「堀さんと宮村くん」 - 2011年11月30日(水) 今日は朝からめまいがひどく、午前中に入っていた勉強会を欠席して、ずっとベッドの上でぐだぐだしていた。 それで、たまたま見つけた、少し前に話題になっていたWebコミックを読む。 淡々と読んでいたはずが 「友人二人の何気ない会話を、勝手に自分の脳内でアメリカの通販番組風に吹き替えをしながら眺めて一人でツボに入って笑う」 という一コマで爆笑し、そんであー喉乾いたなあ、と思って水をくみに立った瞬間に鼻の奥がすさまじくつーんとなったかと思うやいなやぼろぼろと涙がこぼれてしばし号泣。 男女の構図がいかにもわたし好みで、いろいろポイントを探そうと思えば探せると思うのだが、細かいところは置いといてとにかく堀さんと宮村くんがそれぞれに愛すべき人間すぎる。 たぶんどちらも、とても多くの人が共通して抱えている苦悩や弱さをありありと映し出す読者の鏡のような存在で、そういう彼らがありふれた(?)日常の中で世界一幸せになっていく姿に強く癒されたのだろう、という、たぶんそのへん。なのか? ほんとのところはよくわからない。 こうやって書きながらもまだだらだらと涙が止まらない。 なんだ、なんでわたしはこんなに泣いているのだ? ちょっと混乱している。 誰にどういう感情移入をしているのかが、自分でよくわからない。 とにかく一読の価値はありますです。 読解アヘン - 地味にストレスがたまる - 2011年11月27日(日) 面談のため土日とも教室へ。 共働きのご家庭が多いので週末でないと話ができない、わかってはいるんだが、やっぱりだるい。 土日はぼけーっとして無為に過ごしたい。 今から温泉に行く。 思うままにぼんやりできるだろうか。 なんか常に何かに追われてる感じ。 月末は嫌いだ。 - 固定観念の瓦解 - 2011年11月24日(木) Facebookでメッセージを送ってみた高校時代の片思いの相手からなんと返事が届いたのである。 返事が届いたという事実が単純にうれしくてたまらない。 そりゃ同級生なのだから返事ぐらい普通に送るだろうけど、わたしは彼と、高校時代、会話らしい会話をしたことがまったくなかったのだ。 卒業式の日に 「第二ボタンください」 「え?ああ、これでいいですか?」 「ありがとうございます」 という会話を交わしたのがたぶん最初で最後で、他は記憶にない。 (そしてその会話すらたぶん先方は覚えてない) その彼とFacebookを通じてはあるが初めて普通に同級生らしい会話ができたというのがうれしいのだ。 なんというかネットってすげー。すげーよ!! 思春期の片思いには相手をむやみに神格化してしまうことがままある。 わたしの場合は彼がそうだったのだろう。 畏れ多くも彼と話すことなど絶対に無理だ、一生そんなことできるわけがない、と思うともなく思い込んでいた。そしてそのイメージが固まったまま卒業して今日に至る。 だもので、普通に話すぐらいなら実はそこまで無理なことじゃなかったという事実を目の当たりにして、大げさに言うとちょっと世界観が変わった感じがするのだ。 凝り固まっていたものが瓦解したような。 これでもう思い残すことはない。我が人生に一片の悔いなし。 Facebookで一度やりとりをしただけですっかり満足している。 - ままならない人生 - 2011年11月19日(土) 庵野秀明と結婚して今は「オチビさん」をほそぼそと連載している安野モヨコは、ほしいものをあらかた手に入れてしまったように思える。 でも働きマンは連載の途中で止まったままだし、まだまだ絶好調には見えない。 ほしいものはなかなか手に入らない。 それとも手に入らないから余計にほしくなるのか。 土曜日の午後をひとりで過ごすのも悪くない。決して悪くはない。 今日は珍しく目覚めがよく、いつもなら一日のうちで一番眠くなる時間帯の今でもわたしはぱっちりと冴えた目と頭でこの日記を書いている。 いつまでもこのままではいけない、と頭のどこかで声がする。 のだけど、「このまま」を脱却したとして、次に来るのはどのようなステップなのだろう。 まったく想像がつかない。 いや、人の話を聞いて知識を得ることはそりゃできる。 でも自分の身に引き寄せて考えることができない。 何か漠然とした欠如感とか飢餓感のようなものに悩まされる。 たぶん、どうなったってこれはなくならないものなんだろうなあ。 しょうがない。 ということで部屋の片づけでもしよう。 - よだきー - 2011年11月18日(金) 先日の学生バイトがブッチした事件以来、朝方に必ず目が覚めるようになった。 前例がないわけではないが、今回の彼の辞め方はわたしのなかで史上最悪のものだった。 教育実習から帰ってきてから彼はなんだかおかしくなった。 いやもとからおかしいところは多少あったけれど、まあ学生だから、で十分に許される範囲だった。 教育実習がいったい彼の何を変えたのか。 「なんかいやになったんです」 で押し通そうとするその幼稚さに呆れ果てた。 そんな学生が、学部内で「学部の就活を成功させるために模擬面接を企画する」とかそういうのを有志でやっているらしい。 なんか、そういう社会感覚でよくやるよね、と正直思う。 さすがに言わなかったけど。 まあ辞めたいと思ったら確かにすぐ辞めたくなるものだけど、普通は一か月前までに伝えるのが常識だし、実際法律でもそう決まってるんだよ、罰則はないけれどもさ、という話をしてたらブツ切りの上に着信拒否をされた。 そこにいたるまでに、フランチャイズ契約しているうちの教室の基本的な教育方針についての疑問とか、所詮たいしたことやってない的なことをまくしたてられたのも、わたしの中でわりとダメージは大きかった。 学校のやり方と違ってて批判的に見る学校の先生も割といるらしいと聞くので、まあそのへん感じるところがあったのだろうとは推測する。 ただその辺も含めて、面接のときとか研修のときとかにわたしめっちゃ説明して、すごいいい笑顔で「はい!がんばります!」とかって言ってたんだけど結局聞いてなかったってことなのね、というのも悲しかったし、彼は言いたいことが言えて満足なのだろうけれど、こちらはがんばってる仕事を一方的に貶され、軽んじられておしまいである。 ひどい!わたしもう泣いちゃう! 彼の前にもうひとり、 「先生がぼくに『ありがとう』と言ってくれなかったから」 という謎の理由で辞めてしまった子がいたのだが、このふたりについてはどうも勤務中の言動をよくよく思い返すに、わたしに「お母さん」になってほしかったのではないか、と思う。 わかんないけど、もしも男の経営者だったら、あんなこと、言わなかったんじゃないかな。 こういう子もわりといるというのが今回勉強になったので、次回の研修からは 「労働とは何か」 「仕事とは何か」 的なことを上から目線にならないように、就活にも役に立つよ!ここでの仕事はあなたのスキルアップにつながってこんなに魅力的なんですよ!的な観点から取り入れていきたいと思います(「スキルアップにつながらない」というのも件の彼の言)。 そんで、仕事中はもう山本五十六になりきる! もう決めた。 わたしは五十六なのだ。 いついかなるときも五十六!! わたし五十六先生! - - 2011年11月14日(月) 新卒の就職先で3か月間いっしょに新人研修を受けた関連会社の同期が急逝した。 脳卒中だったそうだ。 彼は院卒なので学年はわたしの二つ上、35歳だ。 30代の脳卒中が今増えている、と確かに聞くが、だからってどうして彼がこんな目に遭わねばならないのだろうか、実際に自分の周りでそういうことが起こると、いろんな感情がいっぺんに出てきてどうしていいか今正直よくわからない。 ここ数年は連絡を取っておらず近況を知ることもなかったのだけど、喪主が奥さんで、隣には小さな男の子がひとり、ちょこんと座っている。 息子ができた、とちゃんと聞いたことはなかったけれども、そりゃまあ35歳にもなれば、このぐらいの年頃の息子さんがいたって何も不思議じゃない。 きりりと結んだ口元、凛と見開いた目元。母親や祖父母からそうするように言われたのだろうか。それとも言われるともなくそうしているのか。 笑うときっと温和な顔つきの彼によく似ているのだろう息子さんのたたずまいは、それだけで参列者の涙を誘う。 眠り顔は穏やかで、でも、とてもやつれていて、いっしょに研修を受けていたときの健康的に丸みを帯びた、笑うとえくぼができる輪郭ではなくなっていて、どうして、とやっぱり思わずにはいられない。 死者だから美化するのではなく、本当に温和で人当たりのよい人なのだ。 裏表がなく、研修のときも敵を作らず誰からも好かれていた。 彼がよき家庭人、よき父親であったことは想像に難くない。 焼香のとき、奥さんは律儀にひとりひとりにお辞儀をしていた。 返礼をしながら、わたしは奥さんを抱きしめてあげたくなった。 面識がないので無理だけど。 でも、抱きしめてあげたかった。 奥さんは今、真っ暗闇の中にひとりでたたずんでいる。 皆が同情してくれる。 力になるよ、と言ってくれる。 それが決して嘘ではないことはわかっている。 でも、ひとりなのだ。 やっぱり、圧倒的に、ひとりなのだ。 あなたがいま真っ暗闇の中にひとりでたたずんでいることを理解します、そう伝えたかった。 ある程度時が経った頃、周りが少しずつ日常を取り戻し始める頃でも、あなた自身が本当にもとの自分を取り戻すまでは「元気になったふり」「立ち直ったふり」をする必要はないのだ、と伝えたかった。 周囲の抱える闇とあなたの抱える闇がまったく異質のものであることを理解します、そう伝えたかった。 学が自殺した後で辛かったことのひとつが、わたし一人だけ、周囲の時間の流れに取り残されている感覚がかなり長期にわたって続いたことだった。 周りの人たちが少しずつ気持ちに整理をつけ、自分の生活に戻っていく中、わたしはいつまでも元に戻ることができなかった。いわゆる「喪」の期間が自分の中で相当長く続いていた。 そして、そういうわたしを、「喪」を脱した周囲は少しずつ、持て余し始めたのだ。 「もう十分泣いたと思うよ」 「そろそろ前を向きなよ」 そういった意味合いの言葉を何度もかけられ、わたしはそのたびに傷ついた。 学のことを話題に出すことは、もうできないのだ、と感じた。 そのように、学を失った悲しみを共有してくれる人が少しずつ減ってゆくことが、一時期本当につらかった。 一度抜けたと思っても、そうやってまた次の真っ暗闇が続く。 彼の苦しみを想像すると涙が止まらなくなるが、それと同じく、彼の奥さんのことがわたしは気にかかる。 どうして死んじゃうんだ。どうして。 あんなにかわいい息子さんを置いていっちゃうなんて。 死ぬとか、なし。そういうの、なし。 死んだらいかんって。ほんとにいかんとよ。死ぬとか。ないって。ほんと。 理不尽だという思いがふつふつと湧き上がる。 なんで彼が死ななければならんのだ。 おかしい。変だ。 そんなことは、あってはならないのだ。 あんなに幸せそうな家庭を持てた人が、突然死んでしまうなんて。 おかしい。絶対おかしいよ。 どうしてこんなことになるんだよ。 -
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