日記...マママ

 

 

中2続き - 2006年12月17日(日)

熊本市に越してくる前は、熊本市以上にドドド田舎の中学校に通っていた。
男だとか女だとか、あんまりそういう観念を持っていなかった。男子とも女子とも同じようにしゃべっていたと思う。
わたしの中で何かがおかしくなったのは中3で熊本市に越してきてからで、なぜだか、本当になぜだかはっきりとわからないのだが、男子としゃべることができなくなった。
しゃべろうとすると、のどに何かがつっかえて「ひーひー」と息が漏れるだけで声が出ない。
なんだったんだろう。
思春期云々以前に、なんだかおかしかったよなぁ、と思う。
わたしのことが好きだった男子とかもいたらしく、あぁ、もうちょっと普通にしゃべることができていたらなぁ、とつくづく残念だ。
しかし中3のころのわたしは不細工だった。
本当に不細工だった。
中学の卒業アルバムを人に見せるとき、わたしは「学年一不細工なのはわたしだ」というようなことを、あえて真顔で言う。
すると相手はまず「いやいや…」と苦笑して、そしてそのまま目を泳がせて、黙り込む。
フォローの言葉が見つからないのだろう。
実際そうなのだから。
なんか、髪型がおかしいのだ。
男子と異様にしゃべれなかったのと同じぐらいの異様さで髪型がおかしい。

思うに、中2までは男子を苗字呼び捨てで呼んでいたのに、中3になって「君」付けをするようになったというのはあるかもしらん。
単なる風土の違いなのだが、心理的距離がまったく違う。
よく知っている男子も「君」を付けるだけで遠い世界の人々になってしまう。
生徒に対しても、わたしは本当は呼び捨てで呼びたい。
ヤンチャな子どもほど、呼び捨てで呼びたくてうずうずする。
呼んでみようか。
呼んでみていいだろうか。
うずうず。



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迎合 - 2006年12月11日(月)

陽子ちゃんのことを、ふっと思い出した。
ときどきやってくる猛烈なフリーセル熱に浮かされて黙々とカードを並び替える作業に熱中していたとき、中学1年と2年のころに同じクラスだった陽子ちゃんという子がいたのを何の脈絡もなく思い出した。
頭のいい子だった。
が、悲しいかな、おバカ揃いのギャル軍団に所属していたため、「何気なくとばした知的なギャグがグループ内のメンバーに理解されない」という憂き目に遭うのをしばしば目にした。

たとえば2年のときは「セイシ」という名の大学出たての男がうちのクラスの担任になった。体育館での始業式で新任として紹介され、壇上に上った彼が「はじめまして、○○セイシです」と名を名乗った瞬間に全校生徒が爆笑した。セイシにしてみれば間違いなく一生忘れられないトラウマになったであろう。(ちなみにわたしはウブだったので意味がわかりませんでした)
始業式が終わって教室に戻り、セイシが改めて黒板に「○○青志」と自分の名前を書いていたときに「こめへんはつかないんですか?」という野次を飛ばすことのできるような、陽子ちゃんはそのくらいのインテリジェンスのある子ではあった。本当はそういう野次を飛ばすような柄の子ではないのだが、軍団内に漂う「セイシをいじる糸口をつかみたい」というムードを察しての行動であった。
しかし、その意味を理解できた子はおそらく軍団内にはいなかったであろう。よって陽子ちゃんの先発攻撃は不発に終わった。

わたしはギャル軍団に憧れていた。かわいくて明るくておしゃれで社交的で、わたしがほしいものをたくさん持っている人たちだったから。
しかし、わたしと彼女たちの間にはうまく言えないけれども厳然たる壁があり、わたしが彼女たちと同じになることは決してできなかった。

軍団のリーダー格の子が、ちょっとした用事があって放課後セイシに呼び出された。なんとか相談室、とかいう狭い部屋で二人っきりで話す様子をメンバーは外から「エロい」とかいって囃し立てていた。
その子が出てきたとき、陽子ちゃんは「あれ?どうしてボタンが互い違いなの?」
と冗談を飛ばした。
あぁ、また齟齬が生まれる、と、たまたまそばでその光景を目にしていたわたしは気が気でなかった。

陽子ちゃんのこうした涙ぐましい迎合の姿勢は見ていてすこしだけ痛々しかった。頭が悪い子が無理をして賢しらげに振舞うのはものすごくウザいけれども、陽子ちゃんはその逆だったから、なんとなく、大変だなぁ、という同情の目で見てしまうのだった。
わたしも、話が合う子というのがクラスにいなかった。何を話せばいいのか、皆目見当がつかなかった。ドラマも見ないし、他の子が読むような漫画も読んでいなかった。とりあえずドラクエが好きだったが、クラスにドラクエを知っている女子は他にいなかった。男子にはいたが、部活や万引きや雑巾野球の片手間にやっているだけで、じっくりと腰を据えてドラクエ談義に花を咲かせることのできる級友はいなかった。
そんなんだったからかもしれないが、わたしは陽子ちゃんに勝手にシンパシーを感じていた。わたしがもうちょっとかわいくて社交性があれば、彼女とはもっと仲良くなれたのかもしれないなぁ、と思ったりもする。
そういえば、わたしは2年の終わりに転校したのだが、転校が決まってから、なんだかわからんが彼女にものすごく構われていた。
彼女だけでなく、ギャル軍団全員に尋常ではない構われ方をしていた。
なんだったんだろう。いまだにわからない。
なんでもない普通の日に写真をばしばし撮られたり、黒板一面にわたしとの思い出を色とりどりのチョークで書いてくれたり、普段ほとんど話すことがなかっただけに混乱して「なんか遠まわしにいじめられているのだろうか」とか思ったが、単純に「転校でさびしいだろうからできるだけのことをしてあげよう」という心遣い、だったのだろう。たぶん。

セイシは今も先生をやっているのだろうか。
8歳差だから、今セイシは35歳だ。

同じクラスの、とある山脈名があだ名になっていた子からわたしはものすごく嫌われていて(理由はわからない)、でもその子のほうがクラス中からなんとなく嫌われていたから、まぁいいや、と思っていたこととか、好きな男子との微妙な距離感とか、芋づる式にそういうのを思い出す。
おもろいなぁ。中2って。
自分の考えていたことを思い返すのもおもしろいし、友達の言動を思い出すのもおもしろい。
今の中2と比べると、おしなべて子どもだな、と思う。


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うんうんのこと - 2006年12月09日(土)

シモネタを書きたい。
実は猛烈に書きたい。

本当はうんうんの話が大好きだ。
日常生活のなかで、まじめに話すとしたらあれほどバリエーションに富む話題も珍しいのではないかと思う。



まずはこのあまりにも有名なコピペをご覧頂こう。



ゴーストうんこ
  出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。

クリーンうんこ
  出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。

ウェットうんこ
  50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、
  パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出る。

セカンドうんこ
  終わってパンツを上げかけたところで、再びもよおすうんこ。
  試してみると、確かにまだ出る。

ヘビーうんこ
  食べ過ぎ飲み過ぎの翌日のうんこ。重くて流れにくい。

ロケットうんこ
  すごい速度で出てくるので、パンツをすばやくおろさなくてはならない、
  そんなうんこ。

パワーうんこ
  勢いがあるので、水がピチョンとはねかえってくるうんこ。
  広範囲をふかなくてはならない。

リキッドうんこ
  液状で、一般に痛みと音がすさまじいうんこ。
  3日たっても痛いことがある。

ショッキングうんこ
  においが強烈なため、便後1時間は誰もそのトイレに入れない、そんなうんこ。

アフターハネムーンうんこ
  すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようになる、そんなうんこ。

ボイスうんこ
  あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。

ブレイクうんこ
  量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。

バック・トゥ・ネイチャーうんこ
  森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。

インポッシブルうんこ
  絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。
  すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。

エアーうんこ
  出そうな気はするのに、何回やっても屁しか出てこない仮のうんこ。

ノーエアーうんこ
  屁だと思って軽く力を入れたら、出てきてしまったうんこ。
  多くの場合、取り返しのつかないことになる。



いかがであろうか。
「有名じゃないと思う。」
それは確かにそうだ。冒頭で誇張していたことは認める。

この文章から目をそらすことも、確かに簡単だ。
しかしわたしは、目をそらさずに、彼もしくは彼女の文才への感嘆とともにじっと思索にふける人でありたいと思う。
願わくば、読者にも、そんな人がいてほしいと思う。


さてわたしのうんうんだが(ここでストレートに「うんこ」と書かないところがまだ迷いが残っている証拠だ。精進せねばならないと思う)最近はかの感染性胃腸炎のため、なかなか順調に出ない。
やっとのことで出るときはたいてい下痢だ。
便秘なのに下痢。
この大いなる二極相反。
それでも、出てきてくれたときは本当に、本当に、感謝の気持ちでいっぱいになる。
よかったね。
よかったよ。
いくぶん軽くなった腹部を、労わりの念をこめてわたしはさする。
あぁ。よかった。
腸の内壁はきっと綺麗に洗い流されていきいきと脈動していることだろう。
その健康そうなピンク色を想像して、わたしはほっとする。
一度、血便が出て検査のために腸カメラを挿入したことがある。
4リットルの下剤とともに腸内のあらゆる汚れはきれいに押し流され、医者と一緒に見た腸内の映像はそれは美しいものだった。
きっと、今もあんな風なんだろうな。
そう思うと、ほっとするのだ。


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はやりの - 2006年12月08日(金)

最近流行ってますもんねー。ウイルス性の腸炎なんじゃないですか?

って、それを確かめに医者に行ったのに、医者にも問診だけでそのように市井のひとびととまったく同じことを言われて、なんとなく釈然としないまま薬をもらってきた。
でも薬を飲み始めてから少しずつ腹痛が治まっているように思うので、まぁそうだったんだろう。


声はその人の魅力をよく左右すると思う。
学はいい声をしていたなぁ、と思う。
顔立ちもよくて、スタイルもものすごくよくて。
頭もいいし、やさしいし。

さまざまなことと同時に学のことを考えることに慣れてきて、今日は普通に、もったいないな、と思った。
あんなにいいものをたくさん持っている人が、なぜあんなに早く逝ってしまわなければいけなかったのだろう。

殺した、という思いは宙を舞い、わたしからどんどん現実感というものを吸い取っているような気もする。
正視できないもん。
そうするしか、生きていく方法がない。

どんどんどんどん、こうやって、現実と虚構の区別がつかず、意識もぼんやりとして、起きているのか眠っているのか、わからないような人に。

わたしは彼を愛している。
愛しているから傷つけてしまった。

「結婚のご予定は?」
と尋ねられ
「いえ、それがまったく」
と笑いながら返すとき、ふと冗談で
「募集中なんですけどねー」
と言ってしまい、言った後でちくりと胸が痛む。
そういうことを繰り返している。

その人への思いによりわたしのこの葛藤さえも追いやられるような、学が「この人ならば」と認めてくれるような、そういう人なんて、どこにいる?

いるわけがない。
いてたまるか。



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おそらく風邪 - 2006年12月05日(火)

吐き気と頭痛と下痢とのどの痛み。せき。

ここまで書いたとき、さっき食べたカレーライスがゴボッと逆流してきたかと思うとあっという間に胃液とともに口内に充満し、あわててトイレに駆け込むや否や、若干間に合わずにちょっとあふれてきて云々、という惨事に見舞われた。

吐くとスッキリするね。
で、改めて書くことにする。

と思ったら部屋着のフリースの袖口に残留物が付着しているのを発見して、それをきれいに洗うという作業が発生した。

もう大丈夫だ。うん。

今日食べたものをよく思い返してみると、

朝、ヨーグルトひとつ。
昼、あんまんひとつ。
夜、カレーライス(小)一皿。

先週末からなんだか食欲がないのだ。
胃が張っている。


今日は教室の引継懇談会で、自己紹介とともにご父兄の方々とざっくばらんにいろいろな話題についてトークを繰り広げる…予定だったのだが、声はしわがれていてよう出らんし、意識がときどき飛びそうになるも、なぜ飛びそうになるのか、どうすれば飛びそうにならないのか、について考えることもできずにただ貼りついたような笑顔だけを保っていた。30点。
家に帰ってみて、あぁ、こりゃ風邪のうえにまともなものを食べてないからだ、と、やっと気づいた。
しかもその判断力の低下により、「本当に大丈夫ですか?」と不安げな代講の先生に「あはは、むしろやらせてくださいよ!」などと青春真っ盛りな返しをしながら次回の教材準備を全部引き受けて帰ってくるということもやっていた。
間に合うのかこれ。
しかし、まぁ、こういうときにもひとつぐらいはいいことがある。
このぐらいのことは無理でもなんでもないということをわたしは知っている。
本当の無理というのはもっと過酷で深刻なものである、ということを、少なくともわたしは知っている。
とりあえず、お腹の調子が早く元に戻ってほしいな、とは思う。
風邪じゃなくて、感染性胃腸炎っていうやつなのかなぁ?
でも、せきが出るしな…。やっぱ風邪だろ。うん。
明日病院に行こうかな。


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