自転車で寿司を食いに行く - 2011年09月28日(水) 近所の「すし市場」に、自転車で寿司を食いに来た。 生ビールが飲みたいので自転車で来た。 自転車でも飲酒運転は交通違反なのだけど、帰りはぶらぶら押して帰ればよいだろう、と思って自転車で来ている。 車で5分ほどの場所に、くら寿司とスシローが向かい合って建っている。 そのせいかここの店内は実に閑散としていて、こうしてカウンターで一人客がポチポチと携帯をいじくっていても何ら気兼ねするべきことはなさそうな雰囲気だ。 しかしやはり閑散としているのは他店のせいばかりではないようで、一応、寿司屋としての体裁は調っているのだけど、なんかこう、食べても食べても、満ち足りない何かが残るのだ。お腹はいっぱいなのに、心の飢えが満たされない。なんなんだろう。わからない。わからないけれど、こういう漠然とした感触こそが、この店舗から客を遠ざける大きな要因のように思える。 多分、シャリやネタがほんの少し少ないとか小さいとか、その程度なのだ。 ささいなことなのだ。 しかしそのささいなことが尾を引くのがサービス業なのだ。 小さなことを大切に。 うむ。 - ジョイフルにて - 2011年09月11日(日) 日曜日の夜にひとりジョイフル。 栄養が足りていない状態で一日寝ていたからなのだろうひどい頭痛を伴いながら、日が落ちてようやく、うまそうなラーメンについてのブログ記事に刺激されて身体を起こした。 ミスターマックスで日用品の買い物をして、それから馬力屋に行くつもりだったのだが、直前でやめた。 馬力屋の濃厚豚骨ラーメンを胃が受け付ける気がせず、もう少しバランスのよい食事をしよう、と思い直したのだ。 ほんとわたし変わったなー、と思った。 わたしがラーメン食べたくないとか、ありえない。 弱くなった。 心は弱いけど、身体は、というか、胃袋は強かったはずなのだ。 二日連続でラーメンとか、多いときは一日二食ラーメンとかやっても平気だった。 それなのに。 銀シャリ亭に行けばよかった、と後から思ったのだけど、ジョイフルで定食を食べた。健康的とは言えまいが、ラーメンよりは幾分ましだろう。 しかし食べ終えた今、まだ頭痛は治まらない。 なんだ、お腹空いてたからじゃなかったのか。 寝すぎかな。日光にちゃんと当たってないからとか。 ずっと変な咳が止まらないのも微妙に気になる。 病院に行くと言ったって週末でないと行けないし。 こんなに続くなら今週末に行けばよかった。何も予定はなかったのだから。 ただ疲れてるだけ→寝てるうちにお腹減った、の流れだと思ってたのに。あー。頭が痛い。 帰って薬飲もう。 - 5分咲きぐらい - 2011年09月04日(日) 一人の生活のリズムもなんとなく取り戻し、ぼんやりと無為な休日を過ごす。 とてもよい休日だった。 心も体も疲れから回復し、日が沈むころにはシャワーを浴びてお中元のプレミアムモルツでのどを潤した。 さっぱりと心地よいけだるさに包まれている。 また明日からがんばれそうだ。 やらなければならないことは山のように思いつくのに、心と体は追いつかない。 バイトの大学生は男ばかり4人も来た。ひとりは別の先生に紹介した。 できれば女の子がいいのだけど、なぜかここ数か月、男しか来ない。 偏見なく見ているつもりなのだが、大学による学生のカラーというのは確実にあり、結果としてやはり地元で一番偏差値の高い大学の学生を使うことが多くなってくる。 長くいる主婦のスタッフさんから 「先生、学生君いいですよ!長女で下に弟がいるんだし、年下いいんじゃないですか?」 と言われて、なんというか、微妙に痛いところをつかれた気がする。 確かに 「ああこいつ、わたしのこと気に入ってるな、女的に」 というのはさすがにわかる。 なにせ10歳以上も違うのだから。目線としては生徒を見る目線とほとんど同じだ。頭の中はだいたい透けて見える。 公務員とか教員とか堅い仕事を志望してる子が多いし実力もあるんだろうから、まあ実現すれば将来安泰。 上手にやれば、彼らを「ものにする」ことも不可能ではないのかもしれない。 のだけれども。 違うの。 なんなんだろうね。 ムラッとこないのです。 母の引退→実家の模様替えに伴って、行方不明になっていたわたしの大学の卒業アルバムが見つかった。 大学生のころ、わたしのことを気に入ってくれていた人(現在は地方公務員)のポートレートを凝視してみた。 たぶん彼はいわゆるイケメンです。 何も事情を知らない人がアルバムを見て「(他はともかく)この人かっこいいね」と話すのを聞いて、そうなのか、と思った。 わたしは彼と、もう少しで一線を越えそうになったことがある。 いや、あれはもう越えたと同じことかもしれない。 ひとえにわたしの甘さが招いたことだったのだが、向こうはわりと真剣に考えてくれていたらしいと後で知った。 でも、わたしは、そのとき、彼に抱かれたいとはこれっぽっちも思わなかった。 彼がわたしをそういうまなざしで見てくれていることにも気づかずにいた。 都合よく「何でも話せる友達」だと思い込んでいた。 卒業してから何度か、彼はわたしに会いに来たり、電話をかけてくれたりした。 彼女ができてからも。 最後に電話をしたのは2年ほど前だったと思うが、たぶんそのとき彼は、彼女との結婚を考え始めていたのだろう。 「今彼氏はいるのか」と尋ねられて、正直に「いる」とわたしは答えた。 その彼氏のことが大切なのか、結婚を考えているのか、そういったことをいくつか確認されて、結婚はまあわからないけど大切に思っている、ということを答えた。 それで、彼は、気持ちの整理をつけたのだろう。 「一緒に将来を考えられたらいいな、とどこかで思ってた。でも、今の状況が聞けてよかった。正直に話してくれてありがとう。」 そう言って彼は電話を切った。 なぜ彼と結婚しなかったのか、と、わたしのどこかで声がする。 この上ない「安定」が手に入るのだ。 穏やかで、話しやすくて、きっとすばらしいパートナーになるだろう。 仕事は一時的に辞めなければいけなくなるかもしれないが、再開しようと思えばいつでもできる。彼の住んでいる町にも同じ仕事はあるのだから。 もうひとり、わたしに「結婚を前提に付き合ってほしい」と言ってくれた人がいた。 その人も「安定」をわたしにもたらしてくれる人だったのだと思う。 でも、わたしは彼と結婚しなかった。 なぜなのだろう。 彼ともわたしは一回だけセックスをした。 これもわたしはまったく予感していなかった。 学の自殺の直後だった。 そのことを話した。 彼は黙ってわたしの手を引き、ホテルに連れて行った。 落ち込んでいるところに酒も入っていて、ぼんやりとただ流されるままに身体を許した。 いやではなかった。というか。どうでもよかった。 でも、次また抱かれたい、とは思わなかった。 だからなのかな。 だからだ。 きっと、そういうところなのだ。 今付き合っている人は、社会的な身分は不安定だ。 今の仕事が終わった後、どうなるかはまだよくわからない。 でもわたしは彼に抱かれるといつも、頭がおかしくなりそうになる。 わたしよりずっと年上で、セックスするときは完璧にわたしを支配する。 そこから逃れることがすでにわたしはできなくなっている。 よくわからない。 「『すき』と『せーよく』はどう違うの?」 とモヨコはラブ・マスターで中学2年生の女子に言わしめたが、考えるほど、違いなんてないのじゃないかと思う。 そんでわたしは、「すき」じゃない人とは、いくら「条件」がよくても、結婚なんてしたくないと、いうどこまでも甘ったれたお花畑に生きる乙女なのだということにも思い至る。 どうすれば「条件」がよい人を好きになれるのだろう。 だめんず体質って、もはや先天性だよね。 「飲む打つ買う」がないだけいいと思わねばならないのであろう。きっと。 でも結婚したらわからない。 「飲む打つ」はともかく「買う」はあるな。あいつは。 買うだけならまだしも、買わないパターンもありえる。うん。あるな。 そのときにどのようなお仕置きをすべきかを今のうちからわりと真剣に考えたりしているわたしもたいがいだなと我ながら思う。 -
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