あにゃほぱらー - 2007年04月30日(月) これはなんの呪文なのかと思うでしょうが、さる高名な漫画家、それこそ日本で知らない人はいないであろうというぐらいの漫画家が、複数の作品にわたってこっそりと使っていた「閉塞した状況を嘆くときのため息」を表す擬音語なのです。嘘だけど。 なにに閉塞感を感じているのかと言うと、なんかいろんな人からあれこれ言われてちょっとめんどい…というか… 自分から当事者を名乗り出たのだから仕方ないことなんやけど。 いつだって、見る人の感情を害さないように、という点を意識するようになると、伸び伸びとした言動が取りにくくなる。 明日は一日仕事で、あさってにはもう陽一君と会えます。 楽しみです。 幸せなのです。 とりあえず一ヶ月前にひどい迷惑をかけた人には、今日はきちんと礼儀正しく接することができた。と思う。 あぁ。 これが一ヶ月心配だったんだよ。 ほんとに。 ただお金を払いに行くだけなのに。 素直だなぁ、と思う。 ちゃんと耳を傾けて、客観的に考えること、できてるじゃない。 なかなかできないことだと思う。 だから、それさえできれば、大丈夫なんだよ。きっと。 ただそういうことに気づく機会に恵まれなかっただけ、本当に、ただそれだけだとわたしは思う。 本当は、誰かが誰かを非難したり、糾弾したり、することなどできないのだ。いつだって。 うつ病以前のわたしを思い出すと、苦笑が漏れ出てとまらない。 だって、今の彼と、まるっきり同じなんだもの。 わたしが、あなたみたいに「議論」をとことん求めてきた人は、みんな、わたしから離れていってしまったよ。 この人は骨がある、この人なら大丈夫、なんて思っててもね。 やっぱり、離れていってしまったよ。 あと5分で、5月になる。 5月。 迫ってきてるな。 何も感じないふり、動揺してないふり。 ふりをするのは得意だ。 でも、何かを感じるふりをするのは下手だ。 もともと、あんまり感じやすいほうじゃ、ないからかもしれないね。 だから、ああいうことが、できたのかもね。 - ゆらぎ - 2007年04月29日(日) 同じところを、やっぱりぐるぐると回っている。 そういう星の下に生まれた、そしてその星の下からまだ出ていないのかなぁ。わたしは。 あなたのゆらぎ、不安、本当に、本当に、痛いほど、よくわかります。 「議論」を徹底的に突き詰めたい気持ちも、本当に、よくわかる。 思索を手放せない気持ちだって、痛いほど、よくわかる。 昨夜の電話で、それが手放せない理由を聞いたとき、わたしは何も言えなかった。 「役目」の意識は確かに自分の中で確立した重みを持つものだと思う。 それもまた、わたしが通ってきたところにあるものだから、よくわかる。 わかるから、何も言えなかった。 どうすれば、彼の抱える重荷を軽くしてあげることができるのか。 思索にふけるあなたも確かに素敵だけれど、それをやめたとしても、きっとわたしはあなたのことが好きだし、いっしょにいたいと思う。 わたしはたぶん、あなたが思うより、あなたのことをよく知っている。 今のあなたも好きだし、もし変わっていくとしても、その変わっていくあなたも好きだよ。 ----------------------------------------------------- なんか書きたくなったからまた書く。 Oasisのマスタープランはよいね。 だいぶ前の日記に「Whateverを聞くと悲しくなる」みたいなことを書いた記憶があるけれど、それはさすがに癒えた。なんたって2年も前のことなんだし。しかしこの今聞いてるベスト盤にはなぜWhateverが入っていないのだろう。疑問だ。大疑問だ。 ということでHMVのサイトからダウンロードしてきた。 よし。これで完璧。 あーーーー。 いいね。いいねーーーー。 もう大好き。 さて、そろそろ本当に仕事に取りかからないといけないのだけど。 ぐずぐずしてても仕方ないし。 読者からずいぶん怒られてますなあ。 肝心の本人がどう思っているのかが、まだ不透明ですが。 そんなね、「フルリレロ〜」とか、いいから…。 レスしなさい。レス。 - イソフラボン - 2007年04月28日(土) 数日前からせっせと使い続けているけれど、確かに効果が出ているのだと今日実感した。 へー。 イソフラボンすごい。 見つけた人もすごい。 ああ。 まいったなぁ。 幼い頃から何度となくそばで見ていて、心底傷ついたあの光景。 仲良くして。 ねえ、仲良くして。 わたし、もっといい子になるから。 けんかしないで。 一種の「じゃれ合い」だったのかもしれないけれど、それが理解できるようになったのは本当にごく最近のことで、どうしてわたしの親は、こんなくだらないことで互いに譲歩せずに議論を尽くしたがるのだろう、と悲しくて仕方がなかった。 それでもやっぱりわたしも彼らの子どもで、うつ病になる前のわたしには、確かに同じ気質があった。 それでよく、人から疎ましがられていた。 でも、わたしは変わったの。 正確に言うと、変わりたいの。 わたしは、そういう生き方をしたくない。 ひたすら平和に、いろいろなことをあいまいにしながら、穏やかに生きていきたい。 そういう精神は死んでいる、と言うならば、言うがいい。 殺してしまったほうが、どんなに楽で、どんなに幸せか。 そうするしか、生きていく術がないのだ。 わたしは飼いならされた羊で、ときにそういう自分の立場がうっとうしくなることだってあるけれども、それでも飼いならされた羊として生きていけたらそれでいい。 あなたが何かを突き詰めたいのであれば、どこまでも突き詰めるがいい。 ただしわたしは、その相手になるには限界がある。 誰も相手になってくれないのであれば、ひとりで突き詰めるしかないのでは? 少なくともわたしは以前、そうしてきたよ。 - バガボンド - 2007年04月27日(金) バガボンド25巻を読む。 男気あふれています。 本当の男気というものはきっと女性にもよくよく理解できるものなのではないかと、男にしかわからんとかそういうものではないのではないかと、普遍性を持ったものではないかと、そう思ったりすることがある。女気、とは言わんけど、本当の女性らしさというものもまた同様なのでは。 又八なぁ…。 なんでこの人は、たぶんどっちかと言えば自分自身はたけぞう側の人に違いないだろうに、こんなに「劣等感」だの「才能」だの、人の心のいちばんデリケートな部分を描くのに長けているのだろう。いや、だからなのかな。 わたしは幸せでいなければいけない。 絶対に幸せでいなければいけない。 念仏のように、ずっと思い続けている。 フラットになりたい。 ごめんなさい。 引きずり込まれそうです。 月に引っ張られて満月の夜の人が少しおかしくなるような感じで、感じで、というか実際そのものなのかもしれないけれど、でも今夜は半月で、雲がかかっている。怖い。引きずり込まれそうだ。吐き気がする。どうしたんだろう。お薬を飲み忘れた?いや、ちゃんと飲んだはず。怖い。怖い。助けて。苦しい。 おばちゃんからメールが来ていた。 携帯を今月いっぱいで解約するそうだ。 妙によそよそしい気がするのはきっと気のせいで、うん、きっと気のせいに違いない。 5月15日の夜、マンションに行って、わたしはどうするというのだろう。 恐ろしいまでのひとりぼっち。 圧倒的なひとりぼっち。 闇は底が見えなくて、どこまでもどこまでも落ち続ける。 きっと今でも落ち続けている。 なんてひどい、なんて理不尽。 ひどいよ。 ひどすぎる。 だから、わたしにできることは、いっしょに落ちていくことだけ? 平静を装うことはきっと簡単で、もちろんそれはばかげたことだと理解している、よくよく理解している、けれども負けそうになる。勝ち負け? 「あなたがいっしょにいることを、彼も望んでいるはずだ。」 ひとつの真実としてわたしの中に横たわっている。 そうか。やっぱりそうだよね。 戦い続けることはしんどく、頭が痛い。 - 哲学病と中二病、「まだ反抗期」 - 2007年04月26日(木) あなたの哲学病は、本当に哲学病ですか? 外山恒一のポスターにあるキャッチフレーズ「まだ反抗期」は、よいと思った。 とりあえず、手っ取り早く(と言うと語弊があるけど)人を集めるのにはよい。 こういう自覚があれば、よいのだと思う。 けれど、あなたの哲学病は、本当に哲学病ですか? もしかしたら、中二病が治っていないだけなのではないですか? だいぶ前に書いた「拳銃ください」の人。 ブログを読むに、彼は哲学病というよりも中二病に近かったのだと思う。 中二病は不治の病ではない。 けれど、治りかけているときに「もしかしたら治りかけているかもしれない」と自覚するのはとてつもなく気恥ずかしく、なにか屈辱的なことのように思える。完治してしまえば、そういう気恥ずかしさもなくなるのだけど。 だから治りかけの人は、治りかけている自分をなかなか認めようとしない。 必死に、自分をもとの状態に戻そうとする。 それだけが自分のアイデンティティだと固く信じている。 それ以外の自分を、まだ知らない。 ずっとさなぎのまま、くすぶっている。 ところで私自身はどうなのかというと、治ったと思い込んでいるのは自分だけで、やはりまだ治りきれていないなぁ、とはよく思う。 むしろ一生中二病でい続けるのかもしれない。 脱皮は終わっているけれど。 - 選挙まとめ - 2007年04月24日(火) 読んでみなさいな。 おもしろい人ではないですか。ねえ。 二つの選挙戦を終えて 「絶対写真撮ってもらえ、一生の記念になるから」 と背中を押してくれた陽一君に多謝。 ツーショット写真は家宝にします。 いや、家宝は言いすぎた。 でも大切にします。 楽しませてくれてありがとうございました。 これからも、彼の情報は随時追ってゆきたいと思います。 GWには陽一君と一緒に、熊本のどこかで本業のストリートミュージシャンをやってるであろう外山恒一を探して回る予定だった。 のだけれど、その時期はちょうど東京に滞在する予定になってるみたい。 残念です。 ほら、余計なこと書くから読者から突っ込まれて。 - ずれている - 2007年04月22日(日) この日記、今、日付と内容がきれいに一日ずつずれているのだけど、たくさん書きたいからまぁいいや。 毛沢東のそっくりさんが、人民服姿で毛沢東の物真似をしながら中国各省をめぐる旅をしているらしい。 当人のスタンスとしては「思想的には崇拝している部分もあり、愛憎こもごも」といった感じ。 本当にものすごい勢いでそっくりさんなのだが、それはまぁいいとして、驚くべきは、行く先々で見られる、実にあっけらかんとした反応。 芸人かなにかのテレビ番組の収録現場にたまたま立ち会うことができた幸運を喜ぶかのような態度、わたしには、そんなふうにしか見えなかった。 もちろん、毛沢東という人物に格別な思い入れや関心を何ら持ってこなかった人、崇拝者、その逆、それぞれが相当数おるのだけど、みなニコニコして対話に応じさえすれ「失礼だ」だの「不謹慎だ」だの、そんな声はついぞ聞こえず、本当に屈託なくおもしろがっている人ばっかり。 文化大革命のときの演説とか普通に真似してるんだけど、周囲の反応ときたら「わぁ、似てる似てる」と拍手喝采で褒めそやしたり「光栄にございます」と茶化してみたり。 たとえば日本で、昭和天皇のそっくりさんが天皇に扮装して各地をめぐり、玉音放送なんて真似してみたりしたら、どういう反応が返ってくるんだろう。 乾いている、と思った。 中国は乾いている。 じめじめしていない。 でも、そうやって乾いているけど、内側はとてもしっとりしてる。 じめじめしてない。しっとりと潤っている。 しなやか。 これがこの国の底力? こわいなー。 ほんと、こわいわ。 いろいろな意味で。 - 実写鬼太郎と外山恒一と - 2007年04月21日(土) 誰がこんなことを考えついたのだろう、とずっと思っていたし今も思っているが、もうぜんぜんだめ。ぜんぜん夢がない。夢も希望もありません。 猫娘パンツ見えそうだよ。 ウエンツはよくがんばったと思う。きっとよくがんばったに違いない。 雨降りの休日、思索にふけると言ってもあまりたいしたことは考えない。 仕事のことは頭からまるっきり追放しているのでいいとして。 生活をよりよくするためには何をすべきかと思う。 もっと健康に、元気に生活したい。 だから生活習慣を変えなければいけない。 たとえば衣類、食生活、住環境。 改善すべきところがたくさんあるなぁ、と今振り返ってつくづく思った。 そのへんをちょっとがんばってみよう。 開票速報にずっと張りついているのだけれど、熊本市議選はなかなか経過が出てこない。 はやくー。はやくー。 最初は地元の新人候補に入れる予定だった。 それがいろいろ変わってこうなった。 土曜は一日、外山恒一の追っかけをしていた。 最終的に写真まで撮らせていただいた。 わたしの二個下、26歳の野崎さんという女性が立候補しているのだけど、高校、大学とわたしの後輩にあたる人のようだ。昨日外山恒一の追っかけをしていたときにこの人の選挙カーが走っているのを見かけた。選挙カーの窓からは、慣れない様子で懸命に投票を訴えている素朴な雰囲気のおじさんが見えた。目頭が熱くなった。ああ、この、不安と期待の入り混じったおろおろした声色は絶対に父親だなぁ、と思った。「父親として最後のお願いでございます」と途中で自分が父親であることを明らかにしてはいたけれど、そう言われなくともあれは父親に違いあるまい、そう思わされる声色だった。こういうことを思うことのできる自分は本当に恵まれている、幸せ者だ、と思う。だって、自分の父親が自分に対してどのように愛情を注いでくれるかを思い出してこそ、こういう想像をめぐらせることができるのだ。そういう実感がないと、わたしは、こういう想像はしにくかっただろうと思う。わたしが昨年実家に戻るまではずっと深刻な不仲が続いていて、幼い頃から、感情が高ぶった拍子にではなく至極冷静に「もうお前はいてくれないほうがいい」「死ねばいい」などと何度も言われたことのあるような関係で、その心理状態で野崎さんの父親の訴えを聞いてもわたしの場合は心に響かなかっただろうと思う。今は変わった。父はわたしを愛してくれている。だから、心に響く。 高校、大学と同じ空間にいた人だというのもあるし、とどめにこの父親の訴え、あぁ、もう野崎さんに入れよっかな、と傾きかけていた。 そこに外山さんの街頭演説ファイナルである。 なんとなんと。 YouTubeで話題沸騰の、あの政見放送をライブでやってくれたのだ。 あちこちで明言しているように、外山さんは当選するつもりで立候補しているのではない。 安穏とした世間を引っ掻き回し、同志を発掘することが目的なのだ。 下手なきれいごとなど言わず、徹頭徹尾そのスタンス。 だからこちらも安心して楽しめる。 「持ちネタを披露します」と、そのライブは始まった。 冒頭で、支援者のひとりが「いまどき政治犯として」という例の紹介アナウンスを真似していたのも芸が細かかった。しかも上手やったし。 ポイントを、本当にもう、余すところなくきっちりと押さえに押さえた、完璧なパフォーマンスだった。 陽一君に報告した。 「外山さんはおもしろいが票は入れない」 と前から言っていたのだけど、 「もう、そこまで楽しませてくれたんだから、一票入れてあげなさいな。」 と繰り返し説得された。 考えた。 いくら楽しかったとは言っても選挙は選挙だ。 当初考えていた地元の新人に入れるのが筋なのだと思った。 けれどわたしは外山さんに「善意の一票」を投票することにした。 供託金回収できるといいね、という、それだけの動機である。 感覚としては募金に近い。 あるいはストリート・パフォーマーへの投げ銭。 わたしのこの一票、広い意味ではやはり悪意の一票なのかしらん。 今度会ったとき、何か運動をしようという話になった。 「ドッヂボールやるで」 「ふたりで?」 「体中にボールぶつけて、ものっそい痣だらけにしたんねん」 「やめてよそんなん、痛いし」 「んじゃ野球でええわ」 「ふたりで?」 「僕バッター、真理さんピッチャー」 「よかった。逆だったら怖い」 「いや、ピッチャー返し!!ってど真ん中に打つし」 「やだよ、もうバドやろう、バド」 「ええでー。額にパシーッてぶつけるし。まんまるい痕つくで」 「女相手なんだから、手加減してよ」 「わかってるで。好きな女相手にやるようにやるし」 「つまり陽一君の場合、ものすごいいじめてくるわけやね」 「よくわかってるやん」 ひどい人です。 - ズームアウト - 2007年04月20日(金) ぐーーーーーっと、ズームアウト。 google earth みたいに、わたしの部屋からこの町内、中学校の校区、近所のお城、市役所、国道、高速道路、阿蘇山、九州、日本、地球。 意識の境目はあやふやで、何もかもがぼんやりしていて、本当なのか、うそなのか、わたしは今ここにいるのか、いないのか。 ほら。 そうすれば、こんなにも楽ちん。 麻薬みたい。 麻薬をやったことがないから本当はどんなものなのか、わからないけれど。 きっと、麻薬みたいに、意識がぼやけて、何もかも、わからなくなる。 - いろいろ改じゃれ合うエゴ - 2007年04月19日(木) 本当は外山恒一の街頭演説を見物しに行く予定だったのだけど、なんか朝から猛烈に体がだるく、眠気も半端なく、仕方ないので一日寝て過ごしていた。家から一歩も外に出ていない。少なくとも二週間に一度ぐらいはこういう日がないとわたしはどうもリフレッシュできないような気がする。寝だめは逆効果だと少し前のニュースでやっていたが、寝だめをしているのではなく、休息を取っているだけだ。疲れたから休憩する、それだけのこと。 そして夜中になるとこうして元気。 まずいなぁ。 生活のリズムがなんだかおかしくなっている。 わたしは恋愛をするとすぐにその相手との将来を妄想してへらへらする。 「結婚」ということばの魅力は、それが法的に認められた制度だというところにあるのではないかと思う。ただの同棲とは似ているようでぜんぜん違う。たまに「あまり意味がないような気がして」と婚姻届を出さないままいっしょに暮らす人達がいるけど、それではやっぱり心許ないように思える。子どもが生まれてからの問題は言うまでもないことだけど、それじゃなくとも、自分の心構えとして、法律に守られている感があるのは、それがない状態に比べると格段に安心できるように思う。こんなことを思うのは結婚願望が先にあるからではなく、好きな人といっしょに暮らすことを夢見ると、その延長線上に、結婚という選択肢を採るか採らないか、という岐路が出てくるから。こういうのを結婚願望というのか。違うか。まぁ言葉の定義はどうでもいいや。 教室に、また新しい生徒が入る。 この2週間ほどで生徒が4人増えました。 もうウハウハですよ。ウハウハ。(おやじくさい) 面談やらなんやら、いろいろなことをやって、きちんとフォローしていかなければならないと思う。 うちの教室は、地方・国家各種の公務員宿舎ならびに県営団地などが寄り集まった地域の中にあるので、この時期の忙しさはひとしお…なのかと思っていたが、そうでもない。 たまたま転出が今年は一人だけだったからかなぁ。 今教室にいる子にも転勤族の子どもが相当数いるんだけど、もう、誇張でなく本当にみんな出来がいいの。先日書いた3年生の女の子もそうだし、ほかにも、あの子や、あの子や、頭に浮かぶ子はことごとくお父さんが自衛隊だったり警察官だったり、国家公務員だったり県職員だったり、今年はよかったけれども来年の3月を思うと寂しくなる。 お願い、行かないで、ずっとここにいて…。本気で涙が出そうになる。 今からそんなん想像してどうするんだって話やけど。 外山恒一については、仕方ないので、明日、熊日前の演説を見に行ってみようと思う。明後日はわたしは動けないので、明日しかない。 あーあ。今日行っておくべきだったなぁ…。 彼氏のこと、本当はいろいろ考えておりますよ。 ここに書かないからと言って何も考えていないわけではない。 ただ、あんまりしょうもない惚気とか書いたところで、なんかこう、こっ恥ずかしいだけではないですか。 こんなん人様に読ませてどうするんだ、という意識が先に働いてしまって、どうも素直に思いのたけを書くことが出来ない。ここは正真正銘わたしだけのわたしだけによるわたしだけのための日記なんだけどもさ。一日20件ぐらいずつ細々と伸びているアクセスを見るにつけ、あぁ、いつもいつも、本当にいっっっつも、わけわからんことばっかり書きなぐってるけど、そんなんでも見てくれている人がいるんやなぁ、と思うと、こうね。 たまに惚気「しか」ないブログとかも見かけますけど、そのおどろおどろしいまでのピンク色の自意識を目の当たりにして、こんなんできたらいいのになぁ、と思う一方で、いや、これができない自分をわたしは誇りに思いたい、というような感情も湧いてきたりして、ニントモカントモ。 「つぐみ」の一節がこれ以上の実感を伴って身に迫ることはないのではないかと思うが、「恋愛はバトル」なのだということをひしひしとかみ締めている。 いやー。 バトルですよ。ほんと。 初めて読んだときはわたしはまだ中学生ぐらいで、なんがバトルや、恋愛はこの上ない癒しや救いの類に決まっとるたい、と思っていたが、実際バトルだ。Love Is a Battlefield. タモリが言ってたけど「恋愛って、同じところをぐるぐる回ってるだけだよなぁ」って、還暦も過ぎたおじさんがそう言うなら本当にそうなんだろうなぁ、という気がする。 わたしだって、そんなふうに思うときがあるもん。 経験から学んだいくばくかの痛み、それを知っていても、わかっていても、やっぱり同じことを繰り返す。 三谷幸喜も言ってた。 「恋愛で新たに悟ったことは、すでに以前、一度悟っていたことである。」 不毛だ。 この循環を抜け出すには、恋愛をそれ以上のものに昇華させたらよいのだと思う。 だからね。 結婚すればいいんだと思うんだ。 ---------------------------------------------------- 整理するために。 ゆうべの電話はだいたい前日の続きで、わたし自身の中で出所のはっきりしなかったモヤモヤがはっきりした形になって認識できたのはよかったと思う。最初はその話をする予定じゃなかった。やさしく、平和に会話を交わして眠りたいと思っていた。どちらが最初に言い出したか、は、あまり大きな問題ではない。日によって状況が違うから。わたしがゆうべ理解できたのは、この子は本当に真っ白なキャンバスみたいに無垢だなぁ、と。無垢はかけがえのないもので、人の心を捉えて離さない。無垢は残酷だよ。真っ白だから、悪気のないことば、邪気のないことばでざくざくと人の心を切り刻むことができる。図らずして苦笑が漏れてしまうのだけれど、切り刻まれながら、わたしはこの人と離れることができないと思う。離れられないのだ。わたしは本当に無様に彼に執着している。 ことば遣いにはとても繊細に配慮できる人なのに、大切なところすべて「友達」という便利なことばでオブラートにくるんで、何が何だか半透明でよくわからないまま、それでは相手のことも―わたしのことも―「大切にする」ということには、ならないんだよ。ねえ。 今はただの「友達」だと思い込んでいるのは、当事者のあなただけだよ。 ただの「友達」ならば、あんな物語を読んで、涙を流したり、心が揺らいだり、しないんだよ。 「もう少し待って」なんて、言わないよ。 「がんばる」なんて、言わないよ。 がんばらなくても、自然とそうなってるのが友達じゃない。 がんばってる時点で、もう友達じゃないんだよ。 オブラートをはがしてよ。 直視してよ。 じかに触れるのは痛いし、怖い。 だからわたしは、せめて一緒にいるよ。 お願い。 こんなに好きなのに。 あなたが泣き出すずっと前からわたしが涙を流していたことも、あなたは知らないしさ。(隠してたからしょうがないんだけど。) ハッピーマニアの「ためちん」編と、少し似てるかもなぁ、って思う。今のわたしはあのときのカヨコ&ためちんと同じぐらいバカでアホで寒々しくて愚かしくて、それはようくわかっている。 的を射ているのはフクちゃん&マリちゃんの冷ややかな分析。 「何の障害もないのに勝手に燃え上がってたりしてさ…」 「そうそう」 - 思いのたけを - 2007年04月18日(水) 雨降りの休日は思索の日。 ゆうべ、またちょっとしたけんか?というか、いさかいになった。 話の流れはこうだったと思う。 違っていたら連絡をください。 彼「今まで怖いくらいに順風満帆すぎた。何か波乱含みの展開がほしい」 ↓ 私「じゃぁ、例の初恋の人と偶然再会してみてはどうだろう」 ↓ 彼「そんなのは困る、大波乱だ」 ↓ 私「大波乱なのかよ」 ↓ 彼「仮に自分がその人とふたりで食事に行ったりしてもよいだろうか」 ↓ 私「うーん、どうだろう、ていうかそんなことをわざわざわたしに言うな」 ↓ 彼「もしかしたら近々行くことになるかもしれない、ならないかもしれない」 ↓ 私「なんだそれ」 ↓ 彼「あくまで仮定」 ↓ 私「わからん。嫉妬はするが、あなたにとって大切な人なのも事実だろうし」 ↓ 彼「じゃぁ、『もう行く』と宣言すれば」 ↓ 私「いやだいやだいやだいやだ」 ↓ 彼「やっぱりそれが本音なんよね」 ↓ 私「そんな仮定をしてる時点で腹立たしい、ていうかそんなことをわざわざわたしに言うな」 ↓ 彼「世間一般ではどうなんだろう」 ↓ 私「向こうも結婚していて、あなたも彼女がいて、あなたは向こうのことを15年近く、ごく最近までずっと好きで、そういう前提の下に話をするなれば」 ↓ 彼「はい」 ↓ 私「一般的にはダメに決まっているではないですか」 ↓ 彼「はぁ」 ↓ 私「不愉快だ、おおいに不愉快だ」 ↓ 彼「あなたがいやだというなら会わない」 ↓ 私「わたしの意向で決めるのではなく自分で考えて決めるべし」 ↓ 彼「自分としては今はもう単なる友達のつもり」 ↓ 私「納得できるかそんなん」 ↓ 彼「でも本当にそうなのだ」 ↓ 私「欺瞞だ、そんなのは欺瞞だ」 ↓ 彼「そうなのか…」 ↓ 私「ていうかそんなことをわざわざわたしに言うな」 ↓ 彼「あなたのことを大切にしたいから、あなたの気持ちを知りたいのだ」 ↓ 私「我混乱」 ↓ 彼「終劇当話」 ↓ 我「同意。閑話休題」 ↓ 彼「何」 ↓ 我「5月16日、我行可能性豊橋墓参」 ↓ 彼「御意」 ↓ 我「本意?」 ↓ 彼「当然」 ↓ 我「謝々」 ↓ 彼「閑話休題」 ↓ 我「何」 ↓ 彼「○○××…」(覚えてない、なんか雑談) ↓ 我「我理解今」 ↓ 彼「何」 ↓ 我「我不望你行食事同伴初恋人」 ↓ 彼「了承」 ↓ 我「本当に駄目アルよ」 ↓ 彼「ちなみにあなたの元彼とかが出現したらコロスけど」 ↓ 我「今はもう何もないアルよ、無関係アルよ」 ↓ 彼「そんな軽いものアルか」 ↓ 私「違う、軽い扱いということではない、もう過去のことと整理がついているということだ」 ↓ 彼「でも男の知り合いは敵だ」 ↓ 私「それじゃあなたに女友達がいるという点はどうなるのか、あなた少し馬鹿ではないか」 ↓ 彼「とにかくいやだ、コロス」 ごめん、細かい流れがよくわからんわ。 なんていうか、こうして振り返ってみると、どっちもどっちやなぁ…。 犬も食わない。 でも書いてちょっとすっきりした。 - 明日は街頭演説へ - 2007年04月17日(火) 外山恒一の今週一週間のスケジュールを読んでいると、もうなんか、おかしさがこみ上げてくる。 一度ではわからない。 二度、三度と読み返すうちに、じわじわとくるものがある。 「相変わらず人手が足りないのは、我々がそもそも少数派なのだから仕方がない。 相変わらず外山自らがひたすらポスター貼りに専念しなければならない。 しかし今回のポスター掲示場は全部で732ヶ所。東京の「1万4千ヶ所」に苦しんだ我々にとっては屁みたいなものだ。2日、せいぜい3日あれば、今回はすべて貼ってまわれる。」 もうだめだ。おかしすぎる。 嘲笑ではない。もっと明るく健全な笑い。 いい意味で、笑わせてくれる人やなぁ、と思う。 彼氏のこと。 やさしい人です。 書けと言われたからというわけでもなく、本当に。 - どうやら本荘に本拠地が。 - 2007年04月16日(月) 外山恒一がついに熊本にやってきた。 公式サイトもリニューアルした模様。 ここ→政府転覆計画in熊本 いやー。 たまたま「支援者」が熊本にいてその人のところを拠点にしているらしいのだけど、何だかこう、楽しいなぁ。 都知事選で集合場所になっていた「高円寺駅前」にあたるところは、熊本では新市街アーケードになるらしい。 明日から街頭演説開始やって! 公式サイトにスケジュールもばっちり記載。 どうしよ。 ビデオ撮りに行こうかな。 - 答え - 2007年04月15日(日) さっきからずっと考えている。 さっき、というのは彼氏と電話をしてからで、自分の日記を読み返し、書いては消し、書いては消し。 彼氏が日記を読んでくれた。 読んでくれた、というか、図らずも読んでしまった、と言ったほうが近いのかもしれないけれど。わたしがその原因をつくった。 いろいろ考えた結果、わたしは、彼の傷つきそうな話、落ち込みそうな話、つまり学に関係する話を、意図的に避けて彼と関わってきた。 でも、同時にそれは彼の中にある大切な人の存在をも疎外する流れを作っていたのだと思う。 彼が学の話に触れ、わたしにとっての学という存在についての率直な感想を述べてくれたとき、へんな話だけど、申し訳ない話だけど、わたしは本当に、安心した。わたしだけじゃないんだ、この人も、そういう風に思ってくれたんだ、と思った。もちろん申し訳ないと思った。懸命にことばを選びながら、自分の微妙な感情のぶれを少しずつ紡ぎ出してくれているのであろう彼の姿を電話の向こうに想像し、いとおしくて、ありがたくて、申し訳なくて、涙が出てきた。 葛藤を隠していたことを、反省した。 彼にこの葛藤の深さを知られるのと同時に、わたしは今、彼の中にある大切な人の存在をとても普通に受け入れている。このふたつの出来事が本当に同時にわたしのなかで起こった。化学反応みたい。いや、もっと単純なことだ。 わたしは、学を抱えながら生きている。 自分がそうなんだから、受け入れるのが普通なのだ。 ようやくそのことが理解できたらしい。 学のことを棚に上げておいて(酔っていたとは言え)彼に泣きながら不安を訴えるなんて筋違いもいいところだ。 頭ではわかってはいたのだけど、だけど、今まで本当の意味で体感することができなかった。 勝手な人間だと思う。 ごめんなさい。 それなのにそのときの彼は、わたしのことをひとことも責めず、ただ誠実に、わたしが泣き疲れて眠るまで、話に付き合ってくれた。 ごめんね。 ありがとう。 - 幼馴染願望 - 2007年04月14日(土) 各種書類やプリントの散乱した部屋の片づけを始め、気分が高じて室内の根本的なリストラクチュアリングを始めてしまったがためにかえって収集のつかないことになり、なんだか急に何もかもいやになって、あちこちから出てきたのをとりあえず一箇所に積んでおいたまんが本を開いて読みふけるという、片付けの末路としては王道もいいところの週末の深夜。 まんが、王道、幼馴染。 「幼馴染」ということばには数年前から弱い。 弱い、というのは、転勤族の子どもだった自分にはそういう存在がないからうらやましいなぁ、という単なる羨望もあるけれども、それよりもっと複雑な、嫉妬や劣等感といったものにもつながってゆく意味でも弱い。 いなくはない。 小学生の頃に仲良くしていた利くんとは、大きくなってからも何度か会った。 利くんのことは好きだった。 だから大きくなってからまた会ったときには、少しどきどきした。 しかし、今はもうどこで何をしているのか、さっぱり知らない。 それじゃ駄目なのだ。 今でも付き合いがなければ、幼馴染ではない。 いくら幼い頃に仲が良かったと言っても、交友が途絶えてしまっては、もうその時点で「馴染」ではないではないか。 さてこれがどうして嫉妬につながるのかというと、ここ数年、わたしが好きになる人なる人、女性の幼馴染がいて、これがまたいい女だったりする。 いい女だから今までこうして交友が続いてきているんだろうとも思ったりするけれども。 まぁそれはいい。 とにかく、彼らにはいい女の幼馴染がいる。 いい女はいい女だから、すでに別の男性がそばにいる。 しかし、彼らはその幼馴染の女性に対して何かこう割り切れない感情を抱き続けている模様で、そこがもう、あーーーーーってなる。 理屈ではない。 やなの。 や。 この「や」な感情を合理的に解決するとすれば、わたしも誰かのそういう「幼馴染のいい女」になれればよいのだ。 そうすればバランスが取れるやも知れぬ。 だからお願い。 誰か、わたしの幼馴染になってください。 いい女かどうかについてはひとまず傍らにそっと置いておき、誰か、わたしの幼馴染になってください。 - 研修と円山公園の桜 - 2007年04月12日(木) 大阪での研修はたいへんためになった。 その後京都へ、桜を見に行く。 満開だった。 熊本ではもう葉桜。 今年は桜を何度も満喫できてたいへんよかった。 翌日は彼氏の地元でお買い物をした。 もうすぐ誕生日なのでお財布を買ってあげた。 すると「自分だけもらっては悪いから」とよくわからない理屈で、わたしにも、指輪と、おそろいのネックレスとを買ってくれた。 こういう無用の遠慮とか、へんに気遣い屋なところがかわいいと思う。 もらい慣れてないんだなぁ、というのが伝わってくる。 熊本に戻り、空港ビルの外に出た瞬間、ふわっと感じたのが、また夏の夜の空気、これは熊本の空気だ。すこし湿っぽくて、近畿の内陸にはない空気。 こないだと同じ波がのしかかるのを感じ、一瞬、目をぎゅっと閉じて、ぎゅーっと閉じて、息をひとつ吸って、目を開けた。ほら、大丈夫。 彼氏と一緒にいるときに、学のことを思い出した。不可抗力だ。涙が出る、危ない、もうだめ、でも持ちこたえることができた。 蘇ったのは悲しい記憶か、楽しい記憶か、それすらよく覚えていない。 とにかく、記憶を霞の中に溶かし込んでしまうことに一生懸命だった。 きっと泣いてもいいんだと思う、けれど、泣かないことを選択している。 ひとつずつ、こうしてクリアしていくごとに、自信がついていくのだろうと思う。 何の自信、かは、よくわからない気もするけれど。 - 大阪へ - 2007年04月11日(水) 予定なのだが、今日は大阪に行ってきます。 眠い。 例によってまだ何も準備をしていない。 - 夜の空気 - 2007年04月10日(火) 夏の夜の空気が、少しずつ近づいている。 わたしにとっての夏の夜の空気は、ハーフパンツにTシャツにサンダル、で、手をつないでコンビニに行く。 絶対に戻ることはない。 この「絶対に」は、感傷とともにではなく、胸のところにずっしりと圧し掛かる重圧とともに語られる。 去年の夏かぁ、と思って、いいや、違う、と思い直した。 去年の夏、学はもういなかった。 2年前。2年前の夏のことだ。 今年もまた夏が近づいている。 夏は、わたしに予想していなかった恐怖をもたらす。 ということに気づいた。 夏が来るのが怖い。 5月が。 5月が怖い。 1年という区切りが来るのが怖い。 5月の、少しむっとするような、汗ばむような、陽気。 が、怖い。 だってその陽気に照らされたマンションの部屋で学は何日も 人の遺体はもう命がこと切れた瞬間からたんぱく質の塊でしかなくなる、と、わたしの通う心療内科のお医者さんは言った。 それは遠まわしに「割り切りなさい」と諭しているのだ。 前を向きなさい、切り離しなさい、と。 いやだ。 切り離したくなんかない。 割り切りたくなんかない。 でも、怖い。 ジレンマ、たぶんこういうのを「ジレンマ」というのだろう。 窓を開けて、このあたたかい、肌触りのよい夜の空気を部屋に取り込む。 夏の夜の空気に近づいている。 誰にも言わない。 決めているから、本当に、誰にも言わない。 涙が出てきても一人で泣く。 そう決めているから一人で涙を流す。 置いていかれた、 置いていかれたような気がしている、のか、いや、そうではない。 きっと。 裏切られた気がする? それも違うような気がする。 わたしが傷つく筋合いなどないのだろうに。 夜の空気の中に、学が溶けている。 こんな感覚を、誰がわかってくれる? 夏の夜、夏の夜の空気が、わたしが学を殺した日の空気、学がわたしを心から愛して、求めていた日の空気、通じ合っていた日の空気、わたしが学を裏切った日、追い詰めて、投げ出したかった日、殺したい。 憎い。 わかった。 わたしを苦しめているのは、憎悪だ。 あの日の自分が、わたしは憎い。 殺してやりたい。 本当に、本当に、首を絞めて、包丁でめためたに刺して、どんなに泣き叫んでも、抵抗しても、可能ならわたしは絶対に殺す。 殺してやりたい。 そして、首を切り落として、あのマンションのベランダから投げ落とせばいいのだ。 まだまだ足りない。 誰にも、どうしようもない。 私自身が変わろうと思わないと、きっと変わらないのだろう。 だから、誰にも言わない。 1時になれば、彼氏が電話をかけてきてくれる。 あと10分後、わたしはたぶん、にこやかに電話に出ることができるだろう。 それは何も悪いことじゃない。 嘘をついてなんかいない。 わたしは自分に正直だ。 彼のことを傷つけたくない。 電話口で泣く私に、彼は、慰めといたわりの言葉をかけるほかに、何ができる? そして、それを強いたところでふたりの関係に何の進展があるというのか? 見栄とか、意地とか、遠慮とか、そういうんじゃない。 ただ、わたしは、そうしたいだけなのだ。 わたしは彼のことが好きだ。 ずっと一緒にいたい、ずっと仲良くしていたい。 裏切りたくない。 殺して、という声は甘えで、弱い。 学、学のところに行きたい、学のところに行って、ずっといっしょにいたい、まなぶ、まなぶ、声が届かない。聞こえない。 どうして。 どうして、こんなことになったんだろう。 抑圧している悲しみややりきれなさや、空気、夏の夜の空気に溶ける。 - 寝て過ごす - 2007年04月09日(月) 県議選には結局足を運ばなかった。 めんどくさかった、と言うと身も蓋もないが実際めんどくさかった。 ただ今回は市町村合併後の初の県議選で、選挙区の線引きがいくつか非常におかしいことになっている。前以上に露骨に切り捨てられている自治体がいくつか出てきていて、あぁ、これも時代の流れなのか、と、一応県庁所在地に住むわたしは他人事のように思った。 実際自分も大局で見ると切り捨てられる側にいるのだけれども。 わたしの関心はもはや市議選にしかない。 もっと言えば、市議選に出馬予定の外山恒一氏にしかない。 11時半ごろに目が覚めた。 夜の11時半である。 もちろん昼間は起きていた。 それが夕食を摂り、ぐだぐだしているうちにいつの間にか寝入ってしまい、休みの日の日曜日にやろうと思っていたことがひとつも終わらないまま日曜は終わってしまった。 ざわざわと、胸の不安感だけが増大する。 これは出所が明らかな不安感である。 やるべきことをやっていないのだから不安になって当たり前である。 やるべきことをやってしまえばこの不安はなくなる。 とりあえずお風呂に入ってこよう。 レンタルお姉さんの本が届いた。 ぱらぱらとめくってみて、字が少ないな、と思った。 - 頭痛と夢 - 2007年04月08日(日) さっきソファで昼寝をしていたら悪夢を見た。 寒かったからだと思うのだけど。 悪夢、というか、完全に架空の話なのではなく、例によって学のことを苦しんでいる夢であった。 苦悶の末、わたしは倒れてしまう。 父や母が心配してわたしを抱き起こしてくれる。 そのときわたしは、確かに薄目を開けていた。 薄目を開けて、彼らが自分にかまってくれるのをしっかりと確認して、それからまた目を閉じて体の力を抜いた。 そんな夢だった。 フラッシュバックと言うほどに前後不覚になるわけではないが、やはり時折、あのときの光景が目の前に展開し、頭のてっぺんからつま先まで、体ごと、あのときに投げ込まれる。 わたしは呆然としていて、学は虚空を見つめている。 腐敗しかけた学が、わたしの背中におぶさる、という感覚を感じることもある。 腐敗しかけていても学は学で、わたしは彼がいとおしい。 学は子どもだった。 当たり前だ。仕方のないことだ。 わかっていることだった。 その子どもを、わたしは殺した。 子どもを、まだ自分の力で何かを判断したり、自重したり、コントロールしたりすることのできない、子どもを、わたしは殺した。 周囲の大人たちのの手のひらの上で踊らされ、周囲の大人たちの指先一本の動きにそのたび翻弄される子ども。 殺したんだよ。 ここでうんうんうなって考え込んでいるだけで答えが出るのかどうかはわからない。 しかし宗教とかスピリチュアルなどに向かうのも、なにか違う感じがする。 先日、自分の子どもが自殺、あるいは自殺未遂をして生き延びた、という経験を持つ人たちのルポ本を手に取った。 やはり、まだ読めない。 読むのが怖い。壊れそうで怖い。 ヤフーのトピにも、一度は行ったがそれから触れることができず。 結局、怖がって逃げているだけなんだよな。 宗教はちょっと、と書いたが、すべてを捨てて出家するべきなのかもしれない、とも考える。 いや、本気で。 今すぐにではない。 でも時期が来たら。 そうして、一生、償いながら生きていく。 これが答えかもしれない。 なんだか、しっくりする気がする。 何教だっていいのだ。 自身を世俗から切り離し、償うために生きていくことが目的なのだから。 その目的が教義に沿うものでありさえすればよい。 それさえ叶えば何教だっていいのだが、したがって、本当に文字通りの「出家」でなくてはいけない。 近所のお寺さんのように原チャリで檀家回りをするような生活ではなく、本当に、世俗と離れたところで生活をしなくてはならない。 もしかしたら、わたしが求めているものは戸塚ヨットスクールでの生活なのか? 戸塚ヨットスクールでは、生徒を真人間として社会に送り出すことが最終目的とされていたような気もするが、その趣旨にとどまらず、そこに骨を埋めることをも是として受け入れてもらえるのならば、それでもいいと思う。 しかし戸塚ヨットスクールでの生活についていくためには、まずは体を鍛えねばならない。 先輩や教官のリンチ…もとい、しごきに耐えうる精神力も身に付けねばならない。 よもやわたしがそんなことを考えてスポーツジムの広告に見入っているとは、誰も思うまい。 アホみたい、と思われるかもしれないが、自分ではアホなことを考えているとは思っていない。 何か、何かしなければいけない、でも何をしたらよいのかわからない。 学、どうすればいいのかな。 尋ねても答えは聞こえない。 自分で考えなければいけないことなのかな。 - 散髪とテストと統一地方選 - 2007年04月07日(土) 朝から散髪へ。 ものっそい清楚な髪型にしてもらった。 ほぼ黒色、前髪もつくり、さらさらに切りそろえて。 なんかぱさぱさしてていかにも不潔な感じの髪になっていたので、今回は最初からこういう雰囲気にしたかったのではあります。 その足で教室へ。 年度初頭恒例の学力テストを行う。 新髪型は生徒にも予想以上に好評で、何よりであった。 新3年生の女の子がひとりいるのだけど、もうこの子がかわいくてしかたない。 わたしのことを、信頼しきってくれている。 ある意味プレッシャーでもあるのだが、そのまっすぐな眼差しがもう本当にいとおしい。 抱きしめたくなる。 ところで選挙であるが、明日投票の県議選より、4月15日告示で4月22日投票の熊本市議選のほうがわたしはよほど気になっている。 なんと、外山恒一氏が出馬の意向を示しているのである。 YouTubeでかの政見放送を見て以来、わたしは彼の虜だ。 そこらの芸人よりよほどおもしろい。 どこまでわかっていてどこからがわかっていないのか、そのへんのボーダーが曖昧な感じもたまらない。 最初はすべてわかった上でやっているのだと思っていたが、ホームページとか見るに、心底からそのように思って行動している部分もあるように思える。 「吉田松陰みたく塾を開く」とのことだが、その塾というのもどうやら熊本にできるらしいのだ。すごい。 市議選期間中に一度はこの目で見ておきたい。 叶うならば握手を求め、サインももらおう。 わたしは今彼に夢中である。 - 雑感 - 2007年04月06日(金) 学生時代のアルバムを見なければいけない用事があって、思い出したくもないはずの自分のブッサイクな女子高生時代の写真をみて、やはりつくづくと「ブッサイクやなぁ」と再確認し、それから、個人写真を1組、じゃない、1室から11室までずっとひとりひとり見ていって、覚えている、覚えていない、を総チェックしてみた。 意外に覚えているもんだ。 もっと忘れているかと思っていた。 高校の頃の私は、なんかもう、何と言えばよいのか、本当におかしな人だったと思う。 どこがどうおかしいのか、挙げたらきりなくおかしい。 わたしだったら絶対友達になりたくない。 よく周囲の人たちはあんなのと仲良くしてくれていたなぁ、と、その心の広さには胸を打たれるばかりだ。 倫理の先生が好きでした。 かっこいいなぁ、と、写真で見て改めて惚れ惚れとする。 最近噂に聞いたが、教え子と付き合っていた時期もあったらしい。 1年生の。 あぁ。 なんかでも、なんとなく、わかる気がするよ。 かの高校は他と比べるとそういうのに割かし寛大なほうらしいので、今でも普通に先生を続けているとは思うのですが。 結婚とかしてたりして。 絶対に覚えてもらっていない自信はあるが、会ってみたいなぁ。 少し年取って、いぶし銀な感じになってるのかなぁ。 会ってみたいなぁ。 そして一夜のアバンチュールとか。 ワハハ。 寝よう。 - 読みたい - 2007年04月05日(木) とてもうれしい。 長い文章を読み続ける力が戻った。 体力と気力、興味と意欲。 欠けていたこれらのもの。 取り戻すぞー。 弟を、かつてわたしも通っていた病院に連れて行った。 ほとんど無言だったが、帰りの車の中で、安心したのか、ひとこと 「あたまいたい」 と、つぶやいた。 玄関口の桜並木が素敵で、うわあ、と、思い出した。 学もそこにしばらく通っていた。 入院していた時期もある。 年齢も同じで、体型も性格もどこか似ているこのふたり、 視界のすみにある彼の右手と、通いなれたその桜並木、 とっさに弟の横顔を見て、現実に戻ったけれども。 その病院でなければならなかったのは、わたしが通ったことのある病院で、近場ではないところがいい、という弟の希望を満たすのがそこしかなかったからだ。 弟を待つ間、ココアを買う。 待合室から自販機への道は、病棟への道。 その自販機でコーンスープを買って、差し入れで持って行ってあげていた。 外の世界から、渡り廊下を通じて、隔絶されてゆく世界。 一歩奥へと進むごとに、外の世界が遠くなってゆく。 偏見ではない。 少なくともこの病院においては、入院病棟はそういう場所である。 あぁ。いかん。 これは、だめだ、と思った。 診察や説明がすべて終わった後、飲み干したココアの空き缶は、弟に捨てに行ってもらった。 ふたたび自販機のところまで行くことができなかった。 意識して思い出すようにしている。 しかし、崩れそうなときは、しかたがないのでそこで止めておく。 かわいそうな学のこと。 「レンタルお姉さん」の発想に近いものがある、と思う。 贖罪として、わたしもこの「レンタルお姉さん」をやってみようか、などと考えるときがある。 でも本腰を入れないとできないことだと思う。 本業の片手間にボランティアでやる、とかいう世界ではない、と。 「本業」を得たわたしは、片手間でそういうことに関わることはできない。 それに、ルポ本の評価を読む限りでは、引きこもりを脱した青年たちのその後が描かれていないらしい。 たぶん「レンタルお姉さん」制度が新しいものなので、まだ方向性が固まってなくて発展途上にあるということなんだと思う。とにかく引っ張り出すことに主眼が置かれ、その後のことはまぁそれから考えよう、な世界なのかもしれない。でもそれでもいいと思う。外に出ないと、考えることも考えられない。 記事を目にして5分後にはアマゾンで注文したのだが、届くのは来週の半ばになるみたい。 遅いよ。 - うむむむむ - 2007年04月04日(水) 寝られneeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!! 寝られません。 そういえば今日、新中3の子に二次方程式を教えていたら、なぜかわからないが突如口がうまくまわらなくなった様子で、途中から「因数分解」が「いんちゅうぶんかい」としか言えなくなった。 「先生、ここいんちゅうぶんかい?」 「そうそう、いんちゅうぶんかい」 と面白がって真似ていたが無反応だった。 基本は図太い性格の子なのでまぁ大丈夫だろう。 だからどうという話でもない。 新中2と新中1の子に尋ねられた。 「先生、先生。 先生に、質問があります! 先生は、彼氏とか、いるんですか!!キャー!!」 キャーて。 「ねね、聞いてみてよ」 「あんたが聞いてよ」 などとさっきからヒソヒソと相談していたのはこのことだったのか、と得心がいったが、ひとつ疑問なのは、彼女たちも女の子で、私も女だということだ。 そのキャーはなんだ。 だからどうという話でもない。 寝られない。 祈祷でもすれば消耗してぐっすりと眠れるかもしれない。 祈祷とはどうすればよいのだろう。 オンソワカ、オンソワカ、と唱えながら白いかさかさしたのを振り回せばよいのだろうか。宮司さんとかが持ってるようなのを。 オンソワカ、オンソワカ… - 仲直りと罰当たり - 2007年04月03日(火) とりあえず元のように会話できるようになった。 考えるのをやめよう。 そして今日、先月の今日とまったく同じ相手にまったく同じ迷惑をかけた。 約束の時間をすっぽかしていた。 おそろしいことだと思った。 電話口で怒鳴られた。 SE時代以来のことのような気がする。 明日朝一でお詫びの電話をしないといけないのだけど、もう、ほんと、偽らざる本音として、今すぐに朝になってくれないだろうかと思う。 「注射の順番待ちやね」と言われたけど、基本は同じだ。 早く終わってほしい。 怒られるなら早く怒られてしまいたい。 これも偽らざる本音だが、謝ってすむのなら、それですべて水に流して何もなかったことにできるのなら、本当になんべんでも謝ると思う。 それができないからいかんのだ。こういうのは。 一度失った信頼を取り戻すのは、そう簡単なことじゃない。 修復にどれぐらいかかるんだろう。 気が遠くなりそうだ。 あんな電話をした罰が当たったのかな。 いや、たぶん、昼食を抜いてしまったからだ。 それとも色恋沙汰で浮かれているから? 「レンタルお姉さん」の記事に触発されたから? あー。もういいや。 おとなしく寝よう。 - 昨日見た夢 - 2007年04月01日(日) 昨日の二次会は楽しかった。 5年ぶりぐらいに会う人が何人かいて、最初はすこし緊張したけど、しだいに前のように気負いなく話せるようになれてうれしかった。 結局四次会まで行った。 その帰り道、わたしは彼氏に電話をした。 そして、たくさんの不安や憂鬱や、そういったものを非常にストレートに投げかけた。 彼にするのはもちろん初めてだけれども、わたしのなかで、これはもう常套手段となっている。 酔っているから、本音にストッパーがかからないのだ。 もしかしたら自分でもわかっていて、免罪符として扱ってもらえることを期待しながらこういうことをやっているのかもしれない。 話をしているとぽろぽろと涙が出てきて、号泣というほどでもないけれども、すすり泣きが止まらないまま、いろいろなことを話した。 醜い、醜い。醜い本音。 ベッドではなくソファにばたんと身を沈めて、それからもすすり泣きながら彼と話をし続けて、いつの間にか、眠っていた。 夢を見た。 車でドライブに行く。 どこかのひなびた温泉施設のようなところで、わたしは彼とはぐれる。 必死に探す。でも見つからない。 偶然すれ違い、わたしは彼を呼び止める。 でも、まるで知らない人を見るかのような不審げな顔をしただけで、彼はそのまま歩き去ってしまった。 わたしはとても悲しかった。 そこには数々の魅惑的なアミューズメントがあるのだが(温泉なのに…)、何をしていても、どうでもよい。 目が覚めたら彼氏からのメールが届いていて、わたしの不安を解きほぐすためのことばが、簡潔に、しかしまじめに書かれていた。 今日一日、何か伝えなければ、と思いながらも、あまり気が進まなくて、結局何もできなかった。 -
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