繰り返し通る道 - 2007年06月30日(土) しんどい記憶の残る道路を、数年後に通る。 数年も経っていれば、記憶は薄れ、しんどい気持ちも当時のままにはよみがえらない。 えんぴつで、そこを通るたび、何度も何度も、線をひいていく。 しゃっ、しゃっ、と、音が聞こえる。 えんぴつで線を引く音。 幹線道路は濃く、あまり使うことのない小さな道は薄い。 たくさんの線がわたしの脳内地図に書き足され、そうしてそれは濃く深みのある地図へと変わってゆく。 遠くの教室に見学に行った。 とてもためになることをたくさん吸収できて、よかった。 帰りに、嘉島町のダイヤモンドシティクレアに寄った。 書き足されてゆく道の線、夜、夏の夜、熊本の夏の夜の空気、 陽一君の名前を頭の中で呼び続けた。 けっこう必死に呼び続けた。 支え、心の支え、この人がいてくれるから。 - たらちねの - 2007年06月25日(月) 続いている流れがあって、それに冷静に身を委ねるだけの自分がいる。 ずっと続くいらいら、いらだたしさ、もどかしさ、 エゴに基づく部分も多分にあるのだとわかってはいる。 けど経験上こういういらいらは自制しようとすればするほど暴れまわって手のつけられないことになるので、黙って観察しながら成り行きに任せている。 もとに戻りますか? わたしは、もとに戻りますか? 明日も明後日も、ずっと今のまま? それじゃ、まるで、前のわたしみたいじゃない。 今日何があったか書くのは簡単だ。 昼過ぎまで家でいろいろと雑用をこなして、それから仕事に出かけた。 子どもたちを励まし、褒め、ときどき叱り、休憩時間に夕食の弁当を広げていたら、つまみ食い目当ての子がひとり、そばにくっついてきた。 いつもなら苦笑しながら分けてあげるのだが、今日は 「ずうずうしい子だなぁ…。親がちゃんと躾けてないんだろうな…」と いう感想以外の感想が出てこなかった。 それとなく「品のない行為だから次からはよしなさい」という意味のことを伝えたつもりだったが、うまく伝わっていない。 その子にも自分にもいらいらした。 「わたしは何ができていないか」という観点で自分の仕事をチェックすると、恐ろしいことになる。 いらいらが募る。 できればこういう考え方はやめたいのだが、やめたつもりでいたのだが、ああ、またあの悪夢が蘇るのか。ぞっとした。もう完璧主義はやめたのだ。そう、やめたのだ。完璧じゃなくてもべつにいいのだ。完璧を求めるとろくなことはない。もうよそう。こんなこと、よそう。 - 夢 - 2007年06月23日(土) またいろいろな夢を見た。 絶海の孤島を探検する夢、窓際族ばかりの部署に人身御供として送り込まれる夢、そこでストーカーに遭う夢、派遣時代に知り合いだった十歳年上の百戦錬磨のお姉様にそのゴタゴタを丸く収めてもらう夢。 現実も冴えない。 教え子の期末テストはズタボロで、もうへこんだ。本当にへこんだ。はあ。 - 今日はどんな日 - 2007年06月13日(水) どれだけの重みがあるのかわたしに知る由はないが、今日、すでに6月14日だけど、今日はどんな日? ここにいるわたしは、何事もないかのように、寝る。 おやすみなさい。 淡々と、毎日を消化してゆく。 特に何も感じない。 信頼、というものなのかな。これが。 - 虚無感と悪夢のこと - 2007年06月10日(日) 今週末は、陽一君と会った。 陽一君は、かわいくて、やさしい。 本当は、けんかのことについて、もっときちんとしたことを書きたかったのだ。手紙に。 けれど、まだ考えを言葉にして人に伝えられるほど簡潔にまとめるのには、もう少し時間がかかる。 だから結局、あのくらいしか書けなかった。 今度は、もっときちんとしたことを書くよ。 バイバイ、と手を振って別れた翌朝は、前も書いたけど、吉本ばななの「とかげ」に出てくるあのフレーズ「世界が終わったようだった。」が迫ってくる。 一日一緒にいただけなのに、翌朝は、胸に風穴が空いている。 重苦しく圧し掛かる、一種の虚無感。 夢は悪夢ばかり。 もっといっしょにいたいなぁ、と思う。 だから、いっしょにいられるようになれるよう、がんばっている。 内心、がんばっている。 あまり人にはそのように見せないけれど。 大好きな人と、ずっといっしょにいられるようになりたい。 - 霞がかかる - 2007年06月06日(水) 大事なことに、ずっと霞がかかったような状態が続いている。 いまや日課となっているアクセス解析のチェック。 さまざまな趣向のキーワードの羅列を見るのがとてもおもしろい。 三日にいっぺんぐらいの頻度で、まったく同じ文字列で検索に引っかかる。 「この組み合わせはそうあるもんじゃないだろう」と思わされるような稀有な組み合わせの文字列なのだけど、毎回一言一句違わず同じ並び、同じ組み合わせ。 素直に「お気に入り」に入れちゃえばいいのに。 そうやって過去の日記を掘り返してみると、霞がかかる前のわたしがいる。 どっちが、いいのかな? 生きているのに死んでいる今のわたし、 死にそうになりながら生きている、前のわたし。 - あ゜あ゜あ゜あ゜あ゜ - 2007年06月05日(火) 疲れがとれない。 ストレスの蓄積を感じる。 いろいろ思い通りにいかない現実の蓄積。 はー。 つかれたよう。 こういうときには、スコーンとガス抜きをせねばなるまい。 何をしよう。 運動がよいのだろうか。 でももう夜中だしなぁ。 こうしてじわじわと迫り来る選択肢。 ビリーズブートキャンプがわたしを呼んでいる…。 あれはストレスも吹き飛ぶよ、きっと。 気がつけばヤフオクで毎日チェックしている。 でも気がかりなことがひとつ。 一週間、もつのだろうか。 せいぜい三日が関の山なのではないか。 こうして日記に書くとかして縛りをつくってみたところで、たぶんやっぱり三日だと思う。 「さぁ、あと少し!」 「がんばって!」 汗のしずくを勢いよく飛ばしながらビリーが叱咤激励してくれたところで、やっぱり三日だと思う。 三日間、がんばってみるか…。 - 座頭市を見ました。 - 2007年06月03日(日) テレビでやってたので。 久しぶりに映画を見た。 あ、こないだ「父親たちの星条旗」を見たのか。 うん、まぁでも久しぶりだったと思う。 日本の人とそうでない人の感受性とか情緒など、どういったところが同じでどういったところが違うのか、ときどき興味が湧く。 カンヌで大絶賛だったという座頭市はどうなのか、と思っていた。 思っていただけで見ることはなかったのだけど。 日本文化がどのぐらい海外に出回って、どのぐらい浸透してるかを知っておかないと、こういうもので支持を獲得するのは難しいんだろうなぁ。 でも日本人のツボをもきっちり押さえていて楽しませてくれる、という。 そこがすごいと思った。 だって「ラストサムライ」なんかはさぁ、娯楽作品としては確かに面白かったけれど、日本人としては「そりゃ違うよ」ってのがあったりするよね。どうしたって見過ごせないさまざまな認識のギャップが…。 時代ものって、異文化間の認識のすり合わせがとても難しいと思う。 現代のお話なら、資本主義国家間であれば国境をまたぐのもそんなに難しくはないと思うのですが。 ちなみに、見たことのある北野作品の中でいちばん好きなのは「教祖誕生」という映画です。 これは本当におすすめ。 大好き。 「ラストのタップダンスの意味がわからん」と当時よく言われていたような記憶があるけど…確かにわからん。 けどまぁ、たぶん、これは、わからなくてもいいんじゃないでしょうか…。 辛酸を舐めながら生きてきた姉弟、弟のほうのどこか飄々とした感じがよかった。うまい。 - おなかすきました。 - 2007年06月02日(土) ごめんなさい。 昨夜はあのあと、たまごご飯と鮭茶漬けを食べました。 鮭茶漬けでほんわかあったまりました。 おいしかったです。 おなかはすきます。 元気になったので、とりあえずよかったと思います。 よかったよかった。 明日は髪切りと、お家賃の支払いです。 17:00です。 5分前行動をモットーとしている人だというのがこの前わかったので、16:55にはおうちに行く予定です。 そうして好感度を上げるんです。 少しでも上げるんです。 打つ、打つ、打つべし!! 寝よう。 - 幽霊が見えるようになった人 - 2007年06月01日(金) は、もうすぐ死ぬのかな。 そうか、わたしはもしかしたら、もうすぐ死んでしまうのかもしれない。 不慮の事故で。 誤解なきよう書いておくけれども、自殺願望はない。 けれども、もうすぐ死ぬのかもしれない、と思ったときの、この安らぎ、肩の力の抜けよう、弛緩の快楽。 そう、もうすぐ死ぬのだから、伸び伸びと生きよう、と思う。 もうすぐ、は明日なのか、10年後なのか、50年後なのか、わからないけど。 最近、お腹がすかない。 お風呂に入ろう。 -
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