日記...マママ

 

 

- 2007年10月31日(水)

昨日の日記で「ゴーレム効果」と書くべきところを「ゴースト効果」と書いていた。
テレビのチラチラかよ!
こないだ、学校の確認テストで「議院内閣制」を「議員内閣制」と書いて満点を逃した教え子がいた。
そのとき「意味を理解して覚えれば、次からこういう間違いはしなくなると思うよ」などと話して聞かせた記憶があるのだけど、今回のはそれと同じレベルの間違いなのではないか。

今日は午前中から事務局へ。
ためになる話を聞く。
本当にためになった。
さっそく次回から実践してみようと心に誓う。
先輩の先生たちはなんだかかわいい。みんなかわいい。
かわいいおばさんとか、かわいいおばあちゃんは好きだ。
かわいいおじいちゃんも好きだ。
かわいいおじいちゃん、で思い出したが、以前老健にボランティアに行っていたとき、デイケアで通所しているTさんというおじいちゃんと仲良くなった。
昔は写真屋さんをやっていたそうで、仕事の話とか子どもの話とか、あとは戦争の話とか、ずいぶんいろんな話を聞いた。
話がおもしろいので、わたしがいちいち感心しながら聞いていると
「あんたは、何かこういう専門の仕事をやっとったんだろ?」
と尋ねられた。
「こういう」とは福祉の仕事ということではなく、お客相手に話を聞く専門の仕事、という意味だった。(今思うに、具体的にどういう職業を想定して質問したのかはよくわからない。お水とかだろうか。)
「いいえ、ないです。」
と正直に答えると
「うそだろー。だいぶ慣れとらすもん。」
と、大仰に驚いてみせていた。

わたしがホールに入ると、どこからともなくTさんはやってきて、話をしたそうにわたしの周りをうろうろしていた。忙しくてあまりゆっくり話ができないときもあったが、そのときのTさんのつまらなさそうな横顔が何とも申し訳なくて、印象に残っている。
後から考えると、Tさんと話をすることがわたしのメインの仕事になっていたように思う。
ボランティアに行かなくなってからはTさんと会うこともなくなったが、今も元気だろうか。元気だといいと思う。

昼食は、センタープラザの桂花でラーメンを食べた。

センタープラザのフードゾーンでは、2軒のラーメン屋が向かい合っている。
「桂花」は、塩味の強い白濁スープが特徴だ。
麺は熊本ラーメンの中でもとりわけ太めで、噛むと小麦粉の風味が豊かに広がる。
対する「こむらさき」は典型的な熊本ラーメンで、スープはこってり、麺もほどよい太さと固さで、食べやすい。
そのスタンダードさがすばらしい。
横浜ラーメン博物館にも出店している。

どっちにしよう。
それぞれの店舗の前で立ち止まり、メニューにくまなく目を通す。
どちらも素敵。
あまり長いことメニューを眺めているので、奥から様子を見に店員が出てきた。
居心地が悪くなったので、とりあえず歩き始める。
フードゾーンを一周して(その間にも、うどん屋とかお好み焼き屋、カレー屋など、ほかの店舗も一応チェックしてみる)またラーメン屋の一角に戻ってきた。
また迷いに迷って立ち尽くす。
店員が出てくる。
歩き出す。

これを3回繰り返した結果、桂花に入った。
昔は大好きでよく食べていたのだが、最近の桂花は味が変わった。
なんか知らんが、急にあっさりした風味になったのだ。
元祖と呼んでも差し支えないぐらいの老舗なのに、これはいかなることであろう。
新興の他店で似たような味を出してきたから、それに対抗するかたちで別路線を打ち出してきたのだろうか。
それにしても、あの突然のあっさり化にはがっかりさせられたものだ。

でもまあ、おいしいのはおいしいのよね。
考えたら数年間ごぶさたしていたのだった。

ラーメン屋にひとりで入るとき、いつも思うことがある。

「女一人でラーメン屋って、恥ずかしいことなのだろうか。」
「いや、わたしは単純に今ラーメンが食べたいからラーメン屋に入るだけだ。それのどこが恥ずかしいのだ。」
「世間の風潮とか他人の目とか、気にしないもん。」
「こうして自分の気持ちに素直に行動できるわたしカッコいい。」

思いっきり他人の目を気にしているからこういうことを考えるわけですが、まあとにかく今日もラーメン屋にひとりで入ってカウンター席に座った。
すばやくお冷とメニューが置かれる。
お昼どきだったので店内の回転は速く、カウンター越しに店員がまだかまだかとわたしの注文をもどかしそうに待っている。
のにも気づかず、あくまでもマイペースにメニューの吟味を続けていたわたし。
「お客さん、決まりましたか?」
しびれを切らした店員が、わたしに声をかける。
ああ、待ってたのか、とそこで初めて気がついた。
だいたいこういうのは、着席と同時に注文をぱっとやってしまうぐらいすれば、スムーズに流れるのだ。それはわかってるんだけど。吉野家とか天神(←よく行くうどん屋)ではだいたいそうなんだけど、なにぶん久しぶりだったからね。桂花で食べるのは。

朝食を食べていなかったので、ラーメンと、ごはんと、餃子を頼んだ。
朝と昼はおなかいっぱい食べないとだめだから。わたしは。

1年ほど前に買ったきりだった「アルジャーノンに花束を」を、最近読み始めた。あまりにいつまでも読まないので、もうこれからずっと読むことはないだろうと諦めて母の教室の文庫コーナーに寄贈していたのだった。けれど、母の教室を手伝う日、休憩時間の手持ち無沙汰になんとなく読み始めて、なんとなく読み続けている。つい先日教室から持って帰ってきて、続きを読んでいる。今、脳の手術が終わって、どんどん頭がよくなりつつある過程のところだ。

ラーメンを待つ間、続きを読んだ。
チャーリィの、幼少のころの記憶は悲惨だ。
母親から受け容れてもらえないつらさって、ね。

最近、教室に来ている子のなかで「この子はもしかしたら『学習障害』にカテゴライズできる子なのかもしれない」と思い始めている子がいる。
もちろん本人や親にそれを言う権利はわたしにはないのだが、仮に専門家からそのような診断を下されたとして、どうなるか。
まず言えることは、本人が楽になる、ということだ。
「普通の子」が普通にできることが、なぜだかできない。
そのことで本人は、幼少期からずっと目に見えない精神的な迫害を受けている。
自分は劣等生だ、だめなやつだ、という自己意識を、骨の髄まで染み込まされてしまっている。
それが自分の責任ではなくて先天的な器質によるものだった、ということになれば、気持ちは楽になる。間違いなく楽になる。自分を肯定的に見る手助けになる。
そういう意味で、ADHDだのLDだのという分類は有意義だと常々思う。

ほどなくして注文の品がつぎつぎと運ばれる。
ごはんは、餃子を全部おかずにして食べてなお、ちょっと余るぐらいの量。
なかなかよくわかってらっしゃる。
余剰分は、ラーメンをおかずにして食べる分。

麺は少し茹ですぎではないかと思ったけれど、おいしかった。
スープの塩味の強さはそのまま、ただし、前に食べたときより少しこってり感が戻っていた気がする。
喜ばしいことだ。
夢中になってぱくぱく食べる。

目算どおり、ぴったりおなかいっばいになって食べ終わった。
本当はビールも飲みたかったのだけれど、車だったのが残念だった。

となりの席のサラリーマンが
「え、生ないの?じゃ缶ビールでいいや」
とかって、ビールを注文していた。
いいな。

帰り、駐車場から車を出すとき。
精算所の係員は、左手の指がない。
この人はたぶん管理会社の職員だと思う。ときどき見かける。
顔は一面ケロイドで、わからないけど、交通事故か何かだろうか。

以前、工場で働いていたときに巻き込まれた、と言って、左手の薬指と小指がないのを見せてくれたおじさんがいた。職場のおじさんだけど。「俺はこんな不具だから、結婚とかできん」とずっと思い込んでいたらしいが、だめもとで奥さんにプロポーズしてみたときには「?べつにいいんじゃない?」と、何が問題なの?と言わんばかりの様子で普通に結婚を承諾してくれて、それに非常に心を打たれた、というようなことを話していた。
まあ、そうだろう。
確かに不便なこともあるかもしれないけれど、べつに結婚できないほどのことではない、と周囲からすれば思う。
だってそのおじさん、仕事したり、喫煙室で同僚の人たちと愚痴言い合ったり、女子社員にセクハラしたり、飲みに行ったり、普通にしてたし。
その「普通」の陰で、もしかしたら人知れず苦労していたのかもしれないけれど…いや、まあ、あったとしても、たぶんそんなにないかな、あの人は…。いずれにしても手の指が10本か8本かということは、その人に対する印象を特に変えることはない。10本だろうが8本だろうがセクハラされてうっとうしいのはいっしょだ。


駐車場の係員の話に戻って、この人に左手の指があろうとなかろうと、べつに印象は変わらない。
これは冷たいことなのだろうか。
「ハンデを背負っているのに普通の人と同じように働くことは大変だ、普通にしているだけですごい」とか思わないといけないのだろうか。
本人が現状を受け容れているのなら、それで問題は解決なのではないか。


午後は家でゆっくり。
眠っていると、いろんなところからいろんな電話がかかってきて、何度も起こされた。世の中は普通に動いている時間帯なので当たり前なんだけど…。


家庭教師先では、やはりどうもいまいち、親子ともに気持ちが乗らない模様。
正直、お金をもらうのが申し訳ないぐらいに肩透かしを食らっている。
はあ。
なんだかなあ。


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ククールが嫌い - 2007年10月30日(火)

Sランクのピーチ姫やゼシカには勝てるのに、なぜBランクのククールに勝てないのか。
なぜククールはことごとく空き地に止まるのか。
だいたいなんだよ、「ククール」って。へんな名前。
ばーかばーか。


今朝は病院に行こうと思って早起きしたものの、午前中から出かけるだけの力を振り絞ることができず、着替えて化粧までしたところで力尽きてしまった。ふらふらする頭で仕事へ。生徒が増えて忙しい。大変ありがたいことなんだけど、まあとにかく忙しい。


仕事中、ピグマリオン効果とゴーレム効果について考える。
「あー、もうこの子には教えてもダメだな」と思ってしまったらそこでおしまいだ。生徒を伸ばすにはまずはじめに、教える側があきらめないこと、常に期待を持ち続けることだ。
たとえ口には出さなくても、大人の発するそういった空気を、子どもは本当に敏感に察する。基本的に
「この人はわたしに失望している」
「この人はわたしに期待していない」
と子どもに思わせてはならない。それは教育の失敗だ。


帰り道の車の中で、なんとはなしに
「人類は、いずれ筆記具を使わないで生活するようになるんだろうか」
ということを考えた。
このままいけば、文字を書くということイコール、キーボードとか音声入力とかで電子文字を連ねていく、ということになるのかなあ、とか。
安野モヨコのまんがに、未来からタイムマシンに乗って現代にやって来た青年が、平方根や二次方程式の問題を見て「(俺には)ぜんぜんわからん」「へえ、こんな計算をアタマでやるんだ…」と感心するシーンがある。
まあまんがに書いてあったからそうだと言いたいわけではないけれど、もしかしたら、そんなふうになっていくのかもしれないなあ、と。
しかしそうすると、人間の頭というものはどんどんわるくなっていくだろうなあ。
コンピュータを開発する人たちばかりが頭がよくなってゆき、使う側の人たちはどんどん頭がわるくなってゆく。おそろしや。
未来戦争が起こるとしたら、コンピュータ対人間ではなく、コンピュータ開発者対消費者、ではないか。
両者の間に立たされるコンピュータ販売会社の営業なんか、最初は開発者側についてるんだけど、しだいに消費者側の人間性に心動かされて形勢が変わるとかね。


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やる気デー - 2007年10月29日(月)

朝からわりと元気だ。
朝食は高森町の「かめのパン屋」のパンとベーコンエッグ。
そうそう。
ベーコンはこういうふうに使うものだと思うよ。お母さん。
「かめのパン屋」のパンはめちゃくちゃおいしい。
手に持つと確かな重量感があり、昨今はやりの「もっちり」だの「ふわふわ」だのとは程遠く、いかにも「主食」と呼ぶにふさわしく、ぎっしりと高密度に詰まった生地。
これがおいしいのよ。
スペインの職人を呼んで窯からいっしょにつくり、製法も一通り教わったのだという。
コーヒーも淹れて満足。

昼までDSをやる。
もろもろの月末処理に手をつけなければいけないのだが、こうして逃避している自分に気づきつつ、DSがやめられない。意志の弱い日本の私(勝手な日本人像)。
昼からは母の教室へ。
今日はひとつ試みてみようと思ったことがあった。
フルメイクで教室に臨むのだ。
大人でもそうだけど、子どもはもっと見かけのイメージに左右されやすい生きものらしい。
なぜか子どもたちが素直に言うことを聞いてくれる日、その逆の日、対比して考えてみると、どうも「ばっちり化粧をしているかそうでないか」によるらしい、という仮説に思いいたった。
ので、それを実証すべく、今日はあらかじめフルメイクで教室に入ろうと決めていたのだった。

結論から言うとたぶん仮説は正しいと思った。
見かけのイメージももちろんそうだけど、わたしの気持ちの中にも張りが出て子どもに影響力を与えやすくなっているような気がする。
そして仕事がうまく進んだからなのかなんなのか、気がつけば、なんだか身体がとても元気。
精神と肉体のおそるべき相関関係の高さ。両者はひとつの循環のうえに成り立っているのだなあ。

ああ。
元気になりたい。

夜は陽一君から「夫婦ごっこ」の提案を持ちかけられてドキドキ。
この人の言葉のセンスはおもしろい。
秋の京都を堪能いたしませう。



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ククールが強い - 2007年10月28日(日)

8時にアラームで目が覚めた。
いたストをすこしやってから二度寝した。
よい季節だ。
朝の日光があたたかくて快適。
室温も過ごしやすく、ぐっすり眠る。
携帯の着信音で目が覚めた。
見たら非通知。
なんなのかしら、と思いつつ時計を見ると、午後1時だった。
びっくりした。
いくらぐっすり眠っていたとはいえ、そんな時間になっているとは思わなかった。

それから食事を摂った。
皿いっぱいに盛られた薄切りの焼きベーコン。
パンは見当たらず、炊飯器にはごはんが炊かれている。
これは何を意味するのだろう。
ベーコンをおかずにごはんを食べろということなのだろうか。
横で本を読んでいる母を見やったが、この違和感について理解してもらう自信がなく(うちの母なら「え?そうだけど何?」とか普通に言いそう)、とりあえずベーコンを何枚か食べた。
上質なものは知らないが、普通にスーパーで売っているようなベーコンは焼かないほうがおいしいのではないかと思っている。
焼いてもおいしいんだけどさ。

それから、豆腐とみつばの吸い物の入ったお鍋を発見。
やはり今日の主食はごはんなのだ。
お吸い物は、冷めているとこんなにもおいしくないんだな、と思った。
めんどくさがらずに温めなおせばよかった。
余談だが、母の作る吸い物の中で一番おいしいと思うのは、中国旅行のときに買ってきたという激辛の調理用味噌をほんのひとかけら入れた、ピリ辛風味のつみれとみつばの吸い物だ。
本当に何杯でもいける。
おいしすぎます。

食事のあとはDSをしながら、3階西側の部屋のソファでうとうとしていた。
午後の日差しがやわらかく振りそそぐ。
すばらしい休日。
大学時代の友人と陽一君からほぼ同時にメールが届く。
大学時代の友人からは、11月末の同級生の結婚式に関する連絡。
遠方での挙式だし、だいたい披露宴にも呼ばれてないので、まあ行かなくてもいいよね、というような話をしていた。
結局、同期みんなからの贈り物を新居に届けることに。
そんな話をしていたら、同件でまた別の友人からメールが。
もう何がなんだか。

陽一君からのメールは、ちょっといい話。
詳しくはWebで。

今夜の家庭教師は先方の事情でお流れになった。
なかなか点数に結びつかないから、あまり期待されていないのかもしれない、と不安になる。
わたしにやれることはやっている、とは思うけれども、生徒の意識を変えることも仕事のうちだと思う、点数が上がらないということはそれが結局はきちんとこなせていないということなのかもしれない、と、自身の未熟さを感じる。一見普通の子、普通の家庭なだけに、思うように成果が挙げられないのが余計に悔しい。見えていないことがまだまだあるような気がする。いろいろと考えさせられることの多い案件なので、引き続き考えていきたい。適切な指導を施せば、上がらない子どもなんていないはずなのだ。本当に。

夕方
「ちょっと散歩に出てくるね。」
と、母が出かける準備を始めた。
「ツタヤまで行ってくるから。」
さっきの本を読み終えて、また新しい本がほしくなったのかな。
夕食にはシチューがあるから、と聞いたような気がするのだが、お鍋の中にはどう見てもコンソメ色の半透明の液体がたっぷりと入っている。
ほんのりとカレーの香りがする。
これはなんなのだろう。
おたまでかき回してみると、底のほうからカレー粉があがってきた。
カレーをシチューと言い間違えたのだろうか、それにしてもずいぶん薄いカレーだなあ、といろいろなことを思いながらスープ皿に盛ろうとしたら、よそいきの服に着替えた母が
「シチューの粉が足りなかったから、カレー粉を混ぜたの。」
と照れくさそうに説明しながら出かけていった。
それもどうかと思ったが、まあとにかく正体もわかったことだし、ひとくち食べてみた。
普通においしい。
いや、普通以上においしい。
なんだかとってもおいしいのだ。
あー。なんだろこれ。
なんか、知ってる味がする。
なんだっけ。
ぱくぱく食べながら一生懸命思い出した。
そう、スープカレー。
スープカレーの味がした。
本日最大の発見、シチューにカレー粉を混ぜるとスープカレーの味になる。
おかわりは2回した。

ほくほくにあたたまった身体をソファに横たえて、またDS。
しあわせ。

夕暮れ、急に例の波が来る。
どきどきどきどき、鼓動が早くなる。
冷や汗をかく。
呼吸が小刻みになって、苦しい。

まあ今回のは、タイミング的に「サザエさん症候群」ってやつだったりしてね。

しょうがないのでお薬を飲んで寝る。
寝付けないけどむりやり寝る。
寝て起きれば、きっとよくなっているのだ。
きっと。

へんだなあ。
書いても書いても、どんどん脳みそから何か大切なものが流れ出していく気がする。
何かを忘れているような、不安な気持ち。
何を忘れているのかな。
とても大事なこと。
なんだろう。
なんだかよくわからないのだが、それを思い出すことは、とてつもなく恐ろしいことのような気がする。
けれど、思い出さなくてはいけないことのような気もする。
あー。
なんなんだろう。
もやもやするなあ。
運動でもするか。運動。
ああ、今生理中なんだった。
いや、生理中でもしていいんだけどさ。運動。
できなくはないんだけど。
まあ、やめとこう。


いたストDSのククールがなんだか強い。
クリアはそんなに大変じゃなかったのだけど、クリアした後にフリーモードで遊ぶときのククールがやたらめったら強い。
まずククールは、空き地に止まる率がやたら高い。
やつは空き地に止まると、憎たらしいことに必ず神殿を建てる。
そして、他プレイヤーがその神殿に止まってしまう確率が、なぜだか知らないが異様に高いのだ。
神殿に止まると、総資産の10分の1もの金額を「修繕費」の名目で持ち主に納めないといけない。
乱立する神殿、次々と資産を毟り取られる他プレイヤー。
余裕の独走態勢のククール。
そんなに人が止まるなら、と、ククールの神殿を次々と買い取ってみたりもしたのだが、わたしのものになるとぱったりと誰も止まらなくなる。
そしてククール名義の神殿には相変わらず誰かが絶えず止まり続けている。

ククール、この神殿長者め!!!!



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いたスト中毒 - 2007年10月27日(土)

DS版いたストが手放せない。

今朝は朝から二件、保護者との面談が入っていた。
どちらも入会間もない家庭。
一件目は親子でやってきた。
お母さんが常にポジティブな声かけを心がけているようで、子どもも素直に楽しんで学習を進めている様子なのがありありと伝わってきた。
見ていてとてもうれしくなった。
二件目はお父さん。
とてもきちんきちんとした礼儀正しいお父さんで、実はわたしはこういう人にものすごく弱い。
弱いというのは骨抜きになるという意味ではなく、文字通り、弱い。
こわいのだ。
自分のへたれ加減とか、それを隠すためのハッタリなんかを見透かされそうで。
それでわたしはものすごく緊張しながら恐る恐る面談を進めてしまっていたのだが、こちらから「面談をやりますから来て下さい」と呼び出している以上、対話のイニシアチブはこちらがとらなければいけないわけで、そうなると、わたしの緊張はそのまま相手に伝染してしまうことになる。
ただでさえきちんとした人がもっと身を固くしてきちんとしていたので、なんだか申し訳なかった。
別に取って食われるわけでもないのに、こちらが勝手に緊張していたせいでいらぬ緊張感を与えてしまって。

午後は母の教室にて、中3のテスト直前の質問会。
教室に着いたときにはなんだかすでにへとへとで、控え室で20分ぐらい寝た。
質問の合間を見ながら、持参していた自分の仕事に取り掛かる。
だがはかどらない。
コーヒーを飲んだりチョコを食べたり身体を動かしてみたり、いろいろやってみたのだが、どうにもはかどらない。
しょうがないので中3にちょっかいを出す。
いや、ちょっかいと言うと御幣がある。
決して勉強の邪魔をしたわけではない。
何をやったらいいのかわからない、という子に具体的な暗記の指示を出したのだ。

暗記させている間に仕事を進めようと思ったが、それでもはかどらない。
しょうがないのでまた控え室に入り、DSを始める。
ちなみにすでに母は帰宅している。(やることがないので)

30分後。
「暗記できました。」
と、生徒がわたしを探しに来た。
あわてるといけない、と思い、何食わぬ顔でDSをそっと物陰に隠す。
が、見られていた。
なんかいろいろ言われたが、それでも何食わぬ顔で小テスト開始。
よく覚えている。
15歳の脳みその記憶力と集中力に驚嘆。
「どうせ明日には忘れてるんだろうなー」
とか言うので
「よくわかってるやん。人間の脳みそってそういうふうにできてるんだよ。だからまた同じことをやって覚えなおすんだよ」
と説教。

夕方、生徒たちを帰して自分も帰宅。
DSののち夕食、個人で契約している中3宅の家庭教師に。
過去問を解かせてみたところ、前回やった平方根の加減のしかたを忘れている。
宿題をしないからだ。
ちょっときつめに伝えたが、伝わったのだろうか。
これでわたしのせいぐらい言われたらたまったものではない。
お母さんにも、宿題は必ずやらせるように伝えてみた。
伝わったのだろうか。
不安でしょうがない。
数学ばかりでも息が詰まるので、だめもとで公民のおさらいをやらせてみた。
すると予想に反してすばらしい正答率。
15歳の脳みその記憶力と集中力にまたもや驚嘆。
若いっていいことだ。
だからこそ当人のあまりのやる気のなさに不安が拭えず、明日も行く約束を取り付けて帰ってきてしまった。
疲れてるのに…。
なにやってんだ。わたし。

こうして日記を書いている間にも、横のDSが気になって気になって仕方ない。
早く始めたくてうずうずしている。
けれど最後にひとつ、書かなければならないことがある。
陽一君から、昨日の日記の内容について異議ありとのメール。
それについてはともかくとして。
ありがとう、と思った。
うれしかった。
好き。
大好き。
ごめんね。
ありがとう。
本当にありがとう。
わたしでよければ、いつかお嫁にしてください。



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鼻血続発 - 2007年10月26日(金)

午前中に起きてDSでひとしきり遊び、それから朝食を食べた。
おかずは、スーパーの精肉コーナーでパック詰めされて売られているウインナーと、辛子明太子。
ウインナーがおいしかった。
それと冷凍のハッシュドポテトを食べた。
前にバイトしていたピザ屋でもハッシュドポテトを売っていて、そこでこの食べ物のことを知った。
本当においしい食べ物だと思う。
オーブントースターで表面を狐色に焼いて、熱いうちに食べるのがおいしい。
食後に緑茶を淹れて飲んだ。
心の芯からあたたまる。

朝食の間に、陽一君から昨日の様子を心配した電話がかかってきていた。
片づけを終えてからかけ直す、という旨のメールを返そうとしたら、三度目の電話がかかってきた。
いろいろとストレスがたまっていたのだろうと思う、という旨のことを伝えた。
こうやって気遣ってもらえることが、本当に、本当にありがたい、と思った。


昼まで、DSをやったり部屋の片づけをしたりDSをやったりしてぐでぐでしていた。DSをやっていると眠くなる。少し寝てから教室に向かう。
またあの頭痛と吐き気。
出掛けに父から肉まんを3個渡された。
小腹がすいたときにでも食べろ、ということらしい。
ありがたく受け取って家を出る。
愛犬のリッキーは今日もかわいい。

教室では子どもたちが相次いで鼻血を出す。
なぜだろう。
スタッフさんが「季節柄出やすくなるもんね」というようなことを言っていたが、本当なのだろうか。
季節柄といえば、年長さんの男の子が、夏になるとしきりに「ちんちんかゆい」と言って股間をかいていた。
陽一君によればそれは多くの男子に普遍的に起こる現象なのだという。
睾丸の袋のひだとひだの間に湿気がこもり、かゆくなるのだという。
わたしの想像の及びもしない話だったので驚いたが、それを思い出し、ならば「秋は鼻血が出やすくなる」というのが普遍的な現象だということもありえるのかもしれない、というようなことを思った。

空気の読めない子にちょっといらいらしたりもしたが、割かし恙無く教室は終わった。
定期的に保護者からのアンケートを取るのだが、今回のアンケートでは歯に衣着せぬ率直な意見や要望が増えてきた。
こちらの想定外のことが書かれていたときには一瞬へこむが、期待の表れなのだとウルトラポジティブに解釈する。


夕方トイレに入ったときに血を発見する。
生理が始まった。
もしかしたらそうじゃないかとは思ったりしたのだが、昨日のあのわけのわからなさは、生理前だったからなのかもしれない。


21日の日曜日に英検を受験した子に手ごたえを尋ねてみる。
「できなかった」とは言わなかった。
ちょっとおバカなことを言って反応を見てみると、屈託のない笑顔を見せた。
大丈夫だと思う。
実はこないだ、試験直前の教室日に、この子は泣いてしまったのだ。
ああ、やっぱり初めての受験だからこわいんだな…って、そんなことちょっと想像すればわかることなのに今更のように心配になって、心配で心配で、日曜日も電話してみようかと思ったぐらいに心配で、でも、今日の笑顔を見たら少し安心した。


バイトを頼んでいる弟は今日も30分遅れで到着。
正直遅れてもそんなに困らないのだが、ほかのスタッフさんの手前、遅れるなら遅れるで前もって言え、というようなことを説教。
その後いろいろ話をして、11月はもう来なくていいよ、ということにした。
父の肉まんを与えたら3個とも食べた。

陽一君からメールが届く。
「仕事が終わったら電話ください。」
今なら言える、卑屈な発想で申し訳ない。
別れよう、とか言われたらどうしよう、と、そのときは一瞬、ほんとに一瞬、そんなことが頭をかすめてしまったのだった。
簡単にそんなことを言う人じゃないということはわかってる。
けど、最近、わたしからメールをあまりしなかったり、電話しなかったり、ほんとはしたいの。したいのに、うまくできないの。だから、ごめんね、って思ってて。不安がらせていないかどうかが不安で仕方なくて。

「迷惑とか、そういうんじゃないよ。」
と本気声で言われて、その瞬間に陽一君の気持ちが、正確に、しっかりとした重みで伝わってきた。
苦しい、と思った。気道が締めつけられるように詰まって、息ができなくなった。視界がぶわっとにじんで前が見えなくなった。平たく言うとまた泣いてしまって、ふぐふぐ言いながら頑張って「ありがとう」とだけ、かろうじて伝えた。ほかは言葉にならなかった。甘えてばっかりで、いつもいろんなことで楽しませてもらっていて、ああ、もうだめだ。書きながら、涙がとまらん。


しんどい、本当はたぶん毎日がそれなりにしんどくて、いくら「楽しい」と自分に洗脳をかけてみてもやっぱりしんどいものはしんどいのだと思う。
それがわかっただけ、まあ、よかったのかな。


明日は、午前中に二組の親子と面談して、午後は母の教室の中3対象に共通テスト前の勉強会、夜は家庭教師。なにげに多忙。
明後日は寝る。寝るために人生を送っている。働くために寝るのではなく寝るために働いている。そのぐらいに眠い。睡眠欲>>>>>食欲>性欲ぐらいな感じ。異論は受け付けません。




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忘れないために - 2007年10月25日(木)

毎日を、流れるように忘れていってしまう。
そのことに感じていた危機感とか焦燥感を少しでも和らげるため、しばらく毎日起こったことを細かく書き留めてゆきたいと思う。

母の教室を手伝う。
乱れていた空気を引き締め、よりよい指導を目指すべくいろいろと画策していたようだが、見たところ見事に頓挫。しかもその志自体を帰る頃には忘れている模様。しっかりしてよ。
母の意思がなかなか伝わらないスタッフさん、そのスタッフさんによってだらけたムードを許されてしまった子どもたち。それを必死に立て直そうとしてひとりきりきり舞いするわたし。いらいらする。みんな手を抜きすぎだ。教室は仲良しクラブではない。

夕食はレトルトのハンバーグと雑穀米。
しっかり噛んで食べたので、あとでおなかはすかなかった。
お昼もしっかり食べておいたし。
やっぱり朝ごはんとお昼ごはんをしっかり食べておけば、夜はおなかがすかなくなる。

陽一君と電話しながら泣いてしまった。
しょうもないことをしてしまった。申し訳ないと思う。
けれど泣かせてもらったので、ここしばらく続いていた鬱屈した気持ちの流れが少し抜けて、すっきりしたような気がする。
けれどやっぱり、付き合わせて申し訳ないと思う。
本当ならひとりで処理すべきことだったのだろうに。

もろもろの合間に、陽一君からもらったDSにのめりこむ。
ポータブルってすばらしい。
これからはポータブルだよ。やっぱり。(今更)

パソコンに向かうと吐き気がする。
頭痛もする。
母の教室にいてもそうなる。
自分の教室にいてもそうなる。

ていうか、だいたいずっとそうな気がする。
そうだった、昔はずっとこれが当たり前だったから、いちいちこうしてああだこうだと自分の状態を自覚することもなかったんだ。みんながそうなんだと思うでもなく思っていた。みんな、こんな頭痛とか吐き気とかに悩まされながらもがんばって日常生活を送っているのだなあ、とてつもない精神力だなあ、と。それができないわたしはやはり精神が弱いのだろう、だからもっとがんばらないと。
と思っていた。

胸がどきどきする。

最近、悪くなってるのかな、と思うときがある。
うつっぽい、なんかそういうの。
薬を増やしてもらったほうがよいのか、けれど、薬をたくさん飲むと眠くなるのだ。
眠くなって何もできなくなって、そんな自分がいやになって、あー。

さあ今日は起きている、何をするのがよいのか。
やりたいことはたくさんあって、でも、完遂することは、実はすごく難しいんだ。なぜだか最後までできない。どうして。どうして。


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アモーレ アモーレ - 2007年10月12日(金)

ロバと王女を観た。

作風が好みだ。
かわいい。
ごてごての少女まんがの世界を本当にそのまま映画にしてしまった感が素敵だ。
なのになんで安っぽくないかというと、キャストが豪華なのと、メイクや衣装や小道具大道具、とにかくいろいろな細かいところにしっかりとしたこだわりが貫かれているからなんだろうと思う。
王子とふたりで夢の世界に旅立つ主人公がよい。
白いローブをまとったふたりは、甘いお菓子をむさぼり食い、酒を酌み交わし、緑の草原をじゃれながら駆け回ります。
おもろい。
ここまでストレートに来られると、なんていうかもう、funじゃなくinterestingなおもしろさがこみあげてくる。

シンデレラのガラスの靴と同様「王子が持つ指輪に左手の薬指がぴったり合う女性を王子の妃とする」というおふれのもと、国中の女がこぞって薬指を細く美しく磨き上げようとする様子もとてもかわいい。
ミュージカルなの。
弟に万力で薬指をつぶさせようとする街娘とか、「痛くないのか心配なんだよ」とボーイソプラノで歌うその弟とか、女たちの努力を軽くからかう農夫とか、詐欺師に売りつけられたインチキローションを必死こいて指に塗りこむ貴族の娘とか、みんなかわいい。

どちらかと言えば王子と主人公は物語を進めるための便宜上の存在といった感じで、むしろ周囲の農民とか妖精とか臣下たちとか詐欺師とか、そういう人々の躍動をぜーんぶひっくるめた映画の世界そのものが、ひとつの楽しみとなっている気がする。
そしてめでたく王子と主人公が結ばれ、豪華絢爛なる結婚式が始まろうかというそのときに突如空から現れるアイツ。
もう、こういう演出がたまらんのです。
それまで自分たちが粛々と築き上げてきた世界観をラストで一から十までぶちこわす。
この不条理さときたら。
フランス映画、いいね。
あまり観ないけど、観たら必ずおもしろい。
インパクトが違うもん。インパクトが。


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いぬ - 2007年10月08日(月)

携帯に「ドラえもん」をダウンロードして読んでいるのだけど、「ドロン葉」というお話で不意を突かれてちょっとうるっと来てしまった。

危険や災難が迫ったときに姿を変えてそれを免れることができるという道具で、のび太は近所の「ベソ」という犬にそれを使う。ベソはその名も「キョーボー」という凶悪な飼い主から虐待されている不幸な犬なのだが、のび太の仕掛けた「ドロン葉」の効果で、キョーボーと身体が入れ替わり、逃げ出してしまう。

それからの描写がすばらしい。
それまで散歩に連れて行ってもらえずつながれっぱなしだったベソは、初めて見る外の世界に嬉々としてあちらこちらを走り回る。草野球の試合にも混ざり、周囲を驚かせるほどの俊足で(犬だから)あっという間にベースを一周してしまう。
それをのび太とともに見守っていたしずかちゃんのセリフ「自由にとびまわれるのがうれしくてしようがないのね」が、ぐっとくる。

キョーボーの身体でうろうろしているわけだから、見かけは当然犬ではなく人間だし、犬だから何もしゃべらない。ただ無表情で走り回ったり、バットを振ったり、塁を回ったりしているだけ。
でも、何も自分をつなぎ止めるものがなくなったときの、身体いっぱいで喜びを表しながらただひたすら走り回る犬の様子が、ちゃんと伝わってくるのだ。
これは犬を知ってる人じゃないとわからないはずなので、たぶん犬を飼ってた経験なんかもあるんだろうけど、それにしても、犬自体の絵はどこにも描かれていないコマの中から、なんでこんなにひしひしと犬の気持ちが伝わってくるんだろ。
この人、ほんとにすごい漫画家だな、と思った。

帰宅したベソは「なぐるならなぐれ!いつもおれがやってるように。」と腹をくくるキョーボーを前にして、そっと「ドロン葉」の効果を解除し、お互いを元の姿に戻すのです。
驚いて言葉を失うキョーボー。
「ベソ!………。」
日はとっぷりと暮れ、窓から漏れる居間の明かりがふたりを淡く照らします。
キョーボーは何も言えず、涙を流しながら、ベソをしっかりと抱きしめます。
ベソは穏やかな表情で飼い主に身を任せ、ただしっぽをぱたぱたと振るのでした。

あああああ!!
犬だよ、これこそ犬なんだようう!!
どんなにひどい飼い主でも、こうやってひたすら一途に慕ってくれるのが犬なんだよおおうう!!

このときのベソの表情が、もうだめです。
この穏やかな表情。
ベソおおおお!!!




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カラクリオデット4巻 - 2007年10月06日(土)

盛り上がってまいりました。
いいねーいいねー。

4巻は「独占欲」がテーマなのね。
朝生がオデットのことを無意識のうちに特別視しているのがよい。
お嬢白雪も、キャラが活きていてすばらしい。

そういえば3巻のクリスのときも、クリスが朝生のことをどうして嫌いになったかというと、オデットに対しぞんざいな扱いをしていた+オデットと仲よさそうにしているから、というようなことであったと思うし、このへんから「独占欲」につながるものは出てきていたのかも。


そしてシンペイが我が家に届いた。
これからひとりでやることにします。
ひとりで。

教室に置いておこうと思ったが、小さい子どもがコマを口に入れたりするといけないので、やめておいた。

あとは、アマゾンのおすすめで買った「ザ・ベスト・オブ・ケルティックミュージック」。
オムニバスばっかり買ってしまう。
そろそろアーティストを絞り込んでいこうとは思ってるのだけど、なかなか。

ああ、何の予定もない休日って、本当にステキ。



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