中学校まで - 2007年07月29日(日) 昼間のうだるような暑さを避け、夕暮れ時、母校K中学校へ参院選の投票に歩いて出かける。 投票はまぁ恙無く終えたのですが(選挙立会人に知り合いのお母さんがいて、ちょっとびっくりしたけど)、帰り道、なんか息が切れるんです。 家についてからしばらく動けず、ぜいぜいはぁはぁと肩で息を整えた。 走ったりしたわけでもなく、普通にのんびり歩いて帰ってきただけなのです。 呼吸が落ち着いてくるのと同時に、左わき腹が痛くなってきた。 体育の授業で持久走をやったあとの、あの痛み。 マジですか。 うちからK中正門まで徒歩5分、教室に入り席に着き、いろいろ片付けて準備するまでの時間を+5分として、だいたい始業の15分前に家を出れば余裕を持って登校できていた。最速で、家を出てから3分18秒で着席に成功したこともある。 とにかく、うちとK中はそのぐらい近い。 その程度の道のりの往復で、なんでわたし、わき腹が痛くなってるんだろう。 やばい。 これはやばい。 どうにかしなければ。 ビリーだ。やっぱりビリーズブートキャンプだ。 入隊しなければ。 もうほんとにやばい。 - 雑感 - 2007年07月22日(日) 先日聴いた講座はおもしろいものだった。 こういうふうに企業が主催する講座の中で、専門技術を具体的に教授するのではなく理念や思想を伝えることを目的とした講座というのは、たぶんに「刷り込み」「洗脳」に近い側面を持ちえるものなのだろうと思う。 それをわたしは知っているが、知っていてなお「洗脳」に身を委ねている。 無批判に、目を輝かせて教えを受け容れ、ともに講座を受けた人々とひたすら「今日の話もよかったね」「本当に。よかったね」と言い合う。 批判しようと思えばいくらでも批判できることをわたしは知っている。 けれど、それをしない。 わたしは、建設的な批判ができるほどにこの企業の中での経験を積んでいないからだ。 だから、ただひたすら教えを受け容れ、それに従う。 あまりにも何もかもを無批判に受け容れるので、そばで見ている人の目には盲目的にさえ映っているのかもしれない、と思う。 それを知っていても、わたしはただ、教えに従う。 何もかもを義務ととらえてしまう人のお話。 大事にされることに慣れていなくて、いたたまれなくなる。 それであれこれ考える。 わたしは知らないうちに、義務を課してはいないでしょうか。 だとしたら、つらい。 もしも、もしもだけど、義務、になっていたら、本当に、本当に、ごめんなさい。 大丈夫かな? - 幼児のように泣く - 2007年07月16日(月) やはり身をもって迫りくる、「とかげ」の、あのフレーズ。 さっきまで隣の助手席に座っていた人がいない、というのはそれだけでぽっかりと心に空虚感が漂うものだけど、それがただの人ではなく、本当に、特別に、特別な人だったなら、胸にあいた風穴はまるでそれ自体が主体のように、まわりのからだがただのおまけであるかのように、存在感を増す。気がついたときには涙が出ていて、そうなってしまうともうどうしようもなくて、ううう、と声を漏らして泣いていたのはほんの数十秒で、それから後は、運転席でひとり、赤ん坊のように、火がついたように、泣くのをやめることができなかった。自分でもびっくりした。どこからこんなに涙が出るのだろう、と思った。幼児が駄々をこねるのと同じように、泣きじゃくりながら、ひたすら「いやだ、いやだ」と口走り、さっきまで隣にいた人がいない、という現状を全力で否定していた。(それで道を間違えた。) 好き。大好き。 - 揺れ動く - 2007年07月09日(月) 「波」と呼ぶにふさわしい、小刻みな周期の感情の起伏が起こっている。 高揚感と絶望感を行ったり来たり。 せわしない。 このような起伏に揺られるときは、とりあえず女性ホルモンのせいだということにしてもよいだろうか。 あるいは薬が効きすぎているか、あまり効いていないか。 そう思っておくことで自分を客観視できるので、まぁどっちでもいいや。 本当は違っていたとしても、そういうことにしておこう。 バガボンドの又八は、妄想の中で武蔵の姿を肥大化させている。 肥大化された武蔵は又八の劣等感を具象したものにほかならず、肥大化された武蔵に、又八の自信、自尊心、そういったものはじわじわと押しつぶされてゆく。 あぁ。 覚えがあるなぁ。 あんなことや、こんなこと。 数え切れないくらいに、たくさんの、自分の中で肥大化された他者の姿。 それらはわたしのアイデンティティを容赦なく蹂躙し、「誇りの欠片」さえも踏み潰してしまう。 もちろん、わかっている。 現実の当人に、わたしの自尊心を踏み潰そうという意図はまったくないことぐらい。 だから「妄想」なのだ。 相手はただの人で、ひとりの人間で、自分と本当はいくぶんも違わぬ存在であるはずなのに、山と蟻のような圧倒的な存在の大きさの差。 山々に押し潰される蟻。 山はそこにいるだけで、傍らの蟻を踏み潰す。 山は崇高で、偉大で、手の届かない存在である。 傍らの蟻を踏み潰していることに、どうか気づいてほしい。 そしてできることならば、踏み潰さないようにうまくやってほしいと願う。 蟻はそう願う。 でも、足元の蟻を踏み潰すことの重大さに気づき、それを恐れたときから、山はもはや山でなくなる。 そこに蟻のジレンマがある。 蟻は、偉大で崇高な山に、山のままでいてほしいと願うなら、踏み潰されながらもそれを是認するほかないのかもしれない。 自分のようにちっぽけな蟻の、手の届かない存在でいてくれる山は、そのような山であるからこそ、蟻にとって崇高で、偉大なのだ。 自分の存在を時折むしょうにみじめだと感じることがある。 理屈抜きで、ただそのような感覚が襲ってくる。 今夜はもう寝よう。 一晩寝たら、明日はたぶん、よくなっている。 - 髪を切る - 2007年07月08日(日) 肩まで髪を切った。 さっぱりさっぱり。 街を歩いていたら、ソフトバンクの新店舗の前に人だかりができていた。 輪の中心には、頭ひとつ飛び出た黒人がひとり。 予想GUYだ。 予想GUYがいた。 新店舗オープンキャンペーンかなんかで熊本に来ていたらしい。 それはもう、もちろん、握手してもらって写真も撮ってきた。 名刺ももらった。 なんなんだよ。「株式会社 スジヤ★インターナショナル」って。 女子高生に「ねえねえ、やってみて!」とねだられて、ちゃんと 「予想GUYデース…」 とやっていた。 うまいうまい。 いや、うまいも何も本物だった。 街中はセール商品であふれかえっていた。 あぁ、みんなそれなりにかわいい、それなりに魅力的、でも、やっぱり所詮は売れ残り。 買おうかなぁ、どうしようかなぁ。 しばらく迷って結局何も買わなかった。 たぶんそれでいいんだろう。 -
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