日記...マママ

 

 

わたしは頭がおかしいのか - 2011年05月30日(月)

「陽性転移」についてネットで検索してみたところ、まあ出てくる出てくる。
真っ当に悩んでいる人もいるけれど、明らかに「だめだこりゃ」な人もいて、こういう人々とも自分は仲間なのかもしれないなと思うとなかなかに落ち込む。


この「転移」というのは精神分析の世界で主に使われる言葉のようで、医学の世界においても同じように幅広く扱われていることなのかどうかはよくわからない。
精神分析的な意味での「転移」は治療の一過程として避けられないというほどのものらしいが、精神分析の考えは必ずしも現代医学にそのまま取り入れられているわけではない。特に源流のフロイト・ユングについてはあんまり肯定的に見てないお医者さんも相当数いると以前何かで読んだことがある。
要するに過去の満たされなかった愛情希求の感情が形を変えて表出しているということのようで、仮に精神分析的に「転移」を解決していくのであれば、何が原因だったかがわからないといけないので過去のトラウマとかいつの誰の愛情が足りなかったかとかそういうのを医師と一緒に総ざらえしないといけないらしい。

やだよそんなの。きりねーじゃん。

で、最近の精神医学も、大まかな流れとしては原因追求しても実はあんま意味なくない?みたいなのがある、と、これまたどこかのサイトで読んだことがある。
確かにそうだと思う。
熾烈な虐待を受けながら育って人格そのものに深刻なダメージを受けているとかだと別かもしれないけど、わたしレベルのライトなうつ病患者に対してその作業はあんまり意味がないと思う。


わたしのは、その「転移」というやつじゃないのだ、と思いたい。
ていうか普通に違うと思う。

いや待て、もしかしたら、わたしが今まで「恋」だと思ってきた感情がすべて「陽性転移」だったということなのか?

そうかもしれない。わたしは「恋」に、常に何らかの救済を求めてきた。
そのとき自分が抱えている苦しみや不安、不満を、恋によって解決することを望んでいた。
何かと言えば「父と娘」「母と息子」「棒状のものは全部男性器」でおなじみのフロイトだが、陽性転移も「父親からの満たされなかった愛情が云々、その代償としての全能的存在を医師に求め云々」というようなことらしい。
今はほとんど落ち着いたと思っているが、昔は父からの愛に飢えていたことは認める。その代償を当時の恋愛対象に求めていたのも認める。

うむ。「転移」だな。


いやね、でもさ、まあ人それぞれ程度はあると思うけど、そういう側面がまったくない恋愛とか、あるのか?
ねーだろ。
つまり、幼いころからパーフェクトに過不足なく両親からの正常な愛情を受けられる環境にいたならば、親の役割を恋人に求めることは一切なくなるのかもしれない。
しかし、そんなふうに育つことのできる人間など、おらんのじゃないだろうか。
人間が人間である限り、それは不可能な話だと思う。
要するに程度問題、みんないろいろあるけれどまあバランスよく節度を持って人付き合いができるかできないか、それだけの問題なんだよね。たぶん。

わたしはその「程度」が少々強すぎたということなのだと思う。
それも、年を経るに連れてだんだんそのへんのバランス感覚もわきまえることができるようになりつつある。
以前のわたしを切迫した恋に駆り立てていたような、追い詰められるような孤独感や不安感、絶望感に苛まれることはもうない。
もはや父親代わりの存在を求める必要もないように自分では思っている。


そういうことでわたしは結論を出した。
先生への感情は「転移」ではない。


ついさっきまで

「治療の一環として洗いざらい相談すべきなんだろうか、そんでその過程で失恋しなきゃいけないんだろうか」

と悲壮な決意をしかかっていたのだが、それはやめる。
主治医はいずれ、別の人に代わってもらうべきかもしれない。
そこはまだ判断を保留しておこう。
しかし、先生をあきらめるのはあきらめようと思う。
陽性転移に悩む患者の相談に「医師だって家に帰れば愚痴も言うし、だらしない格好もするし、ただのつまらない一人の男です。幻想に惑わされないように。」とのアドバイスがついていたが、陽性転移とはそういう当たり前のことさえも客観的に判断できなくなっている状況のことなのであれば、わたしは陽性転移ではないと自信を持って言えると思う。


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などと深夜に考えていたのだが、今日は朝から超大事な打ち合わせなのを忘れていた。
あくびをこらえながら会場に向かった。

夜中に考えることというのはやたら強気になりがちだが、一晩明けてみると「やっぱり次の診察日に洗いざらい相談しようか…」
と再び弱腰になっていたりする。
まあ、次の診察日には転院を相談してみようかな、どっちにしても…。
なんか考えるの疲れた。
楽になるために病院に行くのになんで疲れなきゃいけないんだ。
ばかみたいだ。
次はおっさんか女性に担当してもらおうと思う。
そうよ。女医さんでお願いしますとはじめから言えばいいんだ。
うん。そうしよう。

それでもずっと気になるのなら、そのときに改めて考えればいいと思う。
問題の先送り。
仕方ないよ、どうしていいのかわからないんだから。


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わからない - 2011年05月29日(日)

今回の人はやはりイライラするのでないとして、近々、主治医の先生にきちんと話をしようかと思う。
振られるとわかっていて告白するのもなかなかつらい。
そんでそのあと、ちゃんとしたお医者さんに巡り合えるのかどうかもわからん。
もっとこう、健康に恋がしたい。
自然と好きになって、たぶん向こうも同じ気持ちだってのもなんとなくわかってて、自然と距離が縮まるような、そういう恋がしたい。
最初から恋愛ありきで出会うのではなく、何か他のことで知り合って、その結果としてじゃないと自然に好きになれない。たぶん。
でもそれじゃ当分きっかけは来ないよね。
うーむ。
焦りは禁物なのだけど、やはり焦ります。

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断ってきた!!
ああああもう昨日と今日の二日間でかなり磨り減った…。
女性経験が少なそうで、しかも善人そうなので期待も大きかったんだろう。
申し訳なさも半端ない。
なんかあの感じだとまた日を置かずに電話とか来そうで、やっぱり長々とメールなどせずにさっさと会ってさっさとけりをつけるべきだったのだと思った。
頼む!!きっぱりあきらめてください!!頼みます!!

そしてついにやってしまいました。
先生の名前を本名でgoogle検索→先生の過去の偉業の数々(研究論文とか)を眺めてニヤニヤしてました!!
先生マジ勉強家。熱いよ。熱血精神科医だよ。
左手薬指に指輪はないが、お医者さんだし、仕事の都合で外してるだけなのかもしれない。独身でも彼女ぐらいは普通にいるだろう。絶対女性に不足はしていない。絶対していない(二回言った)。あんなにかっこよくて賢くて仕事熱心な人が女性に放っておかれるはずがない。先生はかっこよすぎる。仕事に取り組む姿はもちろんかっこいいのだけど、そもそもイケメンなのだ。もうだめだこりゃ。仕事熱心なイケメン医師に心配され、気を遣われ、「何かあったらいつでも電話してください」と優しい笑顔で念を押される。何もねーよ、もう病状はよくなってて、あとは薬をいつやめるかって話だけなんだからさ。何かあるとしたらお食事にお誘いするぐらいしかねーよ!本当に、なんとおそろしいことだろう。先生の所作がいちいち完璧すぎて泣きたくなる。告白してなんか気まずくなりそうなら別の先生にしてもらおう。とにかくずるずるするのはよくない。


もうやだこんな女。
健康な恋がしたい。


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背が低い - 2011年05月28日(土)

長らくメル友状態だったお相手と初対面。
条件面では申し分ない。
あとは性格が合うかどうかなのだが、どうもよくなかった。
互いに仕事場と家がずいぶん近くだということがわかり、多少は盛り上がったのだけど、終始イライラしている自分がいる。
俺俺タイプの人だったからだ。
自分本位なのは結構なことだが、それを包み隠すことなく大っぴらにさらけ出してくるのがイライラの原因であった。
経験上、こういう人はマザコンである可能性が高い。
年上だが、精神的にはわたしより子どもだ。
デスクワークなのに「拡張子」の意味がわからなかったのにもちょっとがっかりしてしまった。
なんかだんだん会話が面倒になってしまい、最後のほうは無表情にただあいづちを打つだけだった。
そして、彼はわたしより背が低かった。
それも、ささいなことなのだ。
陽一君も背の高さはわたしと同じぐらいなのだが、陽一君のときはどうでもよかった。
でもこの人の場合は気になる。
あと5センチでいいから高ければなあ、と思いながら見ていた。
なんだろう、やっぱり出会い方なのだろうか、あら探しに走ってしまう。
たぶん、悪い人じゃない。善人なのだと思う。
だが、女性経験も少ないのだろう、明日もちょうど二人とも休みですねという話になった折に

「いいですよ?」

と、文字通りの「上から目線」で言われたときに、ああこの人はちょっと無理かもなあ、と思った。
言わんとしていたのは

「僕は暇ですし、もしよければ明日も会いませんか?」

という内容だったのだ。
それがわかるだけに、余計イライラする。
もうちょっと言い方ってもんがあるだろう、と。

そして初対面でこれほどイライラするということは、この先おそらくずっとイライラしながら話をしなければいけないのだろう。

よほど「予定があるから」と言って断ろうと思ったが、とりあえず今日おごられたのもあるし、明日は会ってみる。
明日になってみてイライラが減っていれば、慣れでどうにかなるレベルなのかもしれない。

でも、陽一君と会ったときにこんなにイライラしただろうか、と考えてみると、正直してたんだよな。そんでだいぶ喧嘩もした。
陽一君が偉かったのは、喧嘩によってわたしが抱いていた不満をきちんと理解し、できる限りの改善策を取ってくれたところだ。「育てた」というのもおこがましいが、わたしと付き合ったことで女性の扱い方をだいぶ心得ることができたのではないかとは思う。
女性経験の少ない人は無自覚に女性をイライラさせる。
なので今回の人とも付き合うのであれば近々一戦交えなければならないだろうけれど、正直そういうのもめんどくさく感じる。
それでわかってもらえなければ終わりなのかもしれない。

ああ。なんだこの果てなきキャラバン…。
ほんとめんどくさい…。


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勉強会、買い物、命日 - 2011年05月15日(日)

朝から、毎月一回の定例の勉強会へ。
予習しておいた教材がどこかに行ってしまったのに朝になってから気づき、探したが見つからない。
仕方ないので手ぶらで向かった。
宿題を忘れてくる生徒もこんな気持ちなのだろう。
自分の不注意が恥ずかしくて情けないので、それを隠すための嘘をつきたくなる。
嘘をつくほうがよほど恥ずかしいことなのだとわかるのは、嘘をつかれる立場になってからだ。

夕方から買い物に出かける。
キッチンワゴンとランドリーラックを買わないといけないのだけど、経験上、この手のものは安物を買うと必ず後悔するので、かなり慎重にあちこちの店を見て回った。
そして結局どこで買うでもなく、帰宅してから楽天で注文した。
考えてみたら、今うちにある家具家電はほとんどネットで買ったものだ。
リアル店舗で買って運んできたのは机とテレビだけだ。


初夏の空気に浮かれる。
16日は学の命日だ。
けれど今わたしは浮かれている。
そしてそういう自分をこのように冷静に観察している。
なるほど、やはりわたしは逃げたがっているらしい。
どんなに苦しんだとしても責任の取りようがないので、逃げることを選択したがっているようだ。
それでいいのかどうかは、まだわからない。
ご家族から連絡が来ないのは、わたしを気遣ってのことだと思う。
去年も、おととしも、連絡はなかった。
学のお姉ちゃんからもらったCDを、わたしはまだ聞くことができない。
聞くのが怖い。
お姉ちゃんが、何とか前に進む手立てになったと言ってわたしに送ってくれたCD。
たぶん、ずっとわたしは聞かないつもりなのだと思う。
学が喧嘩した後に仲直りのために買ってきてくれた、皇帝ペンギンのDVDも、まだ見ることができない。
これも、ずっとそのままにしておきたいのかもしれない。
凍結させたいのだ。
たぶん。
うん。そうね。たぶんそうだと思う。
前に進みたくないのだ。
「学のせい」ではない。
あくまで自分の気持ちだ。
あー。いや。ちがうな。
どこかで「学のせい」にしたがってるんだな。たぶん。
わたし自身のずるさとか弱ささえも、学になすりつけようとしているのだ。
「死人に口なし」ってことで済まそうとしているのか。
うーん。我ながらすさまじいクズっぷりでいっそ他人事のようにすがすがしささえ感じるほどだ。
ここまで図々しくなれば、そりゃ初夏の空気もおいしいよね。

わたしは学の件でPTSDとかにはならなかったし、ルボックスはよく効いていると思う。
あとはすべて、わたし次第なのだ。
わたしが前に進めずにいるのは、学のせいではない。
学は、そんなことに都合よく使われてよい存在ではない。

あー。でもなあ。
でも、とても受け止めることなんてできないんだよなあ。
どうなんだよ学、怒ってるのか?返事しろよー。
わかんないんだよなあ。話ができないから。
こうやっていつまでもわかんない状態でいることが、わたしへの罰なのかね。
いや罰とか言うとなんか学が痛い人みたいだな。

学のせいとは思ってない、それはこれっぽっちも思ってないんだよ。さっきと言ってることが矛盾するけど、そういう悪魔のささやきは無視できないんだけれどさすがに負けてるわけじゃない。一応真っ当にこうやって考えてはいるんだよ。
進みたい、と思ってる一方で、もうどーでもいいじゃん、と捨て鉢になってる自分もいるわけで、なんでそうやって捨て鉢になるのかというと、そこで学のことを理由に出したがるんだよね、そこがわたしの卑怯なところだ。
「学を殺したわたしに生きてる価値なんてない」とか、悲劇のヒロイン気取りちょううけるwwって感じです。かなりのバカだ。ダシにすんな、って話よねー。お前が怠けたいのはお前の勝手だろと。人のせいにすんなと。まあそういうことです。

人生は重き荷を背負ってうんたらかんたら、と昔の偉い人は言ったらしいが、重き荷ってなんのことはない、自分だよね。自分うざー。自分ついてくんな。どっかいけ。




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久々に、ちゃんとする - 2011年05月14日(土)

我ながら信じがたい話だが、ここ2か月ほど、化粧を一切せずに生活していた。
仕事でもプライベートでも。
花粉症です、と言って毎日マスクをして顔を隠してやり過ごしていた。

単純にめんどくさかっただけで、それ以上の理由は何もない。

しかしさすがに花粉症はもう時期的に無理だし「黄砂がほこりっぽい」「風邪気味」などの言い訳も、各方面に使ってしまった。
黄砂は一時的なものだし、いつまでも風邪気味だと言い張るわけにもいかない。

なので今日は本当に久しぶりにファンデーションやらアイシャドウやらを顔に塗りたくって出かけたわけなのだけど、正直ここしばらくの無精を反省した。やっぱり化粧ぐらい人並みにせんといかんですね。社会との関わり方がまるで違う。自分の心持ちも違うし、周囲からの扱われ方も違う。わかってるつもりではいたんだけど、長らくすっぴんで社会と関わり続けているとイメージがだんだん固定化され、そして自分の中にもそれが投影され落とし込まれてゆく。何かあるときにすればいいや、じゃだめなのですね。毎日ちゃんとしてないとだめなのです。
だいたい、めんどくさいったって大した手間じゃないんだしね。

初夏のぼやーっと浮わついた空気の中で考える。
今年は、学の命日が来るのがそれほどに恐ろしくない。
ご家族はわたしのことをどう思っているのだろう、それが気になる。
わたしがいなければ学は死なずにすんだのに、と、もしもそのように思われていたとしたら、わたしはどうやって彼らに償うべきなのか、それを考えている。
けれども、初夏の空気がわたしを脅かすことはもうなくなった。

初夏の空気がわたしにもたらすものは、学と会う以前の、単純に浮わついていて、何かいいことが起こりそうな、明るい予感に戻りつつある。
それでいいのだと思う。
そのように、上手に、要領よく、片をつけてしまえる人間になることをわたしは選択する。
それによって、冷たい、薄情な性格だと自己を認識せなばならなくなることこそが、わたしにできることだと思っている。
だから、わたしは自らそうなることを選択する。

今書いてて思ったが、これって単なる開き直りだな。


陽一君がここを読んでいるのかどうかはわからない。
別れて一年が経ったが、なんだかんだでわたしも彼の日記は読み続けているので、たぶん彼もそうしているのではないか、とは思っている。


それでも、なのか、あえて、なのか、書くことにする。
初夏の浮かれた空気に感情が流されるままに自覚したが、わたしは主治医の精神科医のことが好きなのだと今日はっきりと認めざるを得なくなった。
正直、困っている。
婚活だとかメールがどうとかいろいろ書いてみたが、気乗りしないはずだ。
好きな人が他にいるんだもの。
それ以上に、よく知らないがたぶんこういう感情は治療を続けていくにあたってあんまりいい影響を及ぼさないのだろうと思う。患者が治療者に個人的好意を抱くのは「転移」とかなんとかいう現象でよくあることらしいという知識はあるんだけど、そうなっちゃう人をわたしは今までアホだなーとしか思ってなかった。やさしくしてくれるのは仕事だからなのにアホだなー、と思ってましたごめんなさい。過去の自分が恥ずかしい。

くだらないプライドだと自分でも思うが「あたし実は病気とかどうでもよくて先生に会いに病院に行ってるんです♪」状態にだけは絶対になりたくない。あくまでわたしは治療に行くのだ。できれば薬を飲まずに生活できるようになりたくて、月1回のペースで通っているのだ。それも月2回のほうが細かく状況把握ができてお互いにいいのはわかっているのだが、そうしてしまうとはまってしまいそうで怖いのだ。この感情と、よくなるための治療とを峻別できる器用さは残念ながらわたしにはない。治療のためには病院を移るのがよい。

という結論になるのが自分でもわかっていて、でも接点がなくなるのも正直嫌で、それで今まで見ないふりをしていたというのが本当のところのようだった。

我ながら、30女って扱いが本当めんどくさすぎると思う。



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すれ違う - 2011年05月11日(水)

婚活で知り合った人とメールを続けているのだが、どうにもすれ違いが顕著になってきた。最初から小さな違和感を覚えながらメール交換を続けてきたのだが、それが解消されずに膨らみつつある。向こうもたぶんそうなのだと思う。そろそろ潮時なのだろうか。めんどくさいので一回会って片をつけてこようと思う。たぶん続かない気がする。なんかいらいらするもん、メールしてて。

父のいとこのおばさんは36歳で再婚したが、おばさんはうちの家系に珍しく、本当に明朗活発で魅力的な人なのだ。もう60代になった今でもかわいいのだから、そりゃこんな人が36歳だったころは男もほっとかなかっただろう。
他にも
「わたしも30代で結婚したから大丈夫だよー」
と言ってくれる人たちはたいてい美人でスタイルがよくておしゃれで気さくでとにかく素敵だということに気付いた。

わたしも自分の市場価値をもっと意識的に押し上げる必要があるのだと感じている。

そして、高望みをやめること!
今までに付き合った人以上の人を求めるから見つからないのだ。
幸福感というものはだいたい7割から8割ぐらいがちょうどよい。
そのぐらい得られたら、十分なのだ。
そう。きっとそう。



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ヒトカラ - 2011年05月07日(土)

仕事帰りにふと思い立って一人でカラオケに行った。
一人居酒屋のときもそうだったけど、完全に自分のペースでことを運ぶことができるのですごい楽だということがわかった。
でも所詮一人なので飽きが来るのも早い。
2時間ぐらい歌って、その後は知っている曲を入れてただプロモを見たりしていた。あ、今はプロモって言わんとかいな。まあいいや。

光GENJIの「パラダイス銀河」を入れると当時のコンサート映像を見ることができたのだが、正直、衣装にドン引きした。
生地がテロテロなのはジャニーズなので仕方ないと思う。
どうやったってパジャマにしか見えないデザインだったのも、まあ時代だろう。

そういうのがどうでもよくなるくらい、露出度が高すぎるのだ。

彼氏の家に泊まった彼女が、翌朝、彼氏のTシャツを着たりなんかすると、丈が長すぎてちょっとだぼだぼで、太ももにかかるかかからないか、ぐらいになる。わかりますよね。あの格好。

彼らはああいう格好をして走り回っているのです。
実際はTシャツの下にランニングパンツをはいているんだけど、それもかなりチンチクリンでほとんどTシャツに隠れて見えない。もうTシャツ一枚とほぼ同じ。足は生足でしかも裸足だった。どんだけ足見せる気だったんだジャニーさん。
こうやって改めて見るとやっぱり大らかな時代だったんだなあ、などと思っていたら、次に入力していた「ガラスの十代」でさらなる衝撃が。

間奏部分とかで衣装をばさーっ!と脱ぎ捨てて一瞬で変装するパフォーマンスがあるじゃないですか。あれをやったんだけど、その変装後がどうみてもトランクス一丁だった。最初、何かの間違いかと思ってえっ!?と声に出してしまった。しかし動じる様子もなくトランクス一丁で踊りまくる男たち。その後のアップ映像で、トランクスではなくてホットパンツだったことがわかったのだが、だからと言って露出度の高さに違いはない。

稲葉さんはよくホットパンツをネタにされるが、正直、稲葉さんなんて目じゃない。
光GENJIのこの露出度の高さは、今見ると異様だ。
まるっきり男娼じゃないか、とさえ思った。
時代の流れというやつなのでしょうか。
当時はこれがよかったってことなんだよね。
うーん。理解できない。



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