が済むまでやり続けて、それから何かを悟るしかないのだと思う。理屈ではなく気持ちの上で。

なんというエネルギーが必要なのだろう。
そういうアレをあざ笑う層が一定数いるのをわたしは知っている。
中島みゆきは「戦わないやつらの笑い声なんか気にするな(意訳)」と歌うが、やっぱり笑われたらみじめだし、自信をなくす。無様な戦いだからだ。
くぐり抜けられるのかなあ。
経験則ではこういう時期のあとには必ず何らかの光明が差してくるものだけど、でもまっただ中にいるときはしんどいよね、やっぱり。


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- 2013年01月14日(月)

この目覚めた瞬間の不安感とか絶望感はなんなんだろうと思っていたけれど、もしかしたら単に飲み会の後はこうなるというだけなのではないかという気がしている。
こういう気分になるのは決まって、飲みに出て帰宅が午前様になった翌朝だ。
あんまり遅くまで飲み歩かないほうがいいのかもしれない。
だいたい体重めっちゃ増えてるし。
お正月から二週間で3キロ減らしたのがきれいに戻っている。
夕ご飯に中華料理食べて、そのあと世界の山ちゃんで手羽先食べて、それから〆につけ麺食べちゃったもんね!!夕方から夜にかけて3食分ぐらい食べていた。それはだめださすがに。

来週末も飲み会だけど、なるべく早く帰ろうと思う。遅くとも11時ぐらいまでかなあ。そんでちゃんとお風呂に入ってきれいにして寝るようにしよう。

昨日の飲み会で初めて話した同級生は、統合失調症から社会復帰を遂げたのだそうだ。
これは本当にものすごい偉業だと思う。

学がやはり統合失調症と診断されたのだけど、あの状態から社会生活をまともに営むことを目指すなんて、正直、真っ暗闇を手探りで歩くようなものだという印象だ。

毎日まだまだしんどいことが本当にたくさんあるだろうとは思うけれど、前向きに少しずつ社会に再適応しようと努力している様子で、偉い、本当に偉い。もううつ病からも解放されて生きていくうえで不安要素はほとんどないのにいつも後ろ向きなことばかり考えている自分が恥ずかしくなる。


昨夜の夢の中でわたしは母親の独善的な干渉を激しく責めていたのだが、たぶん、わたしがこういうふうに精神疾患から立ち直ろうともがいている人間と仲良くするのを母がよしとしないことに対する抵抗だったのだと思う。だから突然母が夢に出てきたのだ。
母はこういう人間に驚くほど冷徹だ。
だからわたしは間接的に自分も否定されている気になる、いや、気のせいではないのだろう。
おそらく母はわたしのそのような要素を忌み嫌っている。
自分だって精神的に全然まともではないくせに。
わたしがこうなったのは、父と母のせいでもあるというのに。
精神科に行かないで、周りに迷惑をかけまくって、それでいて、精神科に行って自分の中の歪みと直面している人間を母はあざ笑う。
精神科に行っていない自分はまともで、そうでない人間はできそこないだと信じ込んでいる。

まあそれはもうだいぶ前からわかっていたことなのでどうでもいいんだけど、母はわたしに、こういう要素をすべて無視し、心身ともに健全な男性と結婚するようしつこく迫る。自分はあのような人格障害の父と結婚したくせに。

それは無理なことなのだ、と、昨夜の夢を振り返って、わたしはようやく結論づけることができた。

ここ数年わたしを苦しめていた「高望み」は、母の願望が自分の中で自分と一体化してしまっていたものなのだと理解できた。

かなり楽になった。

しかしやはり、熊本を離れたほうがいいな、とつくづく感じた。
こんなに深いところでまだ両親の影響下にあったとは、なかなか深刻だ。
現実的に考えると結婚を機に別の土地に移り住むのが一番いいのだけど、そうでなければ、転職か。

関東に居を構えている上の弟に相談をしてみようと思っている。





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危ない - 2013年01月08日(火)

鬱だ。
ちょっとやばいレベルの鬱だ。
あのときの、もう会社にも行けないやばいレベルの鬱の感触。
薬を一日1錠に減らしたのがよくなかったんだろうか。
一日2錠に減らしたときはちょっとの抵抗ですぐに慣れることができたのに。

薬を減らしたからだけではない。わかっている。
立て続けに失恋したからだ。
立て続け、という言い方も変だけど、バイト生からは婉曲的ながらかなりはっきりとわたしが恋愛対象外であることを聞かされた。告白はしていないけれど、それに等しいことを言った、と思う。たぶんあいつのことだから、だいたいわかった上で言っている。これをもって完全にあいつとの可能性はなくなった。
そして、同級生の気になっている友達からも、そういう対象としては見られていないことを理解した。
ていうかどう考えても最近避けられている。
勘付かれたのだろう。
誰かがばらしたのかもしれないけれど。
まあどっちでもいいよ。
避けられている時点で可能性も何もないよ。
近年まれにみる自己評価の低落に苦しんでいる。
わたしはもう女として微塵も価値のない存在なのだと今思っている。
こないだ久しぶりにメールをくれた人も結局それ以来何も連絡してこない。
適切な人が見つかったのだろう。
あるいは気まぐれ。
もういい。

「先生のことを好きな人はいるはずです。
でも、その人のことを先生が好きにならないんでしょうね。」

とバイト生に言われた。
そうなんだ。
つまり「30代にもなって高望みしてるんじゃないよ」と言われているわけですごい凹むのだが、じゃあ、どうすれば、わたしを好きになってくれる人をわたしは好きになれるというのだろうか。
まさにハチミツとクローバーなのか。
読んでないけど。
聞くところによると、登場人物全員が片思いだというではないか。
そんな地獄のような世界を描いたまんががなぜあんなにヒットしてドラマ化までされたのか、わたしにはさっぱり理解できない。
このまんがの感想には「せつない」「共感」などのキーワードが飛び交うが、「せつない」どころじゃない。地獄だ。
好きな人から好きと言ってもらえないなんて、むしろ迷惑をかけたり鬱陶しがられたりしている可能性すらあるなんて、これぞ現世における地獄だ。

人生はかなりの確率でプラスマイナスゼロだから、これまでもらったたくさんの幸せをだめにしてきた分を、今差し引かれているのだと思う。

昨日バイト生と話していて思ったが、もっとていねいに扱っていれば、壊れなかった幸せもあったはずだった。
次々と相手への不平不満を見つけ出し、せっかく手にした幸せを自ら壊しておいて、何を今更嘆くというのか。
口には出さないが彼がそう言いたそうにしているような気がした。
気がしただけかもしれない。自分の心の中の声なのかもしれない。

いや、でも。

やっぱり、将来を見据えて付き合い続けることができた人は、いなかったのだ。
違う形で別れることはできたのかもしれないけれど、やはり別れるしかない人たちではあったのだ。

反省はしている。
けれど、後悔はしていない。
そのときの自分に誠実な、嘘のない選択をしてきた結果が、今のわたしなのだ。これだけは確かだと言える。

そう言わなければ自分を保てないだけなのだとしても。




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