日記...マママ

 

 

空気読めない - 2007年11月30日(金)

組織の一員として働いたことのない人間はこうなのか、と悲しくなる。
母のことですが。
生徒が増えて手伝いに来てもらったのはいいけれど、なんていうか、まあ、空気が読めない。

幼い頃は「お父さんが転勤族だから働けない」とかって愚痴をこぼすのをよく聞いていたが、今思えばそんなことはない。一度でいいからパートや契約社員をやって、大人数の中で揉まれたらよかったのではないかと思う。
本当に。

もう来てもらうのはやめよう。
あんなことをされてしまっては、正直困る。
ぶちこわし。


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選別 - 2007年11月29日(木)

重い障害を持つ子への接し方はむずかしい。
自分を認めてくれる人から言われることでないと素直に話を聞けないのは大人も子どもも同じだと思うので、まずその信頼関係をつくることからスタートしなければならない。のだけど、それができない大人は結構多い。


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不安感 - 2007年11月28日(水)

昼間は事務局にて勉強会。
今日もためになった。
実になることをやっている、という実感がある。
楽しい。

夕方は家庭教師。

帰宅して入浴後、陽一君から不調を訴えるメールが届いていたのに気づく。
急いで電話をかけると、うつの症状が突然ぶり返してきたようだ、とのことだった。

コンタクトと眼球の間に異物が入り込んだときの痛みは経験者でないとわからないと思うが、うつの症状もちょうどそういう感じではないだろうか。あのしんどさは経験者でないとわからない。うつと診断されたとき、うつとは何かわかったつもりでいた以前の自分を恥ずかしいと思った。

何がしてあげられるのか、とにかく話をして、わたしが話をするというよりも本人に話をさせて、他愛ない話でも何でも話をさせて、そのなかから、しんどさを放出させる手がかりを引き出したいと思った。だから、今日あったことや関心事について、質問をした。それでうまいこといったかな。
「セロトニン」だなんて、セロテープみたいなぺらぺらした語感の物質に、わたしたちのこころは支配されている。そんなものではなくて、こころはこころ、それ自体が完全に独立した自律的存在であるならば、どんなにいいだろうと思うのに。
もっと近くにいてあげられたら、強く抱きしめて、大丈夫だよ、心配ないよ、って、陽一君が眠るまで、頭を撫でていてあげるのに。
泣きたいときは泣いていいと思うんだ。






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増員 - 2007年11月27日(火)

スタッフさんを増やすことにした。
昼から求人誌の人と打ち合わせ。
初めてで何もわからないことを伝えると、業界の相場とかいろいろ教えてくれた。安いと思って申し込んだ求人誌だったのだが、実はそんなに安いほうでもないらしい。そうなのか。

教室は忙しい。
確かに人手が足りていない。
母に来てもらえばよかった、と少し後悔した。


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おだやか - 2007年11月26日(月)

今日も母の教室は平穏だ。
わたしのほうに余裕ができたので、母の仕事を少し手伝う。
いい日だった。


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ソウル - 2007年11月25日(日)

昼から雑用を片付けに街に出た。
ベネトンで、ベーシックかつかわいいコートが2割引なのを見つけて悩む。
超悩む。
とりあえず「お取り置き」をしてもらっているが、どうにも結論が出そうにない。

夕方は韓国料理店ソウルへ。
・父の誕生祝
・弟の部活引退祝
・母の教室移転一周年記念
・わたしの教室引き継ぎ一周年記念
ということで、肉を食べる。食べる。
とにかく食べる。

巨大なしもふり肉がざくざく出てくる。
とろとろのじゅわーの。
お宝の山です。

肉を堪能した後はサムゲタン。
わたしが好きで注文したのだが、一人前のつもりで「ひとつ」と頼んだのがどうも人数分と受け取られていたらしかった。大振りの鍋にでーんと鎮座ましましている鶏一羽。食べきれるかどうか心配だったし、そもそも粗野な舌の彼らにこの繊細な味わいが理解できるかどうかも心配だったが、あっけなく完食。我が家の胃袋は強靭だ。母が特に気に入っていたが、父や弟にもまずまずの受けだったようで安心した。
ちなみにこの後数日間、ひどい胃もたれに悩むことになる。今思えば当たり前のような気もするけれど、そのときのわたしはへいちゃらだった。粗野。



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睡眠と学習補助 - 2007年11月24日(土)

よく寝た一日だった。
夜は家庭教師へ。
教え子は確実に気持ちが上向いている。
よいねよいね。
どんどん波に乗るべし。

私は「教師」というよりも「学習補助者」だと思っている。
内容そのものももちろん噛み砕いて教えるけれども、それ以上に、学習「姿勢」を教える人だ。

大問1と大問2の計算問題を受験生は侮りがちだ。
しかしこの子の場合、まさに計算が命取りとなっている。
数学の伸び悩みの原因が、ずばり計算能力だった。
それに気づかせ、計算問題をまずは完璧にこなせるようになることを目標としている。
ちょうど学校の先生も同様の考えを持っているようで、中間や期末でも入試と同じ形態で総合的な計算問題をたくさん出題してくれる。だから勉強もさせやすい。

計算を教えるだけでこれだけの時給をもらってもよいのか、ときどき悩む。
ので、時間を1時間延ばして対応することにした。
時給はそのままで、せめて時間を長くすることで、保護者にも納得してもらえたらいいと思う。



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生中2杯 - 2007年11月23日(金)

昼に起きて、カステラを二切れ食べた。
それから部屋の片づけをする。
雑然としていた書類や教材が整理され、だいぶきれいになったと思う。
母が旅行に行っているので、洗濯や料理などいろいろやる。
それからもんじゃ焼きを食べに行った。
先日の「なんじゃもんじゃ」ではちょっと足りなかったので、今日は「わがままもんじゃ」を注文した。量が1.5倍で具は4種選べる。もちもち豚肉そば。ほんとにボリュームたっぷりだなあ。生ビールは冷え加減が絶妙で、非常においしかった。いつになくおいしい生ビールだった。調子に乗って2杯飲んだら、足元がふらついて困った。昼間から飲んだくれ。
でもまー、やっぱり「わがままもんじゃ」だなあ。
おなかいっぱいになったよ。大満足。




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ゆるやか - 2007年11月22日(木)

母の教室では、とてもゆとりを持って働けた。
いつもはざわつく夕方以降の子どもたちが、今日はとても静かにしていた。
よかった。
わたしは彼らに恐怖政治を布いているのだが、今日のはそれによる圧迫された静けさではなく、自然でゆるやかな静けさだった。
いつもこうならいいのに。

だいたい子どもがざわつくときというのは大人がうるさいときで、母が落ち着きのない上ずったトーンの大声で話すくせがあるもんだから子どももそわそわと落ち着きをなくす。それで教室全体が騒然とするのがいつものパターンなのだが、今日は母の声が一貫して小さかった。だからだと思う。



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くつろぐ - 2007年11月21日(水)

朝からのんびり。のんびーり。
していたのだが、実はいろいろやることがある日なのだった。
前日のミスの穴埋め、友人の結婚祝いの支払い、発送手続き、などなど。
夕方まで動く気になれず、ぐだぐだする。
でもやっぱりやるべきことは最初に片付けておいたほうがすっきりしていいよね。

結婚祝いの品には、予約特典として、洗顔料と「塗り香水」なるペースト状の香水(?なんか日本語が変)がつくらしい。
二夫婦分買ったので、洗顔料と塗り香水もふたつずつ。
「一緒にプレゼントに入れますか?それともお客様がお手元においておかれますか?」
と尋ねられた。特に考えもせずプレゼントに入れてくれるよう伝えたのだが、聞けば今回の予約特典のためだけにつくられた製品らしい。
「…いいんですか?」
「うーん…。名残惜しいですけど…。」
「ホントに限定品で、もう店頭に並ぶことはないと思いますよ。」
「ううーーん…」

「塗り香水」の物珍しさも手伝って、結局、お駄賃代わりにもらっておくことにした。
ひとセットは自分に、もうひとセットは恵ちゃんにあげればよいと思う。
しかし店員さんたちは、どちらにしても売り上げには影響しないものをなぜあんなに一生懸命わたしに与えようとしていたのだろう。
お得意様になりそうな客だからか。そうなのか。


家庭教師先の子、こないだの期末は少し上がっていたらしい。
よかった。
がんばってくれてる、ってことなのかな。
あとは入試までどれだけ上げられるか、だ。
もう日がないので限界はあるにせよ、できるだけのことをしていきたいと思う。





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不調 - 2007年11月20日(火)

明らかに頭の回転が鈍くなっている。
普段頭を使わないからばかになりつつあるのか、うつのアレがアレしてアレなのか。どうも両方のような気がする。

頭を使わないときのおバカな感じというのは、だいたい笑って済ませることができる。まさに「ばかだなあ、ほんと。」と自分も周囲も苦笑して終わるようなこと。

最近の鈍さは結構しゃれにならない。
人の話が右から左へ抜けていってしまう。
お金のやりとりに絡むミスをする。

どうも危ない。




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開店休業 - 2007年11月19日(月)

「先に寝るなんて、ずるい。」
「なんで?」
「真理さんにも、いろいろしてほしい。」
「いろいろ?」
「もっとたくさん、なでたり、さわったり…」

かわいいなあ。
次は期待に応えてあげられるようがんばります。



熊本に帰ってから、ユニコーンのトリビュートアルバムをちゃんと聴く。
2枚目がやばい。

「与える男」
「開店休業」
「Suger Boy」
「ペケペケ」
「おかしな二人」
「ケダモノの嵐」
「働く男」
「すばらしい日々」

いやー。
実にきちんとつながってますなー。
ふたりの出会いから別れまで。

まったくの不意打ちで「開店休業」を聴きながら泣いた。
オリジナルより好きかも。
何もしなくても幸せ、何もなくても、ただそばにいるだけで幸せ。
ずっとずーっと、いっしょなふたり。
何もない、ゆったりした、陽だまりみたいな日常の光景に胸が締め付けられる。





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京都へ行く - 2007年11月18日(日)

陽一宅にて一泊ののち、京都へ。
東寺の敷地内にある宿泊施設に泊まる。
とても良心的な、よい宿だった。
京都に来るときは、これからもここを使いたいと思った。

寺社仏閣を巡りたいと思っていたのだけど、陽一君の体調が優れず、結局部屋でごろごろして過ごす。

冬だから仕方ないと思う。
わたしも人のことは言えない。

それと、帰りの新幹線の中で気がついたのだけど、きっと、わたしに見える紅葉と彼に見える紅葉は、ちがうものだ。
そうやって慮られることを彼が歓迎するのか嫌がるのか、わたしはまだきちんと知らない。けれど、少なくともわたしは、わたしたちに見えるものの違いを認識しないままに紅葉狩りにこだわっていた。そんな自分を悲しく思った。彼は何か思ったのか、それとも何も思わなかったのか、それを知りたい。彼が自分の中のその特異性を、自分でどう思っているのかを、もっとよく知りたい。電話で話をしたい。

夜、京都駅構内の高級なレストランに連れて行ってもらった。
とても高級だった。
陽一君はステーキを頼み、わたしはすき焼きを頼んだ。
よいお肉だというのがよくわかった。
味付けも上手で、はふはふと夢中になって食べた。
食べながら、いろいろと話をした。
ライトアップされた京都タワーがよく見えた。
いろんなことを話した。
泡のように浮かんでは消えてゆくことばかりだったけれど、たくさん話して、たくさん笑って、それがずーっと記憶に残る夜になるだろうと思った。


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ハンバーグを提供する - 2007年11月17日(土)

陽一宅にてハンバーグを作ってあげた。

牛100%のひき肉でつくったので、よいお味のものができた。
ソースをかけてくれるというのでお願いしたら、うんこの形にかけられた。
速攻でぐしゃぐしゃにつぶすと、悲しそうな顔をしていた。
まったく油断ならないんだから。

夜中、陽一君一家の愛猫ミルキーがベッドまで実にまめに様子を見に来るのには困った。
ひどく気恥ずかしかった。
ごめんね。ミルキー。

リクエストがあれば、またつくってあげたいと思う。


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またCD - 2007年11月14日(水)

午前中から事務局へ。
会計ソフトの入力会に参加する。
経理の知識がある人はすごいと思う。
世の中を動かしている大きな力に多大に寄与しているイメージがある。
つい最近まで「源泉徴収」の意味も正確に理解していなかったわたしより、はるかに偉い人のように思う。

教室での悩みごとなども含めていろいろなことを局員さんと相談しつつ、夕刻まで事務局で過ごす。密度の高い時間だった。

帰宅すると、母が夕食を張り切ってつくっていた。
月曜の夜から「めまいがする。」と言って寝込んでいたのだが、だいぶよくなったようで一安心。いつもの更年期障害だと思う。火曜は教室の日なので洗濯ぐらいしか家事の代行ができなかったのだが、それも作業の途中で仕事に出たきりだったのをそのとき思い出した。確認してみると、残りは父がすべてやったらしい。エンジョイセカンドライフ。ひとこと謝って礼を言わなければ、と思ったが、どうにも気まずくていまだに謝っていない。

家庭教師の帰り道にまたツタヤに寄る。
変わらないっていいことかもしれない、と思う。
このなつかしさはくせになりそうだ。
民生のトリビュートアルバムと、ユニコーンのトリビュートアルバムを借りる。
新書のコーナーをうろうろしていたのだが、レンタルコーナーから流れる民生の「さすらい」にふらふらと引き寄せられる。ほぼ不可抗力だ。そしたら歌声が民生じゃないし、しかもちょっとだけ演奏がゴージャスになってるんだもん。アコースティックはそのままなのに。ニューリリースのコーナーを探し回り、スピッツによるカバーであることが判明。井上陽水だとばかり思っていたわたしは先入観が強すぎるのだろうか。でも実際似てるよ、あの歌声は。そこでやっと「民生のトリビュートアルバム発売」という情報がすでに自分の脳みそにインプットされていたものだということを思い出す。メルマガで読んだんだよ。そういえば。

次に流れてきたのは、同時発売のユニコーンのトリビュートアルバムから「与える男」、のカバーなんだけど、これもカバーなはずなのになぜカバーに聞こえないんだろう、と思っていたら吉井和哉。確かにこの人の声とか曲調は似てるんだ。民生と。
高校生の頃、コンビニで流れる有線で「楽園」を初めて聴いた。それがイエモンを聴いた最初だったと思う。後で違うとわかったけど、聴いたときは「…民生?」と普通に思った。


折しも会員カードを更新したばかりで、2枚600円のところを200円で借りることができた。うへへ。


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中古のCDとマリオのこと - 2007年11月13日(火)

マリオUSAがあんなに難しいとは知らなかった。
なぜ日本のものと難易度に差があるのだろう。
アメリカ人のほうが動体視力とか反射神経に長けているから、とかだろうか。


先日の土曜のことだけど、中・高・大と長らくお世話になってきた実家の近所のツタヤに、実に6年ぶりに入った。
実家に戻って1年半が経つのに、なぜか行くことがなかったのである。
まるっきり変わっていない。
正直、ここまで変わっていないとは思っていなかった。
実家に戻ったときよりも強く「ホームに戻ってきた。」という実感が湧き起こった。

中古のアルバムを3枚買った。
・Rie fu「ROSE ALBUM」
・LOST IN TIME「きのうのこと」
・GREEN DAY「american idiot」
これだけ買って2000円。
やっすいなあ。
例によってジャンルはばらばらですね。
実はまだ1枚も聴いていない。
「きのうのこと」は以前聞いていたので知ってるけど。



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続き - 2007年11月12日(月)

中学生の由利香(以後、「小由利香」とする)が、殺人犯の由利香(以後、「大由利香」とする)の想像上の存在と仮定したとき、小由利香が独立した自我を持って行動するというのはどういうことなのだろう。大由利香の想像がそこまで詳細に、小由利香の言動をシュミレートしたものだったということなのだろうか。

別のお話だが、ほんの一瞬の間に思い描いた夢が、少年の力によってまるで永遠に続くかのように引き伸ばされた物語がある。
縁側でくつろぐ老夫婦。彼らは若い頃に駆け落ちをして結ばれた。ふたりめの孫が生まれたときに父は娘を許し、娘婿といっしょに写真に写った。「父さんもあなたも、緊張してるわね」「そうだな」と、アルバムを見ながら穏やかに微笑むふたり。
これは夢である。
結婚してから家を持ち、ふたりの子どもを産み育て上げ、互いの両親と和解し、今こうして縁側でくつろぐ年老いたふたり。結婚してから今日までの長い年月のことを、ふたりは一瞬で夢見た。
本当は、駆け落ちしたその足で飛び乗ったバスが不幸にも交通事故に遭遇し、ふたりは命を落としている。
ふたりがいまわの際に見た夢が、この物語である。

一瞬の夢が永遠のように長い時間を描き出す、という感覚を考えると、由利香の話も合点がいく。バスジャック事件を起こした大由利香は、警官によって射殺され、その人生を終える。横たわって血を流す大由利香には、あの少年が寄り添っている。こと切れる寸前の大由利香が一瞬で思い描いた夢が、小由利香だったのかもしれない。しかし先の老夫婦と異なるのは、小由利香が自分の出自を知らず、自分の存在自体に違和感を覚えてしまう点である。「わたしは本当はここにいない?」小由利香は、友達がいない。登校時間に「おはよう」とあいさつを交わす相手がいない。そのことに小由利香はふと疑念を抱く。わたしは本当にここにいるの?



ぐるぐる回りそうなので別のお話。
ソクラテスが出てくるお話がある。
なんというか、チャレンジャーだなあ。山下和美。
毒杯を仰ぐシーンで、逃げようと思えば逃げられたのにソクラテスがなぜそれをしなかったのかの理由がさりげなく描かれている。少年が「逃げ出すのはバツが悪いということですね」と一刀両断したときには冷や汗をかいて星を当てられたような狼狽した様子だったが、それは本当の理由ではない。今までさんざん言い尽くされてきたことなのは知っているが、それでもなお、そのときのソクラテスは魅力的だと思った。

ちなみに「おおおお!!!」と思わず声を上げて食いついてしまったのが、「誰かと話をしたい。」と願うソクラテスを、少年がカントのもとに連れて行くシーンである。
カント対ソクラテス。
夢のツーショット。
山下和美は果たしてこのふたりに何をしゃべらせてくれるんだ!?と本当にわくわくしたのに、なんとカントにそれを断らせてしまうのである。理由は「散歩の時間です。」カント→散歩の時間って、ベタすぎます…。がっかりしたソクラテスは他に対話できる人を探しに行くわけですが、山下和美にとってカントはソクラテスとの対話に値しない人なのかしらん?あんな登場のさせかたはないと思う。カントとソクラテスをしゃべらせてほしかった。


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存在のゆらぎ - 2007年11月11日(日)

昼に起き、ぐでぐでする。
DSの新しいソフトが猛烈にほしくなる。
いたストには飽きていないのだが、何かアクション系のソフトをひとつ買おうと思った。家の近くの坂道を下ったところにある古本屋へ歩いて出向く。
実はここに入るのは初めてで、もっぱら本を買うときはツタヤを利用していた。入った瞬間、強烈なノスタルジー。小学校の頃住んでいた家の近くにも小さな古本屋があって、よく通っていたのだけど、そことまったく同じにおいがしたのだ。わーい。なんだか楽しくなってきて、うきうきと歩いて回る。山下和美のまんが「不思議な少年」を発見、5冊セットで800円。本当ですか。何かの間違いではありませんか。とりあえず確保。それからDSコーナーへ。ひなびている。本当にひなびた古本屋だ。なんたって、カレンダーの裏みたいな紙に黒いマジックで「ニンテンドーDS」「ゲームキューブ」「アドバンス」などと手書きで書いたのがそれぞれの陳列コーナーに貼ってあるだけだ。とりあえずマリオシリーズでめぼしいのを探す。スーパーではない、無印の「マリオブラザーズ」が大好きなわたしとしてはたいへん気に入ったのが、USA版と無印がパックになった「スーパーマリオアドバンス」。
DSの「さわるメイドインワリオ」とかも気になったが、とりあえず前者を購入。もちろんまんがも一緒に。
その足で、隣のもんじゃ焼きのお店に入る。
生中と(はっきり「中」と言いました。)具が3種選べる「なんじゃもんじゃ」を注文。もちとたことチーズにした。もちはいつでも必須なんだけど、チーズはなくてもよかった気がする。次は別のにしよう。ここのもんじゃはおいしい。生地がふうわりさくっとべっちゃりしていて、口の中に入れるとほくほくはふはふ、うううううまーーーーいい!!!!夢中になって食べる。以前陽一君ともんじゃを食べたときには、実はわたしはあんまり上手に焼けなかった(おいしかったんだけどね)。今回は、ていねいにていねいに、自分好みに徹底的にこだわって焼いた。中盤は何度も何度も生地を注ぎ足して、何層にも焼いてゆく。最後のほうは土手なしでさくさくにして食べる。うますぎる!!!オリジナルのピリ辛ソースもすばらしい。また来よう。

タイトルに書いたことを忘れていた。
「不思議な少年」を読んで、ああ、この人は本当はこういう話を書きたかったんだろうなあ、と思った。「天才柳沢教授の生活」でにじみ出るこの人の好みとか価値観が、もっと前面に出ている。
ひとつだけ、わからないお話がある。「由利香」という話で、虐待されて育ち、凶悪犯罪を繰り返してきた女の末路を描いているのだけど、それと対照的に、山奥の小さな町で平凡に、幸福に暮らす女子中学生が描かれる。
ふたりの由利香は同じ記憶を共有しているが、中学生のほうはそれがどこから来るものなのかわからず、殺人現場の記憶のフラッシュバックに苦しんだりする。けれど彼女は大筋において幸福だ。
転生させた、ということなのかな。
主人公の少年は不思議な力を持っていて、そういうこともできうる。だからストーリーの解釈としておかしいところはないのだけど、その場合、由利香はお母さんの中から産まれて育てられてきたということではなく、周囲(と本人)の記憶を操作した上で、ある日から突然、女子中学生としてそこに存在し始めたことになる。由利香の感じる「わたしはここにいない?」という違和感も、それを示唆するものなのだろうか。登校時間、周りが互いに声をかけ合いながら登校する中、由利香にはなぜだか「おはよう」のあいさつを交わす相手がいない。由利香が転んでも、誰も気づかない。無視しているのではなく、気づかないのである。自分がここに存在していると思っているのは、本当は由利香だけ?このお話の冒頭に「本当に存在しているのは自分だけで、周りの人やものは全部想像なのかもしれない。」というようなフレーズが出てくる。伏線なのかな。あるいはこの場合、もしかしたら中学生の由利香本人すら、殺人犯の由利香の想像上の存在なのかもしれない。

デカルトもこの疑問から入っていったのかしらね。



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白亜祭 - 2007年11月10日(土)

弟が通う県立大学の学園祭へ。
物陰からこっそり様子を伺うと、右に左にばたばたと走り回って本当に忙しそうだった。
部長だからなー。

出し物の出来栄えは見事で、ソロ演奏もばっちり見せていたので感心した。
最後まで鑑賞し、写真を撮影して帰る。

末っ子というのはどこの家庭でも家族皆から溺愛されて育つイメージがあるが、うちの末っ子は、何かとほったらかされていたイメージがある。特に思春期を迎える小学校高学年のころから、母が仕事を始めたり、祖父母の容態がいよいよ悪くなってきたり、わたしの大学受験、上の弟の高校受験、家の中が何かとばたばたしていた時期だった。そういう中で思春期を過ごした弟は、さびしんぼうである。内向的なので、何か起こると自分の中に原因を追求し、自分を責めてしまうくせがある。わたしが弟のそういった様子を心配するようになったのは、やっと自分が大学生になり、成人するかしないかというぐらいのころだった。それまでわたしは自分自身がしんどくて、弟たちのことまで考える余裕がなかった。だめな姉だなあと思う。
よくまんがには「おしとやかで、料理が上手でおさいほうもできて、やさしくて、勉強ができて黒髪ストレートロングで」みたいな姉が出てくるけど、弟たちもできればそういう姉がよかったのではあるまいか。
あてはまるのは「黒髪ストレート」と「勉強ができて」だけである。地味なことだ。

地味といえば、白亜祭の出店にはそれぞれのサークル色が非常に濃く出る。
もともと女子大で華やかな風土のある大学なので、店頭にはかわいくてカラフルな装飾が競って施される。
のだけれども、そうでもないサークルもある。
部員が華やかなサークルは店頭も華やかで、繁盛している。
部員が地味なサークルは店もまた然り。
呼び込みはがんばっているのだ。
「いかがですかー」とひときわ大きな声が聞こえて、おっ、と振り向くと、そこにはいかにも質素で飾り気のない店がひっそりとたたずむ。味がよくても学園祭は一発勝負、やはり見た目は大事なのである。人は見た目が何割かは知らないが、けっこう大事なのである。長いお付き合いであればそうでもないかもしれないけれど、一発勝負ならなおさらそうなのだ。

学園祭にはひとりで出向いたのだけど、これがまた居心地が悪い。周りが若いんだもん。当たり前田のクラッカー。あまりにも若い。ピチピチギャルがいっぱいおるよ。ちょっと前までは自分も学生に戻ったような気分☆で学園祭を満喫することができていたのだけど、もう、あの頃には戻れない…。わたしはもうこの世界の住人ではないことを悟った。このきまりの悪さを誰かにメールして伝えよう、と思ってバッグを探し、携帯を家に忘れてきたことがわかった。ああ。なんということだろう。心細さが一気に増した。「何もすることがないから適当にメールでもしてみる」というお手軽な暇つぶしさえできない。孤軍奮闘。四面楚歌。今のわたしの心細さをリアルタイムで共有してくれる人は誰もいない。もう帰ろうか。どうしようか。うろうろとあてもなくさまようこと30分。そろそろ出店のラインナップを暗唱できちゃうよ、っていうぐらいになったころ、ステージのまわりで奔走する弟を見つけたのだった。

とりあえずバドミントン部のお店でおにぎりとから揚げのセットを買う。250円。
かしわのおにぎりがおいしかった。から揚げも揚げたてでステキだった。
ステージをよく見渡せる噴水横のレンガにいったん座るが、飲み物もほしくなり、バドのお向かいのお店でペットのお茶を買う。120円。
お昼を食べながら、弟のライブ鑑賞。
休憩時間に書道部のチョコバナナクレープを買う。400円。
クレープというよりほぼ卵焼きで、ボリュームたっぷりだった。
お会計をした女の子の
「ありがとうございます。」
というていねいな挨拶が印象的だった。さすが書道部。(?)
それからはぼんやりとライブを見続けた。
トリで出てきた4年の人がおもしろい。華がある人だな、と思った。
信金に就職が決まっているそうです。言うことなしですね。
ライブが終わり、ぼんやりしていると、出張販売に声をかけられる。
「ころころ焼き、いかがですか。」
紙コップに、たこ焼きぐらいの大きさの焼き菓子がいくつか入っている。
たこ焼きの親戚だろうか、と思った。
売り子さんたちの気負わない感じが好印象だったのでひとつ頼む。
「チョコレート味とカスタードクリーム味がありますが。」
甘いお菓子だった。
カスタードを頼み購入。100円。
「チョコソースをかけてほしいときは、店舗のほうへおこしください。」
ていねいな営業だ。
たこ焼き器でホットケーキの生地を焼いたもののようだった。中にカスタードクリームが詰められている。あつあつならもっとおいしかっただろう。

熊大の学園祭には行かないけど、白亜祭にはなぜか頻繁に来ている気がする。これで確か4度目ではないだろうか。なんでこんなにしょっちゅう来てるんだろう…。そのつど今日のように、それなりの金額を落としている。


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元気 - 2007年11月09日(金)

頭痛も大分回復した。
なんとかかんとか教室スタートの40分前に到着。

今日はスタッフさんがひとりお休みだったので、母が手伝いに来てくれた。
後から思うに、何もかもわかっている人がひとりいてくれるというのは本当に気持ちの上で楽だ。
早くスタッフさんの中にそういう人をつくらなければならない。

ただひとつだけ気になったのが、障害児の対応の仕方が母はあまりよろしくない。
わたしが忙しかったので母に頼んだのだけど、どうも近辺の空気が重い。
母の態度を反映したかたちで、みるみる子どものほうの態度も悪くなっていく。
あとでその子のことについて話を聞いてみたのだが、自分のほうに原因があるとはあまり思っていなかったようで、もし今後また手伝いに来てもらうことがあるとしてもその子のことは頼まないほうがいいかもしれない、と思った。
せっかく今までわたしとスタッフさんたちで今の状態まで持ってきたのに、少しそれが逆行してしまったようで残念だった。

夕ごはんを食べて帰ろう、と言うので近くの和食のファミレス(「さと」ではない。)に連れて行く。二人ともうどんと寿司のセットを頼む。「おごる」と言うと喜んでいた。閉店ギリギリまでくつろぐ。
家に帰ると父と弟がそろっていて、この年末は
・父の誕生日祝い
・母の教室移転1周年
・わたしの教室引き継ぎ1周年
・弟の部長引退
と、それぞれに記念すべき節目であることが判明。(父は単なる誕生日だけど、まあせっかくだから。)
今月の月末に焼肉屋で祝うことになった。
ひさびさに家族がスムーズなまとまりを見せた、よい一夜でした。


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頭痛が痛い - 2007年11月08日(木)

相変わらず頭が痛い。
よほど母に頼んで休ませてもらおうかと思ったが、何もしないで寝ているより何かしていたほうがまだましのようだったので、とりあえず教室へ。
うへへうへへ、と怪しい笑みをこぼしながら淡々と仕事をこなす。
淡々と。
ひたすら淡々と。

問題児が集中する時間帯があるのだけれど、もう無理、と思っておとなしくしていた。今日のわたしにどうにかする力はとてもない。すると、問題児のひとりが「先生、どうしたんですか?」と敬語で尋ねてきたのにはびっくりした。確かにこの子は、いろいろあってほとんどわたしの「担当」になってしまっている。わたしの言うことなら比較的素直に聞いてくれるのだけど、それにしても、他の子にはわからなかったのにこの子にはわかった、というのがちょっとびっくり。見てるんだなあ。ちゃんと。

夜、母に頭痛の件を話すと、ココアをいれてくれた。
けど、頭痛に伴う吐き気がひどくて飲めなかった。
すまないね。母よ。


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みにくい - 2007年11月07日(水)

薬がなくなったために大変な一日だった。
なかなか動くことができず、でも動けないと薬がもらいに行けなくて、薬を飲まないともっと大変なことになるので、むりやり動いて薬をもらいに行った。
街角でキャッチの人に声をかけられそうになったが、わたしの様子を見て何かを感じたらしく、出した手を引っ込めていた。傍から見ればかなり余裕ない感じだっただろうと思う。
帰りの車の中でもらった薬を飲む。
家に着いてぐったりいていると陽一君からメールが来た。
声が聞きたかった。しばらく電話。
その後はこんこんと眠る。
それはもうよく眠った。


それからがすごかった。
どうしたって起き上がれない。
意識がはっきりしない。
この尋常ではないめまい、吐き気、頭痛、こういったものをおして仕事に出ることができなかった。
家庭教師に出かけなければいけない時間になってもそれは続いていて、結局先方に電話して「体調不良のため」とお休みをいただいた。もう電話するだけで精一杯。なんだこのめちゃくちゃな感じ。
ちょうど教え子のほうも風邪気味で、どうしようか迷っていたところらしかった。

薬を飲まないせいで引き起こされたことなのはわかっているが、最近、あんまり調子がよくないのも確かだ。
今も頭のしんがずっしりと重く痛い。
だいたい、薬をもらいに行く余裕もなかったっていうのがそもそもおかしい。行かなきゃ、とは思っているのに、からだが動かないのだ。

疲れてるのかなあ。
教室のない日に家庭教師を入れたのはよくなかったかもしれない。
受験が終わる来年の3月まではがんばるとして、それからは、教室の仕事に専念しようと思う。

母の教室では、わたしが伝えていた希望通りではなかったけれども少しだけ負担を減らしてもらえることになった。ありがとう、と伝えた。


薬をもらって帰りの車の中、信号を待っていると、脇の歩道で大学生と思しき二人の男性がベンチに座って何か話し込んでいた。品のいいこざっぱりとした格好で、ふたりともとても足が長く、買い物の途中なのだろう、服屋のふくろをいくつか提げている。本人たちは別にそれが特別なことだとは思っていないだろうし、足が長いのもこざっぱりした格好が様になってるのも当たり前のことだと思ってるんだろうけど、それに何だかものすごく腹が立った。わたしには、当たり前のことじゃないのに。ものすごくがんばってがんばって、人並みに見えるようにものすごくがんばってるのに。人並みに見えたい、普通になりたい、そうなるために、こんなにがんばってきたのに。この人たちはきっと、がんばってない。がんばってないのに普通にできている。それに腹が立つ。そうこうするうちに信号が変わり、むしゃくしゃしながら車を発進させる。


普段は考えないことなのだけど、落ちているときはたまに一瞬こういう発想が出てくる。一瞬で終わるけど。
県立美術館で開催されているピカソ展の看板を目にした。ピカソの抽象画をぼんやりと眺めた。ピカソは悪くない、と思った。
ピカソは普通じゃない。
だからピカソには腹は立たない。



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治安がよくない - 2007年11月06日(火)

今日の教室については書かなければならないことがいくつかある。
まず、スタッフさんの意識の低さ。
あんなに生徒がはけて空いている時間帯に、生徒の英語音読を、採点しながら片手間に聞いている。
何年この仕事やってんだ。
別の人は、逆にピークの時間帯に、ひとつのことに拘泥して手が止まってしまっている。
こだわるのはとても大切なことだ。
大切なことなのだが、状況を見て自分がどうすべきかを判断する力に著しく欠けている。

ふたりそれぞれに、こちらの望む動きを再度伝える。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 」
どこかが足りないのだろうな。わたしには。
たぶん最後の「ほめてや」るところなのだろう。

それと、教室のポスターに爪先かなにかで「バカ」とぐいぐい書いた後がある。
トイレのジェルジェムがぶちぶちちぎられている。
さらにドアにはポケモンのシールが貼られている。

何かいろいろ、おかしくなってきている。
ジェルジェムはアヒルのかたちのものをいくつか貼っていたのだが、すべて首のところでちぎられており、たまたまちぎりやすかっただけなのかもしれないが、なんとなく病的なものを感じなくもない。

地区担さんに相談すると、教室の発展にそれは早めに止めておかなければならない、ということを言われた。確かにその通りだと思う。こちらがそのままで許してはおかない、ということをPRするだけでもだいぶ違うらしい。貼り紙の掲示をすすめられた。実はそういうのがわたしは一番嫌いで、無料物品でもああせよこうせよ、あるいはああするなこうするな、といった標語ポスターがわんさかとあるのだが、意識的にそれらを排除してきていた。そういうのを貼れば貼るほど問題が顕在化してそちらに目を注がせてしまう気がするのだ。先日「差別をなくそう」とかって県内各地から小学生がお城に大集合してデモ行進のようなことをやっていた。差別はなくすべきだ。その主張は大いに結構。しかしわたしが真っ先に思ったのは「これをわたしが子どもの頃にやらされ…いや、やっていたとしたら、差別されてきた人たちのことを闇雲に特別視してしまうかもしれない。」ということだった。特別視とは、一歩距離を置いて見てしまう、ということで、それは差別とほぼ同義なのではないか。逆に、知識としてそういう歴史があることは知っていても子ども時代にそこまでインパクトのある(デモ行進とか)経験がなければ、そのようなゆがんだ認識は持たないであろう。今のわたしはたぶん後者で、友人の中に障害者やいわゆる「部落」出身の人がいてももちろん毛嫌いするようなことはないし、逆に同情したり、必要以上にやさしくしたりもしない。実際障害を持っている友人とも付き合いがあるが、わたしはべつに彼女が障害を持っているからという理由では特別にやさしくしたりはしないし、友人もそれを望んではいない。被差別者が差別者に一番望むのはたぶん「普通と同じに扱ってほしい」ということで、「特別扱いしてほしい」ということではない。子どもの頃にへんにそちらに意識を向かせてしまうと、誤った特別視につながってしまう気がする。

ひねくれた講釈はこのくらいにして、とにかく教室の治安をよくしなければならない。
とりあえずジェルジェムは捨てて、シールははがして台紙に戻し(台紙もそこにいっしょに置き捨ててあったので。)わたしの机の上に、見えるように置いておくことにした。そうして反応を見てみたい。

ポスターについては、今後それを使わないのは当然としても、果たして貼り紙をしておくべきか。やだなあ。しばらくしないでおいてみようか。そうしてみよう。うん。
正直、誰がやったのか見当がつかない。
やりそうもない子はいくらでも思い浮かぶが、そういうことをやりそうな子が、本当に思い浮かばないのだ。みんないい子だもん。本当に。母の教室は人数が多い分いろいろな個性の子どもが来ているが、うちは本当に、ありがたいことに、言うことをきかない子や反抗的な子というのは皆無だ。だからわからない。何かわたしが追い詰めているようなことがあるのなら、と思うと気になってしょうがない。


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つかれる - 2007年11月05日(月)

月曜日は憂鬱だ。

なんてありきたりのことを書いてもつまらない。
今日は雨が降っていて、ことさらに寒い。
出かけるのが本当にいやになった。
けれど出かけないわけにもいかないので、無理やり出かける。
母の教室は子どもが比較的ばらけて来てくれたので、さほど忙しくなかった。雰囲気も悪くない。いつもこうならいいのにな。
中3の教え子たちのテストはかなり良かった。上がっていた。やった。うれしい。

眠い。

何か考えるべきことがたくさんあったんだけど、とにかく、眠い。
教室だよりをまだ書いていない。めんどくさいと言ったりめんどくさくないと言ったり我ながら一貫性がないなあと思っていたが、なぜそうなるかがわかった。文章を書くのはめんどくさくないのだ。レイアウトを調整したり、イラストを選んで貼り付けたりするのがめんどくさいのだ。そんなのはできれば他の人にやってもらいたい。文章を書くだけでよいなら、じゃぼーっと蛇口から水が出てくるようにタカタカタンとキーボードを叩いていろんなこと書いちゃうよ。おもしろいかどうかは別として。あー。編集やってくれんかな。誰か。

あまりにも眠くて頭が痛くなってきたので、寝ることにします。
教室だより、いつ配れるんだろう…。


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おやすみ - 2007年11月04日(日)

何の予定もない休日。
ぐでぐでして過ごす。
実はこれを書いているのは月曜の夜で、日曜日に書いていればその日思ったことあれこれを新鮮なうちに書き留めておけたのだろうけれど、まあしょうがない。忘れてしまっている。

親が山登りで出かけていたので、家の中が一日じゅう静かで過ごしやすかった、とだけ書いておこう。



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カフェ・ラ - 2007年11月03日(土)

午前中から病院へ。
もう何ヶ月も診察なしで処方箋だけ出してもらう状況が続いていたのだけど(わたしがきちんと通院のための時間を取ってこなかったから。)前回ついに病院のほうから「次は必ず診察を受けてくださいね。」と釘を刺され、今日こそはと朝から出向いて行ったのだった。
なのに病院に行ってみれば看板は畳まれ、シャッターも降りていて、要するに、今日は土曜だけど同時に文化の日で祝日でもあるわけで、祝日だから病院は休みなのだ。こりゃ参った、考えが足りなかった、とほかの病院にもあたってみたがどこも留守電で、何が困るって薬を切らすと体がものすごくしんどくなるのだ。何とかして薬を確保しないといけない。ちょっと考えて、ネットカフェで休日当番医を探すことにした。以前、下の弟がバイトの面接を受けて落とされたことのあるネットカフェ(どうでもいい情報)に入り、30分コースでチャカチャカと市の医師会を検索、わたしの母校の大学の近くにある神経内科を発見。ドリンクバーからあたたかいコーヒー牛乳を持ってきていたのだが、ギリギリ診療時間内に着けるかどうかという状況だったので飲む余裕もなく店を出た。ゴミ箱が見つからないので店員さんに「どこで捨てたらいいですか?」と間抜けな質問をすると受け取ってくれた。ごめんなさい。
さっそく電話してから車で向かう。事情を話して薬をもらいたい旨を伝えると、医師は渋い顔で「あなたを疑うわけじゃないけれど、最近多いんだよね。」と言う。なにが?と思っていると「さももっともらしい顔でね、『いつも飲んでるんです』って、ありえない量の薬のリストを持ってきて、処方してくれって言うんだよ。『ほんとにこれ、あなたが飲むの?』って尋ねると、何も言わずにじぃっとこっちを見るんだよ。」横流し目的で薬の大量処方を求める人がときどき来るのだという。「とりあえず3日分だけ処方しとくからね。」とのことで、診察はほんの数分で終わった。前に同じように薬が手元になくなってしまって別の病院に行ったときには、うつ病を発症したきっかけから現在に至るまでのことを改めて全部話さなければならなかった。今回もそれをしなきゃいけないとなるとちょっとめんどくさいなあ、と思っていたところだったので、話のわかる医師でよかったな、と思った。
小児科併設なので、子供用のおもちゃや絵本が待合室にたくさん置いてある。
薬の処方を待っている間、隣の席の子どもがかわいかった。
「ブロックであそびたい」とかって備品のブロックのかごを取り出そうとするのだが、お母さんから「もうあとはお会計だけでおしまいだから、どうせすぐ終わっちゃうよ。このまま待っときなさい」と止められて、たいそうご立腹だった。まず「ブロックであそびたーいー」と駄々をこね、やがて「ブロックーーー!!うわわああああ!!」と泣き出し、それが怒りに変わり「もうすかん!ブロックであそびたいっていったのに!」と、母親に自らの怒りの深さを懸命にアッピールしていた。横目でチラ見したら、まんがみたいにほっぺたをぷーっとふくらませていたので思わず笑ってしまった。おもしろいのでその子をずっと観察していた。しばらく母親と離れたところに座ってすねていたが、そのうち他の子が遊んでいるやわらかいボールに気持ちが移ったらしく、興味津々なようすで目で追っていた。ほどなくしてボールの子は帰り、床に放置されたそれを拾って「ねえみて…っぼーーーーーん!!!」と、絶妙なタメののち、テンション芸人みたいなものすごい勢いでボールを投げる。待合室の中をぼんぼん跳ね回るボール。「やめなさい!」とお母さんが即座に注意するが聞かない。「っぼーーーーん!!ぼーーーーん!!!!!」勢いはとどまることを知らない。4回目で、ボールがわたしの足にぶつかった。その瞬間、彼女ははっとして、おびえた気まずそうな目つきでわたしの顔を見た。
ああ、その気持ちが持てているなら大丈夫。あんたは大丈夫だよ。
そんな思いをこめて微笑みを返してみたが、ボールをぶつけられたのにもかかわらずヘラヘラ笑ってうれしそうなようすの大人に当惑したのか、無表情のまま母親に擦り寄っていった。それからは静かにしていた。
そして処方された薬はなぜか2日分だった。いいんだけどね。足りるから。

午後は恵ちゃんと、結婚した友人たちへの贈り物を買いに鶴屋へ。
品物はもう決まっていたので手続きだけさっさと済ませ、お茶でもしましょうという話に。「カフェ・ラ」という店に入った。表記を見る限りはフランス語みたいだったけど、「ラ」っていうのは、「プリン・ア・ラ・モード」の「ラ」ですか?よく知らないんですけど、「ラ」って接頭辞みたいなものじゃなかったですかね?日本語で言えば「喫茶 その、」という感じになるのだろうか。たぶんならない。プリンのとは違う「ラ」なのだろうと本当は思っている。そのぐらいのことはわかるもん!(誰に怒ってるんだ)
カフェではなんだか自分のことばっかりべらべらしゃべってしまって申し訳なかった。久しぶりに会う恵ちゃんはきれいになっていた。いろいろ環境の変化があったようで、気持ちがすっきりしたからなのではないか、と思った。たまにある「カプチーノの泡にうさぎとかハートとかの絵を描いてくれる」店で、わたしのはハートだった。かわいかった。

夕方は家庭教師へ。
今日は調子がよかった。
過去問も絶好調。高得点。
この調子でどうかがんばってくれ、と祈るような気持ち。
「知り合いが『Nちゃん(教えてる子)が終わったら次はうちお願いしようかしら』って言ってたんですよ」
とお母さんに言っていただいてうれしかったが、聞くと学年順位が下から数えて何番目のお子さんのようで、こないだ「2番上がった」とかって喜んでいたそうだがそれでも右手だけで数えられるぐらいに下から数えて何番目、というぐらいらしい。
だからというわけでもないが、もし本当にその話が来ても「来年度以降は別のお話をいただいておりまして」と断ろうかと思っている。来年からは収入もぼちぼち安定してくる目算だし…。身体もきついしね。



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イルミネーションが点灯していました。 - 2007年11月02日(金)

仕事帰りはいつも車で繁華街を通り抜けるのだが、ついにクリスマスシーズン限定の街頭イルミネーションが点灯していた。
楽しみにしていたわけでもないのだが、もう季節が一回りしたのかと思うとなにか感に迫るものがあり、思わず車内で
「キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!」」
と声をあげてしまった。
しかし昨年も思ったが、暖色系の明かりにすればいいのに。青と白って、なんだかなんだか。聞くところによると超省エネな機構で光っているそうで、それでこの色になっているらしいのだが、それにしてもなんだかなあ。改装された鶴屋前の屋根つき歩道でも同じ色のイルミネーションが光っていたが、「青いなあー。」というのが第一印象で、それからほかの感想を探してみたけれどこれといって思いつかなかった。


午前中のボランティア(というか何と言うか…詳しく書くとアレなのでアレなんだけど)は先方の都合でキャンセルになった。午後はミーティング。先日のピグマリオン効果についての考えを伝えたいと思い、ウィキの解説をそのままプリントアウトしたものを配った。「『この子はもうこれ以上は無理かな…』と思ったときほど、ピグマリオン効果の話を思い出してください」と話した。スタッフさんたちの考えにある程度の影響を与えることに成功したようで、見る限りでは前回までと比べて生徒への接し方が少し変わったように思う。
批判もいろいろあるらしいんだけどね。あの実験には。


生徒がまだ増えそうだ。
ありがたい、本当にありがたいことなんだけど、そろそろひとりで見ることが不可能な状況になってきた。
「右腕」と呼べるほどのレベルのスタッフさんを、なんとかして作らないと。
今のところ候補は一人しかいないのだけど、ああ、どうだろ。
かなりこなれた人ではあるものの、年上なのがなあ…。
しっかり教育できるかどうか、自分のほうの自信がない。
自分の中に何かしら一貫した方向性がないと、ついてきてくれなくなるだろうと思う。それがこわくて、踏み込んだスタッフ育成ができないでいる。
ああしてほしい、こうしてほしいと思うのなら、まず自分がああしやすい、こうしやすい土壌を作っていかないといけないのはわかっているのだが、どんな土壌にしたいのかがそもそもまだ流動的で自分でもよくわかってないんだよなあ…。

でもそんなことを含めて率直に話して、一緒にがんばっていってみよう。うん。できるかな。やるんだ。

11時過ぎに帰宅した。
テレビでは、吉岡秀隆がなんだか暴れまわって本棚を倒している。なんの映画だ辛気臭いな、とか思ったら「ALWAYS 三丁目の夕日」だった。続編公開とは聞いていたが、明日からだとは知らなかった。前々から見たいと思っていた。だから今日は見ることができてよかった…などとは思わない。だっていきなりクライマックスから見始めてしまったんだもの!映画鑑賞という行為においてこれ以上の無為な行為があるだろうか。例えて言うなら、食パンの耳だけ食べて中のふわふわの白い部分を捨てるようなものだ。ぜんぜん例えになってない。というか実は、公開当時観に行った父から半ば強制的に物語の顛末を洗いざらい聞かされてしまっていたから、だいたい知ってる。どんぴしゃり団塊の世代である父にとってこの映画の時代設定は琴線にびんびん触れまくるものだったらしく、それはそれは情熱的に、どこがどのようにすばらしいか詳細に語っていたものだった。聞き手であるわたしがあらためて観るときの楽しみをとっておかなければ、とか、そんなん心底どうでもいいようであった。とにかく語りたくて仕方なかったのだと思う。
けど、けどさあ。それにしたって、やっぱり始めから見てたなら、それはそれでいいものだと思うんだ。
クライマックスだけ見るよりは。


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川本真琴 - 2007年11月01日(木)

10年経った今聴いてもなお魅力的。
「DNA」は高揚感のあるせつなさが印象的だが、何はなくともいちばんは「愛の才能」に決まっている。
川本真琴と言えば岡村靖幸というイメージが強いのだが、岡村靖幸が直接手がけている曲は実はあまりない。「愛の才能」はその点ではばっちりだと思う。上の弟(当時中学生)は、この曲で川本真琴に骨抜きにされたらしく、お年玉貯金をおろしてアルバムを買ったり、ファンクラブに入ったり、なんだか大変そうだった。「♪今夜バシッと実感させて Wow!(←短くシャウトしている。表記の仕方がわからん)」のところがたまらないのだそうだ。Mステに出てたときなど「あぁああぁもおおお、かわいいいいいーーー!!!!抱きしめたい!!」とかってものすごい勢いで悶えていた。その影響でわたしも聴き始めたのだが、確かに川本真琴はいい。なんかこの人はちがうな、と、漠然と思った。「DNA」と並ぶ代表作の「1/2」と、あとはアルバム曲の「焼きそばパン」なども秀作なのではないか。なんか偉そうだなわたし。


なぜ突然川本真琴かというと、こないだ陽一君とツタヤに行ったときに偶然ワゴンセールで見かけたのだ。上記のアルバム「川本真琴」がいくらかというと100円だった。川本真琴が100円。世も末だ。いやほんとに、世も末だ。だってあんたこれ、上の曲全部入ってるんだよ。ほぼベスト盤だよ。(と言うと本人に失礼だけど。)それが100円て。

3枚ぐらいあったので全部買おうかと一瞬思ったが、それはそれでアホらしいので普通に1枚手に取ってレジへ。
レジの人は最初、よう見もせんで普通にバーコードを読み取った。2625円。
これはさすがに違うとわかったらしく、手入力で打ち直す。500円。「500円になります。」
いやいやいや。
表に思いっきり値札貼ってあるじゃない。100円て。
べつに500円でも買っていたと思うけれど、500円でも十分に得な買い物だと思うけれど、でも一応
「100円じゃないんですか?」
と値札を指差しながら問いかけてみる。
「あっ」とか言いながら、今気がつきました、というような表情を見せる店員。
こんな目立つところに貼ってあるのに、なんで気づかないんだろう…、と思った。
「すみませんね、値段のデータがきちんとこっちに入ってないみたいで…」
そんなバイト気分全開の答えは求めてない。
まあとにかく再度打ち直してもらい、100円玉1枚と引き換えに、弟所有のものとは別に、自分用の川本真琴のアルバムを買ったのだった。
すこし前のことなのだけど、なんだか書くのを忘れ続けていて、やっと今日書き残しておくことができた。


今日の母の教室の手伝いは恙無く終わった。
夕方いっぺんに押し寄せてくる部活帰り組の子どもたちを任されているのだけど、こいつらがなにしろ部活帰りなものだからテンションが高く、しかもまあ、言ってしまえばあまりお行儀のよいほうでもなく、統率を取るのに非常に苦労する。
今日はそれがうまくいったので、ほっとした。
ほっとした、ということは、次もうまくいくかどうかはわからない、ということでもある。
このやり方はものすごく些細なことで壊れてしまう可能性を孕んでいて、まるで綱渡りのようだと思う。対処のバリエーションを増やして、どんな状況にも臨機応変に対応できる指導者になっていきたい。そのための修行の場だと思おう。

勉強ができない分、ほかのことで補完するというのはとてもよいことだと思う。人には向き不向きがある。勉強ができないからと言って全否定されるようなことはあってはならない。
けれど、勉強とほかのことを同列に並べ、取捨選択していくという考え方はどうか。
それは危険だ。
勉強ができなくても確かに全否定されるいわれはないけれども、しかし、勉強はほかの、たとえば部活とかクラブ活動とか生徒会とか、そういうものより優先度の高いものであるべきだと思う。

ということがこの子たちにはわかってるのかどうか。
すこし気にかかる。
君らは将来、プロのスポーツ選手になるわけじゃないのだから。

アグレッシブに動くということをだんだん好むようになっているように思う。
前へ前へ。
やりたいことをやれるようになってきているのだ。たぶん。
身体よめざめよ。

たとえば、夜中に月末処理を一気に片付けようとしたら、ほんとに片付けることができちゃった、みたいな。
やるじゃん。わたし。

陽一君からおもしろいサイトを教えてもらった。
「悪人正機」とか言い出す援交女子高生が笑える。
「悪人正機」ということばの、あまりにベタなご都合主義的解釈。
いいねいいね。


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