日記...マママ

 

 

クレームとディシディア予約 - 2011年02月28日(月)

ディシディアの続編を予約しようと思って仕事の帰り道にあるセブンに寄った。

広い共用の駐車場を挟んでガソリンスタンドがあるのだが、わたしの入る直前に駐車場に入った白いSUV車から中東系の男性が降りてきたと思ったら、そのガソリンスタンドの従業員たちに向かってつかつかと歩み寄り、ものすごい剣幕で怒鳴り始めた。今しがた客としてこのガソリンスタンドを利用したようなのだが、店を出るときに何か店員との間に行き違いがあったらしく、それがあまりに不快なものだったために取って返してきたという状況のようだった。
ちょうどそのSUV車のすぐ横しか駐車スペースが空いてなかったので、めんどくさいなあと思いつつそこまで車を突っ込んでおいてUターンするのもなんか不自然だしまあいいや、と思って車を停め、騒動の中をかいくぐるようにしてセブンに入った。
「ばかにしてたでしょー!?」
「いや、してませんよ!!」
「変な言い方してたよねー?」
「普通ですよ!」
というやりとりが聞こえてきたが関係ないので無視して入った。
セブン店内には中年男性の店員がふたりいるだけだった。
用件が用件だけになんとなく声をかけづらい。
マリオとかポケモンとか任天堂系のゲームだったらまだ市民権を得ているのだろうと思うが、わたしがほしいのは
「ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジー」
というゲームで、たぶん「ディシディア」だけでは通じないし、かと言っていかにもオタクな長ったらしい中二病的カタカナがぞろぞろのこのタイトルをフルで言うのがちょっと恥ずかしいのだ。

なので、レジにディシディアの予約受付中の広告動画が表示されるのを待って
「あ、これです、これ、このファイナルなんとかってやつ」
と「幼い息子にゲームをねだられて仕方なく予約に来ている、ゲームには疎いお母さん」のふりをしてみた。
かなりの人気シリーズなので、どこの店舗でも予約はたくさん入っているはずだ。
だから、わたしの「ファイナルなんとか」を聞いて、店員さんが
「あーはいはい、ディシディアですね」
とか言ってくれるのを待ちたかったのだ。
でもその中年の店員さんはやっぱり言ってくれなかった。
「えっ?」
と素で聞き返された。
もう一度「この今映ってるファイナルなんとか」を言おうとしたら、画面がnanacoの紹介に切り替わった。
仕方ないので普通に言った。
「えーっと、…ディシディア?でよろしいですか?」
「はい」
「それから、デュオデシム、ですね」
「はい、その後にファイナルファンタジー」
「えーと、ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジーでよろしいですね」
「…いい…と思います…」
もう「ゲームのことはよくわからないけど息子がうるさいので仕方なく予約に来たお母さん」のふりができなくなり、というか別にゲーム好きのお母さんだっていいのだしもっと言えばお母さんである必要もまったくないのだけど、一度始めた手前しつこくそのキャラ設定を引きずりながら手続きが終わるのを待っていた。そして結局在庫がなくて予約はできなかった。
中東系の男性のクレームの怒号をかいくぐってまで入店し、恥を忍んでこんな中二病タイトルを伝えたのに。
車のところまで戻ると、まだ話し合いは続いていた。
中東系男性は、従業員の
「ありゃーっす」
的な発声が自分を軽んじ侮辱するものであると感じ、憤慨していたようだった。
それに対して、まったくそのような意図はなく丁寧にあいさつしたはずだと主張するガソリンスタンド側。
平行線である。
恋人か妻か、同行していた日本人女性が男性の肩を持っていた。よくわからないが、文化の違いって難しいよね、とかなんとか思いながら車を出した。
帰ってアマゾンで予約した。
なにせアマゾンだから発売日ちょうどに届くことはまずないと思う。
今週末は珍しく予定がないので、間に合ってくれればよいのだけど…。


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78円と813円 - 2011年02月22日(火)

仕事帰りにマックスバリューで買い物をした。
WAONで支払いをしたら引かれたのはわずか78円だった。
ドーナツひとつに牛乳1パック、冷食2袋、厚揚げ豆腐を1パック。
これで78円なんて。ものすごいお買い得。

よほど気付かないふりをして出て行こうかと思ったが
「いや、さすがにおかしくないですか?」
と申し出ると、「研修中」の腕章をつけたレジのおばちゃんは慌てて上司を呼んだ。
前の客の買ったポテトチップスの値段をバーコードリーダが誤って二回読み取ってしまい、それがそのままわたしのWAONでの支払いに反映されてしまったということらしかった。

「研修中」のおばちゃんが、こないだうちを辞めたスタッフさんとちょっと雰囲気が似ていて、上司にがんばって状況を説明している姿をわたしはじっと見つめていた。
上司は明らかにわたしより若い男性社員だった。もちろんおばちゃんよりもずっと若い。母親と息子ぐらいの差はあるのではないか。かなりのイケメンだったが無愛想だった。むしろ無愛想だからより一層イケメンに見えたのかもしれない。いやそんなことはどうでもいい。社員は無表情におばちゃんの状況説明を飲み込み、最後まで黙ったまますべてを解決した。
なにぶん無愛想なので、ものすごいムカついてるように見えた。
けれども支払いを終えてレジから遠ざかってゆくときに
「あとでちゃんと詳しく教えます」
と社員がやさしくおばちゃんに言うのが聞こえた。
おお。イケメン。
わたしも彼を見習い、もっとやさしくスタッフ教育に勤しまなければなるまい、と思いながら家路に就いた。

こないだは逆に、淡麗生のいちばん小さい75円の缶をひとつだけ買って帰ろうとしたら510円と出てきてびっくりした。思わずレジ台に載っている淡麗生を二度見した。75円と見せかけておいて実はそんなに高いとか、そういうことなら買うのをやめなければ、と一瞬でいろいろ考えてしまった。
で、これはたぶんWAONだからなんだろうと思うが、レジの人はこっちが言わない限りどうも気付かなかったようなのだ。今日もこないだも、二回ともそうだった。なんというか、払う側も実感がないが取る側も実感がない。互いに金銭感覚に疎くなるのだ。
お月謝をいただくときもそうだ。教科を増やすならそれに伴って毎月のお月謝も増えますけどどうしましょうか、とかそういう話をするときに、現金で追加分を払ってもらうのとすべて口座引き落としで済ませるようにするのとでは、後者のほうが断然承諾を得やすい。実際に払う金額は同じなのだが、負担感がたぶんまったく違うのだ。現金で支払うとなると、その金額の重みがずっしりと実感を伴ってのしかかってくるのだろうと思う。口座引き落としだと知らないうちに払ったことになっているから気持ちとしては楽なものだ。くどいが、金額は同じなんだけどね。





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何かを書きたい - 2011年02月17日(木)

こないだ面談をしたばかりの親が突如「子どもが辞めたいと言うので辞めさせたい」と連絡してきた。
面談ではあれほど本音で語り合ったと言うのに。
「舌の根も乾かないうちに」とはこういうことを言うのだと思う。
本当に腹が立った。
もちろんお金をいただいて教育サービスを提供している立場である以上、すべては相手の判断にゆだねられるわけなのだが、この手の「すべては子どもが言うからその通りにします=わたしは何でも子どもの言いなりであり子どもを教え導くという親がすべき重要な仕事を軽んじていますと自分で表明していることにすら気付いていない」系の親の中でもこの人は最強クラスだと改めて思った。
すべてが場当たり的で、たいてい5分で人の話を忘れる。
よく「右の耳から左の耳を通り抜けて」などと言うが、この人ほどそれがよく当てはまる人もいまい。
手紙もどうせ読んではいないだろう。

結局わたしの話をまともに聞いてなかったというだけでも十分に腹立たしいが、それ以上に許せないのが、場当たり的な判断でせっかくの子どもの可能性をつぶそうとしていることにまったく気付いていないことだ。
言語道断と言うよりほかにない。
年はわたしより上だが、急遽取り付けた次の面談では許さない。
絶対に許さない。
容赦しない。
本気でいく。
いつもいつも甘ったれたことばかり言いやがって。
いい加減にしろ。




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戦時の庇護 - 2011年02月12日(土)

戦争中、敵軍との銃撃戦の渦中にいていつ命を落としてもおかしくない状況下、わたしはたまたま街中で出会った敵軍の男に金で身柄を買い取ってもらい、安全な場所へと連れて行かれた。
金は、なんかしらんが当局がそういう人身売買を管理していたらしく、そちらに支払われていた。
そうしてわたしはその男の妻となった。
という夢を見た。
すごいおいしい話だ。
男がまたよくできた人で、人身売買で連れてきた女を妻としてきちんと扱える人間だったというのもまさにおいしい。
助けられる前、わたしはもうじき死ぬんだと思って捨て鉢になっていた。もう自分には助かる道などないのだと。
そんな中、あっさりと「女」だというだけで生きていけることになった。
なんともまれな幸運ではないか。
そこにわたし自身の選択が入り込む余地は除外されていた。
断ったらそのうち死ぬだけだ。
そもそも命の恩人で、よくできた人なのだから嫌いになるわけもない。
こうして転がり込んできた幸運によってわたしは生きた。
この夢にはわたしの現実の人生観とリンクしている部分が多い。
基本的に受け身だった。
誰かが助けてくれるまでじっと辛抱して待っていた。
でもまあ、最近はそうでもない。
高校入試が終われば仕事に余裕ができる。
そしたら動き出そうと思う。
庇護してくれる人はいないが、話し相手になってくれる人はいるはずだ。
とりあえず今は生理で腹が痛い。

引越しのときからずっと放っておいたままの宮部みゆきの「楽園」を読んだ。
わたしは読書家ではない。
たまーに、年に数回、思い出したように読むだけだ。
だから新聞も取らない。
取ってもまともに読めないのがわかっているからだ。
そして通して読めるのはまさに宮部みゆきの書くような平易な読みやすい文体だけだ。と言っても赤川二郎とかは知らない。東野圭吾も知らない。
もっともりもりいろんな活字に触れられる人になりたいとよく思うのだが、そうはならない。根がアホなのだろうと自分でも思う。
「模倣犯」とつながっているのでそちらを先に読むべきだったのだろうけれど、まあ買ってしまったので「楽園」を先に読んだ。
ミステリーなのだから当たり前なのだけど、どうにも火サスの香りが漂う。話の込み入り具合は比でないけれども。
宮部みゆきは「ぞろ」をよく使うのがわかった。
「ぞろ」という接頭語があることをわたしはこの本で知った。
「ぞろ」は結構便利なことばのようだ。
「〜するやいなや」という意味に使えるようだし、「いつものように」という意味でもよいようだし、「揃って」とか「いっしょに」とかいう意味にもなるようだ。「ぞろぞろ」からつながってるのかもしれないけど、何かが継続して長々と続く、しかもそこには何かしら人やものの動きが伴っている様子を表現することもある。
「敏子は否定した。」
より
「敏子はぞろ否定した。」
のほうが、かかる言葉をよく強調していて臨場感がある。
「ぞろ」を辞書検索してみても出てこない。
知恵袋で意味を質問している人もいたが、答えが一件しかなく、しかも意味のよくわからないものだった。というかたぶんあの答えは間違っている。
mixiの宮部みゆきコミュとか言ってみたらわかるかもしれない。
というかむしろコミュ内の合言葉的なものになってる気さえする。
そのぐらい「ぞろ」は目につく。
でもめんどくさいので実際に見に行って確認はしない。
そんな人生観。
受け身っつーか、めんどくさいのね。多分。
もう寝よう。
起きてるのめんどくさいから。
明日一日で部屋が片付きますように。
無理かな。今回の生理けっこうきつい。


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バイトが辞めた - 2011年02月01日(火)

学生バイトが辞めた。
期待していただけに失望も大きい。
高学歴が受けがちな、いわゆる逆差別をやっていなかったかと自分を振り返るが、彼を見る目にまったくバイアスがかかっていなかったわけではない。
他の人より高いレベルの仕事ぶりを求めていたのは事実だ。
だが彼の履歴書を見てその判断をしたわけではない。
採用してからの、彼の高学歴アピールがすごかったからだ。つってもすごいのは高校名(関西の、全国的に有名な某難関高校)だけで大学はわたしと同じ学部なのだけど、とにかくよほど自分の学力には自信があるらしかった。

それはそれで結構なことなんだけど、肝心の仕事をなかなか覚えてくれないし同じミスを繰り返す。
そんで注意してたら辞めた。

注意の仕方がまずかった気はする。
このタイプに典型的な打たれ弱い性格を考慮し、プライドを過度に傷つけることのないよう、もっとやさしく言ってやるべきだった。
でもまあ、じゃあもっと早く仕事覚えろよって話で、そんでそのあとに、本音のところで
「そんだけ偉そうにしてんだからさ」
というのがくっついてくる。
これが逆差別の正体だ。
彼の高学歴アピールは本当に他意のないもので、
「だから難しい仕事もガンガン俺に回してくださいよ!他のやつより絶対うまくこなしてみせますって!」
のメッセージではなかった。のだが、結果的に周囲にはそのように受け取られてしまったのだ。偉そうにしてる、ように見えるから。

前にもこれで一人辞めた。
プライドは高く持っていてもいいと思う。
むやみに卑屈な人間はつまらない。
しかし彼らは、周囲にそのプライドが伝わることで、自分が集団の中でどのように位置づけられ、どのような基準で評価されることになるのかまでは、わからなかったのだと思う。まだ学生だから。

同じ学歴で、すごい飲み込みの早い子がいた。
すべての作業が早く正確で、細かいことによく気がつき、常にこちらの求めるレベル以上の働きぶりを見せてくれていた。
つうか学歴関係なく、高校や大学がどこだろうが、テキパキやる人はやるのだ。若くても年寄りでも。
彼女と、辞めていった彼らの違いは、プライドが外に出てくるかどうか、見えるか、伝わるか、そのへんにあるような気がする。
問題は見せ方だ。
見せ方がうまければ、周囲からの評価をコントロールすることができる。
自分の能力やモチベーションの程度に見合わないような、過剰な期待を受けずにすむ。

と、ここまで他人事のように書いたが、その評価や期待をするのは他ならぬわたしなのだから、もちろんわたし自身がこのへんのからくりをうまく理解してバイトを使いこなしていかねばならんわけで、そういう意味で彼はわたしに大切なことを教えてくれたのだが、一方で、かつての会社員時代の自分を見せられるようで内心恥ずかしくてたまらなかった。なるほどな、と思った。逆差別を呼び起こしていたのは、実はわたし自身だったのだ。
何も学歴そのものを自慢していたわけではない。
でも「わたしはあんたたちとは違うのよ」的な慢心が、今思い出せば、確かにあったのだ。
せまいせまい熊本限定の高学歴しかすがるものがなく、方向を間違えたプライドを必死で守り続けようとしていた当時の自分を思うと哀れみというか情けなさもひとしおである。

過剰な期待を受けないように上手に立ち回る術はだいぶ身についてきたつもりだが、やはりときどき思い出したように仕事仲間から「あなたはどこ高校でどこ大学で、うちらの中でも期待の星よね」とか言われるということは、たぶん自分の中でまだそのへんを鼻にかけているところがあるということだ。
確かに仕事柄、学歴は武器になる。
保護者への説得力が増すところはある。
でも、他の先生が当たり前のように覚えていることを、わたし一人だけ覚えていなかったり、するのだ。
たぶん、バイトの彼らと同じ状態なのだ。小さなプライドが邪魔をして、あるいは慢心して、学ぶべきものをあるがままに学ぶことができていないのだ。


会社員当時のこと思い出すと、強がってはいるものの、とにかく自分に自信がなかった。
エリートが学歴を誇示するのは、もしかしたら自信のなさの表れなのかもしれない。
次に同じような人が入ってきたら今度はやさしくしてあげよう。



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