日記...マママ

 

 

立場 - 2010年04月30日(金)

置かれた立場によって考え方や感じ方がとても変わる。今までの自分がいかに家族に精神的負担をかける存在だったのかを改めて思っている。自分ひとりが悪かったのだと感じているわけではない。責任論は嫌いだ。ただ、わたしの身の振り方が家族の懸案事項になっていたのは事実だ。そしてその事実がわたしには大変に重苦しく、つらかった。干渉せず、放っておいてほしかった。しかし本当に放っておかれていたら、多分わたしは今でもあのままだったろう。正直しんどいが、半ば無理矢理、わたしは「普通」の生活を送る。本当にこれで正しいのかどうかはわからない。どうでもいい。周りから浮かないでいたい。自分も大事にしたい。とりあえずわたしは結婚相手を探すことにした。わたしは生きなければならないし、彼らとひとつ屋根の下で生活することにはそもそも無理があったのだとようやく納得した。生きるためには結婚しなければならない。昨日は結婚相談所に名前を登録した。必要な書類は今朝さっそく揃えて郵送した。明日はお見合い写真を撮りに行く。すべて自分の判断で行っている。少し前までの自分と比べると滑稽だ。

弟は参っている。かつてのわたしと同じように、周囲の干渉をはねつけ始めた。ああ、父の異常性を察知したのだ、とも思うがわからない。両親は、はねつけられてもなおも近付こうとする。わたしは何を感じるべきなのか。わからない。わたしは彼に信頼されていない。彼から見れば、わたしも両親と同じなのか。何かをすべきなのか、何もすべきでないのか、わからない。テレビを見ながらの他愛ない雑談。それだけが今のわたしにできることだ。多分。手紙の返事は来ない。あとはこうして、悩み続けること?


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亀の井ホテルインター店にて - 2010年04月24日(土)

亀の井ホテルはジョイフルが必ずあるのだと思っていたが、ここにジョイフルはなかった。居酒屋のような和食のお店があって、しかもわたしがチェックインしたときにはすでに閉まっていた。生ビールが飲みたかった。近くの店に行くか。

昨日は、家族とのいさかいがあり、その後、陽一君に「別れる」と伝えた。
今日は昼前に起きて、病院に行き、ネットカフェに行って、温泉に入って、今ホテルのロビーでこれを書いている。

今日初めて行ったその温泉センターが傑作で、絵のように昭和の風情がそこかしこに漂っていた。ポイントカードの会員になると、月一回の抽選会に参加できるという。景品は、炊飯器や掃除機、いちご、キティちゃんのクッションなど。そういう風情があるのはいいのだけれど、とにかく館内のサービスが悪かったのだ。ここしか知らない人ならこんなものかと思うだろうけれど、よそに行ったことのある人ならここにはもう来ない。料金体系は無駄に複雑で、更衣室の床にはお菓子の包装紙などごみが散らばり、「かかり湯にてお尻と前を洗いましょう」という一見デリケートそうでちっともデリケートでない張り紙をはじめとした過剰な注意書きの数々、石をあたためる方式のサウナには「サウナストーンに水をかけるとより効果的」「サウナストーンに水をかけると機械が壊れるのでおやめください」という相反する掲示が並んでおり、極め付けには私含め数名の入浴客がいる横で、本格的な清掃作業がすでに始まっていたことだ。だめだこりゃ。

今日やっと、母自身の口から「離婚」の言葉を聞くことができた。
わたしは、とても安心した。
それでいいと思う。

本当は、もっと早くそうしてほしかった。
経済的に苦しくなると言っても、とりあえず日本国民であればまあ飢え死にすることはないのだし、一番大切なものを常に傷つけられながら生活していくことは、その人の精神を蝕む。蝕まれた精神は行き場を失くし、結局わたしは、生きるために一度出た家に戻らなければならなかった。
変わったはずだった。変わったように見えていた。しかし、本当は、何も変わっていなかった。これが、うちだったんだ。そうだった。確かにそういう感じだった。精神を病んだ父と、その父を鬱陶しがる母を見ながらわたしたちは育った。父が子供に理不尽な難癖をつけて人格攻撃を繰り返すのを、母は見ているだけだった。そうだ、見ているだけだった。父に加担することもあった。要するに、彼女は父と同様に、何も考えていないのだった。自分の保身のために、子どもを見殺しにしていたのだ。彼女は無力だ。

それが、もうよくなった、だなんて、思っていたわたしが、きっと愚かだった。
でも、家族なんだよ。
家族が、まともになってくれるのなら、こんなにうれしいことはないじゃないか。
この歳で、って笑われてもいいよ。
お父さんと、お母さんと、ちゃんと会話のキャッチボールができるようになるのって、こんなにうれしいことなんだ、ってわたしは初めてわかったんだよ。なのに、やっぱり、本当はそうじゃなかったんだっていうのは、しんどいよ。両親はいつか死ぬけれども、両親との記憶は生き続ける。忘れたくても。だからせめて、よい記憶のままでお別れできたら、どんなにいいかと思うのに。

陽一君に「別れる」と伝えたのは結婚相手を探すためで、わたしは今、自活できるだけの十分な収入を得ていないので、自宅を出てある程度の水準を保って生活していくには結婚するのが最良の策なんだと思う。わたしは陽一君のことが大好きだ。愛している。けれども結婚することはできない。それで別にいいと思っていたのだけど、陽一君との付き合いは今の実家でのパラサイト生活が続くことが前提であり、今はその前提が崩れつつある。だから、別れて誰か熊本で別の人を見つけようと思う。正直、今すごく捨て鉢な気分だ。なんのために生きているのか、わからない。とにかくさっさと結婚してしまいたい。今まで夢見すぎてました。ごめんなさい。今の男性は結婚後も働いてくれる女性がいいらしいから、まあ貰い手はそのうち見つかるだろう。

母から「病気が出てきてる」と言われた。ああ、そうね。悪くなっている実感がある。だから昨日、陽一君のあのことばにも過剰に反応したんだろう。夢から一気に現実に引き戻された。そうだ、これが現実だ。そうだよ。わたしにとっての現実は、いつもこうだった。母は父のことを「精神障害」と言った。わたしを妊娠する少し前の時期に、上司から勧められて受信した精神科でそう診断されたのだ。なぜ、わかっていて子どもを3人も生んだのか。意味がわからない。その判断力の低さが信じられない。本当に意味がわからない。きっと、何も考えていなかったのだと思う。何も考えずにできたわたしは精神を病み、そして弟達も。責任を取れ。さあ、責任を取れ。なぜ生んだ?




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